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『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に
斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた
私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(3/3)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年09月05日

『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に


致知2017年9月号閃き 致知2017年9月号

致知出版社 2017-09


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 やや古い調査レポートになるが、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」によると、16%弱の事業所でメンタルヘルスに問題を抱えている社員がおり、その人数は増加傾向にあるという。また、厚生労働省の「平成27年「労働安全衛生調査」(実態調査)」によれば、「メンタルヘルス不調により連続1か月以上休業または退職した労働者の状況」は、休業者が0.4%、退職者が0.2%であった。さらに、「現在の仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスになっていると感じる事柄がある労働者」の割合は55.7%と、平成25年調査より3.4%増加している。

 メンタルヘルス不調者が増加している要因は様々あるだろうが、個人的にはデスクワークが増えて、1人で黙々と仕事をする時間が長くなっていることが影響しているのではないかと思う。職場で言葉を発する機会が少なくなると、どうしても気分が憂鬱になるものである。よって、メンタルヘルス対策の第一歩としては、非常に凡庸な解決策だが、「職場で大きな声を出す機会を増やす」ことが有効であると考える。実際、「大声健康法」なるものも存在するそうだ。

 大声を出すと、身体に「オフ」の状態を作ることができる。大声によって心がすっきりするだけでなく、血行が良くなり、腹筋が収縮してお腹の働きもよくなる。すると、お腹と反対側の腰にもよい影響を与え、腰痛を和らげる効果もあるという。また、大声を出すと呼吸が深くなり、筋肉への血流も増加する。そして、ストレスホルモンのアンバランスさも低下し、ストレスが溜まりにくい身体になる。さらに、大声を出すと横隔膜の上下運動が激しく促進され、それに伴って胃や腸、肝臓などの内臓にマッサージ効果が起こって動きも血行もよくなり、身体も温まると言われている。

 大声健康法からはやや外れてしまうのだけれども、『致知』2017年9月号には、教育の現場に「速音読」を取り入れている教師の記事があった。
 速音読は、指定された範囲をできるだけ速く読む音読法ですが、速く読もうとする中で、素早く言葉のまとまりを掴むことができるようになり、また読む範囲の少し先を見る力もつきます。速く読めるようになると、普通の速さで読む時に余裕を持って音読できるようになりますし、脳科学的にも速音読は前頭前野を活性化させる度合いが高いそうで、短い時間で集中力や学習意欲を引き出せるのを感じています。
(山田将由「音読で子供たちの未来を開く」)
 大声健康法にも、ひょっとしたら脳を活性化させる効果があるのではないかと思う(そういう研究データをご存知の方がいらっしゃったら是非教えていただきたい)。かつて、日本の多くの企業では、朝礼で社員が皆揃って自社の企業理念を唱和する習慣があった。朝礼は企業理念を社員に浸透させ、社員の結束力を高めるのが主目的であるが、実は朝から全員で大きな声を出すことで、社員の脳や消化器の健康のために役立っていたのではないかと感じる。

 最近は、裁量労働制やフレックスタイム制の導入によって社員の出勤時間がバラバラになったこともあり、朝礼を行う企業が減少している。その影響かどうか解らないが、自社の経営理念を覚えていない人も増えている。先日も、ある研修で「自社の経営理念を覚えていますか?」と質問したら、誰も手が挙がらなかった。これは非常に残念なことである。難しいことかもしれないが、朝礼をもう一度復活させることは検討に値すると思う。朝礼では、経営理念を何度か繰り返し唱和するとよい。最初はゆっくりと読み上げ、経営理念に書かれた言葉の1つ1つの意味をかみしめる。そして、段々と唱和のスピードを上げ、脳の前頭前野を活性化させる。すると、社員は朝から経営理念を意識しながら全開モードで仕事に取り組むことができるだろう。

