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DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要
DHBR2018年1月号『テクノロジーは戦略をどう変えるか』―伝統的な戦略立案プロセスを現代的な要請に従って修正する素案(議論の頭出し程度)
『CSV経営(DHBR2015年1月号)』―日本人は「経済的価値」と「社会的価値」を区別しない、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年09月14日

DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年10月号 [雑誌] DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年10月号 [雑誌] DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-09-10

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 「競争戦略より大切なこと」という特集でありながら、競争戦略論の大家であるマイケル・ポーターの論文「『何をすべきか』、そして『何をすべきでないか』 戦略の本質」という論文を再掲し、それに対して、「いやいや、競争戦略やポジショニングよりも業務効果(オペレーショナル・エクセレンス)が重要だ」と主張する論文「1万2000社超の大規模調査が明かす 競争戦略より大切なこと」(ラファエラ・サドゥン、ニコラス・ブルーム、ジョン・ヴァン・リーネン)を載せて、結局は「戦略もオペレーションもどちらも大事である」という、至極まっとうなことを述べた「強い会社が持つ4つの要因 『学習優位』の競争戦略」(名和高司)という論文から構成される特集である。

 そもそも、ポーターが競争戦略論を提唱したのは、次の理由による。縦軸に「買い手に提供された価格以外の価値」、横軸に「相対的に見たコストポジション」を取ってグラフを描くと、生産性の限界線ができるのだが、この曲線の内部に位置する間は、品質と低コストの両方を同時に追求することが可能であった。1980年代に日本の自動車業界が競争力を持ったのはこのためである。ところが、生産性が向上し、生産性の限界線上に位置するようになると、品質と低コストの二兎追いが難しくなる。両者はトレードオフの関係になる。だからポーターは、品質を追求する差別化戦略か、低コストを追求する価格戦略のどちらかしか企業は採用できないと主張したわけである(もう1つのニッチ戦略と合わせて、ポーターの3つの基本戦略と呼ばれる)。

 だが、私が思うに、生産性の限界線は固定的ではない。企業が成長し、多様な顧客を取り込み、様々な製品・サービスを取り扱うようになると、企業活動は複雑性を増す。その分、生産性を向上させる余地が生まれる。つまり、生産性の限界線は右上へとシフトする。もちろん、企業も生産性向上の努力をするものの、それ以上のスピードで生産性の限界性は右上へと移動していく。その結果、企業は未だに生産性の限界性の内側に取り残される。だから、品質と低コストの両方を追求することは可能である。いやむしろ、昨今の競争環境の厳しさを考えれば、両方を徹底的に追求し、遠ざかる生産性の限界線に追いつかなければならない。この点で、オペレーション重視の伝統は死んでいない(むしろ、ますます重要になっている)と言える。

 とはいえ、企業はオペレーションだけを一生懸命磨いていればよいというわけではない。ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」で書いたように、イノベーションの脅威があるからだ。私はアンゾフの成長ベクトルを拡張して、①非顧客に着目して既存製品・サービスの新しい使い道を発掘する「新市場開拓戦略」、②全く新しい市場に全く新しい製品・サービスを供給する「完全なるイノベーション戦略」、③代替品や破壊的イノベーションなど、既存の産業・市場構造を抜本的に刷新する「代替品戦略」という3種類のイノベーションを想定している。

 このうち、「新市場開拓戦略」と「完全なるイノベーション戦略」は、新しい市場を追加するものであるから、既存事業にとっての脅威は(ないとは言わないが)それほど大きくない。怖いのは「代替品戦略」である。というのも、代替品は既存事業を完全に吹き飛ばす威力を持っているからだ。そして、これだけ社会が成熟してくると、完全に新しい需要を一から生み出すことは非常に難しく、イノベーションの大部分は代替品戦略になると予測される。経営陣は自社の既存事業を潰さないように、代替品戦略というイノベーションを先取りしなければならない。これは、ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」で書いた「包括的戦略」に該当する。

 経営陣は包括的戦略を主導する。現在の経営陣は、既存事業で成功したから現在の地位があるわけであって、過去の成功を自ら否定することには後ろ向きになる。だが、イノベーションの脅威に目をつぶった結果自社を苦境に陥れて経営責任を取るはめになるならば、裏を返せば、イノベーションを先取りして自社の事業を革新することも経営責任だと言えるはずだ。

