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フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)
【ドラッカー書評(再)】『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか』―他国への「不信」ではなく「信頼」を出発点とする関係構築は可能か?、他
【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)

2017年08月29日

【ドラッカー書評(再)】『ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか』―他国への「不信」ではなく「信頼」を出発点とする関係構築は可能か?、他


ポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるかポスト資本主義社会―21世紀の組織と人間はどう変わるか
P.F. ドラッカー P.F. Drucker

ダイヤモンド社 1993-07

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 前回の続き。

 Q6.部下がいない組織、全員が同僚である組織は可能か?
 これまでの組織では、部下の行うことは、既に上司が知っていた。上司自身、数年前には部下と同じ仕事をしていたからである。しかし、知識組織では、上司は部下の仕事を知らない。上司が知っている知識は古すぎて、今の仕事には適用することができない。それでも上司は部下をマネジメントしなければならない。ドラッカーはここでオーケストラの例を出す。オーケストラの指揮者には、オーボエの演奏はできない。しかし指揮者は、オーケストラに対してオーボエがどのような貢献をしなければならないかを知っている。

 オーボエにあたる人、つまり知識労働者は、自らの目標と貢献について徹底的に考え、責任を負わなければならない。その結果、組織には「部下」など存在せず、「同僚」が存在するだけだとドラッカーは主張する。組織はフラット化する。だが、ドラッカーは元々、組織が分権化することはあっても、フラット化することはないと述べていた(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―GMの分権化の特徴、他」を参照)。まず、最終的な成果に対して責任を持つ人間が必要であるとして、上下関係を肯定していた。それから、組織をフラット化すると、知識労働者がいきなり大きな責任を負わされることになるため、分権化によってトップマネジメントへと上り詰めるための練習場を与えるべきだとしていた。この初期の主張が、どうしてこのような形に変わったのか、明確な説明はなされていない。

 ドラッカーは現代社会を組織多元社会としているが、その社会とは、政府、行政、地域社会、企業、NPO、学校、病院、研究機関、軍隊などがネットワーク化、システム化された社会である。ただし、相互依存関係にあることは、必ずしもフラットな関係を意味しない。相互依存関係にあるからこそ、ある組織が別の組織に対して命ずるという関係が生じる。確かに、従来の軍隊のような、絶対服従の形で命令が下されることはないだろう。また、命令した組織が命令された組織を支援しなければならないような局面も生じる。つまり、柔軟な指揮命令関係にあると言える。しかし、命令は命令であり、その限りにおいて上下関係が消えることは絶対にないと思う。

 ちなみに日本はと言うと、情報革命によってミドルマネジメントが一掃されたかと思いきや、以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」で書いたように、むしろ企業内の階層は増えている。また、前回の記事で触れた「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という日本特有の階層社会は、(絶対にお1人しかいらっしゃらない天皇を除いて)ますます多重化している。

 前回の記事でも書いたように、多神教文化に生きる日本人は自分を不完全な存在と見なしている。不完全であるがゆえに、自分1人では何もできない。だから、自分にできないことを他者に依頼する。アメリカの自動車メーカーが自前主義を採用したのに対し、日本の自動車メーカーは自社だけで全ての部品を製造することができなかったため、系列という特殊な上下関係を構築したのはその一例である。昨今は、我々の能力レベルに対して、我々がなすべきことがより大きく、より重要になったので、組織や社会の多重階層化に拍車がかかっていると考えられる。

 Q7.知識労働者とは実は人間の道具化ではないか?
 ドラッカーによれば、組織が1つの目的に集中しなければならないのと同様、知識労働者も1つの領域・知識に特化しなければならないとされる。一方、知識労働者が働くにはチームが必要であり、そのチームには3つのタイプがあると言う。野球型、サッカー型、テニスのダブルス型の3つである。野球型とサッカー型では、プレイヤーの役割が固定されている。これに対して、テニスのダブルス型では、状況に応じて各プレイヤーの役割が柔軟に変更される。経営幹部のチームでは、テニスのダブルス型が上手く機能するケースが増えているとドラッカーは指摘する。しかしこれは、知識労働者の性質に反しているのではないだろうか?

