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スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学』―統計的分析を補完する直観の存在
イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』―ビッグデータで全世界を知り尽くそうとするアメリカ、観察で特定の世界を深く知ろうとする日本
『行動観察×ビッグデータ(DHBR2014年8月号)』―行動観察はマーケティングの常識をひっくり返す、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2015年06月12日

スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学』―統計的分析を補完する直観の存在


ヤバい経済学 [増補改訂版]ヤバい経済学 [増補改訂版]
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー 望月衛

東洋経済新報社 2007-04-27

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 8年前に流行った本。経済学というタイトルがついているが、社会の様々な現象にスポットを当て、データを分析して因果関係をあぶり出すという点では、社会学に近いような気がした。本書を読むと、そう思ったのは少なくとも私だけではないようだ(もっとも、著者本人は、自分が社会学者ではないと否定しているが)。
 何年か前、研究のために長期休暇をとってスタンフォードの行動科学先端研究センターに行ったとき、自分の研究について他の研究者の前で喋る機会があった。お客の一部はなんだか怒っていて、ああいうことを研究していながらなんでいけしゃあしゃあと経済学者でございますなんて言ってるんだと聞く。お前、ほんとは社会学者だろと言うのだ。でも、部屋にいる社会学者の人たちの恐れおののいた顔をみれば、それだけでもう十分私は社会学者じゃないって思い知らされる。
 本書では、「銃とプールで危ないのはどちらか?」、「不動産仲介人は、自分と売り手の利益のどちらを優先するか?」、「学校の先生は学力テストの点数をごまかしていないか?」、「麻薬の密売人がママと住んでいるのはなぜか?」などといった問題に対して、データを使って答えを導いている。本書(訳書)が出版された8年前にはまだ「ビッグデータ」という言葉はなかったと思うが、著者が実施した分析方法は、ビッグデータの世界のそれと同じであるように感じた。

 ビッグデータというと、入手可能なありとあらゆるデータをコンピュータにぶち込んで、統計的手法を縦横無尽に駆使し、因果関係を最も上手に説明できる簡潔なモデルを導き出す究極の分析手法であるという印象がある(私の勝手な思い込みかもしれないが)。ただ、ビッグデータを活用すれば人間はやることがなくなるのかというと、必ずしもそうではないだろう。逆説的だが、分析手法が論理的になればなるほど、人間の直観がカギを握る局面が増えるように思える。

 ありとあらゆるデータをコンピュータに突っ込むといっても、結局のところどんな種類のデータを利用するかを決定するのは人間である。よって、因果関係を説明できそうな変数の”あたり”をつけなければならない。しかも、ビッグデータの目的は、一般人がすぐに思いつくような素朴な因果関係を確認することではなく、大部分の人が思いもよらなかった因果関係で、かつ原因と結果の鎖がより強い関係を発見することである。「今まで誰も見向きをしなかったが、実はこの変数が結果を最も上手く説明できるのではないか?」と直観を働かせなければならない。

 本書では、アメリカで犯罪が減少した原因が考察されている。一般的には、銃規制が強化されたためだとか、麻薬市場が変化したからだと言われる。ところが、著者はここで意外な結論を導き出す。つまり、アメリカで犯罪が減少したのは、「中絶の合法化」が原因だというのである。
 ある調査によると、中絶が合法化されて間もないころに中絶された子供が生を受けていたら、平均的な子供に比べて貧しい生活を送る可能性は50%も高かった。片親だけで育つことになった可能性も60%高かった。これら2つの要因―子供時代の貧困と片親の家庭―は、子供が将来犯罪者になるかどうかを予測できる最も強力な要因に数えられる。片親の家庭で育つと子供が将来犯罪を犯す可能性はだいたい2倍になる。母親がティーンエイジャーの場合もそうだ。また別の調査によると、母親の教育水準が低いことが犯罪者に至るかどうかを予測する一番強力な要因だ。
 中絶すれば犯罪が減るというのは、気持ちのいい話ではない。だが、学問とは、不快であっても重要な事実をつまびらかにする義務を負っている。中絶率と犯罪率の間に因果関係を認めるというのは、直観的な働きがなければなかなかできないことだろう。ちなみに、ニューヨークで犯罪が減少した理由として、しばしば「壊れ窓理論」が挙げられる。これについても、著者は一蹴している。ジュリアーニ市長が就任する以前から、既に犯罪の減少が見られたからである。

