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『一橋ビジネスレビュー』2018年WIN.66巻3号『「新しい営業」の科学』―KGIは売上高でも利益でもなく顧客満足度ではないか?(2/2)
チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する
【事業承継の方法】中小企業が事業承継をする9つのステップ

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2019年02月16日

『一橋ビジネスレビュー』2018年WIN.66巻3号『「新しい営業」の科学』―KGIは売上高でも利益でもなく顧客満足度ではないか?(2/2)


一橋ビジネスレビュー 2018年WIN.66巻3号: 「新しい営業」の科学一橋ビジネスレビュー 2018年WIN.66巻3号: 「新しい営業」の科学
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2018-12-14

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 (前回の続き)

20190215_営業プロセスと顧客満足度

 【契約】
 価格交渉が長くなるにつれ、顧客企業の担当者も営業担当者も、購入金額と製品導入による最終成果ばかりに目を奪われて、そもそもなぜこの製品を導入するつもりだったのかを見失うことがある。この段階に至って、競合他社と単なる金額勝負にならないようにするため、製品導入の目的を振り返り、自社製品がその目的を達成するストーリーを改めてダメ押しする。また、今回の提案が担当者、影響者、決裁者の個人的なニーズにも応えると訴求しなければならない。最終提案の場には決裁者が出席するだろうが、そのタイミングで決裁者の個人的ニーズに触れることは困難である。まして、影響者は最終提案の場に出席するとは限らない。そのため、公式な最終提案よりも前に、影響者や決裁者に対して非公式に根回しをする。

 【アフターフォロー】
 顧客企業の次のニーズを探るためにも、営業担当者は顧客企業と接点を持ち続けることが重要である。有償の保守契約を結んでいれば、契約に従って定期的に顧客企業を訪問しなければならない。しかし、たとえそのような契約がなくても、タイミングを見計らってアプローチをかけた方がよい。保守や点検は製品トラブルを防止し、製品寿命を伸ばすためであるとはいえ、顧客企業がその価値を理解することはほとんどない。それでもなお、保守や点検の必要性を訴求しようとするわけだから、かなりの工夫がいることになる。

 単純に定期的な保守や点検をしようとすれば、顧客企業は自社が機械的に扱われていると感じ、たいてい「今は忙しい」と断ってくるだろう。顧客企業と接点を持ちたい一心で頻繁に保守や点検を提案すれば、顧客企業からは「そんなに壊れる可能性が高い製品を我が社に導入したのか?」と思われてしまう。顧客企業のビジネス特性を踏まえ、導入した製品のどの部分がどのくらいの期間で消耗しやすいのか見通しを立てた上で保守や点検の話を持ちかけるとようやく、顧客企業の担当者は「面倒見のよい営業担当者だ」と思ってくれるかもしれない。

 優秀な営業担当者は保守や点検を行うだけでなく、顧客企業の担当者が所属する部門の別の潜在的課題やニーズに関する情報を収集し、次の商談の機会をうかがう。また、人間関係が熟してくると、顧客企業の担当者に対し、「私を御社の別の部門の担当者に紹介していただけませんか?」などとお願いして、顧客企業内の人脈を広げていく。

 どんなに保守や点検を入念に行ったとしても、製品が故障してクレームは発生するものである。クレームに誠実に応対するのは営業担当者として当然の責務であるし、営業担当者が誠実であればクレームの後でむしろ顧客満足度が上がることもある。ただし、営業担当者がクレームに誠実に応対したかどうかを測定する指標の設定は難しい。クレームの内容は多種多様であり、またクレーム応対の手順も個別特殊性が高い。だから、「クレーム応対に要した時間」や「クレーム応対の品質」というのは、あまり指標に向いていない。

 クレーム応対という修羅場であっても、簡単に取得可能で、かつ顧客満足度と関連性がある指標の1つが、「顧客企業から要求される前に修理報告書・顛末書を提出した回数」ではないかと考える。顧客企業から、「今回の件に関して顛末書を提出せよ」と言われてからでは遅い。先回りして顛末書を提出した回数をカウントする。外部企業からの調達に慣れている企業は、営業担当者によるクレーム応対が完了した時点で、社内報告用にほぼ間違いなく顛末書を求めてくる。営業担当者はそれから慌てて顛末書を作成するのではなく、クレーム応対と並行して顛末書を作成し、応対完了後の謝罪の言葉と同時に顛末書を提出する。そこまで誠実な姿勢を見せれば、少なくとも顧客満足度の大幅な下落は避けられると思う。

 営業担当者にとってのKGIは顧客満足度である。ただし、単純に顧客満足度を尋ねると、製品に対する評価や自社ブランドへの印象などと混同される。測定したいのは、「その営業担当者の営業活動に対する顧客満足度」である。顧客企業に対して、「次回もこの営業担当者から購入したいと思うか?」と聞くのが、顧客企業と自社の双方にとって最も簡便である。とはいえ、この質問だけをするために顧客企業に調査票を配布するのは現実的ではない。

 多くの企業では、既に製品に対する顧客満足度の調査を行っているだろう。そこで、その調査票に、営業担当者に対する評価を尋ねる設問を加える。上記の事例では、顧客企業が製品を購入して一定期間使用した後に評価が定まり、さらに購入後の営業担当者の行動も満足度に影響を与える。よって、製品購入後半年を経過したタイミングで調査票を配布する、といった運用にする。年度中に一度も製品購入がない既存顧客についても、営業担当者による継続的なフォローへの満足度を確認するために、少なくとも年に1回は調査票を送付する。

 以前、あるコンサルティングプロジェクトで、営業担当者に対する顧客企業の満足度を人事評価項目に入れようとし、顧客満足度の調査方法を議論したことがあった。クライアント側のメンバーは、営業担当者自身が顧客企業に直接出向いて、調査票に記入してもらうという案を提示した。満足度が高い顧客企業は積極的に調査票に記入してくれるはずであり、逆に顧客企業が記入しなければ、営業担当者と顧客企業の関係性はその程度だと解るというのが理由であった。私は、確かにそういう考え方もあると納得した。

