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『シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか/慰安婦合意(『正論』2017年3月号)』―保守とは他者に足を引っ張られながらも、なおその他者と前進を目指すこと
『最強の組織(DHBR2014年6月号)』―阪神とソニーの関係者に読んでもらいたい特集(後半)
『最強の組織(DHBR2014年6月号)』―阪神とソニーの関係者に読んでもらいたい特集(前半)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年03月06日

『シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか/慰安婦合意(『正論』2017年3月号)』―保守とは他者に足を引っ張られながらも、なおその他者と前進を目指すこと


正論2017年3月号正論2017年3月号

日本工業新聞社 2017-02-01

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 まず、日本の国の成り立ちや幾十世代もの先人たちが大事にしてきた価値観を理解し維持する揺るぎない気持ちを持っているということでしょう。同時に、変わりゆく世界と歴史の進歩に背を向けるのではなく、柔軟に対応する開かれた姿勢を持ち続けることも保守の資質に欠かせません。従って、保守主義の第一の特徴は、日本文明の価値観を基本とする地平に軸足を置き、世界に広く心を開き続けることだといえます。

 第二に、社会や国を構成する個々の人間を大事にするということです。それは単に一人一人が安寧に暮らしていける社会を目指すというのではなく、一人一人の思想・言論の自由を尊ぶということです。国民を圧迫する専制や独裁を許さず、真に自由闊達な生き方を皆に許容する価値観です。
(櫻井よしこ「これからの保守に求められること」)
 以前、「『習近平の蹉跌/中韓の反日に汚される世界遺産(『正論』2015年11月号)』―右派と左派の違いに関する試論」という記事を書いたが、この時は左派の整理が大半であった。今回は右派に関する記述を中心にしたいと思う。今まで左派の論理については自分なりに色々と整理してきたつもりであり、それを裏返せば右派の論理を上手く説明できるような気がする。

 左派は、人間の理性が唯一絶対の神に等しく、完全無欠であるという前提に立つ。これに従えば、人間の理性は生まれながらにして完全であるのだから、事後的に教育などによって手を加えてはならないことになる。とはいえ、実際問題として、生まれたての人間にできる仕事は限られている。そこで、そういう仕事の1つである農業を絶対視する。ここに農業共産制が成立する。左派は知識人を敵視する。左派政権が知識人を徹底的に排除するのはこういう理由による。

 一方の右派は、人間の理性を完全無欠とは考えない。人間の資質や能力、価値観や考え方は皆多様である。人間の理性は不完全であるであるから、その不完全性を埋めるために学習が発生する。そして、学習によって新しい理論や新しい技術が生み出される。左派が革新、右派が保守と呼ばれることに反して、左派こそが硬直的であり、右派の方が進取的である。しかし、どんなに右派が学習によって進歩を遂げたとしても、神と同じ完全性を手にすることは絶対にない。右派はそのことに対して劣等感を抱いている。その劣等感が学習を継続させるモチベーションとなる。どこまでも学習し続けることを、日本の言葉を借りれば「道」と呼ぶことができるだろう。

 もちろん、右派が生み出す技術が問題を引き起こすことは多い。自動車メーカーが燃費向上の研究に力を入れても、自動車が地球温暖化の元凶であるという声は一向に消えない。原子力発電は事故が発生した時の被害が甚大であること、また、原子力発電の研究が核兵器の研究に応用される危険性があることに対して批判がある。インターネットやスマートフォンは子どもにとって有害であるから、子どもから遠ざけておくべきだと考える親は多い(実際、インターネットやスマートフォンを利用する子どもの割合は、日本が先進国の中で圧倒的に下位である)。

 左派的な思考に従えば、こうした問題を解決するには、その技術そのものをなくしてしまえばよいということになる。だが、この思考を突き詰めていくと、「人間が問題を起こすのは人間がいるからだ」という極論になり、人間が集団自殺するしか解決法がないという何とも救いのない話になる。右派は、技術のメリットとデメリットを勘案して、人間が何とかその技術を上手に活用するための方策を検討する。もっとも、右派的人間の理性は不完全であるから、その方策も決して十分とは言えない。しかし、集団自殺する左派よりはずっと人間的である。

