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【人材育成】能力開発はジグソーパズル、キャリア開発はレゴの組み立て
『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について
果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(2/2)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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 ―ITパスポート
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2017年02月18日

【人材育成】能力開発はジグソーパズル、キャリア開発はレゴの組み立て

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レゴ

 2016年4月1日より「改正職業能力開発促進法」が施行され、「労働者は職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して、自発的な職業能力の開発及び向上に努める」という基本理念の下、事業主は「労働者が自ら職業能力の開発及び向上に関する目標を定めることを容易にするために、業務の遂行に必要な技能などの事項に関し、キャリアコンサルティングの機会の確保その他の援助を行う」ことが定められた(指針第2)。また、「労働者は、職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発及び向上に努めるものとする」(3条)という規定もある。要するに、社員は自らのキャリア開発に責任を持たなければならないし、企業はそれを支援する必要がある、ということである。

 ただ、企業がキャリア開発の支援を行うと言っても、多くの場合は、半年ないし四半期に一度行われる目標設定面談や人事考課面談において、面談の一部として部下のキャリアに関する相談に乗っているにすぎないのではないかと思われる。つまり、能力開発の延長線上にキャリア開発が位置づけられている。確かに、能力開発とキャリア開発の違いを明確にすることは難しい。そこで、今回の記事では、両者の違いに関する私見を述べてみたいと思う。

 まず、能力開発は、企業の事業戦略とリンクしている。企業がどういう戦略を実行するのか、別の言い方をすれば、どの顧客層をターゲットとし、どのような顧客価値を、競合他社とどのように差別化しながら提供するのかという構想を練り、売上高、利益、市場シェアなどに関する目標を設定する。その上で、その戦略や目標を実現するためのあるべきビジネスプロセスや組織体制をデザインする。それが決まると、そのビジネスプロセスや組織を支えるために、どのような能力を持った社員が部門・階層ごとに何人必要なのかが見えてくる。人材戦略とは、戦略の実現に必要な社員を質・量の両面から確保するための戦略であり、能力開発はその一環である。

 戦略のライフサイクルの短期化が指摘されるようになって久しいが、戦略の短期化に伴って人材戦略も短期化している。よって、自ずと能力開発は短期視点となる。それぞれの社員はどのような能力を身につけるべきなのか、それに対して現状の能力レベルはどの程度であるか、能力ギャップを埋めるためにどのようなトレーニングを実施するのか、といった能力開発計画を短期で回していく。通常、社員に求められる能力は複数あるだろう。社員はそれらの能力を1つずつ習得していく。例えるならば、完成図が見えているジグソーパズルにおいて、能力を1つ習得するたびにパズルのピースを1つ獲得し、パズルを順番に完成させていく、といったイメージである。

 ジグソーパズルであるから、1つ1つのピースは矛盾なく埋め合わせることができる。つまり、パズルは客観的に設計されている。しかも、そのパズルの全体像を設計するのは、事業戦略と人材戦略、能力開発計画をリンクさせる企業側の責任である。これを実践している具体例として、トヨタの「星取表」を挙げることができるだろう。トヨタでは、仕事の処理に必要な技能や、仕事に取り組む姿勢を表現する態度能力の一覧を「星取表」で表示する。それぞれの社員について、習得できた能力は白丸、まだ習得できていない能力を黒丸で示して社内に掲示する。すると、まるで相撲の星取表のように、各社員の能力レベルが「○勝△敗」といった形で見える化される。

 ここからキャリア開発の話に入っていくわけだが、そもそもキャリアという概念は非常に曖昧である。ここでは、金井寿宏教授の「キャリアとは、長期的な仕事生活における具体的な職務・職種・職能での経験と、それら仕事生活への意味づけや、将来展望のパターン」という定義を用いたいと思う。この定義には、これまで蓄積されてきた経験に対する意味づけという過去志向と、将来展望のパターンを描くという未来志向が同居している。昔、ある大学の准教授の先生から教えてもらったのだが、産業心理学の分野では過去志向が重視され、経営学の分野では未来志向が重視されるのだという。学術的な論争はさておき、過去の意味づけから将来をデザインするというのは至って自然の流れであるから、私は金井先生の定義を支持する。

