2016年02月08日
ジョセフ・S・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』―二項対立から二項混合へすり寄る米中?
アメリカの世紀は終わらない ジョセフ・S・ナイ 日本経済新聞出版社 2015-09-26 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ジョセフ・ナイは、国家が国際政治の舞台で発揮するパワーとして、従来のハード・パワー(軍事力と経済力)に加えて、ソフト・パワーが重要であることを指摘した人物である。ソフト・パワーとは、その国の有する①文化、②政治的価値観、③外交政策の魅力などによって国際社会から支持や理解、共感を得ることで、国際社会に対して行使しうるパワーのことである。
《参考記事(旧ブログ。ジョセフ・ナイの著書だけで随分と書いたものだ・・・)》
映画や音楽などの大衆文化も外交上の重要なパワー源になる―『ソフト・パワー』
旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(1)―『ソフト・パワー』|(2)
アメリカが全世界に資本主義を浸透させられる日は本当に来るのか?―『ソフト・パワー』
「ハード・パワー」「ソフト・パワー」と、両者の橋渡し役「スマート・パワー」の整理―『リーダー・パワー』
ハード/ソフトのバランスが取れたリーダーシップ論―『リーダー・パワー』
リーダーのスキルの羅列にとどまらず、「倫理性」にまで踏み込んだ議論を展開―『リーダー・パワー』
【補足】「偉大なる脅迫者」に関する余談―『リーダー・パワー』
あれ?「ソフト・パワー」の定義変わりました??―『スマート・パワー』
新たに追加された「サイバー・パワー」の概要まとめ―『スマート・パワー』
「パワーの資源⇒活用能力⇒具体的な手段」のモデルに沿った各パワーの整理―『スマート・パワー』
従来の「ソフト・パワー」は「知的パワー」として再構成できるのでは?(1)―『スマート・パワー』|(2)
本書は、しばしば提起される「中国の台頭によってアメリカの時代が終わるのではないか?」という問いを検討した1冊である。確かにアメリカの力は相対的に下がるものの、中国がアメリカを圧倒する力を持つことはなく(もちろん、中国以外の国がアメリカを圧倒することはありえず)、アメリカの時代はまだまだ続く、というのが本書の結論である。ナイはこの結論を導くにあたって、まず「ヘゲモニー」、とりわけ、1世紀ごとにヘゲモニーが交代するという説を否定する。ヘゲモニーの定義は曖昧であり、またヘゲモニーの交代サイクルが1世紀である必然性はないと言う。
ナイは、ヘゲモニーの代わりに「卓越性」、「傑出」といった言葉を用いるのが適切だと述べる。ただ、これでは看板を挿げ替えただけなので、もっと正確に定義する必要がある。ナイの議論を読み解くと、卓越性や傑出度合いは相対的な評価と絶対的な評価で決まるようだ。相対的な評価は、アメリカのハード/ソフト・パワーの源泉が他の国よりも豊富であるか、その源泉を実際のパワーに転換する能力が他の国よりも優れているかによる。ナイは、アメリカとヨーロッパ、日本、ロシア、インド、ブラジル、中国を比較し、アメリカが依然として上位であることを示している。
相対的な評価が他国との比較によって決まるのに対し、絶対的な評価はアメリカ国内のみの評価によって定まる。絶対的な評価とはつまり、国内情勢が悪化、堕落していないかどうか、ということである(ナイによれば、ローマ帝国は絶対的な評価の悪化=国内情勢の悪化によって滅亡したという)。アメリカの政治、社会、経済、文化、教育は、国内外の多くの人が指摘するように、様々な問題を抱えている。しかし、それは今に始まったことではないし、アメリカを致命的に傷つけるものでもない。したがって、アメリカはこれからも当分安泰というのがナイの見立てである。
本書は学術書ではなく、一般向けの読み物であるから、厳密な分析は意図的に避けられたのかもしれない。本来であれば、アメリカと他国のハード/ソフト・パワーを比較するにあたり、パワーを構成する指標(例えば、経済力ならばGDP成長率、GDPに占めるR&D費の割合、企業の設備投資額、貿易収支、実質賃金の伸び率、消費性向など)を特定し、それぞれの指標について客観的なデータを取得して、各国を同じ土俵で比較すべきであろう。だが、ナイはアメリカが優れていることを示すためにAという指標を用い、ヨーロッパが劣っていることを示すためにBという指標を用いる、といった書き方をしている。この辺りがやや操作的であると感じた。
また、ナイはアメリカのソフト・パワーを中国のそれよりも過大に評価している印象を受ける。
アメリカが一定水準のソフト・パワーを維持できているのは、何事に対しても批判的な姿勢を持ち、検閲を受け付けない市民組織があるからである。それは、イラク進攻のように政府がソフト・パワーを台無しにしているようなときでも変わらない。アメリカについてこのように述べる一方で、中国についてはこう書いている。
