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『世界』2017年9月号『報道と権力』―「信頼」をめぐっては左派も右派もねじれた考え方をしている
【ベンチャー失敗の教訓(第47回)】メンバーの善意頼みだった委員会制度
『集合知を活かす技術(DHBR2013年9月号)』―社内のリアルコミュニケーションが機能不全では社外とのバーチャル協業は不可能

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年09月26日

『世界』2017年9月号『報道と権力』―「信頼」をめぐっては左派も右派もねじれた考え方をしている


世界 2017年 09 月号 [雑誌]世界 2017年 09 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-08-08

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 メディアをはじめとする報道は権力をどう監視するべきかが本号のテーマである。報道による監視は、西欧と日本ではまるで違う。本ブログでも何度か書いているように、西欧の国々、特に大国であるアメリカ、ドイツ、ロシアは、物事を利害の対立でとらえる傾向が強い(タグ「二項対立」の記事を参照)。Aという事象があれば、必ずBという反対の事象を立てる。こうした二項対立的な発想があるがゆえに、権力に対しても権力を外部から監視する機関を設ける(以前の記事「『ジャーナリズムが生き延びるには/「核なき未来」は可能か(『世界』2016年8月号)』―権力を対等に監視するアメリカ、権力を下からマイルドに牽制する日本、他」を参照)。

 もう1つ、西欧と日本の違いを挙げるとすれば、西欧は形式知重視であるということである。西欧では、昔から様々な民族が国家の中に混在している。彼らの間でコミュニケーションを円滑に進める、別の言い方をすれば「言った」、「言わない」の議論にならないようにするためには、情報を必ず文書という形で目に見えるようにする必要がある。形式知を最も重視しているのが官僚組織である。マックス・ウェーバーは、官僚組織の特徴の1つとして文書化を挙げた。

 だから、西欧で権力を外部から監視する報道機関は、監視対象の組織が公表する情報や、監視対象の組織が保管している文書を入手して、それを丹念に分析し、組織が不正を行っていないかどうかをモニタリングする。これが西欧の「調査報道」のスタイルである。調査報道からは話が外れるが、元外務省官僚の佐藤優氏は、「(海外の)インテリジェンスの9割は公開情報に基づいている」と述べている。ただし、その弊害がないわけではない。あまりにも公開情報などの形式知に頼りすぎているがゆえに、アメリカのCIAでは、四六時中職員がコンピュータに張りついたままで、ロクに現場を知らない若手職員が増えていると指摘する人もいる。
 最後に、米メディア界のご意見番ともなっているアメリカン大学のチャールズ・ルイス教授(63歳)に話をきいた。(中略)その代表作が、著書『The Buying of The President』だ。シリーズ化されたこの本で、ルイス教授は、大統領候補者に誰が寄付をしているかを整理し、その寄付者の分析から当選後の政策に言及。まさに、大統領は金で買われた存在であることを告発した。(中略)ルイス教授自身は、政権に食い込んで情報をとるような取材ではなく、公文書を入手してそれを読み込んで事実を掘り起こす取材を行ってきた。それは、情報公開制度を利用して公文書を入手しては読み込むという作業で、『The Buying of The President』も連邦選挙委員会などに提出された資料を入手して分析したものだ。
(立岩陽一郎「トランプVSメディア―活性化するアメリカのジャーナリズム」)
 もちろん、こうした調査報道が可能なのは、引用文の最後にあるように、情報公開制度が発達していることが大きい。翻って日本を見ると、報道は権力の外部にあるのではなく、権力の中に取り込まれている。さらに、西欧とは異なり暗黙知重視であるから、情報は監視対象となる人物から直接入手しなければならない。本ブログでは、日本の場合は二項対立ではなく二項を「混合」させると書いてきたが、ここでも権力と報道は対立構造ではなく混合構造になっている。
 国民の知る権利を代行するという建前から報道各社は官邸にブースを与えられる。「内閣記者クラブ」に所属するメディアが官邸に陣取って見張りをすることになっている。デスク級をキャップとし、数人の記者が張り付く。首相番記者は執務室に通ずる廊下に待機し、誰が面会に訪れるかをチェックする。閣議の冒頭では写真撮影が許され、定刻になると官房長官が会見、質問に答える。官房副長官は懇談に応じ、取材源を明かさないことを条件に情報を提供する。首相は節々で記者会見し政権の方針を述べる。テレビやラジオに出演して国民に直接訴えることもする。
(神保太郎「メディア批評 連載第117回」)
 取材相手の代弁者は尽きることはない。そんな彼らを私は「族記者」と呼んできた。「族議員」と同じく、記者クラブを根城に、単なる特定の政策分野に明るい専門記者として各省庁の応援団や利益代弁者の役割を果たすだけではなく、省庁からは”特ダネ”の提供はもちろん、審議会等の委員や専門委員として遇され、退職後は再就職先の面倒まで見てもらおうという輩である。
(川邊克朗「政治の道具と化す警察―安倍一強時代の「秩序感覚」」)
 要するに、日本の報道関係者は、調査対象の人物と個人的な関係を築いて、重要な情報(暗黙知)をこっそりと教えてもらう。普段はその情報の宣伝役に徹するが、時々は調査対象の人物との信頼関係を破壊しない程度に権力を批判する、というやり方をとる。

