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『正論』2017年12月号『核戦争勃発に備えろ/負け犬和式リベラルのウソ』―思い通りに動かない同盟国(日韓)に苛立っているであろうアメリカ
熊谷徹『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』―ドイツが反省しているのは戦争ではなく歴史的犯罪
中村天風『ほんとうの心の力』―大いなる理想のためには大いに怒り、悩めばいいと思う

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年12月05日

『正論』2017年12月号『核戦争勃発に備えろ/負け犬和式リベラルのウソ』―思い通りに動かない同盟国(日韓)に苛立っているであろうアメリカ


月刊正論 2017年 12月号 [雑誌]月刊正論 2017年 12月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-11-01

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 最近、『論語』や『孟子』を読んでいるのだが、その中では君主が仁政によって国家を統治するべきであることが繰り返し説かれている。そして、仁政が敷かれている国には、その君主を慕って周辺の国々から自然と人民が集まってくると言う。
 今、王政を発し仁を施さば、天下の仕うる者をして、皆王の朝に立たんと欲せしめ、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲せしめ、商賈(あきうど)をして皆王の市に蔵(にをおさ)めんと欲せしめ、行旅(たびびと)をして皆王の塗(みち)に出でんと欲せしめ、天下の其の君を疾(にく)む者をして、皆王に赴(つ)げ愬(うった)えんと欲せしめん。

 【現代語訳】
 今、もし王様が政治を振るいおこし、仁政を施かれたなら、天下の役人はみな王様の朝廷に仕えたいとのぞみ、農夫はみな王様の田畑で耕したい、また商人はみな王様の市場に商品を蔵敷きをし〔て商売をし〕たいと願って移ってくることでしょう。旅人はみな王様のご領内を通行したがるようになり、かねてから自分の国の君主を快く思わぬものは、みな王様のもとへきて、うったえ相談したがるようになりましょう。
孟子〈上〉 (岩波文庫)孟子〈上〉 (岩波文庫)
小林 勝人

岩波書店 1968-02-16

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 だが、孔子や孟子が説いた仁や忠恕は、基本的に上下関係、つまり君主と臣下、君主と人民、親と子、夫と妻、長兄とその兄弟姉妹(当時は、現代のように夫婦や兄弟姉妹は平等ではなかった)において重要視されるものである。逆に言えば、例えば国家のように水平関係にある者や組織、機構がどのような振る舞いをすればよいのかという点については極めて弱い。仮に日本が仁政を敷いて、北朝鮮から人民を惹きつけることになっても、彼らは難民としてやって来るわけであり、難民受け入れの体制が全く整っていない日本としては困った事態になる(※1)。

 12月に入ってから再び北朝鮮がICBMを発射した。これによって、北朝鮮のICBMはアメリカ本土を射程圏にとらえたと言われている。ただ、北朝鮮は今回の実験に関して、「我々の国家核戦力の建設は、既に最終完成のための目標が全て達成された段階にある」と述べており、「目標が全て達成された」とは言い切っていない。おそらく、実戦配備に向けては、まだいくつかの技術的な問題が残っているのだろう。そして、その課題を解決するために、近いうちに北朝鮮はICBMを発射する可能性が高い。早ければ12月中にもその実験は敢行されるとも言われている。というのも、来年2018年は北朝鮮の建国70周年にあたる年であり、1月1日に金正恩委員長は恒例のテレビ演説を行う。この演説で、金正恩委員長が北朝鮮の核能力を国民にアピールし、国威を掲揚しようとすることは十分考えられるからだ。

