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『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍
「日本と欧米の経営、ガバナンス、リスクマネジメントの違い」について教えてもらったこと

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月14日

『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった


月刊正論 2018年 02月号 [雑誌]月刊正論 2018年 02月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-12-25

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 旧ブログの記事「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた(補足)」では、マネジメントやマーケティングが演繹的で、リーダーシップやイノベーションが帰納的であると書いた。だが、『週刊ダイヤモンド』2017年11月13日号を読んでいたら、こんな文章があった。
 多くの既存企業は帰納法的アプローチを取っている。顧客を観察することから共通のニーズを理解することが基本だ。一方、ベンチャー企業、とりわけスタートアップと呼ばれる急成長する企業は、演繹法的アプローチを取る。仮説に基づいて潜在ニーズを想像し、事業設計するのである。
(校條浩「シリコンバレーの流儀(9)スタートアップとどう向き合うか」)
週刊ダイヤモンド 2017年11/18号 [雑誌] (右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学)週刊ダイヤモンド 2017年11/18号 [雑誌] (右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学)

ダイヤモンド社 2017-11-13

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 また、『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号では、牛や豚の腱から人口靭帯を作って人間に移植するというイノベーションに注目し、「抽象―具体」、「論理(演繹)―思考(帰納)」という2軸でマトリクスを作成して、イノベーターが「分析(抽象&論理)」⇒「発想(抽象&思考)」⇒「試作(具体&思考)」⇒「検証(具体&論理)」という順番でイノベーションを具現化しているという論文があった(井上達彦「ビジネスモデルを創造する発想法 第6回 大きな「飛躍」をもたらす着実なサイクル」)。つまり、イノベーションは演繹的アプローチからスタートするというわけだ。

一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-12-08

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 確かに、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」でも書いたように、とりわけアメリカのイノベーターは、全く新しいニーズを喚起し、全く新しい市場を創造しようとしているわけであるから、伝統的な市場調査を重視しない。自分自身を第一の顧客に見立ててて、「自分はこういう製品・サービスがほしい。自分がこれだけほしがっているということは、世界中の人々もきっと同様にほしがっているに違いない」と考え、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と契約する。自分自身のニーズという極めて限られた事実から、全世界に通用する法則を導き出すことは、演繹法とも帰納法とも異なる第三の思考法「アブダクション」と呼ばれる。

 ただ、イノベーターが「この製品・サービスこそが正しいのであり、世界中の人々はこの製品・サービスに従わなければならない」と、多額の資金をプロモーションに投入してイノベーションを全世界に普及させる(半ば強引に押しつける)ことは、限りなく演繹的アプローチに近い。例えば、Google Homeは、自宅に帰ったらまず「OK, Google!」と呼びかけ、自分がしたいことをGoogle Homeに命令するという新しい生活スタイルを世界中の人々に習得させようとしている。「普及」は「布教」と呼んでもよいだろう。近年のアメリカ企業の中には、イノベーションを全世界に布教させる役割を持つ「エバンジェリスト(伝道師)」と呼ばれる人が配置されている。

 これに対して、マーケティングやマネジメントの世界では、これまでの長年の研究や経験から、何をすれば期待通りの成果が上げられるかということがある程度明らかになっている。私もよく本ブログで、「マネジメントの世界では、やるべきことをしっかりやっていれば、成果はおのずとついてくる」と書いてきた。これだけを見れば、マーケティングやマネジメントは演繹法である。

 しかし、実際には、過去に演繹的に確立された原理原則が、今現在企業が直面している現実にも本当に適用可能なのかどうかは、様々な切り口からあらゆる事実・情報を収集して検証しなければならない。そして、過去の原理原則がもう通用しないと判明したら、新しい原理原則を打ち立てる必要がある。よって、マーケティングやマネジメントは帰納法と呼ぶのが適切である。さらに、厳密に言えば、この帰納法によって得られた原理原則は普遍性を持たない。その企業が置かれた個別のコンテクストにおいてのみ有効に機能するものである。経営学者のピーター・ドラッカーが「唯一絶対のマネジメントの解はない」と主張していた通りである。

 日本人の場合は特に、現実を探索するには、自分自身が実際に見聞きし、測定し、記録した情報、つまり1次情報を重視する必要がある。現地・現場・現物という三現主義が表す通りである。顧客が一体何をほしがっているのかを知りたければ、顧客をじっくりと観察する。近年、ITの進歩によってこうした情報を効率的に収集しようとする傾向が強くなっている。しかし、探索に関してはむしろ時間と手間をかけなければならない。働き方改革に逆行するようにも思えるが、探索に時間をかける半面、探索によって現実を十分に把握し、何をなすべきかが解ったら、それを成果に結びつけるまでの時間を短縮するという形で働き方改革を実現するべきである。