 とはいえ、現実的には、営業担当者が顧客企業を選り好みする恐れがある。20社の顧客企業を担当している営業担当者が、1社にだけ調査票の記入をお願いして最高点を獲得したとしても、その営業担当者のことを高く評価してよいのかという問題が生じる。そこで、最終的には、営業部門から独立したマーケティング部門が一括で調査票の送付と回収を実施し、満足度と回収率の両方を考慮して評価を決定することになった。

 営業活動に対する顧客満足度を追求すると、本当に売上高や利益がついてくるのかと疑問に思われる方もいらっしゃるだろう。アスクル株式会社の創業者である岩田彰一郎社長は、「利益とは顧客満足度の積み重ねである」と語ったことある。企業側が意図的に利益を操作する場合は論外としても、岩田氏の言葉にはかなりの真実味があると感じる。顧客満足度の向上を目指せば、緩やかに顧客単価は上がっていき、顧客応対の複雑化に伴うコスト増はあっても、それを十分にカバーできるだけの利益を確保しやすくなる。

 個人的な話で恐縮だが、コーヒー好きの私が仮にマクドナルドと椿屋珈琲店から顧客満足度の調査票をもらったら、椿屋珈琲店の方だけ真面目に記入して返送すると思う。マクドナルドの1杯100円のコーヒーのために調査票を記入するのは面倒だし、時間的余裕があっても「満足度=3」などと適当に記入するに違いない(実際、私はKODOを利用したことがない)。単価が低い製品は、高い満足を感じてもらうことがあまりないどころか、そこそこ不満が出る。私がやっている研修・セミナーの仕事でも、受講料が無料や低額の場合には、受講者から高い評価をいただくことは非常に難しい。アンケート結果はだいたい「普通」に集中し、研修も長続きしない。一方、受講料を上げた方が、受講者から高い評価をいただきやすくなる。もちろん、中には厳しい意見もある。だが、その意見に誠実に応対すると、研修の継続開催につながる。

 営業担当者が全社で数百人ほどいれば、営業担当者の持つ情報と本社が独自に収集した情報とを統計的に分析することで、各製品の売上高と利益についてある程度の目標値を導くことができる。他方、個々の営業担当者の受け持ち顧客は数が少ない上、属性に偏りがあるから、無理に目標金額を設定しなくてもよいと思う。現場の営業担当者は、いたずらに受注金額を追ったり、商談リードタイムを短縮しようとしたりする必要はない。前述のプロセスKPIの値を増やすことに注力し、最終的な顧客満足度を追求する。人事評価の際は、顧客満足度の平均が高い営業担当者を高く評価する。極端な話をすれば、半年間全ての既存顧客に対してフォロー活動だけを行っており、新規受注がゼロでも、顧客満足度が高い人は評価を上げる。

 ただし、満足度の平均が5という完全無欠の人と、満足度が1の顧客が数名いるために平均が4になっている人がいたら、後者の最終考課を上にする。ピーター・ドラッカーは、「人事における最大の失敗は、失敗したことのない人を昇進させることだ」と述べた。完璧すぎる人をマネジャーにすると、部下が失敗した理由が解らず、適切な教育ができない。マネジャーはミスを許さない硬直的な組織を作ってしまい、部下のリスク回避性向が強くなる。

 単純に考えると、価格の低い製品を扱うビジネスの方が参入しやすいように見える。だが、本当のところは、顧客満足度を追求して高い顧客単価と高い利益率を目指す方が、仕組みを構築しやすいのではないかと思う。低価格路線のビジネスでは、満足してもらっているのかどうか解りにくい顧客に頻繁にリピート購入してもらう仕掛けが必要となる。大勢の顧客を相手にするため、インターネットで情報がオープンになりやすい。すると、企業側ではコントロールしようがない一部のネガティブな口コミが一気に拡散して、ビジネスがダメになる可能性もある。人件費を抑えようとアルバイトを増やせば、バイトテロのリスクも考慮しなければならない。こういう条件の下で事業を継続させる方法を実現することは、実は相当ハードルが高い。

 KGIとしての顧客満足度や、これまで述べてきたようなプロセスKPIは、受注金額や利益といった客観的に測定可能な数値に比べると、主観性が強く極めて曖昧である。しかし、営業活動とは本来創造的な活動に他ならない。研究開発のような創造的業務においては、中長期的な目標をぼんやりと掲げ、主客問わずにマイルストーンを多角的に設定して進捗をモニタリングしていく。今回の私案では、このやり方を営業活動に適用してみた。

 プロセスKPIは設定するものの、KPIの値を上げるために具体的にどのような行動を取るのかは、営業担当者の主体性に任せる。例えば、商談の「事前に顧客企業の情報を分析して商談に臨んだ回数」というKPIに関しては、顧客情報の分析を営業担当者自らが実施してもよいし、誰かの支援を受けてもよい。顧客の特性や営業担当者の置かれている状況などに応じて、本人に方法を考えさせる。だから、営業現場に対してどの程度の支援が必要なのかは明確には解らない。支援部門が各地に点在する営業拠点に隣接していればいるほど、支援内容も個別特殊性を帯びてくるため、支援部門の適正規模を決めることは難しくなる。

 マネジャーの仕事は、部門全体の顧客満足度を上げることである。そして、KGIとしての顧客満足度とプロセスKPIがどのように関連しているのかを明らかにする。とりわけ、顧客満足度に強く影響するプロセスKPIを特定する。そのKPIの値が高いのに顧客満足度につながっていない営業担当者がいれば、その原因を分析する。前述のように、プロセスKPIは主観に左右されやすいので、本人はできたと思って回数にカウントしたのに、マネジャーから見るとできていないということもある。マネジャーは対話を通じて本人との認識のずれを是正する。マネジャーにとっての重要な業績評価指標は、部門全体の顧客満足度の改善度合いである。

