2013年02月12日
『リーダーは未来をつくる(DHBR2012年11月号)』―共有価値観で結ばれた利害関係者の生態系
Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 11月号 [雑誌] ダイヤモンド社 2012-10-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
やや古い調査だが、『日経ビジネス』1995年8月号によれば、日本企業の過去20年間の営業利益の伸び率を見てみると、経営ビジョンを有している企業は7.8倍であるのに対し、経営ビジョンを持たない企業は3.6倍にとどまっているという(※1)。
また、中小企業製造業に限定された調査ではあるが、「活力ある中小企業」(直近10年間で売上高経常利益率がおおむね6%以上の中小企業製造業)と「赤字基調にある企業」(直近10年間で売上高経常利益率がおおむね0ないし赤字基調の中小企業製造業)の経営ビジョンについて調べた報告書がある。経営ビジョンを明確化しているか?という問いに対しては、「活力ある中小企業」が87.4%、「赤字基調にある企業」が75.4%と回答しており、あまり差はない。ところが、経営ビジョンは実際の経営判断においてどの程度実践できているか?という問いに対しては、「活力ある中小企業」が90.0%が「ほぼ実践できている」、「ある程度実践できている」と回答しているのに比べ、「赤字基調にある企業」は56.5%にとどまる(※2)。
経営ビジョンが社内で共有され、実践されている企業は、そうでない企業に比べると競争力が高い。これをさらに拡張すると、経営ビジョンが顧客、仕入先、株主・金融機関、行政、地域社会といったステークホルダーと共有され、ステークホルダーを巻き込む意思決定の場面で実際に活用されている企業は、より強い競争力を有するはずである。旧ブログでは、自社の共有価値観がステークホルダーと固く共有されている状態を、競争戦略論で有名なマイケル・ポーターの「価値連鎖(Value Chain)」という言葉を借りて、「価値観連鎖(Values Chain)」と呼んだ(※3)。
価値観連鎖と利益の関係を調べた調査を私はまだ見たことがないのだが、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年11月号を読むと、先進的な企業は価値観連鎖の形成と維持・強化に余念がないように思える。今回の記事では、同号から、スタンダードチャータード(アメリカの金融機関)とユニリーバの事例をまとめてみたい。
(1)顧客
<スタンダードチャータード>
2010年3月、スタンダードチャータードは「ヒア・フォー・グッド("Here for good")」というブランド理念を発表した。「顧客にとって大切なことをする」と「長期展望を持つ」という二重の意味を持つこの理念は、経済的価値と社会的価値の両方を創出しようとする同行の願いを表している。
同行は顧客に対しても、経済的価値だけでなく社会的価値を生み出すように要請している。同行は危険な業務が多い鉱業、林業、船舶解体業などの業界の顧客との取引の場合、労働安全と環境保全に関する要件を盛り込んでいる(ナサニエル・フット他「経済的価値と社会的価値を両立させる 優れたリーダーは業績だけで満足しない」より)。
<ユニリーバ>
ウィリアム・ヘスケス・リーバ(後のリーバヒューム卿)が19世紀にユニリーバを創業した時、イギリスには重大な衛生上の問題があった。ビクトリア朝時代には、赤ん坊の2人に1人が1歳までに死んでいた。そこで彼は固形石けんを発明したのだが、金儲けのためではなかった。
この創業時のエピソードから、経済的価値だけではなく、社会的価値に貢献するという同社の価値観が築き上げられた。現在、同社は「ユニリーバ・サステナブル・リビング・プラン」を掲げ、持続可能な社会の実現に大きく貢献しようと野心的な目標を設定した。プランの実行過程で、同社は消費者を巻き込んだコミュニケーションを図る機会を望んでいる。