 どんなデータを使うかについて直観が必要であるのに加えて、データをどのように意味あるグルーピングするかという点に関しても直観が求められる。アメリカでは、2002年にブッシュ大統領が署名した”No Child Left Behind”(一人も落ちこぼれさせない)法で「一発勝負テスト」が義務化された。これは日本の学力テストのようなものであり、生徒の学力を測定するだけでなく、テスト結果について学校が責任を求められるようになった。

 著者は、責任を追及されたくない教師は、生徒の答案をごまかしているに違いないと考えた。この「ごまかしている」という状態を認定するために、著者は次のようなアルゴリズムを考案した。
 最初に探すのは、クラス内の解答に異常なパターンがある場合だ。たとえば同じ解答の連なり、とくに難しい問題の部分での連なりだ。(中略)出来の悪い生徒10人が試験の最後の5問(典型的に難しい問題)で正解していたら、詳しく調べたほうがいい。それから、誰か生徒1人の解答用紙におかしなパターン―難しい問題は合っているのに簡単な問題を間違っているとか―があれば、とくに、同じ試験で同じような点を取った他のクラスの生徒数千人と比べておかしいパターンがあればそれも赤信号だ。さらに、クラス全体が過去の成績に比べてずっといい成績を取り、しかも翌年の試験では大きく成績が下がっている場合も検出できるようなアルゴリズムを作っておく。
 実際には、ここで書かれたものよりもずっと複雑で多岐にわたる「不正のパターン」を想定してアルゴリズムを組んだと思われる。本書では、シカゴの小学校6年生のクラスの答案を分析して、不正を発見した事例が紹介されている。この小学校では、44問からなるテストを22人の生徒が受験した。その結果、22人中15人が30問目から36問目を連続で正解するという不自然な点があり、教師がインチキをして答案を書き換えた疑いがあるとされた。

 膨大なデータを意味あるグルーピングに直観的に分けなければならない事例としては、野球の配球が挙げられるだろう。かつて野村楽天の下で戦略コーチを務め、現在は楽楽天の1軍ヘッドコーチである橋上秀樹氏の著書にはこう書かれている(以前の記事「『ビッグデータ競争元年(DHBR2013年2月号)』―逆説的に重視されるようになる「直観」」を参照)。
 相手投手に関する数多くのデータを収集し、「カウント別」「イニング別」「状況別」とにそれぞれ分けていくと、「このカウントになると変化球がくる」「試合の序盤は真っすぐで押してくるが、後半になると変化球が50%以上になる」「走者がいないとストライクをどんどん投げてくるが、走者を背負った途端に、慎重に攻めてくるようになる」といったように、データが増えれば増えた分だけ、「相手がどういう攻め方をしてくるか」の傾向がわかるうようになる。

野村の「監督ミーティング」 (日文新書)野村の「監督ミーティング」 (日文新書)
橋上 秀樹

日本文芸社 2010-05-28

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 配球分析の目的は、試合状況の変化による配球の傾向の変わり目を知ることである。配球の傾向に影響を与える状況は、投手によって異なる。さらに言えば、投手と捕手の組み合わせによっても変わる。ある投手(と捕手)の場合は、1点リードでランナーを1塁に出した途端に、慎重な配球に変わるかもしれない。だが、別の投手(と捕手)は、1点リードでランナーを2塁に背負うと、かえって大胆な攻め方を攻め方をしてくるかもしれない(2013年に24勝0敗という前人未到の成績で楽天を日本一に導いた田中将大は、このタイプだったように思える)。

 投手―捕手の組み合わせごとに、配球に関する膨大なデータを、試合における様々な状況ごとにグルーピングし、意味のある差を導き出す。これがスコアラーの役割である。ただし、スコアラーは、しらみつぶしにデータを分析していては非効率だ。「この投手―捕手の組み合わせだったら、こういう状況で配球が変わるのではないか?」と直観を働かせることが重要になる。

