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岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年03月28日

岡真理『記憶/物語』―本当に悲惨な記憶は物語として<共有>できず<分有>するのみ


記憶/物語 (思考のフロンティア)記憶/物語 (思考のフロンティア)
岡 真理

岩波書店 2000-02-21

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 企業においては、営業や新製品開発プロジェクトなどの成功体験を水平展開したり、組織の価値観を社員に浸透させたりするために、物語の<共有>という手法がとられる。価値観を共有するには、社員のどのような行動が価値観に合致しており、逆にどのような行動が価値観に反していたのかについて対話する(旧ブログの記事「変革を組織に定着させる「武勇伝」の効力」、本ブログの以前の記事「「起業セミナー」に参加された方にアドバイスした3つのこと」を参照)。

 成功体験を語るのは楽しい(あまりに楽しそうに語ると厭味ったらしくなるが)。そして、それを聞く方も、その話を参考にして自分が今以上の成果を上げられるかもしれないから興味津々だ。一方、失敗体験を語るのは苦痛である。だが、仕事における失敗は、それを経験した当時は死ぬような思いをしたかもしれないものの、後から冷静になって振り返ると、意と大したことがなかったと笑い飛ばせることが多いように思える(※)。話し手が笑い飛ばせるような話であれば、聞き手もそれほどストレスなく話し手の話に聞き入ることができるだろう。

 (※)かくいう私も、前職のベンチャー企業で酷い目に遭ったと思い、退職から2年近く経った頃から「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」を書き始めた。だが、いざ書き終えてみると、大半は割とどうでもよいことだったと思うようになった。今なら、このシリーズの内容に基づいて、笑い話を交えながら2時間でも3時間でも語ることができると思う。もっとも、中には本当に死ぬほどの思いをした経験も交じっているので、全部を正直に語るのは難しいのだが。

 企業における失敗の物語は<共有>することができる。しかし、本当に悲惨な経験、例えばアウシュビッツ強制収容所にいた時の経験、原爆投下から生き延びた経験、終戦後にシベリア抑留を経て帰国した経験、最近で言えば東日本大震災で家族を失った経験、福島第一原発事故により帰るべき場所を失った経験などは、<共有>できるのであろうか?

 生死にかかわるほどの異常な経験をした人は、2通りの反応を見せる。1つは、その体験を忘れたことにすることである。本書では、バルザックの短編小説『アデュー』が取り上げられている。

シャベール大佐 (河出文庫)シャベール大佐 (河出文庫)
オノレ・ド・バルザック 大矢 タカヤス

河出書房新社 1995-07

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 主人公のフィリップは、狩りの途中で狂気を患ったステファニーという女性に遭遇する。彼女が発するのは「アデュー(お別れね)」という一言のみである。そのステファニーこそ、フィリップの元恋人であった。2人はナポレオン戦争で離れ離れになるのだが、ステファニーは壮絶な戦争経験のために記憶を失っていた。フィリップはステファニーの記憶を取り戻そうと、2人がかつて時間をともにした風景を忠実に目の前に再現して見せた。すると、目論見通りステファニーは記憶を回復した。ところが、その瞬間、ステファニーは「アデュー」と言って息絶えたのである。

 私が昔大好きでよく読んでいた手塚治虫の『ブラックジャック』に似たような話があった。ある少年が炭鉱で働く父に弁当を届けに行ったところ、トンネルが崩落した。父は死亡し、少年は頭に重傷を負った。その重傷が原因で、少年は植物状態になるとともに、どういうわけか生理現象も止まってしまい、年齢を重ねても老化が進まなくなった。少年のこの現象を不思議に思った研究者は、少年の代わりに入院代を支払いながら少年の研究を続けた。

 ところが、いよいよ研究予算が厳しくなり、また病院としてもこれ以上少年を入院させ続けることは難しいということで、”死神”ドクター・キリコに安楽死を依頼した。この時点で、事故から65年が経過していた。そこにブラックジャックが現れる。自分が最後の望みをかけて脳の手術をする。24時間以内に少年が意識を回復したら自分の勝利だ。しかし、24時間経っても意識が回復しなければドクター・キリコの好きにしてよい、とブラックジャックは告げた。果たして手術は成功し、少年は意識を回復した。しかしながら、少年が意識を回復した途端、65年分の溝を埋めるように急激に老化が進行し、少年はそのまま老衰で死亡してしまった。

Black Jack―The best 14stories by Osamu Tezuka (10) (秋田文庫)Black Jack―The best 14stories by Osamu Tezuka (10) (秋田文庫)
手塚 治虫