同社のブランドの製品を利用する消費者は、毎日20億人以上に上る。以前なら、消費者はこう言ったかもしれない。「持続可能なリプトンのティー・バッグを使っているけれど、それで何が変わるというのだ。隣の人はそうでないし、大きなSUVを乗り回している」。しかし、今は「それで何かが変わる」と示すことができる。20億人が紅茶を飲んでいるのだから、持続可能な形で調達されたものを買い求めることで、消費者もよいことを実行する一員になれる、と同社は考えている(ポール・ポールマン「世界の企業の手本となれるか 未来をつくるリーダーシップ」より)。
(2)仕入先
<ユニリーバ>
同社では、原材料調達から廃棄まで、ライフサイクル全体を対象に、サプライチェーン全体を通じて約50の目標を設定している。総合的な環境負荷を削減し、持続可能な形で農業資源を調達し、10億人が十分な栄養を摂取して健康で安心な生活を実現できるようにしようとしている。
同社のブランドは全て社会的使命、経済的使命、製品としての使命を持っている。この使命を全てR&Dプログラムに組み込んでいる。調達から工場、消費者へ至るサプライチェーン全体の活動が生む影響を測定することに、膨大な時間を費やしている。同社はデータを重視し、計画を遂行する上での責任の所在を明らかにしている(ポール・ポールマン「世界の企業の手本となれるか 未来をつくるリーダーシップ」より)。
(3)株主
<ユニリーバ>
同社は、株主利益を生み出すことだけが企業の責務ではないとしている。他の全てを犠牲にして株主価値を高めるような近視眼的なビジョンでは、長続きする企業にはなれない。それを踏まえた上で、会社の戦略を支持してくださる株主基盤を惹きつける必要があると考えている。同社は、自社の長期戦略を理解してくれる株主を積極的に探している。
一方で、ヘッジ・ファンドや短期投機家には次のように言っている。「皆さんは当社とは相容れません。株式会社を少々お買いになったからといって、当社の戦略を台無しにする権利が得られるわけではありません」。ポール・ポールマンCEOは、「ヘッジ・ファンド・マネジャーは金になるためなら自分の祖母でも売り飛ばすだろう」と言ったとも報じられた。
ポールマンCEOは、CEO就任初日に四半期報告を廃止した。これによって株主が取り残されるどころか、そのおかげで業務が減り、十分すぎるほどの時間を割いて、株主に事業の状況を説明し、より長期的な戦略について話し合うことが可能になったという(ポール・ポールマン「世界の企業の手本となれるか 未来をつくるリーダーシップ」より)。
(4)行政
<スタンダードチャータード>
同行はグローバル展開にあたり、現地法人のCEOに対して、現地の重要ステークホルダーと直接交渉し、現地の資本市場で直接取引を行う権限が与えられた。このような取引では、大手インターナショナル・バンクは現地の規制の曖昧さにつけ込むのが常だが、同行は正道を歩むことにした。つまり、「信頼されているインサイダー」になることを目指したのである。
それには現地政府から建設的な勢力とみなされなければならなかった。そこで、現地法人のCEOは現地の法律の許容範囲を無理やり広げようとするのではなく、正しく機能する市場を築くためのパートナーとして現地の規制当局を扱うことが求められた(※4)(ナサニエル・フット他「経済的価値と社会的価値を両立させる 優れたリーダーは業績だけで満足しない」より)。
(※1)佐々木直『企業発展の礎となる経営理念の研究』(産能大出版部、1999年)
企業発展の礎となる経営理念の研究 佐々木 直 産能大出版部 1999-07-12 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(※2)関東経済産業局 「平成21年度地域中小企業活性化政策委託事業 中小企業経営のあるべき姿に関する調査 報告書」(2010年3月)
(※3)旧ブログの記事「【水曜どうでしょう論(3/6)】外部のパートナーを巻き込んで「価値観連鎖(バリューズ・チェーン)」を形成する」、「自社のビジョンに利害関係者も巻き込む「価値観連鎖(Values Chain)」の再発見―『絆の経営(DHBR2012年4月号)』」を参照。
(※4)具体的に同行が現地の規制当局とどんなパートナーシップを構築しているのか?同行のビジョンを実現するために、現地の規制をうまく活用した事例は何かあるか?逆に、同行のビジョンと規制当局の考えが合わないという理由で、現地事業を諦めた事例はあるか?などにも触れられているとよかったのだが、残念ながら同論文はそこまで踏み込んでいなかった。