 経営陣はまず、新しいミッション、ビジョン、価値観を掲げる。そして、それらに基づく新しい製品・サービスコンセプトを構想する。その上で、その製品・サービスを顧客に提供するためのビジネスエコシステム(生態系)を設計する。近年は、自社の利益を中心に据えたビジネスモデルという言葉よりも、多様なパートナーと一体となって顧客価値を提供するという点を重視して、ビジネスエコシステムという言葉が使われる。ビジネスエコシステムは、複雑な顧客価値を企業が単独で提供することが難しく、他社との協業が不可欠であるという前提に立っている。とりわけ今後重要になるのが、異業種との連携である。過去の代替品によるイノベーションを見ると解るように、代替品は予期せぬ異業種からやってくる。据え置きゲーム機、CD、DVD、メール、デジカメ、書籍、漫画、雑誌、クレジットカードなどは、スマートフォンという異業種によって破壊された。だから、異業種からの参入には、異業種との連携で対抗するのが効果的である。

 また、ビジネスエコシステムでもう1つ重要になるのが、競合他社との連携である。ポーターの競争戦略論は、競合他社を叩くことを主眼に置いている。本号に収録されている論文はポジショニングに関するものであったため、競合他社叩きは影を潜めていたものの、ポーターの大著『競争の戦略』は、有名なファイブ・フォーシズ・モデルを用いて、いかにして業界内で自社のパワーを保ち、競合他社を排撃するかについて多くのページを割いている。しかし、そのようなやり方はもう時代に合わなくなってきているということであろう。

競争の戦略競争の戦略
M.E. ポーター 土岐 坤

ダイヤモンド社 1995-03-16

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 ブログ本館の記事「岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』―現代マネジメントへの挑戦状」で、アドラーは垂直的な競争を否定し、各々がそれぞれのやり方で前に向かっていくような水平関係を構築しなければならないと主張していることを書いた。私はこの意味をまだ十分に咀嚼できていないのだが、1つの解釈として次のような見方が成立すると考える。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で書いたように、日本企業が強いのは、右下の「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoC)・事業(BtoB)に与えるリスクが大きい」という<象限②>である。

 この象限は必需品であるから、何としてでも全ての顧客のニーズを満たさなければならない。しかも、顧客のニーズは多様化かつ高度化している。すると、どの企業も単独では個別の顧客のニーズに完全には対応できない恐れがある。一方で、各企業には、長年にわたって獲得された精緻で微細かつ多彩な組織能力が蓄積されている。自社のターゲット顧客でありながら自社の組織能力では十分に対応できない場合は、競合他社の組織能力の一部を借りる。逆に、他社のターゲット顧客でありながらその企業の組織能力では十分に対応できない場合は、自社の組織能力の一部を提供する。こうして、競合他社間で細かく組織能力を調整し、市場の全顧客のニーズに応える。これが競合他社との連携の1つのあり方ではないかと考える。

 ビジネスエコシステムの設計の後には、研究開発・製品開発チームの編成、ビジネスプロセス・組織体制の見直し、人材育成の実施、評価制度の再構築などが続く。(外部のコンサルタントである私が言うことではないが、)外部のコンサルタントにこうした一連の経営改革の支援を依頼すると、論理的には筋の通った案を作成してくれる。ただ、注意しなければならないのは、製品・サービスコンセプト、ビジネスエコシステム、研究開発・製品開発チーム、ビジネスプロセス、組織体制、人材育成、評価制度に、自社の新しい価値観を丁寧に織り込んでいくという情理面の作業が欠かせないということである。これを怠ると、頭では理解できるが気持ちがついていかないという改革になって、最悪の場合改革が計画倒れになってしまう。

 イノベーションに関してよく問題になるのが、「イノベーションの組織を既存事業と分けるべきか?」という点である。イノベーションはすぐに成果が出ない。それに、既存事業とは異なる仕事のやり方が求められる。よって、既存事業と同じマネジメントを適用したり、同じ業績指標で評価したりするとすぐに潰れてしまう。だから、イノベーションの組織は既存事業から分けるべきだというのが一般論である。古くはピーター・ドラッカーがそのように主張していたし、破壊的イノベーションを提唱したクレイトン・クリステンセンもドラッカーを支持していた。

 この点に関しては、以前の記事「『イノベーションのジレンマ(DHBR2016年9月号)』―イノベーションの組織は既存組織と分けるべきか否か?」で論じたことがある。先ほど挙げた3つのイノベーションの類型のうち、①新市場開拓戦略は、既存事業の延長線上に新市場を創造するから組織を分けない方がよい、②完全なるイノベーション戦略は、既存事業とは全く異なることを行うから組織を分けた方がよい、③代替品戦略は、既存事業にとって脅威となり、既存事業から妨害を受ける恐れがあるから組織を分けた方がよい、というのが当時の結論であった。今、この記事で中心的に取り上げているのは代替品戦略であるから、それに絞って話を進めると、果たして組織を分けた方がよいのかどうか、最近は私の中で考えが揺れている。