 これでもまだ曖昧だと感じる方のために、ダグラス・ホールによるキャリアの4分類も紹介しておこう。まず、1つ目が「昇進・昇格の累積としてのキャリア」である。通常、我々がキャリアという言葉で最初にイメージするのはこれであろう。「キャリアアップした」という言葉を使う時、まさしくキャリアをこの意味で用いている。だが、ホールはこれ以外にも3つの類型を提示している。

 2つ目は「プロフェッションとしてのキャリア」である。これは、短期~中長期のスパンで特定の専門領域を追求した結果として生まれる職業意識のことである。3つ目は、「生涯を通じて経験した一連の仕事としてのキャリア」である。非常に長い目で見れば、一生涯に渡って1つの仕事・職種しか経験しない人は稀である。異動、配置転換、昇進、出向、転籍、転職などを通じて、様々な仕事を経験する。これらの職務経験を横串で通す認識が3つ目のキャリアである。

 最後にホールは、「生涯を通じた様々な 役割経験としてのキャリア」を挙げている。我々は人生においてビジネスパーソンとしての役割だけを演じるわけではない。ある時は配偶者として、ある時は父親・母親としての役割を果たす。また、人によってはNPOなどに属し、地域社会でボランティア活動を行っていることもあるだろう。さらに、誰かの重要な友人としての役割を果たすこともある。そうした仕事以外の役割も総合的にとらえた場合のキャリアがこの類型に該当する。

 ホールが人間の一生をキャリアの対象としていることからも解るように、キャリア開発は、能力開発とは違い中長期的視点で行われる。我々がキャリア開発をする場合、まずは過去の経験の棚卸をする。能力開発における能力が企業側の論理で客観的に設計されていたのに対し、キャリア開発によって棚卸される経験は、本人の主観と固く結びついており、不定形である。例えば、上司に毎日怒られながら製品設計の仕事をしたという経験があったとしよう。仕事の直後には、「あのクソ上司が!!」と怒り心頭であったかもしれないが、一定の時間が経って冷静になってみると、あの時上司が厳しくしてくれたからこそ、マネジャーとなった今、部下が作成する設計図の勘所がよく解るようになったと思えることがある。

 また、ある役割における経験は、別の役割の経験の影響を受けることがある。例えば、40代の脂が乗りきった時期に部長となったものの、突然父が脳梗塞で倒れ、父の介護をしなければならなくなった。部長の激務と父の介護を両立させることが難しくなり、離職を余儀なくされた。新しい仕事では年収が大幅に下がったけれども、父の介護を通じて、相手を思いやる心が身につき、新しい職場でそれが役に立った。あのまま前の会社で部長を務めていたら、部下の気持ちも解らずに身勝手なマネジメントをしていたかもしれない、といったケースもあるだろう。

 繰り返しになるが、キャリア開発で棚卸しされる過去の経験は、非常に長い時間をさかのぼるものであり、本人の主観的な影響を受けた不定形なものである。そして、これらのパーツを基に、金井教授の言う「将来展望のパターン」を構築する。手持ちのパーツはどれも不揃いで、能力開発のジグソーパズルのようにぴったりと埋め込むことができない。不揃いのパーツを組み合わせるという意味では、キャリア開発はパズルよりもレゴに似ている。ただし、レゴの場合は、完成形が最初から決まっているパズルとは違い、自由度が高いという利点もある。本人が手持ちのパーツをどのように組み合わせて、どんな形を作るかは本人次第である。パーツが上手く組み合わせられない場合は、パーツ=経験に対する解釈を変えて、パーツの形を変更すればよい。