 朝礼はどちらかと言うと一方通行のコミュニケーションである。社員の健康をより高めるには双方向のコミュニケーションが効果的である。「コミュニケーション活発な人は健康度も高い かんぽ生命調査」によると、日常的な話ができる「知人・友人が11人以上いる」という人の53.5%が「現在、体調はよい状態である」、64.6%が「精神的な癒しやリラックスする時間を持つようにしている」と答えたのに対し、「知人・友人が0人」という人はそれぞれ36.5%、40.4%にとどまっている。知人・友人の数が多いほど、身体の健康だけでなく、心の健康への意識も高い。これは職場の人間関係においてもあてはまることだと思う。
 齋藤:最近、私が感じているのは、笑っている瞬間にアイデアが生まれることが非常に多い、ということです。昔、研究を1人でやっていた時はひたすら本を読んだり、思索に耽ったりしていたわけですが、いま学生と一緒にいる時は、とにかく爆笑できるくらいのものでなくては閃きは生まれないということを強く言うんです。それでニーチェの「祝祭的空間」という言葉にあやかって、それを授業でも実践しています。

 くだらない発言でも拍手をしハイタッチをしようと決めていて、どよめく練習までやるんですね。「おおーっ」って(笑)。誰が何を言っても盛り上がるように安全ネットを張った上で、私自身自分が思いついたことを喋り続け、彼らにもそれをやってもらう。
(川口淳一郎、齋藤孝、石黒浩「閃き脳をどう創るか」)
 こういうコミュニケーションは社員の心身を健康にするとともに、新しいアイデアを生み出すのに有益である。最近は、職場内にオープンスペースを設けて、社員のコミュニケーションの活性化を試みる企業が増えている。私はここで、2つのことに注意するべきだと思う。1つ目は、オープンスペースは誰でも自由に出入りできるものの、プライバシーは保護しなければならないということである。オープンスペースで話している内容が、外部で仕事をしている同僚に筒抜けであっては、突飛な意見を自由に言うのもはばかられる。もう1つは、いくら親しい同僚との間の会話であっても、また上司と部下という上下関係があるとしても、お互いに丁寧な日本語を使うべきだということである。粗雑な言葉遣いは知性を低下させ、ひいては心身の健康をかえって損なう。

 本号では、占部賢志氏が将棋の藤井聡太四段や卓球の張本智和選手などのインタビューに注目して、次のように述べている。
 中学生というと、中途半端な時期で影が薄かった。それが、ここにきて俄然注目されるようになったことは、いいことだと思いますよ。これだけ人気があるのは、彼らが以前のヒーローやヒロインに比べて言葉遣いが正しく、しかも内容も聞かせるものがあるでしょ。その点が際立っているからだと私は見ています。
(占部賢志「天晴れ中学生に拍手 「敬意」と「感恩」の教育」)
 確かに彼らは非凡な才能の持ち主である。だが、大人が中学生に負けているようでは恥ずかしい。何も高尚な言葉を使う必要はない。相手に敬意を払い、相手に対して解りやすい言葉を使って、大きな声ではっきりと語りかけることが重要である。相手のことを慮る気持ちもまた、心身を健康にするのにプラスではないかと考える。

 私は以前、中小企業向けの補助金事業の事務局員をしていたことがある。採択された中小企業について、補助金で何を購入したのか伝票類をチェックし、補助金を適正に支払うのが主な仕事である。事務局員は総勢60名ほどいたが、約6割が私と同じ中小企業診断士であった(残りの4割は大手企業のOBなど)。だが、大半が50~60代であり、私のような30代の人間はほとんどいなかった。50~60代の中小企業診断士には、大手企業出身者の人も多かった。大企業で経験を積んでいるのだからさぞ仕事もできるだろうと思いきや、中には中小企業の経営者に対して大声で乱暴な口を叩く人もいた。「こんな書類で補助金がもらえると思うなよ」、「この書類をこういうふうに直せと何回言ったら解るんだ」といった具合である。彼らはこんな態度で何十年も仕事をしてきたのかと驚くと同時に、彼らはきっと早死にするに違いないと思ったものである。

