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斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2015年02月09日

斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル<実践編>』―企業内のこじれた人間関係を修復するヒントが得られた


「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉 (ちくま文庫)
斎藤 環

筑摩書房 2014-06-10

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 本書では、ひきこもりの原因を主に「コミュニケーションの欠如」に求めている。よって、その解決策は自然とコミュニケーションを円滑にするための方法が中心となる。最近、企業でもコミュニケーション不全がよく問題になるが、本書は家族内だけでなく、企業内の人間関係を改善するヒントにもなるように思えた(さすがに、家庭内暴力などの部分はひきこもり固有の問題だが)。
 聴き方の原則論としては「話している間はけっして遮らない」「結論が見えていても、それは本人に言わせる」「反論があっても、それを本人から求められない限り沈黙を守る」「いい加減な態度で聴かない」「家事をしながら、テレビを見ながら、といった、”ながら聴き”はしない」「誠実な態度で、相槌を打ちながら耳を傾ける」ということが大事になります。
 「家事をしながら、テレビを見ながら」の部分を、「資料を読みながら、メールを打ちながら」などと書き換えれば、そのまま企業内のコミュニケーションにもあてはまる。
 極論ですが、治療者としての私は、会話以外のものはコミュニケーションの名に値しないと考えています。電話、メモ、メールなども一応はコミュニケーションですし補助的な効果はありますが、会話に比べたらずっと影響力は少ないからです。
 現在では様々なITツールが発達しているが、ITを導入すればコミュニケーションが活性化するというのは大きな間違いである。何年も前の話になるが、コミュニケーションの活性化を図って、社内ブログや社内SNSを導入しようという動きがあった。だが、実際に効果があったのは、「既にある程度リアルのコミュニケーションが活発に行われている企業」であった。普段の対面コミュニケーションに問題がある企業では、社内SNSなどを導入しても書き込む人がおらず、すぐに使われなくなってしまった。結局、ITは対面コミュニケーションの補助的な役割しか果たせない。

 顧客のニーズをよく理解するためにソーシャルメディアを活用する場合も全く同じである。普段から顧客と頻繁に接して顧客の生の声に触れている企業がソーシャルメディアを活用すれば、ニーズの深掘りができるだろう。そうではなく、営業やアフターサービス、コールセンターなどの顧客接点機能が弱い企業がソーシャルメディアを導入しても、大した効果は得られないと諦めた方がよい。そういう企業は、まずは顧客接点で働く社員の能力向上などに投資するのが先決である。
 「コミュニケーションの変化」は、まずご両親の間からなされなければならないということです。ご両親がそれぞれ、てんでにご本人と会話する機会を持っていたとしても、それでは不十分です。
 上司と部下とのコミュニケーション不全に悩んでいるマネジャーは多いと思うが、ここで私が問いたいのは、「部下とコミュニケーションをとる前に、マネジャー同士が十分に意思疎通を図っているか?」ということである。私の前職の企業は、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」からもお解りいただけるように、社内が常にギスギスしていた。精神疾患や、ストレスに起因する病気にかかった社員が2割ぐらいいた。私も何とか頑張っていたのだが、体調を崩して一時期休職していたことがある(その点では、会社に迷惑をかけてしまった)。

 だが、何分ベンチャー企業で人手不足のため、私が担当していた仕事を代わりにできる社員がおらず、休職中も普通に働いていた。これでは休職している意味がないので、職場に復帰させてほしいと当時の社長に訴えた。すると、驚くべき答えが返ってきた。「君が休職した後、残った社員同士の仲が悪くなってしまった。だから、復職するのであれば、君の方から社員とコミュニケーションを取って、人間関係を修復してほしい」 1つつけ加えておくが、「残った社員」というのは全員私よりも年上で、1人を除いて管理職のポストにあった。