 そういう試行錯誤を繰り返しながら、手持ちのパーツをできるだけ全て使い切って1つの形を完成させていく。1つ1つのパーツは不恰好で、それだけを見ているととても統一性がないようであっても、パーツを組み合わせれば何かしら整合的な形を作ることができる。つまり、これまでの様々な経験に一本の横串を通し、その人なりのストーリーを構築することができる。ここにキャリア開発の醍醐味がある。そして、でき上がった形は、私が何者であるかを示すと同時に、私が将来どういう方向に向かえばよいのかを示す象徴となる。ある人は森を作るかもしれないし、建物を作るかもしれない。動物を作るかもしれないし、幾何学的な模様を作るかもしれない。何ができ上がってもよい。それがその人のキャリアなのだから。

 ただし、能力開発と違って、キャリア開発の責任は本人にある。今回の職業能力開発促進法の改正で決まったことは、企業が社員によるレゴの組み立てを支援してくれるということにすぎない。この点を勘違いしてはならないと思う。

カテゴリ: 経営 コメント( 0 )
2015年05月04日

『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について

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致知2015年4月号一を抱く 致知2015年4月号

致知出版社 2015-04


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 いまの日本の子どもたちは自尊感情がとても低いんです。自分には価値がないと思い込んでいる。それに対して我われ教育者も含め、すべての大人たちは、「あなたには価値があるんですよ」ということを実感させなければなりません。言葉で言うだけでなく、本人に実感させることが大切であって、学校教育の中でどれだけ子どもたちの自尊感情を高めてあげられるかが、我われ教育者にとって勝負だと思います。
(下野六太「子どもたちの中に眠る宝をいかに引き出すか」)
 福岡県春日市立春日東中学校の体育教師である下野六太氏は、全く泳げなかった生徒を1,000メートル泳げるようにさせたりするなど、数多くの成果を上げていらっしゃる方である。よって、その実績は大いに尊重しているのだが、この引用文は注意深く読む必要があると思う。以下、日米のキャリア開発や教育に関する私の勝手な見解である。

 アメリカでは、「人間は何にでもなれる可能性を秘めている」という前提から出発する。アメリカはキリスト教の国である。キリスト教においては、人間は全知全能の神によって、神の化身として創造された。もっとも、人間は原罪を抱えているので、神と同様に万能なわけではない。とはいえ、万物の頂点に立つ存在として、優越感を抱いてこの世に生まれてくる。

 アメリカ人は、人生の早い段階で自らの使命を定めなければならない。そして、「私は人生の中でこういうことを実現する」と神と約束する。これが、キリスト教における「契約」である。マズローの欲求5段階説では、最上位の欲求が「自己実現」となっているが、これは神との契約を履行したいという欲求に他ならない。アメリカの教育は、子どもが神と交わした契約を尊重し、使命の実現に必要な能力を子どもの中から引き出そうとする。子どもは何にでもなれる可能性を持っているのだから、その可能性の中から特定の能力を発見するのが教師の役割である。

 引用文の「あなたには価値がある」というのは、子どもがあらかじめ何らかの価値を持っていることを前提としており、それを教師がうまく引き出せばよいことを意味している。つまり、「あなたには価値があるんですよ」という言葉は、「あなたには果たすべき神との契約があるんですよ」と言い換えることができるように思えて、どこかアメリカ的な匂いがするのである。

 ところが、神との契約で定められた使命には、リミットが設定されている。しかも、終わりは割と早く訪れる。したがって、アメリカ人は期限から逆算して、今何をすべきかを常に検討しなければならない。これをバックキャスティングと呼ぶ。アメリカ人があまり長期的な視点で物事を考えられないのは、こうした時間観も影響している。

 使命を達成したら、アメリカ人は静かにそれを受け入れ、身を引くべきだとされる。アメリカのベンチャー企業の多くは、ある程度事業が成功し、株価が最高値に達した段階で株式を売却しようとする。ウォール街の金融機関で働く人は、若いうちに巨万の富を手に入れて、40歳ぐらいでセカンドライフに入る人生を称賛する。スポーツの世界に目を向けると、MLBではベテラン選手が敬遠される。過去にどんなに輝かしい実績を上げていても、年齢とともに身体能力が減退すると強く信じられている。40歳を過ぎたイチローがレギュラーになれないのはこうした背景がある。

