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中小企業診断士が「臨在感的把握」で商店街支援をするとこうなる、という体験記

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2016年01月11日

中小企業診断士が「臨在感的把握」で商店街支援をするとこうなる、という体験記


商店街

 昨年10月末の話を今さら書くことをお許しいただきたいのだが、10月末に(一社)東京都中小企業診断士協会の国際部が主催する「国際交流会」に参加してきた。「外国人に魅力的な地域・商店街 ―谷中地区を題材に―」というテーマで、まずは谷中の旅館「澤の屋旅館」の澤功氏による基調講演があった。澤の屋は、長年にわたり外国人旅行客が数多く利用している(※1)。続いて、広域型商店街として知られる谷中銀座商店街で、イベントの企画・運営など様々な活動を行っている中小企業診断士・土屋俊博氏より、商店街支援の事例紹介があった。

 (※1)澤の屋がメディアに登場したのが最近であるから、外国人旅行客が増えたのはここ数年のことだとてっきり思い込んでいた。ところが、澤氏の資料によると、1980年代から既に外国人旅行客獲得の取り組みを始めている。インバウンド需要への対応は、一朝一夕で実るものではなく、10年単位の息の長い活動が必要であることを感じた。

 その後、参加者が各テーブルに分かれ、日本の商店街がインバウンド需要を取り込むためには何をすべきか?というテーマでディスカッションを行った。私のテーブルでは、ある年配の診断士が「私は練馬区に住んでいるのだが、練馬ダイコンの収穫を体験できるイベントをやったらいい」と力説し、他の診断士もその話に追随して、地域資源を活用したイベントの話でひとしきり盛り上がった。そのやりとりを聞いて、私は以前の記事「山本七平『「空気」の研究』―他者との距離感が解らなくなっている日本人」で書いた内容を思い出した。

 西欧の人々は物事を二項対立でとらえる。例えば、ディベートにおいては、1つの物事を賛成、反対の両方の立場で論じる。賛成派も反対派も、心の底では個人的に賛成なのか反対なのかは問題ではない。賛成派、反対派という役割を演じるように強制される。賛成派は反対派を、反対派は賛成派を激しく攻撃する。まるで言葉という武器で相手を殺すかのような気迫さえ感じられる。ところが、ディベートが終わると彼らは自分の立場を忘れて、お互いの健闘をたたえて握手する。彼らは自分の立場を絶対化することなく、相対的に考える。

 これが日本人には全く理解できない。日本人は善悪二分論が大好きである。だから、善は悪を徹底的に攻撃する。よもや悪が物事の一部を形成する不可欠なパートであるなどとは考えない。こういう思考パターンがない文化には、二大政党制が根づくことは困難である。福澤諭吉はイギリスの議会を見学した際、与党と野党が激しくやり合っていること、そして議論が終わればそれまでの対立などなかったかのように人間的な関係に戻ることに驚いていた。しかし、決して福澤が例外的なのではなく、他の多くの日本人もきっと同じ感想を持ったに違いない。

 日本人は、自分の立場を絶対化してしまう傾向がある。別の言い方をすると、対象に入れ込んでしまう。これを山本七平は「臨在感的把握」と呼んだ。自分が正しいと信じることは、きっと相手にとっても正しいと思い込んでしまう。仮に自分の信念に反するような科学的事実が示されたとしても、今度は「そのデータはこういう状況でしか成り立たない」、「今はこういう状況なのだから、私の考えの方が正しい」と反論する。状況を持ち出してロジックを自由に変形させることを、山本は「情況(状況)論理」と呼んでいる。「原発は絶対に危険だ」、「日本は絶対に戦争をしてはならない」という主張は、状況理論に基づく臨在感的把握の代表例である。
 同じことは実は、年中行われているんです。特にこれが非常に大きな問題になってくるのは外国に対する評論とか新聞記事です。これを見てますと、もう完全に感情移入なんです。自分の感情を相手に移入してそれを充足する。それを相手への同情ないしは共感と見なす。そしてこの2つが、混同してしまった状態は、あの韓国への評論あるいはベトナム戦争への評論などに必ずでてくるんです。
比較文化論の試み (講談社学術文庫)比較文化論の試み (講談社学術文庫)
山本 七平

講談社 1976-06-07

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 中国や韓国のことを好き・嫌いでしか論じられないのも同じ心理である。中国は日本が嫌いに決まっていると信じて疑わない。最近の中国はかつてほど日本を激しく歴史問題で攻撃せず、反対に経済的な連携を深めようとしている。これを見た日本人は、中国は今、景気減速で大変なことになっているから、日本にすり寄ってきた。中国は日本がいなければやっぱり成り立たないのだ、などとパターナリズムに浸る。しかし、中国は日本を利用できる局面で利用しようと考えているだけである。逆に言えば、中国の不利益になる場合はいつでも日本を攻撃する用意がある。こういう国際政治におけるリアリズムの感覚は、日本人に決定的に欠けている。

 臨在感的把握が行きすぎると、次のような笑うに笑えないことが起きる。
 塚本虎二先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。

 私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を思い出した。それは、若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平

文藝春秋 1983-10


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 話が随分と逸れてしまったが、外国人に商店街で練馬ダイコンの収穫体験をさせようという発想は、臨在感的把握である。商店街を訪れる外国人に何を訴求すべきか?という顧客視点の問いに対して、練馬ダイコンという手近な素材に自己本位的に飛びつき、練馬ダイコンは地域の強みである⇒日本人は練馬ダイコンが好きだ⇒だから外国人にも魅力的であるに違いないと論理を飛躍させてしまう。その発想はおかしいのではないか?と周りから指摘されると、今度は「練馬区ならば成り立つはずだ」と状況論理を振りかざすことであろう(※2)。

 「自分がほしいと思うものは他の人たちもほしいに違いない」という発想は、アメリカ企業が得意とするところである。まだ市場に存在しない製品・サービスを創造しようとするイノベーターは、市場調査でニーズを探ることができない。そのため、イノベーター自身を最初の顧客として、自分がほしい製品・サービスを形にする。そして、ベンチャーキャピタルや株式市場から調達した豊富な資金をバックに、その製品・サービスを全世界に普及させる(以前の記事「日本とアメリカの戦略比較試論(前半)(後半)」を参照)。

 だが、これはアメリカだからできることである。乱暴な見方だが、アメリカでは突然変異的にものすごく優秀な人が登場して、全世界の潜在ニーズを先取りする天才が現れる。これを先の記事では、「唯一絶対の神と契約を結ぶ」と表現した。一方、日本人は平均的に優秀であるものの、突出した天才は少ない。だから、日本人は全世界の共通ニーズを想像することが難しい。創造性で劣る日本人にできるのは、顧客の顕在ニーズを丁寧に拾うことである。多神教文化の日本では、それぞれの人に異なる神が宿るが、その神は西欧の宗教と違い不完全である。どんなに相手を理解しても、十分すぎるということはない。つまり、日本人の学習に終わりはない。

 《2016年7月12日追記》
 アメリカのイノベーターが全世界に自分の考案したイノベーションを普及(布教)させるとしても、単一のイノベーションで全世界が埋め尽くされるわけではない。あるイノベーションを強く支持する人々がいる一方、その強引なプロモーションに嫌気が差してしまう人々も一定数存在し、彼らを取り込む別のイノベーションが発生する。こうして、イノベーションは二項対立的な様相を呈することになる。これは、冒頭で述べた西洋人の二項対立的な発想と合致する。詳しくは「『組織の本音(DHBR2016年7月号)』―イノベーションにおける二項対立、他」を参照。


 診断士はどういうわけかSWOT分析が大好きである。そして、SWOT分析をさせると、だいたいS=Strengthの議論で盛り上がる。「この企業はこういう強みがある。それを活かせばこういう製品・サービスが作れる」と話が飛躍する。だが、診断士が強みと思っていることはだいたい幻想である。そもそも、強みとは市場や業界の評価によって決まるものである。市場や業界の声を聞かずに、「この企業はこれが強い」と断言するのは、臨在感的把握に他ならない。

 診断士の空想で強みを特定するのではなく、「この企業のどういうところがよいか?」と顧客や業界関係者に尋ねなければならない。練馬ダイコンに注目するのもよいが、根本的な問いとして、外国人が一体日本の商店街に何を期待しているのかを尋ねなければならない。アメリカのイノベーターは唯一絶対の神と契約を結び、自信満々であるのに比べると、不完全な神を宿す日本人は潜在的に不安を抱えている。その不安を解消するためには、他者(の神)との積極的交流から学ぶ必要がある。それを怠ると、不安が人見知りに転じ、容易に臨在感的把握に陥る。

 (※2)実のところ、この年配診断士が「日本人は練馬ダイコンが好き」という前提を立てておきながら、その日本人の中に当の診断士自身が含まれていない可能性がある。つまり、「皆好きだと思いますよ。まあ、私はそうでもないですけどね」という態度である。彼の近所の商店街で練馬ダイコンの収穫イベントがあっても、彼が喜び勇んで参加することはないのかもしれない。こうなると「傍観しながらの絶対化」である。これは、前述のように西欧人がディベートで本心を抑えつつ一方の立場を主張するのとは全く異なる。この診断士には西欧人のような相対化がない。

 そうではなく、逆に「練馬ダイコンは日本人にとって魅力がないので(その年配診断士も練馬ダイコンが好きではないので)、代わりに外国人に売ればいい」と考えていたとすれば、それはそれで虫がよすぎる。私の知り合いに商社出身の診断士がいて、「東京で売れないから大阪で売ろうという発想が失敗するのと同様に、日本で売れないから海外で売ろうという発想は絶対に失敗する」と語っていた。私はこの意見に大いに同意する。




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