 逆に、日本人は自分自身で見聞きしていない情報に基づく意思決定が極めて苦手である。これを得意とするのが欧米人であり、彼らは他人からヒアリングした情報や他人が編集した書籍・報告書などの2次情報から現実を推測する力に長けている。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある」で、欧米人は海外子会社をガバナンスする際に、海外子会社のトップに欧米人ではなく現地人を置くと書いた。本国にいる欧米人は、現地のトップが現地から上げてくる情報から、現地で実際に何が起きているのかを推測することができる。外交においても、彼らは2次情報を頼る。元外交官の佐藤優氏は、「インテリジェンスの9割は公知情報に基づく」と述べている。つまり、欧米の外交官は、諸外国が公表している2次情報から、その国の実態を解きほぐす力を持っている(どういう思考回路でそれが可能になっているのか、今の私にはまだ解らない)。

 日本人が欧米人の真似をして、2次情報に基づいて意思決定をしようとすると痛い目に遭う。日本人の頭の片隅にはどこか、「所詮2次情報なのだから、こちらの都合のよいように改変しても構わない」という意識があるように思える。太平洋戦争の際、日本陸軍は軍の物資の数が机上の計算の数値と異なっていると、部下が上げてきた報告書を机上の計算の方に合わせるように命じたと言う。これを山本七平は「員数主義」と呼んだ(以前の記事「山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍」を参照)。最近の神戸製鋼や日産、東レなどの品質管理上の問題も、同じような側面を持っていると感じる。

 一般的に、顧客が何をほしがっているかを知るためには、顧客に直接尋ねるのが手っ取り早いと考えられている。だが、顧客は無意識のうちに嘘をつくことがある。日本マクドナルドは、アンケート調査で「ヘルシーなメニューを食べたい」という声が寄せられたため、新商品として「サラダマック」を導入した。しかし、売上が伸びず、ほどなく撤退してしまった。この後、今度はハンバーガーの肉の量を大幅に増やした「メガマック」を発売すると、これが大ヒットした。顧客が求めていたのは、「ヘルシー」とは正反対のものであった。顧客の本当のニーズは、「食べ応えのあるハンバーガーにガブッとかぶりつきたい」というものであったわけだ(大松孝弘、波田浩之『「欲しい」の本質―人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方』〔宣伝会議、2017年〕より)。

「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~
大松孝弘 波田浩之

2017-11-29

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 顧客にヒアリングして自身のニーズを語らせるという方法は、調査員本人が顧客から直接聞いた情報であるから、1次情報であると思われがちである。ところが、顧客は自分のニーズに無意識のうちに勝手な解釈を加えて情報を変質させることがある。よって、顧客に対するヒアリングから得られる情報は、顧客が編集を加えた2次情報であるととらえた方がよい。本当に顧客のニーズを知りたければ、繰り返しにになるが、やはり顧客を直接観察するしかない。顧客がどのような生活をしているのか、製品・サービスを選択する際にどんな行動に出るのか、競合他社の製品・サービスとどんなふうにして比較を行うのか、何を基準にして購買の意思決定を下すのか、製品・サービスを利用した時にどういった感想を言うのか、利用後にいかなるアクションを取るのかなどを自分の眼で直接見、顧客が発する声を直接聞いて確かめる必要がある。

 顧客のニーズを探る際に、仮説を持つことが重要であると言われる。だが、仮説が決定的に重要なのはリーダーシップやイノベーションにおける演繹法であり、マーケティングやマネジメントにおける帰納法では、あまり仮説をあてにしてはならない。人間は、自分にとって都合のよい情報だけを採用し、都合の悪い情報を却下する傾向がある。これを確証バイアスと言う。多少の仮説を持って、ある程度のあたりをつけることは大切であるが、仮説にこだわりすぎるのは危険である。私は、ノートを見開きにして、左側のページに仮説を支持する情報を、右側のページに仮説に反する情報を書き込むという方法を提案したい。右側のページが全く埋まらないとしたら、観察・洞察が不十分であると思った方がよい。そして、ノートが埋まったら、当初の仮説を修正し、本当の原理原則は何なのかと熟慮する。

