2017年05月22日
【議論】人材マネジメントをめぐる10の論点
今まで本ブログで個別に触れてきたことだが、改めて私の「人材マネジメント」観を整理しておきたいと思う。一般的な考え方と違っているところもかなりあるだろう。
Q1.採用時には志望動機(モチベーション)の高い人を選ぶべきか?
採用時に、「なぜこの業界を選んだのか?」、「なぜ我が社を選んだのか?」、「我が社に入社して何をしたいのか?」などを応募者に尋ねる企業は多い。しかし、採用面接時のモチベーションと入社後のパフォーマンスはほとんど関係がないと考えている。モチベーションというものは非常に移ろいやすいものである。担当する仕事、周囲を取り巻く人間関係や職場環境、あるいはプライベートな要因によってすぐに上下する。そういう不安定な要素を採用の決め手にしない方がよい。採用時には、後述のように別の観点から応募者を評価するべきである。
Q2.新卒採用では、自社の価値観と合致する人を採用するべきか?
採用とは、企業が自社の戦略に従って実行すべき業務を遂行できる能力を持った人を選択することである。だが、新卒採用の場合は、応募者に十分な能力がないことは解りきっている。そこで、自社の価値観と応募者の価値観が合致するかという視点で評価をすることがある。価値観とは、応募者や企業が大切にしている価値、ルールであり、重要な業務を遂行するにあたって意思決定のよりどころとなる指針である。業務を下支えするコンテクストと言ってもよい。
だが、22歳の大卒でさえ、価値観を要求するのは酷というものである。22歳では、人生の価値観を形成するには経験が浅すぎる。私の話をして恐縮だが、私には「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)|(2)|(3)」というものがある。10の価値観のうち、ほとんどは社会人になってから形成されたものである。新卒採用では、価値観よりさらに手前のプリミティブな要素を評価する必要がある。具体的には、性格を評価する。一般に、性格は協調性、誠実性、情緒安定性、開放性、外向性という5つの要因から構成されると言われる(これらを合わせて「性格のビッグファイブ」と呼ぶ)。新卒採用ではこれら5つの要因のレベルを評価するにとどめ、価値観や能力は入社後にじっくりと醸成していくべきであろう。
Q3.中途採用では能力が高い人を採用するべきか?
中途採用では、企業側は即戦力を求めている。よって、企業側が要求する能力を応募者が持っているかどうかを見ることが多い。しかし、一部の汎用的な能力(例:プログラミングの能力など)を除いて、大半の能力は特定の企業でしか通用しない企業特殊能力である。よって、たとえ前の会社で高い能力を発揮した人であっても、自社に転職した後は自社のやり方に慣れてもらうために一定のトレーニングが必要である。この点を見落としてはならない。
中途採用においてこそ、応募者の価値観と自社の価値観が合致するかを見るべきである。能力はトレーニングで変化させることができるが、一度染みついた価値観を変えることは難しい。応募者の価値観が自社の価値観と異なっているのに入社を許すと、その人は業務を遂行するにあたって周囲の社員との間に軋轢を生み、深刻な問題を引き起こすだろう。もっと言えば、応募者の価値観と自社の価値観がきれいに合致することは稀である。というのも、企業が違えば価値観も異なるわけであって、今まで別の企業で働いてきた応募者は、自社とは違う価値観を持っていると考えるのが自然だからである。だから、中途採用において本当に見るべきポイントは、「価値観の対立が生じた場合に、応募者がどのように対処してきたか?」である。
Q4.短期的に成果を上げるため、中途採用に注力するべきか?
年々、企業は短期的に業績を上げるようプレッシャーを受けるようになっている。短期的に成果を上げるには、育成に時間がかかる新卒採用よりも、ちょっとのトレーニングで済む中途採用に注力したくなる。アメリカのスタートアップ企業の中には、中途採用しか行わないと公言している企業もある。外部の企業が人材を育成してくれるのに、なぜ自社がわざわざお金と時間をかけて育成をしなければならないのか、というのが彼らの言い分である。日本でも、中小企業は中途採用が中心のところが多い。ただし、中小企業の場合は、意図的に中途採用中心になっているのではなく、知名度の低さゆえに新卒が集まらないというのがその理由となっている。
だが、全ての企業が中途採用のみを行ったらどうなるか、その結果は明白である。企業は社員に対してまともなトレーニングをしなくなる。代わりに、訓練などしなくても、天賦の才能で高い成果を出すことができる一部の逸材を多数の企業で取り合うことになる。労働市場には、訓練を受けていない低スキルの労働者が大量に排出される。能力がない新卒に関しては、採用される機会を完全に失う。これでは社会は機能不全に陥る。中途採用をするということは、本来自社が負担すべき教育訓練の費用の相当部分を外部化したことと同じである。中途採用に偏るのは、外部の企業が負担した費用にタダ乗りするずるい方法である。よって、企業は、たとえ手間暇がかかると解っていても、社会のために新卒採用をして教育訓練に投資しなければならない。
Q5.社員は自己実現を目指すべきか?
