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神崎繁『フーコー―他のように考え、そして生きるために』―「疎遠なるもの」に自己を変容させて到達する姿勢を経営学にも適用できるか?
小林秀雄『考えるヒント(2)』―デカルトは「コモンセンス」の祖か、「全体主義」の祖か?
『人間という奇跡を生きる(『致知』2015年12月号)』―無限性に近づく西洋、無限性を畏れる日本

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年01月05日

神崎繁『フーコー―他のように考え、そして生きるために』―「疎遠なるもの」に自己を変容させて到達する姿勢を経営学にも適用できるか?


フーコー―他のように考え、そして生きるために (シリーズ・哲学のエッセンス)フーコー―他のように考え、そして生きるために (シリーズ・哲学のエッセンス)
神崎 繁

日本放送出版協会 2006-03

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 最初にこの本を読んだ時は全く理解できなくて、別のフーコー入門書を2冊読んだ後にもう一度チャレンジしたのだが、やはり十分には理解できなかった。120ページぐらいの薄い本なのに、デカルト、カント、ヒューム、サルトル、ハイデガー、フッサール、ニーチェ、メルロ=ポンティ、デリダなど様々な哲学者が登場するため、予備知識に乏しい私にはハードルが高かった。それでも、私なりに整理できたことを記事にしてみたいと思う。

 《参考記事(ブログ別館)》
 重田園江『ミシェル・フーコー―近代を裏から読む』―近代の「規律」は啓蒙主義を介して全体主義と隣り合わせ
 中山元『フーコー入門』―「生―権力」は<悪い種>だけでなく<よい種>も抹殺してしまう

 我々が外界の事物をどのように認識するかについて、哲学者がどう考えたかについて見ていきたい。まずはデカルトである。デカルトは方法的懐疑という手法を用いて、あらゆる認識を疑った。そして、疑っているという自分が存在することだけは疑いようのない事実であることから、かの有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を導き出した。

 デカルトは啓蒙主義の先駆けである。啓蒙主義とは、端的に言えば理性を絶対視する立場であり、先ほどのデカルトの言葉はこれをよく表している。その理性に対して、外界の事物はストレートに飛び込んでくる。理性が事物を表象する時、理性の中に埋め込まれた観念を組み合わせてイメージを形成する。逆に言えば、あらゆる事物は必ずいくつかの基本的な観念に分解できるということである(要素還元主義)。ここで、あらゆる事物の原因となる基本的な観念はどこから来たのかという問題が生じるが、デカルトはそれは神が仕込んだのだと答える。これがデカルトによる神の存在証明である。神がインプットした観念を組み合わせて表象するのだから、誰が(どの理性が)事物を表象しても、必ず同じようにイメージされる(以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」を参照)。

 デカルトの哲学が経験主義を下地とした唯物論であるのに対し、カントの立場は観念論と呼ばれる。デカルトは理性を絶対視したが、カントは経験や理性の限界を認める。デカルトにおいては、事物の無限な観念を人間の理性が持つことの根拠として神の存在が前提とされた。他方、カントにおいては、一方で理性が自らの経験の限界を設定することで自ら従うべき法則を課す自律性を確保しながら、同時にそうした経験を可能にする根拠を自らのうちに持つ必要が生じた。デカルトは認識の主体である身体や感覚まで方法的懐疑によって退けてしまったが、カントは認識の主体である人間を必要とした。そしてこの人間は、事象を見るのと同時に、自分自身を見ている。ただ、限定された理性が対象を見ていると同時に、自分自身も見られているという時の表象が各人にとってどんなものなのか、私もこの文章を書きながらよく理解できていない(汗)。

