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【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―マネジメントへの参画から責任へ、他
【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象
【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(2)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年11月28日

【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―マネジメントへの参画から責任へ、他


企業とは何か企業とは何か
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2005-01-29

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 発禁処分を食らった禁断の書
 『経済人の終わり』、『産業人の未来』を発表し、政治学者として活躍していたピーター・ドラッカーに、「我が社のことを研究してほしい」と声をかけたのがGMであった。本書はドラッカーがGMを1年余りに渡って詳細に研究し、その結果をまとめて1946年に発表したものである。ところが、調査を依頼したGMの経営陣が本書の内容をを拒否したため、本書は長らく発禁状態にあった。本書が復刻されるまでには40年近くの期間を置かなければならなかった。

 GMの経営陣が本書に対して拒絶反応を示した理由を、ドラッカーは1983年版のエピローグで次の3つにまとめている。それは、①GMが第2次世界大戦後に平時生産に復帰するにあたって、経営政策を見直すべきだとしたこと。どんな政策も万能ではなく、せいぜいもって10年~20年であるから、常に政策を変えていかなければならないと提案したこと。②労働力はコストではなく資源としてとらえるべきだと指摘したこと。労働者を経営に参画させることで、彼らの意欲を高める必要があるとしたこと。③企業は公益に関わりがあり、社会の問題に責任があると主張したこと。現在の言葉で言うところのCSRを提唱したこと、の3つであった。

 特に②へのアレルギー反応が凄まじいかったらしく、ドラッカーは次のように述べている。
 当時は、GMだけでなくアメリカの産業界の経営幹部のほとんどが、仕事改善プログラムやQCサークルの類を経営陣に対する越権と見ていた。「マネジメントの専門家はわれわれである」「経験や教育のない者よりも仕事を知っているからマネジメントの任にある。責任はわれわれにある」「われわれは生産性について、企業、株主、顧客、労働者に責任がある。われわれが責任を果たさなければ、どうして満足な賃金を払えるか」と言っていた。
 しかし②こそが、ドラッカーをしてドラッカーたらしめた主張であると言えるだろう。ドラッカーはGMを研究した際、工場で働いた経験のない肉体労働者が責任感を持って連帯し、製品や工程の改善を行っている姿に感銘を受けた。これを戦時中の一時的な現象として片づけるのではなく、平時においても行うべきだとしたわけである(戦争が我々の生活を豊かにした様々なイノベーションの源泉であったことはよく知られているが、ドラッカーのマネジメントもまた、戦争の産物であるというのは、私をやや複雑な心境にさせる)。

 本書の中では、社員を経営に参画させ、社員に連帯感や責任感を持たせるための方策がいくつか挙げられている。その最たるものが、職場コミュニティ活動への参画である。本書の発表と近い時期に書かれた別の論文では、社員を職場コミュニティの余暇活動、スポーツ・チームや趣味のサークル、社員旅行やパーティ、研修活動、社内報、社員食堂、医療厚生、生産性向上プログラムなどに参画させることが、社員のマネジメント意識を醸成する上で有効であると述べている(「経営者の使命」DHBR2010年6月号収録。初出は1950年)。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 06月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 06月号 [雑誌]
P.F.ドラッカーHBR全論文

ダイヤモンド社 2010-05-10

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 だが、職場コミュニティ活動への参画というアイデアを、ドラッカーはすぐに放棄した。職場コミュニティ活動への参画程度では不十分と感じたのだろう。それよりももっと大きな要因として考えられるのは、この頃から社員が単に手と足を差し出すだけの存在ではなく、知識労働者として台頭してきたことである。知識労働者は、企業にとって重要な経営資源である知識を自ら保有している。保有しているということは、その使い方について自由に意思決定を下すことができることを意味する。こうした社員のことを、ドラッカーはエグゼクティブ(経営管理者)と呼んだ。エグゼクティブの役割をまとめたのが『経営者の条件』である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 「参画」というアイデアは、1930年代に活躍したメアリー・パーカー・フォレットのアイデアから借用したものと思われる。ドラッカーは、ほとんど無名だったフォレットを自分が発掘し、マネジメントの母として認めたことをよく自慢していた。ただし、ドラッカーが経営学を体系化していく中で、「参画」という言葉は消え失せていく。むしろ、参画程度では生ぬるいとさえ批判を加えている。前述のように、知識労働者であるエグゼクティブは、自分が保有する知識という経営資源をどのように使うかについて自由を有している。しかし、自由を有するからには、成果に対して責任を負わなければならない。その責任は生半可なものではない。高い水準を達成しなければならない。だからこそ、参画という、左派が使いそうな柔らかい表現を嫌うようになったと考えられる。