たとえば、マニラに孔子学校を設立して中国文化を教えることはソフト・パワーを生み出すかもしれない。だが、領有権をめぐって紛糾する南シナ海の島々を中国が占有し、フィリピンを脅かしていることを背景にした動きなら、成功する公算はかなり小さいだろう。中国は近隣諸国に対して領有権の主張を強めている。このことがソフト・パワーの拡大という中国の目標達成をますます困難にしている。イラク戦争はアメリカのソフト・パワーを傷つけていないのに、南シナ海の領有権争いは中国のソフト・パワーを損なっているという点が私にはよく理解できない。少なくとも、人的・物的な被害の大きさという意味では、イラク戦争の方がはるかに大きい。それを補って余りあるほどのメリットがアメリカのソフト・パワーにあるのかどうか、ナイは論じていない。仮に、「何事に対しても批判的な姿勢を持ち、検閲を受け付けない市民組織がある」ことがアメリカのソフト・パワーを優位たらしめているとすれば、アメリカの自由主義を理由もなく絶対視していることに他ならない。
アメリカは建国当初から自由を強く信奉し、これを普遍的価値として世界中に広めることを使命としてきた。だが、自由が普遍的価値とならない国も存在しうることについて、想像力をめぐらせるべきではないだろうか?国家は国土を守り、国民を豊かにするために存在する。そのための方策として自由が選択されるわけだが、あくまでもそれは方策の1つにすぎない。確かに、我々は自由の効用についてよく知っている。しかし、自由以外の道を選択しても国家の目的を達成できるシナリオがもしかするとあるのかもしれない。中国はまさにその挑戦の最中にあり、アメリカとは異質なソフト・パワーを獲得する可能性がある、とは言えないだろうか?
本ブログでは、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国という現代の4大国は二項対立的な発想が基本だと書いた(アメリカについては以前の記事「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」、中国については以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」を参照)。自国は二項対立の一方に肩入れして、もう一方の立場に立つ他国と激しく対立する。ところが、どちらの国も心の底では相手を完全に打ち負かそうとは思っておらず、実は裏でこっそりと相手に賭けるという非常に複雑な外交を展開する。
他方、日本のように大国に挟まれた小国は、大国のような外交をする能力も資源もない。小国は、二項対立を繰り広げる両大国から、自陣営に入るよう働きかけを受ける。しかし、その誘いに乗って一方の陣営に完全に組み込まれると、大国が倒れた場合に巻き添えを食らって滅亡する危険性がある(当の大国は、小国に黙って裏でもう一方の大国に賭けているので、実は倒れない)。よって、小国が生き残る道は、対立する大国の双方にいい顔をし、両国のいいところどりをしながら、その場しのぎ的に国家を運営することである。これを二項混合的発想と呼ぶ。
以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」で、中国は二項対立的にも二項混合的にも事象を認識できる可能性を指摘した。本書を読むと、アメリカも近年は二項混合的な把握を試みるようになっているように映る。アメリカがソ連と対立していた頃は、国家間の交流が活発ではなかった。ところが、現在のアメリカは中国と深い依存関係にあり、それは公然たる事実となっている。
冷戦期にソ連に対して封じ込め策のドクトリンを打ち出した当時は、アメリカとソ連の間の貿易は無視できるほど小さく、社会的な交流もほとんどなかった。今、アメリカは中国と膨大な規模の貿易取引があり、アメリカの大学では約23万人の中国人留学生が学んでいる。アメリカの戦略を封じ込めと呼ぶよりは、中国が適切な意思決定を下す環境を整えるものと表現したほうが正確である。アメリカの変化の兆しは、次の言葉に集約される。アメリカは、相手を圧倒する二項対立的な発想に加えて、相手と協調する二項混合的な発想が重要であることを意識しつつあるようだ。
他者「を」圧倒するパワーを持っているかどうかだけを考えていては、不十分である。他者「と共に」協力し合うパワーを含め、共通の目標を達成する「ための」パワーについても考えなければならない。ここからは大胆な仮説。以前の記事「ロバート・D・カプラン『地政学の逆襲―「影のCIA」が予測する覇権の世界地図』―地政学的に見た4大国の特徴に関する試論」で、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国をマトリクス図を用いて分類してみた。大雑把に言えば、アメリカとドイツは資本主義&民主主義の国であり、元々同じ共産主義陣営だったロシア・中国と対立している。
ところが、前述のように、アメリカと中国は公然と協調する場面が増えている。同時に、実はドイツとロシアも接近しつつある(この点については、三好範英『ドイツリスク―「夢見る政治」が引き起こす混乱』〔光文社、2015年〕に詳しい)。以上の関係をまとめると下図のようになる。これが現代世界の勢力図ではないだろうか?(この図にはさらに、アメリカVSドイツ、ロシアVS中国という関係を加えることができると思われるのだが、これについてはまた別の機会に譲りたい)。