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『北欧に学べ なぜ彼らは世界一が取れるのか/最新 買っていい株220 買ってはいけない株80/東日本大震災4年 復興よ、どこへ行く(『週刊ダイヤモンド』2015年3月14日号)』
安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2015年03月27日

『北欧に学べ なぜ彼らは世界一が取れるのか/最新 買っていい株220 買ってはいけない株80/東日本大震災4年 復興よ、どこへ行く(『週刊ダイヤモンド』2015年3月14日号)』


週刊ダイヤモンド2015年3/14号[雑誌]特集1 北欧に学べ/イケア 物流主役、デザイン脇役の意外/H&M 驚異の在庫管理 レゴ 世代超越で囲い込み/嵐、EXILE、K-POP…実は北欧音楽家が世界を席巻/「落ちこぼれ」は作らないフィンランド式教育メソッド/特集2 2万円目前! 最新 買っていい株 いけない株週刊ダイヤモンド2015年3/14号[雑誌]

ダイヤモンド社 2015-03-09

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 日本人が大好きな北欧(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)の企業についての特集。そんな私もつられて読んでしまった。本号で「北欧成功の5か条」として挙げられていたことに対する私の考えを書いてみる。

(1)人口が少なく、最初から世界志向
 北欧4か国で人口は合計2500万人。企業は国内市場を当てにせず、すぐに海外に向かう。ドイツから欧州各国を経て、米国。近年の韓国企業も似た戦略だ。

 ⇔最近は、「日本の市場が将来的に縮小するから、海外に進出しなければならない」とよく言われる。政府も、今後5年間で新たに1万社の海外展開を目指すという目標を掲げている。ただ、個人的には、海外ばかりに目を向けるのもいかがなものかと思う部分がある。

 企業が海外市場を目指すのは、国内の供給能力が国内需要を超えたため、海外の需要を獲得して需給バランスを取ろうとするからである。だが、海外の需要というのは、本来はその国の企業がまかなうべきものである。海外展開する企業は、現地企業のビジネスチャンスを”横取り”したとも言える。その結果、グローバル企業は世界中の需要をかすめ取って富を蓄積する一方、各国では自国の産業が十分に育たず、経済発展が阻害される可能性がある。

(2)企業が絶えず新陳代謝する国策
 高負担・高福祉ばかり注目されるが、産業政策は市場原理的。雇用より個人を守るため、競争力の弱い企業は淘汰され、労働者は新しい産業に移動。フィンランドのノキア、スウェーデンのボルボ、サーブが典型。

 ⇔衰退した企業を救わず、労働力を新しい産業へと速やかに移行させる政策については私も賛成である。日本は、業績が悪化した企業を延命させる傾向がある。例えば、信用保証制度による保証承諾実績は、他国に比べて日本が突出している。比較的規模が大きいアメリカでさえ約1.58兆円であるのに対し、日本はその約7倍にあたる約11.6兆円に上る(数字はともに2011年)。しかも、代位弁済のために毎年1兆円もの税金が投入されている。

 また、リーマンショック後に制定された「中小企業金融円滑化法」では、「経営改善計画」を作成すれば、金融機関が貸付条件を変更してくれる、平たく言えば借入金の返済を猶予してもらえることになった。中小企業金融円滑化法は時限法であったが、何度か期間が延長され、2013年3月にようやく終了した。しかし、経営改善計画による貸付条件変更は現在でも行われている。この仕組みを使って延命を図っている企業は相当数あると予想される。

 代位弁済に巨額の税金を使ったり、金融機関の貸付条件変更に多大な労力を使ったりするよりは、ハローワークの予算と人材を充実させて、失業給付金を増額したり、職業訓練コースの数を増やしたり、訓練のクオリティを上げたりした方がよいと思う。

(3)北欧デザインで高い付加価値あり
 無駄を徹底的に省いたシンプルなデザインが特徴。北欧デザイン自体がブランドで、付加価値が高い。デザイン企業にとって北欧好きが多い日本は大市場。