 本号には、「価値共創型営業への道筋」(小菅竜介)という論文がある。近年、顧客との協業による価値創造が重要視されている。ただ、ややもすると、顧客が自らのニーズを一から十まで事細かに企業に伝えて、その全てを企業に実現してもらうことを協業や価値共創と呼んでいるケースが少なからず存在するように見受けられる。

 どんな特注品でも、顧客のニーズを完全に充足するのは無理である。トヨタでは「カタログエンジニアになるな」と言われる。トヨタは、外部から購入した機械を付属のカタログやマニュアル通りに動かしても、工場の要求には合致しないことを初めから知っている。だから、製造プロセスにフィットするように、いかにしてその機械を使いこなすか知恵を絞る。ITシステムも同じである。IT導入プロジェクトの成否を握るのは、システムの機能や品質ではない。導入企業がどの程度業務のことを深く理解し、業務とITを上手にリンクできるかにかかっている。こうした力を、ハードやソフトのような資産に対して、インタンジブル・アセット(見えない資産)と呼ぶ。
 顧客は、自らの資源と、サービス交換を通じて他のアクターから取り入れた資源を独自に組み合わせて価値の創造、すなわち状況の改善を行う。なお、ここでいう価値とは、あくまで主観的なものである。顧客は自らの特有の文脈において資源統合を行い、価値を経験するわけである。
(小菅竜介「価値共創型営業への道筋」)
 経営コンサルタントの端くれとして仕事をしていると、同業者からは「コンサルタントは全体最適を目指せ」と言われることがある。周りからは、「コンサルタントは何でもできるのではないか?」と聞かれることもある。何でもできて全体最適が可能であれば、コンサルティングフィーに満足せず、資金調達してクライアントを買収するか、自分でビジネスを立ち上げた方が早い。コンサルタントだからと言って経営の能力があるわけではないことは前職のベンチャー企業で経験したし(「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」を参照)、私自身も恥ずかしいことに失敗を犯している(以前の記事「【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因」を参照)。コンサルタントと言えども、所詮は部分最適を実現する程度の力しかない。

 前回、今回と、顧客満足度の重要性について書いた。確かに、企業に何から何まで面倒を見てもらうことができれば、顧客は十分に満足するだろう。しかし、それは顧客と企業のコストや時間を全て度外視してようやく成り立つ満足である。一時的に顧客価値が高まったとしても、長い目で見れば顧客と企業双方の価値を毀損している。つまり、まやかしの顧客満足にすぎない。企業は限られたリソースの限界まで尽力して最善の製品を提供し、顧客はその性能や効能を最大限に活用して自らの文脈に埋め込む。これこそが価値共創であり、その先に真の顧客満足があることを、顧客側も承知することが大切ではないかと考える。


2018年09月17日

チャールズ・オライリー、ジェフリー・フェファー『隠れた人材価値』―「価値観重視」の経営は重要だが、ちょっと油断すると簡単に崩壊する


隠れた人材価値 (Harvard Business School Press)隠れた人材価値 (Harvard Business School Press)
チャールズ オライリー ジェフリー フェファー 長谷川 喜一郎 Charles A.,3 O’Reilly

翔泳社 2002-03-20

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 伝統的な経営学やコンサルティングファームのアプローチに従えば、まずは戦略を立案する。事業領域を定め、どのような差別化要因で競合他社と戦うのかを決定する。次に、その戦略を分野別の戦略に落とし込む。マーケティング戦略、製造戦略、ファイナンス戦略、人事戦略などといった具合だ。その後、戦略を成功させるためのCSF(Critical Success Factor)を特定する。CSFが特定されたら、そのCSFが反映された社内慣行や制度を整備する。経営陣は、戦略の妥当性や、戦略と各種制度の整合性、施策の遂行状況を見守る。これが伝統的なやり方である。私も以前の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」(戦略立案の外部環境アプローチ)や、「DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』―戦略立案の内部環境アプローチ(試案)」で、これらの方法について書いてきた。

 本書は、「隠れた人材価値」を引き出すために、「企業や組織の価値観」を中心に据えた経営が重要であることを説いた1冊である。だから、伝統的な経営のやり方とは全く異なる方法を採用する。出発点となるのは、企業や組織の基本的な価値観や信念を定めることである。価値観とは、企業や組織、経営陣や社員が何か重要な意思決定を必要とする局面に直面した時に、判断のよりどころとなる基準である。価値観は社会規範として外部から当然に要求されるものもあるし、当事者がこれまでの仕事・人生経験を通じて主体的に獲得したものもある。通常は、両者がミックスされたものが企業や組織の価値観となる。

 次に、価値観に沿って経営慣行を生み出す。人材採用、業績管理、研修や能力開発をどのようなものにするかなどを決定する。その後、コア・コンピタンスを磨く。ゲイリー・ハメル&C・K・プラハラードがコア・コンピタンスという概念を発表した時は、企業や組織の価値観との整合性は特に論じられていなかったように思えるが、ここでは両者の整合性が非常に重要となる。安直な例だが、チャレンジ精神を重要な価値観とする企業は、常にアップデートされる技術の開発能力をコア・コンピタンスとするべきだし、信頼性を重要な価値観とする企業は、徹底した品質管理を通じた高品質の製品の製造能力をコア・コンピタンスとするべきである。