 社員の心身の健康を高めるために、大きな声で双方向のコミュニケーションをとる機会を設けようと言っても、いきなり実践するのは難しいかもしれない。そこで、取っ掛かりとして、「失敗分析」をお勧めする。どんな企業でも、製品開発や製造、マーケティングや営業で何らかの失敗をするものである。何か失敗が起きれば、関係者の間で原因を分析し、解決策を議論する。青森大学の男子新体操部で監督を務める中田吉光氏は次のように述べている。
 自分から発信する子は強いですね。人工知能が目覚ましい発達をしているような時代ですから、自分というものを持たない人間、それを発信しない人間は必要とされなくなると思うんです。ですから指示待ちも絶対に許さない。練習中に何か失敗をしたら、なぜ失敗したのか、じゃあどうすればいいのか、必ず本人に喋らせるなどして、少しでも発信する機会をつくるようにしているんです。
(中田吉光「男子新体操で人の心を揺さぶりたい」)
 ここでも、決して感情的になって乱暴な言葉を使ってはならない。また、失敗した人の人格を攻撃してもならない(日本人はよくこれをやりがちである)。失敗の原因を人に求めるのではなく、組織の制度や仕組みといったシステムに求めなければならない。こうした前向きなコミュニケーションをとることができれば、失敗からの立ち直りも早いであろう。

 私の前職の人事・組織コンサルティング&教育研修サービスのベンチャー企業は、業績が非常に悪かったのに、営業で失注してもその原因を全く分析していなかった。コンサルティングと自社のマーケティングを兼務していた私は、本来は営業会議に出席する権限を与えられていなかったのだが、社長にお願いして何度か営業会議に出席させてもらったことがある。すると、驚くべきことに、会議では営業担当者が手持ちの案件の進捗を淡々と報告するだけであった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第28回)】営業で失注しても「敗因分析」をしない」を参照)。

 当時、前職の会社では、Salesforce.comを使って商談管理を行っていた。ITの管理も部分的に任されていた私は、営業担当者に失敗分析の意識を植えつけるために、システムで案件のステータスを失注に変更する際には、失注の理由を入力しなければ更新できないように仕様を変えたことがあった。しかし、今振り返ってみると浅はかな策だったと思う。システムに向かって1人で失敗の分析をすれば、余計に気分が落ち込むばかりである。やはり、会議の場で、まずは失注した営業担当者自身の口から失注の原因を発言させ、それに対して他の営業担当者がどのように考えるか意見を引き出し、参加者の見解を集約して受注確率を上げるための方策を建設的に議論できる方向へ持っていくべきだったと反省している。

 企業によっては、人間関係が非常にギスギスしていて、失敗分析を行おうものならば、失敗した人が周囲からつるし上げられてしまうことがあるかもしれない。社員の心身の健康が極度に損なわれた企業において、それでもなお大きな声でコミュニケーションをとり、社員の健康を取り戻そうとするならば、最後に残された手段は「挨拶」だと思う。出社したら「おはようございます」と言い、それを聞いた他の社員も「おはようございます」と言う。退社する時は「お先に失礼します」と言い、それを聞いた他の社員は「お疲れさまでした」と言う。挨拶は定型化されており、絶対に失敗がない。決められた言葉を元気よく発すれば、それだけでコミュニケーションが成立する。

 もちろん、コミュニケーションが機能不全に陥っている企業では、最初は挨拶すらまともに返ってこないだろう。それでも、企業のトップが率先して挨拶をする。これを最低でも2~3か月は続ける。心理学には「返報性の原理」というものがある。人は、相手から何かをしてもらうと、相手に対して見返りを与えたくなるという心理を説明したものである。社長から毎朝のように大きな声で挨拶をされる社員は、最初はうるさいと感じるかもしれないが、やがては返報性の原理に従って社長に挨拶を返さねばと思うようになる。こうして、社員が皆大きな声で挨拶をするようになれば、心身の健康の回復の糸口が見えてくるに違いない。