 デカルトもカントも、外界の事物が理性に飛び込んでくるという点では共通していたが、フッサールはこれとは異なる見解を示した。フッサールは、理性の方が外界の事物に向かって働きかけるというもう1つの矢印を想定した。フッサールは文の成立過程について考察を行っている。例えば私がペンを見た時、まずは「知覚の志向性」が働く。ペンの一部を見て、おそらくこれはペンであろうという認識を持つ(この段階ではまだ文にはなっていない)。部分的な経験から事物全体へと向かうことを可能にするものを、フッサールは「質料」と呼ぶ。次に、「これはペンである(これはペンであれかし)」という「信念の志向性」が現れる。そして最後に、「これはペンである」という文が発せられる(以前の記事「門脇俊介『フッサール―心は世界にどうつながっているのか』―フレーゲとフッサールの違いを中心に」を参照)。

 外界の事物がストレートに理性に飛び込んでくるという点をもっと深く掘り下げたのがメルロ=ポンティとサルトルである。メルロ=ポンティは、外界の世界も意味を持ち、それを再分配するのだと言う。ある時、私が森の中を通って海岸まで通じる道を歩いていたとする。私の周りの木々はどれも真っ直ぐに伸びている。だが、遠方に1本だけ、幹が斜めになり、葉の色が変色しているように見える木がある。おそらく枯れ木だろうと私は考える。しかし、私が海岸に近づくにつれて、枯れ木のように見えていたものが、実は随分昔に座礁した難破船であることが解った。

 通常は、私が最初に難破船を枯れ木と見間違ったのは、私の記憶の中に、私が今まで見てきた枯れ木の映像があり、私が見たものがそれと合致したからだと考える。その見解を改めたのは、私が海岸に近づくにつれ、船のマストらしきものが見え、幹に見えたものが船の先端であったことに気づいたからである。こうして部分的な情報を総合した結果、枯れ木に見えたものが実は難破船だったと判断することになる。ところが、メルロ=ポンティはここで「ゲシュタルト」の概念を持ち出す。ゲシュタルトにおいては、全体は要素の総和ではなく、むしろ各要素の感覚的な値自体が、全体におけるその機能によって規定されており、また、その機能とともに変化する。

 私が枯れ木から難破船へと認識を改めるのは、部分の知覚が総合へと至るからではない。個々の部分が連合され、全体の意味が再構築されるのではない。風景の全体が変容することで、部分の知覚が意味を変える。全体から部分へと意味が再分配されて、全体の意味とともに部分の意味が共変する。連合ではなく、配分が問題なのであり、ここにおいて「世界の相貌」が一変する。これを私なりに解釈すれば、私が風景に対して意味を与えるのではなく、風景自体が全体として意味を持っており、それが時に応じて部分に対して意味を再分配する、ということである。そして、メルロ=ポンティは、意味が流れ出る現場に立ち会う必要があると述べている(以前の記事「熊野純彦『メルロ=ポンティ―哲学者は詩人でありうるか?』―意味は「感覚されるもの」と「感覚する者」の「交流」によって生まれる」を参照)。

 サルトルは、「眼差し」について考察を行っている。他者への眼差しは、その他者を対象化することによって、本来それ自体も「対自存在」、つまり意識的存在として自由なあり方をしているはずの他者を「即自存在」、すなわち事物と変わらない扱いをすることになる。だが、このことは翻って自己自身にも現に生じていることであり、眺めているということは、眺められているということを意味する。こうして、サルトルは、自己の自由というあり方が、他者の眼差しによって不意打ちを受けて逆転することから生じる疎外感や羞恥心を、自己の本質的構成要件と考える。つまり、自己は本質的に「対他存在」である(サルトルの主張も私はまだよく理解できていない)。

 さて、理性との関係でもう1つ問題になるのが、感情の位置づけである。伝統的なストア派は、理性と感情は対立しないという立場をとった。フーコーは(ここでやっとフーコーが出てきた)、デカルトが理性から狂気を排除していると指摘する。だが、デリダは逆に、デカルトは理性から狂気を排除していないと主張をしており、2人の間で論争が繰り広げられている。デカルトにおける感情の扱いが揺れるのは、『情念論』では理性と感情が両立するかのように書かれているのに対し、『省察』では理性から感情が排除されているかのように記述されているためである。