 左派は、人間の理性と唯一絶対の神が直線的につながることを重視するため、両者の間に何かしらの階層や組織が介在することを嫌う。教会ですら糾弾の対象となる。左派は国家や政府を目の敵にし、資本家の打倒を目指す。彼らのゴールは、全人類が完全にフラットな関係に立つコスモポリタニズムである。しかも、どの人も唯一絶対の神と同じ理性を有しているため、ある人の考えがそのまま全体の考えに等しいことになる。1は全体に等しく、全体は1に等しい。換言すれば、極限まで効率的な民主主義が成立すると同時に、民主主義と独裁が両立する。

 右派の場合、人間の能力や価値観は多様である。言い換えれば、人によって得手、不得手がある。また、不完全な理性しか持たない右派的人間は、誰一人として、単独で物事を完遂することができない。ということは、自ずと役割分担が生じることを意味する。役割分担が生じれば、物事を命じる側と命じられる側に分かれ、階層社会が出現する。そして、各々の人間は、それぞれの特性に応じて、その階層社会の中に配置される。

 プラトンは、社会の階層を、基本的な生産活動を行う層、社会を内外の脅威から守る防衛活動の層、そして、社会全体を制御・統制する政治活動の層という3つの階層に分けた。現在の日本社会は、本ブログで何度か提示しているが、「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」という重層的な階層構造になっている。そして、それぞれの階層の内部もまた多層化している。例えば、八百万の神は階層構造をなしているし、企業の層に目を向ければ、メーカーは系列を形成し、流通は欧米よりも多段階の構造となっている。日本の超多重階層社会がどのように成立したのかは、今後も引き続き追求していきたいテーマであるが、ひとまず今回は日本社会が多重構造になっているという点に着目したい。

 人によって能力が異なる右派的人間は、その特性に応じて階層社会に配置される。右派の中には、「結果の平等は確保できないが、機会の平等は確保すべきである」と主張する人がいるが、個人的には機会の平等ですら実現は困難であると考える。渡辺和子の言葉を借りれば、人間は置かれた場所で咲かなければならないのである。ただし、中世の身分制と異なり、それぞれの人はこの階層社会の中で特定のポジションにずっと縛りつけられているわけではない。

 本ブログでも何度か書いたが、人間は階層社会の中で垂直方向に「下剋上」と「下問」、水平方向に「コラボレーション」する自由を有する。これによって、限定的ではあるが、階層社会の中を動き回ることができる。これが右派的な自由である。左派の無制限な自由とは異なる。ここで言う下剋上は山本七平から借りた言葉であるが、上からの命令に対して、「もっとこうした方がよい」と提案し、実行することである。一般的な下剋上とは異なり、上の階層を打倒することを目的としていない。あくまでも下の階層にとどまりながら、上の階層から権限移譲を勝ち取り、自分のアイデアを実行することを指す。下剋上は、その人がやがて出世して上の階層に立つことを見据えて、より高い視点から物事を考えるためのよい訓練となる。

 上の階層に対する働きかけが「下剋上」であるならば、下の階層に対する働きかけが「下問」である。下問とは本来、上の階層の人が下の階層の意見を聞くことを指すが、ここでは、上の階層が下の階層に対して、「あなた方が成果を上げるために私に何か支援できることはないか?」と申し出ることを意味する。確かに、上の階層は下の階層に指揮命令する権限がある。だが、上の階層が下の階層に命令をするのは、別の見方をすれば、上の階層の人が単独では成果を上げることができず、他者の力を絶対的に必要とするからである。下問とは、他者、特に自分より弱い立場にある者に対して人間的・共同体的な配慮を見せることである。

 水平方向には「コラボレーション」をする自由がある。右派的人間の理性は不完全であり、自分が何者であるかを知ることは難しい。適材適所によって階層社会の中に配置されているとはいえ、今いるポジションが正解とは限らない。そこで、「私とは一体何者なのか?」というアイデンティティの探求が始まる。私を知るための最も効果的な方法は、自分とは異なる理性を持っているであろう他者と触れ合うことである。手垢がついた言葉だが、学習は異質との出会いから始まる。かつての日本企業は積極的に企業間連携をしていた。ソニーは特許を公開し、家電メーカーと広く連携していた。また、企業内でも部門を超えた異動が頻繁に見られた。ところが最近では、知的財産を守るという名目で企業間連携の機運がしぼみ、また企業内では成果主義のプレッシャーで各部門がタコツボ化しているのが気がかりである。