 中小企業への過去の賛辞と現代の問題
 興味深いことに、本書には中小企業を賛辞している箇所がいくつかある。
 中小企業では見習いさえ、他の従業員の仕事を見、全体を見ざるを得ない。他の部門のものの見方や問題を知ることなしにはすまされない。しかも彼らの昇格や昇進は、他の分野で働く力があるかどうかによって決められる。
 中小企業で働くスペシャリストは、他の部門で何が起こっているかは、いやでも目にする。同じように中小企業の経営幹部は企業の外で起こっていることをいやでも目にする。おまけに中小企業では、取締役会が経営幹部に対し、株主、金融機関、地元有力者、主要顧客など重要な人たちのものの見方や、反応とそのわけを理解させる役割を果たしている。
 ドラッカーは、チェスター・バーナードの『経営者の役割』から、次の言葉を紹介している。
 今日、リーダーとしての経験を得る機会は、中小企業、政党支部、労組にしか見当たらない。そのよなことでは十分な数のリーダーを用意することはできない。したがってすでにいくつかの企業で試行中のリーダー育成のためのプログラムが必要である。
経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)
C.I.バーナード 山本 安次郎

ダイヤモンド社 1968-08

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 つまり、当時は中小企業の方がリーダーを輩出する機関としては有能だと見られていた。ところが現代ではどうであろうか?中小企業診断士としての目からすると、中小企業から有能なリーダーが育っているとは言い切れないように思える。経済紙をにぎわすベンチャー企業の経営者の多くは、大企業の出身者が占めている印象を受ける(もちろん、その中には泡沫のリーダーも含まれているが)。その大きな要因は、中小企業が利益を追求し、新規事業、とりわけイノベーションに投資すること、それから新入社員の採用・育成を怠ってきたからではないかと考える。

 引用文によれば、中小企業では取締役会が経営陣に対する牽制機能を果たしているという。しかし、実際の中小企業では、代表取締役をはじめほとんどの取締役が株主を兼ねており、自らへのリターンを最大化すると同時に、企業の利益をほぼゼロにして法人税を納めないようにしているケースが散見される。損益計算書上で、売上高経常利益率が1%を切っているような企業は、利益を操作している可能性が高い。利益を小さく見せる方法には、前払費用として資産計上すべきものを費用計上する、役員報酬を操作するなど、いくつか方法がある。上場企業については、いわゆる「伊藤レポート」がROE8%以上を要求している。上場企業は利益を出すように規律づけられているのに対し、中小企業は反対に利益を出さないような誘因が働いている。

 本書でドラッカーも述べていることであるが、利益とは将来のコストである。利益は、企業が持続的に成長するための投資に回さなければならない。本業が斜陽フェーズに入っても、第2、第3の成長カーブを描けるように、複数の新規事業に投資しなければならない。特に、イノベーションへの投資は重要である。イノベーションは既存企業を一発で吹き飛ばす威力を持っているので、早い段階からイノベーションを自社に取り込む必要があるからである。イノベーションを含めて複数の案件に投資するには、一定の利益を要する。現在の中小企業はこれができていない。

 また、引用文では中小企業がリーダー育成機関として機能しているとあるが、リーダーを育成するには、若いうちから責任ある仕事を任せることが重要である。しかし、若手社員に任せた仕事がその企業の命運を左右するようでは、企業としても安心できない。若手社員に任せるべき仕事とは、若手社員にとっては大きな仕事だが、企業全体から見ると規模が小さく、仮に失敗してもダメージが少ない仕事である。例えば、小口顧客を担当させる、レガシーとなった製品の改良を任せるといった具合である。そのためには、企業の利益にある程度余裕が必要である。

 現在の中小企業は、利益を出さない⇒若手社員を採用しない⇒全ての中高年社員が主力事業に注力し、仕事が高度化する⇒若手社員が入る余地がさらになくなり、若手社員を採用しない⇒そうこうしているうちに社員が高齢化する⇒後継者がいなくなる、というプロセスをたどっている。逆に、大企業はドラッカーををはじめとする学者・コンサルタントが体系化した経営学に従って、利益を出し、若手社員を採用・育成し、イノベーションを含む新規事業に投資している。その結果、この半世紀で大企業と中小企業の差が随分と広まってしまったように感じる。