 というのも、仮に代替品戦略が成功して既存事業がお払い箱になった場合、既存事業の社員を簡単に捨て去ってよいのかという疑問が生じるからである。よく考えてみると、既存事業と代替品は完全なる対立関係にあるとは限らない。既存事業の社員は、顧客が代替品へとシフトすることを支援することもできる。よって、両方の組織を分けずに、代替品の浸透に伴って、徐々に既存事業の社員を代替品事業へと移行するという手もあるのではないかと思うようになった。もっとも、代替品の普及スピードなど様々な要因に左右されるため、代替品戦略だからといって既存事業と組織を分ける/分けないと杓子定規に決められる問題でもないのが難しい。

 もう1つ、イノベーションに関する論点としてよく挙がるのが、「イノベーションはアジャイルで完成できるのか?」というものである(本号には、アジャイルに関する論文もあった)。個人的には、イノベーションにアジャイルを適用することには懐疑的である。とりわけ、日本企業が強い<象限②>は、モジュール化が進んだとはいえ、未だに擦り合わせがものを言う。だから、部分的なアジャイルの導入はできても、完全なるアジャイルは難しいと考える。そもそも、アジャイルは、製品・サービスを完結したモジュールやコンポーネントに分解し、開発者は自分が担当するコンポーネントの完成に集中すればよいという考え方である。その意味で自己実現的であり、誤解を恐れずに言えば自己満足的、利己的である。しかし、日本人の強みは利他的であることとチームワーク重視である。アジャイルの原則は日本人の精神と相容れないように感じる。

 話は変わるが、現在経済産業省は、日本企業の競争力を回復・強化するために、あらゆる産業で合併・経営統合を進めている。だが、私はあまり好ましい傾向だとは思わない。経産省は、企業が合併すれば経営が合理化されてコスト減につながると安易に考えている節がある。しかし、マーク・L・シロワー『シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか』(プレンティスホール出版、1998年)を読めば解るように、シナジー効果というのはそう簡単には表れない。まして日本の場合、企業同士が大きすぎて合併することが難しく、持ち株会社を作って経営だけを統合し、傘下の企業には独立運営を認めるというパターンが多い。この場合、コスト減などのシナジー効果はかなり限定されてしまうと考えた方がよい。

シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか (トッパンのビジネス経営書シリーズ)シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか (トッパンのビジネス経営書シリーズ)
マーク・L. シロワー Mark L. Sirower

プレンティスホール出版 1998-06

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 最も危険なのは、産業の川上に位置する企業を合併・経営統合することである。川上の企業は川下の企業に比べて取り扱っている製品が少ないから、合併・経営統合すればスケールメリットが得られると思われがちである。だが、川上の企業が合併・経営統合されると、実は、川下の企業の戦略が同質化する。解りやすい例で言うと、近年食品メーカーが季節ごとに発表する新製品が似たり寄ったりになっている。ある年はどのメーカーもイチゴを使った製品を出し、ある年はどのメーカーも梨を使った製品を出す。これは、食品産業における川上の企業が集約化されているためである。市場の多様なニーズに対応し、川下の企業が幅広い戦略的ポジショニングを取れるようにするためには、川上の企業こそバラエティに富んでいなければならない。川下の企業は、川上の企業の独自性あふれる製品を活かして、競合他社と差別化された製品を作る。だから、川上の企業を集約するなどというのは禁じ手である。

 経産省は、縮小する国内市場を埋め合わせる形で、合併や経営統合によって海外の需要を取り込もうと息巻いている。しかし、海外の需要を獲得するということは、その分だけ現地国企業の売上を奪うことでもある。私は経済音痴なのでまたおかしなことを言っていると思われるかもしれないが、これは新しい経済植民主義とでも呼ぶべき現象である。日本は世界各国から評価されているから、日本企業の進出は海外で諸手を挙げて歓迎されると思ったら大間違いである。どの国も、最初に考えるのは自国民の雇用を確保することである。よって、新興国をはじめ、外資企業の参入を規制している国は決して少なくない。

 日本の人口が減少するということは、需要も減るが供給も減る。経産省がなすべきことは、いつまでも成長神話にとらわれて企業を合併・経営統合し、企業を巨大化させることではなく、逆に、減少する需要に合わせて供給力を調整することである。とはいえ、その過程で余剰の人員はどうしても発生する。しかし、幸いにも新しい産業が生まれているし、人手不足の産業も存在する。余剰人員をこれらの産業にシフトさせるよう、職業訓練を施したり、セーフティーネットを整備したりすることこそ、経産省に求められる仕事である。

