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【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因
「社員の失敗に対して寛容になる」とはこういうことかと改めて思い知らされた一件
日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(2/2)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月03日

【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因


業績不振

 2011年7月に「オフィス・エボルバー」という屋号で開業し、2013年1月に屋号を現在の「シャイン経営研究所」に変更して、今年で独立診断士として丸7年を迎えた。ただ、2013年7月から2017年2月の3年半あまりは、ある中小企業向け補助金事業の事務局員として、半分会社員みたいな生活を送っていたので、純粋に独立診断士として活動したのは残りの約3年半である。その間、多くの方々に支えていただいたことにはこの場を借りて感謝を申し上げたいが、現時点での私の独立診断士としての活動は「失敗」であると言わざるを得ない。

 もちろん、個人事業主といっても1つの事業を営んでいるわけで、それがそんなに短期的に成功するとは思っていない。以前の記事「メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた」でも書いたように、特に私は大器晩成型のようなので、10年~15年程度の長いスパンで物事を見る必要がある。

 だが、一方で、別の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」で書いた、「3年で成果が出なければ諦める」という価値観も捨てていない。つまり、最終的な目標は10年~15年後に達成すればよいが、その最終目標に適切に向かっているかどうかを3年ごとにチェックし、中間指標が満足のいくものでなければ撤退するべきだということである。今、私の個人事業は、私が考えていた中間指標の大部分を達成することができなかった。だから、今後の身の処し方を検討しているところである。

 昔、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」で、前職のコンサルティング&教育研修サービス会社のことを滅多切りにし、「経営コンサルタント出身のくせに自分が経営者になるとまともに経営ができない」などと偉そうに吠えまくっていたことがある。ところが、私自身も経営コンサルタントを名乗っておきながらこのざまなのだから、全くもってお恥ずかしい話である。同じ穴の狢である。「経営コンサルタントというのは、経営のことをろくに知らないいい加減な人間の集まりだ」という世間のイメージに加担してしまったことを罪深く感じる。せめてその罪滅ぼしとして、私が独立診断士として失敗した理由を5つほど整理しておきたいと思う。

 (1)夢や目標はあったが志がなかった。
 『致知』2018年10月号に「夢や目標はあるけれど、志はあるのか」(河村京子「言い続け、思い続け、やり続ければ、夢は必ず実現する」)という言葉があり、思わずドキッとした。夢や目標というのは、例えば「高級な家に住みたい」、「ベンツに乗りたい」などといった利己的なものである。他方、志とは、人々の役に立ちたい、世の中を変えたいといった利他的なものである。私の場合、20代で前職のベンチャー企業にいた頃から、「30歳でマネジャーになって年収1,000万円を稼ぎたい」と思っていた。しかし、そのベンチャー企業から整理解雇を言い渡されて独立した時には、「35歳には年収1,000万円を達成する」と、夢を先延ばしにした。どちらにしても、夢は夢、利己的なものである。私の場合、整理解雇という憂き目に遭ったので、きっと将来その埋め合わせがあるだろうと、夢の幻影をいつまでも追いかけていたようだ。

 もちろん、志が全くなかったわけではない。企業がミッションやビジョンを掲げることの重要性は私自身も繰り返し主張してきたから、自分でも実践していないわけではなかった。シャイン経営研究所のミッションは、「顧客企業の社員を付加価値の高い業務にシフトすることをお手伝いすること」であった。そして、ビジョンとして、「①顧客企業の社員が、1日の業務が終わった時に、『今日はいい仕事をした』と泣いて喜ぶことができるようにすること、②顧客企業の社員が、付加価値の高い業務に見合った報酬を手にすることができるようにすること、③我々(といっても結局7年間で1人も採用しなかったのだが・・・)も、そのような顧客企業の社員とともに仕事ができることを至上の喜びとすること」という3つを掲げていた。

