このカテゴリの記事
【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)
『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に
斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた

お問い合わせ
お問い合わせ
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)


Top > コミュニケーション アーカイブ
2018年02月07日

【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)


コミュニケーション

 城北支部青年部では、2か月に1度のペースで勉強会や懇親会などのイベントを開催しています。「中小企業診断士を取得し、城北支部に入ったが、何をしてよいか解らない」という方は、まずは青年部イベントへのご参加をお勧めします。青年部は「40歳以下または登録5年以下の診断士の先生」を対象とした活動を行っています。ただこれは建前でして、実際には「気持ちが若ければ誰でもOK」です。青年部のイベントで支部活動への参加のきっかけを作り、人脈を広げて、その後の診断士活動につなげていただければと思います(僭越ながら、私が青年部長を務めております)。
 1月の青年部勉強会では、ホンダで経営企画を担当していた熊谷一宏先生をお招きして、コミュニケーションに関する講義・ワークショップを行った。ホンダは世界を日本、中国、アジア/オセアニア、欧州、北米、南米という6つの地域に分ける「グローバル6極体制」を敷いているが、熊谷先生は日本本部で経営企画を行っていた方である。

 【1.《ワークショップ》内的傾聴と集中的傾聴】
 このワークショップは私も体験したことがあり、また、私自身研修やセミナーにおいて講師の立場で実施したこともあるので、私の経験で話をさせていただきたい。コーチングの普及に伴って、傾聴という言葉が使われる機会が増えているが、傾聴には「内的傾聴」と「集中的傾聴」の2種類がある。内的傾聴というのは、簡単に言えば自分自身のことを考えながら相手の話を聞くことであり、反対に集中的傾聴とは、相手に最大限の関心を寄せて相手の話を聞くことである。

 ここで、こんなワークショップをやっていただきたい。2人1組になり(Aさん・Bさんとする)、「最近楽しかったこと」を3分間で相手に話す。まずはAさんがBさんに対して話をする。その際、Bさんはまずは「内的傾聴」モードでAさんの話を聞く。具体的には、

 ・真剣に聞く(自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える)。
 ・相槌を打たない。表情を変えない。
 ・目線を合わせない。
 ・真剣に考えられるよう、腕と脚を組む。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

死んだ魚の眼というルールに従ってAさんの話を聞く。ワークショップであるから、大げさにやるのがポイントである。端的に言えば、Bさんは「死んだ魚のような眼」でAさんの話を聞く。イメージで言うと右図のような感じである(この絵は熊谷先生に教えていただいた)。3分経ったら攻守交代し、今度はBさんがAさんに対して「最近楽しかったこと」を3分間で話す。Aさんは「内的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 お互いの話が終わったら、今度は再びAさんがBさんに対して3分間で同じ話をする。ただし、今度はBさんは「集中的傾聴」モードで聞く。具体的には、

 ・真剣に聴く(相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない)
 ・相槌は10倍(バリエーションとトーン)。
 ・表情は笑顔。
 ・相手の目をしっかりと見る。
 ・前のめりになって聴く。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

というルールに従ってAさんの話を聞く。ここでもポイントは、ワークショップであるから大げさにやることである。決して、恥ずかしがってはならない。3分経ったら、次はBさんがAさんに対して3分間で同じ話をする。Aさんは「集中的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 このワークショップをすると、相手が「内的傾聴」モードで聞いている時は、話し手は3分間話がもたないことがほとんどである。また、「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「苦痛だった」、「本当に聞いてもらえているのか解らなかった」という回答が返ってくる。逆に、相手が「積極的モード」で話をしている時は、話し手にとって3分間が短く感じられる。話したいことが次から次へと出てくる(もちろん、同じ話を2回しているわけだから、1回目よりも2回目の方が話しやすいわけだが)。「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「楽しかった」、「自分に興味を持ってくれているように感じた」といった感想が聞かれる。

 ここでもう1つ、「『内的傾聴』と『集中的傾聴』の2つのモードで相手の話を聞いた時、相手の話の内容をよく覚えているのはどちらか?」と聞くと、受講者はほぼ100%「集中的傾聴」モードの時と答える。先ほどのルールを振り返ってもらいたいのだが、「内的傾聴」モードでは「自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える」、「集中的傾聴」モードでは「相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない」とある。相手の話に対して評価やアドバイスを考えながら話を聞くと、相手の話が頭に残らないのに対し、頭の中を空っぽにして相手の話を聞くと、かえって相手の話がよく覚えられる。私もワークショップで体験したが、「集中的傾聴」モードの時は、頭の中は空っぽなのに自然と質問が湧いてきて、相手の話がよく理解できるという不思議な現象が起きる。

