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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年07月11日

メラニー・フェネル『自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法』―私自身の「最終結論」を修正してみた


自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法
メラニー フェネル 曽田 和子

CCCメディアハウス 2004-06-26

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 私が罹患している双極性障害Ⅱ型について、以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」、「【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」」、「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」などで対応策を考えてきた。今回の記事は、本書を使ってもっと本質的な対応策を取った記録である。

 うつ病も双極性障害も、ノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミンといった脳内ホルモンのバランスが崩れることで生じる脳の病気である。よって、治療方法としては第一に薬物療法が選択される。同時に、うつ病や双極性障害は、一般の人に比べて、ものの見方が悲観的になっていたり不適切になっていたりする、言い換えれば認知の仕方が歪んでいる病気でもある。したがって、この認知の歪みにメスを入れない限り、病気は寛解しない(双極性障害の場合は寛解する確率が低いので、病状を安定させることが目標となる)。特に、私のように病気が長年にわたって続いている場合はそうである。この認知の歪みを治すのが認知行動療法である。

 実は私も、心理カウンセリングに2度挑戦したことがある。カウンセリングは月1回のペースで1年ほど続くのが普通である。1度目はマンションの薄気味悪い部屋に通されて、カウンセラーが足を組みながら私の話を聞くものだから、恐怖を覚えて2~3回ほどで中止してしまった。2度目は、今度こそ最後までやり通そうと決意し、ロールシャッハ検査や文章完成法などのテストを受けたものの、体調が急変して入院したため、これもまた3~4回ほどで中止になってしまった。だが、そもそも心理カウンセリングは費用が高い。1回あたり1時間で約1万円かかる。健康保険は適用されない。よって、合計で12万円ほど必要になる。それよりも、本書をきちんと読み込めば、自分で十分に認知行動療法を行うことができる。かかる費用は書籍代のみである。

 精神疾患にかかった人が否定的・悲観的なものの見方をするのは、幼少の頃の経験が影響していることが多い。親から虐待を受けた、親の設定する基準を満たせなかった、他人のストレスや苦痛のはけ口にされた、家族やグループから偏見を持たれた、十分な称賛・愛情・ぬくもり・関心を受けられなかった、家族や学校の中で変わり種扱いされた、などといった経験である。これに、大人になってからの経験が加わって、ものの見方がさらに歪むことがある。例えば、職場で脅しやいじめに遭った、虐待を伴う人間関係を経験した、継続的なストレスや苦痛を受けた、衝撃的な出来事と遭遇した、といった例が挙げられる。

 こうした経験が積み重なると、人間の中には自己認識に関するある固定的な観念が形成される。これを本書では「最終結論」と呼ぶ。最終結論はたいてい、「私は・・・だ」という形式を取る。例えば、テストの点数がいつも親の設定する基準を満たせなくて、親を失望させていた人は、「私は悪い人間だ」、「私はもっと優秀であるべきだ」という最終結論を抱くようになる。家族の中で変わり種扱いされた人や家族に放置されていた人は、「私は人に受け入れてもらえない」、「私は人に愛されない」という最終結論を形成する。学校でクラスメイトから容姿をバカにされ続けた人は、「私は醜いデブだ」といった最終結論に至る。

 最終結論はその人の人生を強力に支配する。その人の日常生活は、最終結論と完全に整合性が取れていなければならない。最終結論を持つ人は、それに沿った暮らしをするために、「生きるためのルール」を設定する。「私はもっと優秀であるべきだ」という最終結論を持つ人は、「全てきちんとできなければ人生の成功はない。誰かに批判されたら、それは失敗したということだ」というルールを設定する。「私は人に受け入れてもらえない」という最終結論を持つ人は、「常に自分を強く抑制していなければならない」というルールを設定する。「私は醜いデブだ」という最終結論を持つ人は、「私の価値は容姿と体重で決まる」というルールを設定する。

 ここまで読んで胸が苦しくなった方もいらっしゃるかもしれないが、実際、最終結論や生きるためのルールは非常に息苦しいものである。生きるためのルールは、それに従ってもそれを破っても、本人を苦しめることになる。ルールに沿った事実を見つけた場合には、「やっぱり自分のルールは正しかったのだ。よって、自分の最終結論も正しい」と考える。一方、ルールを破ってしまった場合には、「もっとしっかり自分のルールを守らなければならない。なぜならそれが自分の最終結論のためなのだから」と思う。こうして、いずれにしても、生きるためのルールと最終結論はどんどん強化されていく。しかし、ルール自体が無理のあるものなので、ルールにこだわっても苦痛にしかならない。こうして、精神が蝕まれていく。

 認知行動療法のゴールは、この不適切な最終結論を修正することである。そのためには、まずは生きるためのルールを強化している様々な事実について、別の見方ができないかを考えてみる。「全てきちんとできなければ人生の成功はない。誰かに批判されたら、それは失敗したということだ」というルールを持つ人は、仮に目標が達成できなくても、周囲の人が微笑みや称賛、感謝を与えてくれるという事実に目を向ける。また、周囲の人は仕事のでき具合でははなく、自分自身のことを好んでくれているという事実にも注目する。「常に自分を強く抑制していなければならない」というルールを持つ人は、たまたま自分が感情をあらわにした時であっても、周囲の人はそれほど慌てることなく、自分の意見に耳を傾けてくれたという事実に着目する。

