このカテゴリの記事
【ベンチャー失敗の教訓(第38回)】分社化したがゆえに生じた組織の壁

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

※2019年にWordpressに移行しました。
>>>シャイン経営研究所(中小企業診断士・谷藤友彦)
⇒2021年からInstagramを開始。ほぼ同じ内容を新ブログに掲載しています。
>>>@tomohikoyato谷藤友彦ー本と飯と中小企業診断士

Top > 分社化 アーカイブ
2013年10月06日

【ベンチャー失敗の教訓(第38回)】分社化したがゆえに生じた組織の壁


 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ

 私が所属していたX社(企業向け集合研修、組織・人材開発コンサルティング)の他に、グループ会社として人材紹介事業のY社、戦略コンサルティングサービスのZ社があったことは既に触れた。だが、社員が最大で50人ほどしかいなかったのに、会社が3つに分かれていたこと自体が問題であった。大企業であれば、50人で1つの部といったところだろう。

 会社が別々になっているせいで、決算書も3種類作らなければならない。取締役会議も3倍必要になる。就業規則も3通り、三六協定も3通り、名刺のデザインも、パワーポイントのスライドマスタも、見積書、契約書、発注書、納品書、請求書といった書類の雛形も、皆3パターン用意しなければならない。1つ1つは些細な業務かもしれないが、積み重なっていくと膨大なムダになる。

 分社化していたのはおそらく、それぞれの事業の収益を見える化し、責任の所在を明確にするためであったと思われる。しかし、収益に対する責任を持たせるのであれば、分社化しなくても事業部制を採用し、管理会計の仕組みをきちんと整えれば十分だったはずだ。そうすれば、このような事務上のムダは生じない。

 ある時、Z社の子会社として、営業コンサルティングサービスを提供する会社を設立する、という話が持ち上がった。戦略コンサルティングと営業コンサルティングは全くの別物ではなく、お互いに補完し合う部分が多い。したがって、敢えて2つの会社にする必要はないのではないか?と多くの社員が思っていた。しかし、Z社のC社長は別会社で経営することにこだわった。新会社の取締役にはC社長の他にX社のA社長、さらにZ社の他の取締役も名前を連ねることになった。

 ところが、設立手続きの最終責任者を誰にするのかをめぐって、新会社の取締役の間で責任のなすりつけ合いが始まった。取締役の間でぐるぐるとボールが回った結果、最後はとばっちりを受ける形で、Z社の経理担当者が手続きを行うことになった。しかも、取締役たちは、自分たちのせいで会社設立が遅れたにもかかわらず、経理担当者に早く会社を設立せよと強く迫るありさまであった(この経理担当者と親しかった私は、彼の疲弊ぶりをよく見ていた)。

 最初から営業コンサルティングサービスを別会社としてではなく、Z社の一事業として実施することにしていれば、このような無用な混乱は避けられたであろう。そして、顧客に対してもっと早く、新サービスである営業コンサルティングサービスを紹介することができたに違いない。

 人間というのは不思議なもので、組織で区切られると自然に”壁”を作ってしまうものだ。異なる組織間ではコミュニケーションが減少し、協業の機会も減る。ある中堅製造業の経営幹部の方から聞いた話だが、この企業では業績が堅調に推移し、規模も大きくなったので、マネジメントの強化を目的として事業部制を導入することになった。ところが、当初の意図とは裏腹に、製造ラインの稼働率が下がり、収益が落ち込んでしまったという。

 後から解ったことだが、この企業の強みは、各製品の受注量の変動に応じて、ライン間で現場社員を柔軟に融通し合うことにあった。ある製品の受注が減少して社員が手待ち状態になれば、受注量が増加して忙しくなったラインの支援に回る、ということが日常的に行われていた。しかし、事業部制を導入してからは、そのような人員のやり取りは人事部の決裁を仰がなければならなくなり、スピーディーな調整ができなくなってしまった。したがって、せっかく手が空いている社員がいても、応援に向かうことができず、ラインの稼働率が下がってしまったというわけだ。

 事業部制でもこのような壁が生じるのだから、会社が異なればその壁はもっと高く、厚くなるのは想像に難くない。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第11回)】シナジーを発揮しない・できない3社」でも述べたように、3社は事業シナジーの発揮を目指していたものの、目立った協業は進まなかった。もちろん、3社の事業が未熟で、シナジーを発揮するどころではなかったのが主たる原因ではあるが、3社の間にあった見えない壁も協業を阻害していたように思える。

 3社の社員は、他社のサービス内容をあまりよく理解していなかったし、理解しようという努力も十分ではなかった。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第37回)】最初に「バスに乗る人」を決めなかったがゆえの歪み」でも書いたが、他社のサービスを頭ごなしに欠陥品扱いして罵倒することすらあった。また、シナジーを発揮するためには、最低でも3社の間で顧客情報や案件情報を共有する必要があるが、3社の情報システムはバラバラのままで、システム統合の話は一度も出なかった。むしろ、個社の事情に応じたカスタマイズがどんどん進む一方であった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
 >>シリーズ【ベンチャー失敗の教訓】記事一覧へ




  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like