 フーコーは、死、狂気、逸脱、異常といった限界概念を経験の基点とした。自らに疎遠なものに敢えて挑んで自らのものとする、しかも自らを変えずに疎遠なるものを同化するのではなく、自らの変容を通じて、どこまで到達し得るかという限界を見極めようとした哲学者であった。

 私は、経営学やビジネスの現場で用いられる理論が、近代哲学を後追いしていると感じる時がある。例えば、ロジカルシンキングでお馴染みのMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive:漏れなく、ダブりなく)とは、ニュートンやデカルトの言う要素還元主義のことである。カリスマ的な強いリーダーシップによって組織の価値観を統一し、変革を進めるという手法は、唯物論的な世界観を前提としている。また、意思決定の局面においては、まずは考え得る選択肢を全て洗い出し、冷静に時間をかけて検討を行えば必ず最善の解に行き着くと信じられているが、これはまさに啓蒙主義時代の代表的な考え方そのものである。

 しかし、社会は企業活動だけで成立しているわけではない。企業活動の上には政治が乗っている。そして、政治とは権謀術数の世界である。そこでは褒め殺し、誘惑、媚び諂い、威嚇、恫喝、脅迫、取引などが日々行われている。啓蒙主義が理想とした世界からはほど遠く、とても合理的な意思決定が行われているとは思えない。こうした政治の世界については、マーティ・リンスキー、ロナルド・A・ハイフェッツの『最前線のリーダーシップ』(ファーストプレス、2007年)が詳しい。また、以前には、公務員改革をめぐって「長谷川幸洋『官僚との死闘700日』―抵抗勢力の常套手段10(その1~3)(その4~7)(その8~10)」という記事を書いたこともある。

最前線のリーダーシップ最前線のリーダーシップ
マーティ・リンスキー ロナルド・A・ハイフェッツ 竹中 平蔵

ファーストプレス 2007-11-08

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 政治の世界とは、人間精神の異常が前面に出てくる世界である。啓蒙主義者は認めたくないだろうが、政治の世界がこのように混乱していても、国家は何とか回っている。ということは、啓蒙主義者が考える合理的な意思決定よりも、現実の政治的な意思決定の方が本質に近いのかもしれない。そして、こうした政治世界の傾向は、企業活動にも及びつつあると感じる。従来の企業活動は経済的、量的であったため、近代的な算術で処理することができた。だが、これからの企業は社会的ニーズと多様なステークホルダーに対応する質的な経営が求められる。換言すれば、企業活動が政治化する。ということは、フーコーのように異常からアプローチする必要が生じるに違いない。ここにおいて経営学は、現代哲学に追いつく。これは一見受け入れがたいことだが、我々は「イノベーションは辺境から生じる」というあの格言をここで思い出す必要がある。

2016年09月07日

小林秀雄『考えるヒント(2)』―デカルトは「コモンセンス」の祖か、「全体主義」の祖か?


考えるヒント〈2〉 (文春文庫)考えるヒント〈2〉 (文春文庫)
小林 秀雄

文藝春秋 2007-09-04

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 私ごときが小林秀雄の著書についてあれこれ論じる力などからっきしないのだが、敢えて挑戦してみる(『考えるヒント(1)』については、ブログ別館で触れた)。

 中国や韓国からの執拗な歴史問題攻撃に辟易している我々日本人は、歴史というものは客観的に論じられるべきだと考える。客観的という言葉が意味するのは、あらゆる歴史的事実を拾い上げ、誰の目から見ても正しいと言える事実を幅広くつぶさに記録するということである。その事実を目にすれば、どんな人であっても当時の状況や時代背景について正しい認識を持ち、当時を生きた人々の生活や考え方に思いをめぐらせることができる。