2015年02月09日

斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた


「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)
斎藤 環

筑摩書房 2014-06-10

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 本書では、ひきこもりの原因を主に「コミュニケーションの欠如」に求めている。よって、その解決策は自然とコミュニケーションを円滑にするための方法が中心となる。最近、企業でもコミュニケーション不全がよく問題になるが、本書は家族内だけでなく、企業内の人間関係を改善するヒントにもなるように思えた(さすがに、家庭内暴力などの部分はひきこもり固有の問題だが)。
 聴き方の原則論としては「話している間はけっして遮らない」「結論が見えていても、それは本人に言わせる」「反論があっても、それを本人から求められない限り沈黙を守る」「いい加減な態度で聴かない」「家事をしながら、テレビを見ながら、といった、”ながら聴き”はしない」「誠実な態度で、相槌を打ちながら耳を傾ける」ということが大事になります。
 「家事をしながら、テレビを見ながら」の部分を、「資料を読みながら、メールを打ちながら」などと書き換えれば、そのまま企業内のコミュニケーションにもあてはまる。
 極論ですが、治療者としての私は、会話以外のものはコミュニケーションの名に値しないと考えています。電話、メモ、メールなども一応はコミュニケーションですし補助的な効果はありますが、会話に比べたらずっと影響力は少ないからです。
 現在では様々なITツールが発達しているが、ITを導入すればコミュニケーションが活性化するというのは大きな間違いである。何年も前の話になるが、コミュニケーションの活性化を図って、社内ブログや社内SNSを導入しようという動きがあった。だが、実際に効果があったのは、「既にある程度リアルのコミュニケーションが活発に行われている企業」であった。普段の対面コミュニケーションに問題がある企業では、社内SNSなどを導入しても書き込む人がおらず、すぐに使われなくなってしまった。結局、ITは対面コミュニケーションの補助的な役割しか果たせない。

 顧客のニーズをよく理解するためにソーシャルメディアを活用する場合も全く同じである。普段から顧客と頻繁に接して顧客の生の声に触れている企業がソーシャルメディアを活用すれば、ニーズの深掘りができるだろう。そうではなく、営業やアフターサービス、コールセンターなどの顧客接点機能が弱い企業がソーシャルメディアを導入しても、大した効果は得られないと諦めた方がよい。そういう企業は、まずは顧客接点で働く社員の能力向上などに投資するのが先決である。
 「コミュニケーションの変化」は、まずご両親の間からなされなければならないということです。ご両親がそれぞれ、てんでにご本人と会話する機会を持っていたとしても、それでは不十分です。
 上司と部下とのコミュニケーション不全に悩んでいるマネジャーは多いと思うが、ここで私が問いたいのは、「部下とコミュニケーションをとる前に、マネジャー同士が十分に意思疎通を図っているか?」ということである。私の前職の企業は、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」からもお解りいただけるように、社内が常にギスギスしていた。精神疾患や、ストレスに起因する病気にかかった社員が2割ぐらいいた。私も何とか頑張っていたのだが、体調を崩して一時期休職していたことがある(その点では、会社に迷惑をかけてしまった)。

 だが、何分ベンチャー企業で人手不足のため、私が担当していた仕事を代わりにできる社員がおらず、休職中も普通に働いていた。これでは休職している意味がないので、職場に復帰させてほしいと当時の社長に訴えた。すると、驚くべき答えが返ってきた。「君が休職した後、残った社員同士の仲が悪くなってしまった。だから、復職するのであれば、君の方から社員とコミュニケーションを取って、人間関係を修復してほしい」 1つつけ加えておくが、「残った社員」というのは全員私よりも年上で、1人を除いて管理職のポストにあった。

 そんな彼らのコミュニケーションがおかしくなった責任を、私に転嫁させるのは全く納得がいかなかった。マネジャー同士のコミュニケーションの問題は、マネジャー同士で解決するのが筋ではないだろうか?その姿勢を見せてくれたら、私の方からも彼らに働きかけができるようになるはずだと主張したが、当時の社長は聞く耳を持ってくれなかった。
 よく無害な質問のつもりで親御さんが「あなたは本当に何がしたいの」と聞くことがありますが、これは非常に本人を傷つけます。理解ある、開かれた態度のようでありながら、実はご本人を追い詰めるだけの質問だからです。そもそもひきこもっている最中に、将来の具体的な目標など、持てるはずもありません。
 ただ「どうして?」「どういうこと?」と尋ねるだけでは誠実な対応とは言えません。原因の究明をご本人に丸投げしてしまうのでは、いくら誠実に耳を傾ける姿勢があったとしても十分とは言えないのです。
 数年前から「対話(ダイアローグ)」という手法が注目されていて、将来のビジョンや、企業が抱える大きな経営課題について、経営陣と社員が一緒になって考えようとする企業が増えている。ここで、コーチングなどをかじっているマネジャーがいると、つい社員を質問攻めにしてしまう(旧ブログの記事「上辺だけのコーチングが空回りする5つのシチュエーション」を参照)。