 そして、価値観とコア・コンピタンスの連関を出発点として、ここでようやく戦略を立案する。両者の連関を考えた場合、競合他社から模倣されずに価値を生み出すにはどうすればよいのかを検討する。最後に、経営陣の役割は、伝統的には戦略のモニタリングであったのに対し、本書によれは企業文化のマネジメントとなる。そういえば、私も昔のブログでは「競争優位が戦略からビジョンへ移行しつつあることの再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』」、「「その課題を解決できるのは自分だけ」という思いが使命感になる―『MBB:思いのマネジメント』(1)(2)」などといった記事をよく書いていた。私は、両方のアプローチには一長一短があると思う。双方を統合した重厚な戦略論を構築できないものかと思案しているところである。

 価値観を中心とした経営が一体どういうものなのかイメージしにくいという方のために、もう少し補足しておく。基本的に、価値観には善悪はない。「人を殺してもよい」というような、よほど極端なものでない限り、ある価値観が成立すると、それとは正反対の価値観も成立する。例えば、ある企業はチームワークを重視するとしよう。しかし、チームワークは普遍的な価値観ではない。というのも、チームワーク重視とは反対に、社員1人1人が自分の力で仕事を完結させる自律性、個の強さを重視するという価値観も成立しうるからだ。

 重要なのは、これだと決めた価値観を企業や組織の隅々にまで浸透させることである。これを、日本人が好きな「品質を作り込む」という言葉に倣って、「価値観を練り込む」と表現しよう。チームワーク重視を例にとると、①製品・サービスを提供する社員がチームで顧客の課題解決にあたるように業務プロセスが設計されていること、②場合によっては顧客もチームの一員に加え、顧客と一緒になって製品・サービスを完成させるように案件がマネジメントされていること、③マネジャーは単に部下に対して指揮命令をするのではなく、メンバー間の協業を促し、メンバー間の障害を取り除くことに集中するよう職務が定義されていること、④チーム間で積極的にリソースを融通し合ったり、ノウハウを共有したりすることが認められていること、

 ⑤チーム間だけでなく、職能が異なる他部門との連携が推奨されていること(マーケティング部門と営業部門、R&D部門と製造部門など)、⑥全ての研修でチームワークの重要性が強調されていること(例えば、必ずグループワークを取り入れるなど)、⑦メンバー同士で相互評価を行わせること、⑧研修や情報システム、予算の企画には現場部門の意見が反映されること、⑨逆に、人事部、情報システム部、経理部は現場部門の業務を十分に理解し、経営資源の適正な配分のために現場業務の見直しを支援すること、⑩他のチームメンバー、他のチームや他部門への貢献が適正に評価される業績・人事評価制度になっていることなどを実現させなければならない。しかも、組織に埋め込まれた価値観には一点の矛盾もあってはならない。

 よくありがちなのが、チームワーク重視と言いながら、人事評価は相変わらず個人評価になっているといった例だ。わずかなほころびから価値観に対する社員の信頼は崩壊し、企業の業績を転落させる。価値観を完全に貫徹させられる企業はそれほど多くない。以前の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」で、アメリカでは今、オペレーショナル・エクセレンスが再注目されていると書いた。だが、本当に強い企業とは、単に業務の効率化を図っているだけでなく、価値観を基礎とした完璧な組織をデザインし、それを具現化できている企業のことだと思う。

 本書は面白い構成になっていて、そうした価値観重視の経営によって高い業績を上げている7社(サウスウエスト航空、シスコシステムズ、メンズ・ウェアハウス、SASインスティチュート、PSSワールド・メディカル、AES、NUMMI)の事例を紹介した後で、最後に、一見すると価値観重視の経営を取り入れているようでありながら、その取り組みが不十分だったり、あるいは過剰であったりしたがために経営が行き詰まっているサイプレス・セミコンダクターの事例考察が行われている。先ほども書いたように、価値観重視の経営にもデメリットはある。以下では、本書から読み取れる価値観重視の企業の特徴を挙げるととともに、その慣行が不十分だったり行きすぎたりするとどのようなデメリットが生じるかについて整理したいと思う。

 まず、価値観重視の経営を行っている企業が最も重視しているのが顧客中心主義である。顧客中心主義ぐらいであれば、今の時代どの企業でも掲げていると思われるかもしれない。しかし、価値観重視の経営を行っている企業のそれは徹底している。サウスウエスト航空の伝説的な顧客サービスについては、今さら私が述べるまでもないだろう。

 とはいえ、顧客中心主義が行きすぎると、顧客の「ワガママ」、「モンスター化」につながる。前掲の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」の最後でも書いたが、消費者は自由市場経済の中で勝手に振る舞うことができる私人ではないと私は考える。私人という側面を完全には否定しないものの、消費者は国家から「有限の資源を上手に活用して、社会で賢く生きよ」と命じられている公人でもある。この点を理解しない顧客まで招き入れる必要はない。事実、本書から外れるが、サウスウエスト航空では、カウンターで無理難題を突きつける顧客に対しては、アメリカンエキスプレスのチケットを渡して、「あちらのカウンターに行ってください」と誘導しているようだ。

 先ほどから何度か例示しているチームワーク重視も、価値観重視の企業にはよく見られる。目的や機能が異なるチーム同士を協業させることは比較的たやすい。問題は、同じ営業チーム同士や、各地域の製造・販売子会社同士を競わせる場合である。この場合、相手を助けることが自分の業績悪化につながることがあるため、チームワークが発揮されるどころか、逆にお互いの足を引っ張るという事態になりやすい。チームワーク重視を取り入れる場合、自社のビジネスモデルや組織構造がどういう特徴を持っているのかをよく確認する必要がある。また、チームワークを重視する場合、マネジャーはチームメンバーに対して大幅な権限移譲をすることになる。しかし、権力を失うことを恐れるマネジャーが中途半端な権限移譲を行うと、メンバーは自律性が制約される上にマネジャーから干渉を受け、チームが機能不全に陥る。