 私は、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で、アメリカは神と人間が直接契約を結ぶことを是とする社会であり、神と人間との間に何らかの組織・機構が入ることをできるだけ排除しようとすると書いた。また、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが小さい領域におけるイノベーションを得意とするとも書いた。しかし、これらはいずれも仮説である。私は、自分の仮説に反する事実を把握している。

 仮に、アメリカがイノベーションを全世界に普及させることを得意としているのならば、アメリカが巨額の貿易赤字を抱えていることを説明できない。また、アメリカにはGE、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどのように、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが大きい領域でも巨大なグローバル企業が数多く存在する。さらに、神と人間の直接の関係を重視するならば、アメリカが連邦制を採用しているという事実、保守的なアメリカ人が家族を大切にしているという事実に反する。加えて、人間が人間を支配する人種差別が行われてきた歴史(そして、それが未だに根強く残っていること)とも矛盾する。これらの不整合をどのように解釈し、アメリカ社会をどうやってとらえ直すべきなのかが私の今後の課題である。

 やっと『正論』2018年2月号の話に入るわけだが、国際政治の舞台においても、現実を虚心坦懐に見つめることが重要である。
 いま私たちには経済力があります。軍事力もあります。情報力もあります。しかし、失ったものがあるのではありませんか。それは「現実を見る目」です。厳しい国際社会の情勢をきちんと見る目、見極める心、それに対処する決意、そうしたものが足りないと思います。
(櫻井よしこ「改憲論議に熱意とスピードを」)
と櫻井よしこ氏が発破をかければ、
 日本人の多くは、抗議しても、決議しても、制裁しても変わらぬ北朝鮮の核ミサイル状況に苛立ちつつも、夢想に近い「対話」をかたくなに主張するか、あるいは「米国の軍事力行使を待望」するという両極端に意見が分かれているようだ。両者に共通するのは、当事者意識に欠け、現実の脅威から眼を逸らし、他力本願で思考停止に陥っているところだ。
(織田邦男「破れた核の傘、日本はどうする!」)
と織田邦男氏は警告する。私は右寄りの『正論』と左寄りの『世界』を両方とも定期購読しているが、少なくとも『正論』では北朝鮮有事が起きた際に日本は何をするべきか具体的に論じようとしているのに対し、『世界』はひたすら「対話」一辺倒であり、北朝鮮と何を話すつもりなのかが見えてこない。理想ばかりを教条的に主張するのが左派の特徴のようである。それを端的に観察することができるのが、現在の沖縄である。
 私は2013年、仲間氏(※石垣市議の仲間均氏)の漁船に同乗して尖閣海域に向かい、領海侵犯してきた中国公船の威嚇を目の当たりにした。日本の主権に関わる大事件だったが、帰港後、この件を私が八重山日報で報じても、県紙は1行も後追い記事を書かなかった。そのくせ、こと反基地となると異常なほどのキャンペーンを張る。
(仲新城誠「対中最前線 国境の島からの報告(54)尖閣防衛の訴えには冷淡・・・沖縄県紙”反基地”の狙い」)
 以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」でも書いたように、日本人は理想と現実という二項対立を処理するのが不得手である。通常は理想と現実の間で妥結点を探り、漸次的な変革を目指すものである。ところが、これができない人は理想を強硬に主張するか、現実の前に土下座する。沖縄の例で言えば、沖縄から全ての米軍基地を追い出すまで抵抗運動を続けるか、尖閣諸島が中国に実効支配されたら中国に向かって土下座するかのどちらかとなる。

 現実を直視しない新聞がある。朝日新聞である。『正論』2018年2月号によると、2017年12月号冒頭の高山正之氏のコラム「折節の記」に対して、朝日新聞が抗議書を産経新聞社に送りつけてきたとある。抗議書は全部で15の項目から構成されているが、その中の1つに、コラムの「社是の方は元気一杯で、安倍潰しに燃えて「もり・かけ疑惑」をぶつけてきた」という記述に対して、「弊社に社是はなく、「安倍潰し」が社是であったこともありません」と回答している部分がある。これについて、『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を出版して朝日新聞から損害賠償請求の裁判を起こされた小川榮太郎氏は次のように述べている。

正論2017年12月号正論2017年12月号

日本工業新聞社 2017-11-01

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徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書)徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書)
小川榮太郎