 アメリカでは、「人間は何にでもなれる可能性を秘めている」という前提に立って、各個人が神との間で自由に自らの使命を設定する。そして、一度使命が明確になったら、その達成に向けて、手持ちのポテンシャルの中から特定の能力を研鑽する。使命が現実のものとなった暁には、潔く終わりを受け入れる。ここから導かれる興味深い事実は、「何にでもなれる可能性がある」という前提から出発していながら、実は人生の中でできることが非常に限られている、ということだ。

 日本の場合は逆に、「人間の可能性は限られている」という前提から出発する。だから、日本の子どもは大人から見れば欠点だらけである。そのため、日本の教育は長所を伸ばすというよりも、欠点を直すことが中心となる(それが行きすぎると体罰になる)。したがって、日本の子どもはアメリカの子どものように優越感を持つことができない。むしろ、劣等感を持って育つことになる。

 日本人は、「自分の可能性が限られているならば、果たしてどのような人になれるのだろうか?」と迷いを抱く。その迷いを晴らしてくれるのは神であるが、日本はアメリカと違って多神教文化の国である。しかも、キリスト教の神とは異なり、不完全な神である。だから、日本人が自分の中に宿る神にいくら問いかけても、満足のいく答えは手に入らない。そのため、周囲の様々な人と交わることで、彼らの中に存在する様々なタイプの神とも対話しなければならない。

 やっとそれらしき可能性が見つかったとしても、安心はできない。なぜならば、他者の中に存在する神も、本人の中に宿る神と同様に不完全だからだ。そのため、日本人はもっと精度の高い解を求めて、永遠に他者の間を彷徨い歩く。自分の可能性=自分の中の神の正体を知る上で最も重要なのは、自分とは異なる(であろう)神を宿している人と出会うことである。良質な学習は、異質との出会いから生まれる。凡庸な例えだが、外国を旅行すると自国の文化のことがよく解るのと同じだ。日本人は、異質な神々と出会うことで、自らの可能性を徐々に広げていく。

 日本の場合、「自己実現」という言葉はあまりふさわしくないと思う。「私はこうしたい」と自己主張する人は敬遠される。神との契約によってその意思が正当化されるアメリカならいざ知らず、日本では他者の中に宿る神々に自分の意思が承認されなければ意味がない。だから、謙虚な姿勢で、時に臆病さを見せながらも、「私には何ができるでしょうか?」と周囲の人におうかがいを立てながら、自分のできる範囲で求められる価値を確実に提供できる人の方が重宝される。

 日本人はこうした行為の積み重ねで、自分の可能性を徐々に明らかにしていく。この旅は一生続く。生涯をかけて「もっと違う可能性があるのではないか?」と探究する姿勢こそが、柔道、剣道などという言葉にある「道」の意味である。これらの道においては、レベルが上がれば上がるほど、単に技能を多様化させるだけでなく、高い人間性を研鑽することが要求される。逆説的だが、日本人は「人間の可能性は限られている」という前提から出発しているにもかかわらず、結果的にアメリカ人よりも多様な活動を長く続けることができる。

 2~3年で違う部署に次々と異動になる日本企業のローテーション人事は、海外の人たちからすると全く理解できないらしい。欧米企業では、特定の職種を極めたいという人が多いし、人事制度もそうした社員のニーズに応えるものになっている。しかし、社員の可能性を発見するための旅と考えれば、ローテーション人事は至極日本的なやり方なのである。

2014年09月09日

果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(2/2)

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 (前回の続き)

 日本企業の社員は、「経営陣が明確なビジョンを持っていない」、「会社がどういう方向に向かっているのか解らない」と不満を漏らすことが多い。しかし、今までの議論を総合すれば、これこそ日本企業の正常な状態なのであり、何も心配することはない。こう書くと、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第1回)】経営ビジョンのない思い入れなき経営」と矛盾しているのではないかと思われるかもしれないう。確かに、前職の会社には明確なビジョンがなかった。だが、前職の経営陣は現在に対しても不誠実であった。こに問題の本質があると思う。

