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フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)
中根千枝『タテ社会の人間関係』―「年功序列型タテ組織」が見せる意外な柔軟性

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)

2016年03月21日

中根千枝『タテ社会の人間関係』―「年功序列型タテ組織」が見せる意外な柔軟性


タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 以前の記事「『戦略人事(DHBR2015年12月号)』―アメリカ流人材マネジメントを日本流に修正する試案」で、実は日本の年功序列(終身雇用ではない)が最も公平な人事制度ではないか?と書いた。本書は、日本の年功序列に代表される「タテ社会」を分析した1冊である。著者はまず、社会を「資格の社会」と「場の社会」という2つに分ける。資格の社会とは、同じ資格を有する者が集まる社会である。ここで言う資格とは、氏、素性、学歴、地位、職業、資本家、労働者、地主、小作人、男、女、老人、若者といった属性のことである。他方、場の社会とは、資格の違いを問題にせず、同じ地域や組織などの空間にいることを重視する社会である。

 どんな社会でも、構成員同士の一体感を高めることが重要となる。資格の社会においては、「同じ資格を有している」という事実が一体感を醸成する。よって、水平的なつながりが強くなる。著者はこれを「ヨコ社会」と呼ぶ。一方、場の社会においては、資格のような共通項がない代わりに、情緒的なつながりが重視される。情緒的なつながりは、他のメンバーと一緒にいる時間が長いほど強くなる。したがって、場の社会では必然的に年功序列の「タテ社会」となる。つまり、その場により長くいる人が、それ以外の人よりも上の立場に立つことができる。

 タテ社会とヨコ社会の違いについて、著者は1つ面白い指摘をしている。ヨコ社会=資格の社会では、1人の人間が有する資格は1つとは限らない。複数の資格を有する人は、複数の組織に所属できる。ある組織ではマネジャーとして働き、別の組織では研究者として働く、といった具合だ。著者は、イギリス、イタリア、中国などでこのような傾向が見られると指摘する。

 これに対して、タテ社会=場の社会では、他のメンバーと長い時間を共有することがカギとなる。だから、自分の有限な時間をわざわざ分割して複数の組織に振り分けるメリットがない。日本では、1人の人間は原則として1つの企業にしか所属できない。日本では副業に対する風当たりが強いのも、そのためであろう。私は、組織社会から外れて個人で仕事をしているのだが、色々な組織とパートナー関係を結び、複数の名刺を持っている。しかし、名刺を何枚も相手に渡す時には妙な気まずさを感じる。これは、タテ社会の慣習に反しているからに違いない。

 ヨコ社会とタテ社会のこうした違いは、歴史的背景も影響していると著者は言う。中世の西欧では、主従関係が必ずしも臣下を無制限に束縛せず、同時に2人や3人の主君に仕えることが可能であった。だが、日本には「二君にまみえず」という言葉があるように、特定の主君に仕えるのが理想であり、複数の主君に同時に仕えるのは武士道の精神に反するとされた。

 (※)余談だが、「二君にまみえず」という論理を使ってキリスト教を批判したのが江戸時代の政治家である新井白石である。キリスト教は、個人が神に直接仕えることができると教える。ところが、当時の日本では子は親に仕え、親は地域の長老に仕え、地域の長老は武士に仕え・・・という垂直的な関係が理想であった。そこにキリスト教を持ち込めば、子は親と神の両方に仕える必要があり、社会構造が崩壊すると危惧したのである。