飛鳥新社 2017-10-18

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 小川:今回、朝日新聞は「安倍叩きは社是ではない」、「うちには社是などない」と抗議してきていますが、よく考えたら基本的理念という意味で社是がないとすれば恥ずかしいことではないですか。産経新聞社の場合は堂々と、「正論路線」が社是ですよと言えるはずです。新聞社に社是がないなんて、自慢できることではなくて無責任なのだと、逆に申し上げたい。
(高山正之、小川榮太郎「あんなもの送ってくる朝日新聞こそ腐敗権力だな(笑)」)
 これには私も思わず笑ってしまった。大手5紙のうち、読売新聞毎日新聞日本経済新聞産経新聞のHPには、社是や企業理念のページが独立して存在する。ところが、朝日新聞だけは、社是や企業理念の独立したページが存在しない。ただし、企業理念そのものが存在しないわけではなく、トップメッセージの中に企業理念が一応書かれている。
 よりよい明日のため、私たちは「ともに考え、ともにつくる」という企業理念を掲げました。声なき声に耳を傾け、健全に、公正に、そして謙虚に。私たちの原点であるジャーナリズムをしっかりと守りながら、人々の興味や関心への感度を高め、暮らしを豊かにするサービスも充実させる。既成概念にとらわれない「総合メディア企業」を目指しています。
 確かに、南京事件の被害者や、強制的に働かされた慰安婦などという、「本当は存在しない人」の声を聞いているという点で、「声なき声に耳を傾け」ている。それに、日米同盟を破壊して日本を中朝に隷属させようとしている点で、「既成概念にとらわれ」ていない。これだけ企業理念を文字通り忠実に実行していながら、それが社会や国家のためになっていない例はそうそう見つからない。だから、企業理念や社是は言語化=形式知化するだけでは不十分であり、以前の記事「【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)」でも書いたように、社員、さらにはステークホルダーを含めた人々との重層的な対話を通じて、形式知の背後に意味=暗黙知を降り積もらせる必要があるのである。

 テレビは視聴者に対する影響が強く、視聴者の思考(嗜好)を左右しやすいため、中立な立場で放送しなければならないと放送法で定められている。逆に言えば、新聞は読者が記事を読み、その内容の是非を判断する十分な時間があるから、ある程度主義主張を展開してもよいということになる。私も新聞にはそのような機能を期待している。ただし、事実と主張は分ける必要がある。私も駆け出しのコンサルタントだった頃、事実と主張を混同して書かないように随分と注意を受けた。「これは事実なのか?君の主張なのか?」と何度も問い詰められたものである。

 朝日新聞の弱点は、事実を2次情報に依存しすぎていることである。だから、吉田清治の従軍慰安婦に関する記述などを盲目的に信じてしまう。我々コンサルタントは、2次情報は1次情報に比べて「弱い」という表現をする。2次情報も貴重な情報ではあるものの、2次情報を入手した際には、可能な限りそれを裏づける1次情報を自力で探さなければならない。1次情報は難しくても、誰かが現実をできるだけ客観的かつ忠実に描写したもの、具体的には写真や記録、統計といった半1次情報、1.5次情報とでも呼ぶべき情報を入手する必要がある。その努力をせずに、2次情報を読者に伝えるだけであれば、新聞は単なる伝書鳩になってしまう。

2016年02月10日

山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍


一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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 太平洋戦争における日本軍の評価は右派と左派で完全に分かれる。右派は、日本が帝国主義や白人至上主義に挑戦し、大東亜共栄圏という構想を掲げて、東南アジア諸国を列強の植民地支配から解放したと評価する。一方の左派は、日本軍は東南アジアから列強を追い出した後も、欧米諸国と同じように暴力で支配したことを批判する。加えて、中国の南京大虐殺や朝鮮半島の従軍慰安婦を持ち出して、日本はアジア全体に対する謝罪がまだ足りないと主張する。

 本書の著者である山本七平は、陸軍の下級将校として戦場に赴いた経験がある(戦闘シーンもリアルに描写されている)。その山本は次のように述べている。
 ”解放者”日本軍が、なぜ、それ以前の植民地宗主国より嫌われたのか。それは動物的攻撃性があるだけで、具体的に、どういう組織でどんな秩序を立てるつもりなのか、言葉で説明することがだれにもできなかったからである。
 あの船内ですでにそれを読んでいた石塚中尉は、その日記に次のように記している。「六月九日(曇後細雨)五時、爆雷攻撃開始、敵潜一撃沈の勝報に接す・・・比島情報綴を借りて一読するに建国直後の満州と同様各地に反日匪賊の多いのに驚く。内地では比島は日本占領後平和な国となっていると思っていただけに、思いもよらぬ情報なり・・・」
 山本は、日本にはフィリピン統治の意思がなかったのではないかと分析している。おそらく、他の国も同じだろう。戦時中、日本人は「アジアは一つ」と言っていたが、そのアジアが具体的にどのようなものなのか、誰一人解っていなかった。だから、実際には「アジアはなかった」のである。私はやや保守寄りの立場なのだが、同じ保守派の山本の告白は少々意外であった。

