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ジョセフ・S・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』―二項対立から二項混合へすり寄る米中?
小川榮太郎『国家の命運―安倍政権奇跡のドキュメント』―日本は「仁」の精神で世界の均衡を実現する国家
麻生太郎『とてつもない日本』―国民もソフト・パワーの担い手として政治力を発揮できる

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年02月08日

ジョセフ・S・ナイ『アメリカの世紀は終わらない』―二項対立から二項混合へすり寄る米中?


アメリカの世紀は終わらないアメリカの世紀は終わらない
ジョセフ・S・ナイ

日本経済新聞出版社 2015-09-26

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 ジョセフ・ナイは、国家が国際政治の舞台で発揮するパワーとして、従来のハード・パワー(軍事力と経済力)に加えて、ソフト・パワーが重要であることを指摘した人物である。ソフト・パワーとは、その国の有する①文化、②政治的価値観、③外交政策の魅力などによって国際社会から支持や理解、共感を得ることで、国際社会に対して行使しうるパワーのことである。

 《参考記事(旧ブログ。ジョセフ・ナイの著書だけで随分と書いたものだ・・・)》
 映画や音楽などの大衆文化も外交上の重要なパワー源になる―『ソフト・パワー』
 旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(1)―『ソフト・パワー』(2)
 アメリカが全世界に資本主義を浸透させられる日は本当に来るのか?―『ソフト・パワー』
 「ハード・パワー」「ソフト・パワー」と、両者の橋渡し役「スマート・パワー」の整理―『リーダー・パワー』
 ハード/ソフトのバランスが取れたリーダーシップ論―『リーダー・パワー』
 リーダーのスキルの羅列にとどまらず、「倫理性」にまで踏み込んだ議論を展開―『リーダー・パワー』
 【補足】「偉大なる脅迫者」に関する余談―『リーダー・パワー』
 あれ?「ソフト・パワー」の定義変わりました??―『スマート・パワー』
 新たに追加された「サイバー・パワー」の概要まとめ―『スマート・パワー』
 「パワーの資源⇒活用能力⇒具体的な手段」のモデルに沿った各パワーの整理―『スマート・パワー』
  従来の「ソフト・パワー」は「知的パワー」として再構成できるのでは?(1)―『スマート・パワー』(2)

 本書は、しばしば提起される「中国の台頭によってアメリカの時代が終わるのではないか?」という問いを検討した1冊である。確かにアメリカの力は相対的に下がるものの、中国がアメリカを圧倒する力を持つことはなく(もちろん、中国以外の国がアメリカを圧倒することはありえず)、アメリカの時代はまだまだ続く、というのが本書の結論である。ナイはこの結論を導くにあたって、まず「ヘゲモニー」、とりわけ、1世紀ごとにヘゲモニーが交代するという説を否定する。ヘゲモニーの定義は曖昧であり、またヘゲモニーの交代サイクルが1世紀である必然性はないと言う。

 ナイは、ヘゲモニーの代わりに「卓越性」、「傑出」といった言葉を用いるのが適切だと述べる。ただ、これでは看板を挿げ替えただけなので、もっと正確に定義する必要がある。ナイの議論を読み解くと、卓越性や傑出度合いは相対的な評価と絶対的な評価で決まるようだ。相対的な評価は、アメリカのハード/ソフト・パワーの源泉が他の国よりも豊富であるか、その源泉を実際のパワーに転換する能力が他の国よりも優れているかによる。ナイは、アメリカとヨーロッパ、日本、ロシア、インド、ブラジル、中国を比較し、アメリカが依然として上位であることを示している。

 相対的な評価が他国との比較によって決まるのに対し、絶対的な評価はアメリカ国内のみの評価によって定まる。絶対的な評価とはつまり、国内情勢が悪化、堕落していないかどうか、ということである(ナイによれば、ローマ帝国は絶対的な評価の悪化=国内情勢の悪化によって滅亡したという)。アメリカの政治、社会、経済、文化、教育は、国内外の多くの人が指摘するように、様々な問題を抱えている。しかし、それは今に始まったことではないし、アメリカを致命的に傷つけるものでもない。したがって、アメリカはこれからも当分安泰というのがナイの見立てである。

 本書は学術書ではなく、一般向けの読み物であるから、厳密な分析は意図的に避けられたのかもしれない。本来であれば、アメリカと他国のハード/ソフト・パワーを比較するにあたり、パワーを構成する指標(例えば、経済力ならばGDP成長率、GDPに占めるR&D費の割合、企業の設備投資額、貿易収支、実質賃金の伸び率、消費性向など)を特定し、それぞれの指標について客観的なデータを取得して、各国を同じ土俵で比較すべきであろう。だが、ナイはアメリカが優れていることを示すためにAという指標を用い、ヨーロッパが劣っていることを示すためにBという指標を用いる、といった書き方をしている。この辺りがやや操作的であると感じた。