2012年03月09日

【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―組織を、世界を変えていく能動的なエグゼクティブ像にはあまり触れられずとの印象


ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 『経営者の条件』に関する記事は今回で最後。本書は、エグゼクティブ個人が成果を上げるための能力・習慣を述べたものであるが、所々に企業・組織の視点から見た職務設計の原則も登場する。
 職務は客観的に構築しなければならない。人間の個性ではなく、なすべき仕事によって決定しなければならない。組織の中の職務について、その範囲や構造や位置づけを修正すれば、必ず、組織全体に連鎖反応が及ぶ。組織において、職務はお互いに依存関係にあり、連動している。1人の人間を1つの職務につけるために、あらゆる人たちの職務や責任を変えることはできない。
 業績は、貢献や成果という客観基準によって評価しなければならない。しかしそれは、職務を非属人的に定義し、構築して初めて可能となる。さもなければ、「何が正しいか」ではなく、「だれが正しいか」を重視するようになってしまう。そして人事も、「秀でた仕事をする可能性が最も大きな人間はだれか」ではなく、「自分が好きな人間はだれか」「みなに受け入れられるのはだれか」によって決定するようになってしまう。個人に合わせて職務を構築するならば、組織は確実に、情実となれないに向かう。
 ドラッカーの職務設計の原則を簡単にまとめてみるとこんな感じだろうか?まず、企業の外部に存在する顧客が、企業全体の成果を規定する。次に、企業全体の成果を、部門単位の成果にブレイクダウンする。さらに、部門ごとの成果を論理的に分解することで、各社員(≒エグゼクティブ)の成果を定める。その成果によって、それぞれのエグゼクティブの職務範囲が決まる。しかも、エグゼクティブの成果は、相互に依存関係にあり、協業を通じて初めて達成されるものである。こうした考え方は、後のMBO(Management by Objectives:目標管理制度)にも反映されているだろう。

 だが、この職務設計は2つの前提に基づいている。1つは「顧客の要求は合理的である」という前提である。実際、ドラッカーはしばしば、「顧客の要求を非合理だと受け取る企業もあるが、顧客の要求は常に合理的である」といった趣旨の発言を他の著書でも繰り返している。もう1つの前提は、組織構造や組織の慣例が、企業や部門の成果を適切な演繹的プロセスで各社員の成果に落とし込むことができる、というものである。

 しかし、前者の前提については、顧客の要求が常に合理的かどうかは、特に最近は怪しいところがある。社会通念的に見ると、どう考えても非合理的としか言えないような要求をしてくる顧客の存在も否定できないのではないだろうか?(※1)また、後者の前提に関しても、そこまで完璧に設計された組織や慣例はそうそうない。確かに、ある時期はそれでうまくいったのかもしれないが、時とともに変化する企業の外部・内部環境に適合できなくなっている可能性もある。

 こういう状況では、「顧客の要求は本来はこうあるべきだ」、「顧客にとって本当に望ましいのはこういうことだ」と企業側から逆提案を行うこと、さらに、本来の理想的な顧客の要求から出発して旧来的な組織構造やルールを破壊し、各エグゼクティブの職務を再定義することが要求される(※2)。これこそがリーダーシップである。ドラッカーはリーダーシップについても数多くの原理原則を残したが、本書に限って言えば、このリーダーシップの要素がやや弱いという印象がある。

 もちろん、部分的にはエグゼクティブがリーダーシップを発揮した事例が紹介されている。
 アメリカのある大手商業銀行では、証券代行部は、安定した利益はあげるが、単調な仕事と考えられていた。この部門は、手数料ベースで事業会社の株式の名義書き換えを代行していた。株主名簿の管理や、配当の小切手郵送など、雑多な事務手続きを行っていた。

 ある日、この部門を担当することになった副頭取が、「証券代行部はどのような貢献ができるか」と自問するまでは、そのような部門だった。しかし彼は、証券代行の業務が、事業会社の財務担当役員は、預金、貸し付け、投資、年金管理など、あらゆる銀行サービスに対する買い手として、意思決定を行う立場にあった。そこには、銀行のあらゆるサービスについての一大営業部隊となりうる可能性があった。
 株式が電子化された今では証券代行部など存在しないから、事例の古さは否定できないものの、要は副頭取が顧客である事業会社が自部門に明確に期待していることだけから出発せず、帰納的な思考を用いて、「事業会社は本当はこういうことを望んでいるのではないか?」という点から出発し、証券代行部の職務をガラリと変えてしまったところがポイントである。
 企業、政府機関、病院に働くエグゼクティブの多くは、自分にさせてもらえないことについてはよく知っている。彼らは、上司がさせてくれないことや、企業の方針がさせてくれないことや、政府がさせてくれないことについて、気にしすぎる。