 こうして、生きるためのルールに関連する事実を1つずつ見直していくと、いかに今までの自分の認知が歪んでいたか、いかに自分が立てたルールが不健全なものであったかに気づく。ここまでくれば、認知行動療法もいよいよ最終段階に入る。これまでのルールに変わる新しいルールを打ち立て、古い最終結論を新しい最終結論へと修正するのである。

 両親との関係のせいで「私は悪い人間だ」という最終結論を持ち、「誰にも本当の自分を見せてはならない」というルールを設定していた人は、両親が残してくれた私の写真や物を見て、両親は私を愛してくれていたという事実を発見するだろう。そして、「ありのままの自分を見せても受け入れてもらえる」という新しいルールを掲げ、「私は立派な人間だ」という新しい最終結論に書き換える。「私は醜いデブだ」という最終結論を持ち、「私の価値は容姿と体重で決まる」というルールを設定していた人は、容姿とは関係のない自分の長所に目を向けてくれる人の存在に気づき、好意的な視線を投げかけてくれたり、親しげに話しかけてくれたり、隣に座ってくれたりした人のことを思い出すだろう。そして、「私の価値は容姿と体重以外の様々な要因で決まる」というルールを掲げ、「私には魅力がある」という新しい最終結論に書き変える。

 新しい最終結論と生きるためのルールを構築することができたら、その最終結論やルールに合致する事実を発見する。それらの事実は、今までは古い最終結論やルールのために見過ごされていたものである。その過小評価されていた事実に光を当て、健全な新しい最終結論とルールを補強していく。「私は悪い人間だ」という最終結論を持っていた人が、最初の結婚で失敗し、それによって最終結論が増幅され、自己嫌悪に陥っていたとする。しかし、「私は立派な人間だ」という新しい最終結論を掲げると、「自分を愛してくれる2度目の夫を見つけることができたこと。色々と問題を抱えている自分を選び支えてくれること」に目が行くようになるだろう。

 さらに言えば、過去の中から今まで注目されてこなかった事実を掘り起こすだけでなく、新しい最終結論やルールを支える新たな証拠を探す活動や実験を計画することも重要である。例えば、「子どもたちに愛情を注ぐこと」、「子育ての中で発揮される自分の創造性に注目すること」、「社会貢献をすること」、「信頼している人には、向こうから近づいてくるのを待つのではなく、こちらから接近すること」、「もっと自分自身のことを積極的に話すこと」などを通じて、「私は立派な人間だ」という最終結論は強固なものになるに違いない。

 私の場合、子どもの頃やキャリアの初期の段階でひどい経験をしたというよりも、成功しすぎたために不適切な最終結論を持ってしまったと分析している。地方の公立高校出身でありながら、人の何倍も努力して京都大学に現役で合格した。社会人になってからは、中小企業診断士の勉強を頑張って、わずか半年ほどで試験に合格した。こういう経験があるものだから、「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」という最終結論を持つようになった。

 これは自慢げな有能感の表れだと思われるかもしれない。しかし、実際には逆である。私は劣等感が強いために、人一倍努力したのだと思う。数年前にアドラー心理学が流行したが、アドラーは劣等感自体は誰にでもあるものだと肯定している。私も、以前に「『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について」という記事を書いたことがある。だが、アドラーによれば、人は自分の劣等感を隠すために自分を実力以上に見せようとすることがあるという。これを優越コンプレックスと呼ぶ。優越コンプレックスの裏には、異常なまでに自己を過小評価する不適切な劣等感がある。私が陥っていたのはこれである。つまり、私は、「私は本当は劣った人間である」というもう1つの最終結論を持っていた。

 「私は努力すればすぐに結果が出せる人間だ」と「私は本当は劣った人間である」という2つの相矛盾するような最終結論から導かれる生きるためのルールは、「短期間で成果を出すために/自分の能力を証明するために人一倍努力しなければならない」というものであった。しかし、社会人になってからは、このルールに反する事実に直面することが非常に多くなった。その結果、不安や焦燥感が強くなり、また思い通りの成果が出ないことに対するイライラが強くなって、双極性障害を発症してしまったと考えられる。

 ①前職のベンチャー企業(組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供する企業)では、研修コンテンツ開発の仕事の割合が高く、他のコンサルタントよりもコンサルティングの実務経験を積むことができなかった。30歳までにはマネジャーに昇進するつもりでいたのに、叶わなかった(それどころか、業績不振を理由に、29歳の時に整理解雇された)。

 ②前職で自社のマーケティング業務を兼務するようになってから、自社開催の無料セミナーに参加する人事担当者の数を大幅に増やしたのに、研修の商談件数は全く伸びなかった。

 ③マーケティング業務の一環として人事担当者向けの展示会に出展したが、私が担当する前に3年連続で失敗していた。3年やって成果が出なかったのだから今年は止めるべきだと主張したのに、営業の責任者が勝手に展示会の出店を申し込み、展示会の責任者を私にしてしまった。私は最大限努力したものの、展示会から商談になった案件は1件もなかった。