 ここでさらに受講者に対して、「普段の業務では、自分は『内的傾聴』と『積極的傾聴』のどちらのモードに近いか?」と質問すると、大半の人は「内的傾聴」モードに近いと答える。これには様々な理由があるだろうが、日本人は一般に同質性が高いと思われているため、相手の言いたいことは聞かなくても解ると考えてしまうことが一因ではないかと思う(本当は日本人は決して同質性が高いわけではないのだが、これについては後述する)。だから、上司は部下が報告に来ても、パソコンを操作する手を止めず、不機嫌そうな顔でパソコンの画面をのぞき込み、ろくに相槌や質問もせず、部下の話が一通り終わると「解った」と言って部下を帰してしまう。

 ただ、興味深いのは、主に日本国内で仕事をしている人に対してこの質問をすると、「『内的傾聴』モードに近い」という回答が返ってくるのに対し、海外事業に携わっている人にこの質問をすると、「『積極的傾聴』に近い」と回答する人が結構いるということである(講師としては「『内的傾聴』モードに近い」という回答を期待しているため、ここで研修のシナリオが狂って戸惑ってしまう)。海外事業で外国人を相手にコミュニケーションをする時には、相手がどんな価値観を持っていて何を考えているのかが全く解らないから、頭の中を白紙状態にして相手の話を聞くという習慣が自然と身についているのではないかと考えられる。

 【2.《ワークショップ》褒める】
 2つ目のワークショップについては、今回の勉強会で実践した内容を書く。2つ目は、「ひたすら相手を褒めちぎる」というものである。同じように2人1組となって、まずはAさんがBさんのよいところ(外見、性格、考え方など何でもよい)を1分間でひたすら褒めまくる。それが終わったら、今度はBさんがAさんのよいところを1分間でひたすら褒めまくる。1分という非常に短い時間であるにもかかわらず、日本人は普段から相手を褒めることに慣れてないため、このワークショップは難しかった。私も恥ずかしながら1分間話がもたなかった。ただ、世の中には褒め上手の人もいる。勉強会の参加者の1人が、「石田純一さんはどんな女性でもよいところを10個褒めることができるらしい」という話をして、「だから女性にモテるわけだ」と全員で妙に納得してしまった。

 褒められて悪い気分になる人はいない。アメリカには、選手のことをひたすら褒めまくることで選手のモチベーションを上げるコーチも多いと聞く。特に、能力の高いスーパースター集団を率いる監督やコーチは、トレーナーというよりもモチベーターとしての役割を果たす。ただ、日本人の場合は、あまり褒められすぎると、「この人は自分に媚を売っているのではないか?」と疑心暗鬼になる傾向があるように思える。

 アメリカ人と日本人のこの違いは、遺伝子の違いである程度説明できると考える。遺伝子の中には、ストレス耐性を決定する「セロトニントランスポーター遺伝子」というものがある。セロトニンは、その量が十分ならば安心感を覚え、不足するとうつ病の原因となる。この遺伝子には、不安を感じやすい心配性のS型と、大らかで楽観的なL型がある。遺伝子は両親から半分ずつ受け継ぐため、S/S型、L/L型、その中間となるS/L型のどれかになる。アメリカ人の場合、楽観的なL/L型が30%を超えるのに対し、日本人のそれはわずか1.7%しか存在せず、この値は世界最低である。裏を返せば、日本人の約98%は心配性のS型を持っており、根がネガティブなのである(『週刊ダイヤモンド』2017年4月15日号より)。

週刊ダイヤモンド 2017年 4/15 号 [雑誌] (思わず誰かに話したくなる 速習! 日本経済)週刊ダイヤモンド 2017年 4/15 号 [雑誌] (思わず誰かに話したくなる 速習! 日本経済)

ダイヤモンド社 2017-04-10

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 根がポジティブな人は褒められて育つ。逆に、根がネガティブな人は叱られて育つと私は思う。野村克也氏は「無視⇒賞賛⇒非難」の3段階で選手を育成することを持論としていた。まず、入団したてで箸にも棒にも掛からぬ選手は無視する。その選手が少し実力をつけると褒める。さらにその選手が成長してレギュラークラスになると、今度は逆に徹底的に非難する。野村氏の非難は時に人格否定を含む過激なものであったようだが、それでも「野村チルドレン」という言葉があるように、野村氏に育成してもらい、今でも野村氏を慕う選手や元選手は非常に多い。