 日本的な多重階層社会においては、政治が行われるのはピラミッド上層の一部分に限られる。建前上は国民主権、議会制民主主義を導入しているが、実際に政治を動かすのは一部の人のみである。しかも、その一部の人の理性は皆バラバラであるから、意見集約をするのは非常に難しい。左派の民主主義が極めて効率的であるのに比べると、右派の政治はとても面倒臭い。だが、その面倒臭さゆえに、左派のように集団全体が危険な傾向に流れるリスクは低くなる。行きつ戻りつを繰り返しながら、漸次的に物事を進めていくことに右派の美徳がある。

 かつてプラトンは、人間が理性を発揮するのは政治を通じてであると主張した。これに従うと、大多数の右派的人間は理性を発揮できないことになってしまう。だが、私はそれは違うと思う。階層社会の中に自分の居場所を見つけ、そこを拠点に下剋上や下問、コラボレーションの自由を発揮して共同体圏を形成し、その共同体圏のために働くことが、右派的な理性の働きであると考える。右派的社会は機会の平等すら保障されない不平等な社会である。しかし、各々の人間が自由を発揮し、理性的に生きることは十分に可能である。

 そして、ここからが右派の特徴として最も重要な点であるが、階層社会というのは、基本的に上の階層の方が年長であり、下の階層の方が年少である。年功序列的な日本社会では、特にその傾向が強い。上の階層の年長の者が下の階層の年少の者に命令をする時、下の階層の者は年齢の若さ、経験や能力の不足ゆえに、上の階層の思い通りに動かないことが多い。言い換えれば、上の階層は下の階層に足を引っ張られる。上司は仕事のできない部下に悩まされ、親は言うことを聞かない子どものしつけに苦労する。それでもなお、上司は部下を大切にし、親は子どもを育てなければならない。教育に時間とお金を投資しなければならない。

 短期的に見れば上司や親にとってマイナスでも、やがて部下や子どもが十分に成長すれば、かつてのマイナスを補って余りあるほどの前進が得られる。絆という字は「ほだし」とも読み、元は「馬の足をつなぎとめるための縄」のことを指していた。そこから転じて「手かせや足かせ」を意味する。この「絆」の二面性こそ、保守における人間関係のあり方をよく表している。

 これが左派となると、人間は無制限の自由を有しているから、他者によって自分の自由を阻害されることに強い不快感を表す。部下の仕事ができなければ、上司が部下の仕事を取り上げて自分で仕事をやってしまう。近所の保育園の子どもの騒ぎ声が静かに暮らす権利を侵害していると裁判を起こす。電車で子どもが泣く声がうるさいからと言って、老人が子どもを殴る。しかし、こうした行為が続けば、企業や社会の中長期的な発展が望めないことは言うまでもない。

 部下や子どもに足を引っ張られていると感じる右派的人間は、かつては自分が上司や親の足を引っ張っていたことに気づく。その事実を知る時、右派的人間は、それでも自分を我慢強く育ててくれた上司や親に感謝の念を抱く。そして、その上司や親にもまた、彼らに足を引っ張られながらも彼らを立派に育て上げた昔の上司や親がいる。こうして教育の連鎖をたどっていけば、右派的人間は歴史の重みというものを否が応でも自覚せざるを得ない。右派的人間は歴史の上に立ち、そして将来に向けて歴史を紡いでいくのである。

2014年06月10日

『最強の組織(DHBR2014年6月号)』―阪神とソニーの関係者に読んでもらいたい特集(後半)


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 06月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 06月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2014-05-10

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 (前回からの続き)

○【インタビュー】変化への対応が企業を強くする 一流企業であり続けるために(古森重隆)
 富士フィルムホールディングスの代表取締役会長兼CEOである古森重隆氏のインタビュー記事。この記事はソニーの関係者に読んでもらいたい。
 これまでにない勢いで縮小すると読んだ主力事業は、設備や組織などを大胆にリストラしなければ生き残れないと結論づけました。世界中に巨大な生産設備があり、これらをそのまま放置する選択肢がないからです。

 しかし、主力事業のリストラだけでは縮小均衡に陥るだけです。それを避けるために何をするか、企業としてこの先も成長し続けるために最適な新規事業は何か。そうした側面も同時に読んでいかなければなりません。
 富士フィルムやソニーと、私がいた前職のベンチャー企業を同じ土俵の上で論じるのはおこがましいかもしれないが、「リストラをする時には必ず成長戦略がセットでなければならない」というのが、前職で学んだ重要な教訓の1つである(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第19回)】真綿で首を絞めるように繰り返されるリストラ」を参照)。リストラはこれ以上の赤字を防ぐための応急処置であり、言わばマイナスをゼロ付近にまで戻すに過ぎない。ゼロから再びプラスに持っていくためには、成長戦略を描く必要がある。