 西欧と日本のやり方には、どちらも一長一短があると思う。西欧における権力の監視は、客観的な情報に基づく理想的な監視の在り方のように見える。しかし、その半面でデメリットもある。まず、調査対象となる権力が膨大な文書を残すために多大なるコストをかけている。そして、それを外部から監視するためにさらに多くのコストを費やすことになる。これらのコストを最終的に負担するのは国民である。また、外部の監視機関は、情報公開制度では入手できない情報を入手するために、ハッキングのような違法行為に手を染めることもある。

 日本の場合、権力は文書を残さないし、監視機関は権力の中に取り込まれているため、西欧に比べると非常に安上がりである。権力と報道があからさまな対決姿勢を示さないのは、古来から和の精神を重んじる日本らしい一面でもある。ただし、権力側と監視側の人間関係という極めて不安定な結びつきに立脚しており、一度その関係が崩壊すると、監視側の人間が締め出され、権力側にとって都合のよい情報しか流れない状況に陥ってしまう。

 私は本ブログで山本七平の「下剋上」という言葉をしばしば使ってきた。これは、下の階層の者が上の階層の指示に従うだけでなく、時に上の階層に対して耳の痛い意見や批判を加えることを指している。本来の下剋上は上の階層を打倒することを志向するが、山本七平の言う「下剋上」では、下の階層の者が下の階層にとどまったまま上の階層に諫言することが許される。私はこれを中国の『貞観政要』などから学んだ日本人の知恵だと思っている。しかし、権力が暴走すると、この「下剋上」が封じ込められてしまう(現在の安倍政権に見られる危うさである)。

 日本の権力は文書を残さないため、文書の価値が過小評価されている。最近も、菅義偉官房長官が加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、「総理のご意向」と記された文書を「怪文書」と言って切り捨てたのはその一例である。私は外資系コンサルティング出身者が設立したベンチャーのコンサル会社にいたことがあるのだが、外資系コンサルは顧客企業と会議をする時に膨大な資料を用意する。これは間違いなく本国の影響である。私もその文化に慣れて育ったので、会議では必ず文書を用意するようにしている(ただし、たくさん資料を作っても読んでもらえなければ意味がないから、ボリュームは最低限に抑えるようにしている)。しかし、独立して様々な企業や組織の”普通の”会議に参加させてもらうと、資料はほとんど用意されないことに気づいた。

 中小企業診断士の組織も例外ではない。診断士の組織には企業と同じように様々な部署があり、定期的に各部の責任者が集まって情報交換や議論をする会議が開催される。総務部は、各部からの報告事項を事前に集約して、会議の前に責任者にメールで配信する。これは、会議で各部からの報告に費やす時間を節約し、重要な議論のために時間を振り向けるための措置である。ところが、いざ会議になると、「報告事項なし」と報告した部署の責任者が、「この紙には書いていないが2点ほど報告事項があって・・・」などと話を始める。つまり、この会議に参加した人でしか得られない属人的な情報というのがある。日本の場合は、紙に書いた情報というのがあてにならない。口頭で交わされた一瞬の情報に重要な価値があり、極めて監視がしにくい。