秋田書店 1993-07

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 悲劇的な経験に対するもう1つの反応は、その出来事に固執するというものである。悲劇的な経験、特に愛する誰かを失った経験とは、理由なき死を強制されたという経験である。理由がないのだから、死は不条理である。だが、人間の頭は不条理を不条理のまま処理することができない。よって、何らかの意味づけをしたくなる。本書では、湾岸戦争で息子を失った母親のインタビューを取り上げた部分がある。母親の言葉には、息子を殺したアメリカは普遍的な悪であり、イラクはアメリカを倒すために立ち上がらなければならないというナショナリズムが表れていた。

 著者は、いずれの反応もエゴイズムに満ちていると論じる。記憶を失ったかのように振る舞う人の記憶を取り戻そうとするのは、記憶を失った人のためというよりも、記憶を取り戻そうとする人のためである。フィリップは恋人としてのステファニーを取り戻したかった。ブラックジャックは、ドクター・キリコに反して自分の正しさを証明しようとした。だから、エゴイスティックである。

 記憶を取り戻した当の本人は、空白の時間を一気に飛び越えて過去の記憶に接続される。私は、苦しみには利息がつくと考えている。放っておけば、複利方式でどんどんと苦しみが膨らむ。普通の人は、そうならないように、苦しみを自分なりに懐柔し、癒し、放出しながら、苦しみの元本を減らしていく。ところが、ステファニーや少年にはそれがなかった。だから、何十年分もの利息を含めた巨大な苦しみがいきなり我が身にのしかかる格好となり、2人とも圧死してしまったのである。少年の最期の言葉は、「何でそのままにしておいてくれなかったんだ」であった。

 2つ目の反応については、体験を語る方も語らせる方もエゴイスティックである。繰り返しになるが、体験を語る側は、意味なき不合理な死に意味を与える。彼は何のために死んだのか?その死を最も正当化しやすいのは、国家のために死んだことにすることである。国家でなくとも、死んだ本人よりもはるかに大きな何かのために死んだことにすればよい。しかし、死んだ本人が本当にそれを望んだのかは確かめようがない。本人の意思が不在のまま、後に残った人間が何か高邁な理由を与えることで自分を慰める。これもまた、エゴイズムの1つである。

 戦争のような悲惨な経験は、後世のために記録に残したいと考える。そのために、第三者は経験者にあれこれと語らせる。あの時何が起きていたのか?本人はどう感じていたのか?こういったことを事細かく具体的に記述すれば、記憶の保存に成功したと信じる。ところが、語らせる側が体験者の奥深くに踏み込めば踏み込むほど、体験者は当時の記憶に固定され、前に進むことができなくなる。体験者には、苦しみを癒す時間が与えられない。死の不合理はますます不合理となり、無理な意味づけはますます無理が重なる。歴史を記録しようという善意のつもりが、体験者を過去に押しとどめる結果となる。この点で、やはりエゴイスティックなのである。

 悲劇的な経験を真に他者と分かち合うということは、著者の言葉を借りれば、「他者との関係性において自分の生を肯定すること」である。それは、過去の一点にとどまって、「あの時どうだったか?」をいつまでもエゴイスティックに語るのではなく、「今、ここから私は他者とどのように生きるのか?」と未来志向で対話することである。この場合、本人の悲惨な体験は、おそらく他者と完全に共有されることはない。いや、むしろ、今までの議論からすれば、共有すべきではない。だから、本書において著者は<共有>ではなく<分有>という言葉を用いている。

 私の前職のベンチャー企業は最盛期で50名ほどの社員がいたが、私が在籍していた5年半あまりの間に、私が知る限りでもうつ病が4人(そのうち1人は退職後に自殺している)、ストレスに起因する尿管結石で救急車で運ばれた人が3人、自律神経失調症を発症した人が1人、持病の膠原病が悪化して毎日出社することが難しくなった人が1人いる。戦争と比べれば大した経験ではないけれども、それでもやはり異常な空間で仕事をしていたのは事実であって、このことが先ほども書いたように、前職の経験を全て笑い話に変えられない一因となっている。

 前職でこういうことがあったので、私も多少なりともうつ病に詳しくなった。うつ病を発症する原因には、外的な要因(ストレスに満ちた職場環境)と内的な要因(ストレスに過剰に反応してしまう本人の認知パターン)の2つがある。西洋医学的な考え方に従うと、原因を取り除くことがうつ病を治す近道である。ところが、職場環境を交換することなどできない。うつ病の治療において、特に転職は禁じ手だ。むしろ、仕事に慣れた元の職場に復帰することが第一の選択肢となる。