 京セラの創業者・稲盛和夫氏も、部下の経営幹部をボロクソに批判するらしい。ただ、それでも自分について来てくれる部下に対して、「なぜ自分について来るのか?」と尋ねたところ、「稲盛さんの部屋を出る時、最後に必ず稲盛さんが『ありがとう』と言ってくれるからだ」と言われたそうだ。日本人の場合は、「9叱って1褒める」ぐらいがちょうどいいのではないかと感じる。だから、私も以前の記事「『致知』2017年12月号『遊』―「社員満足度がモチベーションを上げる」という理屈にどうも納得できない」で、社員に不満足を覚えさせてモチベーションを高めるための1つの方法として、「上司や顧客からの厳しいフィードバックを与える」というものを書いた。

 【3.ホンダの「ワイガヤ」について】
 ホンダのコミュニケーションと言うと「ワイガヤ」が有名である。ワイガヤは「わいわいがやがや」の略である。何かのテーマについて他の人と議論をし、新しいアイデアを得たい時には、「ちょっとワイガヤしようよ」と周囲の人に呼びかける。呼びかけられた側もそれを決して断らず、ワイガヤに応じることがホンダの企業文化として染みついている。

 ワイガヤには3つのルールがある。それは、①共通の目的(A00)、②異質な人々、③コミュニケーションである。A00とはホンダ独自の言葉であり、別の言葉で表すならば「コンセプト」である。議論が迷走、暴走した時には、「この議論のA00は一体何なのか?」という問いが発せられる。この点で、A00とはコミュニケーションの原点と呼んでもよいかもしれない。ホンダはコンセプトの議論に過剰なまでの時間をかける。例えば、NSXのコンセプトは「Original Must Be Done(ホンダにしかできないことを)」であるが、「オリジナルとは何か?」を徹底的に議論する。N-BOXのコンセプト「日本の家族のしあわせのために」に至っては、「家族とは何か?」、「しあわせとは何か?」ということを愚直なまでに真面目に議論する。

 近年、企業組織は1つのジレンマに直面している。企業には共通の目的が必要であり、社員は共通の価値観を持たなければならないというのが伝統的な見解である。一方で、最近はダイバーシティ・マネジメントの重要性も高まっており、社員の多様性を尊重することも強調されている。組織が共通の目的・価値観を持ちながら、個々の社員は多様であらねばならないというのは大きな矛盾である。だが、この矛盾を乗り越えるヒントがホンダのワイガヤにあると思う。

 ホンダは、まずA00=コンセプトという形で共通の形式知を掲げる。次に、その形式知を解釈する。と言っても、明文化されたコンセプトの文言を要素還元主義的に分解していくのではない。その形式知に接触した人が、各々の物の見方、考え方に従って解釈を行う。解釈は1人で行うよりも、複数人で行う方が望ましい。日本人は同一性が高いようでありながら、実は考えていることは結構バラバラである。だからこそ、日本の意思決定では「稟議」、「根回し」なるものが重要な意味を持つ。仮に日本人が皆同じ考えを持っているならば、稟議も根回しも不要である。稟議や根回しが必要であることは、日本人の考え方が多様性に富んでいることを示唆している。

 こうして、コンセプトをめぐり深い議論を重ねることで、その背後に重層的な意味=暗黙知が蓄積されていく。暗黙知は、時に重複、冗長、矛盾、対立を含む。しかし、形式知という枠組みの中において、それらが共存することを敢えて許す。ただし、あまりにも深刻な葛藤が生じた時には、我々が立脚している形式知とは何だったかと問い、原点に立ち戻る。ホンダはこれを繰り返している。つまり、形式知と暗黙知との間を頻繁に往復し、統一性と多様性を調和させている。