 また、ナイはアメリカのソフト・パワーを中国のそれよりも過大に評価している印象を受ける。
 アメリカが一定水準のソフト・パワーを維持できているのは、何事に対しても批判的な姿勢を持ち、検閲を受け付けない市民組織があるからである。それは、イラク進攻のように政府がソフト・パワーを台無しにしているようなときでも変わらない。
 アメリカについてこのように述べる一方で、中国についてはこう書いている。
 たとえば、マニラに孔子学校を設立して中国文化を教えることはソフト・パワーを生み出すかもしれない。だが、領有権をめぐって紛糾する南シナ海の島々を中国が占有し、フィリピンを脅かしていることを背景にした動きなら、成功する公算はかなり小さいだろう。中国は近隣諸国に対して領有権の主張を強めている。このことがソフト・パワーの拡大という中国の目標達成をますます困難にしている。
 イラク戦争はアメリカのソフト・パワーを傷つけていないのに、南シナ海の領有権争いは中国のソフト・パワーを損なっているという点が私にはよく理解できない。少なくとも、人的・物的な被害の大きさという意味では、イラク戦争の方がはるかに大きい。それを補って余りあるほどのメリットがアメリカのソフト・パワーにあるのかどうか、ナイは論じていない。仮に、「何事に対しても批判的な姿勢を持ち、検閲を受け付けない市民組織がある」ことがアメリカのソフト・パワーを優位たらしめているとすれば、アメリカの自由主義を理由もなく絶対視していることに他ならない。

 アメリカは建国当初から自由を強く信奉し、これを普遍的価値として世界中に広めることを使命としてきた。だが、自由が普遍的価値とならない国も存在しうることについて、想像力をめぐらせるべきではないだろうか?国家は国土を守り、国民を豊かにするために存在する。そのための方策として自由が選択されるわけだが、あくまでもそれは方策の1つにすぎない。確かに、我々は自由の効用についてよく知っている。しかし、自由以外の道を選択しても国家の目的を達成できるシナリオがもしかするとあるのかもしれない。中国はまさにその挑戦の最中にあり、アメリカとは異質なソフト・パワーを獲得する可能性がある、とは言えないだろうか?

 本ブログでは、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国という現代の4大国は二項対立的な発想が基本だと書いた(アメリカについては以前の記事「『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』」、中国については以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」を参照)。自国は二項対立の一方に肩入れして、もう一方の立場に立つ他国と激しく対立する。ところが、どちらの国も心の底では相手を完全に打ち負かそうとは思っておらず、実は裏でこっそりと相手に賭けるという非常に複雑な外交を展開する。

 他方、日本のように大国に挟まれた小国は、大国のような外交をする能力も資源もない。小国は、二項対立を繰り広げる両大国から、自陣営に入るよう働きかけを受ける。しかし、その誘いに乗って一方の陣営に完全に組み込まれると、大国が倒れた場合に巻き添えを食らって滅亡する危険性がある(当の大国は、小国に黙って裏でもう一方の大国に賭けているので、実は倒れない)。よって、小国が生き残る道は、対立する大国の双方にいい顔をし、両国のいいところどりをしながら、その場しのぎ的に国家を運営することである。これを二項混合的発想と呼ぶ。

 以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」で、中国は二項対立的にも二項混合的にも事象を認識できる可能性を指摘した。本書を読むと、アメリカも近年は二項混合的な把握を試みるようになっているように映る。アメリカがソ連と対立していた頃は、国家間の交流が活発ではなかった。ところが、現在のアメリカは中国と深い依存関係にあり、それは公然たる事実となっている。
 冷戦期にソ連に対して封じ込め策のドクトリンを打ち出した当時は、アメリカとソ連の間の貿易は無視できるほど小さく、社会的な交流もほとんどなかった。今、アメリカは中国と膨大な規模の貿易取引があり、アメリカの大学では約23万人の中国人留学生が学んでいる。アメリカの戦略を封じ込めと呼ぶよりは、中国が適切な意思決定を下す環境を整えるものと表現したほうが正確である。
 アメリカの変化の兆しは、次の言葉に集約される。アメリカは、相手を圧倒する二項対立的な発想に加えて、相手と協調する二項混合的な発想が重要であることを意識しつつあるようだ。
 他者「を」圧倒するパワーを持っているかどうかだけを考えていては、不十分である。他者「と共に」協力し合うパワーを含め、共通の目標を達成する「ための」パワーについても考えなければならない。
 ここからは大胆な仮説。以前の記事「ロバート・D・カプラン『地政学の逆襲―「影のCIA」が予測する覇権の世界地図』―地政学的に見た4大国の特徴に関する試論」で、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国をマトリクス図を用いて分類してみた。大雑把に言えば、アメリカとドイツは資本主義&民主主義の国であり、元々同じ共産主義陣営だったロシア・中国と対立している。