 ブログ別館の記事「宮崎正弘『金正恩の核ミサイル―暴発する北朝鮮に日本は必ず巻き込まれる』―北朝鮮がアメリカに届かない核兵器で妥協するとは思えない」でも書いたように、北朝鮮のICBMがアメリカ本土に届くようになってから、いよいよアメリカが本格的に動き出すと思われる。2018年は東アジア情勢が大きく動く年になりそうである。このような状況で、日本はどうするべきであろうか?通常であれば、近隣諸国が核兵器のような凶悪な力を手にした場合、それには力でもって対抗しようとするものである。
 興味深いのは、マイネッケ(※ドイツの歴史家フリードリッヒ・マイネッケ)はこの「国家理性」の発展の要素として、力と道徳とをあげていることである。つまり権力衝動による行動と道徳的責任による行動のあいだには、国益という価値によって、その高所に1つの橋がかけられているというのである(※2)。
 かつての大国フランスは、この点で非常に合理的な行動を選択してきた。
 国家として核武装という選択をしたドゴール仏大統領は、アメリカの提供する核の傘はフィクションにすぎないと考えていた。彼はNATO(北大西洋条約機構)の司令官やケネディ米大統領を相手に「核の傘」の有効性について議論をし、フランスがソ連から核攻撃を受けた場合にアメリカがフランス防衛のためにソ連と核戦争をする、という軍事シナリオを具体的に示してほしいと迫ったという。そのときNATO司令官も、ケネディも、ドゴールを納得させられるような回答はなかった。ドゴールは、アメリカの核の傘にフランスの安全は委ねられないと決断したのである(※3)。
 フランスの政治学者エマニュエル・トッドは、10年前に朝日新聞で次のように発言している。いかにもフランス人らしい、現実主義的な主張である。
 「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」(平成19年10月30日付)(※4)
 隣接し対立する双方の国が核を保有することで、かえって地域の安定が保たれ、さらには核軍縮に向けた対話が始まる。これが大国の思考回路の大きな特徴である。現在のヨーロッパの大国ドイツも、西ドイツ時代にこのような形で核軍縮に成功した経験がある。
 ソ連は欧州に照準を合わせた中距離弾道ミサイル「SS20」を配備した。SS20は米国までは届かないから、米欧の防衛を切り離す例のディカップリングの問題が生じ、欧州内には米国のICBMによる核の傘に対する疑念が出てきた。

 国家の危機に直面した西ドイツはシュミット首相、次いでコール首相がSS20に対抗する米国の「パーシングⅡ」と地上発射巡航ミサイル「GLCM」の導入を進めた。(中略)その結果、ソ連は財政負担の重荷もあり、パーシングⅡを欧州から撤去させるために、自国のSS20を全廃するINF(中距離核戦力全廃条約)締結に応ぜざるを得なくなった(※4)。
 だから、北朝鮮の核に対抗するには、日本も相応の核を保有するのが理論的には最も近道である。そして、インドとパキスタン、西ドイツとソ連の例に倣って日朝が交渉をし、地域の安定や核の軍縮に向けた取り組みを始めるのがよい。これは一見すると非常に危険な道に思えるが、日本がいつまでも日本オリジナルと勘違いしている平和主義に拘泥し、北朝鮮からのミサイルを食らって座して死を待つよりは、積極的な選択肢である。評論家の日下公人氏は、日本が核を保有することを堂々と宣言するべきだとはっきり主張している。
 アメリカに自国の安全を委ね続けた戦後の固定観念や発想、収縮思考から離れ、「日本は原子力潜水艦と原子爆弾を持つ」と宣言すれば日本を取り巻く環境は劇的に変わる。従来発想に凝り固まった空想的平和主義に耽溺している人たちは、一斉に「平和国家に逆行」「非現実的」「感情的強硬論」等々と大騒ぎするだろうが、日本が独立国として領土領海と自国民の安全を守るためにその選択をしたことで、どこかから非難を受ける謂れはないから、いろいろな前提を設けて宣言をすればよい(※5)。
 かつては日本の核武装を拒絶していたアメリカも、ここに来て日本の核武装を容認するような発言が見られるようになった。しかし、当の日本はと言うと、やはり「世界で唯一の被爆国であるという事実」、「非核三原則」などのようなものがどうしても頭から離れず、核保有に踏み切ることができない。評論家の西部邁氏でさえ次のように述べている。
 あえて「人倫」という古くさい言葉を使ったのには理由があります。予防先制核を禁じ、自衛核は厳密に「報復のためのセコンド・アタック」にのみ使用せよと規定することは、相手のファースト・アタックにかんしては、あたかもガンディがそうしたように、「瞬時に大量の」被害に耐えよ、ということなのです。その被害は、一瞬に、自国を「国家瓦解」に近づかせる類のものなのですから、その忍耐がどれほどの難事であるか、見当がつこうというものです。しかも、その国家瓦解の危機のなかで報復核の維持をしようとするわけですから、よほどに強固な危機管理体制を作り上げていなければ、この予防先制核の禁止は有名無実となってしまいます(※2)。
 まるで、核の先制攻撃を受けたことによる甚大な被害を免罪符として、日本の核攻撃を認めると言いたいような内容である。ちなみに、太平洋戦争で原爆が落とされた日本には復讐権があると東京裁判で述べたアメリカ人弁護士がいるそうだ。そして、その発言をウェッブ裁判長も否定はしなかった(※3)。日本がもし核武装をするならば、回りくどい論理を構成しなければならない。かくいう私も、以前の記事「『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本」では、韓国に核武装させて、韓国と北朝鮮の間で交渉をさせればよいと、逃げ腰の主張を展開してしまった。北朝鮮の核に対して正攻法で対処できない日本には、アメリカも苛立っているに違いない。