 報道が権力を監視しなければならないのは、権力に対する不信が根底にあるからである。この「信頼」をめぐって、左派と右派はいずれもねじれた考え方をしていることに気づいた。左派は、水平関係においては「連帯」という言葉によく表れているように、信頼を強調する。一方で、自分たちより上に立って権力を行使する者は必ず腐敗するとの信念から、権力に対しては強い不信感を示す。本号には、明治時代の自由民権運動家である植木枝盛の言葉があった。
 <人民にして政府を信ずれば、政府はこれに乗じ、これを信ずること厚ければ、益々これに付け込み、もしいかなる政府にても、良政府などいいてこれを信任し、これを疑うことなくこれを監督することなかりければ、必ず大いに付け込んでいかがのことをなすかもはかり難きなり。故に曰く、世に単に良政府なしと>
 <唯一の望みあり、あえて抵抗せざれども、疑の一字を胸間に存じ、全く政府を信ずることなきのみ>
(桐山桂一「「文一道」でゆく―憲法大臣・金森徳次郎の議会答弁(下)」)
 一方、右派は階層社会を前提としているため、権力に対しては比較的肯定的である。日本のように権威主義的な社会であればなおさらである。ところが、水平方向の関係となると、不信感が顔を出す。それが端的に表れているのが国際社会における国家間関係である。現代の国際社会では、全ての国はその大小にかかわらず水平関係にある。しかし、右派は左派のように国家間の連帯を説くのではなく、他国を警戒する。特に現在は、中国や北朝鮮の脅威が、日本のみならず海外の右派の不信感に拍車をかけている。

 国内においては、下の階層が上の階層を信頼し、下の階層が上の階層に対して利他的に貢献することで、結果的に下の階層にも利益がもたらされる。だが、国際社会においては、国家が利己的、自己保存的に振る舞うという矛盾を抱えている(ブログ別館の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―国家関係がゼロサムゲームである限り「信」を貫くことは難しい、他」を参照)。国家に自然に備わっているとされる自衛権が、かえって軍拡競争をもたらしている(以前の記事「『「坂の上の雲」ふたたび~日露戦争に勝利した魂を継ぐ(『正論』2016年2月号)』―自衛権を認める限り軍拡は止められないというパラドクス、他」を参照)。

 国内においても、水平関係の不信は見られる。私は、垂直方向には前述の「下剋上」(と「下問」)を、水平方向には「コラボレーション」の重要性を説いてきた。日本企業は、日本に特有の業界団体という存在を通じて、時に競合他社と協力するという動きを見せてきた。また近年では、業界の枠を超えた連携が進んでいる。さらに、企業が経済的なニーズだけでなく、社会的なニーズも充足させなければならないという社会的要請を受けて、非営利組織との連携も模索している。だが、日本企業はややもすると陰湿な方法で競合他社の足を引っ張り、異業種からの参入を阻み、社会的要請から目を背ける傾向がある。もしかすると、「コラボレーション」は私の単なる幻想で、現状ではこうした負の側面の方がはるかに大きいのかもしれない。

 以上の内容をまとめると、左派は権力に対しては不信感を抱く一方で、水平方向の関係を信頼している。これに対して右派は権力をある程度信頼する一方で、水平方向の関係に対して不信感を抱いている。前述の通り、日本の特徴は二項「混合」にある(私はこれを日本の美徳だと考えている)。よって、垂直方向、水平方向いずれにおいても、信頼しながらも疑うという関係、つまり「半信半疑」の関係を構築することができないものかと思案しているところである。

2014年01月12日

【ベンチャー失敗の教訓(第47回)】メンバーの善意頼みだった委員会制度


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 以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第38回)】分社化したがゆえに生じた組織の壁」や「【ベンチャー失敗の教訓(第39回)】「何をなすべきか」よりも「誰と働きたいか(働きたくないか)」で決まる組織構造」で述べたように、3社はやたらと組織を細分化、増殖させる傾向があった。グループ全体の社員数が最も多かった2008年、3社の経営陣は突如、委員会制度を作ると言い出した。本来ならば企業に備わっているべき機能だが、リソース不足のために担当者がいない機能について、委員会に補完させようというのが経営陣の狙いであった。そして、当時3社の間で重要視されながら、誰も手をつけていなかった6つのテーマについて、委員会が設置された。