 とはいえ、冷静に見つめ直してみると、随分と俗っぽい印象である。歴史学者のアーノルド・トインビーは、「物事の価値を金銭で換算するようになった民族は滅びる」と述べたが、私が掲げたミッションはこれにずっぽりとあてはまっていた。つまり、顧客企業を破滅へと導くミッションだったのである。それに、このミッションは、私の本意を正確に表していない。私は、ピーター・ドラッカーが頻繁に主張していたように、知識労働者がそれぞれ一経営者として仕事をすることを理想としていた。また、キリスト教が伝統的に仕事を悪とするのに対し、石田梅岩が言うように、仕事は人間を成長させるものだととらえていた。だから、私のミッションは、「顧客企業の社員が自社の経営を我がごととしてとらえ、一段高い視点から仕事をするお手伝いをし、社員にとって仕事が人生の重要な意義を持つように支援すること」とするべきであった。

 (2)ビジネスモデルが確立していなかった。
 恥ずかしい話をすると、私にはビジネスモデルらしいビジネスモデルが長年存在していなかった。経営コンサルタントとしての資質を疑われてもやむを得ない。人事分野という私の強みを活かしたビジネスモデルとして考えられるのは、次のようなものである。まず、ブログ、facebook、人脈などを通じて、私という人間の人となりを知ってもらう。言わば、薄いファンを作る。次に、Webサイトで無料の「経営力診断」を提供し、私が経営全般に関して一定の知見を有する人間であることを訴求して、潜在顧客のプールを形成する。

 その中で、自社の組織風土に関心がある企業に対しては、まずはWeb上で無料の「組織風土診断」(簡易版)を受けてもらい、さらに突っ込んだ調査を希望する企業には、有償で詳細な「組織風土診断」を受診してもらう。その結果、「人事制度に不満を持っている社員が多い」、「将来のキャリアが見えない」という回答が多ければ、「人事制度の再構築」、「セルフ・キャリアドックの導入」というハード面のソリューションを提供する。「上司の部下マネジメント力が弱い」、「戦略に納得していない」という回答が多ければ、「部下マネジメント研修」、「創発的戦略構築研修」というソフト面のソリューションを提供する。そして、そこから継続フォローにつなげていく。実は、こういうビジネスモデルを思いついたのは、今年に入ってからである。

 ここまではっきりしたビジネスモデルを描かなくても、顧問契約を獲得するためのパターンをもっと早い時期に確立するべきであった。例えば、私が考えた1年間のモデル顧問契約サービスは次の通りである。最初の3か月は環境分析を行い、望ましい戦略を導き出して、戦略を実現するためのビジネスプロセスを詳細化する。そして、業務の改廃や組織の統廃合、職務の再定義などを行い、新しい職務分掌や業務マニュアルを整備する。

 次の3か月は、新しい業務プロセスを遂行するにあたって必要となる新しい知識や能力を習得するための人材育成計画を策定し、研修を実施する。その次の3か月は、研修で学習し、現場で実践したことが適切に評価される人事制度を構築する。最後の3か月は、新しい業務プロセスを下支えし、現場での学習を促進し、公正な人的資源管理を行うためのITを導入する。そして契約更新後は再び環境分析を行い、戦略をブラッシュアップする。こうした形で、私の強みである戦略立案、人材育成、人事制度構築、IT導入をフルに動員した顧問契約サービスを設計することは可能であった。このパターンを思いついたのも去年ぐらいである。結局、7年間で顧問契約は1社も獲得できなかった。私が従事したのは全てスポット案件である。

 ビジネスモデルが曖昧だったので、ターゲット顧客も非常にあやふやであった。言い換えれば、上記のビジネスモデルがぴったりとあてはまる中小企業に的を絞ることができなかった。上記のビジネスモデルはいずれも人事制度の構築を含んでいる。中小企業で人事制度が本格的に必要となる、また既に人事制度を導入済みでもその制度に課題が生じ始めるのは、だいたい社員数が50~100人を超えたあたりからである。社長が1人で全社員の評価をつけるのに限界が来るためだ。それなのに、私は頼まれるがままに、小規模企業やまだ売上が立っていないベンチャー企業のコンサルティングをかなりやっていた。

 顧客企業の規模がバラバラであることに加えて、引き受けた仕事の種類もバラバラであった。「若いうちは何でも勉強だ」と言い聞かせて、いただける仕事には何にでも手を出してしまった。もちろん、仕事が自然と多角化することはある。私の先輩の独立診断士は飲食店に強いことをずっと売りにしていたところ、いつの頃からかそこから派生して、他の業界からも仕事をいただけるようになったと話していた。しかし、これは例えるならば、ボウリングでセンターピンがしっかりと立っていて、センターピンにボールが当たった結果、他のピンも倒れたようなものである。私の場合は、確固たるセンターピンがないのに、ふらふらと色々な仕事を彷徨い歩いていた。海外勤務の経験がない私が、海外企業の信用調査をしたり、海外事業のリスクマネジメントの仕事をしたりしたのは、今となっては意味不明である(それはそれで勉強にはなったが)。

 (3)他の診断士からの紹介に頼りすぎた。
 以前の記事「中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(6)【独立5周年企画】」で書いたように、他の診断士から仕事を紹介してもらうことは大切である。ただ、私の場合は、それに味を占めて、診断士からの紹介案件に依存しすぎてしまった。これは事業としては危険である。仕事を依頼する側の立場に立てば解るのだが、彼らが私のような人間に仕事を依頼するのは、その仕事が自分の手に負えないから、あるいは収益性が低いからであることが少なくない。自分でできるならば、あるいは収益が高いならば、わざわざ他人に紹介しようとは思わない。彼らとて自分で食っていかなければならない。もちろん、中には善意でいい仕事を紹介してくれる方もいる。しかし、残念ながら全員がそういうタイプとは限らない。

 さらに悪いことに、私は案件の収益性を計算するのが苦手である。この案件が収益につながるのか、仮に短期的には利益が出なくても、将来的に案件が成長してリターンが見込めるのかを予測する能力が欠けている。だから、生活に支障が出る(と後で解る)レベルの安い案件でも引き受けてしまう。この点については、以前の記事「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」でも触れた。

 それで大失敗をした例が以前の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」で書いた話である。実は、これ以外にもやらかしている案件がいくつもある。私が勝手に計算しただけにすぎないものの、潜在的な損失は2015年以降だけで1,500万円を超えていると思う。さらにつけ加えると、こういう危ない案件に携わった他のメンバーは、途中で上手に案件から逃げ出していることが多い。私はリスク感性が鈍いせいか、最後まで案件に携わってしまう。そして、案件が終わってから、いただいた報酬の少なさに慌てるのである。稲盛和夫氏は「経営とは値決めである」と言っていたのに、私は値決めができなかった。つまり、経営ができていなかった。

 マーケティングにおいても、紹介によって仕事を獲得することは重要であるとされる。顧客獲得コストを大幅に節約することができるからだ。しかし、その紹介元が同業他社であるというのはあまりよくない。大企業の創業者の本を読んでいると、「競合他社ができないと音を上げた難しい仕事を引き受けて、それを何とかやりきることで社員のモチベーションを上げた」というエピソードがよく出てくる。しかし、私はこの手法はそうそう頻繁には使えないと思う。競合他社と自社の間には利害関係がある。だから、競合他社にしてみれば、収益性の悪い面倒な仕事を押しつけて相手を苦しめてやろうという心理が働かないとは言い切れない。

 いい紹介とは、顧客からしてもらうものである。顧客から、その顧客とは利害関係のない別の顧客を紹介してもらう。その顧客が仲良くしている企業のことだから、企業規模も、経営者のものの考え方も、収益力も、組織風土も似ているだろう。こういう顧客を紹介されれば、案件の収益面で苦しめられるリスクは少なくなる。私の場合、顧客企業から別の顧客企業を紹介してもらったことがないのが痛かった。顧客企業に対して、「同じように困っている企業さんをご存じではないですか?」と聞けばよいだけだったのに、それすらしなかった。

 (4)常に特定顧客への依存度が30%を超えていた。
 中小の下請企業の場合、大口顧客への依存度が30%を超えていると危険であると言われる。容易に想像がつくことだが、大口顧客からの受注が消えた瞬間、売上高が30%も落ち込む。だから、顧客はできるだけ多角化して、ポートフォリオ管理するのが経営の定石である。にもかかわらず、私は確たるビジネスモデルも持たず、明確なターゲット顧客に対して営業活動をせず、他の診断士から紹介されるがままにスポット案件ばかりやっていたので、ほとんど常に特定顧客への依存度が30%を超えていた。30%どころか、70~80%ぐらいだったことも珍しくなかった。1つの案件が終わると売上高が急激に下がる。そこで慌てて目の前にある紹介案件に、収益性をよく考えずに飛びついてしまう。この繰り返しだった。