 リストラをすると、残った社員にはリストラされた社員の分まで仕事が回ってくる。リストラされた社員が一番苦しいのはもちろんだが、残った社員も苦しみを味わうことになる。その苦しみを癒してくれるのは、成長戦略というかすかな光である。今の苦しい仕事を乗り越えれば、再び事業が軌道に乗るかもしれないという希望があれば、社員も何とか頑張ることができる。逆に、そういう一縷の望みもないままに、ただひたすら忙しいだけの仕事をさせられたら、社員のモチベーションは下がる一方であろう。そうすれば、待っているのは更なる業績の悪化と追加リストラである。

 ソニーからは成長戦略が見えてこない。『週刊ダイヤモンド』2014年4月26日号には平井一夫CEOのインタビューも掲載されていたが、「誰をターゲットに、どんな顧客価値を提供するのか?」という戦略の基本的なところが全く伝わってこなかった(もっとも、ソニーを貶めたい編集部の悪意(?)がはたらいて、敢えてそういう構成になっているのかもしれないが)。さらにたちの悪いことに、ソニーは自社ビルを売却するなど資産の切り売りによって、何とか延命を図っている状況である。挙句の果てには、ソニー生命の吸収によって黒字化を図ろうとしていたのだから、もはや経営ではなく錬金術の世界である(これには金融庁から待ったがかかったらしい)。

週刊 ダイヤモンド 2014年 4/26号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2014年 4/26号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2014-04-21

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 メーカーの場合、技術力が最も重要かつ強力な経営資源です。技術力という経営資源で将来に渡ってその事業分野でコンペティターに勝ち続けていけるだけの基盤力があるか、マーケットがあるか、そういう製品を開発することができるかを重視しました。その結果、新たな成長戦略として6つの事業領域を選択したのです。
 ソニーは2000年度からの約15年間で、実に8回ものセグメント変更を行っている(「ソニーがまた「セグメント」を変更(1年9ヶ月ぶり8回目)|市況かぶ全力2階建」を参照)。もちろん、戦略の変更に伴って柔軟に組織を変えているのであれば評価に値するであろう。しかし、ソニーの場合、よく見るとセグメントの本質的な部分はほとんど変わっていないように感じる。経営不振の企業は、何かにつけて組織変更をしたがる。「改革を進めている」と対外的にアピールできるからだ。だが、そのような組織変更は何の利益も生み出さない。組織変更自体が目的になっているのは、組織衰退の証である。

 ソニーは今までやってきた事業にこだわりすぎており、幅広い視野が持てなくなっているのではないだろうか?富士フィルムのように市場が急速に消えているわけではなく、なまじ市場自体は残っていることが、ソニーにとっては災いしているように思える。ソニーの関係者は、「まだ市場はあるのだから、我々が巻き返すチャンスがあるはずだ」と思い込んでいるのかもしれない。だが、ここは一歩引いて、ソニーのコア技術とは一体何なのか?その技術で実現できそうなことは何なのか?それに対してどの程度のニーズがありそうか?といったことを、既成概念にとらわれずに広く洗い出す作業が必要ではないかと思う。

 ソニーの社員は優秀なので、2つ目の問いまでは比較的簡単に答えられるだろう。だが、一番肝心なのは、ありきたりなことではあるが3つ目の問いである。実は、ソニーの創業理念は技術を重視しており、井深大が起草した「設立趣意書」には技術という言葉が頻繁に登場する。逆に、顧客重視の要素が薄い。この点を指摘したのは、『ビジョナリー・カンパニー』の著者であるジェームズ・コリンズであった。コリンズは同書の中でソニーをビジョナリー・カンパニーとして扱っており、「企業理念には顧客第一主義は必ずしも必要ない」と述べていた。

 ところが、同書が出て以降のソニーの苦境を見るにつけ、やはり顧客重視の姿勢は経営に欠かせないものであると思う。その技術は誰が喜んでくれるのか?どのくらい喜んでくれるのか?(ちょっとだけなのか?それとも目玉が飛び出るほど喜んでくれるのか?)なぜ喜んでくれるのか?(何か日常生活で困っていたことが大幅に改善されるのか?顧客の暮らしを大幅に豊かにする生活体験を与えてくれるのか?)ということを愚直に問い続けることが、ソニーをマーケティング重視の企業に変えていくのではないだろうか?