 これはやや過激な発言になるが、ドラッカーの知識労働者観は、人間を道具化しているのではないかという疑念が私の中にはある。そもそも西洋では伝統的に、神の下で正しい政治を行うことが世界の全てであり、政治に関与する者だけが理性を発揮できるとされてきた。だが現代は、政治に代わって企業が世界の中心となった。神とつながった企業経営者のみが事業の全てを知っており、理性を発揮できる。ところが、これでは理性を発揮する人間が限定される。

 人間に理性を発揮できる機会をもっと与えるべきだという運動の結果として生まれたのが、ドラッカーが発明したと自分でよく言っている「分権化」である。分権化によって各事業のトップに就いた者は、経営トップほどではないが、大きな権限と責任を与えられ、事業の全体を見渡すことができる。すなわち、理性を発揮することが可能となる。その各事業のトップの下に、知識労働者が配置される。彼らは特定の領域に関する知識を持ち、特定の強みを持って、事業トップに貢献する。事業トップにとって、知識労働者は道具である。使うも捨てるも自由である。道具であるから、用途ははっきりしていた方がよい。はさみは紙しか切れないから使い道が明確になる。何にでも使える道具ほど、使い手にとって勝手が悪いものはない。

 実は、アメリカにおいて、非営利組織でボランティアとして働く知識労働者が増えているのは、自身が道具化されることに対する知識労働者側の反発の表れなのではないかと感じる。知識労働者は、自分はもっと世界に対してインパクトを与える仕事がしたい、そういう仕事ができるはずだと思っている。ということは、知識労働者が普段所属する組織では道具としての扱いしか受けられず、根源的な欲求が抑圧されていると言える。ちなみに、日本の場合は、前回の記事で書いたように、「下剋上」、「下問」、「コラボレーション」によって、多重階層社会の中を上下左右へとはみ出していく。日本人は不完全な存在ではあるが、自己の中に多様性を取り込む自由を持っている。よって、ドラッカーの言う知識労働者よりも人間らしく生きることができる。

 Q8.日本だけが福祉国家、産業の国家独占、租税国家、冷戦国家の例外か?
 Q7でも述べたように、西洋では伝統的に政治が世界の全てであった。ということは、政府は万能でなければならなかった。その結果生じたのが、福祉国家、産業の国家独占、租税国家、冷戦国家であるとドラッカーは言う。福祉国家、産業の国家独占については説明するまでもないだろう。租税国家とは、国家が際限なく歳出を行い、その歳出を補うために税を徴収するが、不足分については際限なく借金をする国家のことである。冷戦国家とは、軍備を拡大することによって力の均衡を図ろうとする国家を意味する。しかし、4つとも現代では破綻しているとドラッカーは喝破する。しかし、ドラッカーによれば、唯一の例外が日本だとされている。

 ただ、これは何となくドラッカーの買い被りであるように感じた(これ以外にも、本書にはドラッカーが日本を過大評価しているのではないかと思える箇所がいくつかあった)。福祉国家に関して言えば、日本には国民皆保険制度があり、国民の医療の面倒を国家が見ることになっている。産業の国家独占については、日本にも国有化企業は存在したし、国有化はされていないものの、いわゆる護送船団方式によって、国家が企業、いや業界全体をコントロールするような動きが見られた。租税国家に関しては、日本は際限なく国債を発行しており、GDPに占める国債発行額の割合は先進国の中でダントツに高い。冷戦国家については、国防の担い手がアメリカであるというだけであって、世界第8位の防衛費を使って巨大な力を有している。

 Q9.結局のところ、国家とは何か?
 第2次世界大戦後、国の数は激増しており、特に近年設立された国家は人口が数百万人という小国ばかりである。ところで、国家とは結局のところ何であろうか?