 コーチングはアメリカ、すなわちキリスト教圏で生まれた手法である。キリスト教では、個人はその人の人生のゴールを完全な解の形で内包した状態で生まれると考えられる。もちろん、生まれたばかりの本人はその解の内容を知らないわけで、人生とは、長い時間をかけて自助努力でその解を発見し、現実のものにするプロセスであると考えられる(以前の記事「内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った」を参照)。よって、コーチングというのは、相手が生来的に持っている完全な解を引き出すのを手助けすることである。

 一方、日本の場合はそういう考え方をしない。むしろ、誰もが不完全で流動的な解しか持ちえないというのが前提である。加えて、自分が持っている解の内容を自力では知ることができず、必ず他人の力を必要とする。不完全で流動的な解を持つ自分と、同じく不完全で流動的な解を持つ相手が対峙し、自分と相手はどういう点で考え方が似ているのか、あるいは違うのかを、まわりくどいコミュニケーションの積み重ねで明らかにしていく。そういう作業を通じてようやく、自分が持っている解の一部を知ることができる。それでもその解は固定的ではないから、常に様々な他者との交流を持っていなければ、自分を保つことができない。

 抽象的な話になってしまったが、先ほどの引用文の話に戻ると、親は子どもを質問攻めにするのではなく、「お父さん(お母さん)はこう思うのだけれど、あなたはどう思うの?」と、まずは自分の見解を提示した上で、相手の考えを促すのが望ましい。企業においても、マネジャーは部下の見解を知りたければ、まずはマネジャー自身の考えを明らかにするべきである。

 もちろん、上下関係が影響するので、子どもや部下が親やマネジャーに遠慮して、迎合的な意見しか述べない可能性はある。だが、むやみに質問攻めにして、全く回答が得られないよりは、少なくとも言葉のキャッチボールが成立している点では評価できるのではないだろうか?
 (子どもが親のお願いに)応じてくれた場合は、必ず「ありがとう」とお礼を言うだけではなく、してくれたことをきちんと評価していただきたい。
 日本はおもてなしのサービスが発達しているせいか、どこへ行ってもお客様が店員から「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言われる。そのため、「お礼を言う人=お金をもらう人」という図式が知らず知らずのうちに成立している。本来であれば、お金を払った人も、自分が受けたサービスに対して、ちゃんとお礼を言うべきではないだろうか?

 企業で言えば、お金=給与を払うのは経営者であり上司であるから、部下が仕事を完成させても、お礼を言うのはもっぱら部下の方であり、上司が部下にお礼を言う機会が減っている気がする。上司にとってみれば、「自分には指揮命令権があり、部下が自分の指示で仕事をするのは当然だ」という思いもあるだろう。しかし、上司も部下にちゃんとお礼の意を示すことで、社内のコミュニケーションがぐっとよくなるのではないかと思う。仕事をしても何の反応もない職場より、お礼を言ってもらえて「報われた」と思える職場の方がいいに決まっている。

 やや話は逸れるが、私も日常生活の中で、「お金を払っている立場だから特にお礼を言わなくてもいいだろう」という考えは捨てなければならないと反省した。カフェや飲食店で頼んだメニューが出てきたらお礼を言い、コンビニやスーパーで会計が済んだらお礼を言い、自宅に宅急便で荷物が届いたらお礼を言い、病院で診察が済んだらお礼を言い、薬局で薬を出してもらったらお礼を言い・・・ということを心がけたい。


2014年08月27日

私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(3/3)


 (前回の続き)

(7)嘘やごまかしの効かない書き言葉によるコミュニケーションを重視する。
 以前の記事「中小企業診断士が断ち切るべき5つの因習」で、顧客を口先でちょろまかせばよいと豪語する診断士を断罪した。その人が話し言葉重視ならば、私は徹底した書き言葉重視である。話し言葉は一過性のものなので、その場の勢いで何とか乗り切れるし、多少つじつまが合っていなくても、聞き手を何となく解った気にさせることも可能だ。しかし、形も残らない、内容も不完全なものに対して顧客からお金をいただくというのは、どうも不誠実に思えてならない。

 これに対して、書き言葉は形に残り、多くの人に繰り返し読まれるから、絶対にごまかしが効かない。だからこそアウトプットの品質にこだわるわけで、高い品質のアウトプットを提示することができれば、胸を張ってお金をいただける。私は、他人のアウトプットも割と厳しく見ている方だと思う。個人的には、自分で提案書を書いたことのない営業担当者や、企画書を書き上げた経験のない本社スタッフは信用していないし、報告書の中身がプアーなコンサルタントや、セミナーの配布資料がお粗末な講師の価値も低く見積もっている。