2014年06月09日

『最強の組織(DHBR2014年6月号)』―阪神とソニーの関係者に読んでもらいたい特集(前半)


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 06月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 06月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2014-05-10

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○伝説のサッカー監督が語る ファガーソン8つの流儀:常勝軍団はこうしてつくられた(アレックス・ファガーソン、アニタ・エルバース)
 マンチェスター・ユナイテッドを26年率いて、実に13回ものリーグ優勝を含む38のタイトルを獲得したファガーソン氏のインタビュー記事。この記事は是非とも阪神タイガース関係者に読んでもらいたい。例えばこの部分である。
 エルバース:彼(ファガーソン)の判断を後押ししたのは、チームが再建途上のどの段階にあるかを見抜く鋭い感覚と、個々の選手が選手生命のどの段階にいるか―各選手がその瞬間にどれだけの価値をチームにもたらしているか―を見抜く、似たような鋭い感覚であった。(中略)ライバル・チームに比べ、ユナイテッドが獲得した選手は圧倒的に25歳未満の選手の割合が多かったのである。またユナイテッドは、まだ何年も活躍できそうな選手を喜んで手放したため、大半のライバル・チームと比べて選手放出から得る金額が多かった。(中略)

 ファガーソン:我々は選手を3つの層に分けて考えていました。30歳以上の選手、だいたい23歳から30歳くらいまでの選手、23歳未満のこれからの選手です。この背後にあるのは、若い選手は成長途上により、年長の選手によって設定された基準にいずれ到達する、という考え方です。どうやらすぐれたチームの寿命は大体4年程度しか持たないようなのです。私は常に、そうではないと何とか実証しようと努力したのですが―。なので4年経つと何らかの変革が必要になってきます。そこで我々は3年から4年後のチームを頭に描き、それに沿って物事を決めました。
 阪神ファンなら痛いぐらいに感じていることだが、阪神は若手選手の育成が非常に苦手だ。人気のあるベテラン選手に頼る⇒若手の出場機会が減る⇒ベテラン選手が怪我や引退でいなくなる⇒若手はベテランの代わりになるほど育っていないので、慌てて外国人やFA選手を獲得する⇒外国人やFA選手がそこその成績を残してポジションに居座る⇒若手の出場機会がさらに減る⇒外国人が不振でいなくなったり、FA選手に衰えが来たりする⇒また新しい外国人やFA選手を探す、というのがここ10年ぐらいの流れである。最近はようやく若手が出てきたが、ベテランの思わぬ怪我などでポジションが空いたことが原因であり、計画的な育成の結果とは言いがたい。

 落合元中日監督は、「どんなに強いチームでも、年間144試合戦えば60敗ぐらいはする。その60敗をどのように使うかが大事だ」と言っていた。60敗の中で「負けながらチームを育てていく」ことが重要だと言いたかったのだろう。落合氏の下で投手全般を見ていた森繁和氏は、阪神ファンの私からすると、非常に計画的に投手を育成していたように感じる。

 現在の先発ローテーションやリリーフ陣が数年後にはどうなっているか?どんな投手が足りなくなるか?2軍や1軍半の投手の中で、その不足部分を補う候補となるのは誰か?その候補者が数年後に先発ローテーションやリリーフを担うようになるには、どのように育成すればよいか?ということを相当考えていたのだろう。そして、その育成プランに沿って、全ての投手を最低でも1年に1回は1軍で試していた(以前の記事「森繁和『参謀』―阪神が涙目になる中日の投手王国の仕組み」を参照)。60敗の中には、投手育成のために使われた試合もあるに違いない。

 投手に比べると、野手の育成は難しい。投手の場合は、どんな投手でも1年間ローテーションを守ったり、リリーフを全うしたりするのは容易ではなく、怪我や不振で2軍に落ちることがある。よって、その期間を利用して、若手の育成をすることができる。これに対して、野手はやすやすと戦列を離れることができない。投手は身体に不調のサインが出た場合、無理をするとすぐに選手生命に関わるので、大事をとって休むことが許される。しかし、野手は多少の怪我があっても試合に出なければならない。金本氏のように、骨折しても頭部に死球を受けても簡単には休めない。だから、若手の育成機会は、最初からかなり限られているわけだ。