 (※)ただ、この手の回想は、どれが本物でどれが偽物なのか見分けることが難しい。慰安婦にインタビューしてまとめられたとされる吉田調書ですら、結局は偽物であった。だから、相矛盾する情報であっても幅広く頭に入れ、事実(と思われること)を1つずつ拾いながら、あの戦争で何が起きていたのか、最も納得感のあるストーリーを自分で構築するしかなさそうだ。

 山本は、もし日本が本気でアジアを解放したければ、イギリスに倣うべきだったと指摘する。
 だが本当にそう信じているなら、二個師団を残さず、全部撤退してすべてを比島政府にまかせ、文官の”弁務官”を置いておけばよいはずである。そして、この政府に日米間の中立を表明させ、比島全域を戦闘区域から除外しておけば、これは歴史に残る「大政略」であり、おそらくわれわれは、変わらざる友邦を獲得できたであろうし、また兵力の転用集中においても有用であったろう。これはいわばイギリス式行き方である。
 イギリスの植民地支配は特徴がある。それは、植民地のトップを必ず現地の人間にすることである。現地の人間の掌握術は、現地の人間が一番よく理解しているからだ。イギリス人は、本国から植民地をコントロールする。近年、企業経営において「ガバナンス」という言葉が用いられる場面が増えたが、ガバナンスの起源はこれである。一方の日本は、支配地域にいつまでも日本人を配置する。現地を日本化するには最も効率的である反面、現地の反発を招きやすい。

 日本のこうした伝統は、日本企業が海外に進出する際にも表れる。欧米の企業が海外に進出すると、現地子会社のトップはほぼ例外なく現地人になる。成果主義を導入し、努力すればトップになれるという道を示すことで、現地社員のモチベーションを上げる。ところが、日本企業の海外子会社のトップには、本社から日本人が送り込まれてくる。そのトップは頑張って日本的経営なるものを海外子会社に浸透させようとするものの、キャリアパスにガラスの天井があると感じた現地社員は、日本人トップに忠誠心を示さず、短期間で転職してしまう。

 以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」で、日本の組織は垂直、水平方向のつながりに加えて、時間軸でもつながっていると書いた。垂直方向のつながりとは、組織内で言えば階層間のつながり、業界全体に視野を広げれば、製造業・建設業などの多重下請構造、多段階流通構造を指す。水平方向のつながりとは、同じ階層に属する他のプレイヤーとのつながりである。組織内であれば同期同士のつながりや部門間連携、業界全体で見れば競合他社などとの協調を指す。時間軸のつながりとは、過去から受け継いだものを未来へと引き渡すという形でつながっている、という意味である。

 日本型組織(ここでは企業とする)が上手く機能する条件としては、以下の3つが挙げられる。

 ①組織のトップは、適度に顧客と接触し、顧客ニーズの変化を察知する。その変化が経営にもたらす意味を洞察し、部下に従来の仕事のやり方を改めるよう指示する。ただし、トップがあまり頻繁に現場に出向いて顧客と会ってはならない。顧客接点は第一義的には現場社員の仕事である。トップは現場の仕事を奪ってはならない。トップはできるだけ現場に権限を委譲し、現場で何か問題が起きたら責任を背負う立場でなければならない(以前の記事「『リーダーシップの神髄(『致知』2016年1月号)』―リーダーはもっと読書をして机上の空論を作ればいい」を参照)。

 ②日本型組織は垂直方向の階層組織であり、上の階層から下の階層に順番に命令が下ることで動く。だが、下の階層は、上の階層からの命令が曖昧であったり、自らが現場で集めた情報に照らし合わせると異なる見解を導くことができそうな場合には、上の階層に意見することが許される。これを山本は「下剋上」と呼んだ。ただし、歴史上の下剋上は下の階層が上の階層に取って代わるのに対し、企業内の下剋上は階層構造を温存する。

