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『致知』2018年6月号『父と子』―教師にとっては生徒が自分を超えていくことが喜び

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年05月08日

『致知』2018年6月号『父と子』―教師にとっては生徒が自分を超えていくことが喜び


致知2018年6月号父と子 致知2018年6月号

致知出版社 2018-05


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 私は子どもを持ったことがないので、「父と子」の関係について語ることはできない。だが、本号に書かれている父と子の関係は、「教師と生徒」、「師匠と弟子」、「上司と部下」の関係にもあてはまるだろう。私は中小企業診断士として経営コンサルティングを実施するとともに、企業向けのセミナーや研修で講師を務めることもある。自分のことを教師と言うのもはなはだおこがましいが、本号から学んだ「教師としての心構え」をまとめてみたい。以下の文中の「教師と生徒」を「師匠と弟子」、「父(親)と子」、「上司と部下」に置き換えても、概ね内容は通じると思う。

 ①生徒を教師に従わせるのではなく、生徒による反論を許す。
 教師は生徒に対して優越的な立場に立っている。教師というだけで生徒からは尊敬される(近年の学校の教育現場では必ずしもそうではなくなっているようだが)。ややもすると、教師はそういう立場を利用して、生徒を自分に盲目的に従わせようとする。別の言い方をすると、自分の教えることの全てをそのまま生徒に吸収させようとする。こうした教え方は、教育学の分野では「導管メタファ」で例えられる。水が水道管を通ってある場所から別の場所へそっくりそのまま移動するように、教師の知識が丸ごと生徒に移植されるというわけである。

 ただし、この導管メタファは教育学の分野では批判的にとらえられている。学習とは教師から生徒への一方通行で行われるのではなく、教師と生徒の相互作用による創発的な営みであるべきだというわけである。確かに、教師は知識の体系を持っている。しかし、その体系は、教師の考え方・視点に立って、教師がこれまでの経験から導き出したものである。一方、生徒は教師とは別の考え方・視点を持っており、教師ほど体系化されてはいないが、最新の経験を有している。その考え方・視点・経験からすると、教師の言っていることはおかしいと感じることがある。それを素直に教師にぶつけてみる。教師もその意見を素直に受け止める。そこから活発な議論が始まり、両者の考え方を包摂する新たな知識の創造へとつながっていく。

 幸田露伴は、言うまでもなく日本の文豪であり、彼の娘である文(あや)に対する願いは、その名前からも明らかである。露伴は自分が選んだオリジナルの百人一首を、文がまだ6歳の頃から毎日1首ずつ覚えさせた。朝食の後、露伴がその日の和歌を3度詠み、それを翌朝までに暗記させる。幼い文には随分苦痛であったようだが、それでも露伴から教わった和歌は心の中にしっかりと刻み込まれ、彼女の人生を支え続けた。一方で露伴は、文が盲目的に従うことをよしとせず、不服に思うならきちんと反論し、納得した上で従うべきだという教育方針も持っていた。後年、文は露伴から和歌の指導を受けることを拒絶した時期があったが、露伴は逆にその態度を評価し、対等な親子関係を構築しようとした。こうした露伴の思いが通じ、文は後に、露伴について記した文学作品を多数残した(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ②教師は生徒が自分を超えていくことを喜びとする。
 ①のように新たな知識が創造されれば、生徒は教師を超えていく。教師はそれを脅威と受け取るのではなく、喜びにしなければならない。私自身の経験で恐縮だが、ある顧客企業の営業部門に向けて、新しい提案手法を習得してもらうための研修を提供したことがあった。さらに、研修に加えて、研修で学んだ提案手法を現場で活用しているかを評価するよう人事制度も再構築した。その際、顧客企業の担当者から、「単に研修の内容をそのまま使っているだけではダメだ。研修に基づいて自ら新しい提案手法を考案した営業担当者を高く評価するべきだ」という意見が出て、そういう評価項目を追加した。すると、優秀な営業担当者の中からは、担当顧客の戦略的重要度、業種、案件の種類、規模や難易度などに応じて、本当に新たな提案手法を創り出す人が出てきた。その提案書を見せてもらった時は、素直に嬉しかった記憶がある。

