2017年02月18日
【人材育成】能力開発はジグソーパズル、キャリア開発はレゴの組み立て
2016年4月1日より「改正職業能力開発促進法」が施行され、「労働者は職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して、自発的な職業能力の開発及び向上に努める」という基本理念の下、事業主は「労働者が自ら職業能力の開発及び向上に関する目標を定めることを容易にするために、業務の遂行に必要な技能などの事項に関し、キャリアコンサルティングの機会の確保その他の援助を行う」ことが定められた(指針第2)。また、「労働者は、職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発及び向上に努めるものとする」(3条)という規定もある。要するに、社員は自らのキャリア開発に責任を持たなければならないし、企業はそれを支援する必要がある、ということである。
ただ、企業がキャリア開発の支援を行うと言っても、多くの場合は、半年ないし四半期に一度行われる目標設定面談や人事考課面談において、面談の一部として部下のキャリアに関する相談に乗っているにすぎないのではないかと思われる。つまり、能力開発の延長線上にキャリア開発が位置づけられている。確かに、能力開発とキャリア開発の違いを明確にすることは難しい。そこで、今回の記事では、両者の違いに関する私見を述べてみたいと思う。
まず、能力開発は、企業の事業戦略とリンクしている。企業がどういう戦略を実行するのか、別の言い方をすれば、どの顧客層をターゲットとし、どのような顧客価値を、競合他社とどのように差別化しながら提供するのかという構想を練り、売上高、利益、市場シェアなどに関する目標を設定する。その上で、その戦略や目標を実現するためのあるべきビジネスプロセスや組織体制をデザインする。それが決まると、そのビジネスプロセスや組織を支えるために、どのような能力を持った社員が部門・階層ごとに何人必要なのかが見えてくる。人材戦略とは、戦略の実現に必要な社員を質・量の両面から確保するための戦略であり、能力開発はその一環である。
戦略のライフサイクルの短期化が指摘されるようになって久しいが、戦略の短期化に伴って人材戦略も短期化している。よって、自ずと能力開発は短期視点となる。それぞれの社員はどのような能力を身につけるべきなのか、それに対して現状の能力レベルはどの程度であるか、能力ギャップを埋めるためにどのようなトレーニングを実施するのか、といった能力開発計画を短期で回していく。通常、社員に求められる能力は複数あるだろう。社員はそれらの能力を1つずつ習得していく。例えるならば、完成図が見えているジグソーパズルにおいて、能力を1つ習得するたびにパズルのピースを1つ獲得し、パズルを順番に完成させていく、といったイメージである。
ジグソーパズルであるから、1つ1つのピースは矛盾なく埋め合わせることができる。つまり、パズルは客観的に設計されている。しかも、そのパズルの全体像を設計するのは、事業戦略と人材戦略、能力開発計画をリンクさせる企業側の責任である。これを実践している具体例として、トヨタの「星取表」を挙げることができるだろう。トヨタでは、仕事の処理に必要な技能や、仕事に取り組む姿勢を表現する態度能力の一覧を「星取表」で表示する。それぞれの社員について、習得できた能力は白丸、まだ習得できていない能力を黒丸で示して社内に掲示する。すると、まるで相撲の星取表のように、各社員の能力レベルが「○勝△敗」といった形で見える化される。
ここからキャリア開発の話に入っていくわけだが、そもそもキャリアという概念は非常に曖昧である。ここでは、金井寿宏教授の「キャリアとは、長期的な仕事生活における具体的な職務・職種・職能での経験と、それら仕事生活への意味づけや、将来展望のパターン」という定義を用いたいと思う。この定義には、これまで蓄積されてきた経験に対する意味づけという過去志向と、将来展望のパターンを描くという未来志向が同居している。昔、ある大学の准教授の先生から教えてもらったのだが、産業心理学の分野では過去志向が重視され、経営学の分野では未来志向が重視されるのだという。学術的な論争はさておき、過去の意味づけから将来をデザインするというのは至って自然の流れであるから、私は金井先生の定義を支持する。