 仮に明確なターゲット顧客とビジネスモデルを持っていたとしても、特定顧客への依存度が30%を超えることはある。例えば、同じ顧問料を払ってくれる顧客企業が3社しかなければ、特定顧客への依存度は30%を超える。これも私の悪い癖なのだが、1つの案件をほとんど1人でやろうとしてしまう。他のメンバーと一緒に仕事をしても、前述のように途中でいなくなることが少なくない。こうした問題を回避するためには、私が案件の収益性を適切に見積もることができることを前提として、仕事を分担することができる緊密なパートナーを見つけるべきだったと考える。そうすれば、私はもっと多くの顧客・案件を一度に抱えることが可能だっただろう(パートナーもまた、同様に多くの顧客・案件を一度に抱えることができる)。仮にいずれかの案件が終了したり、途中でダメになったりした場合でも、その影響はある程度抑えられる。

 その際、決して、仕事をパートナーに丸投げしたと思われないようにしなければならない。私が自分の得にならない仕事をパートナーに押しつけたと受け取られる恐れがある。また、パートナーは数が多ければよいというものでもない。パートナーの数が増えれば、必然的にそれぞれのパートナーに行き渡る仕事の量が減る。それは、パートナーの暮らしを不安定にする。私は、たくさんのパートナーを使って、自分は上前だけはねるビジネスをやっている診断士にも会ったことがある。このモデルだけは絶対に真似してはならないと感じた。

 (5)気分転換の機会を作らなかった。
 会社勤めであれば、基本的に土日は休みでなる(もっとも、土日も働かせるブラック企業はある)。しかし、独立して1人で仕事をしていると、自分で意識しない限り、休みを確保することができない。私は2012年の夏に一度倒れて入院し、2013年の中盤までは週3日ぐらいのペースで仕事をして、顧客をゼロから再開拓しつつ仕事のリズムを取り戻すことに専念していたのだものの、2014年から仕事が増え、2015年からはとうとう休みがなくなった。2012年、2013年と満足に仕事ができなかった分を取り戻そうという思いもあった。

 本ブログで告白しているように、私は2008年秋から双極性障害という精神疾患を患っている。2015年~2017年はたまたま薬のコントロールがある程度上手くいっていた時期で、絶好調というわけではなかったものの、ずっと仕事をしていた。放っておくと歯止めが効かないのも私の悪い癖である。朝5時頃に起きてメールのチェックから仕事を始め、夜は19時~20時まで働き、仕事の合間を縫って年間約200冊の本を読み、約60万字分のブログを書き、残りはほとんど寝ていた(私は抑うつ時に過眠傾向になる)。病気の影響により仕事の途中でこまめに休憩を取る必要があるため、1日の仕事時間は合算で8~9時間であった。とはいえ、週6.5日のペースで仕事をしていたから、年間の労働時間は3,000時間(=8.5時間×6.5日×52週)近くになっていた。ここに、読書の時間(1冊3.5時間として750時間)とブログの時間(私は1時間で2,000字書くので、年間300時間)を加えれば、年間の活動時間は約4,000時間となる。

 読書とブログは私の趣味みたいなものだから除外するとしても、それでも年間3,000時間労働は度を越えているだろう。これでは1人ブラック企業である。我ながらよく死ななかったと思う。一応、睡眠時間は確保できていたことが幸いしたのかもしれない。今年の3月に入院する際には、かかりつけの医師からは過労だと言われた。私の場合、単なる過労ではなく、精神障害も重なっていたから、3月の1回の入院では十分に回復せず、4月に働き始めたのも束の間、7月には再び3週間実家で自宅静養することになってしまった。2012年に倒れた時もそうだったように、一旦仕事に穴を開けると、一気に顧客を失う。そして、復帰後はゼロからの再出発になる。今年は2度倒れているため、事業の継続性にいよいよ黄信号が灯るようになった。

 「心技体」という言葉があるが、私は「体心技」ではないかと思う。仕事をする上でまず何よりも大切なのは、身体が健康なことである。その次に来るのが精神、最後に来るのが技術・知識・能力である。世の中で評価されるのは、優秀な人間よりも体力のある人間である。次点が精神的に健康な人間だ。企業などで出世していく人を見ればこのことはよく解る。だから、身体と精神の健康を保つために、意識的に休息を取らなければならない。私は技術・知識・能力の向上に全振りした結果、身体と精神を損なって、社会のルールを踏み外してしまった。