 以前の記事「『一流に学ぶハードワーク(DHBR2014年9月号)』―単純化するアメリカ人、複雑なまま理解する日本人(モチベーション理論を題材に)」、「『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人」でも書いたが、データ分析の結果シンプルな因果関係のモデルを構築しようとするのは、いかにもアメリカ的である。アメリカ人に多変量解析をやらせても、変数の数は極力減らそうとするに違いない。戦略論においては、KSF(Key Success Factor)、CSF(Critical Success Factor)という言葉が用いられるが、これは戦略を達成する重要な要因が、いくつかに絞られることを前提としている。

 一方日本人は、望ましい行動をいくつも積み重ねていけば、自ずと望ましい結果が得られると考える。日本人が多変量解析を行えば、実に様々な変数を組み込むだろう。様々な行動の集合の結果、望ましいゴールに到達するというのは、実は当たり前のことである。多変量解析においては、変数の数が多ければ多いほど、決定係数の値は1に近くなる、つまり結果を上手く説明できるモデルになるからである。日本の場合は、KSFやCSFだけで経営をしようと思わない。むしろ、目標管理制度やBSC(バランス・スコア・カード)で目標を重層的に体系化する方を好む。


2014年11月05日

イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』―ビッグデータで全世界を知り尽くそうとするアメリカ、観察で特定の世界を深く知ろうとする日本


その数学が戦略を決めるその数学が戦略を決める
イアン・エアーズ 山形 浩生

文藝春秋 2007-11-29

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 10月に引っ越しをした時に出てきた本。数年前に売れた本で、今さら感が半端ないが、せっかくなので読んでみた。一言で言えば、「ビッグデータはすごい。人間の直観が機能する領域はどんどん狭くなっている」と延々主張している本である。ビッグデータという言葉が広く使われるようになったのは2011年頃であるが、本書の原書"Super Crunchers - Why thinking-by-numbers is the new way to be smart"が出たのが2007年、本書も同年に出版されていることから、本書にはビッグデータという言葉は登場しない。代わりに、「絶対計算」という言葉が使われている。
 企業も政府も、意思決定をますますデータベースに頼るようになっている。(中略)絶対計算とは何だろうか。それは現実世界の意思決定を左右する統計分析だ。絶対計算による予測は、通常は規模、速度、影響力を兼ねそなえている。データ集合の規模はとんでもなくでかい―観測数の点でも変数の数の点でも。分析の速度も加速している。データが出てきた瞬間に、リアルタイムで定量計算されることが多い。そして影響力もすさまじいことがある。
 企業がビッグデータを活用して業績改善に成功している事例は本書にもたくさん載っているし、ネットでも簡単に調べられるので、今さら私がどうこう言うことはない。本書で興味深いのは、ビッグデータの活躍が企業経営にとどまらず、公共の領域にも及んでいるという点だ。
 多くの州は、職探し支援を提供すると州の失業保険料支払いが下がるかどうかを調べる試験を行ったのだ。求職支援は新しい職能訓練を提供するのではなく、新しい仕事への応募と面接の受け方について助言するものとなっていた。こうした求職支援支援が目新しかったのはもう1つ、これらが2種類のデータベース意思決定、つまり回帰分析と無作為化を組み合わせていたからだ。

 求職支援プログラムは、まず回帰方程式をつかって、自力で仕事を見つけられなさそうな労働者を予測した。この回帰分析のおかげで統計的なプロファイリングができて、支援を必要とし、それが最も効果をあげそうな人物に支援を集中することができるようになった。プロファイリングの段階が終わったら、無作為化がやってくる。この試験は、適切な失業者を、支援受給者と不受給者の対照群とに無作為に振り分けて、この介入の影響を直接計測できるようにした。
 ダイレクト・インストラクション(DI)は、教師を脚本にしたがわせる。授業はすべて―「指を題名の下において」といった指示も、「続けて」といったうながしも―教師用のマニュアルに書かれている。発想としては教師に、理解しやすい細かい概念として情報を提示させるように強制し、そしてその情報が本当に咀嚼されるよう確認するということだ。(中略)

