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日本とアメリカの戦略比較試論(後半)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2015年07月14日

日本とアメリカの戦略比較試論(後半)


製品・サービスの4分類(修正)

 前回の記事「日本とアメリカの戦略比較試論(前半)」の続き。

 一方、日本企業が強いのは、右下の「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という象限である。必需品であるから、顧客のニーズは予測しやすい。アメリカのように「私は何がほしいか?」と問うのではなく、「顧客は何を欲しているか?」と社会的要請を丁寧にくみ取るマーケティングが必要となる。そのマーケティングの結果を社会的な成果に結びつけるのが、ドラッカーの言うところのマネジメントである。

 必需品だからと言って、市場のニーズが単一だとは限らない。一神教のアメリカとは違い、日本は多神教であるため、市場のニーズも多様である。よって、ニーズの数だけ企業が存在し、過当競争が生じやすい。ただし、日本の場合、競合他社はライバルであると同時に、市場を拡大し、産業構造を維持するための協力者でもある。そのため、アメリカ企業のように、競合他社を直接攻撃するような広告は流さない。むしろ、業界団体の中で積極的に交流し、経営ノウハウを共有する。各企業は競合他社をよく研究し、微細な差を積み重ねることで、差別化を図る。

 日本の産業は水平関係が多様であることに加えて、垂直関係も重層的である。自動車、建設、産業機械など、右下の象限に該当する製品・サービスは、製造工程が複雑に分かれており、裾野が広い。いわゆる「擦り合わせ」が求められる。その結果、日本企業は縦にも横にも密接につながる。アメリカでは、一部のイノベーターが富を総取りするのに対し、日本では多くの企業間で富を分かち合い、できるだけ敗者を減らすシステムになっている。

 アメリカ企業は神と明確な契約を締結し、その確実な履行を目指すため、戦略においては「選択と集中」が厳格に要求される。不用意な多角化は契約違反と見なされる。そして、神との契約が「テロス」を迎える、すなわちイノベーターの製品・サービスが世界中に普及し、目的を完遂した後は、徐々に事業を縮小していく。具体的には、自社株を購入して株主に還元したり、事業を売却して現金化したりする。経営陣は若いうちにリタイアし、優雅にセカンドライフを送る。

 一方、多神教文化圏の日本企業には、それぞれの企業/顧客に異なる神が宿る。しかも、その神は唯一絶対なキリスト教の神とは違い、不完全な姿のままである。それでも、自社に宿る神の正体を知る、別の言い方をすれば、自社の目的、存在意義、アイデンティティ、強みを知ろうとするならば、単に自社の神を内省するだけでなく、自社と異なる神を宿している(であろう)他社/他者から学習する必要がある。良質な学習は異質との出会いから生まれるからである。

 よって、日本企業は異業種/異質な顧客から積極的に学び、その要素を自社に取り込もうとする。そのため、日本企業は選択と集中ではなく、多角化を目指す。選択と集中を行ったソニーやシャープが業績不振に陥り、総合戦略を取った日立やパナソニックが好調であるのは、こういった要因が背景にあるのかもしれない。また、日本では、アメリカには見られない総合商社という存在が経済の要を握っている。これもまた、多神教文化の特徴かもしれない。

 日本企業は神の完全な姿を知ろうと探索を続けるものの、神は永遠に不完全である。不完全だと解っていても、探索を止めることができない。よって、日本企業の探索は永遠に続く。日本企業にはアメリカ企業のような出口戦略はなく、ゴーイングコンサーン(事業継続)しかありえない。

 アメリカの場合、人々が声高に社会的責任を叫ばないと企業は動かない。これは、前述の通り経済的ニーズと社会的ニーズが乖離しているためである。これに対して、日本企業の場合は、人々の必需品を扱っていることから、経済的ニーズと同時に必然的に社会的ニーズをもターゲットとしていることになる。よって、企業経営は社会的責任を果たすことに直結しているのである。さらに先進的な日本企業は、社会的ニーズを社会的な手段で果たそうとする。例えば、障碍者を積極的に雇用し、障碍者向けの製品・サービスを開発する、といった具合だ。

 今までアメリカへのキャッチアップで成長してきた日本は、今後は「課題先進国」となってイノベーションをリードしなければならないと言われる。言い換えると、右下の象限だけでなく、左上の象限に挑戦せよというわけだ。だが、歴史を振り返ると、日本はずっと他国に追随してきたことが容易に解る。明治時代にはドイツやフランスを手本とした。その前は、長らく中国が手本であった。そのマインドを今さら変えることは、非常に困難であると考える。

 どんな必需品も、最初は一部の人しかほしがらない。また、最初の頃はニーズも洗練されていないため、顧客の要求水準も高くない。多少品質に問題があっても、目をつぶってもらえる。つまり、どんな必需品も、最初は左上の象限からスタートし、それが市場に受け入れられるにつれて、左下や右下の象限に移動していくのである。日本は、アメリカをはじめとする他国が左上の象限に取り組むのをじっくりと観察し、右下の象限に下りてきそうな製品・サービスを見極めて、十八番の高品質戦略を展開する。結局のところ、これが王道であるように思える。

(※)左上や左下の象限は、製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に与えるリスクが少ないからと言って、製品・サービスの品質に多少の問題があってもよいというわけではない。これらの象限であっても、不良品が許されるのは1,000個に1個ぐらいである。一方、日本企業が得意とする右下の象限は、不良品を限りなくゼロに近づけなければならない。事実、自動車メーカーは部品メーカーに対して不良品ゼロを要求する。医療現場においては、どんなに難易度の高い手術であっても、患者を1人でも死亡させれば世間から批判されることは必至である。




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