 ④研修の最後に受講者が作成するアクションプランの進捗度合いを携帯電話でモニタリングするという新サービスを開発したことがあった。私は、そもそも研修コンテンツ自体がしっかりと固まっていないからアクションプランも曖昧なものしか出てこず、それをモニタリングするITを開発しても無駄だと主張した。にもかかわず、社内でITの経験があるのが私しかいないという理由で、私が設計からベンダー選定・管理、テストシナリオ作成まで全てをやることになった。焦って開発したシステムは、結局使い物にならなかった。

 ⑤診断士として独立した後は、人事の専門家になって、数社から顧問契約を獲得し、35歳で年収1,000万円を達成する予定であった。ところが、人事関係の案件は少なく、35歳の年収は1,000万円には遠く及ばなかった。7年経っても未だに顧問契約を獲得できていない。

 ⑥年間200冊も読んで色々と研究しているのに、未だに論文や本が書けない。私と年齢が近い人が『致知』、『正論』、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』、『一橋ビジネスレビュー』で記事・論文を発表していたり、本を出版していたりするのを見ると非常に焦る。

 ⑦ブログを13年やって、2,200本以上、約440万字の記事を書いたが、アクセス数が一向に伸びない。問い合わせボタンを設置しても、営業以外のメールはほとんど来たことがない。

 この7つの事実を再解釈してみると、次のようになる。

 ①前職のベンチャー企業は、人事コンサルティングから入って人材育成計画を作り、その計画の中に自社の研修サービスを組み込んで、長期にわたって顧客企業との関係を続けるというビジネスモデルを想定していた。ところが、コンサルティング部門と研修部門の仲が険悪で、このビジネスモデルはほとんど頓挫していた。私はたまたまコンサルタントをやりながら研修開発もやっていたこともあって、ある顧客企業においてこのビジネスモデルを実現させることに成功した。私が知る限り、この成功事例は私が初めのことである。

 ②商談件数が伸びなかったのは、営業担当者が参加者を全くフォローしていなかったのが原因であり、私のせいではない(もし私に営業までしろと言うのならば、私はコンサルティング、研修開発、マーケティング、営業という4つの仕事を同時にやることになり、パンクする)。見込み顧客のプールを作った実績は間違いのないものであり、もっと誇ってよい。

 ③そもそも展示会でいきなりブースに来た人と商談が発生するケースは稀である。普段から営業活動で接触をしている見込み客に対して、研修の実物を見せたいので展示会のブースに来てほしいと誘導するのが筋である。つまり、見込み客には事前にちゃんと展示会の招待状を送っておかなければならない。そして、これも私の仕事ではなく、営業担当者の仕事である。私は展示会自体は滞りなく運営したのであり、営業担当者の怠慢を気に揉む必要はない。

 ④私は新サービスの開発に無条件に反対したのではなく、開発する順番が違うと主張していただけである。焦ってシステムを開発せず、まずは研修コンテンツを固めて、それからシステムを開発するという中長期的な計画になっていれば、私も賛同したかもしれない。

 ⑤中小企業にはそもそも人事制度がなかったり、研修を実施していなかったりするところが多いのだから、人事分野で勝負するのはハードルが高い。中小企業に人事施策が必要なことを啓蒙するのには長い時間がかかる。そして、啓蒙するために、私は人事制度構築のパッケージや、標準的な研修プログラムを開発して、もっと積極的に中小企業にPRするべきだった。中小企業を啓蒙する間は、他の種類の仕事で食いつなげばよい。

 ⑥先日の記事「加藤諦三『どうしても「許せない」人』―自己蔑視する人は他人にいいように利用される(実体験より)」でも書いた通り、私の研究分野は、ⅰ)日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること、ⅱ)高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)を確立すること、ⅲ)20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること、ⅳ)日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと、ⅴ)激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること、の5つであり、どれも数年で成果は出ない。10年単位の研究が必要だから、焦らなくてもよい。

 ⑦ブログの記事の広告をFacebookページに出すと、それなりにいいねがつく。また、私の現行ブログのユニークユーザは1日200~300程度と、まだまだ弱小ブログの部類なのだが、私のブログの内容を褒めてくれる人に10人ほど出会ったことがある。顧客満足度に関する「グッドマンの法則」を研究していた佐藤知恭は、好意的な口コミは「5人」に伝える(逆に否定的な口コミは倍の「10人」に伝える)というデータを発見している。ということは、前向きにとらえれば、私のブログに対して好意的に思っている人が10人×5人=50人いることになる。個人の弱小ブログでこれだけのファンがいることは大変ありがたいことである。決して、おかしなことを書いているからアクセス数が伸びないのではないと思うことができる。

 以上の解釈から見えてくるのは、私は中長期的な成果を目指す仕事に取り組んでいること、また、決して人よりも劣っているわけではないということである。よって、私は新しい最終結論を、「私は大器晩成型で、回り道もするが中長期的には成果が出せる人間だ」、「私は普通の人並みには優れている人間だ」とした。そして、新しい生きるためのルールとして、「短期的な成果を求めず、今日が昨日より少し優れているように努力すること(そうすれば、解る人には解る)」というものを掲げることにした。端的に言えば、今までの人生が成功者に早く追いつこうと焦りすぎだったわけで、人生は長いのだからもう少しペースを落としても十分に間に合うということである。このように意識を変えると、随分と気持ちが楽になった気がする。さらに、新しいルールを裏づける証拠を探すための活動や実験として、次のようなものを考えてみた。