 だが、歴史を客観的に把握するのはどうしても無理がある。歴史を研究する際には、当時の歴史的資料にアプローチするか、当事者が存命であれば当事者にインタビューすることとなる。ところで、ある人が歴史的資料を残す際には、必ず動機が存在する。その動機とは、この事件を自分の今後の人生、あるいは自分の後を生きる人々のために記録したいという実益的な動機である。実益的というプラグマティックな言葉が嫌ならば、この事件から意味を導き出したいと言い換えてもよい。つまり、歴史的資料は、それが作成された時点で主観的たらざるを得ない。

 その主観的な歴史的資料を研究する者もまた、主観的であることを逃れられない。歴史を研究するのは、現在直面している、あるいは将来的に直面するかもしれない課題を解決するヒントを求めるためである。したがって、歴史家は、現在という時代の社会風土、価値観や文化という枠組みの中で、歴史的資料を実用的に取捨選択する。歴史は決して不変ではなく、歴史家によって都度再構築されるのである。E・H・カーは、「歴史とは歴史家と彼が見だした事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」という名言を残している(E・H・カーについては、以前の記事「E・H・カー『歴史とは何か』―日本の歴史教科書は偏った価値がだいぶ抜けたが、その代わりに無味乾燥になった」を参照)。

 存命者に聞き取りをする場合にも注意が必要である。人は、過去の記憶を何度も聞かれると、記憶を都合よく変更することがある(旧ブログの記事「「よかれと思ってやったのに・・・」というマネジメントのパラドクス集(その6~7)」を参照)。ただ、これはさほど重要な問題ではない。もっと深刻なのは、存命者が体験した事件が悲劇的であるほど、歴史家は存命者と事実を共有できず、分有にとどまるという点である(以前の記事「岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ」を参照)。だから、本当の事実は永遠に明らかにならない。歴史家は、断片的な情報、断片的に存命者と共有した感情で満足するしかない。

 2015年12月28日、日本と韓国は日本軍の従軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に決着させるということで合意した。慰安婦問題は、客観的事実をいくら探ろうとしても無理である。これは双方が政治的意図を持って歴史を操作するためでもあるが、歴史に伴う上記のような制約があるからだ。したがって、この問題を前進させるためには、過去に対する詮索を一旦止めて、双方が未来志向になるしかなかった。左派は、未来に進むためには過去を知らなければならないと言うが(以前の記事「『テレビに未来はあるか(『世界』2016年5月号)』―北朝鮮に関して報道されない不都合な真実(推測)、他」を参照)、順番が丸っきり逆である。まずは未来の構想が先である。その後でようやく、構想された未来の側から歴史を照射することができるに過ぎない。

 ここからようやく本書の内容に入る。本書の中で小林は、江戸時代の歴史学者を何人か紹介している。まず、「私学の祖」として、中江藤樹の名前を挙げている。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山は、「天地の間に己一人で生きてあると思ふべし」という心境で原典と向き合ったという。山鹿素行は、本当に歴史学を知りたければ、訓詁注釈のような補助概念に頼るなと言って、原典を徹底的に読み込むことを推奨した。こういう姿勢を、小林は「心法」、「心学」と呼ぶ。

 とはいえ、彼らは決して、自分勝手に、個性的に古典を読んだわけではない。むしろ、私心や邪心を離れ、無私の心境で読書を行った。一方で、彼らは自分の考えが全ての人にあてはまるなどとは微塵も考えていない。そんなことを目論見れば、容易に全体主義に陥る。彼らが読書を通じて目指したのは、「自分が生身の肉体で他者と関わる範囲でのよき生き方を知ること」であった。リアルで熱量のある人間関係をいかによいものにするか、ということが彼らの主眼であったわけだ。これは、前述の歴史家の態度と共通するところがある。

 そういう意味では、彼らの合理性は限定されている。だから、ある人にとって合理的なことが、別の人にとっては非合理であることも十分にあり得る。だからと言って、その非合理性を排除することは許されない。それは全体主義のやることである。お互いに相手が非合理だと見える状況に直面した時、両者は決して逃げてはならない。両者の非合理の間で落としどころを見つける努力をしなければならない。これが人間社会の伝統である。だから、右派の理論は理論としては決して美しくない。こういう泥臭さに耐えられない人は、理論的に完璧で美しい左派に流れていくこととなる(以前の記事「『共産主義者は眠らせない/先制攻撃を可能にする(『正論』2016年5月号)』―保守のオヤジ臭さに耐えられない若者が心配だ、他」を参照)。

