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『世界』2017年12月号『「政治の軸」再編の行方―検証 2017年総選挙』―「希望の党」敗北の原因は「排除」発言ではない、他
市野川容孝『身体/生命』―「個体と全体」、「物質と精神」の「二項混合」
『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2017年12月19日

『世界』2017年12月号『「政治の軸」再編の行方―検証 2017年総選挙』―「希望の党」敗北の原因は「排除」発言ではない、他


世界 2017年 12 月号 [雑誌]世界 2017年 12 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-11-08

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 (1)今さらながら、10月22日に行われ、自民党が圧勝した衆議院議員総選挙について書いてみようという記事(こんな調子だから私のブログはいつまで経ってもアクセス数が伸びない)。
 比例区での自民党得票率をさらに踏み込んで、「投票率×自民党得票率」と考えるならば17.9%(前回は17.4%)となる。つまり有権者人口のわずか2割にも満たない積極的支持によって、自民党の議席占有率61.1%(前回は61.3%)が実現してしまうのである。
(寺島実郎「能力のレッスン―特別編 日本政治の活路を探る」)
 現行の選挙制度の歪みを指摘する際に、この手の主張は非常によく見られる。民意が自民党の得票率に適切に反映されていないというわけだ。だが、NHKが毎月行っている政党支持率に関する世論調査を分析すると、衆議院における各党の議席数割合は、実はそれほど民意とはかけ離れていない、むしろ民意を相当程度に反映した数字になっていることは、以前の記事「『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他」でも書いた。
 こう見てくれば、希望の党への確約なき合流画策と破綻、同調できなかった衆院議員による立憲民主党立ち上げや大量の無所属での立候補という三分裂に至った今回の民進党の惨状は、分立する野党の不調に乗じた衆院解散の連発が遠因であることが浮かび上がってくるだろう。
(柿崎明二「『今のうち解散』が招いた政治の退嬰」)
 自民党がここ数年、衆院総選挙で連戦連勝を重ねているのは、野党が準備不足の状況を見計らって安倍首相が解散を持ち出すからだという記事である。だが、与党側からすれば、選挙に勝つことがまずは第一目標であり、そのために野党の弱みを突く戦略は決して間違っているとは言えない。野党の準備が万全に整うのを待ってから解散しようなどと言う人はそうそういないだろう。それに、この記事では野党の分裂に乗じて安倍首相が解散を言い出したかのような書きぶりになっているが、実際には時系列が逆である。

 まず、解散風は9月から吹いていた。9月25日、安倍首相は首相官邸にて記者会見を行い、 「再来年(2019年10月)の消費税増税分の、財源の使途変更」と、「北朝鮮問題への圧力路線」について、国民の信を問うとして衆議院解散を表明した。同日、東京都知事・小池百合子氏の支持基盤である東京都議会の地域政党「都民ファーストの会」が国政進出する形で、小池氏に近い議員が中心となって希望の党が結成された。これを受けて民進党では、9月28日、希望の党に合流するという前原誠司党代表の案が党常任幹事会で承認され、両院議員総会においても全会一致で採択された。しかし、希望の党が持ち出した「踏絵」を踏まなかったリベラルの議員が多数生じ、彼らの受け皿となる形で、10月3日に枝野幸男氏が立憲民主党を結成した。つまり、安倍首相が解散を持ち出した結果として、野党が分裂したという見方の方が正しい。
 熱狂的な支持がないのに、なぜ自民党は大勝できたのか。それは、小選挙区制度がもたらす得票数と獲得議席数の乖離のためにほかならない。自民党候補が小選挙区で得た得票率は47.8%、つまり半分以下なのに小選挙区での獲得議席数は75.4%を占めた。
(北野和希「『希望』に助けられた安倍自民」)
 これも自民党圧勝の選挙結果を批判する際によく持ち出される論理である。小選挙区制では、接戦区が多くても、その接戦を制すれば、得票率よりもはるかに高い議席獲得率を達成できてしまうのが問題だというわけである。だが、この主張にも1つ問題がある。確かに、中選挙区制の問題を認識して小選挙区制を提案したのは自民党であるが、小選挙区比例代表並立制を1994年に成立させたのは、 非自民・非共産8党派の連立政権である細川護熙内閣であり、少数与党として発足した羽田孜内閣を挟んで、同年秋に衆議院小選挙区区割り法を成立させたのは、自社さきがけ連立政権である村山富市内閣であった。つまり、現行の選挙区制度には、非自民党の意思が多分に反映されているのである。小選挙区比例代表制を批判する左派は、自分たちが決めたルールがおかしいと騒いでいることになる。