 私は本ブログでよく「二項混合」という言葉を使うが、ホンダのワイガヤは形式知と暗黙知の二項混合である。私は語彙が貧弱なので、この二項混合を未だに上手に説明できないのだが、野中郁次郎氏は、「二項動態」という言葉を使って、私の言いたいことを代弁してくれている。
 二項が実は1つでありながら、その両極あるいは両面を構成していて、それらをつないでいる幅のある中間(中庸あるいはメソ)では2極の性質を持ちながら(白と黒の2極の間のグレーのグラデーションのように)連続的に変化しており、二項は中庸の部分でダイナミックに相互作用しながら、状況変化にあわせて時々刻々ダイナミックにバランス(動的均衡)を維持している。
(野中郁次郎、梅本勝博「アメリカ海兵隊の知的機動力 組織的知識創造論から二項動態論へ」〔『一橋ビジネスレビュー』2017年AUT.65巻2号〕
一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-09-15

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 このように見てくると、ホンダという組織はコミュニケーションの負荷が非常に高い組織であると言えそうである。一橋大学では「組織の<重さ>」という研究も行われており、<重い>組織、つまりコミュニケーションの経路が煩雑で、コミュニケーション負荷が過剰な組織はパフォーマンスが低いという結果が出ている。だが、ホンダの例を見ると、<重い>組織=パフォーマンスの低い組織という単純な図式は成立しないように感じる。

 コミュニケーションには「早い―遅い」、「重い―軽い」という2軸があると私は考える。「早い―遅い」は情報の伝達速度を、「重い―軽い」は情報の密度・質感を表している。早くても軽い組織は、コミュニケーションが効率的になされているが、その内容は表面的なものにとどまる。遅くて軽い組織は、情報伝達が鈍い上にコミュニケーションが浅いため最悪である。早くて重い組織が最も効果的・効率的なコミュニケーションを行っていることになるが、そのような組織はなかなか存在しない。最も理想的かつ現実的なのは、実は遅くて重い組織ではないかと思う。これはちょうど、野球において、投手の球が速くても軽ければ簡単に打者に打ち返されてしまうのに対し、遅くても重ければ打者を抑えることができるのと似ている。


2017年09月05日

『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に


致知2017年9月号閃き 致知2017年9月号

致知出版社 2017-09


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 やや古い調査レポートになるが、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」によると、16%弱の事業所でメンタルヘルスに問題を抱えている社員がおり、その人数は増加傾向にあるという。また、厚生労働省の「平成27年「労働安全衛生調査」(実態調査)」によれば、「メンタルヘルス不調により連続1か月以上休業または退職した労働者の状況」は、休業者が0.4%、退職者が0.2%であった。さらに、「現在の仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスになっていると感じる事柄がある労働者」の割合は55.7%と、平成25年調査より3.4%増加している。

 メンタルヘルス不調者が増加している要因は様々あるだろうが、個人的にはデスクワークが増えて、1人で黙々と仕事をする時間が長くなっていることが影響しているのではないかと思う。職場で言葉を発する機会が少なくなると、どうしても気分が憂鬱になるものである。よって、メンタルヘルス対策の第一歩としては、非常に凡庸な解決策だが、「職場で大きな声を出す機会を増やす」ことが有効であると考える。実際、「大声健康法」なるものも存在するそうだ。

 大声を出すと、身体に「オフ」の状態を作ることができる。大声によって心がすっきりするだけでなく、血行が良くなり、腹筋が収縮してお腹の働きもよくなる。すると、お腹と反対側の腰にもよい影響を与え、腰痛を和らげる効果もあるという。また、大声を出すと呼吸が深くなり、筋肉への血流も増加する。そして、ストレスホルモンのアンバランスさも低下し、ストレスが溜まりにくい身体になる。さらに、大声を出すと横隔膜の上下運動が激しく促進され、それに伴って胃や腸、肝臓などの内臓にマッサージ効果が起こって動きも血行もよくなり、身体も温まると言われている。

 大声健康法からはやや外れてしまうのだけれども、『致知』2017年9月号には、教育の現場に「速音読」を取り入れている教師の記事があった。
 速音読は、指定された範囲をできるだけ速く読む音読法ですが、速く読もうとする中で、素早く言葉のまとまりを掴むことができるようになり、また読む範囲の少し先を見る力もつきます。速く読めるようになると、普通の速さで読む時に余裕を持って音読できるようになりますし、脳科学的にも速音読は前頭前野を活性化させる度合いが高いそうで、短い時間で集中力や学習意欲を引き出せるのを感じています。
(山田将由「音読で子供たちの未来を開く」)
 大声健康法にも、ひょっとしたら脳を活性化させる効果があるのではないかと思う(そういう研究データをご存知の方がいらっしゃったら是非教えていただきたい)。かつて、日本の多くの企業では、朝礼で社員が皆揃って自社の企業理念を唱和する習慣があった。朝礼は企業理念を社員に浸透させ、社員の結束力を高めるのが主目的であるが、実は朝から全員で大きな声を出すことで、社員の脳や消化器の健康のために役立っていたのではないかと感じる。