 アメリカがさらに苛立っているのは、文在寅大統領になってから左傾化、親北化が激しい韓国に対してであろう。以前の記事「『致知』2017年11月号『一剣を持して起つ』―米朝対話が成立するとはアメリカが韓国を捨てることを意味する(ことを左派は解っていない)、他」で、アメリカが北朝鮮に軍事行動を仕掛けた際、韓国がアメリカ側につく場合とアメリカを裏切る場合の2通りがあると書いたが、どうやら後者の可能性が高そうだというのである。
 トランプ政権が対北攻撃を決断するとき、韓国の文在寅大統領は反対するだろう。米陸上部隊は作戦に参加せず、空軍と海軍による集中的な攻撃で北朝鮮軍が無力化した後、北朝鮮を平定する作戦は韓国軍が担当することになっている。文在寅政権が韓国陸軍の参戦を拒否することもありうる。その場合、トランプ政権は韓米同盟を破棄し在韓米軍を撤退させるだろう。

 (中略)となるとトランプ政権は中国共産党軍に北朝鮮地域の平定を任せ、戦後も同地域に親中政権をつくることを容認、志向する可能性が高い。韓米同盟を破綻させた韓国も親中に傾き、半島全体が中国共産党の支配下に入るだろう。その結果、日本は半島全体が反日勢力の手に落ちるという地政学上の危機に直面する(※6)。
 朝鮮半島におけるアメリカの目標は、①北朝鮮の非核化と②南北分裂の現状維持の2つである。ところが、アメリカがせっかく北朝鮮に勝利しても、肝心の韓国が裏切ることで②が達成されない恐れがある。しかし、アメリカにとっては①の方が優先度が高いため、①のために韓国を捨てることも考えうる。最悪なのは、①のために韓国を捨てた上で、アメリカが北朝鮮に敗れるケースである。本号ではアメリカが北朝鮮に敗れることを想定した論者は誰もいなかったし、よもやアメリカが北朝鮮に負けると考える人はごく少数にとどまるであろうが、ベトナム戦争のような誤算も十分にあり得る話である。仮にアメリカが敗れた場合は、韓国の豊富な資金が北朝鮮の核に投入され、朝鮮半島に凶悪な核保有国が誕生することになる。

(※1)吉田望「武装難民を『射殺するのか』 麻生発言のリアリティー」
(※2)富岡幸一郎「なぜ日本国民は核をタブー視してきたか」
(※3)渡部昇一「『非核』信仰が日本を滅ぼす」
(※4)湯浅博「悪魔は二度と地下に潜らず その歴史と日本のオプション」
(※5)日下公人「さらば、亡国の『非核信仰』よ」
(※6)西岡力、恵谷治、久保田るり子、島田洋一「どうなる半島有事 破局へのカウントダウン」

2014年05月19日

熊谷徹『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』―ドイツが反省しているのは戦争ではなく歴史的犯罪