 下の階層が意見をするのは、上司を蹴飛ばすためではない。①とも関連するが、日本企業は出世するほど権限が制限され、責任ばかりが重くなる。だから、下の階層は下の階層にとどまったままでいた方が、自分のアイデアを自由に実行する余地を獲得できる(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 ③日本型組織は水平方向のつながりも強固である。日本企業は競合他社の事例を集めるのが大好きだ。新しい機械やソリューションを導入する際には、「競合他社が導入しているならば我が社も導入しよう」と考える。そして、機械やソリューションの提供企業も、(もちろん企業秘密は守るが、)導入実績の情報をオープンにする。GEが他の企業のベストプラクティスを研究して自社に適用することをベンチマークと呼んだが、日本では横のつながりのおかげで、ベンチマークが当然のように行われている(だから、どの企業も似たような製品・サービスになりがちだ)。

 また、企業内に目を向けると、新入社員が同時に入社して同期社員となり、配属先がバラバラになった後も、時々集まって情報交換するのは日本ならではの慣行である。さらに、日本では人事ローテーションが定期的に行われる。これはゼネラリスト育成が目的ではあるが、他部署の社員がやってくることで、元いた部署と新しい部署とのつながりが生じるという別の側面もある。

 日産でカルロス・ゴーン氏がCEO就任直後に導入した「クロス・ファンクショナル・チーム(CFT)」は注目度が高かった。まだ十分に調べ切れていないのだが、実は日産がCFTを設置するよりもずっと前から、日本企業では部門間の壁を取り払った連携が盛んだったと推測する。欧米企業は機能別に専門化するため、タコツボ化するのが普通である。だから、部門間の壁を壊す取り組みには、わざわざCFTという名前をつけなければならなかった。ところが、日本ではそれが至極当然のように行われていたから、特に名前をつける必要もなかったのだろう。

 以上のように、各個人が垂直、水平、時間軸で複雑に結びつき合うことで、現在から未来へと漸次的に変化を遂げるのが日本型組織の特徴である。強力なリーダーシップを発揮して一方向に爆走することはないため、アメリカのイノベーティブな企業に比べると非常に地味である。それでも、日本型組織が環境変化にもまれながらしぶとく生き抜くために身につけた知恵である。

 ところが、往々にして強みは弱みに転じる。本書を読むと、帝国陸軍の失敗がいくつか見えてくる。まず、組織のトップが現場に足を運ばず、過去のやり方に頑なにこだわった。陸軍では、日露戦争の勝利が忘れられず、ロシアと戦う時の戦術ばかりを訓練していたという。
 だがこれは、当時の時点で、すでに20数年前の技術である。しかも、完全な平坦地であるロシアの平原で威力を発揮した技術、光学兵器の活用はジャングルでは不可能のはず。いやその前に、その測地を活用できる重砲群が日本にあるのか?一個大隊欠の一個連隊なら、もっと小規模な大隊射撃が限度ではないのか。これも遠い将来のための教育なのか。とすると帝国陸軍の砲兵は、遠い将来に25年前のドイツ軍に追いつくことを目標にしているのか―。
 だが、上からの命令はどう考えても現実に適合しない。下剋上が機能する組織なら上司に物申すことも許されるだろう。しかし、当時の陸軍にはそのような雰囲気がなかった。相矛盾する命令と現実を天秤にかけ、命令が絶対的に正しいのだとすれば、現実を命令に合わせて歪曲するしかない。陸軍は一般の企業が在庫の棚卸をするのと同様、定期的に物品の数をチェックしていた。これを員数と呼ぶが、員数に固執する陸軍の体質を山本は「員数主義」と名づけた。
 それは当然に「員数が合わなければ処罰」から「員数さえ合っていれば不問」へと進む。従って「員数を合わす」ためには何でもやる。「紛失(なくなり)ました」という言葉は日本軍にはない。この言葉を口にした瞬間、「バカヤロー、員数をつけてこい」という言葉が、ビンタとともにはねかえってくる。
 こうなると、現場の人間は上の者の言うことをロクに聞かなくなる。ここで登場するのが参謀である。参謀は、軍規で指揮命令権がないと定められているにもかかわらず、公式の指揮命令系統を離れて、勝手に命令をし始める。これを山本は「私物命令」と呼んだ。しかも、当の本人は後になって、「そんな命令を出した覚えはない」と白を切る。そんないい加減な命令だから、現場にとって無茶苦茶な内容であったのだろう。本書では辻政信の私物命令が取り上げられているが、辻はインパール作戦を大失敗させた張本人である。
 いったい、こういう人たちが常に保持ししつづけ得た”力”の謎は何であろうか。それは一言でいえば、ある種の虚構の世界に人びとを導き入れ、それを現実だと信じ込ませる不思議な演出力である。そしてその演出力を可能にしているものが(中略)”気魄”という奇妙な言葉である。
 司令官の命令は上手くいかない。参謀の私物命令もダメ。それでも、何か命令を出さなければ陸軍が動かない。追い込まれた参謀が発する命令は、「何とかしろ」であろう。それを”気魄”を持って現場の人間に迫るのである。ただ、「何とかしろ」と言われている間は、まだ現場の人間に考える余地がわずかに残っているからましなのかもしれない。組織が本当に追い詰められると、「絶対にやってはいけない」とされていることを、大転換させて「やれ」と命じるようになる。
 「戦闘機の援護なく戦艦を出撃させてはならない」と言いつつ、なぜ戦艦大和を出撃させたのか。「相手の重砲群の破滅しない限り突撃をさせてはならない、それでは墓穴にとびこむだけだ」と言いつつ、なぜ裸戦車を突入させたのか。「砲兵は測地に基づく統一使用で集中的に活用しなければ無力である」と口がすっぱくなるほど言っておいて、なぜ、観測機材を失い、砲弾をろくに持てぬ砲兵に、人力曳行で三百キロの転進を命じたのか。地獄の行進に耐え抜いて現地に到達したとて「無力」ではないか。無力と自ら断言した、無力にきまっているそのことを、なぜ、やらせた。
 私は特攻隊について何かを論じるほどのものを持っていないのだが、特攻隊もやはり「絶対にやってはならない」ことではなかっただろうか?戦争の目的は「自軍の被害を最小限に抑えつつ、相手に勝利すること」である。それなのに、自軍の被害を自ら増やしながら相手に立ち向かっていくという戦略に、果たしてどれほどの可能性があったのだろうか?