 最近は、裁量労働制やフレックスタイム制の導入によって社員の出勤時間がバラバラになったこともあり、朝礼を行う企業が減少している。その影響かどうか解らないが、自社の経営理念を覚えていない人も増えている。先日も、ある研修で「自社の経営理念を覚えていますか?」と質問したら、誰も手が挙がらなかった。これは非常に残念なことである。難しいことかもしれないが、朝礼をもう一度復活させることは検討に値すると思う。朝礼では、経営理念を何度か繰り返し唱和するとよい。最初はゆっくりと読み上げ、経営理念に書かれた言葉の1つ1つの意味をかみしめる。そして、段々と唱和のスピードを上げ、脳の前頭前野を活性化させる。すると、社員は朝から経営理念を意識しながら全開モードで仕事に取り組むことができるだろう。

 朝礼はどちらかと言うと一方通行のコミュニケーションである。社員の健康をより高めるには双方向のコミュニケーションが効果的である。「コミュニケーション活発な人は健康度も高い かんぽ生命調査」によると、日常的な話ができる「知人・友人が11人以上いる」という人の53.5%が「現在、体調はよい状態である」、64.6%が「精神的な癒しやリラックスする時間を持つようにしている」と答えたのに対し、「知人・友人が0人」という人はそれぞれ36.5%、40.4%にとどまっている。知人・友人の数が多いほど、身体の健康だけでなく、心の健康への意識も高い。これは職場の人間関係においてもあてはまることだと思う。
 齋藤:最近、私が感じているのは、笑っている瞬間にアイデアが生まれることが非常に多い、ということです。昔、研究を1人でやっていた時はひたすら本を読んだり、思索に耽ったりしていたわけですが、いま学生と一緒にいる時は、とにかく爆笑できるくらいのものでなくては閃きは生まれないということを強く言うんです。それでニーチェの「祝祭的空間」という言葉にあやかって、それを授業でも実践しています。

 くだらない発言でも拍手をしハイタッチをしようと決めていて、どよめく練習までやるんですね。「おおーっ」って(笑)。誰が何を言っても盛り上がるように安全ネットを張った上で、私自身自分が思いついたことを喋り続け、彼らにもそれをやってもらう。
(川口淳一郎、齋藤孝、石黒浩「閃き脳をどう創るか」)
 こういうコミュニケーションは社員の心身を健康にするとともに、新しいアイデアを生み出すのに有益である。最近は、職場内にオープンスペースを設けて、社員のコミュニケーションの活性化を試みる企業が増えている。私はここで、2つのことに注意するべきだと思う。1つ目は、オープンスペースは誰でも自由に出入りできるものの、プライバシーは保護しなければならないということである。オープンスペースで話している内容が、外部で仕事をしている同僚に筒抜けであっては、突飛な意見を自由に言うのもはばかられる。もう1つは、いくら親しい同僚との間の会話であっても、また上司と部下という上下関係があるとしても、お互いに丁寧な日本語を使うべきだということである。粗雑な言葉遣いは知性を低下させ、ひいては心身の健康をかえって損なう。

 本号では、占部賢志氏が将棋の藤井聡太四段や卓球の張本智和選手などのインタビューに注目して、次のように述べている。
 中学生というと、中途半端な時期で影が薄かった。それが、ここにきて俄然注目されるようになったことは、いいことだと思いますよ。これだけ人気があるのは、彼らが以前のヒーローやヒロインに比べて言葉遣いが正しく、しかも内容も聞かせるものがあるでしょ。その点が際立っているからだと私は見ています。
(占部賢志「天晴れ中学生に拍手 「敬意」と「感恩」の教育」)
 確かに彼らは非凡な才能の持ち主である。だが、大人が中学生に負けているようでは恥ずかしい。何も高尚な言葉を使う必要はない。相手に敬意を払い、相手に対して解りやすい言葉を使って、大きな声ではっきりと語りかけることが重要である。相手のことを慮る気持ちもまた、心身を健康にするのにプラスではないかと考える。