 ただ、教師の中には、生徒の成長を自分にとっての脅威ととらえてしまう人もいるようだ。ピカソの父は、ピカソが13歳の時に描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を凌駕していることを悟り、それ以降絵を描くことを一切止めてしまった。レオナルド・ダ・ヴィンチも、アンドレア・ヴェロッキオというフィレンツェの有名な画家に弟子入りしていたのだが、ヴェロッキオが制作中の『キリストの洗礼』にダ・ヴィンチが描いた天使の絵を見たヴェロッキオは、弟子が自分の才能を上回っていることを悟り、二度と絵筆を取らなかったという。

 教師が生徒に教えることを止めるだけならまだましかもしれない。教師が生徒の成長を妨害するというケースもある。ベートヴェンの祖父は音楽家として有名だったが、父は音楽の才能に恵まれず、大酒のみで素行も悪かった。ベートーヴェンが優れた才能を発揮し始めるや、自分が追い抜かれると嫉妬心を抱き、才能を抑え込もうとした。当時の音楽家には即興演奏が求められていたので、ベートーヴェンがピアノで即興的に演奏しようとすると、父はそんなことをしてはいけないと叱った。また、ベートーヴェンが作曲に取り組もうとすると、まだ早いと息子の意欲を挫いたりもした。仕方なく、ベートーヴェンは父が不在の時に即興や作曲に取り組んだ。こうした不遇にもかかわらずベートーヴェンは偉大な音楽家になったが、その裏には、教師に恵まれず才能を握り潰された人が数多く存在するに違いない(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ③教師は生徒が自分を簡単に超えないように努力する。
 教師は生徒が自分を超えていくのを喜びとしなければならない半面、生徒に簡単に超えられるような教師であってはならない。生徒は、そんな教師にはすぐに見切りをつけるだろう。社会が全体として発展していくためには、最終的には生徒が教師を超えていかなければならないのだが、その過程では教師と生徒は抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じるべきである。

 マッキンゼーやBCGのような大手コンサルティングファームは、自社が考案したフレームワークを書籍を通じてオープンにしている。こうした書籍はもちろん営業ツールとしての側面もあるものの、それ以上に、コンサルティングファームがさらに新しいフレームワークを考案するべく自らを追い込むのが目的なのではないかと思う(だから、こういう書籍を読んだ人は、マッキンゼーやBCGが書籍に書かれた手法でコンサルティングをやっていると思わない方がよい)。マッキンゼーなどのコンサルタントに比べれば私など屁みたいな存在だが、私もノウハウはブログを通じてできるだけオープンにしている。ただ、それによって私のノウハウが読者の手に渡った以上、私は読者に負けないように、また新たなノウハウを創造しなければならないと感じている。

 寛政年間創業以来、200年以上の歴史を持つうなぎ屋「野田岩」の5代目・金本兼次郎氏は90歳を超えてなお現役のうなぎ職人である。金本氏は、教えるというのは闘いのようなもので、苦しくてきついが、弟子が何かの拍子にぐんと成長する姿を見るのが嬉しいと語っている。とはいえ、弟子に教えてばかりではない。朝早くからどんどんお店に出てくる若い職人に対抗して、金本氏も早い時には3時半に起き出す。そして、「連中が出てくる前に80本裂いちゃおう」と目標を立てて、一気に仕事を仕上げる。まだ誰もいない時は仕事もはかどるから、「今日は100本裂いた」という日もあるそうだ(「生涯現役(第147回) 金本兼次郎 人生生涯うなぎ職人」より)。