 山本は、日本軍における死は生者を規定し、絶対的に支配するものだと述べている。
 この「死の臨在」による生者への絶対的支配という思想は、日本陸軍の生まれる以前から、日本の思想の中に根強く流れており、それは常に、日本的ファシズムの温床となりうるであろう。
 先ほど、日本人は時間軸でつながっていると書いた。日本人は過去と未来の両方とつながることで、自らの有限性を意識し、謙虚になり、相対的に把握することが可能となる。我々は先代から不十分なものを受け継ぎ、不十分なままに死んでいき、将来の世代に不十分なものを受け渡す。日本人はこうして歴史的に連鎖している。これは歴史が長い国の特権である。

 ところが、自ら死を選ぶということは、過去からの継承、将来への相続の流れがまだ不十分であるにもかかわらず、もはやそれが十分であるかのように自己決定して、時間軸から強制的に独立することである。彼は不十分なものを自らの力で十分(完全)なものとしたという点で、その死は絶対的である。彼に続く人は、「志半ばで死んだ彼のために」と誓ってこれからの人生を歩むだろう。だが、実際のところ、死んだ彼は志を全うしたのであり、全てを後世に託して死んだのである。だから、死は生者を絶対的に支配する。これが日本的ファシズムの精神的構造である。

2015年03月06日

「日本と欧米の経営、ガバナンス、リスクマネジメントの違い」について教えてもらったこと


 海外ビジネスの経験が豊富な中小企業診断士の方から聞いた話のまとめ。この方は「海外事業のリスクマネジメント」に特化しており、日本と欧米のビジネスの違いに非常に精通している。

 日本企業が海外に子会社を設立する場合、海外子会社のトップは日本人にすることがほとんどである。一方、欧米企業の場合は、欧米人ではなく現地の人を海外子会社のトップに据える。数年前、まだ日本企業の中国進出が盛んだった頃、外資企業で働く中国人の意識調査のレポートを読んだことがあるのだが、中国人は日本企業よりも欧米企業を高く評価していた。最も大きな要因は、欧米企業の中国子会社は実力主義で、結果を出せばトップに昇進できるのに対し、日本企業の中国子会社はトップが日本人で昇進が閉ざされている、というものであった。

 当時は、「日本企業は欧米企業に比べて、海外子会社のマネジメントが上手ではないのだろう」ぐらいにしか思っていなかったのだが、こうした日本と欧米の違いは、実は文化的・歴史的な背景の違いに起因していることが解った。