ドイツは過去とどう向き合ってきたかドイツは過去とどう向き合ってきたか
熊谷 徹

高文研 2007-03

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 日中、日韓の間で歴史認識をめぐって長い対立が続いているが、ドイツはどのように戦争と向き合ってきたのかを知りたくてこの本を読んだ。ドイツの特徴をまとめると以下の5点。

 (1)1939年の時点で、ドイツ、ソ連、ポーランドなど20か国に830万人のユダヤ人が住んでいたが、そのうち72%に相当する約600万人がナチスによって殺害された。現在、この600万人という数字については、加害者だったドイツ側と被害者であるユダヤ人の間で一種のコンセンサスができ上がっている。一方、日中の間では、未だに南京事件の被害者数について一致した見解が得られていない。日本側の極端な論者は、南京事件の存在そのものを否定しているのに対し、中国側の極端な論者は、約30万人が犠牲になったと主張している。

 (2)1945年11月にニュルンベルクで開かれた国際軍事裁判では、ナチスの高官や軍人24人が起訴され、そのうち12人に死刑、7人に禁固刑の判決が下された。この点だけを見れば、極東軍事裁判と似ているが、ドイツと日本の間では決定的な違いがある。ドイツの司法当局は、連合国による訴追が終わった後も、虐殺などに関わった容疑者の訴追を続けている。西ドイツ政府は1979年に、「悪質な殺人」については時効を廃止した。これにより、ナチスの戦犯は生きている限り捜査の対象となる。

 検察庁は1958年に「ナチス犯罪追及センター」を設置し、容疑者の訴追を行ってきた。1998年までの40年間に、10万7000人の容疑者が捜査対象となり、そのうち7189人が有罪判決を受けている。同センターは2000年に捜査機関としての役割を終えたが、連邦公文書館の一部となり、膨大な捜査資料は学者やジャーナリストに公開されている。なお、捜査は個々の検察庁に引き継がれて今も行われている。

 (3)ドイツの歴史教科書は、ナチス時代にかなりのページを割いている。ナチスが権力を掌握した過程や原因、戦争の歴史を詳しく取り上げ、ドイツ人が加害者だった事実を強調している。また、歴史教科書の内容の透明性を保つために、多国間での教科書研究を積極的に行っている点も特徴的だ。1951年、ブラウンシュバイク市に国際教科書研究所が設置され、1975年に「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所」となった。研究所の主要任務は、歴史学者、歴史教師、教科書執筆者の国際会議を開催し、お互いの歴史教科書の内容について討議することである。ドイツはとりわけ、虐殺によって大きな被害を受けたポーランドとの会議を重視してきた。

 (4)ドイツ政府は、国連などの要請があっても、ナチスの過去を理由に連邦軍の派遣に慎重になる場合がある。典型的な例は、1991年から4年間にわたり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなど旧ユーゴ諸国で起こった戦争をめぐる態度である。当時、国外派遣が憲法に違反していないかどうか議会で激しく議論され、最後は連邦憲法裁判所の判断を仰いだ。同様に、1999年にドイツ軍がコソボ戦争でNATOのセルビア攻撃に加わった際にも、事前に連邦議会で議論が行われた。

 (5)ベルリンにある「ブランデンブルク門」は、ナチスに殺害された600万人のユダヤ人のための追悼モニュメントである。第2次世界大戦の終結から60年目にあたる2005年に、2700万ユーロの費用と6年の歳月をかけて、ドイツ政府が完成させた。このようなモニュメントは、ベルリンなどナチスの権力中枢だった地域に置かれていることが多い。敢えてそのような場所を選ぶことで、ドイツ人が過去と向き合う姿勢を強調している。

 また、アウシュビッツの被害者からなる国際アウシュビッツ委員会(IAK)の事務局もベルリンにある。もっと言えば、事務局が入っているビルは、第2次世界大戦中にドイツ陸軍軍令部があった場所だ。そのような忌まわしい場所に、アウシュビッツの生存者の団体が事務局を置いているのは、かつての被害者たちがドイツ人の過去との対決に信頼を寄せている証拠でもある。