 小選挙区制の導入によって、西欧型の2大政党制が実現されることが期待された。ところが、自民党が長らく政権の座にあったことによって、野党は政権運営能力を獲得する機会に恵まれなかった。その問題が露呈したのが民主党政権であった。今回の衆院総選挙でも、最初は希望の党の立ち上げによって、メディアは政権選択選挙になると報じていた。だが私は、曲がりなりにも国政の舞台で野党第一党の座を担ってきた民主党ですら、政権を担ったとたんに醜態をさらしたのだから、国政で何の実績もない希望の党が政権を担えばさらなる惨状を呈するに違いないと思っていた。幸いなことに、希望の党が自滅したおかげで、政権選択選挙という言葉はやがてメディアから姿を消した。当面、強い野党は出てこず、自民一強の時代が続くであろう。

 だが、個人的には、同じ自民一強が続くならば、小選挙区比例代表制よりも、かつての中選挙区制を復活させた方がよいと考えている。小選挙区制の場合、各党はそれぞれの選挙区に1人しか候補者を擁立することができない。よって、その候補者は政党の方針に忠実に従った主張をしなければならない。他方、中選挙区制の場合、1つの選挙区に同じ政党から複数の候補者が立候補し、お互いがライバルになるので、差別化のために時には政党の方針からやや外れた個性的な主張を行う候補者が現れる。彼らが当選すれば、自民党は多様な考え方を持った議員から構成される。その結果、派閥も生じるであろう。そうすると、自民一強でありながら、事実上は疑似多党制が実現されることになる。政治の多様性を確保するには、この方が望ましい。

 希望の党が惨敗を喫したのは、小池氏の「排除」発言のせいだという見方が大勢を占めている。だが、私は「排除」発言は敗北の決定的要因ではないと思っている。そもそも、政党とは党の基本方針に賛同する者の集まりであり、基本方針からあまりにもかけ離れた者を入れるわけにはいかない。そこには一定の排除の論理が働くのが自然である。それに、小池氏は口で明確に「排除」という言葉を用いたが、どの政党も選挙においては排除を行っている。党の基本方針に合致する者を公認し、あるいは比例名簿に載せるということは、逆に言えばある者を公認しない、比例名簿に載せないという「排除」の判断を下していることになる。
 「小池氏の不出馬」は、決して見過ごすことができない悪例である。なぜならば、仮に希望の党が200議席以上を獲得、連立の中軸政党として、あるいは単独で政権を担う場合、首相になる人物は小池氏の影響を受けることになるからだ。それは本人が意識するしないにかかわらず、首相が東京都知事の意向を気にするという、日本最大規模の「忖度」「しがらみ」政治を生む可能性がある。
(柿崎明二「『今のうち解散』が招いた政治の退嬰」)
 さらに理解し難いのは「選挙の結果を見て判断する」として、小池氏が首相候補を決めないまま衆院選を戦ったことである。(中略)これでは公然たる「野合」路線である。自身が不出馬でも首相を決めていれば、二重権力志向だけにとどまるかもしれないが、さらに「結果を見て判断」となれば、「野合による二重政権志向」という身も蓋もないことになる。(同上)
 私は、希望の党が惨敗した最大の原因はこの点にあると思う。これでは政権選択選挙にならないのは自明である。それから、小池氏の資質に関して、興味深い記述があった。
 その点で都庁職員からも「行動力がある」という評価をえる一方で、自身の政治戦略がつねに都政運営に優越するため「独断専行」「民主的でない」、ブレーン重用で「職員を信頼していない」という悪い評価もえることになった。小池氏はトップダウンは好むが、多様な利害を調整して都民利益を実現する政治運営はたいへん苦手な政治家である。
(進藤兵「検証・小池都政 置き去りにされる都政課題」)
 小池氏は小泉純一郎氏の愛弟子であることもあって、小泉氏流のトップダウン型リーダーシップを志向しているのだろう。確かに、党の基本方針に沿って党員をまとめていく政党運営においては、トップダウン型もある程度有効に機能する。だが、政治は与党だけでは進められない。与党のみで政治が成り立つならば、野党は存在しなくてもよいことになってしまう。政治を行うには、野党との利害調整が不可避である。しかも、自身の政治理念とは異なる考えや価値観を持った人たちと意見の擦り合わせを行う必要がある。そこではトップダウン型はかえって弊害となる。相手の意見に耳を傾け、時に相手の批判を受け入れ、関係者が完全にとまではいかなくともある程度までは納得する妥結点を見出すという、地味で泥臭い作業が要求される。小池氏が自身の欠点を改めなければ、最悪の場合都政を投げ出すのではないかと懸念される。