 そんな彼らのコミュニケーションがおかしくなった責任を、私に転嫁させるのは全く納得がいかなかった。マネジャー同士のコミュニケーションの問題は、マネジャー同士で解決するのが筋ではないだろうか?その姿勢を見せてくれたら、私の方からも彼らに働きかけができるようになるはずだと主張したが、当時の社長は聞く耳を持ってくれなかった。
 よく無害な質問のつもりで親御さんが「あなたは本当に何がしたいの」と聞くことがありますが、これは非常に本人を傷つけます。理解ある、開かれた態度のようでありながら、実はご本人を追い詰めるだけの質問だからです。そもそもひきこもっている最中に、将来の具体的な目標など、持てるはずもありません。
 ただ「どうして?」「どういうこと?」と尋ねるだけでは誠実な対応とは言えません。原因の究明をご本人に丸投げしてしまうのでは、いくら誠実に耳を傾ける姿勢があったとしても十分とは言えないのです。
 数年前から「対話(ダイアローグ)」という手法が注目されていて、将来のビジョンや、企業が抱える大きな経営課題について、経営陣と社員が一緒になって考えようとする企業が増えている。ここで、コーチングなどをかじっているマネジャーがいると、つい社員を質問攻めにしてしまう(旧ブログの記事「上辺だけのコーチングが空回りする5つのシチュエーション」を参照)。

 コーチングはアメリカ、すなわちキリスト教圏で生まれた手法である。キリスト教では、個人はその人の人生のゴールを完全な解の形で内包した状態で生まれると考えられる。もちろん、生まれたばかりの本人はその解の内容を知らないわけで、人生とは、長い時間をかけて自助努力でその解を発見し、現実のものにするプロセスであると考えられる(以前の記事「内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った」を参照)。よって、コーチングというのは、相手が生来的に持っている完全な解を引き出すのを手助けすることである。

 一方、日本の場合はそういう考え方をしない。むしろ、誰もが不完全で流動的な解しか持ちえないというのが前提である。加えて、自分が持っている解の内容を自力では知ることができず、必ず他人の力を必要とする。不完全で流動的な解を持つ自分と、同じく不完全で流動的な解を持つ相手が対峙し、自分と相手はどういう点で考え方が似ているのか、あるいは違うのかを、まわりくどいコミュニケーションの積み重ねで明らかにしていく。そういう作業を通じてようやく、自分が持っている解の一部を知ることができる。それでもその解は固定的ではないから、常に様々な他者との交流を持っていなければ、自分を保つことができない。

 抽象的な話になってしまったが、先ほどの引用文の話に戻ると、親は子どもを質問攻めにするのではなく、「お父さん(お母さん)はこう思うのだけれど、あなたはどう思うの?」と、まずは自分の見解を提示した上で、相手の考えを促すのが望ましい。企業においても、マネジャーは部下の見解を知りたければ、まずはマネジャー自身の考えを明らかにするべきである。

 もちろん、上下関係が影響するので、子どもや部下が親やマネジャーに遠慮して、迎合的な意見しか述べない可能性はある。だが、むやみに質問攻めにして、全く回答が得られないよりは、少なくとも言葉のキャッチボールが成立している点では評価できるのではないだろうか?
 (子どもが親のお願いに)応じてくれた場合は、必ず「ありがとう」とお礼を言うだけではなく、してくれたことをきちんと評価していただきたい。
 日本はおもてなしのサービスが発達しているせいか、どこへ行ってもお客様が店員から「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言われる。そのため、「お礼を言う人=お金をもらう人」という図式が知らず知らずのうちに成立している。本来であれば、お金を払った人も、自分が受けたサービスに対して、ちゃんとお礼を言うべきではないだろうか?

 企業で言えば、お金=給与を払うのは経営者であり上司であるから、部下が仕事を完成させても、お礼を言うのはもっぱら部下の方であり、上司が部下にお礼を言う機会が減っている気がする。上司にとってみれば、「自分には指揮命令権があり、部下が自分の指示で仕事をするのは当然だ」という思いもあるだろう。しかし、上司も部下にちゃんとお礼の意を示すことで、社内のコミュニケーションがぐっとよくなるのではないかと思う。仕事をしても何の反応もない職場より、お礼を言ってもらえて「報われた」と思える職場の方がいいに決まっている。

 やや話は逸れるが、私も日常生活の中で、「お金を払っている立場だから特にお礼を言わなくてもいいだろう」という考えは捨てなければならないと反省した。カフェや飲食店で頼んだメニューが出てきたらお礼を言い、コンビニやスーパーで会計が済んだらお礼を言い、自宅に宅急便で荷物が届いたらお礼を言い、病院で診察が済んだらお礼を言い、薬局で薬を出してもらったらお礼を言い・・・ということを心がけたい。




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