 ④教師が本当に教えるべきは品格や哲学である。
 ここまで書いておいてこんなことを言うのは若干憚られるが、結局のところ知識や技術、ノウハウというものは形式知であり、教師がわざわざ教えなくても、世の中にごまんとあふれている書籍や教則DVDなどで学ぶことが可能である。生徒が生身の教師からしか学ぶことができないのは、仕事や人生に関する品格や哲学である。どういう思いで仕事に打ち込んでいるのか?どういう価値観で人生を送っているのか?その思いや価値観はどれほど強固でぶれないものであるか?こうした暗黙知こそ、教師は生徒に伝えるべきである。教師はその一挙手一投足に注意を払い、自分の品格や哲学を表現しなければならない。私も講師をしながら、この点はまだまだ全然実践できていないと反省しているところである。

 染色家で人間国宝の森口邦彦氏は、技術的なことを父から教わっていないという。技術はビデオや解説書があれば足りる。父から受け継いだのは、染色という仕事に対する品格や哲学である。森口氏の父は常々、着物は女性に夢と希望を与えるものであり、着ている女性が美しくなるのが着物の使命だと言っていた。それを作るには適切な技術的裏づけが必要だが、単に上手に絵が描ければよいというわけではない。あくまでも着る人、観る人の視線から見て美しい作品でなければならない。森口氏はそうした作品づくりの哲学を父から感じ取ったと語っている(中村義明、森口邦彦「父から受け継いだ父子相伝の道」より)。

 私の前職は教育研修&組織・人事コンサルティングサービスを提供するベンチャー企業であった。社長はキャリア研修とリーダーシップ研修を研修サービスのコアにしようとしていた。だが、この2つほど単なる方法論で終わらせてはならない研修はない。それを教える講師がどれほど真剣に人生と向き合っているか?また、どれほど人格的に優れたリーダーであるか?が重視される。社長は「リーダーシップの学者はリーダーシップを発揮した経験がなくてもリーダーシップを教えているのだから、研修会社でも教えることは可能だ」と言っていたものの、私は受講者を舐めていると感じた。案の定、この2つの研修はほとんど売れなかったのだが、社内講師の品格と哲学を育てなかった、あるいはそういう品格と哲学を兼ね備えた講師を外部から探してこなかった社長の責任が大きいと考えている(参考>>>「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」)。

 ⑤生徒の成功は生徒の手柄とする。
 生徒との議論を通じて新しい知識が創造され、それを手にした生徒が教師を超えていく時、教師は喜びのあまり「あの生徒は自分が育てた」と自慢したがる。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平の言葉に従えば、「自分は『人を残す』という最高の仕事をした」と思い上がってしまう。だが、生徒が成功したのは教師のおかげではなく、あくまでも生徒自身の努力のおかげである。教師はちょっとしたきっかけを与えたにすぎない。

 明治時代に教育勅語の作成に携わった元田永孚と井上毅は、熊本藩の藩校・時習館の先輩、後輩の関係にあたる。先輩後輩と言っても、2人は25歳も離れている。しかも、元田は枢密顧問官で”天皇の師”と仰がれたほどの人物である。元田は儒教の五倫の教えを中核に置いた草案を作成する。井上は、儒教は封建的であるからまずいとその部分を削除修正した案を元田に返す。これに対して元田は新たな草案を考えて井上に見せる。時に熾烈とも言えるほどのやり取りが約2か月間続いた。最終的には井上の案が取り入れられ、よく知られているようにわずか315字のシンプルな文章に落ち着いた。この時、元田は作成の手柄を井上に譲っているのがポイントである(荒井桂、伊藤哲夫「『教育勅語』が果たした役割」より)。

 仮に私が教えた人が後に仕事で大成功を収め、テレビや雑誌のインタビューで「成功の秘訣は何ですか?」と尋ねられた時に、私が教えたことをブラッシュアップした内容を、さもその人自身が発見したことであるかのように語っていたら、私の教育は成功である。そして、その人が勤める企業のデスクの上に、私の研修テキストが置いてあって、時々読み返したりメモを書き込んだりした形跡があったとすれば、私としてはもうそれで十分満足なのである。




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