 (2)本号には、南京事件に関する2本の記事「戦争の<前史>と<前夜> 日中戦争という過ちから何を学ぶべきか」(笠原十九司)、「思想的課題としての南京事件 堀田善衛『時間』の問いかけ」(神子島健)が所収されていた。南京事件に関しては、肯定派と否定派がそれぞれ自身にとって都合のよい情報を取り上げ、相手を批判するという状況がずっと続いており、双方の見解が交錯する気配が全く見られない。私は南京事件に関する十分な知識もないし、まして肯定派と否定派の間を取り持つような方策などあるはずもないのだが、本号の2本の記事よりは、中国がユネスコに提出した南京事件に関する資料の誤りを1点ずつ論駁した松尾一郎「『世界遺産』南京写真の大ウソ」(『正論』2016年7月号)などの方に納得しているのは事実である。

正論2016年7月号正論2016年7月号

日本工業新聞社 2016-06-01

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 左派がこれほどまでに南京事件にこだわるのはなぜだろうか?私は、現在の日本では絶望的になった共産主義・社会主義革命の夢を今でも中国に託しているからではないかと考える。以前の記事「『中国の「最前線」はいま(『世界』2017年8月号)』―中国本土を批判できない左派、他」でも書いたが、日本の左派は人類の究極的な平等主義に基づいて、日本国家というものを否定する。そして、革命の夢を共産党に託す。ソ連は崩壊して共産主義を放棄してしまったから、今や最も頼りになる共産党は中国共産党だけである。その中国共産党に日本人を追従させるためには、単に中国共産党の理想を説くだけではなく、日本人に特有の罪の意識に働きかけて「日本が中国に戦争で多大なる迷惑をかけた」と思わせることが有効である。これは、アメリカのWGIP(War Guilt Information Program)にヒントを得ているのかもしれない。

 実際のところ、共産主義・社会主義は国家による独裁をもたらしている。国家権力を否定するという当初の理想とはかけ離れた結果に失望した左派は革命運動から遠ざかっていったが、その残党は今でも存在している。彼らが南京事件をしきりに宣伝しているのだろう。左派が慰安婦問題に拘泥するのも同じ理由である。韓国は本来は日本と同じ資本主義・自由主義圏の国であるはずなのに、左派は北朝鮮のATMとなっている朝鮮総連を支援することで、北朝鮮が朝鮮半島を社会主義国家として統一することを願っている。慰安婦問題で罪の意識を醸成することは、将来的に日本人が朝鮮の社会主義国家に追従するための下準備である。

 私は、アメリカと中国という二項対立の関係にある大国に挟まれた日本は、双方のよいところを摂取して二項混合、二項動態とでも言うべき状態を作り上げるべきだと本ブログで何度か書いてきた。大国は、大国同士が衝突すると甚大な被害をもたらすため、自国の陣営に取り入れた小国に代理戦争をやらせる。中東で起きているのは、大国(この場合はアメリカとロシア)の代理戦争である。代理戦争に巻き込まれた小国は壊滅的な被害を受ける。それを避けるためには、小国は対立する大国の一方に過度に肩入れせず、両大国の対立を止揚して独自の社会を作り上げるとよい。そうすれば、両大国は容易にはその小国に手出しができなくなる。

 だから、私は中国共産党を非常に警戒しているが、いたずらに中国共産党を遠ざけるのも偏狭だと考える。現在、右派が中国を痛烈に批判し、強固な日米同盟の必要性を説いているのは、革命に傾倒する左派と同じく危険である。出光興産の創業者・出光佐三は、資本主義の効率的な生産体制と、社会主義の人を大切にする政治の双方から学べと説いた。ただ、私は中国の共産主義を表面的になぞるだけでは不十分だと思う。中国の歴史は悠久である。中国という土地の上に多様な民族が降り積もらせてきた中国の精神を学ばなければならない。そして、その中国の精神が共産主義をどのようにして消化しているのかを理解しなければならない。それをアメリカの精神と接合し、二項動態を作り出す。これが小国・日本に課せられた課題である。とりわけ、地政学的に東洋と西洋の文化の交差点に位置する日本にとっては重要である。

2017年06月21日

市野川容孝『身体/生命』―「個体と全体」、「物質と精神」の「二項混合」


身体/生命 (思考のフロンティア)身体/生命 (思考のフロンティア)
市野川 容孝

岩波書店 2000-01-21

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 「はじめに」で著者(本書を書いた時の年齢が私と同い年だった)は「生物学や生命科学における最先端の知見を動員しながら、今世紀初頭のE・ヘッケルさながら「生命の驚異」を解き明かすことなど、一社会学徒にすぎぬ私のはるか及ばぬところである」と書いているが、一介の中小企業診断士・コンサルタントである私が「身体/生命」について論じるなど、さらにはるか及ばぬことである。それでも何とか記事にしてみたいと思う。

