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『ジャーナリズムが生き延びるには/「核なき未来」は可能か(『世界』2016年8月号)』―権力を対等に監視するアメリカ、権力を下からマイルドに牽制する日本、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年08月15日

『ジャーナリズムが生き延びるには/「核なき未来」は可能か(『世界』2016年8月号)』―権力を対等に監視するアメリカ、権力を下からマイルドに牽制する日本、他


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 (1)
 そんなとき、日本にミサイルを向ける北朝鮮や、舛添知事の政治資金問題など、わかりやすい悪役がその捌け口となり、憎悪や軽蔑が向けられる。だが、それで一時的な気晴らし、カタルシス的な効果は得られても、社会的格差や失業・貧困などによって社会から脱落し、家庭の崩壊などにも遭遇、友人もなく孤独に立ちつくす人たちの問題は解決しない。
(神保太郎「メディア批評 連載第104回」)
 北朝鮮のミサイル発射と舛添知事の政治資金問題は、国民の不満のはけ口としてはうってつけの材料だとでも言いたのだろうが、この2つの問題は全くの別物であることに著者は気づいていない。北朝鮮は7月9日午前11時半ごろ、東部の咸鏡南道・新浦沖でSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)と見られるミサイル1発を発射した。ミサイルは失敗に終わったようだが、北朝鮮がSLBMに着手したということは、実は非常に大きな意味を持つ。

 仮に、中国やロシアがアメリカに対してICBM(核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル)を発射して先制攻撃をしたら、アメリカも直ちにICBMを発射する。ICBMの多くは、陸上の半地下式発射台(ミサイルサイロ)から発射される。つまり、移動ができず位置が固定されているため、互いに敵のミサイルサイロを攻撃する可能性が高い。

 そこで、核弾道ミサイルを発射することができる戦略原潜を敵に見つからないように海中深く潜航パトロールさせておき、万が一にも敵の対米先制核攻撃が実施された場合には、戦略原潜からSLBMを発射して報復核攻撃を実施する。これによって、たとえ敵の攻撃によってアメリカのミサイルサイロが壊滅したとしても、海軍の戦略原潜が海中深く潜航して生き残っている限り、敵に対する報復核攻撃を実施することができる。

 このように、固定されているミサイルサイロから発射するICBMだけでなく、海中から発射するSLBMを搭載した戦略原潜を運用することにより、敵の核攻撃を受けても必ず報復核攻撃ができる(あるいは、SLBM搭載原潜を運用する国に先制攻撃しても、必ず報復核攻撃を受ける)という状況になる。その結果、互いに核攻撃ができなくなる。このような恐怖の均衡状態によって核抑止を維持するのが「相互確証破壊戦略」である(北村淳「「核の傘」破綻!中国・核ミサイル原潜がついに太平洋へ」〔『正論』2016年8月号〕より)。

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 北朝鮮によるSLBMの発射は、「相互確証破壊戦略」の土俵に上がろうとしていることの意思表示である。もっとも、現時点ではSLBMの質も悪いし、そもそも北朝鮮は戦略原潜を持っていないので、相互確証破壊戦略を実行することができない。だからこそ、北朝鮮は急ピッチでSLBMと戦略原潜の開発を進めるだろう。アメリカがどんなに「止めろ」と言ったところで、北朝鮮は「あなたがそれだけ核兵器を持っている限り(※世界の核弾頭約1.5万発のうち、94%はアメリカとロシアが保有)、私はあなたに対抗するために開発を止めません」と反論するに決まっている。そういう国が日本の近くにあることに対して、もっと危機意識を持つべきではなかろうか?

 (2)
 国谷:現在の新聞報道には、プレス・リリースだけを材料として書かれた記事が多いこと、また、ニュースの中に広告が忍び込むことが多くなり、境目が曖昧になってきたことを最近の著書(『935 Lies』未邦訳)で指摘されていますね。

 ルイス:その通りです。アメリカ、イギリス、オーストラリアを対象とした研究によると、過去10年間の間、記事の50もしくはそれ以上がプレス・リリースをもとにした記事であったと指摘されています。
(チャールズ・ルイス、国谷裕子「調査報道がジャーナリズムを変革する パナマ文書と非営利報道をめぐって」)
 私も前職の企業でマーケティング業務を兼務し、プレスリリース(PR)をよく使っていたので、この指摘は耳が痛い。新聞記者のデスクには毎日大量のPRがメールや紙媒体で届く。記者はPRのタイトルを見て「これは」と思うものだけを瞬時にピックアップするから、タイトルはインパクトのあるものにしなければならないと、PRを発行する会社からアドバイスを受けたこともある。ただ、私が出したPRのせいで、新聞記者の取材時間が多少なりとも削られてしまったのであれば、大いに反省しなければならない(もっとも、前職の企業は無名のベンチャー企業であったためか、私の力量不足だったためか、いくらPRを出しても全く相手にしてもらえなかったが・・・)。