 ・人事分野の仕事を軸としつつも、他の仕事にもチャレンジしてみる。
 ・自分の仕事の責任範囲を明確にし、その範囲内で力を尽くす。
 ・読書の量を落としてみる。本をゆっくり読んでみる。
 ・ブログを書くペースを落としてみる。1本1本の記事をじっくり書いてみる。
 ・時には芸術鑑賞や美術品鑑賞などで気分転換する。

 繰り返しになるが、10年、15年かけて仕事を完成させればよい。ここで1つ、今までの記事と矛盾する箇所について弁明が必要だろう。以前の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」の中で、「3年で成果が出なければ諦める」と書いた。しかし、この短期志向が私を苦しめてきたことが今回の記事で判明した。私が取り組んでいるのは、完成までに10年、15年、いやひょっとしたらもっと時間がかかる仕事である。

 では、3年という時間単位が全く無意味になってしまったかというと、必ずしもそうとは考えない。10年、15年かかる仕事の場合でも、中間成果は必要である。思い通りの中間成果が出なかった時、軌道修正するのかこのまま中止するのか判断しなければならない。私の場合、雑誌『正論』や『世界』に関する記事を書いているのは、前述の通り、流動的な国際政治の世界における日本のポジショニングを明らかにするためである。最初の頃は、収録されている各記事にいちいち反応するような一貫性のない記事しか書けなかった。ところが、3年近く経って、雑誌全体を通して感じたことを1本の記事にまとめられるようになった。この点で、私は中間成果を出している。だから、このまま記事の作成を続けてよいと判断することができる。


2018年04月11日

【うつ病の治し方】うつ病を治すために実践すべき簡単な「7つの習慣」


うつ病

 本ブログをお読みの方はご存知の通り、私は双極性障害Ⅱ型という精神疾患を患っている。先日、マライア・キャリーが告白して話題になった、あの病気のことである。双極性障害とは、躁状態(簡単に言えばハイテンションの状態)とうつ状態が交互に現れる障害である。躁状態の時は、本人もよもや自分が病気だとは思っていない。むしろ絶好調だと思っているので、医療機関にかかることがほとんどない。うつ状態になって初めて診療を受けるため、医師も当初はうつ病と診断してしまうことが多く、診断が難しい疾患である。私も最初の診断名はうつ病であったが、発症から4年ほど経って双極性障害という病名に変わった。

 うつ病は、十分な休息を取り、適切な治療を受ければ寛解する。だが、双極性障害は再発率が高く、うつ状態は90%の割合で再発すると言われている。マライア・キャリーも言っていたように、一生つき合っていかなければならない病気である。そこで今回は、うつ状態を少しでも早く脱するために必要な7つの習慣について書いてみたいと思う。双極性障害の患者が、うつ状態を脱するための方法について書いているため、正確に言えばうつ病の患者がうつ病を治すための方法とは必ずしも一致しないかもしれない。ただ、今回の記事がうつ病で苦労している方にとって、何かの参考になれば幸いである。また、この6年間で3回も入院した私がこんなことを言っても説得力に欠けると思われるだろうが、その点もどうかご容赦いただきたい。

 なお、これから述べる習慣の中には、食習慣は入っていない。うつ病の時に食べる/飲むとよいもの、食べる/飲むのを控えた方がよいものというのは一応ある。だが、ある人は「これを食べた/飲んだ方がよい」と言っているのに、別の人は「これは食べては/飲んではいけない」と言っていることがあり、どの情報を信用してよいのか私自身解らないことが多い。例えば、うつ病の人はコーヒーを飲まない方がよいとされる。カフェインの過剰摂取により、ストレスに反応するアドレナリンという脳内物質が放出されるためである。ところが、ある研究によると、コーヒーを入れる時の香りが脳内のα波を増やし、リラックス効果をもたらすと言う。

 万事こんな具合なので、個人的な見解を言えば、「食べたい/飲みたいものを口にすればよい」のではないかと思う。ただでさえうつ病で苦しい思いをしているのに、食べたい/飲みたいものまで我慢してしまったら、余計にストレスを感じてしまう。だから、食事に関してはあまり心配しなくてもよいというのが私の実感である。ただし、抗うつ薬の中には食欲を増進する作用があるものがあり、過食の傾向が表れることがあるため、この点だけは注意が必要である。

 ①思い切って人を頼ってみる
 うつ病になる人は責任感が強く、自分で何でもやらねばという義務感に駆られることが多い。だが、あなたの周りには頼りになる人がいくらでもいることに気づいてほしい。1人で全てを抱え込むのではなく、思い切って他人に任せてみる。あなたの普段の頑張りを見ている人は、あなたに何かあったら助けてあげたいと思っているものである。私も3回入院した時はいずれも、その時に抱えていた仕事を全て他の中小企業診断士に依頼した。迷惑だったかもしれないが、お願いした先生方は皆、クオリティの高い仕事をしてくださった。先日、診断士の会合に出席したところ、ある先生からは「谷藤先生に何かしてあげられることはないものかと皆言っていますよ」というありがたい言葉をいただいた。自分は1人ではないのだと実感することができた。