 著者は、「個体(自己)―全体(他者)」、「物質―精神」という2つの対立軸を用意し、両軸の中間に「身体/生命」を配置している。対立軸が出てくると、私などはすぐに「二項混合」のことを想起してしまう。以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」でも書いたが、AとBという二項対立があった場合、日本人はAとBの間をまるで高速反復横飛びするように自在に移動する。そして、AでありながらB、BでありながらAという状態を作り出す。それは一種の酩酊状態とでも言うことができるだろう。

 まず、「個体(自己)―全体(他者)」という二項対立について考えてみたい。ここで、個体と全体を単純に混合すると、「1が全体でありながら、全体が1である」ということになる。ただし、この言葉には注意が必要である。というのも、この言葉はややもすると全体主義に結びつく恐れがあるからだ(以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」を参照)。全体主義においては、1が全体に等しいと言いながら、実は1は全体に圧殺されている。全体は1に優先しており、識別可能は1は存在しない。つまり、全体は全体なのであり、この点で全体主義は個人にとって過激なまでに暴力的である。

 ここで言う全体とは、本書に従えば王である。王とは、社会の存立を支える身体/生命の集合体が1つに凝集し、化身した特異な身体である。日本であれば、天皇が該当する。よって、個体と全体の関係は、国民と天皇の関係と読み替えることができる。ここで、国民と天皇が二項混合するとはどういうことであろうか?まず、天皇は、国民に接近し、全体の中から識別可能なそれぞれの1を発見する。一方、国民の側は、天皇に接近してその全体性を吸収しつつ、自身が全体とは同一視されない1、全体を超克しようとする特異な1を志向する。逆説的だが、国民は天皇との距離を詰めることで、天皇から離れようともする。そして、天皇は再び国民に近づき、全体を突き抜けていく国民を包摂し、全体へと統合する。両者はこのような複雑な関係にある。

 今上天皇は、憲法に定められた国事行為にとどまらず、被災地や太平洋戦争の戦地を積極的にご訪問され、国民1人1人の心に寄り添うことを大切にされた。これは、前述した天皇から国民に対する働きかけをよく表している。一方で、国民の側は、天皇との関係を意識して、何事かを実践したと言えるだろうか?天皇が日本国民の何を象徴しているのか(以前の記事「『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他」を参照)、日本人の精神とは何なのかを考えると同時に、今日的な世界・社会情勢に鑑みて、さらに望ましい精神を発揮する努力をしたであろうか?多くの国民は天皇制を支持するが、形だけの支持に終わっていないか、反省する必要があるだろう。

 ところで、生前退位をめぐる議論の中で、保守派の識者が「天皇は祈るだけでよい」と発言したことに、天皇は非常にショックを受けられ、国民の目線まで下りてくるというこれまでの生き方を否定されたとお感じになっていると毎日新聞が報じていた(毎日新聞「退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」」〔2017年5月21日〕を参照)。だが、私は右派の『正論』と左派の『世界』を両方定期購読しているから解るのだが、天皇は国事行為だけやっていればよい、それ以外の公務はおまけであると主張していたのは左派の方が多い(以前の記事「『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他」を参照)。

 生前退位についてもう1つ議論を展開したい。本書には、スーダンのシルック族の風習が紹介されている。シルック族は、王(レス)が病気になったり老齢によって衰弱したりすれば、民族もまた病気になってしまうため、王を殺害すると言われている。では、日本で天皇が病気になったり衰弱したりした場合、天皇は退位するべきなのだろうか?ここでは、天皇が自身のご意思で退位するようになると、政府の政策がお気に召さない時に退位して、政府に影響力を発揮できるようになってしまうといった、政治面の議論はひとまず脇に置いておく。

 国民と天皇の関係が、「1が全体に等しく、全体が1に等しい」という静的な関係であるならば、天皇は天皇「である」だけで十分である。天皇という人物が存在することに意味がある。逆に言えば、天皇は存在し続けなければならないのであり、自身の意思でその存在から降りることはできない。よって、生前退位は認められないという結論になる。しかし、冒頭で述べたように、「1が全体に等しく、全体が1に等しい」という前提は、全体主義に転落する危険性と紙一重である。

 先ほど見たように、二項混合における国民と天皇の関係は、天皇が個別の1を識別し、全体からはみ出していこうとする1を再び全体へと統合していくような動的な関係である。その能力が十分でなくなった場合には、天皇を「する」ことが困難になるため、生前退位が正当化されるようにも見える。ただし、この考え方にも問題はある。なぜなら、天皇の条件として、血縁以外に何かしらの能力を要求することになるからである。その能力要件はどのようにして正当化されるのか?天皇の能力はどのように評価するのか?天皇の能力を第三者が評価することが許されるのか?仮に、天皇の能力が十分でないにもかかわらず天皇が退位を選択しない場合、国民には天皇の交代(=革命?)を要求することができるのか?などといった様々な論点が噴出する。