 カール・ドイッチュは、国民(nation)とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物だと主張した。第1に、財貨・資本・労働の移動に関するもの、第2に、情報に関するものである。資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイッチュはこれを経済社会(society)と呼んだ。同時に、言語と文化(行動・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイッチュはこれを文化情報共同体(community)と呼ぶ。だが、どうやら最近は文化情報共同体だけで国民や国家が成立しているように見える。SNSによるローカルなコミュニケーションの活性化もこの動きを加速化させている。

 経済社会はと言えば、必ずしも国家単位で完結している必要はない。ドラッカーが述べているように、通貨がグローバル化しているからである。また、自由貿易によって、自国に不足しているものは海外から購入すればよい。ただし、購入のための原資は必要であって、小国はたいてい天然資源に乏しいから、知識経済を発達させる必要がある。そしてその知識経済は、ドラッカーが言うように、最初からグローバル化を目指さなければならない。すると、ドイッチュが言う経済社会と文化情報共同体は分離してしまい、国家の存立基盤が脅かされているように感じる。

 ここからは、「国家とは結局何なのか?」という難題に対する、今の私のぼんやりとした見解を述べたいと思う。伝統的な理解に従えば、人間は放置しておくと闘争状態になる。そこで、お互いの財産を預けて、財産を守ってくれる機構=国家を設立する。国家は財産を守るためのルールである法律を制定する。そして、その法律を確実に執行する高度な官僚機構を作る。さらに、国民の財産を内外の脅威から保護するために、警察と軍隊を保持する。国民は自国の中ではお互いに信頼しているが、他国に対しては、いつ何時自国の財産を狙ってくるか解らないという不信感を抱いている。よって、他国と貿易を行う際には関税をかけるし、他国からの侵略に備えて自衛権を主張する。ただし、自衛権が軍拡競争につながることは以前の記事「『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他」で書いた。

 従来の国家観は、人々の財産を中心に組み立てられている。これに対して、私の理解はこうである(今まで私が本ブログで書いてきたことと大きく矛盾するかもしれないことを承知の上で書く)。人間は本質的に、「『自分は他人とは違う』と思いたい」という欲求を持っている。しかし同時に、人間は臆病であるから、「『自分は他人とは違う』という思いを誰かと共有したい」という矛盾した感情も持っている。この感情を共有できる集団こそが国民である。感情を共有するところに信頼が生まれる。財産はおろか、人種、民族、文化、言語は関係ない。この点で、私の国家観は非常に曖昧である。実際、国境というものは柔軟であってもよいとさえ思っている。

 この場合、他国とは、「自分は他人とは違う」=相違点が際立つ人々が集まる機構である。従来の国家観では、他国に対しては不信がベースになっていると書いた。しかし、私の国家観では、国内において、自分が他人と違っていても他の国民から信頼してもらっているのだから、国外においても、相手が自分と異なっているからと言って相手に不信感を抱くことは許されない。国家間の関係もやはり、信頼が基礎とされる。そうすれば、知識経済は国境を越えて容易に広がるであろうし、国家が軍拡競争に巻き込まれるリスクも小さくなる。孔子はある時、弟子の子貢に、国家を構成する「信・食・兵」という3大要素のうち、何か大変なことが起こってどれかを犠牲にしなければならないとしたら何を犠牲にするかと聞かれた。「まず兵を捨て、次に食を捨て、最後に信を残す。信頼がなければ国家は成り立たない」。これが孔子の答えである。

 新しい国家観の下では、ナショナリズムは相対化される。ドラッカーが述べたように、現代社会は政府、行政、地域社会、企業、NPO、学校、病院、研究機関、軍隊などが並存し、いずれもが絶対的な力を持たない組織多元社会である。よって、我々は「○○国の人間だ」と言うだけでなく、ある時は「△△という組織の人間だ」と言い、またある時は「□□という組織の人間だ」と言う。このように、我々のアイデンティティはナショナリズムへの一極集中から多極化していく。

 Q10.グローバル化された世界とは西洋化された世界なのか?
 本書の最後は「教育ある人間」の重要性について述べられている。だが、その人間像は、西洋の伝統を中核に置かなければならないと言う。ドラッカーによれば、未来の文明は西洋を基盤とする。すなわち、科学、道具、技術、生産、経済、通貨、金融、銀行である。これらはいずれも、西洋の思想や伝統を理解し受け入れなければ機能しないと述べられている。結局、グローバル化とは西洋化のことなのかと、少々がっかりした。厳密には西洋化というかアメリカ化のことなのだが、アメリカは自国の普遍的価値、すなわち資本主義、自由、平等、民主主義、基本的人権を世界に広めることを使命としており、ドラッカーもその片棒を担いでいるのかという気がした。