 成果をあげるエグゼクティブも、自らに対する制約条件は気にしている。しかし彼らは、してよいことであって、しかも、する値打ちのあることを簡単に探してしまう。させてもらえないことに不満をいう代わりに、してよいことを次から次へと行う。しかもその結果、同僚たちには重くのしかかっている制約そのものが、彼らの場合は消えてしまう。
 これは、組織の慣行によって不適切に定義されているとエグゼクティブが感じている成果を自ら再定義し、新しい成果を追求するというリーダーシップの例である。こうしたエグゼクティブがあらゆる階層に存在すると、企業全体として変化に適応する能力が高まる。

 ただし、本書ではそこまでのエグゼクティブ像には踏み込んでいないような気がする。これは、エグゼクティブはまずは自分をマネジメントするのが先決であって、マネジメントができない人間にリーダーシップなど発揮できない、ということをドラッカーが暗示しているからなのかもしれない。

 >>シリーズ【ドラッカー書評(再)】記事一覧へ


(※1)「勝つことが最大のファンサービスだ」と公言して、8年間勝利の追求に徹した中日の落合前監督は、まさに顧客=ファンの要求を書き換えた例だろう。それまでのプロ野球ファンは、選手やチームに対して「面白い野球」や「ファンサービス」を期待していた。しかし、落合氏はそうした余分な要求を全て取り払い、勝利のみをチームの目的とした。そして、勝つために個々の選手がどのような仕事をしなければならないかを考え、その仕事を1年間全うできるようなスキルとスタミナを身につけさせるための猛練習を選手に課したわけである。

《2012年5月6日追記》
(※2)「顧客の要求が非合理的であるかもしれない」ことに加えて、「顧客は自分が何を望んでいるのか解らない」というのも現実である。岩崎邦彦著『小が大を超えるマーケティングの法則』によると、「あなたの現在の生活で足りないと思う商品を1つ挙げてください」という質問に対し、消費者調査では1000人中668人が「特にない」と答えたという。だから、従来型の市場調査から何か斬新な製品やサービスを導くことは難しい。

 もし、「現在の企業に足りていないものを1つ挙げてください」と問われれば、顧客に対して「今まで考えたこともなかったけれど、言われてみればそういうモノやサービスがあったら嬉しい」と思わせるような新しい価値を解りやすく提案していくイノベーターの創造力と答えるだろう。


小が大を超えるマーケティングの法則小が大を超えるマーケティングの法則
岩崎 邦彦

日本経済新聞出版社 2012-02-25

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2012年03月08日

【ドラッカー書評(再)】『経営者の条件』―「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(2)


ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の記事「【ドラッカー再訪】「強みに集中せよ」と言っても、エグゼクティブに求められる能力は広く深い(1)―『経営者の役割』」では、エグゼクティブが知識労働者たりうる所以であるところの専門知識は、いくら「強みに集中せよ」とは言え、幅広いものが求められることを書いた。だがそれに加えて、ドラッカーが指摘する「成果を上げるための5つの能力」が、エグゼクティブに対しさらに高い要求を突きつける。解りやすいところから言えば、1番目は「時間管理」であり、4番目は「優先順位づけ」の能力である(※)。

 2番目の「貢献(成果)に焦点を当てる」は、成果は組織の外部にしか存在しない、すなわち顧客が成果を規定するという点を踏まえると、顧客のニーズを的確に捉え、それに適切に応えることを意味するから、一言で言えば「マーケティングの能力」である(顧客と直接接する機会が少ないスタッフ部門に関しては、スタッフ部門の成果は、スタッフ部門の外にあるライン部門という”社内顧客”が規定する、と考えればよいだろう)。

 3番目は、「強みに集中する」という部分もさることながら、「上司、同僚、部下の強みを活かさなければならない」という点も非常に重要である。つまり、エグゼクティブの仕事は個人単位では完結せず、必ず他者との協業を必要とする。したがって、対人関係能力やコミュニケーション能力、チームビルディングの能力、動機づけの能力などといった、複合的なヒューマンスキルが必須となる。

 5番目は意思決定について述べられているが、意思決定の大部分は会議を通じて下されるから、「会議を運営する能力」と言い換えられるだろう。だが一口に会議を運営する能力と言っても、以下に示す通り、実に幅広い行動とマインドをエグゼクティブは習得しなければならない。

 ・会議の適切な目的、アジェンダを設定する。
 ・意思決定によって影響を受ける社内外の利害関係者を特定する。
 ・利害関係者をモレなく会議に出席させる。
 ・議論に必要な情報を前もって準備する。
 ・会議の出席者から、追加的な情報を引き出す。
 ・情報の意味や解釈をめぐって、出席者の見解を擦り合わせる。
 ・下準備した情報と、会議の場で出た情報に基づいて、選択肢を形成する。
 ・選択肢を取捨選択する際の基準を設定する。
 ・上記の基準に従って、それぞれの選択肢のメリット、デメリットを十分に検討する。
 ・リスクを伴う選択肢の場合は、リスクを低減する補完的な施策も検討する。
 ・最終的に選択肢を絞り込み、それを現場でのアクションに落とし込む。
 (誰が、何を、いつまでにするのか?そのタスクの成否は何によって判断するのか?)
 ・(会議全体を通じて、)出席者からモレなく公平に意見を引き出す。
 ・(会議全体を通じて、)各出席者の意見を尊重して最後まで聞く。反対意見を歓迎する。また、エグゼクティブ自身だけでなく、出席者全員にも同じマインドで会議に臨んでもらうよう要請する。
 ・(会議終了後、)会議で意見が採用されなかった出席者、他の出席者から批判を受けた出席者を心理的にフォローする。
 ・(会議終了後、)選択肢の実行によって、不利益や負担を被る利害関係者を事後フォローする。

 この5つの能力を全て身につけよというのは、ものすごくハードルが高い。ところが、恐ろしいことに、5つの能力の一部にでも著しい欠陥があると、いくら優れた専門知識を有していても、それが無価値になる。あるコンサルティングファームの方から聞いた話を紹介すると、そのファームには「顧客満足度」を専門とするコンサルタントがいたそうだ。彼の専門知識は非常に高度で、何の下準備もなしに半日程度のセミナーを難なくこなせるほど卓越していた。

 しかし皮肉なことに、彼が手がけるコンサルティングプロジェクトの顧客満足度は、社内でも最低ランクだったという。彼は、顧客満足度とは何たるかを誰よりも深く知っていたのに、実際に自分のクライアントの満足度を上げることができなかった。おそらくは、ヒューマンスキルの面で何らかの重大な欠陥があったのだろう。

 もう1つ、私が以前取引をしていた別の企業の話をしよう。この企業は、「時間管理」と「会議を運営する能力」が不足しており、一緒に仕事をしていて随分と悩まされた(もうその企業とは取引していない)。時間管理に関しては、「単位作業」あたりの必要時間を理解している人間があまりに少なすぎて驚いた。「単位作業」とは、平たく言えば「パワポ1枚を書き上げる作業」などのことである。より具体的な話をすると、

 ・各種データのエクセル集計に何時間かかるか?(分析データの種類、ボリューム、分析の粒度別に)
 ・会議の議事録をまとめるのに何時間かかるか?
 ・パワーポイントの資料作成に何時間かかるか?(資料のテーマ別、ボリューム別、難易度別に)
 ・顧客向けの提案書を書くのに何時間かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのカスタマイズに何日かかるか?(製品・サービス別、カスタマイズの範囲やレベル別に)
 ・製品・サービスのバージョンアップに何週間かかるか?(製品・サービス別、追加機能の種類や難易度別に)
 ・(「成果を上げる5つの能力」の5番目とも関連するが、)会議の時間枠は何時間にするべきか?(会議のタイプ別、アジェンダの難易度別に)
 ・会社HPの1ページ分の原稿を書くのに何時間かかるか?(HPの記載内容別に)
 ・新規顧客を効率的に獲得するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?
 ・既存顧客のリピート案件を効率的に受注するためには、顧客訪問を何回までにとどめるべきか?