 内的要因、すなわち本人の認知の歪みを直すためには、カウンセリングを勧められることがある。ただし、カウンセリングは、時に幼少期の記憶にまで遡らなければならない。本人はただでさえ病気で苦しんでいるのに、カウンセリングでさらに心理的負荷をかけると逆効果になることがある。本人がすっかり忘れていたような、幼少期の悪い思い出まで掘り起こしてしまったら最悪である。よって、うつ病を治すには、西洋医学的に過去に焦点を定めるのではなく、過去はそれとして置いておき、今これから周りの人とどういう人生を歩むのかを考える方が効果的である。

 日本と中国・韓国の間では歴史問題が外交の火種になる。歴史問題を解決するには、双方が客観的な歴史的事実について合意を積み重ねていくことが重要だと言われる。だが、戦争という悲劇に関してそのような合意に至ることは不可能なのではないかと思う。日本が事実を提示すればするほど、中国・韓国は感情的になる。逆に、中国・韓国側から見れば、日本こそ感情的になっていると映るに違いない。だから、歴史認識の<共有>は見果てぬ夢である。

 最も現実的な道は、歴史に関する相互の認識の違いはあれど、それはさておき、今後の国際社会の中で日本と中国、日本と韓国がどのように協調するのかを語ることではないかと考える。昨年末、日本と韓国は、慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決したという合意に至った。本当は解決などしていないのだが、ひとまず慰安婦問題についてはこれ以上あれこれ言わずに、今後の日韓関係を前向きに議論しようという宣言である。この日韓合意に対しては、右派からは日本が真実を世界にアピールする機会を失った、左派からは日本の謝罪はまだ十分でない、などと批判されている。しかし、今の日韓にはこれしか方法がなかったと思う。

 ここで、悲劇的な経験を<分有>することしかできないのならば、我々は過去の大きな過ちの原因を十分に反省せず、同じ過ちを繰り返してしまうのではないか?という疑問が湧く。この点については、ひとまずこう答えることとしたい。我々、特に日本人は、過去の酷い体験を思い出す時、「あいつが悪い」と人間に原因を求める傾向がある。相手が人間だとどうしても感情的になり、「あいつ」をぶちのめしてやりたいというエゴイズムが生じてしまう。そうではなく、我々は「システム、仕組み、制度」に原因を求めるべきだ。悲劇の物語と事象の構造を分ける必要がある。

 すると、どのようなシステム、仕組み、制度にすれば問題の再発を防げるか?という冷静な発想が可能となる。欧米人はこういう考え方に慣れているので、重大な問題が起きると原因をシステマティックに分析し、解決策を局所に導入する。こうして歴史というものが積み重なっていく。一方の日本人は、「あいつが悪い」で終わらせて(名指しをされた「あいつ」も、実は大した責任を負わない)十分な検証をしないため、似たような悲劇が何度も繰り返される。万世一系の皇室が2000年以上も続いているのに、歴史らしい歴史が日本にないのはそのためである。


 《2016年3月31日追記》
 イエローハットの創業者で日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎氏は、『致知』2016年4月号の中で、東日本大震災からの立ち直りが早い人について次のように述べている。東日本大震災は、被災者にとっては非合理極まりない体験である。しかし、それにしがみつくのではなく、前向きに他者との新しい生を歩み出す人は立ち直りが早いようだ。
 まず第一は、志のある人です。ただ生活のためにパン屋をやっている人は、補助金をもらえる間は再開しようとは思わないのですが、地域の役に立つためにパン屋をやっているという志や使命感のある人は、一刻も早くパン屋を再開しないと地域の人が困ってしまうと考えるので、立ち直りが早いんです。

 もう一つ、孤独な人は立ち直りが遅いけれども、強い絆で結ばれた仲間がいて、いろんな人が励ましに来てくれるような人は、やっぱり立ち直りが早いですね。
(鍵山秀三郎、上甲晃「明日に託す思い」)
致知2016年4月号夷険一節 致知2016年4月号

致知出版社 2016-4


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 梅原純子『男はなぜこんなに苦しいのか』では、社会学者アーロン・アントノフスキーの研究が紹介されている。アントノフスキーは、過去にナチスの強制収容所体験がある更年期の女性の精神状態を調査した。すると、つらい体験があっても不調に陥らない人が30%いることが解った。彼女たちには、SOC(Sense of Coherence:首尾一貫感覚)という特徴がある。具体的には、①将来や先行きの見通しがつくという感覚、②何があっても何とかなるという思い、③出会うことや起こることには何か意味があるという考えのある人は、精神状態が良好である。

男はなぜこんなに苦しいのか (朝日新書)男はなぜこんなに苦しいのか (朝日新書)
海原純子

朝日新聞出版 2016-01-13

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