 (DIの考案者である)エンゲルマンは、(ピアジェの)子供中心教育法も(チョムスキーの)全言語アプローチも言下に否定する。かれはチョムスキーやピアジェほどは有名ではないが、秘密兵器を持っている―データだ。(中略)バックエンドにある絶対計算は、生徒の学習にどんなアプローチが実際に有効かを教えてくれる。エンゲルマンは、実際につかえるかを無視した頭ごなしの哲学談義に基づく教育方針には猛反対する。
 もちろん、豊富な経験と鋭い直観を頼りに仕事をしてきた専門家たちは、押し寄せるビッグデータの波に必死に抵抗しようとする。だが私は、アメリカ人というのは、絶対的な解は1つしかないという一神教の世界で生きる人種らしく、世界の全てをデータ化し、単純なモデルといくつかの変数で世界を説明し尽くそうとする人たちではないかと思う。実際にその作業を行うのが人間なのか、コンピュータなのかという違いだけである。

 歴史を振り返れば、アメリカは外国の政治に介入する場合、必ず事前にその国について膨大なデータを収集していた。日本を占領支配する時に実施した分析の結果がルーズ・ベネディクトの『菊と刀』である。ベネディクトは、日本の野蛮な性格は、幼少期の厳しいトイレット・トレーニングが原因だと結論づけた。実にシンプルな考え方だ。こうした理解に基づいて、GHQは日本の教育の自由化を進めていった(以前の記事「高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した」を参照)。

菊と刀 (講談社学術文庫)菊と刀 (講談社学術文庫)
ルース・ベネディクト 長谷川 松治

講談社 2005-05-11

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 現在でも、アメリカ政府は世界中の通信情報をかき集めている。ドイツのメルケル首相の携帯電話が傍受されていると問題になったことがあったが、おそらく氷山の一角だろう。アメリカは、エシュロンと呼ばれる通信傍受施設を世界中に配置していると言われる(アメリカ政府は公式には認めていない)。欧州議会の報告書は、日本の青森県三沢飛行場にエシュロンがあると指摘している。それでも、アメリカの分析能力は昔に比べると落ちているようで、内田樹氏は、アメリカがイラク戦争であれほど手こずったのは、事前分析を怠ったからだと指摘している(内田樹、中田考『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』〔集英社、2014年〕を参照)(※)。

一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)
内田 樹 中田 考

集英社 2014-02-14

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 ビッグデータの活用によって、意思決定の主体が人間からコンピュータに移ることは、一部の専門家にとっては許しがたい話かもしれないものの、アメリカ人全般にとって朗報かもしれない。というのも、人間は基本的に自分で意思決定をしたがるが、極めて重要な問題については他人に決定を委ねようとする傾向があるからだ。

 例えば、我が子の延命措置を中止するか否かという局面において、親が自ら判断を下すよりも、医師に判断を委ねた方が、実は親の後悔は少ないことが解っている。自ら延命措置を中止した親は、「本当に自分の判断は正しかったのだろうか?」、「他にも選択肢があったのではないか?」と後悔の念にさいなまれたという(以前の記事「シーナ・アイエンガー『選択の科学』―選択をめぐる4つの矛盾(前半)」を参照)。

 いわゆる「トロッコ問題」も、重要な局面で人間がどのように判断を下すかを示唆するものであろう。トロッコ問題とは、次のような問題だ。鉱山で作業をしていたトロッコの制御が利かなくなってしまった。トロッコが走るレールの先には5人の作業員がいる。このままではトロッコが5人と衝突して、5人とも死亡してしまう。

 ここであなたには2つの選択肢がある。1つは、目の前のスイッチを切り替えることである。そうすれば、トロッコはもう一方のレールを走るので、5人との衝突は避けられる。しかし、そのレールには別の作業員が1人いるため、トロッコは彼と衝突し、彼は死亡する。もう1つは、あなたのすぐ横にいる巨体の作業員を利用することである。あなたが彼をトロッコの前に突き飛ばせば、トロッコは彼と衝突して停止する。だが、彼がいくら巨体であるといっても、衝撃でやはり死亡する。