 また、障害者手帳を取得するための煩雑な手続きや、入院費の支援を家族にお願いしたこともある。家族はやはり頼りになる存在である。実は私は、義理の両親には病気のことを伝えてあったが、以前の記事「『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟」で書いたように、実の両親とは長く不仲であったため、病気のことを黙っていた。3月に入院した際(以前の記事「【精神科】閉鎖病棟とはどういうところか?【入院】」を参照)、意を決して実の両親に打ち明けたところ、たいそう驚かれたが、入院費を支援してくれることになった。この点では両親に本当に感謝している。「もっと早く教えてくれたら色々としてあげたのに」とも言ってくれた。この歳になって親の脛をかじるのは恥ずかしいかもしれないが、病気は一時的なものである。病気がよくなったら親孝行すればよい。

 ②大きな声で挨拶をする
 うつ病の人は失敗をひどく恐れる。そのためか、コミュニケーションが億劫になってしまうことが多い。「こんなことを言ったら自分は頭が悪いと思われるのではないか?」、「相手を傷つけてしまうのではないか?」と過剰に心配してしまう。すると、日常生活の中で他人と言葉を交わす機会が減少し、ますますうつ状態がひどくなるという悪循環に陥る。そこで、最低限のコミュニケーションとして、挨拶ぐらいはきちんとしたい。それも大きな声でするのがポイントである。挨拶は定型文であるから、失敗のしようがない。相手が挨拶を返してくれないという失敗はあるが、それは相手の問題であって、あなたには何の落ち度もない。

 3月に入院した時、私はできるだけ大きな声で挨拶するように心がけた。朝起きたら他の患者さんや看護師さんに「おはようございます」と言う。清掃担当の方が病室を掃除してくれたら「ありがとうございました」と言う。食事後に看護師さんが下膳しに来た際には「ごちそうさまでした」と言う。これだけでいい。それに、大きな声を出すと気分もスッキリとする。もちろん、①で書いたように、他人に何かをお願いする時には「よろしくお願いします」と言い、お願いごとをしてもらった時には「ありがとうございました」と言うことも欠かせない。②はあまりにもベタなことであるが、ベタなことでも恥ずかしがらずに行うことが大切である。

 ③朝起きたらカーテンと窓を開ける
 うつ病の人は朝が苦手である。あなたも朝になると気分がふさぎ込んだり、不安になったり、恐ろしくなったりすることだろう。だが、朝起きたら思い切ってカーテンと窓を開けるようにしてほしい。日光はうつ病を改善する効果がある。うつ病の人は、気分の安定や心のバランスに寄与する脳内物質であるセロトニン不足している。に日光を浴びると、脳内でセロトニンが分泌される。朝日光を浴びれば、寝起きの身体を覚醒させて、活動的な状態にしてくれる。

 それから、カーテンを開けて空気を入れ替えることも重要である。1日中締め切ったままの部屋の空気はどんよりと沈滞している。そんな空気の中で生活していれば、自ずと気持ちもどんよりとしてしまう。そこで、朝になったら朝の新鮮な空気を部屋に取り込む。すると、気分をリフレッシュすることができる。ただし、うつ病の大敵である雨の日には、無理してこれを行う必要はない。うつ病の人は几帳面な人が多いので、これをすると決めたら毎日それをしなければならないと思ってしまいがちである。だが、雨の日には日光は取り込めないし、窓を開けたらよどんだ湿り気のある空気が部屋に入り込んでしまう。この辺りは、ある程度いい加減でよい。

 ④背筋を伸ばし、前を向いて歩く
 精神科の病院に入院しても、手術などをするわけではなく、基本的には薬物療法のみであるから、日中ははっきり言って暇である。だから、3月に入院した病院では、患者さんがよくフロア内を散歩していた(閉鎖病棟であったため、フロア外には原則として出ることができない)。その様子を見て思ったのは、具合の悪そうな患者さんほど、うつむき加減でとぼとぼと歩いているということである。これでは余計に気分がふさぎ込んでしまう。歩く時は背筋をしゃんと伸ばし、しっかりと前を向いて、少し大股で歩くのがよい。堂々としていれば、自ずと気持ちも前向きになってくる。気持ちが姿勢を作るのか、姿勢が気持ちを作るのかという問題は、鶏が先か、卵が先かという問題である。ここでは姿勢が気持ちを作るという因果関係を信じてみようではないか。

 入院しておらず自宅で療養している場合、外出の機会がどうしても減ってしまう。その場合、自宅の周りを毎日5分でもよいから散歩する習慣をつけるとよい。特に、朝の散歩が有効である。③で述べたように、日光を浴びることによるプラスの効果が見込める上、朝一旦外に出てしまえば、1日中家に閉じこもっていようという気分が起きなくなる。朝の散歩は思考をクリアにするという効果もある。偉業を成し遂げた人の中には、朝の散歩を日課にしていた人が多い。例えば、哲学者のキルケゴールは「重要なアイデアの多くは朝の散歩の中で生まれた」と振り返っている。もっとも、雨の日には、無理に散歩をする必要はない。この点は③と同じである。

 ⑤決断しないという決断をする
 病気で療養している間にも、何か物事を決めなければいけないというケースに直面することがある。私の場合、入院中に「退院後の仕事をどうやって受注しようか?」、「もうフリーランスは辞めて一般企業に転職した方がよいのだろうか?」、「退院後は収入が下がるから、家賃の安い家に引っ越した方がよいのだろうか?」などといった問題が次々と襲ってきた。だが、うつ病の状態にある時は普段と比べて判断能力が鈍っているので、無理にこのような問題に結論を出さない方がよい。「決めない」ことを「決める」のも重要である。どうしても決める必要があるのであれば、①で書いたように、思い切って他人に決めさせればよい。

 一般の人でも、意思決定は十分な時間をかけて慎重に行うべきだと言われている。選択肢の数が十分に机の上に並んでいるのかを確認する、それぞれの選択肢が立脚している仮説が正しいかどうかちょっとしたテストをする(これを「ウーチング」と言う)、自分とは別の利害を持つ他者の立場に立ったとするとどのような決断をするか想像してみる、10分後・10時間後・10日後・10か月後・10年後にその決断を振り返った時に「後悔しない」と言い切れるかどうかよく考えるなど、アドバイスには事欠かない。これと同じことをうつ病の患者に求めるのはあまりにも酷である。だから、あなたも無理して意思決定をする必要はない。そして、たいていのことは、それほど急いで決める必要がないと後から気づくものである。

 ⑥できなかったことではなく、できたことに目を向ける
 うつ病になると、何をするにも気乗りがせず、仕事をするスピードが落ちたり、趣味に没頭できなくなったりする。うつ病の人は元々責任感が強く、几帳面で、頑張り屋であるから、できないことが増えてくると、以前の自分の姿とのギャップに苦しむ。そして、「自分には何も価値がない」、「もう死にたい」(「希死念慮」と言う)と思うようになる。だが、本当に1日中何もできなかった日というのは案外少ないものである。できない、できないと言いながら、何かしらのことはしている。それがたとえ些細なことであってもよい。そのできたことに着目することが重要である。あなたがもしここまでに書いてきた①~⑤のことをできたのであれば、できた自分を褒めてあげてほしい。今日この記事をここまで読んだことも、できたことに含めてよい。

 私が3月に入院する直前は、読書が困難になっていた。年明けから本が読めない兆候があったのだが、2月末にはとうとう全く読書ができなくなった。年間200冊以上を読むことを目標としている私にとっては、これは苦痛であった。入院の目的の1つは、休養してまた本を読めるようになることであった。とはいえ、いきなり今まで読んでいたような1冊200~300ページの本を読むのは無理である。そこで、たまたまデイルームに置いてあった『月刊PHP』という小冊子から読み始めた。これなら内容も簡単だし、1時間弱で読める。月刊PHPを何冊か読み切ったことが自信となって、入院生活中盤からは、今まで読んでいたような本を読むことができるようになった。

 ⑦日記をつける
 うつ病の人は、落ち込んだ気分を自分の中にため込んでしまう傾向がある。そういう場合には、以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」でも書いたように、日記をつけることをお勧めしたい。1日3行程度でよい。まずはその日の気分を書きなぐるだけでよい。極端な話をすれば、「死にたい、死にたい、死にたい、・・・」と書いてもよい。すると、不思議なことに自分のネガティブな気持ちが「外部化」され、落ち着きを取り戻すことができる。これを心理学では「ジャーナリング効果」と呼ぶそうだ。

 負の感情をありのままに書きだすと同時に、①~⑥で述べてきたような、「できたこと」も日記に書くとよい。そうすると「できたこと」が形になって残り、前向きな気持ちを取り戻すことができる。日記というのは不思議なもので、マイナスの内容を書けばそれを忘れることができる反面、プラスの内容を書けば記憶に残る。この日記の効用を活かして、あなたの頭の中をネガティブモードからポジティブモードに切り替えていくとよいと思う。


2017年09月19日

DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号の特集は「燃え尽き症候群」。私は医学的なことは詳しく解らないのだが、燃え尽き症候群には大きく分けて2つのタイプがあると思う。1つは、「野心的な目標を掲げてそれを達成した後、次の目標が見えなくてモチベーションを失ってしまう」というタイプであり、スポーツ選手や企業経営者に多い。もう1つは、「自分では精一杯努力しているつもりなのに、一向に小さな成果さえも出せず、ついには何をやっても無駄だという無力感に襲われる」というタイプである。社会が成熟し、かつてのような高い成長が見込めなくなった現代では、後者のタイプの方が多いのではないかと思う。