 ヨコ社会では、同じ資格を持っていさえすれば、たとえ相手の素性がよく解らなくてもネットワークに参加できる。西欧や中国、インドはこういう社会である。華僑や印僑が世界中で活躍しているのも納得がいく。「華僑」、「印僑」であることが、同じ資格の保有者であることの証となる。また、西欧人はすぐにインターネットを使ってビジネスマッチングを行う。相手が見えないことに対して、さほど心理的抵抗がないらしい。ここでも、同じ「事業家」、「商売人」という資格が効力を持つ。しかし、タテ社会の日本は、直接的でウェットな人間関係がものを言うから、インターネットでのマッチングは機能しにくい。私の仕事に関係した話をすると、国や自治体は現在、中小企業のビジネスを活性化させるためにマッチングサイトを乱立させている。だが、日本は人づての直接的な紹介で仕事が回る社会なので、めぼしい成功例はほとんど聞いたことがない。

 (※)余談その2。海外の展示会に出展すると、「御社のHPを見た。御社の製品を是非我が社で販売させてほしい」とブースにやってくる人がいるそうだ。この話から得られる教訓は2つある。まず、海外の企業は日本企業のHPをよく研究している。日本企業の素性が解らなくても、同じ「事業家」という資格を持っているなら信頼しようということなのだろう。もう1つは、海外の展示会では具体的な商談が行われるということだ。ブースを訪れる人は決裁権限を持っていて、その場で契約をまとめようとする。決裁権限を持たない担当者レベルの人間が情報収集のためにやって来る日本の展示会では、出展企業側もブースに決裁権限者を置かないことが多い。そのため、海外で日本と同じ対応をして、大きなチャンスを逃していると聞く。

 タテ社会の場合、ヨコの同類は敵となる。企業内では同期や隣の部署と激しく競合する。企業間では、「あの企業がAという製品を出したならば、我が社はA’という製品を出そう」といった具合に、似たような製品をフルラインで揃えて勝負する。欧米では各社が自社の強みに特化して差別化が成立するのに、日本ではどの企業の戦略も同質化するのはこのためだと著者は分析する。また、水平的な合併は対等な関係にならず、主従の関係を生じるとも言う。

 ただ、この点に関して、個人的には異なる見解を持っている。確かに、日本企業には激しい社内競争も部門間の対立もある。競合他社がまるで裏で口裏合わせでもしたかのように、皆似たような製品・サービスを出すことも多い。だが、同時に協調的な行動もたくさん観察されると思う。同期との関係は定年まで続くと言われるし、ゼネラリスト育成の目的で行われる定期的なジョブローテーションが部門間の情報共有や連携を促している。

 企業の外部に目を向けると、日本の業界団体という存在が、時に競合他社同士を協業へと導く。もちろん、欧米でも、市場の黎明期においては、各社が結束して技術標準を確立し、市場の拡大に力を注ぐ。だが、一旦市場が成立すれると、各社は一転して激しい競争関係に転じる。この点、日本の場合は、市場が成熟した段階でも、自社の組織能力を補完するために、競合他社との間で部品や技術、さらには経営ノウハウを融通し合うといった動きが見られる。著者は垂直的な関係を重視するあまり、水平的な関係をやや軽視しているように感じた。


 《2016年5月1日追記①》
 ジョブローテーションに関して1つ追記すると、明治時代初期には省をまたいだ人事異動が頻繁に行われていたそうだ。しかし、大正時代になると学歴重視になってしまったという。
 明治時代に官僚制度が整えられた当初は、そうではなかったんです。農商務省から突然、外務省へ移るとかそういうふうな異動すらあったのに、明治も末頃になると、東京帝大法学部を首席で出た奴がどうなるというコースがある程度確定してくる。本来、経験が人間をつくっていくのに、経験を無視して成績だけで判断していくという時代に対象からなっていくんです。そして、そういう連中が各省の次官や局長クラスになり、官僚国家になっていったんです。
(伊藤隆、猪瀬直樹「日本近代国家論 坂の上の雲の向こうに何を追ったのか」)
正論2016年5月号正論2016年5月号