 江戸時代の歴史学者は古典をよく読んだが、決して書斎にただ独り閉じこもって物思いにふけっていたわけではない。彼らは皆自分の塾を持ち、多くの弟子を抱え、弟子との対話からも学んだ。荻生徂徠は、天と人、人と人との出会いが実であると述べている。彼らは独りになることもできるし、弟子をはじめとする様々な人とも対話ができる空間を持っていたと考えられる。これを「半オープンスペース」と名づけることができるだろう。

 話はやや逸れるが、この伝統は現代の日本にも生きている。日本企業では、部長クラスぐらいまでは部下と同じフロアで机を並べて仕事をする。部長は一人で物事を考えることもあれば、部下からの相談に乗ることもある。つまり、半オープンスペースである。一方、欧米企業では、マネジャークラスになると個室が与えられる。欧米企業が社内のコミュニケーションを円滑にするために、個室を廃止し、オープンスペース(大部屋方式)を取り入れると、日本人は「さすが欧米企業は進んでいる」と感嘆する。しかし、オープンスペースで進んでいるのは日本企業の方である。

 本書の最後には「常識について」という章があり、常識=コモンセンスの祖としてデカルトの名前が挙げられている。私自身は、以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」で書いた通り、デカルトを全体主義の祖だと思っている。

 以前の記事の中で、デカルトの有名な言葉「われ思う、ゆえにわれ在り」にある「われ」とは、特定の個人を指していないと書いた。そもそも、デカルトがこの言葉を残したのは、あらゆる物事、事象を疑った結果、私が疑っているという事実だけは確かであると思い至ったからであった。しかし、私があなたと同じように疑っているかどうかは、実は疑わしい。本当に確かなのは、私もあなたも「思っている」ということ、その1点のみである。この時点で、私とかあなたといった個体の区別は意味を失う。「思っているということ」という意識のみが全体を覆い尽くす。

 さらに言えば、時間の流れも止まる。「現在、思っているということ」が重要になるわけだから、過去や未来という区分は無価値となる。デカルトが『方法序説』を発表した時、「日常生活の中で、自分に何も足さず、自分から何も引かない」と書いた。つまり、「現在」における自分こそが全てとされる。さらに、「ある人には有益であり、誰にも無害であること、そして全ての人々が私の率直さは認めてくれることを願う」とある。小林はデカルトが謙遜している箇所だと指摘しているものの、私には、デカルトは自分の考えが万人にも通用すると自信を持っているように見える。現在という1点のみが絶対であり、個体差が意味を失い、共通の意識が人間全体を支配する。これはまさに、後の全体主義の礎となった考え方ではないかと思う。

 ただし、小林はデカルトを「コモンセンス(常識)」の祖と見なし、デカルトを擁護する。常識とは、言い換えれば、日常生活をよりよくするための知恵である。そこには、人間関係とは本来的に煩わしくて非合理なものだという前提があり、さらに過去から現在、未来へと流れる時間を想定している。小林は、デカルトが「原理」と「格率」という2つの言葉を用いている点に注目する。

 「原理」とは、普遍数学に基づいて探究される真理のことである。これに対して、「格率」の考えに従うと、一度選んだ以上、それを選んだ理由を最上とせよ、ということになる。これは、以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」で触れた蘇軾の『正統論』に通じるところがある。人間は、他に合理的な選択肢があったかもしれないのに、敢えて別の選択肢を選ぶことがある。そして、一度それを選んだ以上は、それが最も正統であると事後的に意味づけせよというわけだ。