 さらに、天皇に血縁以外の条件を要求するのと同様に、動的に振る舞うべき国民にも能力面の要求がなされることになる。全体性を吸収しながらも全体とは同一視されない特異な1、全体性を超克していく1、そういう1を目指すことのできない国民は国民ではないことになってしまう。この点で、特に障害者など能力面でハンディキャップを抱えた人たちにとって、絶望的な結論となる。残念ながら、生前退位を認めるべきか否か、私の中で立場を明確にすることができない。

 生前退位の問題は、結局1代限りの特措法で解決されることになった。私は恒久法による解決を望み、あれこれと逡巡した結果、最終的には憲法を改正するしかないと思っていた。特措法による解決は、「法外の法」で解決を図るという点で、いかにも「日本教」的(山本七平)なやり方である(以前の記事「山本七平『日本人とユダヤ人』―人間本位の「日本教」という宗教」を参照)。法律の文言に「お気持ちへの共感」という文言を盛り込むことで(時事通信社「「お気持ち」への共感、第1条に=退位特例法案、政府が与党に提示」〔2017年5月12日〕を参照)、疑似的に憲法改正を行ったという形に持ち込みたいというのが政府・与党の意向であろう。

 続いて、「物質―精神」という二項対立について。本書では脳死の問題を取り上げている。伝統に従えば、死にとって機能的な中心を占めるのは肺の死であり、時間的に見て最も遅れてくるのが心臓の死である。脳の死は間接的で弱い影響しか他の器官に及ぼさず、時間的に見ても比較的早い段階で生じるものと考えられていた。また、肺と心臓を「有機的生命」、脳を「動物的生命」と分類し、死の条件は有機的生命が死ぬことであり、動物的生命の死のみをもって死とすることはできないというのが共通認識であった。ところが、20世紀に入ってから動物的生命の死を人間の死とする定義の書き換えが起こり、それが脳死を人間の死と認める現在の見解につながっているという。脳死をめぐる議論では、有機的生命が動物的生命に優先するという従来の原則を守るため、有機的生命の源を脳に求めるという転換も行われている。

 この議論が興味深いのは、人間の死をめぐる議論においては、有機的生命=物質が動物的生命=精神に優先するとされていることである。我々は高度に発展した物質的社会を目の前にして、精神世界の退廃を嘆くのが普通である。今こそ精神を取り戻さなければならないというのは、社会的スローガンのようにもなっている。ところが、脳死に関する議論では、これと逆のことが起きているように見えるのである。ただ、私は生物学や生命科学に関しては全くの素人であるから、脳死の議論にはこれ以上立ち入らない。物質と精神の二項混合を考えるにあたって、私が10数年以上前に読んだシュレディンガーの『精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察』を読み返してみた(案の定、内容は全く覚えていなかった、苦笑)。

精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察
エルヴィン シュレーディンガー Erwin Schr¨odinger

工作舎 1999-01

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 本書は様々な内容から成り立っているが、まずはラマルクとダーウィンの進化論の比較について触れてみたい。ラマルクは、動物が生存中に訓練や環境への適応などによって獲得した特別な形質は、100%ではないが遺伝によって子孫に伝達されると主張した。一方、ダーウィンは、進化というのは偶然の長い連鎖と自然淘汰によって実現されるものだとした。ラマルクの主張は精神の働きを、ダーウィンの主張は物質の働きを強調している。

 ここで、シュレディンガーは両者の中間的な立場を主張する。すなわち、最初の変異は偶然であり、それが子孫に遺伝するが、親は変異によって新しく獲得した器官の使い方を例示や教育によって子孫に学習させなければならないという。例えば、変異によって手が器用に動かせるようになったとしよう。子孫には手の構造は伝達されるものの(物質)、その手を器用に動かせるかどうかは、親が子を適切に教育するか否かにかかっている(精神)。このように考えると、シュレディンガーの主張は精神と物質の両方の世界を統合していると言える。

 物質と精神の対立は、客体と主体の対立と言い換えることもできる。自然科学は客体を客観的に記述することにある程度成功してきたが、よく言われるように、客体を観察する主体も世界の一部であり、それを取り除いたまま記述した客体は十分な客体ではない。特に、感性的な性質が欠落している。もちろん、これはある意味仕方がないことであった。客体と主体が未分離のまま世界を語ろうとすると、人々は好き勝手に世界を語ってしまう。これではコミュニケーションが成立しない。そこで、一旦主体と客体を切り離して、客体に関する共通言語を生成する必要があった。だが、その作業が一段落ついたら、今度は主体と客体を統合しなければならない。

