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『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「F1種」というタネに潜む危険
『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「住するところなきを、まず花と知るべし」(世阿弥)、他
『焦点を定めて生きる(致知2014年5月号)』―掃除とあいさつは経営の基本

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2014年07月05日

『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「F1種」というタネに潜む危険


致知2014年6月号自分の花を咲かせる 致知2014年7月号

致知出版社 2014-07


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 (前回の続き)

(3)
 F1種というのは異なる2系統のタネを人工的に掛け合わせてつくった雑種の1代目です。雑種の1代目には両親の対立遺伝子の優勢(顕性)形質だけが表れ、見た目が均一に揃います。また雑種になると生育が早まったり、収量が増大するといったメリットがあります。ただ、そのメリットが表れるのは1代目だけなので、農家は種苗会社から海外採取のF1種を毎年買わなければならないのです。(中略)

 問題なのは、F1種の主流となっているのが、雄性不稔というおしべのない野菜なんです。(中略)ある種の遺伝子異常から生まれた突然変異の植物なんですね。ですからいま出回っている野菜は、花粉のない母親の遺伝子を受けついで、男性機能がない野菜が増えているのです。
(野口勲・安倍昭恵「【対談】タネが危ない 生命の花を咲かせ続ける」)
 日本で使われているタネの裏側が解った対談記事。昔、商社のアグリビジネス部門に務める人と一緒に仕事をした時、「日本のタネは非常に優れている。海外に輸出して栽培すると、高品質の農作物が収穫できるので非常に喜ばれる」と聞いたことがあったから、てっきり日本のタネは国際競争力があるものだと思い込んでいた。他人の話をそのまま鵜呑みにして、それ以上ろくに調べなかった私は、まだまだコンサルタントとして未熟だ・・・。

 実際には、世界のタネ企業上位10社で世界シェアの67%を占めている。中でも23%を誇るモンサントが飛び抜けている。1位モンサント(アメリカ、23%)、2位デュポン(アメリカ、15%)、3位シンジェンタ(スイス、9%)で全体の半分近くを占めており、さらにこの3社は遺伝子組み換えを行っている企業だ。日本企業でトップ10にランクインしているのは、8位のサカタと10位のタキイ(いずれもシェア2%以下)だが、この2社は事実上の商社である。日本で第3位にランクインしているのが、対談記事に登場した野口勲氏が代表を務める野口種苗研究所である(※1)。

 長年、日本の食料自給率を高めなければいけないと叫ばれており、「カロリーベースの食糧自給率などという前近代的な計算の仕方をしているのは日本だけだから、先進諸国に合わせて金額ベースで計算すべきだ」とも言われている。しかし、食糧自給率の計算方法がカロリーベースか金額ベースかはあまり本質的な問題ではない。食糧の安全保障を考えるべきで重要なのは、自国の力だけでどこまで食糧を生産することができるのか?という一点に尽きる。

 言うまでもなく、農作物を栽培するためには土地が必要である。だが、近年カナダでは中国人が農地を買いあさっており、その結果カナダのサスカチュワン州では農地が前年比10%、直近3年間で45%も値上がりしているという(※2)。日本の山林を買いあさっている中国人が、今度は日本の農地を狙う可能性は否定できない。仮に日本の貿易が全面的にストップした時、中国人が所有する土地で日本向けに農作物が栽培されるとは考えにくい。

 タネに関しては、前述の通り大部分が輸入である。畜産物用の飼料も輸入に大きく依存しており、これがカロリーベースの食糧自給率を大きく押し下げている。さらに、日本国内ではどうしても調達できないものがもう1つある。それは肥料だ。肥料の3大要素は窒素、リン酸、カリであるが、このうちリン酸については、ほとんどが中国でしか取れない(※3)。また、カリもカナダ、ロシア、ベラルーシ、ドイツに偏在しており、これらの国で世界の生産量の約8割を占めている(※4)。

 こう考えると、日本は貿易を止められたら農業が全く機能せず、深刻な食糧危機に陥ることが予想される。政府には、この現実を前提として、食糧の安全保障を検討してもらいたいものだ。


(※1)「「タネを支配する者は世界を支配する」~モンサント社をはじめとする遺伝子組換産業によるタネ支配」(阿修羅、2012年8月1日)
(※2)「中国人によるカナダ農地への投資ブーム、農地価格が3年で45%増の暴騰―海外メディア」(Record China、2013年6月25日)
(※3)「リン-資源-」(地球資源論研究室)
(※4)「世界で急騰するリンとカリ ニッポン農業の肥料はどうなる?」(農業ビジネス、2008年7月1日)

2014年07月04日

『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「住するところなきを、まず花と知るべし」(世阿弥)、他