 最後に、経産省の仕事についてもう1つ注文をつけておく。経産省の仕事は、産業・企業に介入することだと思われている。だが、私が本ブログで何度か示している日本社会の多重構造「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭(国民)」という図式に従えば、行政府の一部である経産省がまず介入するべきは市場/社会である。つまり、有限の資源を上手に分け合って国民が物質的・精神的に恵まれた生活を送るために、よき消費者/市民として振る舞うよう導かなければならない。先ほどの構図は、階層構造の上に行けば行くほど利他的でなければならず責任が伴い、下に行けば行くほど利己心が許され自由が認められることも示している。「市場/社会」は階層構造のちょうど中間に位置し、利己心/自由とともに利他心/責任も要求される。顧客は神様だから、また自由市場経済だから、消費者は自由に振る舞ってよいとは私は考えない。消費者/市民には一定の社会性が要求される。

 かつて経産省は、大型スーパーの台頭に伴って、「安く、早く、高品質のものを購入するのが賢い消費者」というイメージを国民に吹き込んだ。その結果、企業は過度な価格競争に巻き込まれ、高品質への対応に苦慮し、モンスターペアレントに手を焼くことになった。消費者が勝手気ままに企業に要求を突きつける⇒業績が悪化した企業は社員の給与を下げる⇒社員が消費者側の立場になった時に苦しい生活を強いられ、暴走する⇒企業はさらに社員の給与を引き下げる⇒社員は消費者となった時にもっと暴徒化する―現在起きているのはこうした悪循環である。経産省はこの悪循環を断ち切る新しい消費者/市民像を提示しなければならない。例えば、製品・サービスの価値を正しく評価する、価値に見合う価格を支払う、1人の人間として道徳的・倫理的に行動する、企業のCSRを意識する、ほしい製品・サービスがない時は我慢するなどといった像である。経済産業省は、市場経済省などと名前を改めた方がよいと思う。

2018年01月11日

DHBR2018年1月号『テクノロジーは戦略をどう変えるか』―伝統的な戦略立案プロセスを現代的な要請に従って修正する素案(議論の頭出し程度)


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 01 月号 [雑誌] (テクノロジーは戦略をどう変えるか)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 01 月号 [雑誌] (テクノロジーは戦略をどう変えるか)

ダイヤモンド社 2017-12-09

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 「テクノロジーは戦略をどう変えるか」というタイトルの特集であるが、取り上げられているのはAR(拡張現実)/VR(仮想現実)、AI(人工知能)、ドローンといったITが中心である。今や経営においてITは欠かせないツールとなったが、ITはあくまでもツールであって目的ではない。この点を勘違いしている経営者や情報システム部門が時々いる。「最新の製品、サービス、パッケージ、システムが登場したから自社にも導入しよう」、「競合他社があの製品、サービス、パッケージ、システムを導入したから我が社も追従しよう」といった具合に意思決定をしてしまう。

 私はビジネスをデザインする際に以下の図を用いることがある。出発点となるのは、自社の経営ビジョンや戦略である。経営ビジョンは経営陣の主観的要素であるのに対し、戦略は外部・内部環境の分析から導かれる客観的要素である。主観的要素と客観的要素をバランスよく考慮した上で、その経営ビジョンや戦略を実現するためのビジネスプロセス(業務プロセス)をデザインする。ただし、この時点ではまだ組織構造や人員配置を考えない。経営ビジョンや戦略が目指している顧客価値を最も効果的・効率的に実現できるビジネスプロセスとは何かとゼロベースで問う。それが明確になった後に、業務の類似性・専門性を踏まえて組織構造を設計し、社員の人数・能力を踏まえてそれぞれの社員に担当させる業務を決定する。

ビジネスのデザイン

 ビジネスプロセスと組織構造、社員の職務範囲を決めた後は、そのビジネスプロセスにヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源を投入するための仕組みを構築する。ヒトであれば人事制度、モノであれば購買の仕組み、カネであれば予算配分制度、情報であればITがその仕組みに相当する。ここで初めてITが登場するのであって、意思決定の冒頭でいきなりITの話が出てくるのはおかしい。これは他の仕組みにも言える。欧米で流行っているからという理由で、その仕組みの目的や適用条件、成功要件などをよく考えずに自社に移植するのは誤りである。古い例で言えば、富士通が成果主義で失敗したのは、ビジネスプロセスを定義せずに人事制度だけを先に変えようとしたからである。また、ソニーはEVA(経済的付加価値)に基づく予算配分制度を導入したが、短期的な利益ばかりが追求され、イノベーションが阻害されてしまったと言われる。