2017年06月19日

「社員の失敗に対して寛容になる」とはこういうことかと改めて思い知らされた一件


失敗

 社員が新規事業やイノベーションに積極的に取り組むようになるためには、失敗を罰せず、失敗に対して寛容な組織文化を醸成することが重要であると言われる。個人的には、IBMの創業者であるトーマス・ワトソン・Sr.の話が好きである。ある若手マネジャーは、リスキーなベンチャーで失敗をし、1,000万ドルの損失を出してしまった。ワトソンのオフィスに呼ばれたそのマネジャーはすっかり恐れをなして辞表を出したが、ワトソンはこう言ってはねつけた。「とんでもない。教育のために1,000万ドルを使った後で、君を手放すとでも思っているのかね?」

 日本でも似たような話がある。現在GUの代表取締役である柚木治氏は、2000年代初頭にユニクロが農業に参入した時の責任者であった。ご存じの通り、ユニクロは26億円の損失を出して農業から撤退した。柚木氏は柳井正氏に責任を取りたいと申し出たところ、柳井氏は「お金を返してください」という独特の言い回しで慰留し、辞めさせるどころかGUの責任者に任命した。

 この2つの事例に比べるとはるかに損失は小さいものの、その損失に対して組織の責任者が寛容に対処したケースを最近体験したので、そのことを記しておく。私は色々な非営利組織に所属しているが、そのうちの1つの組織で起きた事例である。ある時、役員会(私も参加していた)に対して、役員ではない若手のメンバーから、「広報活動の一環として、Twitterを活用してはどうか?」という提案があった。ところが、役員会のメンバーに高齢者が多く、Twitter自体がどんなものか知らない人が多かった(このご時世にそれはそれでどうかと思うが)。そのため、その役員会では議論が進まず、次回の役員会で実際にTwitterの画面を見ながら議論することにした。

 2回目の役員会では、提案者である若手メンバーが、Twitterを活用して顧客と良好なコミュニケーションを行っている大企業のアカウントの事例をいくつか紹介し、非営利組織における活用方法を提案した。だが、それでも役員会のメンバーにはTwitterの活用イメージが具体的に湧かなかったようである。仮にこの非営利組織のアカウントを作成して、提案者である若手メンバーに運用を任せた場合、彼のツイートがこの非営利組織の見解を代表していると見なされることに抵抗感を示す役員がいた。それよりも問題になったのは、役員はTwitterを使って炎上したというニュースだけは知っているため、「炎上した時には誰が責任を取るのか?」、「そもそも、『炎上している』と認定するのは誰なのか?」などといった点であった。

 実は、役員会が開かれていた非営利組織には上位組織があり、議論を行っていた非営利組織はその上位組織の一部門でしかなかった。つまり、東京に本社がある企業において、大阪営業部が自発的に大阪営業部のTwitterアカウントを作成するようなものである。この場合、仮に大阪営業部のアカウントが炎上したら、大阪営業部の責任者が謝罪をするだけでは済まされない。当然のことながら、東京本社の経営陣が謝罪のメッセージを発表しなければならないだろう。それと同じような運用を、この非営利組織の上位組織に期待することは難しいと懸念された。

 2回目の役員会でも結論が出ず、もう一度日を改めて役員会で議論することになった。だがやはり、炎上した時などのリスクマネジメントが十分にできないという理由で、この若手メンバーからの提案は却下された。役員会の議長を務めていた非営利組織の責任者は、現場からの提案を積極的に歓迎するタイプであったため、この結末には少々がっかりしたようである。

 私は、若手メンバーが積極的に提案したという姿勢は素晴らしいと思う反面、中身を十分に詰めないまま会議にかけたのはあまりよくなかったと思う。リスクという点に関して言えば、役員会の議論では出てこなかったが、反社会的勢力のアカウントとつながってしまうというリスクが考えられる。アカウントをフォローして仲良くツイートし合っていたら、実は相手が反社会的勢力のメンバーだったという可能性がある。すると、この非営利組織は反社会的勢力と関係がある団体だという、全く意図しなかったメッセージを発してしまうことになる。