 つまり、どちらの選択肢をとっても、5人は助かる代わりに、必ず1人は死亡する。被験者は、前者の選択肢を選ぶ方が多いらしい。どちらの選択肢を選んでも「1人犠牲にする」という結果は同じである。しかし、その結果に自らの手で関与したくはないようである。

 人間の理性が万能であると説いたのが啓蒙主義であったならば、人間の理性よりもコンピュータの理性を信奉し、コンピュータに重要な意思決定を委ねるのは、「第二の啓蒙主義」と言えるかもしれない。アメリカがこの先どういう方向に進むのかは見物である。コンピュータは確かに万能だが、それを作った人間はもっと万能である、というロジックを展開するのだろうか?それとも、コンピュータに理性の王者の地位は譲ったけれど、その我々人間がそのコンピュータにデータを投入しなければ全く機能しないといった具合に、屈折した自尊心で満足するのだろうか?

 翻って日本人を見てみると、トヨタの三現主義(現場、現実、現物)という言葉があるように(最近、色々な中小製造業を回らせてもらっていると、トヨタと同じ言葉を掲げている企業が非常に多い)、現場をつぶさに観察することをよしとする風潮があると思う。人間の五感を通じた観察なので、どうしても観察の範囲は限られる。日本人は、その特定の世界で通用する原理原則を導く。よって、世界全体を見渡せば、様々な人が様々な方法で実施した観察から導かれた様々なモデルが混在することになる。これは、多神教文化圏に属する日本の重要な特徴である。

 私は、ある大手スーパーマーケットの話が好きである。このスーパーマーケットが新しい地域に出店する場合、商圏内のニーズを把握するのに相当の時間をかける。まず、担当者をその地域に1年間張りつけて、商圏内の人々が何を買っているのかをじっくりと観察させる。晴れの日と雨の日の違い、暖かい日と寒い日の違い、1人の買い物客と家族連れの買い物客の違い、若者と高齢者の違いなど、様々な角度から観察を続ける。

 次にやるのは、商圏内のあちこちにあるごみ置き場の調査である。担当者はゴミ袋を開けて、住民は何を食べているのか、何を使っているのか、それはどこのスーパーで購入したものか、などといったことを徹底的に調べ上げる。それでもこのスーパーは飽き足らず、第3ステップとして、担当者に菓子折りを持たせ、マンションを1軒1軒訪問させて、冷蔵庫の中身を見せてもらうのだという。こうして、その商圏特有のニーズを抽出し、品揃えや販促活動に反映させていく。結果的にそのスーパーは、他の地域でその企業が展開しているスーパーとは全くの別物になる。

 これがアメリカ企業ならば、全国の購買データをかき集めて、顧客の属性と店舗の収益との間に成り立つ式を導き出し、出店予定のエリアに関する値をその式に投入して終わりだろう。

 最近、アメリカでは、社会人類学者のように顧客を観察することでニーズを掘り出そうとする「エスノグラフィーマーケティング」が注目されている。その実践例として、P&Gの"Livin' it"という活動が取り上げられる。これは、P&Gが新興国市場に進出する際、社員と現地の人たちとを一定期間一緒に生活させて、彼らが抱えているニーズを把握しようとするものである。また、10年ぐらい前には、「歩き回る経営(Management By Walking Around)」という言葉もあった。経営者は机に座っているだけでなく、もっと顧客の元へ歩いて出ていかなければならない、というわけだ。

 個人的には、顧客のことを直接観察してニーズを把握するなどというのは当たり前ではないか?なぜこんなことが今さらアメリカで注目されているのか?と疑問に思っていた。だが、今日の記事で述べたことに基づけば、アメリカはそういう考え方に馴染みがないからなのだろうと思う(最近は、日本企業も規模が大きくなりすぎて、企業と顧客との間に微妙な距離感が生じてしまい、顧客のニーズをとらえ損ねているようなケースがあるが・・・)。