致知2014年6月号自分の花を咲かせる 致知2014年7月号

致知出版社 2014-07


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(1)
 「住するところなきを、まず花と知るべし」

 この世阿弥の言葉は、常に新鮮な芸を目指し、過去の実績や現状に胡座をかくことなく、「住せぬ」精神でひたすら己を高めた世阿弥の能楽者としての姿勢、人生に対する姿勢を表現する言葉と言えるでしょう。常に危機意識を持ち、現状に甘んずることなく精進を続けたからこそ、世阿弥は己の芸を高め、その作品は死後も人々に感動を与え続けているのだと思います。
(西野春雄「世阿弥に学ぶ まことの花を咲かせる生き方」)
 世阿弥の芸術論『風姿花伝』にあるこの言葉について、西野氏は「住するところなき」という部分を「現状に安住しない」と解釈しているが、私は少し違う解釈を加えてみたいと思う。

 このブログで最近頻繁に繰り返していることだが、日本は多神教の文化である。この世にはいろんな神が存在しており、何が正しいかは一概に決められない。だから、解=自分がこの世で最も価値を発揮できる役割や役割を求めて、常に彷徨い歩くことになる。別の言い方をすれば、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返す。その様子を傍から見ていると、神々の下手に出てお顔をうかがい、自信なさげに振る舞い、卑屈で、臆病で、ふらふらと落ち着きがないように映る。だが、それが日本人なのである。「住するところなき」とはそういう意味だと思う。

 一方、一神教のアメリカ人は、自信を持って、自分の基軸をしっかりと定めることを美徳とする。なぜならば、内面的な信仰を通じて、唯一絶対の神の意思を汲み取れると考えているからだ。アメリカ人にとって、「私が正しいと信じるに至ったことは、神が正しいと考えていること」である。

 仮にそれが実現しないならば、単に努力が足りないからであって、努力をすれば必ず実現すると思い込んでいる。本号の中で、製薬会社アキュセラのCEOである窪田良氏が、次のようなアメリカ人起業家の言葉を紹介している。「どんなに傷ついても前進し続ければ、バトルスカー(戦傷)の数だけ強いリーダーになれる」 この言葉は、まさにアメリカ的な思考の産物である。

 この考え方が暴走すると、神の力を借りて個人的な考え方を正当化しようとする。野口種苗研究所代表の野口勲氏は、安倍昭恵氏との対談記事で、手塚漫画に触れてこう述べている。
 小学校高学年の時に読んだ手塚漫画に、世界が滅びる作品がありましてね。某国が巨大な核爆弾を日本の上空から落とすんですが、その時に神父だか牧師が「神よ、世界平和のためにこの実験を成功にお導きください」と祈って落とすんです。それを見てなるほど、と。人間というのは、神とか正義とか世界のためといって、とんでもない馬鹿なことをやる存在なんだなということを、僕はその漫画で教わったんです。
(野口勲・安倍昭恵「【対談】タネが危ない 生命の花を咲かせ続ける」)
 某国とはおそらくアメリカのことではないだろうか?神の名を借りて自らの行為を正当化するのは、一神教のアメリカにしかできない。多神教の日本であれば、様々な神々と意見をすり合わせる中で、核爆弾の投下にストップがかかるに違いない。「住するところなき」の精神は、理性の独善的な暴走に歯止めをかけ、より優れた叡知に到達するための知恵だと思うのである。

(2)
 最初のブームはオリンピックでしょうね。その次が万博。それで日本の建築技術はうんと進んだように思われているけど、ほんと言うと技術は落ちたんです。とにかく早いこと、それから大きなものをやれと。こうしたら広い空間ができて、大人数が収容できるとか、こういう材料を使ったら雨にも強い、火にも強いというように新しい技術が当時次々と生まれてきました。

 それはもう、我われ職人でもついていけんほどで、そうした技術が徐々に一般家庭の建築にも組み込まれていく。そうすると、それまで現場で家を1軒建てるのに最低でも半年はかかっていたものが、あれよあれよという間にできてしまう。確かに見た目には素晴らしいもんができる反面、つまらんものもできてきた。私が技術が落ちたというのはそこなんです。(中略)これまで職人がやってきたように、日本人の生活にあった緻密で、気候風土に合ったもんができなくなった。それはやはり、手でやった仕事でないとダメなんです。
(佐藤嘉一郎「生涯現役第101回 93歳 受け継ぎし伝統を伝える」)
 水曜どうでしょう好きの私は、思わず「原付日本列島制覇」(2011年放送)のシーンを思い出してしまった。宮大工に扮装した大泉洋さんが紀伊半島の山中で、「アメリカから入ってきた2×4工法なんてのは面白くとも何ともないやねぇ」、「あれじゃあ技術は育たないんだよなぁ」と藤村Dに熱弁(?)していたあのシーンである。テレビでは冗談っぽく会話が進んでいたが、建築の現場では実際に技術の低下が肌で感じられるようだ。

 日本は技術立国だと言われ、日本人自身もそのように思っているようだ。だが、一度足元をしっかりと見つめ直した方がいい気がする。優れた技術を持っていると思っていたのに、実は技術が衰退していた、あるいは技術そのものが市場から求められなくなっていたというような、笑うに笑えない事態が進行しているのではないだろうか?