 それよりも、今回の提案の大きな問題は、計画の中身があまりにも不明確であったことだと私は思っている。提案者はこの非営利組織の知名度を上げることが目的だと説明していたが、具体的にどのセグメントに対してメッセージを送るのか?彼らに対して、この非営利組織についてどのようなイメージを形成してもらいたいのか?彼らにアプローチする手段として、なぜTwitterが最も最適だと言えるのか?仮にTwitterが最適だとして、彼らにこちらが狙っているイメージを形成してもらうために、具体的にどのようなツイートをするのか?ツイートの頻度はどのくらいが適切なのか?広報活動の成果をどのように定量的に測定するのか?フォロワー数なのか、ツイートの平均リツイート数なのか?目標とするフォロワー数を獲得するために、どのような仕掛けをするのか?などといった点が一切説明されなかった。これでは役員会を通すのは難しい。

 3回にわたって役員を拘束し、結局前向きな結論が得られなかったという点では、今回の提案は残念ながら失敗であったと言わざるを得ない。IBMやユニクロの例とは比べ物にならないが、潜在的な損失もそれなりに発生している。だが、今回の話にはまだ続きがある。

 この非営利組織では、年に1回「チャレンジ賞」という表彰を行っている。これは、その年に非営利組織の事業の発展に大きく貢献したメンバーを他薦によって選出し、年1回の総会において、責任者が大勢のメンバーの前で表彰するというものである。今年のチャレンジ賞に選ばれた人のうちの1人が、今回Twitterの活用を提案した若手メンバーであった。しかも、最も多くの他薦を受けたのだという。彼は少々困惑した表情を浮かべていたが、私は「組織が失敗に対して寛容になる」というのはこういうことなのだろうと感じた。役員会の議論は非常にタフなものである。しかし、今回のTwitterの件で懲りずに、他の若手メンバーからも積極的に提案が上がってくるとよいと思う(ただし、もう少し事前によくプランを練ってほしいという注文だけはつけておきたい)。

 (※)最近、どんどん1本の記事が長くなっているため、今回は短めにしてみた。

2017年02月14日

日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(2/2)


組織図

 前回の記事「日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(1/2)」の続き。

 ⑤権限委譲という名の丸投げ
 欧米流の組織論は、「権限と責任を一致させなければならない」と教える。これを「権限・責任一致の原則」と呼ぶ。ところが、日本企業の場合は、上位になるほど権限より責任の方が大きくなる。というのも、現場を重視する日本企業は、現場にできるだけ大きな権限を持たせる傾向があるからだ。仮に経営者が最初に10の権限を持っていたとする。すると、経営者は10の権限のうち9を部長に移譲して、手元に1だけ残す。部長は移譲された9の権限のうち、7を今度は課長に移譲して、手元に2だけ残す。課長は移譲された7の権限のうち、4を今度は現場に移譲して、手元に3だけ残す。つまり、権限は経営者<部長<課長<現場の順で大きくなる。これに対して、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなる。

 権限移譲は、前回の記事で述べた「下剋上」を下位の階層から引き出す上でも重要である(以前の記事「『人を育てる(『致知』2016年12月号)』―部下からの「下剋上」を引き出すには①大枠の提示と②権限移譲、他」を参照)。なぜなら、組織を改善するほどの重要なアイデアは、細分化された仕事よりも、大きな仕事をしている中から生まれるからだ。また、上司が部下の「下剋上」を採用し、部下にそのアイデアを実行させる段階でも、やはり部下に大きな権限が必要である。上司から「君がそこまで言うのならば、君がやってみなさい」と言われたのに、部下が経営資源(人・モノ・金・情報・知識)を自由に動かせないのであれば全く意味がない。