 歴史問題についてはドイツを参考にせよと言われることが多く、私もその目的でこの本を読んだのだが、実はドイツの例はあまり参考にならない気がする。ホロコーストは、戦争相手国内のユダヤ人だけでなく、ドイツ国内のユダヤ人も対象になったという点で、通常の戦争犯罪とは異なる。しかも、ドイツ国民が選挙によって自らナチス政権を選択したのであり、ナチスの指示に従って虐殺を行ったのは一般のドイツ人であった。よって、ホロコーストはドイツ国民自身が犯した、歴史上類を見ない大犯罪なのである。

 日本では、原爆で約30万人の被害者を出したことを引き合いに、「日本もホロコーストと同様の被害を受けた」と主張されることがある。しかし、本書の著者によれば、欧州やイスラエルでは、ホロコーストと原爆を同列視することはタブーとされる。単に被害の規模が違うからではなく、そもそもホロコーストと原爆では次元が違うのである。原爆は、アメリカが主張する通り合法的な戦闘行為である(※)のに対し、ホロコーストは過去に例がない国家的犯罪である。だからこそ、ドイツ人は過去と真摯に向き合い、検察が時効を廃止してまでも容疑者の訴追を行っているのだろう。


(※)イギリスの倫理学者ヘンリー・シジウィックは、戦争におけるある行為を行うことで生じた被害と、その行為によって避けられた被害を考慮して、もし避けられた被害の方が大きい場合は、戦争犯罪ではなく正規の戦闘行為であるとの説を唱えた。アメリカの見解は、シジウィックの説に近い。アメリカは、日本本土決戦が行われたとした場合の予想犠牲者数50~100万人と、実際の原爆犠牲者の数とを比較して、原爆投下を正当化するという論理をとっている(坂本多加雄『歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか』[PHP研究所、1998年])。

歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)
坂本 多加雄

PHP研究所 1998-02

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2013年11月14日

中村天風『ほんとうの心の力』―大いなる理想のためには大いに怒り、悩めばいいと思う


ほんとうの心の力ほんとうの心の力
中村 天風

PHP研究所 2006-05

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 本書は中村天風の名言集のようなもので、天風哲学のエッセンスを知るのに便利な1冊である。天風哲学を私なりに簡単にまとめるならば、「強く、積極的な心を持て。怒りや悲しみ、悩みは、心だけでなく健康をも害するから持つな。心は、万物の因果法則を決めている”宇宙霊”とつながっている。心が宇宙霊に通ずることができれば、運命は心が思うように拓ける」ということになるだろう。だが、私の歪んだ解釈のせいかもしれないが、天風は「どんな怒りや悩みにも動じない鋼のような心を持て」と言っているようで、やや非現実的にも感じる。
 人間である以上は、何かしらの悩みを心にもっているのが当然だと思い決めている。中には、悩みを持たぬ人間なんていうもの、人並みの人間ではなく、極度に神経の鈍い愚か者か、さもなくば、何の不自由も不満も感じない恵まれきった人生に生きている幸福な人か、完全に人生を悟っているという、極めて稀有な優れた人だけのことで、普通の人間である限りは、断然そんな「悩み」のない人間などというものは、この世にあろうはずのないことだと、思いこんでいる人さえある。

 しかしあえていう。もしもそうした考え方が、正しい真理だとするなら、およそ人生くらいみじめなものはないといわねばならない。
 中には、人間が不平不満を感じ、かつこれを口にするからこそ、人間世界に、進歩とか向上とかいうものが、現実化されるのだというような極端な誤解を、誤解と思っていない人すらある。(中略)不平や不満を口にする悪習慣は、人にいたずらに煩悶や苦悩を心に多く感じせしめるだけで、それ以上人生に、価値ある収穫を招来しないということに想到すると、それが誤解の証拠であると必ず考えられるからである。
 我々が食事をする時、健康のためによいものかどうかを吟味するのと同じように、心にとってよい感情だけを取捨選択することが肝要である、と天風は説く。否定的な感情を排し、肯定的な感情のみを持つ、この心理状態を「絶対的な積極」と呼んでいる。
 心がその対象なり相手というものに、けっしてとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんです。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろな恐れとか、そういうものが一切ない状態。けっして張り合おうとか、抵抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。
 確かに、必要以上に怒りや悩みを持つことは健康上もよくない。怒りっぽい人は動脈硬化や心筋梗塞になりやすいことが知られている(詳しくはレッドフォード・ウィリアムズ、ヴァージニア・ウィリアムズ『怒りのセルフコントロール』〔創元社、1995年〕を参照)。また、悩みすぎてストレスを抱えると、自律神経系や内分泌系の働きがおかしくなり、心拍数上昇、血圧上昇、発汗、胃痛、頭痛、生理不順などといった様々な身体的症状が出る。さらに、体内の免疫機能が低下し、風邪を引きやすくなる。ただ、だからと言って本当に一切の怒りや悩みを排除してもよいものだろうか?