 以上が、最もオーソドックスなビジネスデザインの方法である。お解りのように、ITは、「我が社の経営ビジョンや戦略を基礎とするビジネスプロセスを最も効果的・効率的に実現できるITとは何か?」という観点に立って導入を検討しなければならない。単に、その時々の流行を追いかけ回しているだけでは全く不十分である。本号にはコマツの代表取締役社長兼CEOである大橋徹二氏のインタビュー記事が掲載されていたが、次の言葉がこのことをよく表している。
 社会的課題(※建設業界における極度の人手不足に起因する、生産性向上の必要性のこと)は何かを見極め、それを解決するためにどうしたらいいか、そのために必要な技術は何かと、逆算しながら技術を考えることではないでしょうか。進化する技術を、いまのビジネスとどう関係付けるかという既存事業ありきの視点で見ていると、そこでフィルターがかかって情報が入ってこなくなります。(中略)

 これだけ短期間でスマコン(※「スマートコンストラクション」の略。コマツが提供する、ドローンなどを活用した建築土木業向けの総合的ソリューションの名称)が4000以上の現場に導入されたのは、ニーズから逆算して技術を考えていったからだと思います。
(大橋徹二「社会的ニーズを満たすための技術経営 経営者ならば、技術の目利きであれ」)
 私は前職でコンサルティング会社にいたが、こういう話をすると、「ITありきで考えてはならないというのは解る。だが、世の中にはITが戦略を変えてしまうケースもある」と、あるマネジャーが言っていたのを思い出す。確かに、戦略がITと密接不可分になっているケースは存在する。Microsoft、Google、Apple、Amazon、Facebook、VISAなどはその代表例であろう。彼らは世界のイノベーションを牽引する巨大な存在である。どうして日本からはGoogleやAppleが生まれないのかが真剣に議論されることもある。ただ、私に言わせれば、ITによって戦略を変えるイノベーションはアメリカから”しか”生まれていない。だから、日本はそれほど深刻になる必要はない。前述のオーソドックスな方法でITを利活用すれば十分であると思う。ちなみに、ITで戦略を変えてしまうアメリカ人イノベーターの頭の中がどうなっているのかは、私にはまだよく解らない。

 さて、先ほどの引用文で、コマツは「社会的課題」に着目しているとあった。社会的課題の解決と経済的価値の創造を両立させる戦略は、マイケル・ポーターがCSV(Creating Shared Value:共通価値創造)と呼ぶものである。ここで私はさらに論を進めて、「実現する価値が経済価値にとどまるか、社会的価値も含むか?」という軸と、「価値創造の方法が経済的方法にとどまるか、社会的方法も含むか?」という軸でマトリクスを作ってみたいと思う。多くの企業は、「経済的価値を、経済的方法で創造」している。だが、これからの時代で中長期的に高く評価される企業とは、「社会的価値も含む価値を、社会的方法も含む方法で実現する企業」ではないかと思う。例えば、途上国の貧困層向けのリーズナブルな衣料品を、社会的弱者を雇用しダイバーシティを実現しながら製造・販売するといったケースがこれに該当する。

 以前の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」で戦略立案の外部環境アプローチを、「DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』―戦略立案の内部環境アプローチ(試案)」で内部環境アプローチを紹介した。どちらのアプローチであれ、社会的価値を創造するためには、抽出した事業機会を以下の「社会的ニーズのテスト」にかけなければならない。具体的には、新しく生み出そうとしている製品・サービスが、

 ①顧客の健康をサポートするものであるか?
 ②顧客の生活の衛生面を保つものであるか?
 ③顧客の安全・安心な生活の実現に資するものであるか?
 ④顧客が貧困から脱却するのを助けるものであるか?
 ⑤顧客の自尊心を支えるものであるか?
 ⑥顧客が他者との人間的な絆を構築するのに役立つか?
 ⑦顧客の人間的・精神的成長を支援するか?
 ⑧顧客に有意義な時間の使い方を提供するものであるか?
 ⑨人的資源・地球資源の節約に貢献するものであるか?
 ⑩顧客の人生を社会的規範・道徳的価値観と合致せしめるものであるか?

などと問う必要がある。もちろん、これら全てを満たすことは難しい。だが、できるだけ多くの項目に該当する社会的ニーズに企業は取り組まなければならない。これは、経済的ニーズが快楽、利便性、効率、利益に焦点を当てているのとは対照的である。最近、鳥貴族などに女子高生が早い時間から集まって夕食を取っているらしい。経済的価値という観点から見れば、居酒屋の空き時間を埋め、回転率を上げてくれるから合格である。しかし、社会的価値という観点から見ると、女子高生は家族との絆を犠牲にしているし、また、1回の夕食に(バイトで稼いだお金ならともかく、)親のお金で1,000円も2,000円も使うのはお金に関する正しい価値観を損なっているから、失格である。また、私はスマートフォンも社会的ニーズには合致しないと考える。というのも、スマホでゲームに熱中する人々はたいてい、浪費した時間を後から後悔するからである。