 ・「宣伝・ブランド」・・・ホームページ改訂案の提案。フライヤー(チラシ)を含む露出媒体のイメージ統一化。
 ・「市場調査」・・・競合他社に関する調査と社内での情報共有。グループ各社のターゲット、ポジショニング、差別化に関する提案。
 ・「厚生・レク」・・・職場環境に関する問題の洗い出しと解決。職場環境を向上させるための企画提案と実行。
 ・「情報管理」・・・メールデータおよびクライアントデータのセキュリティ強化。各社員のPCのセキュリティ確保(ウィルス対策を含む)。個人情報管理に関するルール整備と意識強化。
 ・「図書・ニュース・情報共有」・・・社内の図書システムの策定と運用。全社会議、社内報、各種イベント案内などの社内コミュニケーションの促進。グループ内の情報共有レベル向上のための施策実行。
 ・「教育・ナレッジ」・・・社内研修、勉強会の企画・コーディネート。「タレントカタログ」(各社員の強み・得意分野を可視化したもの)の整備と運用。

 それぞれの委員会は、必ず3社の社員が混在するように構成されていた。経営陣は明言こそしなかったものの、3社間の組織の壁が厚くなっていたため、委員会制度を通じてグループ内の協業を活性化させようとしていたように思える。

 だが、もう皆さんも予測がついているように、この委員会制度は長く続かなかった。「宣伝・ブランド」委員会は、HPの改訂案をまとめることができなかった。露出媒体のイメージ統一化が中途半端に終わったのを受けて、Z社のC社長は、外部のデザイン会社にロゴの制作などを委託した。ところが、コンサルティングの現場を知らないC社長が1,000万円単位のお金をつぎ込んで作ったパワーポイントのフォーマットは、現場では全く使えない代物だった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第3回)】製品開発・生産をしない社長」を参照)。

 私は「市場調査」委員会に属していた。私は、競合の研修会社やコンサルティング会社がRSSで配信している最新情報をメールで一括受信できる仕組みを作ったのだが、この仕組みはほとんど活用されなかった。しまいには、「毎朝届くメールがうっとうしいから何とかしてくれないか?」と一部の社員から(その中には何と「市場調査」委員会のメンバーもいた!)言われてしまうありさまだった。各社のポジショニングや差別化の方法についても、結論が出ないままだった。

 「厚生・レク」委員会は、毎月1回飲み会を企画して、3社間の交流を深めようとしていた。飲み会には、会社からの補助が出ることも決まっていた。ところが、飲み会は1回だけしか開催されなかった。たまたまかもしれないが、3社の社員はお酒に弱い人が多く、普段から飲み会の習慣がなかった。だから、飲み会で親睦を深めるという発想自体に無理があった。委員会は他の手段を考えるべきだったが、そういう検討が行われないまま、委員会は立ち消えになってしまった。

 「図書・ニュース・情報共有」委員会は、社内の図書システムを構築できなかった。それどころか、オフィスに溜まっていた膨大な書籍を整理・整頓することすらできなかった。書籍はその後、X社の有志が集まって整理することになった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第41回)】自分の「時間単価」の高さを言い訳に雑用をしない」を参照)。

 「教育・ナレッジ」は、勉強会や社内研修を一度も開催しなかった。「タレントカタログ」なるものも、私は見たことがない。そもそも、3社とも人材育成に関するサービスを提供しているのに、自社社員の育成に関しては極めて後ろ向きであった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第35回)】人材育成が事業テーマなのに自社には人材育成の仕組みがない」を参照)。

 唯一成果があったと委員会と言えば「情報管理」委員会であり、プライバシーマークの取得に成功した。だが、これは委員会の力というよりも、委員会がプライバシーマーク取得のコンサルティングを依頼した会社の力のおかげと言った方が正しい。コンサルティング会社の”外圧”がなければ、プライバシーマークの取得は実現しなかっただろう。

 委員会制度はほとんどボランティアのようなもので、メンバーの善意に頼っていた。だが、部門横断的な組織をメンバーの善意で運営しようというのは無茶な話である。部門横断型組織の成功例として思いつくのは、カルロス・ゴーンが日産自動車の社長に就任した直後に設置した「クロス・ファンクショナル・チーム」(CFT)である。CFTも部門間の壁をなくし、コラボレーションを促進するための施策として導入された。しかし、組織の仕組みだけを整えても、CFTは絶対に成功しない。縦割り組織の弊害を打ち破るには、いろいろと工夫しなければならない点があると思う。

 第一に、それぞれのメンバーがCFTに割くべき時間をしっかりと決めることである。例えば、1週間の業務のうち、20%はCFTの業務に費やす、といった具合だ。こうして、CFTにつぎ込む時間を強制的にでも作る必要がある。そうしなければ、CFTで定例会議を開いても、「今日は本業の方が忙しいので・・・」という言い訳をつけて欠席するメンバーが出てくる。実際、委員会にどの程度のリソースを割くのかはっきりとしていなかった3社では、定例会議がすぐに形骸化した。

 第二に、1週間のうち20%はCFTの業務に費やすと決めたら、残り80%で本業がきちんと回るように、本業の業務を見直すことである。80%のリソースでCFT導入前と変わらない成果を上げるには、生産性を1.25倍に上げなければならない。あるいは、CFTのメンバーとそうでない社員との間で業務分担を見直して、CFTのメンバーの負担を軽くする必要がある。こういう対策を施さなければ、本業に忙殺されて、CFTの活動が後回しになる。3社の場合、本業の生産性を上げる努力が乏しかった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第46回)】上から下まで生産性を上げる努力をしない会社」を参照)。だから、委員会の業務をいくらでもサボることができた。

 第三に、CFTでの活動や成果を人事考課の中で適切に評価することである。結局のところ、人間は評価されないことはやらないものである。評価されなくても自主的に活動をするというお人好しは希少種である。会社の運営をお人よしに頼ってはいけない。人間は基本的に利己的な動物である。だから、利己心に応える評価制度を構築しなければならない。3社の場合、本業の成果を評価する仕組みもほとんど整備されていなかったから、委員会制度の活動など評価されるはずもなかった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第35回)】人材育成が事業テーマなのに自社には人材育成の仕組みがない」を参照)。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2013年10月15日

『集合知を活かす技術(DHBR2013年9月号)』―社内のリアルコミュニケーションが機能不全では社外とのバーチャル協業は不可能


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 09月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 09月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2013-08-10

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 本号の内容をものすごく簡単にまとめると、「新製品開発や新事業の立ち上げ、イノベーションの推進にあたって、社内外の多様な知を活用しましょう。遠く離れた社員や外部組織の人々を巻き込むために、IT(特にクラウドサービス)を上手に使いましょう」といった感じだろうか?

 昔、ある中小企業診断士からこんな話を聞いた。「アメリカ企業では、自社の社員を使おうが外部のコンサルタントを使おうが、最終的に成功すれば何でもよしとされる。一方、日本企業では自前主義が中心であり、外部のコンサルタントを使おうとすると、『なぜ自社の社員でそれができないのか?』と上層部から問い詰められる」 この話のオチは、日米でこういう文化の違いがあるので、日本企業にはなかなかコンサルティングサービスが浸透しないという点にあるのだが、社内外のどちらのリソースを使っても、結果的に上手くいけばOKとされるアメリカの文化は興味深かった。社内外の集合知を活用しようという動きも、こうした文化の延長線上にあるように思える。

 自前主義の日本企業でも、最近は外部組織との協業が不可欠になっている。そして、アメリカ企業に倣って、ITを活用した協業を模索している企業が増えていると感じる。だが、ITという非対面チャネルを利用して、社外の人たちと効果的に協業を進めるためには、まずは社内の対面コミュニケーションをしっかりと固める必要があるのではないだろうか?