怒りのセルフコントロール怒りのセルフコントロール
レッドフォード ウィリアムズ ヴァージニア ウィリアムズ Redford Williams

創元社 1995-05

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 人間には運命があるということは、人間には一生をかけて実現すべき理想があるということだ。そして、理想と現実の間には必ずギャップがある。かつて、ホンダ自動車の戦略担当の方にお会いした時、「理想は、現実と違うから理想なのです」とおっしゃっていた。理想と現実が乖離していれば、「どうして思い通りにならないのだろう?」と悩む。その悩みが大きくなれば、「どうしてこんなこともできないのか?」という怒りに転ずる。その怒りは、いつまでも理想に近づけない自分自身に向けられるかもしれないし、遅々として変化しない組織や社会に向けられるかもしれない。

 理想を持つ限り、怒りや悩みと無縁ではいられない。いや、怒りや悩みを感じないならば、その人は理想を持っていないとさえ言える。天風は「理想を持つな」とは言っていない。むしろ、「理想を持て」と推奨している。
 確固不抜の理想、いわゆる組織の完全に具体化された考え方、思い方が、いっこうに変わらない状態で自分の心にあったら、理想そのものが自分の人生を立派にリードして、自分というものを、どんな場合があろうとも迷わせない。
 松下幸之助の『指導者の条件』には、西ドイツの首相だったコンラート・アデナウアーの逸話が紹介されている。アデナウアーがアメリカのアイゼンハワー大統領に会った時、人生において重要な3つのことを話したという。1つ目は「人生というものは70歳にして初めて解るものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。2つ目は「いくら年をとっても老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということ。そして3つ目が興味深いのだが、「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

指導者の条件指導者の条件
松下 幸之助

PHP研究所 2006-02

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 この言葉に関して、松下幸之助は次のように分析している。
 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。(中略)第2次世界大戦でどこよりも徹底的に破壊しつくされた西ドイツを、世界一といってもよい堅実な繁栄国家にまで復興再建させたアデナウアーである。その西ドイツの首相として、これは国家国民のためにならないということに対しては、強い怒りを持ってそれにあたったのであろう。占領下にあって西ドイツが、憲法の制定も教育の改革も受け入れないという確固たる自主独立の方針をつらぬいた根底には、首相であるアデナウアーのそうした公憤があったのではないかと思う。
 そのアデナウアーは91歳まで生きた。おそらく、日常生活における些細な怒りや悩み、すなわち私憤を封印し、ドイツ国家を再興するという高い理想に関してのみ怒りを感じていたから、身体を害せずにすんだのだろう。

 私は元来、どちらかというと短気で悩みを抱えやすい人間である。ただ、最近は昔に比べると怒りっぽくなくなったと思う(以前の記事「自分を苦しめていた怒りからの脱却、そして思想的転換」、「曾野綾子『二十一世紀への手紙 私の実感的教育論』―相手に期待しすぎなければ、裏切られることも少ない」を参照)。それでも、私のことをよく知る人に言わせると、「facebook上ではいつも怒っている」、「小さな問題に敏感に反応している」らしい。私はまだまだ精神的に未熟なようだ。どうでもいいことで怒ったり悩んだりして心身を消耗するのではなく、もっと自分の大いなる理想を大切にして、そのためにエネルギーを使う人生にしたいものだ。




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