2013年07月14日
【ベンチャー失敗の教訓(第26回)】管理職の肩書と実態の乖離(名ばかり管理職の増殖)
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前回の記事「【第25回】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド」を読んで薄々気づいた方がいらっしゃるかもしれないが、3社ともマネジャー以上のクラスの人数が多すぎた。前回の記事では、Z社のシニアマネジャーを4人紹介した。もちろん、シニアマネジャーの下にマネジャーもいたし、X社、Y社にもシニアマネジャーやマネジャーがいた。さらに、シニアマネジャーの上には、当然のことながらA社長、B社長、C社長といった経営陣が控えている。3社合わせて最も社員数が多かった時でも50人ぐらいしかいない小さなグループ企業にもかかわらず、管理職と非管理職の割合は1:2ぐらいになっていた。しかも、マネジャーよりシニアマネジャーの方が多いという、いびつな組織構造になっていた。
コア・コンピタンス経営で知られるゲイリー・ハメルは、管理職と非管理職の割合が1:10でも管理職は多すぎであり、管理職の人件費が経営を圧迫すると警告している(旧ブログの記事「マネジメントの究極の目的はマネジャー職をなくすことかもしれない―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』」を参照)。また、ピーター・ドラッカーは、半世紀近くも前に著書『現代の経営』の中で、マネジャーは10人を超える部下をマネジメントできないという古くからの「スパン・オブ・コントロールの原則」を克服すべきだと主張した。ドラッカーは、組織に目標管理とセルフマネジメントの文化が根づいていれば、マネジャーは100人の部下でもマネジメントできると説いた。
なぜ、3社の管理職はこんなに多かったのか?そして、なぜシニアマネジャーの方がマネジャーより多いというおかしな構造になっていたのか?Z社は、あるコンサルティングファーム出身者を重点的に採用していた。ターゲットとなったのは、そのファームのマネジャー層である。彼らを採用して、Z社内ではマネジャーより1つ上のシニアマネジャーに据えたのだ。例外的に、コンサルタントを採用した場合でも、やはり1つ上のクラスのマネジャーとしていた。どうして転職しただけで役職が1つ上がるのか、そのファームの出身者ではない外様の私には全く理解できなかった。
X社も、営業担当者や講師を採用する際、前の会社で管理職層に就いている人を中心に採用していた。そして、前職と変わらないポストを用意していたため、管理職層が膨れ上がっていた。例えば営業チームは、シニアマネジャーが2人、マネジャーが2人で、非管理職は1名だけという、極めて歪んだ構成になっていた。ほどなく非管理職の1名がリストラされたことにより、営業チーム全員が管理職という異常事態に陥ってしまった。講師業務と研修サービスの開発を担う講師&開発チームも似たようなもので、シニアマネジャーが1人、マネジャーが2人、非管理職が2名(うち1名が私)という構成が長く続いた。
管理職層がたくさんいても、彼らはマネジメントを行っていたわけではない。一般の事業会社に置き換えれば、マネジャーは課長、シニアマネジャーは部長に相当する。Z社の職務規定によると、マネジャーは個別のコンサルティング案件の開拓とプロジェクトマネジメント、コンサルタントの育成を担当することになっていた。また、シニアマネジャーは部下である個々のマネジャーを支援し、コンサルティング事業全体の数字に責任を持つものとされていた。
だが、実際にシニアマネジャーたちがやっていたのは、結局はマネジャーやコンサルタントの業務であり、誰もコンサルティング事業の数字に対して責任を負っていなかった。彼らの関心は、自分がどれだけ売上を上げたかというその1点だけであった。私は、Z社のあるシニアマネジャーと仕事を一緒にする機会があったのだが、クライアントから、「○○さん(=シニアマネジャー)の役割は一言で言うと何なのですか?」と聞かれた時、そのシニアマネジャーが言葉に詰まりながら、「課長のようなものですかね?」と答えたことにひどく落胆した覚えがある。
X社についても、本来ならば、営業チームのシニアマネジャーは営業全体の数字に責任を持ち、マネジャーは各自が担当する特定のサービス領域の数字と部下の育成に責任を持つべきだった。また、講師&開発チームのシニアマネジャーは講師全体の稼働率に責任を持ち、研修サービス全体の品質の底上げ・平準化を行うべきだったし、マネジャーはそれぞれが受け持つ特定の研修サービスについて担当講師を育成し、サービス改善を行うべきであった。しかし、理想とは裏腹に、どちらのチームも管理職が自ら営業をし、自ら講師を務め、自ら研修コンテンツの開発を行っていた。いわば「名ばかり管理職」だらけになっていた。
人材の採用にあたっては、まずは自社が中長期的に目指す戦略やビジネスモデルをデザインし、その戦略の実現に必要な人材のタイプと人数を人材要件として明確にしなければならない。そして、現有社員の育成により、その要件を満たせるようにする。どうしても内部育成だけでは足りない場合には、外部から相応の人材を採用する。このようなステップを踏むものである。ところが、3社ともこうしたプロセスをすっ飛ばしていい加減な採用を行っていたために、管理職ばかりの頭でっかちな組織ができ上がってしまったわけである。
管理職層が多い割には、全体の数字に責任を持っている人が一人もおらず、皆が個別最適に走っていた。また、管理職自らがプレイヤーとして仕事をしていたこともあり、部下の人材育成がなおざりになっていた。これが、採用や人材育成が専門だと言い張っていた会社の実態である。
ある時、Z社のシニアマネジャーが、「営業活動をする時に、肩書が『シニアマネジャー』では、クライアント側の窓口担当者の役職との釣り合いが取れないから、『ディレクター』にしてくれ」とC社長に注文をつけたことがあった。確かに、外資系企業では若くして重責を担うことが多く、クライアント側の担当者の役職との格を合わせるために、上位の役職名をつけることがある。
しかし、ディレクターと言うと、一般の事業会社では、部長よりさらに上の事業部長クラスに相当する。シニアマネジャーの仕事が事業部長に相当するものだったとは到底思えないし、営業活動がスムーズに進まないのを役職名のせいにするのは本質的な議論ではない。にもかかわらず、数日後にはシニアマネジャーがディレクターに改められ、新しい名刺が作られていた。問題の本質はそこではないと思ったのは私だけではなかったはずだ。
(※注)>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング