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オットー・シャーマー『U理論』―古い手法を完全否定するな、古い手法は新しい手法を始動させるトリガーとして機能する

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年06月18日

オットー・シャーマー『U理論』―古い手法を完全否定するな、古い手法は新しい手法を始動させるトリガーとして機能する


U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚

英治出版 2010-11-16

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 (前回の続き)

 (2)著者は、我々の会話には「ダウンローディング」、「討論」、「対話」、「プレゼンシング」という4つのタイプがあり、Uプロセスが進行するに従って、会話のパターンが変化すると言う。
 ダウンローディング、つまり「あたりさわりのない発言」状態では、グループは既成の言葉のゲームの境界線の内側から行動する。「またいつものやり方」だ。討論(ディベート)、つまり「意見の主張」段階になると、グループの人々は問題となっている状況について、さまざまに異なる意見を表明し、それに対峙し始める。そのためには丁寧で礼儀正しいいつもの会話を止め、より厳しく率直な会話に入らなければならない。

 そして、対話(ダイアログ)の段階になると、グループの人々は自分たちのものの見方の境界を越え、自分たちが集団として陥っているパターンを、より大きな像の部分として見始める。(中略)プレゼンシングの段階になると、グループの人々はプレゼンスの深いスペースに入り、互いにつながり合う。それはたいていの場合、何らかの割れ目、または沈黙の瞬間を体験することで可能になり、それを通じて人々は「台本」を手放し始める。それから人々は、何か根本的に新しいものを共創造(コークリエイト)する生成的な流れの中に入っていく。
 ここでポイントとなるのは、(著者は本書の中で必ずしも明確にそう述べているわけではないが、)「プレゼンシング」という、Uプロセスの根底にあって本質的な会話を実現するためには、「ダウンローディング」、「討論」、「対話」という3つの会話のステップを踏まなければならない、ということである。より簡単に言えば、一足飛びに「プレゼンシング」の段階に移ることはできず、それに先立つ3つの会話のステップを順番に踏まなければならない。たとえ、プレゼンシング以外の3つの会話のパターンでは、本質的な答えにたどり着けないことが解っていたとしても、である。

 まずはダウンローディングから開始し、ダウンローディングの限界を感じることで討論に移行する。そして、討論の限界を感じることで対話に移行する。さらに、対話の限界を感じることで初めてプレゼンシングへの移行が可能となる。我々は従来のやり方とは異なる新しいやり方を提案されると、従来のやり方を否定して新しいやり方をすぐに採用したくなる。しかし、著者はそれをよしとしない。「プレゼンシング」という新しい会話は、従来の会話を否定するものではなく、従来の会話の延長線上に新たに追加されるパターンである。

 意思決定のスピードアップが求められる現代においては、著者の提案は非常にもどかしいものに映るかもしれない。Uプロセスは、意思決定を早めてくれる処方箋ではない。むしろ、初めから徒労に終わると解っている従来のステップを経なければ使うことのできない手法であり、その痛みに耐えた者だけが新しい現実にアクセスする権利を獲得する。Uプロセスに従えば、これまで以上に意思決定に時間を要する。その覚悟がある者にのみ、神(=デイビッド・ボームの言葉を借りれば「内蔵秩序」、著者の言葉を借りれば「源(ソース)」)は報いるのであろう。

 やや話はそれるが、従来のやり方とは異なる新しいやり方が提唱された時、従来のやり方が完全に否定されるのではなく、従来のやり方の限界が、新しいやり方を始動させるトリガーとなるケースがビジネスの世界ではしばしばある(ビジネス以外の世界でもおそらくあるだろう)。

 例えば、デカルトの要素還元主義的な分析手法に端を発するロジカルシンキングに対しては、ロジカルシンキングだけでは十分な意思決定を下すことができず、全体を統合的にとらえる直観が必要だという反論が見られる。しかし、直観は決して分析の有用性を否定するものではなく、むしろ十分に分析的である人が最後の手段として直観を用いた時にこそ、有益な結論が導かれるように思える(旧ブログの記事「【感想】「分析」の限界を知った企業が「直観」をうまく使えるのでは?―『リーダーの役割と使命(DHBR2011年12月号)』」を参照)。

 別の例を挙げると、人材育成に関しては、ティーチングではなくコーチングが有効だと言われる。コーチングは、相手に答えを一方的に教えるティーチングとは違い、相手の中にすでに存在する答えに気づかせる方法である。相手がコーチの質問に沿って自ら答えを発見することで、答えに対する自信が高まり、行動変容を強く動機づけられるとされる。だが、何も知らない人にはコーチングは通用しない。極端な話をすれば、赤ん坊にコーチングをしようものなら、子育ては完全に失敗するだろう。相手が自分で答えを導き出せるようになるには、一定の知識と考える力が備わっていることが条件であり、それらはティーチングでしか教えることができない。

 マネジメントとリーダーシップについても、同様の関係が成り立つと思う。マネジメントは持続的な成長を目指すのに対し、リーダーシップは量子飛躍的な成長を志向する。そして、事業環境が目まぐるしく変化する現代は、マネジメントではなくリーダーシップの時代であると言われる。では、リーダーシップは抜本的な変化のタイミングをどのようにして悟るのだろうか?それは、マネジメントによる持続的な改善だけではどうにも太刀打ちできなくなった時であろう。すなわち、逆説的だがリーダーシップを発揮するためには、普段からマネジメントに全力を注いでいなければならないのである(旧ブログの記事「たゆまぬ改善があってこそ改革は成功する」を参照)。

 (続く)




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