 主体と客体を統合するとは、主体を客体の言葉で語り、客体を主体の言葉で語ることである。主体(精神)を客体(物質)の言葉で語る試みは、シュレディンガーも含め、多くの自然科学者が取り組んでいる。近代的な自然科学の手法では、世界の全体像を把握するのに限界があるという強烈な危機感を持ったためである。一方で、客体を主体の言葉で語る活動が一体どこまで進んでいるのか、正直なところ私にはよく解らない。例えば文学が精神世界を飛び出して物理世界を描写するということが考えられるが、あいにく私は文学論に疎く、語る素地がない。

 ところで、日本人は、本当は対立している2つの事項を渾然一体と把握することに元々長けている。これが、物事を基本的には二項対立でしかとらえられない西洋人に対する決定的なアドバンテージである。だから、主体と客体に関しても、何となく融和した形で認識することができてしまっている。一例としては、日本人の精神と自然の調和などが挙げられるだろう。だが、日本人がその「何となく」を抜け出し、高度で明確化された思考を獲得するには、渾然としている二項を一旦切り離し、それを再統合する作業が必要である。これこそ本当の二項混合であり、21世紀に求められる「関係知」である(以前の記事「武田修三郎『デミングの組織論―「関係知」時代の幕開け』―日米はともにもう一度苦境に陥るかもしれない」を参照)。

 シュレディンガーの著書では、科学と宗教の関係についても触れられている。科学と宗教の関係も、物質と精神の関係と置き換えることができるだろう。そして、科学と宗教の二項混合とは、宗教を科学の言葉で語り、科学を宗教の言葉で語ることである。シュレディンガーは、プラトン、カント、アインシュタインという3人の科学者(初めの2人は科学者ではないが、彼らの哲学的疑問への強烈な専心と世界に対する熱い興味は、科学から出発したものと言ってよいだろうとシュレディンガーは述べている)が、宗教に対して時間の概念を提供したと指摘する。もちろん、ここで言う時間とは、客観的に測定可能な時間のことではない。その時間軸を超えた存在を認め、そこに精神の意義を見出した点に注目している。科学が宗教を語ったのである。

 宗教の言葉で科学を語った事例としては、シュレディンガーの著書を離れ、またオカルトの話になってしまうが、以前の記事「川久保剛、星山京子、石川公彌子『方法としての国学―江戸後期・近代・戦後』―国学は自由度の高い学問である」で書いた、平田篤胤と国友藤兵衛の名前を挙げることができるかもしれない。彼らは霊界を見ることができる特殊能力を持つという少年・寅吉から霊界の話を聞いて、仙砲や弩弓といった武器を完成させた。しかも、それらの武器の性能は、西洋製の武器を上回っていた。評論家の池田清彦氏は、現代科学とはそもそもオカルトの嫡子であり、今日我々が偉大な科学者であったと考えているケプラーやニュートンも実のところはオカルト信者だったと述べている。宗教の側から科学との境界線を越えていくことが今日、特に日本にとって、二項混合を実現する上で重要な課題となるであろう。

2017年06月05日

『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について


致知2017年6月号寧静致遠 致知2017年6月号

致知出版社 2017-06


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 特集タイトルの「寧静致遠」とは、誠実でコツコツした努力を続けないと、遠くにある目的に到達することはできないという意味である。諸葛孔明が自分の子どもに遺した言葉に、「淡泊にあらざればもって志を明らかにするなく、寧静にあらざればもって遠きを致すなし」(私利私欲におぼれることなく淡泊でなければ志を持続させることができない。ゆったりと落ち着いた状況にないと遠大な境地に達することはできない)とあるそうだ。
 岡村:私たちの社会は一人ひとりの集まりですが、全体を数として見るのではなく、一人を見ることが同質のすべての人を見ることに繋がるという発想が東洋にはあったわけです。ですから、西洋でいう宗教という言葉自体が東洋には必要なかったのかもしれません。
(岡村美穂子、上田閑照「鈴木大拙が歩いた道」)
 鈴木大拙の「1が全体であり、全体が1である」という考え方は、全体主義に通じる危険性があるのではないかということを以前の記事「鈴木大拙『禅』―禅と全体主義―アメリカがU理論・マインドフルネスで禅に惹かれる理由が何となく解った」で書いた。
 岡村:人間は他の生物と比べて一足先に意識が変化しました。そこで何が起きたかというと、物事を主観と客観に分けて捉えるようになったんです。(中略)半面、自我をも発達させてしまったことで「自分はあなたじゃない」「あなたは自分ではない」という分離を生んでしまったんです。(中略)そこに生じるのが対立であり競争であり戦争です。
(同上)
 「1が全体であり、全体が1である」社会は、私とあなたという区分がない社会である。さらに言えば、この考え方の根底には汎神論(一切の存在は神であり、神と世界とは一体である)があり、その神は唯一絶対であるという前提がある。我々は皆、生まれながらにして絶対的な神と等しい完全な存在である。そこには、自分とは異なる他者の存在を容認する余地はない。

 私は、これを修正したのが「二項対立」という発想であると考えている。世の中の全ての事象を対立構造で把握する。確かに両者は激しく衝突し、引用文にあるように時に戦争にまで至るが、少なくとも、自分とは異なる立場を取る者が存在することを是認している。こうした修正に関しては、以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション」で書いた。そして、現代の大国はおしなべて二項対立的な発想をする。この点については以下の参考記事を参照していただきたい。引用文にある岡村氏は、2つ目の引用文が1つ目の引用文より進んだ考え方だとしているが(そして、それが鈴木大拙の言う禅の思想だとしているが)、私は逆に、2つ目の引用文の方が進んでいるのではないかと感じる。

 《参考記事》
 アメリカの「二項対立」的発想に関する整理(試論)
 岡本隆司『中国の論理―歴史から解き明かす』―大国中国は昔から変わらず二項対立を抱えている

 ただし、二項対立的な発想ができるのは大国に限定される。二項対立は非常に大きなエネルギーを扱うことになるため、日本のような小国では手に負えない。そこで日本人が編み出したのが「二項混合」という手法である。これにより、対立する二項のエネルギーを減殺する(以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」、「齋藤純一『公共性』―二項「対立」のアメリカ、二項「混合」の日本」を参照)。

 二項混合には、水平方向の混合と垂直方向の混合の2種類がある。まずは、水平方向の今号から説明したい。水平方向の混合にはいくつかのレベルがある。最もプリミティブな混合は、対立する2つの事柄について、ある時は一方を用い、別の時はもう一方を用いるという使い分けをすることである。経営で言えば、マーケティングとイノベーション、マネジメントとリーダーシップは対立関係にある。アメリカのビジネスでは、マーケティング部門とイノベーション部門(R&D部門)は激しくいがみ合い、変革に挑戦するリーダーは既成勢力のマネジャーから猛烈な反発を食らうというストーリーがしばしば描かれる。日本の場合は、マーケティングとイノベーション、マネジメントとリーダーシップの「スイッチを切り替える」ことで、対立を回避しようとする。

 2段階目の混合は、スイッチの切り替えの頻度を上げることである。以前の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」で、野中郁次郎氏の知識創造理論はマインドフルネスやU理論に触れたことがないと書いた。野中氏のSECIモデルでは、SECIのサイクルを回す中で、主観と客観、物質と精神、身体と心、感覚と論理、個人と集合、部分と全体、過去と未来、形式知と暗黙知といった対立軸の間を頻繁に移動する。例えるならば、対立する二項の間で高速の反復横跳び運動をするようなものである。運動者は一種の酩酊状態に陥る。主観の中に客観を見、物質の中に精神を見る(あるいはそれらの逆)といった現象が生じる。

 3段階目の混合は、対立する二項を文字通り混ぜ合わせて、新しい事象を創造することである。政治の世界では、一方に独裁政治、もう一方に民主主義政治がある。日本の政治は両者の混合型である。すなわち、自民党が戦後のほとんどの期間において政権を握っていながら、自民党の内部が多様な派閥に分かれていることで、疑似的に多党制の民主主義が実現されていた(この点、小泉純一郎氏が派閥をぶっ壊してしまい、現在の自民党が派閥の弱い一党独裁のようになっている点が心配である)。また、経済の世界では、一方に資本主義、もう一方に社会主義がある。日本の戦後の高度経済成長は、日本株式会社とも呼ばれたように、国家が自由な市場経済や企業活動を牽引するという特殊型で成し遂げられたものであった。

 4段階目の混合は、もはや対立を二項に限定しない。多神教の影響を受けている日本人は、物事には様々な見方があることを知っている。そして、それぞれのいいところを都合よく取捨選択する。ここまで来ると、もはや二項混合ではなく多項混合である。明治時代の日本はまさに多項混合で近代社会を作り上げた。法律、金融、通信、軍隊など様々な社会制度は、ヨーロッパ諸国の制度のちゃんぽんである。私は、このちゃんぽん戦略こそが、日本が対立する大国の間に身を置きつつ、周囲の小国と連携しながら自国を守る術であると考えている(以前の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)。

 ここで、私が思い描いていた鈴木大拙の世界観について、少し修正しなければならないと思うようになった。「1が全体であり、全体が1である」という世界には、名前がない。名前をつけようがない。どんなに言葉を尽くしても、神が放つ強烈な輝きによって言葉は意味を失う。だからこそ、全体主義は恐ろしい。だが、鈴木大拙は、西洋に禅を紹介した書物の中でこう述べている。
 「花紅にあらず、柳緑にあらず。」―これも禅のもっともよく知られた言葉の一つであるが、「柳は緑、花は紅」という肯定と、同じものと考えられている。これを論理的な方式に書き直せば、「AはAであって、同時に非Aである(A is at once A and not-A.)」となろう。そうなると、われはわれであって、しかも、なんじがわれである。
禅 (ちくま文庫)禅 (ちくま文庫)
鈴木 大拙 工藤 澄子