 「governance(企業統治)」という言葉があるが、この言葉の語源は植民地支配の時代に遡ることができる。1600年、イギリス国王は勅許状を授与して「東インド会社」の設立を認めた。イギリス本国にある「ロンドン貿易商会」は、出資者である「所有者役員会」が直接統治をしている。ところが、遠く離れたインドに設置される東インド会社をどのように統治するかが問題となった。ここでイギリス人が考え出したのが、間接統治という方法である。

 すなわち、現地のことを最もよく理解しているのはイギリス人ではなくインド人であるから、東インド会社のトップはインド人とする。その代わりに、本社であるロンドン貿易商会からは東インド会社を厳しくモニタリングする。こうして、本社が間接的に東インド会社を統治する方法を「ガバナンス」と呼んだのである。イギリスには「信頼すれども信用せず」という言葉がある。これは、現地トップであるインド人の経営能力については信頼しているものの、人間的には信用していない(油断するとすぐに不正をすると思っている)ので、常に監視の目を光らせることを意味する。

 経営のことを英語でmanagementと言うが、manageの原義は、「動物などを意のままに飼い慣らし、意のままに動かす」という意味である。そうすると、managementとは、「人間を意のままに動かす」ことを表す概念となる。これがgovernanceと組み合わさると次のようになる。つまり、欧米企業が海外に進出すると、「現地スタッフを意のままに動かす」という観点から、能力本位で現地経営者を選定する。そして、経営者が現地で経営しやすいように権限委譲をする一方、本社の意のままに動かすために本社からの統制と人事権の発動を欠かさない、ということになる。

 一方、日本語の「経営」の原義は、「縄張りをして建築の構想を練ること」らしい。これを海外に進出した日本企業にあてはめると、「海外に進出し自社の縄張りを増やし、建築(ものづくり)の構想を練る」という考え方になる(加護野忠男『経営の精神―我々が捨ててしまったものは何か』〔生産性出版、2010年〕を参照)。要するに、日本企業は非常に自前主義が強い。それゆえに、海外子会社のトップに現地の人ではなく日本人を置いてしまうのである。

経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~
加護野 忠男

生産性出版 2010-03-20

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 「信頼すれども信用せず」という言葉は、別の見方をすれば、「現地子会社のトップに据えた現地の人が何者なのか解らないので恐れている」という欧米人の心理を表している。常に他の民族と対立を繰り返してきた欧米人は、見知らぬ相手に強い警戒心を抱く。少しでも気を緩めると、相手に攻め滅ぼされるかもしれないからだ。この「恐れ(Fear)」こそが、欧米人のリスクマネジメントの根幹にある。逆に、日本人はこういう感覚が薄いので、リスクマネジメントが不得手である。

 日本人と欧米人のリスク感覚の違いについて、この中小企業診断士の方から興味深いエピソードを聞かせてもらった。この方はかつて、イギリスに駐在しており、イギリス人と一緒にアルジェリアに出張したことがあった。アルジェリアの訪問先に着くと、守衛がパスポートを見せるよう要求してきた。この診断士の方は素直にパスポートを見せたのに対し、イギリス人は憮然とした態度で素通りしてしまった。その理由をイギリス人に聞いたところ、次のような答えが返ってきた。

 「私がパスポートを見せなかったのは、あの守衛が本物かどうか解らなかったからだ。ひょっとしたらテロリストかもしれない。仮にテロリストだった場合、この場でパスポートを見せるかどうかでひと悶着起こしておけば、建物内にいる彼の仲間のところに『あいつは用心深いから気をつけろ』という情報が行って、襲われる可能性が低くなるだろう」

 これは何とも高度な心理戦である。欧米人は根源的な恐れのためにここまで考えるのかと驚かされた。他にも、このイギリス人は銀行に入ると、まずは入口で左右を見るようにしていたという。店内に潜伏しているかもしれないテロリストに対して、「こいつは用心深い」と印象づけるのがその狙いだそうだ。常日頃からリスクを想定して、リスクを最小化するのが欧米人である。

 一般論であるが、いきなり相手から脅されると日本人はびっくりして立ち止まるのに対し、欧米人は手が出るらしい。2001年に9.11事件が起きた時、この診断士の方は英王立国際問題研究所などを対象に、アメリカの今後の反応についてヒアリングを行った。すると、「アメリカは必ず報復攻撃をする。理由は『恐れ(Fear)』である」という回答が得られた。果たしてアメリカは2003年にイラク空爆で報復を開始した。欧米人は、武力で脅されたら武力で封じ込めようとする。現在のイスラーム国に対する欧米諸国の反応も、同じように説明できるかもしれない。




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