 私が前職の企業で開発したアセスメント(診断)の中に「コンサルティング能力診断」というものがあった。その中に、「論理的飛躍があっても口頭で上手に説明することができるか?」という設問があり、「はい」と答えるとコンサルティング能力の得点が高くなる仕様になっていた。この設問は、当時このアセスメントの開発責任者であったマネジャー(彼はどちらかと言うと話し言葉重視であった)の意向で入れられたのだが、当時も今も、この設問は誤りだったと思っている。

(8)模倣されることを恐れない。ナレッジはオープンにして全体の底上げを図る。
 (7)と関連するが、書き言葉を重視するということは、成果物が目に見える形で残るということである。成果物がはっきりと残ることには、メリットもあればデメリットもある。組織内で事例を横展開できるという利点がある半面、ノウハウが何らかの形で外部に流出するリスクを背負うことになる。例えば、コンサルティングのフレームワークを転職先に持っていかれる、セミナーの配布資料を別のセミナーで転用される、といった具合だ。もちろん、知財保護の規定は設けるものの、全ての流出を止めることは不可能に近い。

 だが、私はノウハウの流出に目くじらを立てるべきではないと思う。知的財産に対する意識が甘いと言われるかもしれないが、私は自分のナレッジに対してそれほど執着心はない。事実、本ブログではノウハウ(大したノウハウではないが・・・)がダダ漏れ状態である。私のノウハウが外部に流出したところで、競合他社が私のビジネスを完全に潰しにかかるとは思えない。それよりも、自分の考え方を知ってくれる人が増えることの方が嬉しい。仮に競合他社が私のノウハウを盗んだとしても、私がさらに新しいナレッジを開発すればよいだけの話である。

 コンサルティング会社や研修会社が主催するセミナーなどに参加しようとすると、申込ページに「同業他社の参加はお断りします」と書かれていることがほとんどである。私はこのルールが嫌で嫌で仕方ない。ノウハウが持っていかれたところで、自社のビジネスが決定的なダメージを受けるのだろうか?旧ブログの記事「研修業界はまだまだ未熟な業界かもしれない」でも書いたが、この業界のプレイヤーは中小・零細企業がほとんどである。そんなプレイヤーにノウハウが流出しても、大した痛手ではないはずである。私は、このルールがあるために、業界に良質なナレッジが浸透せず、業界全体の底上げがなされないのではないか?とさえ疑っている。

 最近、いろんな中小企業の経営者とお話をさせていただいて、1つ気づいたことがある。中小企業の経営者は、自分の事業にのめり込んでいるので、話し出すとたいてい止まらなくなる。だが、事業がうまく行っている経営者とそうでない経営者では、話の内容が全く違う。

 業績が好調な企業の経営者は、未来志向で話をする。将来のビジョンはこうで、こういう市場にこういう製品で打って出たいとストーリーを語る。一方、業績不振の企業の経営者は、過去の出来事に執着する。特に、外部の関係者から”攻撃”されたことに対して、異常なまでの反応を示す。その”攻撃”の中に決まって入っているのが、知財の侵害である。彼らは、知財を侵害した相手を徹底的に憎む。しかし、いつまでも相手を憎んでいても仕方がない。シャープの創業者は、「他社に真似される製品を作れ」と社員にハッパをかけたそうだ。経営者はそういう気概で臨んだ方がよいと思うし、私自身もそうありたい。

(9)時間は万人に平等に与えられた宝。宝を壊す人を許してはいけない。
 これは当たり前すぎるし、「【ベンチャー失敗の教訓(第40回)】ダメ会社の典型=遅刻や締切遅れが当たり前の体質」など多くの記事で書いたことなので、簡単な説明にとどめておく。「(6)信賞必罰に頼らない。相手の成長を見守ることで相手を動かす」で、相手を怒ったりしないと書いたが、時間にルーズな人に対してだけは私もさすがに怒ると思う。極端な話だが、私はお金を盗まれても怒らないけれども、時間を破壊されたら怒るに違いない。そのぐらい、時間に対しては自分に対しても他人に対しても厳しいつもりでいる。