 財務や人事に関する情報を積極的に公開するのも、価値観重視の企業の特徴である。財務情報を公開するのは、社員に対して、自分の仕事がどのように全社の業績とつながっているのかを意識させ、企業に対する貢献意欲を引き出すためである。人事情報を公開するのは、社員が周囲からどう評価されているのか、どんな役割を期待されているのか、自分の強みと弱みは何か、自分の能力を高めるためには何のトレーニングや職務経験が必要とされているのかを理解してもらい、キャリア開発をサポートするためである。

 しかし、これらの情報の取り扱いには慎重にならなければならない。まず、情報の公開によって社内競争が巻き起こる恐れがある場合は、情報公開を止めた方がよい。人事情報の公開によって、社員の昇進の順番の予定が公にされた結果、社員同士の足の引っ張り合いに発展するケースもある。もう1つは、情報公開は中途半端に行ってはならないということである。公開するならば可能な限り全てを公開する。公開しないならば公開しないという割り切りが必要である。「この情報は公開してもよいが、あの情報は公開してはならない」というルールを作り始めると、情報公開に関するルールばかりが増えて、経営陣に対する社員の不信感が募る。

 価値観重視の企業は、「隠れた人材価値」を引き出すために、人材育成に多大な投資をしている。異動も頻繁に行われる。また、私のように研修サービスを生業としている人間には不利な話なのだが、研修を外注せずに内製化する傾向が強い。私がこんなことを書くと元も子もないのだけれども、研修は内製化できるならば内製化できることに越したことはない。前述のように、研修コンテンツには自社の価値観を十分に埋め込む必要があるし、ブログ別館の記事「ロバート・M・ガニェ他『インストラクショナルデザインの原理』―IDの本なのにこの本自体が全くインストラクティブではなかった」でも書いた通り、研修実施後の業務プロセス、職場環境、評価制度などもセットでデザインしなければならないからだ。外部の研修会社にはこれは難しい。

 しかし、単に人材育成に投資しているだけでは、育った優秀な人材をめぐって、異動が頻繁に行われることをいいことに、部門間で仁義なき争奪戦が勃発する可能性がある。それを防ぐには、何のために彼の育成に投資しているのかをはっきりさせなければならない。彼のキャリア志向や特性は何なのか、一方で企業側が彼に期待していることは何なのか、両者を考慮した結果、企業として彼を将来的にどのような方向へと育成していくのか、どんなキャリアパスを想定しているのか、そのために強化すべき彼の強みは何か、逆に彼に欠けている弱みは何か、こうした点を明らかにした上で、強みを伸ばし弱みを克服するためにこのトレーニングを行っているのだという詳細な人材育成計画を立案し、マネジャー間で共有する必要がある。

 研修に限らず、価値観重視の企業には自前主義を貫いている企業が多い。例外的にシスコシステムズが買収を通じて成長を遂げているが、同社は買収によって技術を買っているのではない。技術に紐づいている人材を買収しているのであって、彼らに逃げられてしまっては買収は失敗だと言う。だから、綿密なPMIプログラムが用意されており、被買収企業の社員にシスコシステムズの価値観を染み込ませている。買収対象企業をシスコシステムズと完全に一体にしてしまうという点では、自前主義の延長線上にあると言ってもよいだろう。

 自前主義は、価値観に基づいた迅速な経営を実現する上でメリットがある。しかし一方で、あまりに価値観が強すぎると、組織が硬直するリスクもある。事業環境が変化しているのに、強すぎる価値観がその変化に関する情報を受けつけないという現象が起きる。これを「過適合」と呼ぶ。先ほど、価値観重視の経営は完璧でなければならないと書いたが、実は、多少穴が開いていた方がよい。それは、価値観に矛盾があってもよいという意味での穴ではなく、異質な価値観を招き入れる余地を残しておくという意味での穴である。

 おそらく、この点を最も強く意識している日本企業は、以前の記事「『トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉』―トヨタの名言とトヨタの弱み」でも書いたように、トヨタであろう。現在、どの業界でも製品・サービスが複雑化しており、1企業が単独で全てのバリューチェーンを担うことは難しくなっている。垂直方向で見れば様々な取引先や販売チャネルと協業し、水平方向で見れば異業種企業や時には競合他社と協業しなければならない局面が増える。

 私は旧ブログで、マイケル・ポーターの「価値連鎖(Value Chain)」をもじって、「価値観連鎖(Values Chain)」という言葉を使い、共通する価値観を持つパートナーと組むことが重要だと書いた(旧ブログの記事「自社のビジョンに利害関係者も巻き込む「価値観連鎖(Values Chain)」の再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』」を参照)。だが、今はこの考えを改めなければならないと感じている。パートナーはパートナーなりの価値観を持っている。パートナーの価値観を自社の価値観と同質化させるならば、シスコシステムズと変わらない。今後は、パートナーの異質な価値観から学ぶ必要がある。「なるほど、我が社は今までこう考えてきたが、そういう考え方もあるのか」という発見から、新たな創造をしなければならない。

 自動車業界の場合、水平方向の関係を見れば、競合他社にエンジンを供給するなど、伝統的に競合他社との連携は盛んである。また、近年はEVの開発をめぐって、異業種との連携も活発になっている。後は、垂直方向の連携をいかに進めるかが問われる。EVが完成すると、今までの部品メーカーとの取引関係はがらりと変わる。また、EVを販売するチャネルも再編されるだろう。新規参入するプレイヤーとどうやって相互学習を行い、顧客に提供する価値に磨きをかけていくのかが、トヨタをはじめとする自動車業界全体の課題である。