 ここにおいて、「現在、思っているということ」という全体主義は矛盾を抱えることになる。「格率」は明らかに、人間の合理性が限定されていることを認めている。また、事後的に意味づけを行うということは、時間の流れを念頭に置いている。デカルトは『方法序説』の中で、「制限された人間にふさわしい完全性」を目指すべきだと書いている。また、最後には「私たちは、私たちの本性の弱さを承認しなければならない」とも述べている。このようにはっきり書かれてしまうと、「デカルト=全体主義の祖」派である私も、ちょっと考えを見直さなければならなくなる。

 「原理」は完全な合理性に基づき、「格率」は不完全な合理性に基づくと考えれば、「原理」と「格率」は二項対立の関係にある。以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」などで下図を用いてきたが、全体主義は右上の象限に位置する。しかし、全体主義はあまりに破壊的で傲慢であるため、人間は自らの非合理性を許容するようになった。その際に導入したのが二項対立である。これによって、右上の象限から右下の象限に移動することができた(詳細は「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1/2)」を参照)。

神・人間の完全性・不完全性

 現在、いわゆる大国と呼ばれる国、具体的にはアメリカ、ロシア、ドイツ、中国は皆、右下の象限に属すると私は考えている(実のところ、ロシアと中国、特に中国に関しては、右下ではなく依然として右上の象限にとどまっているのではという疑念がないわけではないが)。デカルトは全体主義の祖であるものの、全体主義から逃れることのできる道も用意していたと考えるのが穏当なのかもしれない。もっとも、全体主義から逃れたからと言っても、二項対立は大国間の深刻な対立をもたらし、世界に強い緊張を強いている点、そして少なからぬ小国が大国の対立に巻き込まれて大きな被害を受けている点は見逃すことができない。

2015年12月11日

『人間という奇跡を生きる(『致知』2015年12月号)』―無限性に近づく西洋、無限性を畏れる日本


致知2015年12月号人間という奇跡を生きる 致知2015年12月号

致知出版社 2015-12


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 『致知』2015年12月号には、比叡山の僧侶の厳しい修行に関する対談記事があった。
 千日回峰行も千日きっちり廻らずに、あえて25日残して満行となるのは、そこで行を完全に終えるのではなく、その後も一生かけて行を積み重ねていかなければならないことを示唆しています。回峰行という形は終わっても、見方を変えれば日常のあらゆるものが行になる。そういう意味で、行というのは一生続くものなのでしょう。
(光永圓道、宮本祖豊「極限の行に挑む」)
 人間に完全性を認識させないよう、敢えて不完全な状態を作るという考えは、日光東照宮にも見られる。日光東照宮の陽明門には12本の柱があるが、1本だけ彫刻の模様が逆向きになっており、逆柱と呼ばれる。これは誤って逆向きにしたわけではなく、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承を逆手にとったものである。徳川家康は、「幕府の治世に完成はないのだから、日々徳を重ねて政治に磨きをかけよ」というメッセージを子孫に残したのではないだろうか?

 人間は有限性の生物である。この点では西洋も日本も一致する。だが、日本の場合、無限性は最初から断念されるのに対し、西洋では人間が無限性=神に近づこうとする。人間は神の姿に似せて創られ、神から理性を授かった。そして、理性は万能であるから、人間はいかようにも進歩する可能性を秘めている。確かに、人間は太古の昔に原罪を負い、有限性を宿命づけられた。しかし、信仰を厚くすれば、神の無限性に近づくことが可能であるとされる。

 これは決して大げさな話ではない。古代キリスト教の神学者・アウグスティヌスは『コリントの使徒への手紙』の中で、「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」と書いた。「鏡におぼろに映ったもの」とは、普通に考えれば私自身なのであるが、アウグスティヌスによれば神である。つまり、人間は神の姿を通じて、鏡に映った自分が私であると認識する、というわけである。

 アウグスティヌスが取り上げたのは、心理学などにおける「鏡像認識」の問題である。私は、鏡像認識には他者の存在が不可欠であると考えるのだが、アウグスティヌスによれば他者が介在する余地がない。神が直接的に私のことを知覚させる。人間の立場からすれば、神の無限性に触れるという表現ができるだろう(以前の記事「富松保文『アウグスティヌス―“私”のはじまり』―「自己理解のためには他者が必要」と言う場合の他者は誰か?」を参照)。