 ⇔日本企業の製品は、欧米企業や中台韓企業と比べてデザインが弱いと言われる。しかし、日本人に美的センスが欠落しているわけではないはずだ。日本には茶道、華道、書道といった伝統があり、数多くの陶芸、絵画、工芸品などが蓄積されている。

 (4)とも関連するが、日本人はユニバーサルに通用する製品・サービスを創り出すことが得意ではない。逆に、特定の限られた市場をつぶさに観察し、一部の顧客に受け入れられる製品・サービスを開発する方が向いている。他の顧客が必要とする機能を排する代わりに、特定の顧客が要求する機能は徹底的に磨く。こうすることで、シンプルだが非常に使い勝手のよい製品・サービスが生まれる。ただし、その製品・サービスが受け入れられるのは、あくまでも日本企業がターゲットとした特定の顧客層だけであり、それ以外の人からは見向きもされない。

 ところが、日本企業にグローバル化の波が押し寄せ、アメリカ的な経営手法が流入すると、世界中で通用する製品・サービスを作らなければならなくなった。日本企業にとって世界市場は、様々なニーズを持つ様々な市場から構成されていると映る。したがって、様々な顧客の要望に応えるためという名目で、1つの製品・サービスにあれもこれもと機能を追加してしまう。その結果、機能過多に陥ってデザイン的に”イケていない”ものができ上がるわけだ。

(4)ローカライズはほとんどしない
 極めてシンプルなデザインや商品が多いためか、各国で同じ製品やサービスを投入。リソースの無駄を省き、利益率向上につながる。イケアが格好事例。同社は、中国の食卓に置いたら茶碗として使え、欧州の食卓ではサラダボウルとして使えるような製品デザインを目指している。

 ⇔(3)で述べたように、日本企業はこれを真似できないと思う。世界標準の単一製品・サービスを世界市場に投入するのは、一神教文化圏に生きる欧米企業(特にアメリカ企業)の得意技である。しかし、日本人は属するのは多神教文化であることを忘れてはならない。

 日本企業は、進出する市場の先々で、顧客をよく観察し、その顧客に合った製品・サービスを開発する。世界で戦う日本企業は、現地化された多様な製品・サービスを多数取り揃える必要がある(もっとも、(1)で述べたように、本当に世界で戦う必要があるのかについて、より突っ込んだ検討が求められる)。アメリカ企業は日本企業を見て、何と非効率な経営だと思うに違いない。それでも日本人は、自らの文化・精神的伝統に則った方法を採用しなければならない。

(5)カリスマ経営者は必要ない
 上下関係がなく、フラットな組織が特徴だ。アップルのスティーブ・ジョブズのような強烈な経営者はいない。若手には「経営者は力がないほどいい」との声も。

 ⇔経営者にカリスマ性が必要ないという点には賛成するが、フラットな組織にはあまり賛成しない。本ブログでも何度か書いたが、日本の組織は多層化している方が安定するし、日本人は上位者の権威を受けている方がむしろ自由を発揮できるという特性がある。

 日本の組織では、現場の社員が自由にアイデアを考えることができる。ただし、そのアイデアを実行していいかどうかは、上司に諮る必要がある。その上司も自分では判断できないので、さらに上司に諮る。その上司もまた、自分の上司に諮る。こういうエスカレーションを繰り返すのが日本の組織である。確かに、意思決定には時間がかかる。しかし私は、現場の創意工夫を引き出すことと、そのアイデアを多角的に検討することを両立させる優れた仕組みであると考える。

 ところが、最近は部下のアイデアをすぐに否定してしまう上司が増えているらしい。また、サントリーの「やってみなはれ」の精神が示すような、部下にどんどんアイデアを実行させて、失敗した時の責任だけは取るというタイプのマネジャーが減っているようで、大変残念である。

2014年01月14日

安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?