 価値観重視の企業は基本的に現場を信頼しているため、本社の規模は非常に小さい。本社のスタッフ部門は現場部門の業務プロセスの円滑な遂行を支援し、必要に応じて最適な経営資源を投入することである。だが、権限が小さくなったスタッフ部門がプレゼンスを発揮するために、現場部門に過剰に介入しようとする誘惑に駆られることがある。現場の業務プロセス整備を支援するという名目で、現場業務の複雑さを無視した過度な標準化を行い、分厚いマニュアルを作成して現場部門に使わせる。このリスクを承知している価値観重視の企業では、経営陣が率先してマニュアルやメモの類を廃止している。ところが、今度は権限移譲された現場部門の社員が好き勝手に動いてしまい、無秩序に陥るというリスクがある。

 どこまでをマニュアル化し、どこからを社員の裁量に任せるかは非常に難しい問題である。フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版、2018年)では、全ての仕事の進め方を社員の自主経営に任せるというやり方が紹介されている。マネジメントは全てインフォーマルなやり方で行われる。だが、日本企業がこれをそのまま取り入れると、ただでさえ暗黙知中心で「重い」と言われる組織がさらに重くなるリスクがあるのではないかと感じる。「組織の<重さ>」に関する研究でも解っていることだが、日本人はフォーマルな手続きがあった方が組織が効率的に回るという。事業や業務の特性、社員の性向に応じてマニュアル化の範囲を決定し、さらにマニュアルの改変を誰がどのような方法で行うのかを明確に決めておかなければならないとしか、今の段階では言えない。

 最後に、業績・人事評価についてであるが、価値観重視の企業では、解りやすい業績評価制度が導入されている。また、金銭的報酬でモチベーションを上げることの限界に気づいており、非金銭的報酬を積極的に与える。その最たるものは、「職場の人間関係が良好であること」である。だから、価値観重視の企業は、社員同士の人間関係の向上に常に心を砕いている。このように、金銭的/非金銭的報酬を合わせて、トータルで報酬を設計する。

 この点を理解していない企業は、解りやすい業績評価制度を導入しただけでは不安に感じるようである。そもそも業績とは、複合的な要因によって決まる。モチベーションは金銭的報酬によって決まる部分が大きいと考える企業の経営者は、この複合的な要因を解きほぐして、業績を決定づける数式を見つけ出そうとする。その結果、最初は解りやすかった業績評価制度がだんだんと複雑になる。経営陣は、報酬の公平さを実現するためにやっていると主張するのだが、社員はそのように受け取らない。自分の給与が企業にとって都合のよいように操作されていると感じる。すると、経営陣の期待とは裏腹に、社員の間で不公平感が生まれる。

 アメリカ人がどう言うか知らないが、個人的には、金銭的報酬は社員が生活費を十分にカバーできるものであれば十分であるし、それ以上はいらないと考える。世の中、お金は揉めごとの原因になりやすい。それを避けるために、経営陣は知恵を絞って非金銭的報酬を多様化し、あの手この手を尽くすことで、社員に「自分はこの会社からこんなにも大事に扱われているのだ。必要とされているのだ」と、企業との絆を感じてもらう方がよっぽど効果的であろう。


2018年09月07日

【事業承継の方法】中小企業が事業承継をする9つのステップ


事業承継・バトンタッチ

 ざっくりとした数字遊びになるが、現在日本には約380万社(個人事業主を含む)の企業が存在する。うち、毎年の廃業率は5%前後であるから、毎年約19万社が市場から退出していることになる。これは、東京商工リサーチ「2017年「休廃業・解散企業」動向調査」が発表している休廃業・解散企業数=28,142社(2017年)を大きく上回る。というのも、東京商工リサーチの数字には、同社が保有するデータベースに登録されていない個人事業主などが含まれていないからだ。実際、中小企業庁『2014年度版中小企業白書』を見ると、廃業者の9割は個人事業主である。廃業の理由には色々あって、「自分自身の年齢・体力の問題」、「業績不振」、「元々自分の代で閉めようと思っていた」などが挙げられるが、白書のデータによると「後継者(事業承継)の見通しが立たない」が4.2%を占めている。つまり、先ほどの19万社のうち、4.2%にあたる約8,000社は、事業承継が上手くいかないせいで廃業しているのである。

 ここからは究極の数字遊びだが、この8,000社は、自分の代で事業を閉めようと考えていたような個人事業主とは違って、それなりの規模がある中小企業が大半であると推測する。仮に、その平均社員数を30人としよう。すると、8,000社の廃業によって、1年間で24万人の雇用が失われる。また、計算を単純化するために、その企業が生み出す付加価値(GDP)が人件費総額に等しいと仮定し、社員1人あたりの平均人件費が年間300万円だとすると、1年間で7,200億円のGDPが失われることになる。10年換算すれば、240万人の雇用と、7.2兆円のGDPが失われる計算である。中小企業庁が「2025年頃までの10年間累計で約650万人の雇用と約22兆円の国内総生産(GDP)を失う可能性がある」(日刊工業新聞、2017年9月27日)と予測しているのは私は大げさだと思うものの、年間24万人の雇用と7,200億円の付加価値が失われることになれば、毎年小さめの産業が1つずつ丸ごと吹っ飛ぶのと同じぐらいである。

 だから、事業承継は喫緊の課題である。多くの中小企業は、事業承継の問題をずっと先延ばしにしてきた。その結果、この20年で経営者年齢の山は47歳から66歳へと移動した。経営者の平均年齢は67~70歳と言われるから、事業承継のために残された時間はもう限られている。事業承継に関しては、中小企業庁が「経営者のための事業承継マニュアル」を公表している。今回の記事では、このマニュアルを下敷きにしながら、私が考える事業承継の9ステップを整理してみたいと思う。なお、事業承継の手段の1つとしてM&Aがあるが、私自身はM&Aに詳しくないし、中小企業のM&A市場はだんだんと盛り上がりつつあるも未だに規模としては小さいため、今回の記事では通常の事業承継のパターンを取り上げる。