 神の無限性に触れるという考えは、デカルトにも見られる。有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉は、懐疑主義によってあらゆるものが疑わしく思えるが、疑わしく思っている自分がいることだけは確かだと解釈される。しかし、これにはもう少し補足が必要である。「疑わしく思っている」ことは、ひょっとすると夢の中の出来事かもしれない。夢かどうかは、夢が醒めなければ解らない。しかし、夢が醒めたとしても、夢から醒めた現実が再び夢である可能性は排除できない。つまり、疑うという行為を人間の意識と結びつける限り、「『疑うこと』を疑う」ことは止められない。

 また、「私が疑わしく思っている」のと同じように、「あなたが疑わしく思っている」かどうかも疑わしい。私もあなたも同じように疑わしく思っていることを証明することはできない。そもそも、「私」、「あなた」という主体を隔てる基準が一体何であるのかが疑わしい。その基準が疑わしい以上、「疑うこと」について、「私」や「あなた」といった主体を設定することはできない。

 「われ思う、ゆえにわれあり」の「われ」とは、「私」というこの世で唯一無二の存在ではなく、「誰でもない人間そのもの」のことである。疑わしくない真理としての「思うこと」は、意識の枠や自己―他者という区分を超越する。この時、人間が神の存在を知るというのが、デカルトによる「ア・ポステオリな神の存在証明」である。人間は、自らの有限性からはみ出す無限性に触れるという形で神を知るのであり、その意味で人間は無限性の方に近づいている(以前の記事「斎藤慶典『デカルト―「われ思う」のは誰か』―デカルトに「全体主義」の香りを感じる」を参照)。

 以上のような哲学の話は難しくて私も十分理解できていないのだが、最近の経営学を見るともっと解りやすい例がある。「学習する組織」で知られるピーター・センゲなどは、近年「U理論」という新しいリーダーシップ論、イノベーション論を提案している。その下敷きとなっているのは、物理学者デイビッド・ボームの「内蔵秩序―顕在秩序」という考え方である。

 我々は通常、顕在秩序の世界に生きている。顕在秩序では、人間が様々な問題を起こし(ボームはその根源を「言葉」による概念の分断に求める)、対立を深めている。しかし、対立する人々がもし対話をすることができれば、人々は意識のレベルで1つにつながり、内蔵秩序に到達して変革を起こすことができる。内蔵秩序とは、顕在秩序の背後にあり、宇宙全体を統合的に流れる1つの秩序である。内蔵秩序においては、時間的・空間的なあらゆる区分は意味を失い、文字通り1つになる。ボームは明言していないが、それを神の無限性と言い換えれば、私などはすんなり理解できる。ボームの理論もセンゲの理論も、人間が神の無限性に近づくための努力である。

 人間が神の無限性に近づくというだけでなく、もっと直接的かつ大胆に、人間こそ宇宙であり無限性であると考える人たちもいる。
 この地球上には万有引力のような、様々な物理定数があり、その数値が僅かでも違っていたら、この宇宙はできない。宇宙が数理的な法則に則っているからこそ、私たちは生存できるんですね。

 太陽の源泉は核エネルギーの放出です。太陽の中心核の中では4個の水素が融合して1つのヘリウムをつくっています。そのプロセスで水素の質量の0.7%がエネルギー転換して放出され、それによって太陽は輝いているんです。ただ、このエネルギーは0.7%でなくてはいけません。これが0.71%でも0.69%でもいまの宇宙は成り立たないのです。
(桜井邦朋、山崎直子、村上和雄「生きているというこの素晴らしき人間の奇跡」)
 宇宙物理学によれば、宇宙の様々な物理定数は、地球上で生物が生存できるような値にちょうど設定されているという。この考えを極端化して、物理定数は人間のためにあると主張する立場を、「人間原理の宇宙論」と呼ぶらしい(以前の記事「池内了『宇宙論と神』―宇宙は人間が自己中心的にならないための最後の砦」を参照)。
 実際に調べてみると、この宇宙のさまざまな物理量の値が人間が生まれるのに非常に都合よい範囲に調整されていなければならないことがわかってきた。物理定数の値が少しだけ異なっている宇宙を仮定してみると、その宇宙には人間が存在しなくなってしまうのである。(中略)このことを考えるなら、物理定数の値は、この宇宙に人間が存在するという条件で決めてよさそうなのだ。人間の存在を条件として宇宙論を組み立てようというわけである。
宇宙論と神 (集英社新書)宇宙論と神 (集英社新書)
池内 了