[新装版]活眼 活学(PHP文庫)[新装版]活眼 活学(PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2007-05-22

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U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚

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 陽明学者である安岡正篤の本から、オットー シャーマーの『U理論』のことを考えてみるという、もはや誰に向けて書いているのか解らないようなこと(汗)を書いてみようと思う。安岡正篤の思想も、私なりに煎じ詰めてみれば、「自分自身=部分のことをよく知れば、天=全体を知ることができる」という一点に集約されるように感じる。安岡が好んで引用する『孟子』の「君子は必ず自ら反(かえ)る」という言葉に、安岡の思想の本質が表れている。
 あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無礙(むげ)な一致を表現して自と分を合わせて「自分」という。我々は自分を知り、自分を尽くせばよいのであります。
 諸君もよく御承知の(※無知な私は知らなかったのだが・・・)「万世の為に太平を開く」(終戦の詔勅中の一句)という言葉は、張横渠の有名な立言、即ち「天地の為に心を立つ。生民の為に命を立つ。往聖の為に絶学を継ぐ(往聖は一に去聖)。万世の為に太平を開く」の結語です。

 「天地の為に心を立つ」。言い換えれば、人間は心というものを立派に造り上げるということが、人の為であると同時に天地の為だ。実は天地が心というものを創造したのだ。(中略)人間が心を持っておる。人間が心の世界を開くということは、これは天地の仕事なんだ。人間が天地に代わって行なうことである。天地の努力を継承することである。(中略)

 そうして、「生民のために命を立つ」。命とはいわゆる運命・立命の命です。生きとし生ける民、生きとし生ける人間は、それぞれ天という絶対者・創造者の営みを内具している、それを命というわけです。それを各自立派に遂行させ発揮させる。それにはどうしても、代々の聖賢(往聖・去聖)が遺して今や中絶しておるところの学問―絶学、それを継承し興起しなければならない。往聖の為に絶学を継ぐ。そうしてこそ初めて万世の為に太平を開くことができるのだ。
 中国古典における天と心の関係が、キリスト教における神と人間の関係に酷似していること、また両者に共通する「全体―部分」の集合論的関係が、オットー・シャーマーらのU理論とも共通していることは、以前の記事「安岡正篤『知命と立命―人間学講話』―中国の「天」と日本の「仏」の違い」でも述べた。U理論では、「場」に集合した人々が、自らの偏見や誤った価値観を手放すと、私と他者という物質的な壁が崩れ、潜在意識のレベルにおいて人々は一つになる。そして、我々の中に本質的に内在している絶対的な宇宙=全体にアクセスすることが可能となり、新しい未来へ向けて歩み出すことができる、とされる。

 《参考》オットー・シャーマー『U理論』のレビュー記事
 オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい
 オットー・シャーマー『U理論』―古い手法を完全否定するな、古い手法は新しい手法を始動させるトリガーとして機能する
 オットー・シャーマー『U理論』―人間は本当に過去と決別すべきなのだろうか?
 《参考の参考》
 内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った

 だが実は、U理論では「他者」の役割が積極的に評価されていないような気がする。いわんや、キリスト教や中国古典においてをや、である。私の理解不足かもしれないが、U理論においては、他者は私という部分が宇宙という全体を獲得するための”触媒”にすぎない印象を受ける。というのも、個人の中に全体が内包されているのであれば、理論的には、他者の力を借りなくても、個人が直接的に全体を認識することが可能であるからだ。もちろん、U理論の実践者は、「他者がいるからこそ、『Uプロセス』を加速できる」と反論するに違いない。だが、他者がUプロセスを加速させるだけの存在であれば、まさしく化学反応における”触媒”そのものである。

 U理論の構築に大きく貢献した一人であるジョセフ・ジャウォースキーは、旅先で動物を見ながら宇宙を体感する経験をしたことを著書の中で述べている。つまり、宇宙を悟るのに他者は必ずしも必要ではない(もっとも、その動物の中にも全体が包摂されており、ジャウォースキーが全体を見るためには動物の存在が不可欠であった、という解釈もできるのかもしれないが)。

シンクロニシティ[増補改訂版]――未来をつくるリーダーシップシンクロニシティ[増補改訂版]――未来をつくるリーダーシップ
ジョセフ・ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

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 非常に乱暴な言い方かもしれないが、U理論の実践の場に集まった人たちは、各々が自分の中に確かに存在するはずの根源的な宇宙を探り当てるため、お互いを利用し合っている。そこには、相手を道具的存在とみなす優越感がはたらいている。そして、めでたく全体に到達できた者は、それができなかった者と違い、唯一無二の宇宙から選ばれた者であるという選民意識を抱くことになる。これが果たして新しいリーダーシップの姿なのだろうか?