 以前の記事「植村和秀『ナショナリズム入門』―西欧のナショナリズムが前提としていることに対する素朴な疑問」でも書いたが、アラブにはアラブに適した国家のあり方があるはずである。同様に、アジアにはアジアに、アフリカにはアフリカに適した国家の形が存在するに違いない。生態学者の今西錦司は、ダーウィンの進化論を読んで、「西洋には西洋の進化論があるが、東洋には東洋の進化論があってもおかしくないはずだ」と述べ、東洋なりの進化論の構築に力を注いだ。この作業を国家レベルでやろうというわけだ。Q9でも述べたように、これからの国家は信頼を基盤に柔軟に設計される。そして、各国は相互の違いを尊重することが要求される。これこそが、ドラッカーの言う多元主義の本質ではないだろうか?

2017年01月21日

【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション


アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」の続き。18世紀に花開いた啓蒙主義は、ドラッカーが指摘したように後の全体主義、社会主義を生み出した。唯一絶対の神=人間の理性ととらえるこの立場の特徴を簡単におさらいすると、以下の3点に集約される。すなわち、①過去や未来という時間の流れを否定し、現在という1点に集中して革命を目指す、②1人がすなわち全体とイコールであり、共有財産制や独裁が導かれる、③神と人間が直接的に結ばれることをよしとし、間に何らかの組織(国家、政府、企業、教会、家族など)が介在することを嫌う、ということである。

 一般に、啓蒙主義はフランス革命で現実化し、フランス革命に刺激されてアメリカ独立運動が起きたと説明される。ところが、ドラッカーは、アメリカが影響を受けたのはフランス革命ではなく、イギリスの伝統的な保守主義であると『産業人の未来』の中で語っている。実際、アメリカは大陸の啓蒙主義をそのままの形では受け取らなかった。アメリカ人は、人間の理性には限界があることを認めた。つまり、唯一絶対の神=人間の理性という等式を否定したわけだ。その上で、前述した啓蒙主義の3つの特徴に修正を加えることにした。

 まず、①現在から未来への時間の流れを肯定した。アメリカ人は、未来のある時点におけるビジョンを構想し、そのビジョンを実現するための行動を起こした。ビジョンは人間の自由意志によって描かれる。この自由は、啓蒙主義の絶対的な自由が、結局は他者の自由の侵害を避けるために孤立せざるを得なかったのとは異なる。理性が不完全であるがゆえに、人間にはいかようにもビジョンを描く自由がある。アメリカ人は、自らのビジョンを生涯のうちに実現することを神と「契約」する。ただし、その契約が本当に正しいかを知っているのは神のみである。よって、神と正しく契約できなかった者、あるいはそもそも神と契約をする気がなかった者は、正しい契約を締結し、それを履行した者に劣後する。そのため、アメリカでは格差が正当化される。

 次に、②二項対立という考え方を導入した。アメリカ人はあらゆる事象を対立概念でとらえる。その源泉はイギリスの議会政治にあるとドラッカーは言う。「19世紀のイギリスの政治制度の中核は、議会主権の制限、および多数派政府の制限にあった。さらには、多数派の同意による少数派支配の制限にあった。これを可能としたものが、野党を政治に組み込む二大政党制であり、内閣であり、官僚機構だった」。よって、「官僚機構の上層部にいる者は、当然のこととして、野党のための政策案を準備することが期待された。その結果、イギリスでは、1つの問題について、同一の基本理念に立つ2つの政策案が、つねに自動的に準備されることになった」。二項対立は他者の存在を肯定する。啓蒙主義が連帯を唱えながら他者から孤立したのとは異なる。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 そして、③神と人間の間に一定の階層構造を認めた。アメリカと言うと大統領のリーダーシップに注目が集まりがちだが、実は各州が強力な権限を持つ連邦制であり、分権化が進んでいる。この分権化は、アメリカという広大な国土を統治するための知恵である。アメリカが理想とする自由、平等、基本的人権、民主主義、資本主義などの基本的価値観を広大な領土の隅々に行き渡らせるのに、大統領1人のリーダーシップだけに頼るのでは負担があまりに重すぎるし、どうしても時間がかかる。そこで、各州に権限を与え、それぞれの州にもアメリカの理想の実現を手伝ってもらう。こうすることで、効率的な国家運営が可能となる。さらに、権限移譲された各州の利害関係者のモチベーションを向上させることができるという副次的な効果も期待できる。