集英社 2014-02-14

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 ここまで来ると、私などは「人間ごときがそんなふうに考えるのはおこがましい」と思ってしまう。いや、大半の日本人も同じように考えるだろう。人間原理の宇宙論では、人間がもはや神=無限性を手中にしている。しかし、日本人は無限性を手に入れることはおろか、無限性に触れることすら許されない。無限性の存在は認めつつも、その正体を知ろうとはせず、畏れ入るのが日本人である。それを制度化した例が、千日回峰行の「25日余り」であり、日光東照宮の「逆柱」である。『宇宙論と神』の著者・池内了氏の次の言葉は全くもって同感である。
 私には、そのような条件こそ偶然であって、物理定数の値は人間ごときを参照して決まっているとは考えられず、もっと深遠な理由があるはずだと思っている。
 安直な私などは、神の無限性に触れた(あるいは無限性を手中にした)人間は全体主義に陥るのではないかと考えてしまう。しかし他方で、西洋人は無限性に憧れながら、肝心なところで有限性に引き戻されるようにも感じる。本ブログでも何度か書いたが、西洋人は明確な理念を掲げ、その実現について神と契約を結ぶ。そして、理念が達成された=契約が履行された後は、緩やかに終焉への道をたどる。あるいは、西洋では、生まれたての人間に最初から神が設計図を埋め込んでおり、人生とはその設計図が具現化するプロセスであるとされる。設計図のゴールに到達したら、人生は終わりであり、いくら無限性に触れた人間であっても抗えない。

 西洋人はセム的思考の影響を受けており、二項対立で物事をとらえることも、全体主義に歯止めをかけているのかもしれない。西洋では特定の思想や立場が主流になったとしても、必ず反対の考えが生じて牽制機能を果たす。その双方をもって全体とするのが西洋であり、どちらか一方だけで全体を代表させることはしない。そして、どんなに一方が世の中を席巻しても、やがては他方に打倒される。さらに、打倒した他方についても、今度はそれとは別の立場が生じ、二項対立の果てに別の立場が勝利する。二大政党制は、それがよく表れた政治システムであろう。

 逆に、無限性を諦めたはずの日本が、無限性を希求しファシズムに陥ることもある。鴨長明の『方丈記』のように、移ろいゆくはかなさを嘆く無常観に浸っているうちは問題ない。ところが、「肉体は滅んでも魂は永遠である」、「我々の魂は先祖代々受け継がれたものであり、原点までさかのぼれば天皇に行き着く」といった考えが極端に表に出ると、特攻礼賛、一億総玉砕に陥る。山本七平は『一下級将校の見た日本陸軍』の中で、次のように語っている。
 帝国陸軍は、「陛下のために死ぬ」こと、すなわち「生きながら自らを死者と規定する」ことにより、上記の「死者の特権」を手に入れ、それによって生者を絶対的に支配し得た集団であった。(中略)「死の臨在による生者支配」には、自由は一切ない。人権も法も空文にすぎない。そして人がいずれはこの世を去るということは、死の臨在が生者を支配することと関係ない。そしてこの「死の臨在」による生者への絶対的支配という思想は、帝国陸軍の生まれる以前から、日本の思想の中に根強く流れており、それは常に、日本的ファシズムの温床となりうるであろう。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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