 ただ、新聞社のPR頼みの風土にも改善の余地はあると思う。チャールズ・ルイス氏は、真実を深く報道しようとしないメディアの旧態依然とした体質に嫌気が差して、自ら「調査報道」を行う非営利の組織を立ち上げた。「調査報道」と言うと、メディアが報じない社会の闇に関して、非公式のチャネルを通じて関係者に接触し、情報を取得するという、ダークで危険な印象を私などは抱いてしまうのだが、実際には公的情報を重視しているようだ。
 ルイスはCPIの成功の鍵は公開情報の駆使にあると考え、それを実践する。近著『935 Lies』で次のように書いている。「新たに始める団体(CPI)について、ワシントンで日々流される発表ジャーナリズムという独りよがりなものではなく、そのさらに奥深くにある、大手の記者たちが読み込むことのない公的な記録や公文書の掘り返しに専念することにした。(以下略)」
(立岩陽一郎「国境を超えるジャーナリズム 非営利報道という新潮流とチャールズ・ルイス」)
 以前の記事「『中国の尖閣暴挙!日本よ覚悟はあるか(『正論』2016年8月号)』―沖縄県民は米軍基地を追い出したら中国が基地を作ることを理解しているのか?」でも書いたが、外交におけるインテリジェンスも9割が公的情報をソースとしているという。社会の諸問題を論じるのに、必ずしも危険な取材を試みる必要はない。公的情報をフル活用すれば、色々な発見がある。そういう意味では、メディアにはまだまだ努力する余地があるのではないかと思う。

 (3)
 田島:日本は、市民社会が独自の基盤を作って発言していくのではなく、政府が市民社会を呑み込み、市民社会の声を代弁するような国のあり方になっていますよね。

 ファクラー:政府の中に市民社会が取り込まれているので、多くの国民の議論のプロセスを抜きにして政策が決められていきますよね。かと言って、その外に出てしまうと、まともな意思決定には参加できない。
(マーティン・ファクラー、田島泰彦「なぜ日本で調査報道は成熟しないのか」)
 政府が市民社会の中に取り込まれるか、市民社会が政府を監視するかという違いは、「国家が先か、市民が先か」という議論と関連している。市民が先で、自然状態から社会契約によって国家が生まれるという西欧の考え方に従えば、市民社会が国家による契約の履行度合いを監視する役割を担うことになる。市民社会が国家に取り込まれることはない。

 一方で、国家が先という考え方をとるのが、日本の保守思想の伝統である、以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いたが、日本では「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という階層構造が成り立つ。市民社会は行政府の下に取り込まれて、行政府の要求に従って望ましい市民の生き方を規定する。田島氏は「政府が市民社会を呑み込み、市民社会の声を代弁する」と述べているが、これは正確に言えば、「政府が市民社会を呑み込み、市民社会が政府の声を代弁する」ということになる。

 日本の階層構造は、決して上意下達ではない。下の階層は、上の階層に物申すことができる。ただし、物申すためには階層構造の中にいる必要がある。この点で、ファクラー氏が「その外に出てしまうと、まともな意思決定には参加できない」と述べるのは正しい。日本には中国の影響を受けて「諫言」という文化がある。唐の太宗と家臣のやり取りを記録した『貞観政要』が日本で重用されたのはその表れである。とはいえ、諫言と称して上の階層を味噌糞に批判してよいわけではない。まして、上の階層を蹴落とそうと意図してはいけない。上の階層に敬意を払いつつ、改善点をマイルドに指摘する。これが、本ブログで何度か書いた「下剋上」(山本七平)である。

 このように、階層構造の中にあり、上の階層の影響を受けながら、下の階層からそれとなく提案をするのが日本社会である。この時、日本人は自由を獲得することができる。日本における自由は、権力からの自由ではなく、権力の中における自由である。階層構造の外部から、特定の階層と対等の立場でその階層の権力を監視する仕組みは、日本では根づかない。だから、以下の引用文にあるような「公益擁護官(public advocate)」を日本で実現させるのは難しい。
 ニューヨーク市には「公益擁護官(public advocate)」という公職があり、住民直接選挙制となっている。この役割は「ニューヨーク市民になりかわって市役所諸機関を監視し、市の業務への市民の苦情について捜査し、是正提案を行なうオンブズマンないし監視役」である。
(進藤兵「都知事はなぜ任期を全うできないのか 東京都知事選挙の課題」)
 後述の(4)とも関連するが、アメリカなどの大国は「二項対立」が基本路線である。したがって、ある権力に対しては、それを対等の立場で監視する存在を位置づける。公益擁護官は市役所の権限に対峙するものである。メディアは政府の権力を牽制する役割を期待されている。企業においては、経営陣の働きぶりを取締役会が監視するというガバナンス体制が敷かれている。また、労働組合は経営陣と対等の立場で話し合いを要求する。

 これらのことは、日本では考えられない。オンブズマンは日本にも一応存在するものの、アメリカほど機能しているとは言い難い。政府に関連する情報は、記者クラブに入る者しか入手できない。日本の取締役は株主を代表するというよりも、社員の出世のポストになっており、基本的には社長の指示に従う。経営陣と労働組合の関係は、労使協調という言葉に表されるように、どうすれば労働組合が経営に貢献できるかという視点でとらえられる。このように、アメリカのように二項対立で対等かつ緊張した関係を構築するのではなく、監視・牽制する側が上位階層の下に入り、上下の階層が融和するのが日本である。これを「二項混合」と呼んでもよいだろう。

 日本のやり方には利点もある。アメリカでは、ある権力が存在するたびに、それに対峙する権力を配置する必要があるため、どうしても社会的なコストが増える。これに対して、日本の場合は、階層構造の中で牽制機能も果たすから、安上がりで済む。ただし、最近の日本の階層構造においては、かつてほど「下剋上」が見られなくなったように思える。下の階層が上手に諫言する術を身につけていないようである。そのため、そのはけ口を求めてインターネットに匿名で過激な書き込みをしたり、街頭でヘイトスピーチをしたりする。だが、これらの行為は階層構造から外れた場所で行われている限り、ほとんど意味を持たないと感じる。

 (続く)




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