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(修正)

 ここから現代アメリカ企業の戦略論の本題に入る。まず、「必需品か否か?」、「製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいか?」という2軸でマトリクスを作る。すると、上図のように<象限①>~<象限④>が得られる。

 <象限①>は、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものを指す。具体的には、食品、衣料品、日用品、白物家電、飲食店、小売店、教育、ニュースメディアなどが該当する。もちろん、これらの製品・サービスにおいても高度な品質管理は重要である。しかし、仮に食品や衣料品に欠陥があったとしても、食中毒やアレルギーを起こすことはあれ、顧客を死に至らしめることは少ない。<象限①>は参入障壁が低く、比較的低コストでマネジメントできることから、コスト優位性の高い新興国が強い。一方で、各国の雇用を下支えする産業が多いため、多くの国が外資規制を導入している領域でもある。

 <象限②>は、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいものを指す。具体的には、自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、化粧品、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送、金融(預金・貸出)などが該当する。自動車や産業機械に欠陥があれば、顧客や作業者を死に至らしめることがある。BtoBの基幹業務システムや物流に障害が起きれば、企業の業務がストップしてしまう。金融機関の預金・貸出機能にトラブルが発生すれば、経済システム全体が心肺停止状態になる。<象限②>では非常に高度な品質管理が必要となる。時には、不良ゼロというレベルまで要求される。この<象限②>に強いのは、日本企業とヨーロッパ(特にドイツ)の企業である。

 <象限③>は、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さいものを指す。具体的には、高機能家電(スマホ、タブレットなど)、ブランド品、エンタメ、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス)、映画、音楽、書籍、雑誌、観光、金融(証券・保険)などが該当する。スマホやタブレットはしばしばフリーズするが、それによって顧客の生命が危険にさらされることはない。映画俳優の演技が多少下手くそでも、ロックバンドの演奏が多少音痴でも、顧客が不快感を味わうことはあれ、生命の危機に瀕することはない。この<象限③>に強いのがアメリカ企業である。<象限③>は必需品ではないため、企業は常に需要を創造しなければならない。これはまさしくイノベーションに他ならない。

 どんなイノベーションも最初は非必需品として出発するが、時の経過とともに必需品化することがある。すると、<象限③>から<象限①>や<象限②>(必需品化するだけでなく、品質要求も高くなる場合)に移行する。日本企業は<象限③>から<象限②>に移行してきた製品・サービスをアメリカ以上に磨くことで競争力を保ってきた。しばしば、日本企業はなぜアメリカのように<象限③>のイノベーションを起こすことができないのかと議論になる。しかし、<象限③>のイノベーションを起こせないのはヨーロッパなどの国も同じである。<象限③>に長けているのはアメリカしかいない。日本は無理に<象限③>を目指さず、従来通りアメリカの後追いをしていれば十分だと感じる(こういう日本企業の戦略を、ドラッカーは「起業家的柔道」と呼んだ)。

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)
P.F.ドラッカー 上田 淳生

ダイヤモンド社 2007-03-09

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 ちなみに、<象限④>は、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きいものを指すが、この象限は必需品でないがゆえに市場規模や顧客ニーズを予測することが難しく、さらに非常に高度な品質管理が要求されるという、難易度の高い象限である。端的に言えば経営リスクが非常に高い。よって、該当する製品・サービスはほとんどない。強いて例を挙げるとすれば、航空業界と軍需産業が該当すると思われる。航空業界は、世界一経営が難しい業界だとされる。現に、アメリカでは航空会社が次々と経営破綻している。




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