これでもまだ曖昧だと感じる方のために、ダグラス・ホールによるキャリアの4分類も紹介しておこう。まず、1つ目が「昇進・昇格の累積としてのキャリア」である。通常、我々がキャリアという言葉で最初にイメージするのはこれであろう。「キャリアアップした」という言葉を使う時、まさしくキャリアをこの意味で用いている。だが、ホールはこれ以外にも3つの類型を提示している。
2つ目は「プロフェッションとしてのキャリア」である。これは、短期~中長期のスパンで特定の専門領域を追求した結果として生まれる職業意識のことである。3つ目は、「生涯を通じて経験した一連の仕事としてのキャリア」である。非常に長い目で見れば、一生涯に渡って1つの仕事・職種しか経験しない人は稀である。異動、配置転換、昇進、出向、転籍、転職などを通じて、様々な仕事を経験する。これらの職務経験を横串で通す認識が3つ目のキャリアである。
最後にホールは、「生涯を通じた様々な役割経験としてのキャリア」を挙げている。我々は人生においてビジネスパーソンとしての役割だけを演じるわけではない。ある時は配偶者として、ある時は父親・母親としての役割を果たす。また、人によってはNPOなどに属し、地域社会でボランティア活動を行っていることもあるだろう。さらに、誰かの重要な友人としての役割を果たすこともある。そうした仕事以外の役割も総合的にとらえた場合のキャリアがこの類型に該当する。
ホールが人間の一生をキャリアの対象としていることからも解るように、キャリア開発は、能力開発とは違い中長期的視点で行われる。我々がキャリア開発をする場合、まずは過去の経験の棚卸をする。能力開発における能力が企業側の論理で客観的に設計されていたのに対し、キャリア開発によって棚卸される経験は、本人の主観と固く結びついており、不定形である。例えば、上司に毎日怒られながら製品設計の仕事をしたという経験があったとしよう。仕事の直後には、「あのクソ上司が!!」と怒り心頭であったかもしれないが、一定の時間が経って冷静になってみると、あの時上司が厳しくしてくれたからこそ、マネジャーとなった今、部下が作成する設計図の勘所がよく解るようになったと思えることがある。
また、ある役割における経験は、別の役割の経験の影響を受けることがある。例えば、40代の脂が乗りきった時期に部長となったものの、突然父が脳梗塞で倒れ、父の介護をしなければならなくなった。部長の激務と父の介護を両立させることが難しくなり、離職を余儀なくされた。新しい仕事では年収が大幅に下がったけれども、父の介護を通じて、相手を思いやる心が身につき、新しい職場でそれが役に立った。あのまま前の会社で部長を務めていたら、部下の気持ちも解らずに身勝手なマネジメントをしていたかもしれない、といったケースもあるだろう。
繰り返しになるが、キャリア開発で棚卸しされる過去の経験は、非常に長い時間をさかのぼるものであり、本人の主観的な影響を受けた不定形なものである。そして、これらのパーツを基に、金井教授の言う「将来展望のパターン」を構築する。手持ちのパーツはどれも不揃いで、能力開発のジグソーパズルのようにぴったりと埋め込むことができない。不揃いのパーツを組み合わせるという意味では、キャリア開発はパズルよりもレゴに似ている。ただし、レゴの場合は、完成形が最初から決まっているパズルとは違い、自由度が高いという利点もある。本人が手持ちのパーツをどのように組み合わせて、どんな形を作るかは本人次第である。パーツが上手く組み合わせられない場合は、パーツ=経験に対する解釈を変えて、パーツの形を変更すればよい。
そういう試行錯誤を繰り返しながら、手持ちのパーツをできるだけ全て使い切って1つの形を完成させていく。1つ1つのパーツは不恰好で、それだけを見ているととても統一性がないようであっても、パーツを組み合わせれば何かしら整合的な形を作ることができる。つまり、これまでの様々な経験に一本の横串を通し、その人なりのストーリーを構築することができる。ここにキャリア開発の醍醐味がある。そして、でき上がった形は、私が何者であるかを示すと同時に、私が将来どういう方向に向かえばよいのかを示す象徴となる。ある人は森を作るかもしれないし、建物を作るかもしれない。動物を作るかもしれないし、幾何学的な模様を作るかもしれない。何ができ上がってもよい。それがその人のキャリアなのだから。
ただし、能力開発と違って、キャリア開発の責任は本人にある。今回の職業能力開発促進法の改正で決まったことは、企業が社員によるレゴの組み立てを支援してくれるということにすぎない。この点を勘違いしてはならないと思う。