 社会的ニーズのテストを経た後は、その社会的ニーズを社会的な方法で実現するビジネスを設計しなければならない。以前の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」では、ビジネスプロセスのあるべき姿を描くにあたって、基軸となる考え方をあるべき姿の方向性として定めるべきだと書いた。ここに、社会的な方法に関する方向性も加えていく。1つのヒントとなるのが「SDGs(Sutainable Development Goals)」である。以前の記事「「SDGs(持続可能な開発目標)」を活用した企業支援【城北支部青年部勉強会より】」でも書いたが、SDGsとは国連が地球規模の社会的課題について17の目標と169のサブ目標を設定し、2030年までに解決を目指すというものである。17の目標は、下図の通りである。企業はこの中から、自社で取り組めそうな課題を選択し、あるべき姿の方向性に反映させるとよいだろう。

SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)

 伝統的な戦略立案アプローチでは、ビジネスプロセスを定義した後、それを遂行するための人材要件を定め、その要件を満たす社員を充当する。ただ、このやり方の場合、社員を企業の都合に合わせて算術的に扱い、機械の部品のように酷使するする恐れがある。社会的な方法でビジネスを実現することには、社員に自尊心を持たせることも含まれる。社員が企業で働くことにやりがい、生きがいを感じるようでなければならない。端的に言えば、社員のモチベーションを上げなければならない。私は、社員のモチベーションについては社員本人が第一義的には責任を持つべきだと随分と厳しいことも書いてきたが(例えば以前の記事「【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点」を参照)、企業が社員の日々の活動時間の約半分を占めているという事実を踏まえれば、企業は社員の人生を実りあるものにする特別の配慮を払う必要があるだろう。

 ただし、社員のモチベーションを上げることは、社員を甘やかしたり、社員におもねったりすることではない。むしろ、社員に対しては厳しい現実を突きつけることになる。以前の記事「ウィル・シュッツ『自己と組織の創造学』―「モチベーションを上げるにはどうすればよいか?」そして「そもそも、なぜモチベーションを上げる必要があるのか?」」では、社員のモチベーションを上げるための要件として、①顧客からのフィードバックがあること、②一定の裁量を与えられていること、③複数の能力を使わなければならないこと、④能力のストレッチが要求されること、⑤周囲の社員との協業が必要であること、という5つを挙げた。別の記事「『致知』2017年12月号『遊』―「社員満足度がモチベーションを上げる」という理屈にどうも納得できない」ではさらに論を進めて、社員が自分の力ではどうしようもできない職場環境については社員を満足させる必要があるが、社員の力が及ぶ範囲においては逆に不満足を感じさせるべきだと書いた。

 具体的には、職場環境に関しては、①本人に裁量や権限を与える、②仕事を進める上でのマニュアル、ツール、設備などを整える、③十分な研修、トレーニングの機会を与える、④必要に応じて同僚や他部門からの支援を受けられるようにする、⑤福利厚生制度を充実させる、といった措置を講ずる一方で、仕事内容については、①仕事の量を多くして忙しくさせる、②企業が求める能力と自分の現在の能力との間にギャップを感じさせる、③難しい部下や後輩の育成を任せる、④顧客や上司から公正かつネガティブなフィードバックを与える、⑤今の仕事の先にどのようなキャリアがあるのか描くことを難しくさせる、といった状況を作るべきだと書いた。これらの要件を満たすように組織を設計し、それぞれの社員の業務内容、権限・責任の範囲を具体化し、人事制度などの仕組みを構築していくことが、人的資源の社会的活用につながると考える。

2015年01月28日

『CSV経営(DHBR2015年1月号)』―日本人は「経済的価値」と「社会的価値」を区別しない、他


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 01月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2014-12-10

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 (1)CSV(共通価値の創造:Creating Shared Value)とは、競争戦略の父であるマイケル・ポーターが近年になって提唱した新しい概念である。DHBRでも何度か取り上げられているが、CSVだけで特集が組まれたのは今回が初めてだと思う。

 《参考:旧ブログの記事》
 社会的ニーズの充足を通じて経済的価値を創造する―『戦略と競争優位(DHBR2011年6月号)』(1)(2)
 「社会的価値」はどうやって測定すればいいのだろう?―『戦略と競争優位(DHBR2011年6月号)』
 ポーターの「共通価値」の理解が深まるBOPビジネス事例集―『マーケティングを問い直す時(DHBR2011年10月号)』(1)(2)
 【論点】コカ・コーラは、工場を置く新興国の「水道事業」に参入するだろうか?―『リーダーの役割と使命(DHBR2011年12月号)』
 経済的⇔社会的価値という二項対立を克服するグレート・カンパニー―『「チェンジ・ザ・ワールド」の経営論(DHBR2012年3月号)』