 第一に、社内の対面コミュニケーションが機能していないと、社内の非対面コミュニケーションが円滑に進まない。社内の非対面コミュニケーションが十分でないのに、社外の人たちと非対面で意思疎通を図れるはずがない。数年前、社内のコミュニケーションの活性化を目的とした社内SNSや社内ブログの導入が流行った時期があった。ところが、グループウェアなどに詳しい情報システム会社の人の話によれば、「社内SNSなどが成功している企業は、もとから社員間のコミュニケーションが活発だった企業である。リアルのコミュニケーションが不十分な企業に社内SNSなどを導入しても、書き込む人が少なくて尻すぼみになっていく」とのことだった。

 これには私も思い当たる節がある。私の前職の会社も、コミュニケーションが機能不全に陥っている典型例であった。状況の打開を図ったあるシニアマネジャーの発案で、社内ブログが導入され、毎週社員が持ち回りで記事を書くこととなった。しかし、社員が記事を書いてもコメントがつかない。ブログを介したコミュニケーションが生まれないため、社員からは記事を書くインセンティブが薄れていった。そしてほどなく、社内ブログは使われなくなった。

 この社内ブログとは別に、若いスタッフの間で非公式の社内ブログを立ち上げたことがある。スタッフ同士は年齢も業務内容も近いとあって、はるかに対面コミュニケーションの密度が高かった。若手スタッフ向けのブログには活発に記事が投稿され、たくさんのコメントがついた。この若手スタッフ向けブログは、スタッフ間の対面コミュニケーションを補完して、追加的な情報共有を行うツールとして機能した。ITを導入すればコミュニケーションが活発になるというのは幻想である。ITは、リアルのコミュニケーションをバックアップするものでしかない。

 第二に、社内の対面コミュニケーションが機能していないと、社外の人たちとの対面コミュニケーションが円滑に進まない。社外の人たちとの対面コミュニケーションが十分でないのに、社外の人たちと非対面で意思疎通を図れるはずがない。社内の人たちは、同じ組織に属している以上、価値観がある程度共通している仲間である。言い換えれば、同じコンテクストを共有している。だから、多少言葉に至らないところがあっても、いわゆる阿吽の呼吸で言いたいことが通じる。

 これに対して、社外の人たちは、仕事に対する価値観も、仕事のやり方も、思考パターンも社員とは異なる。先ほどの言葉を使えば、コンテクストが異なる。コンテクストが異なる人たちに仕事をお願いするには、どんな内容の仕事を、いつまでに、どういう手段でやってほしいのか?なぜその仕事をやってもらいたいのか?といったことを正確に伝えなければならない。相手は自分の言いたいことを解ってくれるだろうと、勝手に期待してはいけない。

 社内の対面コミュニケーションが機能していない、つまり阿吽の呼吸ですら意思疎通ができていない状態では、伝えるべき情報が欠落している。この状態で、社外の人たちといくら対面でコミュニケーションを取っても、話が通じるわけがない。これにも私は思い当たる節がある。

 前職の会社では、経営陣の1人が社外からいろんな専門家を連れてきて、社員と協業させようとしていた。ところが、その経営陣と社員とのコミュニケーションが不十分で、仕事の進め方をめぐって認識の齟齬が頻繁に発生していた。経営陣が社員に期待する仕事の内容が不明確なのだから、外部の専門家に対する仕事の依頼も中途半端になっていた。専門家たちは、自分が何をすべきか解らず、フィーに見合った成果を上げられないという理由で、会社を去って行った。

 外部の組織との非対面コミュニケーションを活性化させるためには、下図で示すような2つのシナリオがあると考える。1つは、社内の対面コミュニケーションからまずは社外との対面コミュニケーションへと拡張し、社内外の対面コミュニケーションが確立された段階で社内の非対面コミュニケーション、さらに社外との非対面コミュニケーションへと進むパターンである。

 もう1つは、社内の対面コミュニケーションから社内の非対面コミュニケーションへと進み、社内のコミュニケーションが十分になった段階で社外との対面コミュニケーション、さらに社外との非対面コミュニケーションへと移行するパターンである。いずれにしても重要なのは、社内の対面コミュニケーション強化が出発点となることだ。これなくして、社外の集合知の活用はありえない。

社内外コミュニケーション

《追記》
 本号の最後の方に収録されている「課題の見極め方がカギになる クラウドから知恵を引き出す「正しい問い」のつくり方」(ドウェイン・スプラドリン)という論文は、タイトルの通り、クラウドを活用して外部から有益なノウハウを獲得する方法について論じたものであるが、実はよく読むとソリューション営業に関する優れた論文でもある。相手が真に抱えている問題を深掘りする、相手にとって利益となり、かつ自社の戦略にもかなったソリューションを構想する、ソリューションを提供する上での社内外の様々な障害を取り除くなど、提案営業の原理原則を確認することができる。




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