などに対する理解が、組織の上から下まで足りていない企業であった。この仕事は、取引先の社員の方々にもいろいろと作業をお願いしながら進めるプロジェクトだったのだけれども、いかんせんこういう状態だったので、私もスケジュールの立てようがなく、相当苦労した覚えがある。

 私も決して時間管理が上手とは言えないし、最後の方に挙げた営業活動に関しては、私自身も営業の経験がほとんどないため、これといった目安は持っていない(また、業種によって営業活動ボリュームの基準は大きく異なるはず)。とはいえ、個人的に経験則で作り上げた標準作業時間の目安をいくつか持っている。

 ・顧客企業との会議や、顧客企業の社員へのインタビューの議事録作成は、会議やインタビューの実施時間以内に収める。例えば、1時間のインタビューの議事録であれば、1時間以内に作成する。
 (※ちなみに、社内会議の議事録は、基本的にとっていない。ホワイトボードに全部まとめて、ホワイトボードの写真を参加者に送るだけである。顧客企業との会議に関しても、重要度が低ければこの方法にしたいのだが、コンサルティングの成果物として正式な議事録の納品を要求されることが多く、なかなか難しい)
 ・パワポの資料は、まずは1枚=1時間で作成する(レイアウトを構想してノートに下書きする時間を含む)。その後、社内レビュー・顧客チェックを経て修正が必要になった場合、修正に費やす時間は1枚=30分を目安とする。したがって、パワポ1枚あたりの平均作成時間は、1.5時間となる。
 ・Webや雑誌に寄稿するコラムは、1,000字=1時間を目安とする。なお、この原則はこのブログにも活かされている。
 ・上記の3原則については、作業が途中で中断されないように、まとまった時間を確保する。例えば、5枚のパワポを書く場合は、まず5時間の連続した時間を確保する。2,000字程度のコラムを書く場合は、2時間の連続した時間を確保する。これは、作業を中断してしまうと、作業再開時に思考回路を元に戻すのに時間がかかるためである。
 ・原則、2時間を超える会議は設定しない。2時間を超えると、私自身の集中力が持たない。2時間を超える場合は、決めようとしているアジェンダが多すぎるから、会議を分割すべき。
 ・逆に、30分という会議も設定しない。30分で決まる内容ならば、わざわざ会議の招集・運営という事務作業を伴わずに、業務中のコミュニケーションで解決すべきである。ただし、人事考課のフィードバックのように、プライバシーに配慮しなければならない内容は例外。

 これでも、標準作業の範囲と時間がもっと細かく設定されている工場のマネジャーが見たら、一笑に付すに違いない。しかし、この程度の大まかな基準でさえ、持っている人は少なかった。だから、その人自身が製品開発から携わった製品であるにもかかわらず、カスタマイズのスケジュールがいつまで経っても引けないマネジャーがいたり、私から1,500字程度の原稿を依頼すると平気で1日を費やす中堅社員がいたり、既存顧客のリピート案件なのに、仕様の確認と納品スケジュールの調整だけで5回も6回も顧客を訪問し、挙句の果てに案件自体が延伸になる営業担当者がいたり、といったことが常態化していた。

 「会議を運営する能力」の不足に至ってはもっと悲惨だった。書き出すとキリがないので1つだけにしておくけれども、その企業には「情報共有会議」という名前がついた週次の定例会議があり、私も何度か出席させてもらったことがある。文字通り、各出席者が先週の仕事を報告し、今週の仕事の予定を発表するという、情報共有のための場である。

 だが、この会議は2つの意味で間違っている。1つは、情報共有のため”だけ”の場をわざわざ設けなければならないということは、恒常的に社員の仕事がタコツボ化しており、日常的なコミュニケーションが欠落していることを意味する。つまり、各社員の職務範囲と、社員同士の連携を前提とした業務プロセスの設計が誤っているのである。

 もう1つの誤りは、この会議が意思決定を行う場ではなかった、ということである。情報共有会議の後に、何か具体的なアクションが各社員に割り振られたことはなかった。仮にこの会議が、お互いの仕事の生産性をチェックして改善点を指摘し合うとか、各社員が今の仕事で感じている課題をどんな些細なものでもいいから正直に告白し、その課題解決の支援者を特定するといった会議であったならば、まだ開催する意義もあっただろう。もっとも、こういった根深い問題を認識していながら、解決に導くことができなかった私も、いろんな意味で力不足だった。

 最後の方はかなり話が脱線してしまったけれど、本書に関してはもう1つだけ書きたいことがあるので、あと1回記事を書きます。それにしても、ドラッカーの本1冊に対してこのペースで記事を書いていたら、1か月の記事がDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの書評とドラッカー再訪企画だけでほとんど埋まってしまうなぁ・・・。ちょっとやり方を考えないと(汗)。

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(※)余談だが、優先順位づけの能力に関して一番解りやすく書かれているのは、やはりスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』だと思う。あの「重要度」×「緊急度」のマトリクスは、非常に使い勝手がよいと感じる。

7つの習慣―成功には原則があった!7つの習慣―成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー Stephen R. Covey

キングベアー出版 1996-12

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