2013年09月08日
【ベンチャー失敗の教訓(第34回)】スキルが狭すぎてお互いに助け合えない
>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
世界的に有名なトヨタ生産方式を語る上で外せないキーワードの1つに「多能工化」がある。生産現場において、1人が1つの職務だけを受け持つ「単能工」に対し、1人で複数の異なる作業や工程を遂行する作業者を「多能工」と呼ぶ。柔軟な生産体制を維持し、生産性の向上を実現するためには多能工の確保が欠かせない。トヨタでは多能工を積極的に育成している。
多能工は、大野耐一が考案したものである。豊田紡織(現トヨタ紡織)出身の大野は、紡織工場では女子工員が1人で数十台の織機を操業していたのに、当時の自動車作りでは、単能工に支えられたフォード生産システムの影響で、1人の工員が1台の工作機械しか操作しないことが常識となっていた。大野はこれを課題ととらえ、工作機械の「多台持ち」、後に1人が異なる工程を受け持つ「多工持ち」化を進め、ここから多能工の概念が生まれた。
多能工の誕生には、当時トヨタが直面していた時代背景も影響している。1950年代から70年代の日本は、高度経済成長期にあった。しかし、労働力の供給量には量的な制約がある。トヨタの生産現場は慢性的な人材不足に陥っていた。また、アメリカ市場では画一的なモデルを大量生産すればよかったのに対し、日本市場では複雑な道路事情もあってニーズが多様化しており、多品種少量生産を強いられた。そこでトヨタは、限られた人員の能力を多様化し、1人で複数の工程を担当できるようにする、すなわち多能工化することで、問題を解決しようとしたわけだ。
慢性的な人材不足という点では、1950年代から70年代のトヨタも現在のベンチャー企業も同じである。人手が足りないベンチャー企業では、今いる社員が協力し合って目の前の仕事を乗り切るしかない。必然的に、ベンチャー企業の社員には、トヨタの現場社員と同様に、多能工化が求められる。手前味噌な話で恐縮だが、私の主たる担当業務はコンサルティングであったにもかかわらず、それ以外に研修プログラムの開発、マーケティング、営業活動もやった。自ら進んでやったというよりも、やらなければならない状況だったから、と言った方が正しい。
それなのに、X社の社員の多くは、自ら多能工化を拒んでいるように見えて仕方がなかった。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない」でも紹介したように、キャリア研修には大きく分けて若手社員向け、中堅社員向け、シニア社員向けの3タイプがある。X社にはそれぞれのタイプ別に講師がいたが、担当以外の研修については関心を持たず、中身を知ろうともしていなかった。
そのため、若手社員向けの研修が忙しくなって講師不足になっても、シニア社員向けを担当している講師は手伝わない、などという事態が頻発した。それでも案件が回っているうちはまだマシな方であって、若手社員向けキャリア研修の大型案件が受注できそうだという時に、自前で講師の頭数を揃えることができないという理由で失注してしまった、などということが何度もあった。
X社はキャリア研修の他にリーダーシップ研修も売りにしようとしていた。「【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない」でキャリア研修の市場規模が小さすぎる点を指摘したが、管理職研修の一環として行われることが多いリーダーシップ研修は市場規模も大きく、キャリア研修に比べればはるかに魅力的であった。しかもA社長は、キャリア研修とリーダーシップ研修の内容をリンクさせようとしていた。すなわち、キャリア開発においてもリーダーシップを発揮するにあたっても、重要なのは自分の基軸をはっきりさせることであり、研修では受講者に自らの「内なる軸」を気づかせたい、という思いを抱いていた。
ところが、いざリーダーシップ研修の開発が終わると(私も開発に携わった)、キャリア研修の講師は1人を除いて全員が、「リーダーシップ研修の講師はやりたくない」と言い出したのである。その理由は、「自分はいままでのキャリアでリーダーシップを発揮するような局面を経験しておらず、受講者に自信をもって教えられるノウハウを持ち合わせていない」というものであった。
結局、ただ1人リーダーシップ研修をやることになった講師をサポートする講師が誰もおらず、リーダーシップ研修が軌道に乗らなかったのは言うまでもない。その講師は重責に耐えかねて、ある研修の休憩時間中にトイレで泣いていたという話を後から聞いた。その講師が泣いている間も、他の講師は自分の担当領域に閉じこもって外に出ようとしなかった。
A社長自身も、多能工化したいのかしたくないのか、はっきりとした態度を示さなかった。X社では、キャリア研修やリーダーシップ研修を、論理を超えた情理がはたらく世界のものとして、”アート系”の研修と呼んでいた。これに対して、いわゆるビジネススキルの習得を目指す研修を”ロジカル系”と位置づけていた。X社が目指す理想的なビジネスパーソン像とは、ロジカル系もアート系もバランスよく身につけている人である。当然のことながら、そういう人材の育成を目指すX社の社員も、同じような能力を持った人材でなければならない。
私はある時、自分がロジカル系もアート系も開発するのには限界があるので、研修開発スタッフを増員してほしいとA社長にお願いした。するとA社長は、「ロジカル系もアート系も両方できる人なんてそうそういないよ」と返してきた。いや、そういう人材の育成を我が社は目指しているのではないのか?我が社の社員は、両方に精通しているとまではいかなくとも、両方に理解がなければならないのではないか?と主張したが、A社長の理解を得ることはできなかった。結局、主にロジカル系を担当していた私がアート系の開発の支援をすることはあっても、アート系を担当していた研修開発スタッフが私のロジカル系をサポートしてくれたことは一度もなかった。
単能工を前提とするフォード生産システムでは、それぞれの工程を担当する作業者は担当以外の工程の仕事のやり方を知らないため、欠員や作業の遅れがあっても支援には回らない。仮に、割り当てられた作業を終えたり、前工程が遅延して作業が回ってこなかったりすると、“待ち”が生じる(トヨタは”手待ちのムダ”を「7つのムダ」の1つに数え上げており、徹底的に排除しようとしている)。X社の社員も、これと似たような状態にあった。フォードが100年近くも前に直面していた課題を、X社は未だに抱えていたのである。時代錯誤もいいところだ。
(※注)>>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ
X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング