2015年01月22日
山本七平『「常識」の研究』―2000年継続する王朝があるのに、「歴史」という概念がない日本
「常識」の研究 (文春文庫) 山本 七平 文藝春秋 1987-12 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、山本七平が1980年代に書き溜めた文章をまとめて1987年に出版したものである。ちょうど私が生まれて間もない頃(私は1981年生まれ)の著書だ。だが、文章の古さをほとんど感じさせず、現代にも通じる箇所がいくつもあることに驚きを禁じ得なかった。
われわれが「傘の下」にあるのは「核」の場合だけであろうか。それがなくなったら急に「何とかの傘」が意識され出して、それがなくなった状態における基本的な発想が何一つ確立していなかったことに気づくのではないだろうか。従ってそうなる前に、それは「ある」といわねばならないであろう。
それは公海自由の原則、海上航行自由の原則という世界的秩序の傘であり、同時に外交官特権の相互承認、平和時における在留外国人の自国民同様の法的保護といった原則である。これらの原則は、だいたい200年の昔にヨーロッパ、それも主としてイギリスによって確立され、ついでアメリカによって承継されてきたわけで、日本は明治のはじめの開国以来その「英米的秩序の傘」の下におり、これを空気のように、あって当然の状態を受け取る結果になった。だがこの状態は決して空気のように存在するわけではない。
その問題点とは原発の可否を住民投票に付すれば、世界どこでも必ず住民が反対するかのような新聞の報道の姿勢である。というのはおそらく読者は、住民投票の賛成を得て、われわれから見ればそう急いで原子力化する必要はないと思われる国が、慎重ながら実に高い比率の原子力化へと進んでいることを、国民が知らないということである。
いま、明治憲法の成立過程と戦後憲法の成立過程とを対比しているが、双方の過程を調べると、そのかけた年月においても、列国のそれの調査においても、またその各条の検討においても、戦後憲法とは比較にならぬ慎重さで行われていることに気づく。否、憲法だけでなく、すべてにおいて同じである。戦後もすでに三十余年、その間を振り返れば、終戦直後に策定されたことは、そのすべてが間に合わせ作業であったにしても、一つの効果と功績があったことは否定できない。しかしそれがいつまでもその通りに機能すると思うなら間違いであり、「戦後イデオロギー」はある面ではすでに阻害と重荷になっている。
老齢化社会への対処という大きな問題は、企業だけで解決できるわけではない。会社共同体だけでなく、地域共同体のこれへの配慮も必要で、特に地域へのサービス的な仕事には、退職者を優先的に雇用するという方法も考えるべきであろう。というのは、市役所・区役所等の、戸籍係の窓口や印鑑証明の事務などには、別に大学出の若者を新規に採用して充当する必要はなく、隠居仕事で十分だと思われるからである。日本という国は、世界で唯一、王室が一度も途絶えたことのない国家であるが、その特徴を端的に表すならば、特定のイデオロギーを持たず、その時々の状況に応じて他国のよいところを取り入れては日本流にアレンジすることを繰り返してきた、ということになるだろう。誤解を恐れず言えば、日本を表現するキーワードは「その場しのぎ」、「場当たり的」である。
昨今の大卒者の自治体への就職希望者の増大から見れば、この行き方は、若者の職場への圧迫のようにも見えるであろう。しかし、これらの職場は元来生産の場ではなく、老齢者の社会的扶養が若者の大きな負担となりかねない状態から見れば、若い者は積極的に生産の場に行き、反生産的なサービス面は老齢者の隠居仕事にゆだねた方が、結果的には、若者の負担減になるはずである。
通常、国家というのは何らかの理想やイデオロギーを掲げて独立するものである。世界には様々なイデオロギーを持った国が登場し、どの国が最も優れたイデオロギーを持っているか競い合う。国際政治とは、各国による生々しい格闘の場である。ところが、イデオロギーはその目的をある程度達成すると、どうやら衰退の道をたどるようだ(例えば、社会主義は風前の灯であるし、資本主義も終焉が近づいていると言われる)。イデオロギーの崩壊は、国家の滅亡を意味する。過去、何百という国家がそのようにして姿を消していった。
ところが、日本はそのようなイデオロギー抗争とは無縁であった。様々な国の制度や文化をつまみ食いして、日本に適合する形に変容させる。他国から見れば、日本は一体何を考えているのか全く解らない上に、自国のことを勝手に真似される厄介な存在であろう。にもかかわらず、最終的に生き残るのは、確固たるイデオロギーを持ち、日本に真似されるほど優秀だった国家ではなく、日本であった。こうして日本は、2000年以上も単一の王朝国家を保持してきた。
日本の生き方は「辺境的」であると言われる(内田樹『日本辺境論』などを参照)。日本はいつも、手本とすべき「中心」の外側に位置しており、しかも状況に応じて「中心」をコロコロと変える。まるで、気まぐれなコバンザメのようだ。逆に言えば、日本は「サメ」や「中心」になる、すなわち、世界の手本になることも、世界一になることも絶対にできない。
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1980年代に日本企業がアメリカ企業を次々と買収し、日本がついにアメリカを抜いて世界一になったと自負したのはとんだ思い違いであった。最近では、ユニクロがアパレル業界で世界一になると宣言し、ソフトバンクが時価総額で世界一になることを目標としている。ところが、ユニクロのSPAシステム自体は海外からの輸入であるし、現在のソフトバンクの礎となっているのはイギリスのボーダフォンとアメリカのアップルである。日本人が全くの更地から何かを作り上げ、それで世界を制覇することは極めて難しいと言わざるを得ない。