 ところが、前述のように、アメリカと中国は公然と協調する場面が増えている。同時に、実はドイツとロシアも接近しつつある(この点については、三好範英『ドイツリスク―「夢見る政治」が引き起こす混乱』〔光文社、2015年〕に詳しい)。以上の関係をまとめると下図のようになる。これが現代世界の勢力図ではないだろうか?(この図にはさらに、アメリカVSドイツ、ロシアVS中国という関係を加えることができると思われるのだが、これについてはまた別の機会に譲りたい)。

4大国の特徴


2014年04月17日

小川榮太郎『国家の命運―安倍政権奇跡のドキュメント』―日本は「仁」の精神で世界の均衡を実現する国家


国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント国家の命運 安倍政権 奇跡のドキュメント
小川 榮太郎

幻冬舎 2013-06-14

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 前著『約束の日 安倍晋三試論』に続く小川榮太郎氏の最新作。解散を先延ばしにする野田前総理の国会での所信表明を「亡国」と酷評し、挑発を続ける中国に対し弱腰の姿勢を見せる岡田前副総理を「万死に値する」と斬り捨てるなど、民主党への”死体蹴り”は容赦なく続けられる。その文章には、骨肉をどんなに切り刻んでも足りないというぐらいの激しい憎悪がにじみ出ている。そんな国難に際して、まるで天命に導かれるようにして安倍総理が誕生したと、2012年の総裁選、そして衆院総選挙の裏話をドラマティックに描き出している。その中には、政治評論家の故三宅久之氏との知られざる交流も含まれる。

 本書の最後では、安倍総理が世界に対して発信した「日本の戦略的ポジショニング」に言及されていて非常に興味深い。
 安全保障も含め、世界の新たなルールの作り手、海洋という新時代の可能性への水先案内人、そして民主主義や法の支配という価値観による世界秩序の再整理を担うという国家的な野心は、明確に示されたのである。

 これを安倍の個人的な野望だと評するのは間違っている。日本の国力の衰退と国際環境の厳しさを考えた時、逆に我が国はここまで強く、己の国際的なポジションを再定義し直し、それに向けて一丸となってチャレンジしようとしない限り、最早活路はない。
 企業に戦略が必要であるのと同様に、政治にも戦略が必要である。そして、政治的戦略とは、他国とのパワーバランスの中で、自国が自らの強みを活かしながらどのようなポジショニングを取るのかを定めることである。

 日本の強みとは何か?それは、『論語』にある「仁」の精神ではないかと思う。仁とは、簡単に言えば思いやりであり、他人の幸福を祈ることである。そして、日本で仁の精神を最も体現している存在として「天皇」がいらっしゃる。東日本大震災3周年追悼式で、天皇陛下は「被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います」とおっしゃった。まさに仁の精神の表れである。

 日本国憲法には、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定められている。天皇が象徴している日本国および日本国民とは一体何なのかを一言で答えるならば、このような仁の精神であろう。さらに、大日本帝国憲法にまで遡って見てみると、第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の「統治ス」の部分は、原案では「治(しら)す」となっていた。「しらす」とは、『古事記』や『日本書紀』に出てくる言葉であり、「天皇が広く国の事情をお知りになることで、自然と国が一つに束ねられること」を意味する。つまり、仁である。

 仁のあるところには、自ずと信頼が生まれる。そして「信」こそ、孔子が政治において最も重要な要素として挙げたものである。
 子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。

【現代語訳】
 子貢が政治について尋ねた。孔子は、「食糧を行き渡らせること、軍備を整えること、人々との信頼を築くことだ」と答えた。子貢は、「どうしても3つのうち1つを犠牲にしなければならないとしたら、どれを犠牲にしますか?」と尋ねたところ、孔子は「軍備を犠牲にする」と答えた。子貢はさらに、「どうしても残り2つのうち1つを犠牲にしなければならないとしたら、どちらを犠牲にしますか?」と尋ねたところ、孔子は「次は食糧だ。昔から人の死は避けられないものだが、信頼がなければ人間社会は成立しない」と答えた。
 日本は世界で唯一、万世一系の国王=天皇が未だに存在する稀有な国家である。日本がこれほどまでに連続した歴史を維持することができたのは、仁や信といった政治の本質を体現し続けてきたからに違いない。その強みを、国際政治の舞台でも積極的に発揮しなければならない。