 アポイントの時間に遅れる、締切を守らないといった行為は明白な破壊行為であるが、会議というものは破壊行為が横行する場である。必ずしも全員が参加する必要がなかったり、参加者の顔ぶれにそぐわない議題が話し合われたりする。先日、中小企業診断協会の支部の役員会議に出席する機会があった。会議には、企業で言うところの部長・副部長クラス以上のメンバーが20人ほど参加していた。

 そこで話し合われたことは、支部のメーリングリストの運用ルールをどうするか?支部でプロジェクター(8万円ぐらい)を購入してもよいか?といったことであった。これには正直がっかりした。どれも、担当者が5分で決められそうなことばかりである。それを、大の大人が2時間近くも議論しているのだから、怒りを通り越して笑うしかなかった。会議は相手の貴重な時間をいただく行為である。いただいた時間に見合うだけの、中身のある会議をあらかじめ設計できないのであれば、いっそ会議を開かない方がましである。

(10)仕事に楽しみを求めない。わずかな楽しみのために多くの苦しみがある。
 よく、「仕事を楽しめ」と言う。しかし、私が社会人になってちょうど10年が経過したが、仕事を楽しいと思った記憶がない。むしろ苦しみの連続でしかなかった。どこかに楽しい仕事があるだろうと期待を寄せてみたものの、どんな仕事をしても苦しみにぶち当たった。シリーズ「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】」は、そんな苦しみの結晶である。そのため、最近では、「仕事は楽しいものである」という思い込みの方が間違っているのではないか?と思うようになった。

 元阪神の金本知憲氏は、引退会見で「僕の21年間のプロ野球人生は、大袈裟でなく70%が辛い苦しいものだった」と語った。元ヤクルトの宮本慎也氏も、引退時に「最近は『楽しみたい』と言うけど、僕は野球を楽しむなんてできない」とコメントしている。引退の間際になってようやく、「苦しかっただけのグラウンドで自分は幸せ者だったと気づいた。すべてが報われたと感じた」そうだ。イチローは、日米通算4,000本安打という偉業を達成した試合後のインタビューで、「4,000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8,000回以上は悔しい思いをしてきている」と答えた。こうした大打者と自分を並べるのはあまりにもおこがましいが、私もこの3人の考え方に深く共感する。

 サービス業などのマーケティングにおいては、インナー・マーケティングを実施して社員満足度を上げれば、顧客満足度の向上につながるとされる。端的に言えば、仕事を楽しんでいる社員が増えれば、顧客満足度は上がるというわけだ。だが私は、この説は正しくないのではないか?と思う。エンターテイメントの要素が強いサービスであれば、顧客接点で働く社員が楽しんでいることで、それが顧客に伝染することも考えられるだろう。

 しかし、世の中の大半の製品・サービスは、エンターテイメント的なものではない。私が生業としているコンサルティング業や研修サービス業もそうである。その上、顧客からは高い要求を受ける。その結果、顧客のニーズに応えようと、もがき苦しむことになる。

 だが、私が苦しんでいるからと言って、顧客満足度が下がるとは一概には言えない。事実、私が苦しんで開発した研修を実施したところ、研修後のアンケートでは受講者ほぼ全員から5段階評価で5の評価をいただいたことが何度もある。「社員満足度向上⇒顧客満足度向上」ではなく、「社員の苦しみ度向上⇒顧客満足度向上」というロジックが成り立つかどうか?今は私の単なる価値観・信念でしかないが、その妥当性を検証することが今後の私の研究課題である。


《2014年9月13日追記》
 『致知』2014年10月号の「対談 日本の次世代に託す夢 泥を肥やしに花は咲く」(鍵山秀三郎、上神田梅雄)という記事で紹介されていた下村湖人の言葉が印象に残ったので引用する。
 私は不満のない人生をおくりたいとは思わない。私ののぞむ人生は、不満が平和をみだす原因とならず、創造への動機となるような人生である。私は苦悩のない人生に住みたいとは思わない。私の住みたい世界は、苦悩が絶望の原因とならず、勇気への刺激となるような世界である。
致知2014年10月号夢に挑む 致知2014年10月号

致知出版社 2014-10


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