 (1)後継者、後継時期をえいやで決める。
事業承継計画表

 事業承継を始めるにあたっては、上記のような「事業承継計画表」を作成することが出発点となる。向こう10年程度の目標売上高・営業利益を記入するとともに、現経営者はいつ引退するのか、後継者はいつ経営を引き継ぐのかというマイルストーンを設定する。そして、後継者の引継ぎ時期に焦点を合わせて、後継者の経営能力をどのように養成するのか計画を立てる。さらに、現経営者の引退時期に向かって、現経営者が保有している株式などの資産を徐々に後継者に委譲するためのスケジュールを立てる。

 まず何よりも大事なのは、後継者と後継時期をえいやで決めてしまうことである。以前、ブログ別館「小島規彰『会社を継ぐあなたが知っておくべき事業承継 そのプロセスとノウハウ』―5年で事業承継を完了させるパッケージの必要性」という記事を書いて、同書では30代で経営者の資質を持っている親族を自社に入社させ、10~15年かけてじっくりと育成する方法を述べていたことに対して、それではとても間に合わないと嚙みついたことがある。

 前述の通り、中小企業にとって、事業承継のために残されている時間は少ない。せいぜい5年が限度であろう。だから、現経営者の引退時期は5年後と強制的に設定してしまう。また、時間に余裕があれば、経営者の資質を持った人材を幅広く検討することも可能であろうが、今の中小企業にはそれすらもできない。さすがに誰でもいいというわけにはいかないものの、この人なら何とか経営者が務まりそうだという人がいれば、すぐにその人を後継者に指名することにしよう。後は、「地位が人を育てる」という言葉を信じるしかない。

 (2)ミッション・ビジョン・価値観を明文化する。
 事業承継という言葉は若干語弊がある。承継するのは事業だけではない。事業を束ねる経営を承継するのである。だから、正確には経営承継と呼ぶべきである。そして、その経営の骨格をなしているのがミッション・ビジョン・価値観である。ミッションとは自社の社会的使命である。自社がなぜこの世にあるのか、その存在理由を明らかにするものである。ビジョンとは、ミッションを解りやすく言い換えたものである。自社の製品・サービスを使う顧客はどのような気持ちになり、どんな生活を送っているのか、その顧客を支える社員はどんな働きぶりをしているのか、取引先とはどのような協調関係を結んでいるのなど、それを聞けばまるで事業の中身が目の前に映像として浮かぶほど具体化されたものがビジョンである。価値観とは、ミッションやビジョンを達成するために、自社として順守すべき判断基準や行動様式のことを指す。

 現経営者が長年社長を務めている間に、こうしたミッション・ビジョン・価値観が曖昧になってしまうケースというのは多い。また、現経営者が創業者の場合は、ミッションなどが現経営者の頭の中だけにしか存在していないということもある。事業(経営)承継にあたっては、ミッションなどを明文化し、後継者に伝承することが重要である。言うまでもないことだが、ミッションなどは、現在の自社の主力事業や業務内容と整合性が取れていなければならない。中途半端なミッションを掲げると、先日の記事「【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因」で書いたように、私と同じような失敗をしでかすことになる。

 (3)承継する資産と承継しない資産を峻別する。
 事業承継で承継する資産には、大きく分けると「知的資産」と「個人資産」がある。知的資産とは、製品・サービス、顧客情報をはじめとする情報資産、顧客や取引先との信用、コア・コンピタンス、コア・ケイパビリティ、事業のノウハウ、特許をはじめとする知的財産権などがある。これらのうち、次の世代にも活かすべき資産と、事業承継を機に切り捨てる資産とを区別することが大切である。そのためには、自社の戦略をもう一度よく見直してみるとよい。これは言ってみれば、引っ越しの際に、いる物といらない物を分別するようなものである。

 「個人資産」には、現経営者が保有している株式、現経営者が自社に貸与・供与している土地・建物などの資産、貸付金などがある。これらの資産をどうするかについては、私よりも税理士や公認会計士の方がよっぽど詳しい。贈与税・相続税対策、種類株式の導入、信託の活用、事業承継税制の利用など、様々な道があるので、専門家に相談することをお勧めする。

 (4)後継者に業務改善を行わせる。
 ここからは後継者の育成に入る。と言っても、事業承継までに残されている時間は5年ほどしかない。この5年で、経営者として必要な能力を相当程度習得する必要がある。また、後継者はすぐさま社内から歓迎されるとは限らない。突然入社してきた親族や外部の第三者が後継者である場合はなおさらだ。この人は本当に経営者にふさわしいのかを周囲の社員は厳しい目で見ている。彼らを納得させるために、後継者には結果が求められる。しかし、いきなり大きな成果を出すことは難しい。私は、後継者が経営者として必要な能力を幅広く身につけ、社員から認められるようになるには、3段階の改革を行うことが望ましいのではないかと考える。

 まずは、後継者を部長クラスで特定の部門に配属し、すぐに成果が出やすい業務改善に着手させる。後継者にとっては、自社の業務をよく理解し、社員ともコミュニケーションを取るよい機会になる。注意すべきは、あまりに抜本的な業務改革をしてはならないということである。社員の残業代が減ったり、まして人減らしにつながったりするような改革は、かえって社員の反感を買う。中小企業はマンパワーが不足している割に複雑な業務フローになっていて、社員に過度な負荷がかかっていることが多い。ここでの業務改善の目的は、その業務フローを整理し、社員を楽にしてあげることである。そうすれば、社員は「この後継者は自分たちによく配慮してくれる」と思い、味方になってくれるに違いない。この業務改善には2年ほどの時間を使う。
 
 (5)後継者に新規顧客の開拓をやらせる。
 部長として一定の成果を出すことができれば、後継者を取締役専務などに昇格させ、次の改革に着手させる。とりわけ中小企業の経営者に期待されるのは営業である。トップセールスができることである。だから、後継者には、新規顧客の開拓をやらせる。その際、業績があまり芳しくない部門に配属させて、修羅場を経験させるとよいかもしれない(本当に業績が芳しくない部門は、(3)の段階で整理の対象になっているから不適切である)。