日本工業新聞社 2016-04-01

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 《2016年5月1日追記②》
 日本では業界団体を通じて日常的に競合他社と接触することが容易であるが、海外ではそうはいかないケースが多い。経済産業省『中小企業のための海外リスクマネジメントマニュアル』によると、アジア諸国の中には、同業他社との非公式な会合に参加するなどして同業他社と接触することを制限している国がある。日本でも公正取引委員会が同業他社との接触を制限するルールの策定をを試みているが、相も変わらず業界内で同時に類似の新製品が販売されたり、値上げが行われたりするところを見ると、日本における規制は難しいと感じる。


 年功序列的なタテ社会は、年齢で全てが決まるため、非常に硬直的に見える。ところが、著者によれば、上下のモビリティは意外と大きいと言う。江戸時代から現在までの農村の家々の興亡を調べると、3代以上続いて上層を占め続けたというのは少なく、5代以上となると例外に近くなるそうだ。年功序列とは、年齢が上がれば能力が必ず上がると信じ、あらゆる人に上位ポストへの可能性を開く仕組みだと言える。どの人も年齢によって上の地位まで上り詰めるが、その地位はその人が生きている間に限って有効である。先代の地位は次の若い世代になるとリセットされる。代わりに、次の若い世代には再び下からよじ登るチャンスが与えられる。むしろヨコ社会の方が、資格に固定されて上位層へ上昇できない固定的な社会かもしれない。

 普通に考えると、タテ社会よりもヨコ社会の方が人間関係がフラットで、自由に議論できるように思える。実際に著者も、ヨコ社会においては下の資格の者が上の資格の者に意見することができると述べている。しかし、私が聞いた話では、アメリカやドイツなどでは、上司に意見することはタブー視されている。上司の権限を踏みにじる行為であるからだ。欧米企業では、トップダウン以外の指揮命令系統はあり得ない。フラットなヨコ社会に隠れて、実は強烈なタテ社会が裏に埋め込まれているのかもしれない。最近は現場社員の声を重視すべきだという主張も見られるようになったが、そのためには現場に権限移譲をし、ピラミッドの組織図を逆三角形にする必要がある。欧米社会では、命令はあくまでも上から降りてくるものとされているからだ。

 一方、日本企業にはミドルアップダウンという言葉がある。ミドルマネジャーが部下に命令すると同時に、上司にも意見を述べる。この特異性を著者も認めている。A―Bという人間関係がある場合、BはリーダーAに「介入」し、Aを「自由自在に動かす」ことができると言う。これは、本ブログで山本七平の言葉を借りて「下剋上」と呼んだ現象である(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 冒頭で述べた通り、ヨコ社会とは共通の資格を重視する社会である。そして、たいていの資格には一定の思想が反映されている。よって、同一の資格を貫く絶対的な思想が生まれやすい。例えば、個人には宗教が、資本家には資本主義が、労働者には社会主義が、女性にはフェミニズムが存在する。どの資格=思想も自らを絶対視するあまり、異なる資格=思想との間で激しい軋轢を生じる。これが、ヨコ社会の決定的な弱点となっている。ヨコ社会では個人が複数の資格を保有することができる、つまり複数の思想を持つことができるはずなのに、実際には特定の資格と紐づいた特定の思想に拘泥し、他の思想を排撃するという矛盾が生じる。

 他方、タテ社会は様々な資格を有する者を人間関係によってつなぐ社会である。だから、絶対的な思想が生まれようがない。どの組織も多様なタテ関係を包含した複雑なものになる。著者はこれを「相対的原理」と呼ぶ。確かに、著者が指摘するように、あるタテ関係は別のタテ関係と競合する。しかし、前述のように、私自身は競合関係よりも協調関係の方が多く見られるのではないかと考えている。だからこそ、組織内の相対性が担保される。年功序列という言葉には、どうしても硬直的なイメージがつきまとう。ところが、つぶさに見てみると、タテ方向は決して単線的な上方向の矢印だけとは限らないし、ヨコ方向にも緩やかな連帯があって多様性を生み出している。年功序列を軸とした組織は、意外と柔軟性に富んだ仕組みなのかもしれない。




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