 CSVの理論的な枠組みとその限界については、岡田正大「新たな企業観の行方 CSVは企業の競争優位につながるか」で詳しく整理されている。著者によると、ポーターのCSVには3つの側面(理論の揺らぎ?)があるという。

 ①「社会的価値」の追求は、「経済的価値」をもたらす原因の1つである。
 ②「社会的価値」の実現は、「経済的価値」が満たすべき条件である。
 ③共通価値とは、「経済的価値」と「社会的価値」の総合計を拡大することである。

 ②はCSVというよりCSRの範疇かもしれない。例えば、自社製品を製造する際に、環境負荷の低減に取り組むといったことが②に該当する。また、私が旧ブログで書いてきたことは、だいたい①に該当すると解った。コカ・コーラが新興国で水道事業に参入すれば、現地住民の死亡リスクが下がると同時に生活レベルが上がり(社会的価値の創出)、めぐりめぐってコカ・コーラの製品を購入できるようになるだろう(経済的価値の創出)。

 ただ、経済的価値と社会的価値をわざわざ区別して議論をややこしくしているのは欧米人だけなのではないか?という気もする。本号にはユニクロ・柳井正社長と日本GE・熊谷昭彦社長のインタビュー記事が載っていたのだが、2人とも経済的価値と社会的価値を区別していないと感じた。簡単に言えば、「社会に役立つことをすることが企業の役割である」と認識している。
 海外に進出すると、常に問われることがあります。あなたはどこから来ましたか。この国に対して、そして世界に対して、あなたはどんなよいことをしてくれますか。これらの質問に答えられなければ、グローバル展開はできません。(中略)

 世界と共存していくためには、世界で通用する価値を提供できなければいけない。それはまさに、CSVだといえます。普遍的な価値とは何かを集約したものがビジネスになる。その国の人々の生活をよくするという覚悟がなければ、グローバルな展開はできないのです。
(柳井正「収益性と成長性ある長期戦略を実現するために 世界一の企業を目指すならCSVは当然である」)
 一般的には、経済価値を追求したほうが株主価値は高くなると考えられます。社会的価値を追求するということは、企業価値、株主価値の伸び率を犠牲にする選択をしたと思われるかもしれません。しかし、けっしてそういうことではありません。

 イメルトは、世のなかにあるニーズにいち早く、より効果的にソリューションを提供することこそが企業価値だという考え方をしています。そのソリューションが他社よりも優れていれば差別化が図れることになり、最終的にはそれが利益還元につながると考えているのです。
(熊谷昭彦「創業者エジソンの精神への原点回帰 GEは事業で社会的課題を解決する」)
 以前の記事「「横浜型地域貢献企業」(ノジマなどが認定)―横浜市がCSRに積極的な企業を認定する制度」で書いたこととも関連するが、企業は次の2つの問いを追究すれば、自然と経済的価値と社会的価値を両立できるように思える。

 1つ目は、「顧客のニーズは社会的に見て善と言えるか?」という問いである。企業は顧客の全ての要望に応える必要はない。顧客のニーズが、道徳的・倫理的な視点や環境保全の観点から見て合理的と言えるかどうか、ふるいにかける必要がある。健康で文化的な最低限の生活を送るために必要な衣・食・住へのニーズは、間違いなく社会的な善に適う。一方で、宿題代行業などというのは、こうしたニーズの選別を厳密に行っていれば現れなかったに違いない。

 2つ目は、「製品・サービスの製造・提供プロセスは社会的に見て善と言えるか?」である。仮に社会的に正当なニーズであっても、その実現方法が先ほどと同じく、道徳的・倫理的な視点や環境保全の観点から見て合理的でなければ意味がない。例えば、靴そのものは社会的に善と言える製品だが、その靴を3人で毎月1万個製造せよというのは無茶な注文である。これは極端な例だが、いわゆるブラック企業は社員の扱いが善ではない。社員だけでなく、取引先や地球資源を搾取するのも同じである。そういう行為が前提となっているビジネスモデルは、早晩破綻する。

 アメリカ企業は、将来のある一時点において明確なビジョンを掲げ、いざその時が来てビジョンが実現されれば事業を売却するか、後は衰退を見据えて撤退戦略を描くかのどちらかである。つまり、アメリカ企業には初めから「終わり」がある。よって、社員や取引先、地球資源を多少搾取したとしても、自らが設定したゴールまで逃げ切ることができれば責任は回避されてしまう。しかし、日本企業は基本的に終わりを設定しない。事業は半永久的に続くものととらえている。よって、近視眼に陥って社員などを搾取すれば、将来的に必ずしっぺ返しを食らう。