 この改革には3年ほどを使う。単に後継者が新規顧客を開拓できるようになるだけではなく、そのノウハウを社員とも共有し、社員をトレーニングする。場合によっては、従来の営業スタイルを改め、営業ツールや社内ルールを見直し、販促やプロモーションのやり方も変える。ここまでを3年間で行う。本当は、事業承継までの5年間で3回の改革を行って、万全の状態で経営者となるのが理想である。だが、いかんせん時間が5年と限られていることから、承継前に実行できる改革は2回が限度となる。残りの1回は後述するように、事業承継後に実施する。

 (6)新社長はミッション・ビジョン・価値観を自分の言葉で再定義する。
 (4)(5)で結果を出し、晴れて新社長となった後継者がまずやるべきことは、先代の経営者から受け継いだミッション・ビジョン・価値観を、自分の言葉で置き換えることである。単に先代の経営者のミッションなどを繰り返すだけでは、社員の失望を買うばかりか、下手をすると「新社長は先代経営者の傀儡なのではないか?」という疑念を生む恐れがある。新社長は、(4)(5)の改革を通じて解った自社の事情や事業環境、また自分がこの企業にかける意気込みを反映させて、自分なりの言葉でミッションを語る必要がある。

 そのミッションは、新社長が折に触れてしつこく社員に語りかけなければならない。稲盛和夫氏は、「経営者は壊れたレコードのように経営理念を何度も繰り返し社員に語る必要がある」と述べていたが、これは決して、いつまでもバカみたいに同じフレーズを復唱していればよいという意味ではないと思う。新社長は、様々な角度から、ミッションを語れるようにならなければならない。言い換えれば、語彙を増やさなければならない。そのためには、日々の経営、事業、業務の変化に敏感になり、その変化をミッションの語り方に照射させることが肝要である。

 (7)新社長は自分の能力を補完してくれる右腕を確保する。
 経営者に求められる能力とは何だろうか?『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2018年2月号のクラウディオ・フェルナンデス=アラオス他「現在のコンピテンシー水準とのギャップを埋めよ 潜在能力を開花させる経営リーダーの育成法」という論文によると、①市場理解力、②戦略性、③協働能力、④チームリーダーシップ、⑤組織育成力、⑥変革のリーダーシップ、⑦成果志向、⑧多様性対応力の8つだという。新社長は、社長になる前から、この8つの能力がどのレベルにあるのかについて評価を受け、また(4)(5)の改革を通じてどの能力が伸びたのか、逆にまだ弱みとして残っている能力は何なのかを見極めてもらう。

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 8つでは多すぎると言うならば、以前の記事「比較的シンプルな人事制度(年功制賃金制度)を考えてみた」で挙げた、①構想力、②問題解決力、③組織を動かす力、④コミュニケーション力という4つの能力で評価してもよいと思う。肝心なのは、新社長の強みと弱みを明らかにすることである。本当は、社長に就くまでに全ての弱みを克服できるよう、3回の改革を経験できるのが望ましい。だが、既に述べたように、現実問題として5年で3回の改革を行うのはほとんど不可能だし、そもそもどんな人間であっても克服できない弱みは残るものである。よって、新社長は、自分の弱みを補ってくれる右腕となる人材を社内から探さなければならない。右腕人材は、新社長の能力を補うだけでなく、社長が陥りがちな孤独を緩和してくれる役割も果たす。

 (8)既存事業と親和性の高い新製品・サービスを開発する。
 新社長就任後、3回目の改革に着手する。その改革とは、新製品・サービスの開発・販売である。これは、新社長が先代経営者とは違う新鮮さを打ち出し、社員にそれを訴求する効果を持つ。ただし、間違っても、既存事業との関連性が薄い分野に手を出してはいけない。経営に慣れた社長であっても、シナジーが低い分野に進出するのはリスキーなのだから、社長になったばかりの人がそんな危険を冒してはならない。この改革は、後継者が新社長となり、社員から新しい経営者として認めてもらうための3段階の改革の総仕上げに該当する。だから、絶対に失敗が許されない。よって、既存事業とのシナジーが高い分野を慎重に選択するべきである。

 国は、開業率を英米並みの10%に引き上げることを目標として、創業補助金という制度を設けている。この補助金は、単に一から創業する人だけが対象ではなく、実は、事業承継を行う既存企業も対象となっている(第二創業)。ただし、第二創業で補助金を受けるためには、新社長が新規事業を立ち上げることが条件とされる。ここまでお読みいただいた方はお気づきかもしれないが、この条件はあまりにも恐ろしい。もちろん、新規事業の中身にもよるものの、新社長がいきなり新規事業にチャレンジするのはリスクが高すぎる。仮にその新規事業に失敗すれば、新社長の社内での評判は著しく傷つき、その後の企業経営に深い影を落とすことになるだろう。国は補助金で事業承継を潰すつもりなのかと思ってしまう。

 (9)公平な人事評価制度を構築する。
 経営には終わりがないのだから、事業承継もどこまでやれば終了なのかを明確に定めることが難しい。ただ、1つの区切りとして、(8)の改革が一段落ついたら、人事評価制度の整備に着手するべきだと思う。これは何も、MBO(目標管理制度)のような立派な制度を導入せよという話ではない。中小企業の場合、人事評価がそもそも行われていない、行われていたとしても社長の恣意的な評価で決まるということが多い。これでは、社員のモチベーションを保つことは難しい。新社長は、評価に対する社員の納得感を高める努力をしなければならない。(6)で新社長は新しいミッション・ビジョン・価値観を掲げたが、例えば、自社の価値観に沿った仕事をした社員を高く評価するようにするだけでも、評価に対する社員の満足度はがらりと変わる。





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