 私は以前、中小企業向けの補助金事業の事務局員をしていたことがある。採択された中小企業について、補助金で何を購入したのか伝票類をチェックし、補助金を適正に支払うのが主な仕事である。事務局員は総勢60名ほどいたが、約6割が私と同じ中小企業診断士であった(残りの4割は大手企業のOBなど)。だが、大半が50~60代であり、私のような30代の人間はほとんどいなかった。50~60代の中小企業診断士には、大手企業出身者の人も多かった。大企業で経験を積んでいるのだからさぞ仕事もできるだろうと思いきや、中には中小企業の経営者に対して大声で乱暴な口を叩く人もいた。「こんな書類で補助金がもらえると思うなよ」、「この書類をこういうふうに直せと何回言ったら解るんだ」といった具合である。彼らはこんな態度で何十年も仕事をしてきたのかと驚くと同時に、彼らはきっと早死にするに違いないと思ったものである。

 社員の心身の健康を高めるために、大きな声で双方向のコミュニケーションをとる機会を設けようと言っても、いきなり実践するのは難しいかもしれない。そこで、取っ掛かりとして、「失敗分析」をお勧めする。どんな企業でも、製品開発や製造、マーケティングや営業で何らかの失敗をするものである。何か失敗が起きれば、関係者の間で原因を分析し、解決策を議論する。青森大学の男子新体操部で監督を務める中田吉光氏は次のように述べている。
 自分から発信する子は強いですね。人工知能が目覚ましい発達をしているような時代ですから、自分というものを持たない人間、それを発信しない人間は必要とされなくなると思うんです。ですから指示待ちも絶対に許さない。練習中に何か失敗をしたら、なぜ失敗したのか、じゃあどうすればいいのか、必ず本人に喋らせるなどして、少しでも発信する機会をつくるようにしているんです。
(中田吉光「男子新体操で人の心を揺さぶりたい」)
 ここでも、決して感情的になって乱暴な言葉を使ってはならない。また、失敗した人の人格を攻撃してもならない(日本人はよくこれをやりがちである)。失敗の原因を人に求めるのではなく、組織の制度や仕組みといったシステムに求めなければならない。こうした前向きなコミュニケーションをとることができれば、失敗からの立ち直りも早いであろう。

 私の前職の人事・組織コンサルティング&教育研修サービスのベンチャー企業は、業績が非常に悪かったのに、営業で失注してもその原因を全く分析していなかった。コンサルティングと自社のマーケティングを兼務していた私は、本来は営業会議に出席する権限を与えられていなかったのだが、社長にお願いして何度か営業会議に出席させてもらったことがある。すると、驚くべきことに、会議では営業担当者が手持ちの案件の進捗を淡々と報告するだけであった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第28回)】営業で失注しても「敗因分析」をしない」を参照)。

 当時、前職の会社では、Salesforce.comを使って商談管理を行っていた。ITの管理も部分的に任されていた私は、営業担当者に失敗分析の意識を植えつけるために、システムで案件のステータスを失注に変更する際には、失注の理由を入力しなければ更新できないように仕様を変えたことがあった。しかし、今振り返ってみると浅はかな策だったと思う。システムに向かって1人で失敗の分析をすれば、余計に気分が落ち込むばかりである。やはり、会議の場で、まずは失注した営業担当者自身の口から失注の原因を発言させ、それに対して他の営業担当者がどのように考えるか意見を引き出し、参加者の見解を集約して受注確率を上げるための方策を建設的に議論できる方向へ持っていくべきだったと反省している。

 企業によっては、人間関係が非常にギスギスしていて、失敗分析を行おうものならば、失敗した人が周囲からつるし上げられてしまうことがあるかもしれない。社員の心身の健康が極度に損なわれた企業において、それでもなお大きな声でコミュニケーションをとり、社員の健康を取り戻そうとするならば、最後に残された手段は「挨拶」だと思う。出社したら「おはようございます」と言い、それを聞いた他の社員も「おはようございます」と言う。退社する時は「お先に失礼します」と言い、それを聞いた他の社員は「お疲れさまでした」と言う。挨拶は定型化されており、絶対に失敗がない。決められた言葉を元気よく発すれば、それだけでコミュニケーションが成立する。

 もちろん、コミュニケーションが機能不全に陥っている企業では、最初は挨拶すらまともに返ってこないだろう。それでも、企業のトップが率先して挨拶をする。これを最低でも2~3か月は続ける。心理学には「返報性の原理」というものがある。人は、相手から何かをしてもらうと、相手に対して見返りを与えたくなるという心理を説明したものである。社長から毎朝のように大きな声で挨拶をされる社員は、最初はうるさいと感じるかもしれないが、やがては返報性の原理に従って社長に挨拶を返さねばと思うようになる。こうして、社員が皆大きな声で挨拶をするようになれば、心身の健康の回復の糸口が見えてくるに違いない。


2015年02月09日

斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた


「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)
斎藤 環

筑摩書房 2014-06-10

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 本書では、ひきこもりの原因を主に「コミュニケーションの欠如」に求めている。よって、その解決策は自然とコミュニケーションを円滑にするための方法が中心となる。最近、企業でもコミュニケーション不全がよく問題になるが、本書は家族内だけでなく、企業内の人間関係を改善するヒントにもなるように思えた(さすがに、家庭内暴力などの部分はひきこもり固有の問題だが)。
 聴き方の原則論としては「話している間はけっして遮らない」「結論が見えていても、それは本人に言わせる」「反論があっても、それを本人から求められない限り沈黙を守る」「いい加減な態度で聴かない」「家事をしながら、テレビを見ながら、といった、”ながら聴き”はしない」「誠実な態度で、相槌を打ちながら耳を傾ける」ということが大事になります。
 「家事をしながら、テレビを見ながら」の部分を、「資料を読みながら、メールを打ちながら」などと書き換えれば、そのまま企業内のコミュニケーションにもあてはまる。
 極論ですが、治療者としての私は、会話以外のものはコミュニケーションの名に値しないと考えています。電話、メモ、メールなども一応はコミュニケーションですし補助的な効果はありますが、会話に比べたらずっと影響力は少ないからです。
 現在では様々なITツールが発達しているが、ITを導入すればコミュニケーションが活性化するというのは大きな間違いである。何年も前の話になるが、コミュニケーションの活性化を図って、社内ブログや社内SNSを導入しようという動きがあった。だが、実際に効果があったのは、「既にある程度リアルのコミュニケーションが活発に行われている企業」であった。普段の対面コミュニケーションに問題がある企業では、社内SNSなどを導入しても書き込む人がおらず、すぐに使われなくなってしまった。結局、ITは対面コミュニケーションの補助的な役割しか果たせない。

 顧客のニーズをよく理解するためにソーシャルメディアを活用する場合も全く同じである。普段から顧客と頻繁に接して顧客の生の声に触れている企業がソーシャルメディアを活用すれば、ニーズの深掘りができるだろう。そうではなく、営業やアフターサービス、コールセンターなどの顧客接点機能が弱い企業がソーシャルメディアを導入しても、大した効果は得られないと諦めた方がよい。そういう企業は、まずは顧客接点で働く社員の能力向上などに投資するのが先決である。
 「コミュニケーションの変化」は、まずご両親の間からなされなければならないということです。ご両親がそれぞれ、てんでにご本人と会話する機会を持っていたとしても、それでは不十分です。
 上司と部下とのコミュニケーション不全に悩んでいるマネジャーは多いと思うが、ここで私が問いたいのは、「部下とコミュニケーションをとる前に、マネジャー同士が十分に意思疎通を図っているか?」ということである。私の前職の企業は、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」からもお解りいただけるように、社内が常にギスギスしていた。精神疾患や、ストレスに起因する病気にかかった社員が2割ぐらいいた。私も何とか頑張っていたのだが、体調を崩して一時期休職していたことがある(その点では、会社に迷惑をかけてしまった)。

 だが、何分ベンチャー企業で人手不足のため、私が担当していた仕事を代わりにできる社員がおらず、休職中も普通に働いていた。これでは休職している意味がないので、職場に復帰させてほしいと当時の社長に訴えた。すると、驚くべき答えが返ってきた。「君が休職した後、残った社員同士の仲が悪くなってしまった。だから、復職するのであれば、君の方から社員とコミュニケーションを取って、人間関係を修復してほしい」 1つつけ加えておくが、「残った社員」というのは全員私よりも年上で、1人を除いて管理職のポストにあった。