 旋盤工で作家の小関智弘氏は、日本の大手メーカーに対して厳しい批判を加えている。すなわち、大企業は製造プロセスをどんどんアウトソーシングし、下請企業を安く買い叩きまくった結果、技術の”お買い物”をする消費者のようになって技術力が低下したというわけだ(※1)。

 では、下請企業である中小企業は、厳しい要求に耐えて技術力をつけているのかというと、こういう話もある。ある自治体で中小企業の調査を行った時、自治体の担当者は「我々の地域は印刷業が強く、印刷業の中小企業が多い」と自慢していた。しかし、調べてみると、印刷業界は2003年から2020年の間に事業所数が約半減すると言われるほどの縮小市場であった(※2)。

 日本が技術力を取り戻すにはどうすればよいか?今の日本企業は、あらゆる分野で高い技術力をアピールしようとしているが、もう少しフォーカスを絞った方がよい。乱暴なポジショニングかもしれないけれども、「壊れたら人が死ぬという製品」、「ミスがあったら人に危害が及ぶというサービス」に集中することが、日本企業に適した道ではないだろうか?(以前の記事「藤本隆宏『日本のもの造り哲学』―インテグラル型の日本企業に勝機がある分野はどこか?」を参照)

 壊れても人が死なない製品などは海外に任せておけばよい。身の回りの必需品のうち、壊れても人が死なない製品は、新興国メーカーに安く作ってもらう。また、壊れても人が死なない製品分野を新たに開拓してイノベーションを起こすアメリカとも、まともに勝負してはならない。新興国メーカーやアメリカ企業は、その成功が非常に大きなインパクトを持つので、日本企業も真似をしたくなる。だが、彼らのビジネスモデルの特徴は、壊れても人が死なないことをいいことに、技術力の優先度を下げ、モジュールの組み合わせによって次から次へと素早く新製品を上市することにある。これは日本企業が得意とすることではない。

 最近、テレビではゲーム会社のCMが増えた。また、政府はアニメの輸出に躍起になっており、ゲームやアニメなどのコンテンツビジネスに力を入れている。しかしながら、ゲームやアニメは「ミスがあったら人に危害が及ぶというサービス」ではない。もちろん、バグがあったりしては困るが、そこまで高度な技術が要求されているわけではない。さらに、ゲームやアニメは嗜好性が高いので、次々に新しい作品を発表しなければならないことが、技術力の優先順位を下げることにつながっている気がする。ゲーム会社のCMを見るたびに、日本の技術力の行く末を案じたくなる。

 (続く)


(※1)小関智弘『ものづくりに生きる』(岩波書店、1999年)

ものづくりに生きる (岩波ジュニア新書)ものづくりに生きる (岩波ジュニア新書)
小関 智弘

岩波書店 1999-04-20

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(※2)「どうなる!印刷業界」(日本能率協会コンサルティング『印刷界』2011年7月号)

2014年05月12日

『焦点を定めて生きる(致知2014年5月号)』―掃除とあいさつは経営の基本


致知2014年5月号焦点を定めて生きる 致知2014年5月号

致知出版社 2014-05


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 以前、鍵山先生の本を読ませていただいた時に、「綺麗なところを綺麗にするのが掃除」と書いてありまして、大変感心しました。(中略)だから、うちは寮や部屋の掃除、グラウンド整備は当然毎日しているんですけど、月曜日は特に入念に、より綺麗にしようという形でやっているんです。(中略)現役の時はそんなに部屋が綺麗だったわけじゃなくて、よく怒られていたんです。でも、徐々に練習だけやって他はいい加減にやっているのではなく、むしろそっちを大事にしたほうが勝負事に強くなるんじゃないか、と感じるようになりました。
(鍵山秀三郎・荒井直樹「凡事徹底という力」)
 創業以来、掃除活動を続けていることで有名なイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏と、鍵山氏の教えに感銘を受けて掃除を徹底し、平成25年夏の甲子園で初出場ながらチームを初優勝に導いた前橋育英高等学校硬式野球部監督・荒井直樹氏の対談記事より引用。日本の製造現場では「5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)」が推奨されるが、5Sと利益は直結するのかと疑問を投げかけられることも少なくない。5Sと利益の関係について調査した研究がないかどうか調べてみたが、残念ながら発見できなかった(見つけられた方は教えていただけるとありがたい)。