 日本のリーダーシップ観は、これとはかなり異なる。多神(仏)教である日本においては、絶対的な存在というものを認めない。つまり、絶対的な解というものは存在しない。我々の心の中には、様々な神や仏が宿っている。私に宿っている神は、あなたに宿っている神と異なるかもしれない。いや、異なることの方が普通である。だから、絶対的な解(それはビジョンと呼ばれ、強烈なビジョンを持ったリーダーにはカリスマ性があると言われる)を引っさげて、人々に追従を強要するようなリーダーシップは日本では成立しない。たとえ、誰かが何か素晴らしい解を思いついたとしても、それは”当座”の解にすぎない。

 カリスマ性のあるリーダーは、宇宙のお墨つきをもらっているから力強く、自信に満ち溢れている。これに対して、当座の解しか持たない日本のリーダーは、どこかおどおどしている。日本のリーダーが当座の解の質を高め、人々の支持を得るための方法はただ1つ、人々の間に分け入って、対話を重ねることである。簡単に言えば、「私はこう思うが、あなたはどう思うか?」という問いを多方面に投げかけることである。日本のリーダーが、しばしばきょろきょろしている、相手のご機嫌をうかがっているように見えるのはそのためである。

 日本のリーダーは、自分の心の中にある神仏を相手の前に提示し、相手の心の中から神仏を表出させる。そして、神仏同士の対話を通じて、当座の解をちょっとだけ改善させる。その後、また別の人に対して自分の神仏を提示し、相手の神仏と対話させて、当座の解をまたちょっとだけ修正する。この繰り返しである。

 カリスマリーダーについては、リーダーとフォロワーが厳格に分かれる。リーダーのビジョンは絶対的な根拠を持っているから、リーダーに意見することは慎まれる。これに対し、日本型リーダーでは、リーダーが人々の方に近づいていくから、メンバーとの距離が非常に近い。また、神仏の対話の場面では、お互いの神仏の間に上下、貴賤の関係がないため、時にリーダーとフォロワーが入れ替わる。いや、リーダーとフォロワーという区分さえないのかもしれない。カリスマ型のリーダーシップは個人に宿るのに対し、日本型のリーダーシップは集団に宿る。

 日本型リーダーの場合、リーダーがどんなに対話を重ねても、当座の解が絶対的な解になることはない。なぜならば、唯一無二の絶対的な解というものを宗教的に否定しているからである。かりそめの方向性で満足しながら、少しずつ変化をしていくのが日本人である。そして、いつもきょろきょろしながら、それでも昨日よりは今日、今日よりは明日といった具合に、よい方向へと向かっていくことを「道」と呼ぶ。道とは、ゴールなき変化である。

 安岡正篤は、『論語』の「子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ」という一文について、「『人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ』と解釈した方が、もっと切実に感じられる」と述べている(以前の記事「安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ」を参照)。己を知るとは、天を知ることであり、それが不十分であることを孔子は嘆いているのだ、というのが安岡の解釈である。これは、中国古典における天と個人の関係からすれば、非常に納得感がある。

 だが、日本的価値観から解釈するならば、この一文は原文のまま理解した方がよい。つまり、「私が他人のことをまだ十分に理解していないことが問題だ」というわけである。中国各地を歩き回り、多くの人に教えを説いた孔子であるが、その教えは未だ完成していない。なぜならば、孔子の思想は、他者の中にある様々な天によって試され、批判され、修正されることが足りていないからだ。だから、もっと人々の中に深く入り込んで、他者のことを理解しなければならない。私はそういう決意の一文であると解釈する。




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