 アメリカはグローバリゼーションという名のアメリカナイゼーションを世界中で進めている。中国は軍事費を毎年10%以上増加させており、太古からの理想である中華思想の実現を目指している。ロシアは、ギリシャ正教の教えに基づいて世界の覇権を狙っている。中東のイスラム原理主義者は、反米の姿勢を強めている。これらの国々が衝突するその中心に、日本という国家は存在している。日本は、対立の中に身を置いて、仁の精神で世界の均衡を導かなければならない。

 世界各国が軍事力を増強している中で、仁や信といった精神面に訴える政治はあまりにも弱いと批判されるかもしれない。しかし日本は、アメリカの政治学者ジョセフ・ナイが「ソフト・パワー」という概念を持ち出すよりもずっと前から、ソフト・パワー中心の外交を展開し、世界中から高く評価されてきた。イギリスの公共放送局BBCが毎年行っている「世界によい影響/悪い影響与えている国」の調査によると、2012年は日本が「世界によい影響を与えている国」で1位となった。

 ハード・パワーに頼る政治は、力で相手を押さえつければよいので、ある意味では簡単である。だが、別の言い方をすれば非常に短期的・短絡的な発想であり、相手の遺恨を残しやすい。長い目で見れば、その遺恨が別の政治的課題を発生させるだろう。これに対して、ソフト・パワー中心の政治は、人間の心と心を通じ合わせる必要がある。よって、時間がかかるし非常に難しい。だが、幸いにも日本はそういう政治に長けているのである。今こそ仁の精神でリーダーシップを発揮することが、日本の戦略的ポジショニングとなるのではないか?

 《2016年3月13日追記》
 参考までに。この記事を書いて以来、本ブログでは、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国といった大国が二項対立的な発想をする一方で、大国に挟まれた日本のような小国は、対立する双方のいいところどりをして二項混合的な発想をするのが生き残りの道であると書いてきた。
 国際的な場でこのように存在感を示せていない日本であるが、そんな場で求められている新たな役割がある。それは、平和思考で調和を尊ぶ日本的な特徴を生かして、特定の国家間で真っ向から利害が対立しているような問題に対して、第三者的な態度で仲介をし、調停をするというメディエーターとなることだ。
ケースで学ぶ異文化コミュニケーション―誤解・失敗・すれ違い (有斐閣選書)ケースで学ぶ異文化コミュニケーション―誤解・失敗・すれ違い (有斐閣選書)
久米 昭元 長谷川 典子

有斐閣 2007-09-25

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 よく知られているように、アメリカは訴訟大国である。アメリカの民事訴訟件数は年間約1,800万件であり、日本の7倍以上である。アメリカの人口(3億1,890万人)は日本の人口(1億2,681万人)の約2.5倍であるから、人口10万人あたりの訴訟件数で見ると、アメリカは日本の約17.5倍となる(ただし、アメリカの判決率は僅か3.3%であり、日本の47.4%に比べて低い点は注目に値する。これは、アメリカにおいては、裁判の途中で和解に至るケースが多いためである)。

 紛争を解決する手段としては、裁判のほかにADR(Alternative(Appropriate) Dispute Resolution:裁判外紛争解決手続)がある。やや古いデータではあるが、ADRの件数を日米で比較してみると、1999年の年間ADR受理件数は、日本が約26万件であるのに対し、アメリカは約17万件である(首相官邸「主なADRの利用状況(諸外国比較)」より)。日米の人口の差を考慮すると、日本のADRの件数はアメリカの約3.7倍である。

 アメリカでは弁護士の数も多いことから、まずは訴訟を起こして対立に持ち込む。その後は交渉によって、被告側が「このぐらいの金額は取りたい」と考えるラインと、原告側が「ここまでの金額ならば支払える」と考えるラインを近づけていく。両者のラインが一致すれば和解が成立する。ただ、和解とは言うものの、和解金は法外な金額になることもあり、決して痛み分けという形にはならない。あくまでも勝ち負けがはっきりするのがアメリカの特徴である。

 一方、日本の場合は、訴訟に対する心理的ハードルが高いことから、まずは調停が選択されることが多い(と、私が大学生の時に法社会学の講義で習った)。調停では、一方を完全な悪者にはしない。双方に多少の非があったことを認め合い、今後どのような関係を築くのかを協議して、円満な解決に至る。そのプロセスは二項対立ではなく二項混合であると言える。引用文にあったメディエーターに期待される役割とは、この二項混合を促すことではないだろうか?