 後者の燃え尽き症候群は、「心のエネルギーが枯れ果てて、ガス欠車のようにアクセルを踏んでも動かない状態」であり、うつ病との共通点が多い。燃え尽き症候群もうつ病も、「献身的な人、使命感の強い人、頑固で意思が強く思考や感情の切り替えが柔軟でない人、対人関係に不調和がある人、上昇志向が強く能力が高い人」、あるいは「感受性が強く周囲に気を遣いすぎる人、物事の受け止め方の柔軟性に乏しく、几帳面で神経質な人、責任感は強く何事も完璧にこなそうとするが、不器用で一つの物事に過剰にこだわりやすい人」がかかりやすいと言われる。ただし、うつ病の人は、昔のことをくよくよと思い出しては悔んだり、自分1人が犠牲になっていると感じたりする自責的な傾向が強いのに対し、燃え尽き症候群の場合は、他責感が強く表れ、怒りや嫌悪などの攻撃的な感情が他者に対して表れる。

 以前の記事「双極性障害で入院したところ40日の予定が1週間で退院してしまった事の顛末」でも書いたように、私自身もうつ病⇒非定型うつ病(後で知ったことだが、非定型うつ病という病名は医学的に確立されていない)⇒双極性障害Ⅱ型とコロコロと病名が変わってもう9年も治療を続けている。私の場合、双極性障害と言っても、自責的なうつ病の症状が現れるというよりも、前職のベンチャー企業で経験したひどい事柄を思い出しては「あの会社のせいでこうなった」と思うことが多々あり、他責的になりやすいという燃え尽き症候群の方に合致する。

 ただ、病気が発症した時は確かに長時間労働だったものの、燃え尽きるほどの長時間労働ではなかったから、燃え尽き症候群と言うには無理があると自分でも思っている。最近では、先ほどの記事でも書いたように、自分がどういう病気なのかはどうでもよくなっていて、これは私の性格の一部なのだと受け止めて、上手くつき合っていくしかないのだろうと腹を括っている。

 私は医療の専門家ではないので、燃え尽き症候群に関して何かを書くことはできない。しかし、まがりなりにも9年間、うつ病に関連する治療を受けてきたから、ここからはうつ病に関して私の思うところを書いてみたい(本号の特集からは外れるが・・・)。うつ病は一般的に、「脳のエネルギーが欠乏した状態であり、憂うつな気分や様々な意欲(食欲、睡眠欲、性欲など)の低下といった心理的症状が続くだけでなく、身体的な自覚症状(全身倦怠感、頭痛など)を伴う病気」とされるが、一義的な定義は学術的にも確立されていない。つまり、うつ病の症状は患者によってバラバラである。そのため、製薬会社はありとあらゆる抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病薬を販売している。うつ病の患者の中には、複数種類の薬を服用している方も少なくないだろう。

 しかし、これらの薬には問題もある。通常、新薬販売の認可を得るためには、被験者を2つのグループに分け、一方のグループには新薬を、もう一方のグループにはプラセボ(偽薬)を投与し、新薬を投与したグループのみに効果があったことを証明しなければならない。だが、一部の薬については、この試験に問題があったことが告発されている。
 2002年には複数の厳密な調査によって、製薬会社が薬の認可を得るためにFDAに提出したのと同じデータが再検討され、パキシル、プロザック、ゾロフト(※いずれも、現在主流の抗うつ薬)を初めとするSSRIにはプラセボ〔偽薬〕と比べてほんのわずかな効果しかないということがわかった。
(クリストファー・レーン『乱造される心の病』〔河出書房新社、2009年〕)
乱造される心の病乱造される心の病
クリストファー・レーン 寺西 のぶ子

河出書房新社 2009-08-22

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 私は今年に入ってから「光トポグラフィー検査」というものを受けた。これは、脳活動に伴う大脳皮質の血中ヘモグロビン濃度変化を計測することで、うつ病かどうかを判定する検査である。その結果、私は「典型的な双極性障害である」と言われたのだが、それ以上に衝撃を受けたのは、「抗うつ薬の効果があるのは、うつ病患者のうち全体の3割ほどにしかすぎない」という医師の言葉であった。前述の通り、抗うつ薬の中には効果が怪しいものがある。「薬が効かないのだが・・・」という患者の訴えを聞いた精神科医は、患者を放っておくわけにもいかず、何か手を打たねばとの思いから、新たな薬を次々と追加する。こうして、患者は薬漬けになっていく。

 さらに困ったことに、抗うつ薬などの効果は限定的なのに、服用を止める時には「離脱症状」と呼ばれる副作用を伴う。詳しい説明はこちらに譲るが、具体的には頭痛、倦怠感、眠気、めまい、吐き気、ふらつき、ふるえ、冷や汗、血圧低下などの症状が出る。私も今年8月の入院中に、それまで服用していた抗うつ薬を医師から一度に止めさせられた結果、ひどい離脱症状に苦しんだ。以上のことから言える1つ目の教訓は、「薬に頼りすぎてはならない」ということである。

