2014年08月14日
『行動観察×ビッグデータ(DHBR2014年8月号)』―行動観察はマーケティングの常識をひっくり返す、他
Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号 ダイヤモンド社 2014-07-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
○顧客の絞り込みが事業を強くする 企業にとって最も大切な顧客はだれか(ロバート・サイモンズ)
企業は皆、顧客重視の戦略をとっていると主張する。しかし、「顧客」ほどいかようにも使えるマネジメント用語は珍しい。実用的な定義としては、「製品やサービスを購入して売上げをもたらしてくれる人や組織」があるだろう。この定義には、消費者、卸売業者、小売業者、企業の購買部門など、バリューチェーンに関わる幾多の人や企業が含まれる。社内の他部門を顧客と呼ぶ場合さえある。製造部門はR&D部門の顧客であり、この両部門はともに人材開発部門にとっての顧客だ、といった具合である。この論文の冒頭の記述には、いささかの疑問を感じずにはいられない。これでは顧客の定義が広すぎると感じる。もっともこの論文は、多種多様な顧客の中から最重要の顧客を特定するステップを論じたものではあるが、仮にこの前提が正しいとすれば、企業は恐ろしく八方美人的な存在ということになるだろう。企業は顧客のニーズを満たすために存在するが、そのニーズは多岐にわたり、したがって企業の目的も多岐にわたることになる。
旧ブログの記事「ミンツバーグによる戦略の10学派(2.プランニング・スクール)」で述べたように、企業の目的が多すぎると、目的同士がコンフリクトを起こして、結局は妥協の産物しか生まれない。企業の目的は1つであり、よって顧客も1種類に絞らなければならない。そしてその顧客とは、自社製品・サービスの「エンドユーザ」に他ならないと考える。
よく下請企業は元請企業が顧客だと考えるが、私はそれは違うと思う。例えば、電化製品の部品を製造している企業は、確かに最終組立メーカーから代金の支払いを受けているとはいえ、真の顧客は電化製品のユーザである。最終組立メーカーは、エンドユーザにアクセスするためのチャネルという位置づけになる。だから、下請企業は元請企業のニーズばかりに気を取られるのではなく、エンドユーザのニーズにもっと敏感にならなければならない。
○常識を乗り越え みずから変化を生み出す法 行動観察をイノベーションへつなげる5つのステップ(松波晴人)
行動観察でまず重要なのは、観察者がみずから”場”に足を運ぶことである。観察者が”場”に行き、人間の行動を観察すると、さまざまな事実に気づくことになる。「高齢者のための新しいサービスを考える」というプロジェクトで、高齢者の行動観察を実施したとする。70歳の高齢者の女性Aさんと一緒に一日過ごして、行く先々でのAさんの行動を観察したとしよう。本号の特集は「行動観察×ビッグデータ」となっているが、内容的には行動観察のウェイトの方が高い。そして、行動観察の手法として「エスノグラフィー」が紹介されている。エスノグラフィーとはもともと文化人類学者の用語であり、そのエッセンスを端的に述べるならば、引用文にあるように、「何の先入観も持たず、対象をじっくりと観察する」ということになる。
Aさんが、いつも行くスーパーマーケットに入っていく。洗剤の棚の前で首を横にしながらどれを買うか悩んだうえで、ある製品を手に取る。パッケージに書かれている文字を読もうとしているAさんを背中越しに見ていると、ある事実に気づく。それはAさんの着ている服が裏返しになっていて、首の後ろにサイズのタグが見えていることである。しかも、本人はまだ気づいていないようである。(中略)
上記の観察結果から「気づく」ことは何だろうか。観察者が気づくべきことは、まず、「Aさんは、どの洗剤を買うかとても迷っていたのに、棚の前でけっしてかがまなかったこと」である。かがまなければよく見えない商品もあったことを考えれば、「高齢者が実質的に見ることのできる棚の範囲は限られる」ことがわかり、「高齢者が好みそうな商品は見やすいところに置くべきだ」というソリューションのアイデアが得られる。また、服装を裏表間違えても恥ずかしい思いをしなくていいように、裏表がそもそもない服を開発する、というアイデアもおもしろいかもしれない。
『ビッグデータ競争元年(DHBR2013年2月号)』―逆説的に重視されるようになる「直観」
『アナリティクス競争元年(DHBR2014年5月号)』―ビッグデータの方向性とアブダクションの重要性
確かにビッグデータは様々な示唆を与えてくれる。しかし、ビッグデータが有効なのは、既存の製品・サービスをファインチューニングしたり、顧客1人1人の好みに合わせてちょっとずつカスタマイズされた製品・サービスを提供したりする場合に限られるように思える。既存の枠組みを超えた画期的な製品・サービスを生み出すには、むしろ行動観察の方が威力を発揮するだろう。
行動観察は、従来のマーケティングの常識をひっくり返す。従来のマーケティングでは、市場を様々な定量的変数でセグメンテーションし、その中から自社にとって最も魅力的なセグメントをターゲット市場としていた。ところが、市場調査が発達して、誰でも容易に定量的変数を取得できるようになると、どの企業も似たようなターゲティングをするようになり、差別化が難しくなる。また、規模や収益を追求する企業は、ターゲット市場を広く設定する傾向がある。すると、ターゲット市場の顧客ニーズは一様でなくなる。彼らのニーズに全て応えようとする企業は、製品・サービスにあれもこれもと機能を追加してしまい、ついつい品質過剰を生み出してしまう。
行動観察は、限られた数人の顧客を観察し、そこからニーズを推測するため、差別化がしやすい。まず、対象となる顧客の選び方によって差が出る。さらに、顧客の観察を通じて普遍的なニーズを導き出すステップも主観に左右されるため、ここでも差が出やすい(限定的な事実から普遍的な法則を推論する方法は「アブダクション」と呼ばれる)。もちろん、推論が外れる可能性も大きいが、推論が当たれば顧客の心をぐっとつかんで離さないだろう。
逆説的だが、非常に限定された顧客のためにデザインされた製品・サービスの方が、かえって多くの顧客を獲得できるような気がする。そのような製品・サービスを使う顧客は、「これこそ私のための製品・サービスだ」と、深い愛着を持ってくれる。品質過剰に陥っている製品・サービスでは、ここまでのロイヤルティを獲得することはできない。製品・サービスのファンになった顧客は、そのよさを周りの人に積極的に広めてくれる。その顧客に共感する人もまた、新しいファンになってくれる。こうして、顧客と企業が製品・サービスを介して、深い心理的な絆で結ばれていく。
従来のマーケティングはターゲット市場という”面”を攻めていた。これに対して行動観察によるマーケティングは、限定された顧客という”点”を攻めて、徐々に”面”へと広げていくマーケティングと言える。この点で、行動観察は従来のマーケティングと決定的に異なる。
以前、「「新型スカイライン」の想定顧客 実は600人位しか実在しない?」という、日産のペルソナマーケティングを批判する記事を見かけたが、ペルソナマーケティングはペルソナからターゲット市場の規模を推計することが目的ではない。想定顧客を極限まで具体化することで特定の顧客に近づき、彼らのニーズを深掘りすることが目的である。だから、スカイラインの想定顧客が600人しかいなくても全く問題ないのである。むしろ、この600人を起点として、スカイラインのファンをじわじわと広げていくことが日産の狙いであるはずだ。
(続く)