 やや話が逸れるが、先日の記事「山本七平『「常識」の研究』―2000年継続する王朝があるのに、「歴史」という概念がない日本」で紹介した書籍では、日本人が経済と道徳を区別しないこと、とりわけ、道徳的問題が解決できなければ経済的問題に着手しないことを「徳川化現象」と呼んで、江戸時代からの日本人の行動様式だとしている。
 論争なき社会において、議論の主導権を握る方法は、徳川時代以来一貫して1つの法則があるということである。この原則は、いわゆる「お家騒動」にしばしば出現するが、簡単にいえば経済的合理性の問題を、道義もしくは倫理の問題にすりかえる方法である。言うまでもなく社会倫理に違犯する行為は、それ自体糾弾さるべき問題、あるいは是正すべき問題でこれに反証することは何者もできない。しかしこれは経済的合理性の追求とははっきりと別の問題なのだが、この2つをすりかえて、これが是正されない限り、経済的合理性を追求してはならないとする主張である。(中略)

 論争の国なら、この2つは、はっきり峻別されて、それぞれに別の論争が成立しても、これがすりかえ議論となって、一方が他に影響をするということは起こらない。
 (2)グラミン銀行(バングラデシュ)の創業者であるムハマド・ユヌスは、「社会的課題を解決する持続可能な仕組み ソーシャル・ビジネスというもう一つの選択肢」というインタビュー記事で、社会的課題を解決するために、株式会社ともNPOとも異なる組織形態を提唱している。
 私たちが提案するのがソーシャル・ビジネスです。これは飢餓、病気、教育などといった人類を悩ます社会問題、経済問題、環境問題を解決するために、ビジネスの仕組みを組み込んだ組織形態です。社会問題の解決という意味ではNPOと変わらず、そのためにビジネスを行うという点ではCSVと変わりません。

 決定的に異なるのは、資金の還流です。ソーシャル・ビジネスは、ビジネスと名乗る一上、株式会社と同じように利益を追求します。しかし、出資者は一定期間経過後に元本を回収できる可能性はあるものの、ビジネスで得た利益を手にする可能性はありません。つまり、ソーシャル・ビジネスはNPOがチャリティとしてやろうとしている目的はそのままで、利益を追求することなくビジネスの仕組みを組み合わせたものなのです。
 個人的には、社会的課題の解決のために、わざわざ新しい組織形態を作る必要があるのか、やや疑問である。ソーシャル・ビジネスは途上国の貧困や病気などを解決することが目的とされているが、例えば終戦直後の日本はそれらの国と(程度の差はあれ)似たような状態だったのではないだろうか?その日本を現在のように豊かにしたのは、主に株式会社であったはずだ。だから、社会的課題は、伝統的な資本主義のやり方で解決できる余地がまだあるように思える。

 それとも、現在の途上国が社会的課題を抱えているのは、資本主義の負の遺産なのだろうか?資本主義がやり残した課題であるからこそ、伝統的な株式会社などとは異なる仕組みが求められているのだろうか?この辺りの議論がもっと必要であるように思えた。

 (3)以前の記事「『投資家は敵か、味方か(DHBR2014年12月号)』―機関投資家に「長期的視点を持て」といくら言っても無駄だと思う、他」で、成熟したアメリカ企業は、自社の事業の終焉に向けて自社株買いをし、株主に報いる傾向があると書いた。本号には、そのような自社株買いの動きを批判する論文が収録されており興味深かった(ウィリアム・ラゾニック「3つの大義名分で覆い隠された真実 欺瞞だらけの自社株買い」)。
 (S&Pを構成する)449社は、この期間(2003年~2012年)に稼いだ金額の54%(合計で2.4兆ドル)を自社株買いに使った。そのほとんどは公開市場を通じて行われており、さらに稼ぎの37%は配当に使われている。それによって、生産能力を高める投資や社員の収入アップに充てるための資金はほとんど残らなかった。
 著者は、経営者は企業の持続的な存続と成長を目指して積極投資するべきであり、それができないようでは無責任だと手厳しい。
 長い時間をかけて生産能力を築き上げてきた企業は、隣接業界に参入しようと思えば、通常、組織面でも財政面でも巨大な優位性を持っているものだ。最高幹部の主要な役割の1つは、そうした自社の能力を活かす新しいチャンスを見つけることにある。それをせずに、最高幹部みずからが公開市場での自社株買いを選択する時、はたしてその幹部は、自分に課された仕事を行っているのかという疑問が生じる。
 著者は、経営者の責任放棄によって、イノベーションや研究開発など、生産性向上のための取り組みに回されるはずの資金が自社株買いに使われており、アメリカ経済全体にとっても大きなマイナスになっていると指摘する。日本企業も、著者のこうした警告には注意を払うべきだろう。




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