筑摩書房 1987-09

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 つまり、対立や矛盾が平然と存在するのが禅における全体である。禅に対する私の理解がまだ十分に追いついていないのだが、禅には二項混合的な発想があるのかもしれない。その複雑な世界を、修行者はあらゆる角度から考察する。彼らが語る言葉には矛盾や否定が多く含まれる。一般人には意味不明に聞こえる。だから、禅問答などと呼ばれる。以前の記事「鈴木大拙『禅』―禅と全体主義―アメリカがU理論・マインドフルネスで禅に惹かれる理由が何となく解った」では、禅問答では言葉が表面的な意味を失って意味を無制限に拡散させているから、全体主義につながっていると書いてしまった。しかし、禅問答は混合的な世界を複眼的に描写しようとする修行者の苦労の跡であると解釈するのが公平な見方ではないかと考えるようになった。

 日本では、水平方向の二項混合だけでなく、垂直方向にも二項混合が見られる。通常、階層社会においては、上の階層と下の階層は対立関係でとらえられることが多い。ところが、日本の場合、下の階層が上の階層の権限を侵食し、より大きな影響力を行使することがある。ただし、ここで重要なのは、下の階層は決して上の階層を打倒しようとはしないということである。こうした現象を、山本七平は「下剋上」と呼んだ(一般的な意味での下剋上とは違うので注意が必要である)。マルクス社会主義が唱えた階級闘争とは異なる。

 日本の歴史を振り返ると、下の階層が上の階層の権限を侵食するという例は数多く見られる。平安時代の摂関政治は、藤原家が摂政・関白という地位を利用して強い政治力を発揮した現象である。日本で長く続いた朝幕二元支配は、幕府(武士)が天皇の執政権の大部分を担ったものである。その幕府の中でも下剋上が起きたことがある。鎌倉時代には、将軍の力が弱く、代わりに執権である北条氏が実権を握っていた。明治時代に入ると、大日本帝国憲法によって天皇に強大な行政権が与えられるようになったが、内閣総理大臣(実は帝国憲法に定めがない)の任命は、天皇の下にいる元老(これも帝国憲法に定めがない)の助言に従って行われていた。

 私は、究極の二項混合は、神仏習合であると思う(以前の記事「義江彰夫『神仏習合』―神仏習合は日本的な二項「混合」の象徴」を参照)。大陸から仏教が伝わった頃、信仰の内容がはっきりしない神祇信仰は、教義が明確な仏教に比べると圧倒的に不利であるように見えた。事実、日本の八百万の神々は、様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする本地垂迹説が唱えられたり、日本書紀に登場する神々が仏の名前によって書き換えられたりもした。ところが、仏教はついに神社を破壊しなかったし、天皇から祭祀の機能を取り上げることもなかった。明治時代に入って廃仏毀釈が起き、神道と仏教が分離して現在に至るものの、初詣は神社で、葬式はお寺で行うという習慣の中に、弱い神仏習合が見られると言えるのかもしれない。

 下の階層が1つ上の階層に対して下剋上するだけではなく、2つ以上上の階層に対して下剋上をする場合もある。本ブログで何度も書いているように、(非常にラフなスケッチだが)日本社会は「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族」という多重階層構造になっている。ここで、企業は単に顧客の要望に忠実に従うだけでなく、「お客様はもっとこうした方がよい」と提案することがある。これが1つ目の下剋上である。さらに進んだ企業は、市場に対して公正な資源配分を命ずる行政府に対して、「もっとこういうルールにした方が、市場が効果的に機能する」と提案する。いわば、企業による二階級特進である。ヤフーには政策企画部という部門があり、行政に対して様々な提案を行っていると『正論』2017年6月号に書かれていた。

正論2017年6月号正論2017年6月号

日本工業新聞社 2017-05-01

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 企業の内部には、経営陣⇒部長⇒課長⇒係長⇒現場社員といった階層構造がある。論理的に言えば、市場の大まかなニーズを経営陣が把握し、それを部長⇒課長⇒係長⇒現場社員の順に具体化して、製品・サービスを製造・提供する。ここで、下剋上が進んだ企業では、顧客と直に接する現場社員が上司である係長、課長、部長、経営陣の意向をすっ飛ばして、自らの判断で製品・サービスを提供することがある。二階級特進どころか、三階級、四階級特進である。こういう企業では、現場に対して大幅な権限移譲がされている。私は、時にこのような下剋上が起きる企業こそが強い企業だと思う。逆に、弱い企業というのは、担当者と話をしても、いつも「上と相談してからでないと回答できない」と言われてしまうような動きの鈍い企業である。




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