 そんな彼らのコミュニケーションがおかしくなった責任を、私に転嫁させるのは全く納得がいかなかった。マネジャー同士のコミュニケーションの問題は、マネジャー同士で解決するのが筋ではないだろうか?その姿勢を見せてくれたら、私の方からも彼らに働きかけができるようになるはずだと主張したが、当時の社長は聞く耳を持ってくれなかった。
 よく無害な質問のつもりで親御さんが「あなたは本当に何がしたいの」と聞くことがありますが、これは非常に本人を傷つけます。理解ある、開かれた態度のようでありながら、実はご本人を追い詰めるだけの質問だからです。そもそもひきこもっている最中に、将来の具体的な目標など、持てるはずもありません。
 ただ「どうして?」「どういうこと?」と尋ねるだけでは誠実な対応とは言えません。原因の究明をご本人に丸投げしてしまうのでは、いくら誠実に耳を傾ける姿勢があったとしても十分とは言えないのです。
 数年前から「対話(ダイアローグ)」という手法が注目されていて、将来のビジョンや、企業が抱える大きな経営課題について、経営陣と社員が一緒になって考えようとする企業が増えている。ここで、コーチングなどをかじっているマネジャーがいると、つい社員を質問攻めにしてしまう(旧ブログの記事「上辺だけのコーチングが空回りする5つのシチュエーション」を参照)。

 コーチングはアメリカ、すなわちキリスト教圏で生まれた手法である。キリスト教では、個人はその人の人生のゴールを完全な解の形で内包した状態で生まれると考えられる。もちろん、生まれたばかりの本人はその解の内容を知らないわけで、人生とは、長い時間をかけて自助努力でその解を発見し、現実のものにするプロセスであると考えられる(以前の記事「内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った」を参照)。よって、コーチングというのは、相手が生来的に持っている完全な解を引き出すのを手助けすることである。

 一方、日本の場合はそういう考え方をしない。むしろ、誰もが不完全で流動的な解しか持ちえないというのが前提である。加えて、自分が持っている解の内容を自力では知ることができず、必ず他人の力を必要とする。不完全で流動的な解を持つ自分と、同じく不完全で流動的な解を持つ相手が対峙し、自分と相手はどういう点で考え方が似ているのか、あるいは違うのかを、まわりくどいコミュニケーションの積み重ねで明らかにしていく。そういう作業を通じてようやく、自分が持っている解の一部を知ることができる。それでもその解は固定的ではないから、常に様々な他者との交流を持っていなければ、自分を保つことができない。

 抽象的な話になってしまったが、先ほどの引用文の話に戻ると、親は子どもを質問攻めにするのではなく、「お父さん(お母さん)はこう思うのだけれど、あなたはどう思うの?」と、まずは自分の見解を提示した上で、相手の考えを促すのが望ましい。企業においても、マネジャーは部下の見解を知りたければ、まずはマネジャー自身の考えを明らかにするべきである。

 もちろん、上下関係が影響するので、子どもや部下が親やマネジャーに遠慮して、迎合的な意見しか述べない可能性はある。だが、むやみに質問攻めにして、全く回答が得られないよりは、少なくとも言葉のキャッチボールが成立している点では評価できるのではないだろうか?
 (子どもが親のお願いに)応じてくれた場合は、必ず「ありがとう」とお礼を言うだけではなく、してくれたことをきちんと評価していただきたい。
 日本はおもてなしのサービスが発達しているせいか、どこへ行ってもお客様が店員から「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言われる。そのため、「お礼を言う人=お金をもらう人」という図式が知らず知らずのうちに成立している。本来であれば、お金を払った人も、自分が受けたサービスに対して、ちゃんとお礼を言うべきではないだろうか?

 企業で言えば、お金=給与を払うのは経営者であり上司であるから、部下が仕事を完成させても、お礼を言うのはもっぱら部下の方であり、上司が部下にお礼を言う機会が減っている気がする。上司にとってみれば、「自分には指揮命令権があり、部下が自分の指示で仕事をするのは当然だ」という思いもあるだろう。しかし、上司も部下にちゃんとお礼の意を示すことで、社内のコミュニケーションがぐっとよくなるのではないかと思う。仕事をしても何の反応もない職場より、お礼を言ってもらえて「報われた」と思える職場の方がいいに決まっている。

 やや話は逸れるが、私も日常生活の中で、「お金を払っている立場だから特にお礼を言わなくてもいいだろう」という考えは捨てなければならないと反省した。カフェや飲食店で頼んだメニューが出てきたらお礼を言い、コンビニやスーパーで会計が済んだらお礼を言い、自宅に宅急便で荷物が届いたらお礼を言い、病院で診察が済んだらお礼を言い、薬局で薬を出してもらったらお礼を言い・・・ということを心がけたい。



  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like