 負けながらチームを育てると言った落合氏でも、野手に関しては8年間で森野1人しか育てられなかった。ベテラン偏重ではないか?という批判に対して、落合氏は「実力がある者から使うのは当然だ」と反論していた。そのツケが回ってきて、現在の中日は野手の面で苦労している(投手についても苦労しているが・・・)。こういう事情と前例があるから、野手の場合は、投手以上に頭を使って綿密な育成計画を作る必要があると思う。

 現在の阪神を見ると、3年後と言わず、来年にでも顕在化しそうな問題が山積みである。まず、ベテランリリーフ陣のAFKは、おそらくもう先が長くない。JFKに頼りすぎて後継者探しに苦労した過去を繰り返してはならない。先発陣に目を向けると、能見は来年36歳であり、エースの看板を背負わせるのが難しくなる。メッセンジャーは今のパフォーマンスを維持できるか不安が残る。岩田も今は好調だが、もともと波が激しい投手であり、来年33歳になるから、いつまで持つか解らない。仮に3人が来年いっぺんにダメになったとすると、ローテは今年2年目の藤浪とルーキーの岩崎の2人しかいなくなる。20代中盤~後半の投手が複数一気に出てこないと、かなり厳しい。

 野手で一番の課題は、ショート鳥谷の後継者である。阪神は以前から内野の層が薄い。セカンドの西岡、上本が相次いで離脱した際、センターの大和にセカンドをやらせたり、せっかく外野手にコンバートしたばかりの今成をサードに回したりしているぐらいだ。ショートの後継者はいないといっても過言ではない。鳥谷は非常に頑丈な身体をしているが、来年はもう34歳であり、何が起きるかわからない。また、キャッチャーについても、FA選手の獲得で問題を先送りしている状況であり、以前からの懸念事項である矢野氏の後継者問題は一向に解決していない。さらに、外国人のマートン(レフト)、ゴメス(ファースト)に代わる日本人の中距離砲も育てなければならない。
 エルバース:ファガーソンの場合、並外れて攻撃的であると同時に並外れて計画的だった。彼はチームに、勝つための「準備」をさせていた。つまり、残り時間10分や5分、3分でゴールが必要な時にどうプレーすべきか、選手にたびたび練習させていたのである。「形勢が厳しくなった時の練習をしているので、そのような時に勝つためには何が必要かをわかっているのです」とユナイテッドの助監督の一人は我々に語った。
 これも今の阪神に欠けていることだと思う。阪神は広い甲子園を根拠地としながら、なぜか「打ち勝つ野球」を目指しているようである。よって、打線が活発な時は問題ないものの、ロースコアの接戦になると非常に弱いという印象がある。事実、今シーズンの序盤はチーム打率が3割を超えていた時期もあったのに、その後打線が低調になるとさっぱり勝てなくなった。私は、阪神は「守り勝つ野球」に戦略を変更すべきで、そのための練習がもっと必要だと考えている。

 具体的には、ゲーム終盤に僅差で負けているケースで、リリーフ陣はどのような投球をするべきなのか?また、攻撃陣はどうやって1点、2点を泥臭く取っていくのか?上位打線から始まる回ではどのような攻撃を仕掛けるのか?仮に下位打線から始まる場合には、どうやってチャンスを作って上位に回すのか?こういった厳しい局面を打開するための練習を積まなければならない。

 2005年に阪神が優勝した時には、JFKという鉄壁のリリーフ陣に加えて、SHEというもう1つのリリーフ陣がいた。SHEが僅差で負けているゲームでも踏ん張ってくれたおかげで、終盤に逆転した試合がいくつもあった。野球は5試合ものにできるか、5試合落とすかで貯金が10も違ってくる。そして、貯金が10違えば、優勝争いに大きく影響する。

 最近の阪神は、シーズン終盤に失速するのがお決まりになっている。2008年に13.5ゲーム差をひっくり返されて巨人に優勝をさらわれたのは、ファンにとっても思い出したくない出来事だ。2010年も優勝するチャンスがあったのに、終盤の取りこぼしが響いて中日と1ゲーム差の2位に終わった。2009年、2011年にはCS争いで息切れして4位に沈んだ。

 メンタル的な弱さもあるのかもしれないが、私は単にシーズンを通して戦い抜くだけの基礎的な体力が足りないためではないか?と思っている。落合氏は、選手が1年間戦える身体を作るために、春のキャンプを4勤1休から6勤1休に変更した。ペナントレースは6勤1休が基本なのだから、キャンプのスケジュールもそれに合わせるべきだというのが落合氏の考え方である。阪神も、こういう小さなところから改革を進める必要があるような気がする。

 (続く)




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