(※)膨大なデータを通じて全知全能になろうとするアメリカの癖は、イギリスに遠因があるように思える。イギリスも同じく、植民地支配の前に広範なデータ収集を行っていたらしい。植民地支配がなくなった現代では、産業のことを細かく調べる。経営学のフレームワークに、産業を取り巻く外部環境を分析するPEST分析というものがある。ある中小企業診断士の方から教えてもらったのだが、イギリスの経営学の論文には、PEST分析を取り扱ったものが非常に多いらしい。その分析も、大きな産業レベルから一企業レベルまで実に様々であるという。


2014年08月14日

『行動観察×ビッグデータ(DHBR2014年8月号)』―行動観察はマーケティングの常識をひっくり返す、他


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 08月号

ダイヤモンド社 2014-07-10

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○顧客の絞り込みが事業を強くする 企業にとって最も大切な顧客はだれか(ロバート・サイモンズ)
 企業は皆、顧客重視の戦略をとっていると主張する。しかし、「顧客」ほどいかようにも使えるマネジメント用語は珍しい。実用的な定義としては、「製品やサービスを購入して売上げをもたらしてくれる人や組織」があるだろう。この定義には、消費者、卸売業者、小売業者、企業の購買部門など、バリューチェーンに関わる幾多の人や企業が含まれる。社内の他部門を顧客と呼ぶ場合さえある。製造部門はR&D部門の顧客であり、この両部門はともに人材開発部門にとっての顧客だ、といった具合である。
 この論文の冒頭の記述には、いささかの疑問を感じずにはいられない。これでは顧客の定義が広すぎると感じる。もっともこの論文は、多種多様な顧客の中から最重要の顧客を特定するステップを論じたものではあるが、仮にこの前提が正しいとすれば、企業は恐ろしく八方美人的な存在ということになるだろう。企業は顧客のニーズを満たすために存在するが、そのニーズは多岐にわたり、したがって企業の目的も多岐にわたることになる。

 旧ブログの記事「ミンツバーグによる戦略の10学派(2.プランニング・スクール)」で述べたように、企業の目的が多すぎると、目的同士がコンフリクトを起こして、結局は妥協の産物しか生まれない。企業の目的は1つであり、よって顧客も1種類に絞らなければならない。そしてその顧客とは、自社製品・サービスの「エンドユーザ」に他ならないと考える。

 よく下請企業は元請企業が顧客だと考えるが、私はそれは違うと思う。例えば、電化製品の部品を製造している企業は、確かに最終組立メーカーから代金の支払いを受けているとはいえ、真の顧客は電化製品のユーザである。最終組立メーカーは、エンドユーザにアクセスするためのチャネルという位置づけになる。だから、下請企業は元請企業のニーズばかりに気を取られるのではなく、エンドユーザのニーズにもっと敏感にならなければならない。

○常識を乗り越え みずから変化を生み出す法 行動観察をイノベーションへつなげる5つのステップ(松波晴人)
 行動観察でまず重要なのは、観察者がみずから”場”に足を運ぶことである。観察者が”場”に行き、人間の行動を観察すると、さまざまな事実に気づくことになる。「高齢者のための新しいサービスを考える」というプロジェクトで、高齢者の行動観察を実施したとする。70歳の高齢者の女性Aさんと一緒に一日過ごして、行く先々でのAさんの行動を観察したとしよう。

 Aさんが、いつも行くスーパーマーケットに入っていく。洗剤の棚の前で首を横にしながらどれを買うか悩んだうえで、ある製品を手に取る。パッケージに書かれている文字を読もうとしているAさんを背中越しに見ていると、ある事実に気づく。それはAさんの着ている服が裏返しになっていて、首の後ろにサイズのタグが見えていることである。しかも、本人はまだ気づいていないようである。(中略)