 ここからが問題なのだが、日本企業では、しばしば権限委譲と丸投げが混同される。権限移譲とは、「会社としてはこのような方向性で考えている」、「最低限、こういう行動規範、倫理規定、価値観に従ってほしい」という大枠を設定した上で、部下に仕事を任せることである。それをせずに、好きなようにやってよいというのは、単なる丸投げである。幕末の長州藩種・毛利敬親のように「そうせい候」と言っているだけではいけないのだ(ただし、毛利敬親に関しては、木戸孝允や伊藤博文、高杉晋作など傑出した人物を輩出した点をプラスに評価する向きもある)。以前の記事「『人事再生(『一橋ビジネスレビュー』2016年SUM.64巻1号)』―LIXILと巣鴨信用金庫について」では、巣鴨信用金庫がおもてなしサービスを開発した際に、経営トップが開発チームに丸投げした結果、新サービスがなかなか日の目を見なかったことについて触れた。

 ⑥自分では何もやらない批評家・評論家タイプの量産
 ⑤で、日本企業においては、権限は経営者<部長<課長<現場の順で大きくなり、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなると書いた。これが重要な問題を引き起こす。つまり、ミドルマネジャー(部長・課長)は、権限は下位者に移譲してしまい、責任は上位者が取ってくれるというポジションにいるため、責任ある行動をしなくなるのである。「我が社はここがダメなんだ」、「我が社はもっとこうするべきだ」と、口先では立派なことを言うのに、何一つ行動を起こさない批評家・評論家型のミドルマネジャーはどの企業にもいると思う。

 この問題は日本企業の構造がもたらす一種の宿命であるから、解決するのは非常に難しい。強いて解決策を書くならば、「下剋上」と「下問」をすることだろう。特に、「下問」をするべきである。というのも、ミドルマネジャーが「下剋上」しても、上位者は自分よりも権限が小さく、責任だけが大きい人であるから、アイデアを実行してもらえない可能性がある。それよりも、下位層に「下問」すれば、そこには自分よりも大きな権限を持った人たちがいる。彼らの仕事の目的達成を支援すれば、実りある成果が得られる可能性が高い。そうすれば、「あのマネジャーは口先だけでなく、行動が伴っている」と、部下からの評価も高まるに違いない。

 ⑦誰も責任を取らない「社会全体無責任体質」
 日本企業では、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなるから、最後は経営者が責任を取るだろうと思われがちだが、実際には違う。企業が不祥事を起こすと、経営者が責任逃れに徹するという場面を、我々は嫌というほど見せつけられている。この現象を分析するには、日本社会全体を巨視的にとらえる必要がある。ラフなスケッチになるが、日本社会は「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」という多重階層構造になっている。下の階層は上の階層に従うという構図は、企業内の構図と全く同じである。

 ここで、企業が不祥事を起こしたとする。不祥事をやった現場の社員を問い詰めると、「上司に言われてやりました」と答える。そこでその上司を問い詰めると、その上司もまた「上司に言われてやりました」と答える。こうして組織の階層を上に上っていけば、最後は経営者に行き着くわけだが、彼らは「(企業の上に位置する)市場の要求でやりました」と内心では思っている(もちろん、記者会見で正直にそんなことを言う経営者はいない)。先ほどのラフなスケッチに従うと、市場の上には行政府が、行政府の上には立法府が、立法府の上には天皇がいる。だから、非常に極論であるが、企業の不祥事の責任を追及していけば、天皇にまで行き着くことになる。

 だが、天皇の上には神々がおり、この神々も実は階層構造になっていて最上位が見えない(以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」を参照)。だから、無限に責任追及は上昇していき、究極の責任を突き止めることが不可能なのである。いわば、日本社会は全体が無責任状態にある。太平洋戦争の終結後、昭和天皇の責任を問う声が戦勝国から上がったが、日本人はついに昭和天皇に戦争責任を被せなかった。その理屈も、これまでの話でかなりの程度説明できると思う。

 ⑧強すぎる水平方向の「ムラ」意識
 日本企業は水平方向にコラボレーションをし、時には競合他社や異業種と連携すると書いた。水平方向のコラボレーションは無限に拡大していく可能性を秘めている。これが理想形であるが、中にはコラボレーションの拡大を止めてしまい、似た者同士の集合に変質してしまうケースがある。日本人は「和」の精神を大切にしていると言われる。本来の「和」とは、価値観や考え方などが異なる多様な人や集団を共存させるものである。ところが、その「和」が勘違いされて、いつの間にか同類の仲良しクラブになってしまう。そうすると、異質な者の参入に対して過剰反応し、異質を排除するようになる。これは、本来の「和」からは程遠い行動である。