 抗うつ薬などの薬の効果が限定的である場合、次に選択されるのは認知療法である。人は成長するにつれて固定的なスキーマが形成され、それに基づいて歪んだ思考方法や考えが自然に浮かぶ自動思考が起こる。これがうつ病などの精神病の引き金となる。そこで、そうした認知の歪みに焦点を当て、認知を修正することで症状の改善を目指すのが認知療法である。しかし、この認知療法は、薬による治療よりも難しい。というのも、回復プロセスが患者によって実に多様であるからだ。間違った薬を投与しても効果が出なかったで済まされるが、間違った認知療法を施すと、患者の認知の歪みをさらに強化してしまうことになりかねない。患者の多様性に対応できる医師が日本にどれだけいるのか、私には解らない。このことから言えるもう1つの教訓は、残念なことだが「医師に頼りすぎてもいけない」ということである。
 うつ病の治療に当たってきた臨床医は長い間、認知療法(心理学の一般的な治療法)を受けている患者は、回復に至るまで標準的な経路をたどると想定していた。その経路は、多くの患者が回復した経験を平均して確認されたものだ。ところが2013年、平均ではなく個人が回復する結果に注目した研究者チームは、回復までの標準的な経路が患者の30%にしか当てはまらない事実を発見したのだ。
(トッド・ローズ『平均思考は捨てなさい―出る杭を伸ばす個の科学』〔早川書房、2017年〕)
平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学 (早川書房)平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学 (早川書房)
トッド ローズ 小坂 恵理

早川書房 2017-05-25

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 それでも私は一応、7年ほど同じかかりつけの医師にお世話になっている。ただし、これはあくまでも気休めであって、結局のところ、「自分の精神病に責任を持つのは自分しかいない」というのが私の正直な実感である。うつ病と向き合うということは、自分の感情と向き合うということである。そのための有効なツールとして、私は「日記」をお勧めしたい。もちろん、繰り返しになるがうつ病の症状は多様であるから、日記が万能な解決策になるとは私も思っていない。私の場合は日記が役に立ったというだけにすぎない。

 日記には、「自分が何で苦しんだか、悲しんだか、腹が立ったか」ということをつらつらと書いていく。とりとめのない文章でも構わない。うつ病の人は几帳面なのできちんとした文章を書かなければならないと思いがちだが、そういうことは全く気にする必要はない。日記を書くと、自分の中に溜め込んでいた負の感情を外部化することができる。それだけでも、心理的な負担は随分と軽くなる。ちなみに、私が「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」という記事をわざわざ1年かけて書いたのも同じ理由である。一部の人からは、「前職の企業から訴えられるかもしれない」と批判も受けたものの、私はあくまでも自分の治療の一環として行ったまでである。前職の企業の名誉を守るのと自分の健康を守るのとを比べれば、後者の方がはるかに重要である。

 また、日記をつけるという習慣を持つことにも意義がある。定年退職した人が認知症にならないようにするためには「きょういく」と「きょうよう」を持つことが効果的であると言われる。これは、「今日行くところ」と「今日の用事」を持つことが大切であるという意味である。同じようなことはうつ病の人にもあてはまる。さすがに、うつ病の人は外出するのもおっくうになりがちであるから「きょういく」までは要求できない。しかし、「きょうよう」の一環として日記をつけることは、とかく乱れがちな日常生活にリズムをもたらす効果があると考える。

 私は2012年夏に入院した際、治療期間がまだ長引きそうだと感じたため、途中から「5年日記」に切り替えた。これは、中小企業診断士の大先輩から教えてもらったものである。5年日記では、1ページに5年分の日記をつけることができる。この日記の利点は、例えば2017年9月19日の日記を書く時には、2016年、2015年、2014年、2013年の9月19日の日記を読み返すことができ、そこから新たな気づきが得られるということである。そこには、過去の自分が何で苦しんだか、悲しんだか、腹が立ったかが書かれている。それを読み返すと、意外とちっぽけなことで悩んでいたのだと思うことが多い。つまり、自分の感情を客観的に直視できる。すると、少しずつだが自分の心理的な成長が感じられ、うつ病の改善に効果がある。参考までに、私の5年日記の写真を掲載しておく。赤線が、私が過去の日記を読み返した時に気づきを得た箇所である。

5年日記
 (※)画像はモザイク処理してある点をご了承いただきたい。

デザインフィル 日記帳 ミドリ 日記 5年連用 洋風デザインフィル 日記帳 ミドリ 日記 5年連用 洋風

デザインフィル

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 なお、今回の記事を書き始めた時、本当は「バーンアウトでうつになった人には、他者からのフィードバックが効果的である」という内容を書くつもりであった。冒頭で述べた通り、燃え尽き症候群の人々の大半は、自分では精一杯努力しているのに、一向に成果が出ず、ついには何をやっても無駄だという無力感に襲われている。彼らは、何をしても周囲から認めてもらえないと感じている。そこで、周囲の人が積極的なフィードバックを与えることが重要ではないかと考えた。

 しかし、以前の記事「【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点」で、企業内の人、特に上司は基本的に部下を動機づける理由がないと書いた。というのも、上司は部下に対して給料を支払う立場である。お金を払う立場の人がお金をもらう人を動機づけることが不自然であることは、企業に対して代金を払う顧客がわざわざ企業のことを動機づけようとはしないことを考えれば自明である。読者の皆さんも、企業で何か製品・サービスを購入した時、形式的に「ありがとうございました」と言うだけでなく、「いやぁ、この製品・サービスは本当に役に立ったよ。特にこの点がとてもよかったね」と踏み込んだフィードバックをする機会が何度あるだろうか?もちろん、こういう評価が企業内でも盛んに行われることに越したことはない。しかし、そういう機運が期待できない以上、うつ病には結局のところ本人が責任を持つしかないという見解に至ったわけである。



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