 上記の観察結果から「気づく」ことは何だろうか。観察者が気づくべきことは、まず、「Aさんは、どの洗剤を買うかとても迷っていたのに、棚の前でけっしてかがまなかったこと」である。かがまなければよく見えない商品もあったことを考えれば、「高齢者が実質的に見ることのできる棚の範囲は限られる」ことがわかり、「高齢者が好みそうな商品は見やすいところに置くべきだ」というソリューションのアイデアが得られる。また、服装を裏表間違えても恥ずかしい思いをしなくていいように、裏表がそもそもない服を開発する、というアイデアもおもしろいかもしれない。
 本号の特集は「行動観察×ビッグデータ」となっているが、内容的には行動観察のウェイトの方が高い。そして、行動観察の手法として「エスノグラフィー」が紹介されている。エスノグラフィーとはもともと文化人類学者の用語であり、そのエッセンスを端的に述べるならば、引用文にあるように、「何の先入観も持たず、対象をじっくりと観察する」ということになる。

 『ビッグデータ競争元年(DHBR2013年2月号)』―逆説的に重視されるようになる「直観」
 『アナリティクス競争元年(DHBR2014年5月号)』―ビッグデータの方向性とアブダクションの重要性

 確かにビッグデータは様々な示唆を与えてくれる。しかし、ビッグデータが有効なのは、既存の製品・サービスをファインチューニングしたり、顧客1人1人の好みに合わせてちょっとずつカスタマイズされた製品・サービスを提供したりする場合に限られるように思える。既存の枠組みを超えた画期的な製品・サービスを生み出すには、むしろ行動観察の方が威力を発揮するだろう。

 行動観察は、従来のマーケティングの常識をひっくり返す。従来のマーケティングでは、市場を様々な定量的変数でセグメンテーションし、その中から自社にとって最も魅力的なセグメントをターゲット市場としていた。ところが、市場調査が発達して、誰でも容易に定量的変数を取得できるようになると、どの企業も似たようなターゲティングをするようになり、差別化が難しくなる。また、規模や収益を追求する企業は、ターゲット市場を広く設定する傾向がある。すると、ターゲット市場の顧客ニーズは一様でなくなる。彼らのニーズに全て応えようとする企業は、製品・サービスにあれもこれもと機能を追加してしまい、ついつい品質過剰を生み出してしまう。

 行動観察は、限られた数人の顧客を観察し、そこからニーズを推測するため、差別化がしやすい。まず、対象となる顧客の選び方によって差が出る。さらに、顧客の観察を通じて普遍的なニーズを導き出すステップも主観に左右されるため、ここでも差が出やすい(限定的な事実から普遍的な法則を推論する方法は「アブダクション」と呼ばれる)。もちろん、推論が外れる可能性も大きいが、推論が当たれば顧客の心をぐっとつかんで離さないだろう。

 逆説的だが、非常に限定された顧客のためにデザインされた製品・サービスの方が、かえって多くの顧客を獲得できるような気がする。そのような製品・サービスを使う顧客は、「これこそ私のための製品・サービスだ」と、深い愛着を持ってくれる。品質過剰に陥っている製品・サービスでは、ここまでのロイヤルティを獲得することはできない。製品・サービスのファンになった顧客は、そのよさを周りの人に積極的に広めてくれる。その顧客に共感する人もまた、新しいファンになってくれる。こうして、顧客と企業が製品・サービスを介して、深い心理的な絆で結ばれていく。

 従来のマーケティングはターゲット市場という”面”を攻めていた。これに対して行動観察によるマーケティングは、限定された顧客という”点”を攻めて、徐々に”面”へと広げていくマーケティングと言える。この点で、行動観察は従来のマーケティングと決定的に異なる。

 以前、「「新型スカイライン」の想定顧客 実は600人位しか実在しない?」という、日産のペルソナマーケティングを批判する記事を見かけたが、ペルソナマーケティングはペルソナからターゲット市場の規模を推計することが目的ではない。想定顧客を極限まで具体化することで特定の顧客に近づき、彼らのニーズを深掘りすることが目的である。だから、スカイラインの想定顧客が600人しかいなくても全く問題ないのである。むしろ、この600人を起点として、スカイラインのファンをじわじわと広げていくことが日産の狙いであるはずだ。

 (続く)



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