 以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」で、日本社会は「にじみ絵型」であると表現した。これは、組織が「下剋上」や「下問」を通じて垂直方向に、「コラボレーション」を通じて水平方向に移動することで、組織の境界線を敢えて明確にしない状態を表したものである。日本の企業は、異質を取り込むための窓を開けているか常に自問自答しなければならない。連携している企業との関係が極めて安定的であるならば、閉鎖的な仲良しクラブと化していると見た方がよい。

 海外の論文では、組織がコラボレーションをする時、組織間で共有の価値観を持つことが重要であるとよく言われる。しかし、日本の場合はこれを額面通りに受け取ってはいけないと思う。もちろん、複数の組織が一緒に行動する以上、最低限守らなければならないルールは存在する。だが、価値観が完全に一致するならば、組織が分かれている必要はなく、組織を統合してしまえばよい。組織が異なるということは、価値観の相違が必ず存在するということであり、価値観のコンフリクトが必ず生じるものである。しかし、そのコンフリクトから重要な学習が生まれ、新しい価値が生じる。ここに「コラボレーション」の醍醐味がある。だから、単に共有の価値観を持つだけでなく、価値観が適度に対立している状態を目指すべきである。

 ⑨同業他社などの失敗から学べない
 ⑧とも関連するが、日本企業の水平的な「コラボレーション」の範囲が狭くなると、同業他社などの失敗から学習することができなくなる。食品の産地偽装、自動車のリコール、粉飾会計など、似たような企業不祥事が日本では頻繁に繰り返される。ある食品会社で産地偽装が発覚すれば、通常は他の企業は褌を締め直して、「我が社では同じような問題が生じないようにしよう」と対策を練るのが普通である。ところが、日本企業はなぜか同業他社などの失敗を対岸の火事ととらえており、自社は同じ失敗を犯さないと思い込んでいるように見える。

 安易な二分論を持ち出すのはよくないのかもしれないが、日本は農耕社会、欧米は狩猟社会である。欧米の狩猟社会においては、獲物が獲得できないことはすなわち死を意味する。そのため、失敗(=獲物が捕獲できなかったこと)の原因は徹底的に追及され、その原因を人やシステムに帰着させる。そして、二度と同じ失敗を繰り返さないように、人的・システム的な対応策を十分に検討し、幅広く水平展開する。これに対して、農耕社会の日本では、失敗(=農作物が収穫できないこと)は天候などのせいにされてしまう。これに、⑦で述べたような「社会全体無責任体質」が加わると、誰も失敗を真面目に分析しようとしない。

 日本企業は、水平方向の視野をもっと広く持つ必要がある。競合他社の製品・サービスの特徴や差別化要因を徹底的に分析するのと同じ姿勢で、競合他社などの失敗事例を徹底的に検証し、「我が社で同じようなことが起きるリスクはないか?」と厳しく問うことが重要である。

 ⑩リセットボタンを押さないと抜本的な改革ができないという思い込み
 日本企業は長い歴史と伝統の上に構築されている。このコンテクストの上に様々な改善を加えていき、その結果として、中長期的に見れば組織が大きく変化することを狙う。この作業は実は非常に難しい。企業が培ってきた歴史や伝統の深さに対する十分な理解が必要であるし、その歴史や伝統の上に一貫性を保ちながら新たな要素を追加していかなければならないからだ。端的に言えば、重厚な論理的思考と途方もない粘り強さが要求される。これに耐えられない人は、欧米流の変革マネジメントでリセットボタンを押し、一から再構築した方が早いと考える。

 確かに、日本の歴史を振り返ってみると、明治時代と終戦直後はリセットボタンが押された時代であったと言えるだろう。そして、リセットボタンを押した後に、日本社会が急激に成長した。しかし、日本の長い歴史全体で見れば、リセットボタンが押されたのはその2回だけであり、むしろ例外中の例外である。だから、リセットボタンを理想化するのはよくない。リセットボタンで歴史が断絶することは、すなわち種が一度は存続の危機に瀕することを意味する。歴史を失った民族や国家がどのような道をたどるかは、世界の情勢を見ていればよく解る。歴史は、自己保存のために不可欠なのである。そして、歴史を保ったまま変革することは決して不可能ではない。




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