 前職の会社には、シニア社員向けのキャリア開発研修というサービスがあった。これは、中高年社員の再雇用・雇用延長などが問題になることを先取りした研修であった。ところが、いつまでも売上が立たないので、マーケティングを兼務していた私はしびれを切らして「この研修をどうするつもりなのですか?」と社長に問いただしたことがあった。すると、「8年後ぐらいには売れるようになるんじゃない?」などという呑気な答えが返ってきた。かといって、その8年間を埋める手立てもない。社長には、8年間必死で食いつなぐ姿勢があまりにも欠けているように感じた。

 明確なビジョンを設定し、明確なプランを策定するという企業経営に対するアメリカ人の考え方は、個人のキャリア開発にも反映されている。企業の経営戦略と個人のキャリア開発は非常によく似ている(以前の記事「リチャード・モリタ『これだっ!という「目標」を見つける本』―キャリアデザインと戦略立案のアナロジー」を参照)。キャリア開発は、ビジョンや戦略の個人版を作ることだとも言える。アメリカ人は、人生のビジョン、人生のゴールをはっきりと意識し、そこから逆算して人生のプランを設計する。

 以前、『週刊ダイヤモンド』2014年7月5日号の「野村證券 リテール改革の真贋」を読んでいたら、野村證券は長年メリルリンチを改革の手本にしているとあった。メリルリンチは、顧客がどういう人生を送りたいのかというビジョンを描き出し、そのビジョンの実現に必要な資金を算出する。その上で、目標とする資金が得られるような最適な金融商品を提案するらしい。いかにもアメリカ的な発想である。これに対して野村證券の営業担当者は、顧客に次から次へと新しい金融商品を提案し、”乗り換え”を促す。乗り換えによって得られる販売手数料が、彼らのノルマになっているからだ。ある意味、現在を生きることしかできない日本的なやり方である。

週刊ダイヤモンド2014年7月5日号[雑誌]週刊ダイヤモンド2014年7月5日号[雑誌]

ダイヤモンド社 2014-06-30

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 アメリカ人の一般的なキャリア開発に対しては、疑問の声がないわけではない。例えば、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツは「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」というものを提唱している。クランボルツによれば、個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定されるという。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアをよいものにしていこうという考え方である。簡単に言えば、今を必死に生きることで、偶然を味方につけるということだ。クランボルツは、クリントン元大統領の娘が大学の卒業式のスピーチで、将来の綿密なキャリアプランを披露したことに対して、苦言を呈したことがあった。

 とはいえ、クランボルツの考え方はアメリカ人にとって一般的ではない。大部分のアメリカ人は、クリントン元大統領の娘に賛同する。計画的偶発性理論は、日本人の方が親和性が高い。キャリア開発論を専門とする金井壽宏氏は、「キャリアドリフト」という概念を提唱している。金井氏は決して、キャリアプランの有用性を否定はしない。むしろ、人生の節目ぐらいはキャリアプランを策定しようと述べている。だが、そのプランにとらわれず、プランはあくまでも大まかに策定して、後は環境や時の流れに身を任せようというのが、キャリアドリフトの意味するところである。

 日本人はアメリカ人のように明確なキャリアプランを持つことができず、キャリアドリフトをしながら生きるしかない。ならば、日本人が集まった日本の組織もまた、ドリフトをしながらマネジメントするしかないのではないだろうか?個人はドリフトすることが許されるのに、組織に対しては明確なビジョンを要求するのはちょっと酷な話である。

 企業に明確なビジョンがないことを嘆くのは止めよう。明確なビジョンがないことが普通なのだと捉えよう。その代わり、今この時を必死に生きなければならない。今の自分に何ができるのか?それをもっとよい方法で行うことはできないのか?ということを厳しく問う必要がある。そうすれば、組織も個人も、事態を好転させる偶然を味方に引き込むことができるに違いない。

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