 だが、それでも私は、5Sや掃除のような活動は、経営にとって非常に重要だと思う。5Sの本質は、「人の目につかないところでも手を抜かない」ことにある。製品やサービスは、顧客の目につくところだけをきれいに保っていればよいわけではない。顧客が期待する機能や性能の大部分は、顧客が直接見ることのないサブコンポーネントの作用によって達成される。それぞれの社員が、見えないところでも手を抜かずにきっちりと仕事を果たすことが、高品質へとつながっていく。

 逆に、見えないからと言って手を抜けば、品質は失われ、ブランドは大きく傷つくであろう。ちょっとした手抜きであっても、たった1人の手抜きであってもいけない。誰かがちょっとでも手を抜けば、手抜きは他の社員にも伝染し、大きくなり、やがて取り返しがつかないことになる。これは、「壊れ窓理論」が教えるところである。

 5Sの「しつけ」とも関連するが、対談記事ではあいさつに言及した部分もある。
 私が生徒を指導できるのは高校生活の僅か3年です。ここから先の人生のほうが長いわけなので、ここだけでしか通用する人間にはなってほしくない。生涯役に立つことを3年間のうちに学ばせたいと思っています。特に高校野球だと、挨拶の仕方でも「チワッス!」とか言うじゃないですか。ああいうのはたぶん社会に出たら怒られると思うんですね。だから、普通に朝会ったら「おはようございます」と。TPOに応じて「こんにちは」「こんばんは」「お疲れ様です」って、自然に相手の目を見て、きちんと挨拶をすることが大事だと言っています。
 昨年末、中国人の経済学者の講演を聞きに行った時に、「あいさつができない企業は弱い」という発言があったのだが、その学者らしからぬ(?)言葉に、会場からは期待外れ感のこもった失笑が起きた。しかし、あいさつはコミュニケーションの基本である。そして、経営学の父であるC・バーナードは、組織の成立要件の1つとしてコミュニケーションを挙げている。あいさつは、「私はあなたに関心を持っている」ということを示すサインだ。相手に対する関心がなければ、顧客のニーズをくみ取ったり、部下のモチベーションを上げたりすることがどうしてできようか?

 最近、中小企業の現場を拝見する機会が増えたのだが、社内がきれいに保たれているか、社員があいさつをしてくれるかという2点は注意して見るようになった。工場が雑然としている企業は、仕掛品を見ると溶接部分にばらつきがあったり、細かい傷があったりするのが素人目にも解る。また、工場だけでなく、管理部門が入っている事務所や社長室もチェックするようにしている。ある社長室に入ったら、数十年前の書類から最近の書類まで、無数の書類が散らばっていてびっくりしたことがある。そのくせ、中村天風のCDを聞くなど自己啓発には熱心なのである。その社長には、やる順番が違うのではないか?と思わず言いたくなった。

 あいさつに関しては、管理部門の社員はあいさつをしてくれるところが多いものの(中には、管理部門でさえこちらのあいさつに反応してくれない場合もあるが)、工場の社員まで進んであいさつをしてくれるところはなかなかない。数ミクロンの世界で勝負をしている現場の人は、あいさつをしている余裕などないのかもしれない。だが、やはり工場の社員があいさつをしてくれる企業には、「発注したらこちらのお願いを十分に聞いてくれそうだ」という印象を持つし、逆に工場の社員があいさつをしてくれない企業には、「工場の力が強すぎて、あるいは工場の社員が自分の世界に入り込んでいて、営業の要望など聞き入れてくれないのだろう」と勘ぐってしまう。

《2014年5月13日追記》
 『致知』2014年6月号に「日本そうじ協会」の理事長である今村暁氏の記事が載っていた。
 掃除というのは無駄なようでいて会社に利益をもたらします。不良品が出なくなり確実に生産性が高まる、というのも一つです。一般家庭でも無駄遣いがなくなり、家計を助けてくれる。それを思うと企業でも家庭でも積極的に取り組むべきだと思いますね。(中略)

 実際に掃除を指導する上で僕らが言うのは、50センチ四方でいいから徹底的に30分をかけて掃除をしてください、ということです。僅か50センチ四方ですから本当は30秒とか1分でできるわけですが、それを30分かけてやることで「この汚れは落ちないな」とか「こんなところに傷があったのか」といったことに気づくようになるんです。50センチ四方を日本一レベル、世界一レベルでやっていけば、誰だってお金をかけずに世界一になれる。(中略)

 掃除というのは組織の規範を示す何よりの基準なんですね。掃除は組織の長の信念を表しているのです。僕が知る限りきれいだけど駄目な会社はあっても、汚くてよい会社はありません。
致知2014年6月号長の一念 致知2014年6月号

致知出版社 2014-06


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