 《2016年3月27日追記》
 リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』(ダイヤモンド社、2004年)より、西洋とアジアの紛争解決の方法の違いに関する記述を引用する。本書では、西洋人は交渉の場において、選択肢を二者択一で「選ぶ」のに対し、アジア人は両者の主張を「合わせる」とも書かれている。
 争いのための文章技法の形式は、アジアの法律にも欠けている。西洋の法律のほとんどの部分を占めているのは敵対する者どうしの争いに関するものだが、それらはアジアでは見出されない。もっと典型的なことに、アジアの論争者たちは問題の解決を仲裁人に委ねる。仲裁人に課せられているのは公正な判断ではなく、敵対する者たちの主張の「中庸」を探して憎しみを軽減することである。アジア人には普遍的な原則によって法律上の紛争に対する解決策を見出そうという考えはない。それどころか、抽象的で型どおりの西洋流の正義は、融通がきかなくて冷酷なものだと考える傾向がある。
木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか
リチャード・E・ニスベット 村本 由紀子

ダイヤモンド社 2004-06-04

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2012年12月10日

麻生太郎『とてつもない日本』―国民もソフト・パワーの担い手として政治力を発揮できる


とてつもない日本 (新潮新書)とてつもない日本 (新潮新書)
麻生 太郎

新潮社 2007-06-06

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 自民党・安倍総裁の『美しい国へ』に続いて、麻生太郎氏の『とてつもない日本』も読んでみた。麻生氏が総理になる前の2007年に出版されたものであり、それまで長らく外交に携わっていたことから、本書の半分ぐらいは外交、特にアジア外交に焦点が当てられている。

 今振り返ってみると、ここ20年ほどの総理大臣の中で、米政治学者ジョセフ・ナイが提唱した「ソフト・パワー」の有用性を最もよく理解していたのは、麻生氏だったのかもしれない。麻生氏の外交目的は極めて明確である。それは、「日米同盟の下に、民主主義、自由、人権、市場原理といった、米国と共有する『普遍的価値』を、アジアに広めていくこと」に尽きる。この目的を達成するために、一般的な外交で用いられる軍事力や経済援助(または制裁)というハードな有形手段だけでなく、例えば社会インフラを建設する日本の優れた「技術力」や、麻生氏が大好きなマンガに代表される日本の「文化」といった、ソフトな無形資源も活用したのである。

ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力
ジョセフ・S・ナイ 山岡 洋一

日本経済新聞社 2004-09-14

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 麻生氏の志は、残念ながらわずか1年足らずで閉ざされてしまった。それ以降、民主党政権の下で日米関係は不安定となり、中国、韓国、さらにはロシアも公然と日本の領海・領土を脅かすようになり、日本に「ハード・パワー」を突きつけている。

 特に韓国との関係は複雑だ。麻生氏は本書の中で、韓国を日本と同じ民主主義の価値観を共有する重要なパートナーとみなしている。ところが、日本のマンガやJ-POP、ファッションは韓国で受け入れられているのに、領土問題となると、竹島の実効支配が韓国には通用しない。これは韓国の立場から見ても同じで、(電通のおかげで、特にフジテレビ相手に)韓国のドラマや音楽を輸出することに成功したにもかかわらず、大統領が独島を訪れれば、日本は黙ってはいない。つまり、ハード・パワーとソフト・パワーのねじれ現象が起きていると言える。そして、このねじれに対する最適解を持った政治家は今のところいなさそうだ。

 先ほど挙げたナイは、外交にはハード・パワーとソフト・パワーの両方が必要であるとし、両者を合わせて「スマート・パワー」と呼んでいる。そして今後の世界では、スマート・パワーを行使するリーダー、すなわち「スマート・リーダー」がますます重要になると説く。私は自民党からスマート・リーダーが登場することを多少は期待しているし、我々国民もまた、スマート・リーダーの一部を担う責務がある。なぜならば、技術や文化は国家が意図的に発信するというよりも、民間が市場原理を通じて外国市場へと広めていくのが自然な形だからである。

スマート・パワー―21世紀を支配する新しい力スマート・パワー―21世紀を支配する新しい力
ジョセフ・S・ナイ 山岡 洋一

日本経済新聞出版社 2011-07-21

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