国家にイデオロギーがないということは、戦略がないとも言えるだろう。その状態で血みどろの国際政治の舞台に飛び込んでいくのは危険極まりない行為だ。しかし、日本は結果的にそれで2000年以上も生き延びている。だから、「戦略がない」ということ自体が立派な戦略なのかもしれない。とはいえ、いくつかの弊害があることは認識しておく必要があると思う。
第一に、「中心」からの外圧がないと変化を起こすことができず、自分から変化を生み出すことが難しい、ということである。しかも、その外圧が自分自身の身に降りかからないと、行動に出ない。他人に降りかかった外圧を見て、それがやがて自分の身にも降りかかると予測して行動を起こすことができない。だから、この記事の前半で引用したように、30年も前の問題提起が未だにそのまま通用してしまうし、毎年同じような企業の不祥事が発生するし、その不祥事に対する経営トップのまずい対応も繰り返される。
これがイデオロギーのある国家であれば、局所的に何か問題が起きると、その問題を未然に防ぐ方策を国家の力を使って全体に施すものである。例えばアメリカでは、リーマン・ショックに端を発する金融危機が生じた後、金融システムの脆弱なポイントを特定し、それをカバーする法制度や仕組みを政府主導で作り上げた。その制度が自由な金融活動を阻害しているなどの批判は確かにあるが、何はともあれ、普通の国家はそのように対応するものである。ところが、「国民総場当たり国家」である日本では、こういう全体的な対応は難しい。
第二に、歴史意識の醸成が困難であるという問題がある。歴史とは書かれた人物の物語ではなく、書いた人物の物語である。したがって、書いた人間が何を歴史的に重要な事実として取り上げ、何をそうでない事実として棄却するのかを決定する。イデオロギーがある国家であれば、イデオロギーがその判断基準となる。中国では王朝が交代するたびに歴史書が作られたが、どの歴史書もその王朝が拠り所とするイデオロギーに沿って書かれている。しかし、日本の場合は、よくも悪くも国民が皆その場しのぎの生き方をしてきたため、過去を顧みることが少ない。
だが、2000年という時間をつぶさに観察すれば、何を社会的な善とみなすのかという基準が頻繁に入れ替わっているはずだ。その基準の変遷を丁寧に分析し、それらの基準に照らして重要な事実を記録することは、極めて重要であろう。時間軸が長いこと、また、歴史的事実を取捨選択する基準が多様であることから、日本の歴史は他国に比べて相当重層的なものになる。
歴史認識が重要であることの理由の1つは、昨今の移民問題と関連している。移民は、単に数が足りないので外から人を入れればよいという単純な話ではない。日本という国家はどういう国なのか?イデオロギーとまではいかなくても、日本社会は何を社会的な善とする社会なのか?その善を実現するために、どのような政治・経済・社会・文化的システムを採用しているのか?言わば「日本の現代史」を明確にした上で、日本の構想に賛同する移民を受け入れる必要がある。そうした歴史認識を築くにあたり、過去の分厚い歴史の蓄積は重要な参考資料となる。
アメリカは極めて単純で、アメリカのイデオロギーの骨格をなす「自由」や「市場原理」に賛同する人々を移民として受け入れている。これに対して、移民問題を数の問題として処理しようとしたフランスやドイツでは、移民との間に深刻な軋轢を引き起こしている。私自身は移民政策に対して懐疑的なのだが、仮に移民を受け入れるとしたら、フランスやドイツの二の舞にならないようにしなければならない。そのカギの1つが、日本の歴史をはっきりとさせることであると思う。
3つ目の問題は、その場しのぎ的な態度に端を発するというより、その場しのぎ的な日本人に海外の強固なイデオロギーが植えつけられたことによるものである。本来の辺境的な日本人は、(自分が変化の必要性を感じなければ行動しないという問題はあるものの、)現実の変化に応じて生き方を適合させるという柔軟性を持っている。ところが、イデオロギーは基本的に「変化しない」ことが前提だ。よって、戦後アメリカの強力なイデオロギーが輸入されたことで、「現実は変わらない」、「明日は今日の延長である」と考える日本人が増えてしまったように感じる。
だから、本記事の前半で引用したように、憲法は変えないことが美徳とされる。日本では、アメリカから押しつけられた憲法を守るのが保守派で、アメリカ嫌いの革新派が護憲を唱えるという、奇妙な現象まで生じている。また、社会保障は制度疲弊を起こしていると何十年も前から指摘されているにもかかわらず、制度の存続を前提として何とか延命を図ろうとしている。さらに、日本には赤字の中小企業が7割もあり、かつ債務の代位弁済に毎年1兆円もの税金が使われていて、ゾンビのような業績不振企業が増えているとも言われる。
日本人本来の生き方に従っていれば、憲法や社会保障制度は、その時々の要請に応じて少しずつ内容を変えていっただろう。また、これほど多くの中小企業が本業にしがみついて業績不振になる前に、事業ドメインやポジショニングを徐々に変えて生き残りのための方策を講じたはずだ。ところが、アメリカから強いイデオロギーが輸入されたためか、「最初に決めたことは絶対に正しい」と誤解する人が増えて、日本人の強みである柔軟性が阻害されているように感じる。