マズローの欲求5段階説に従うと、社員は仕事を通じて最上位の欲求である自己実現の欲求を満たすのが望ましいと言われる。だが、企業は顧客に奉仕する利他的な存在であるのに、その企業から給料をもらって企業に奉仕する社員が自己実現などという利己的な欲求を前面に出すのはおかしい。社員は何よりもまず利他的であるべきである。つまり、企業に奉仕し、さらに企業の先にある顧客に奉仕する。その結果として上司や顧客から得られる「承認」によって、利己的な欲求を満たすという順番が望ましい。承認欲求は欲求5段階説において4番目の欲求である。実は、最上位の自己実現欲求を持っているのはアメリカ人でもごく少数しかおらず、大半はその下の承認欲求を持っているとされる(そもそも、マズローの欲求5段階説は1つの仮説にすぎず、実証的に証明されたものではない点にも注意が必要である)。
Q6.社員は3年で一人前のプロフェッショナルになるべきか?
私が以前勤めていたベンチャー企業では、キャリア開発研修を販売していた。顧客企業の人事部からは、「入社3年目程度の若手社員を一人前のプロフェッショナルにしたい。そのための意識づけの研修を行ってほしい」という要望を受けることが多かった。教育研修業界の中でも(業界規模5,000億円程度の小さい業界だが)、「若手社員の自律化」が流行となっており、いかにして若手社員を早期にプロフェッショナル化するかがよく議論されていたのを覚えている。
だが、3年で仕事を一通り覚えることはあっても、プロフェッショナルになるのは無理があると思う。プロフェッショナルの定義は色々あるだろうが、個人的には、「発生頻度が最も多い標準的な事象に適切に対応できると同時に、発生頻度が低い難題もクリアすることができ、逆に発生頻度が低い易しい課題についても効率的な対処ができる人」だと考えている。つまり、ありとあらゆるケースを最適な方法で処理できる人のことである。3年程度では、発生頻度が最も多い標準的な事象に対応することはできても、それ以外のイレギュラーな事象に柔軟に適応するのは難しい。それができるようになるには、やはり最低でも10年はかかる。
もしも3年でプロフェッショナルになれるような仕事があるとしたら、それはおそらく非常に簡単な仕事であり、早晩海外にアウトソーシングされるだろう。日本国内にいる限りは、10年、いやそれ以上の時間がかかってようやくプロフェッショナルと呼ばれるようになるような、高付加価値の仕事をするべきである。ちなみに、剣道にはこんな言葉があるそうだ。「10年修行すると自分の強みが解る。20年修行すると相手の強みが解る。30年修行すると自分の弱みが解る」。これこそプロフェッショナルの神髄ではないだろうか?
Q7.社員のモチベーションを上げるべきか?
「我が社の社員のモチベーションが低くて困っている」と嘆く経営者は多い。経営陣は何とかして社員のモチベーションを上げようとする。しかし、よくよく考えるとこの構図はおかしい。というのも、お金を払うのは企業側、お金をもらうのは社員側であり、モチベーションを上げるとは、お金を払う側がお金をもらう側のモチベーションを上げることになるからだ。これがいかに不自然な構図であるかは、企業と顧客の関係を考えてみればよい。お金を払うのは顧客側、お金をもらうのは企業側である。しかし、顧客は企業のモチベーションを上げようなどとは露だに考えない。
それでも企業側が社員のモチベーションを上げなければならないとすれば、顧客は企業が気に食わなければ別の企業を選択すればいいのに対し、企業は社員が気に食わなくても簡単に代わりを探すことができないという事情によるだろう。だから、特別の配慮をしなければならない。と言っても、企業側が社員のモチベーションを上げるためになすべきことは、社員の前に「本当に困っている顧客」を提示して、彼らの利他的動機を目覚めさせるだけでよい(以前の記事「『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?」を参照)。モチベーションを管理する責任は社員自身にある。企業側が前述の配慮をしてもなおモチベーションが上がらないならば、問題は企業ではなく社員本人にある。
Q8.社員の満足度を上げるべきか?
サービス業のインターナルマーケティングにおいては、社員の満足度を上げると顧客接点におけるサービスの質が上がり、顧客満足度が上がると言われる。この「社員満足度向上⇒顧客満足度向上」という因果関係、正確に言うと「社員満足度向上⇒社員のモチベーション向上⇒顧客満足度向上」という因果関係が他の業界にも適用されて、多くの企業が社員満足度を重視するようになっている。だが、社員が満足してしまうと、現状に甘んじてしまい、もっとよくしようというモチベーションが湧かない可能性がある点をこの因果関係は無視している。
むしろ、社員が多少不満足を感じている時の方が、モチベーションが上がりやすく、結果的にいい仕事ができるのではないかと思う。具体的に言えば、Q7とも関連するが、「本当に困っている顧客」を提示され、その顧客から難題を押しつけられ、課題の解決を試みようとしても社内に十分なリソースや制度がなく、周囲から満足な支援を受けられないという逆境が、かえってモチベーションを燃え上がらせる。社員満足度調査を行って、全ての項目について社員の満足度を上げるように施策を打つのも考えものである。職場の物理的環境、具体的には職場の清潔さや安全性などについては、社員の不満足を取り除いた方がよいだろう。しかし、仕事の中身そのものについては、社員に多少の不満、不便を味わわせるぐらいがちょうどよい。
あまりに難しすぎるゲームはユーザーの心を折ってしまうけれども、難易度が適度に調整されたゲームは、ユーザーをイライラさせながらも、「何とかクリアしてやろう」とユーザーのモチベーションを持続させることができる。これと同じことである。
Q9.成果給、業績給の割合を増やすべきか?
成果主義の広がりによって、業績給を導入する企業が増えている。これは、給与の性質を成果に対する対価ととらえる発想である。だが、成果を正確に測定することは非常に難しい。私も本ブログや旧ブログで何度か試みたが、厳密に測定しようとすればするほど、複雑怪奇な計算式になってしまう。特に、チーム全体の成果を個人にどう配分すればよいのか、イノベーションに挑戦して失敗した人にどう報いればよいのかは難題中の難題である。どんなに緻密に組み立てられた数式であっても、必ず「その式は公平ではない」と言う人が出てくる。
そこで、次のように発想を転換してはどうだろうか?給与を成果に対する対価ではなく、社員の生活費の保障として位置づけるのである。生活費は入社時が一番低く、結婚、出産を経るにつれて徐々に上がる。子育てを卒業しても、今度は親の介護や自分自身の疾病の治療のためにお金が必要になる。つまり、生活費は年齢に比例して一貫して増加し続ける。よって、給与は必然的に年功的になる。出光興産の創業者である出光佐三も、給与は生活給であるべしとの信念を貫いた。こういう話をすると、頑張っても報われない人が出てモチベーションに影響が出るという批判を受ける。だが、企業が生活費の保障をしているのに、それ以上に金のために働くというような人、出光佐三の言葉を借りれば「黄金の奴隷」となっている人は、企業にとって毒である。それでも金がほしいと言うのであれば、株やFXでもやっていればよい。
Q10.人事考課はなくすべきか?
近年、アメリカ企業の中に定期的な人事考課を廃止するところが増えており、日本企業でもそれに倣う動きが見られると言う。だが、人事考課を廃止するのは、社員に対する評価をなくすことではない。半年ないし1年に1回しか上司からフィードバックが受けられない現状を改めて、部下に対しこまめにフィードバックを行うのが、人事考課廃止の狙いである。
私は、人事考課は廃止すべきではないと考える。理想的な企業とは、自社を取り巻く事業環境の変化に柔軟に対応して、戦略やビジネスモデルを頻繁に変更し、それに伴って業務プロセスや組織を再構築し、人、モノ、カネ、情報といった経営資源を再配置する企業であろう。しかし、環境の変化にあまりに身を委ねてしまうと、自社のビジネスを慎重に設計する営みが阻害されてしまう。端的に言うと、浅い考えになってしまう。だから、環境が激変する時代にあっても、定期的に立ち止まって、じっくりと先を見据えることが必要なのである。戦略や中期経営計画を毎年見直すといった取り組みには、依然として大きな意味がある。戦略などを見直すと、人材をいかに配置するべきかが問題となる。ここで人事考課の結果を活用して、社員の適材適所を実現していく。戦略に周期性がある限り、それと連動する形での人事考課は不可欠である。