2017年02月24日
【理論政策更新研修】着眼大局着手小局「3人対110カ国の交渉のシナリオ。資金なし時間なし知名度なしからのアプローチ」他
中小企業診断士の資格更新要件の1つとなっている理論政策更新研修を受講してきた。今年の7月末までにあと2回受講しなければならない(苦笑)。今回はその研修内容のメモ書き。
○神奈川県商工会連合会の事業、企業支援について
(神奈川県商工会連合会 地域振興課 村越満氏)
まず、商工会と商工会議所の違いについて。商工会は、商工会法に基づいて、主に町村部に設立された団体で、全国に1,661存在する。会員数は約82万事業者である。これに対して商工会議所は、商工会議所法に基づいて、主に市の区域に設立された団体で、全国に515存在する。会員数は約125万事業者である。商工会の事業は、商工業者のための相談・指導業務を中心としている。商工会議所の場合は、これらの業務に加えて、原産地証明、商事紛争の仲裁など国際的な業務も行っている。商工会は、日本の約4分の3のエリアをカバーしている。しかし、エリア内の事業者数は日本の約3分の1であり、商工会は地方・田舎に設置されていると言える。会員の大半は小規模事業者であり、高齢化が進んでいるという特徴もある。
商工会の2大事業は、①経営改善普及事業と②地域総合振興事業である。経営改善普及事業とは、会員、非会員を問わず、地域の小規模事業者の経営の改善発達を支援する事業である。地域総合振興事業とは、地区内商工業者の全般的な育成、地域商工業の振興、社会一般の福祉の増進に資する事業が中心である(例:商店街の祭りやイベントの支援など)。
①に関連して、商工会および商工会議所は現在、「経営発達支援計画」の策定を進めている。これは、商工会や商工会議所が、小規模事業者による事業計画の作成とその着実な実施を支援することや、地域活性化にもつながる展示会の開催などの面的な取り組みを促進するため、商工会・商工会議所が作成する支援計画のうち、小規模事業者の技術の向上、新たな事業の分野の開拓その他の小規模事業者の経営の発達に特に資するものについての計画を経済産業大臣が認定する仕組みである。2016年年7月現在、708件(815単会)が認定されている。
もう1つ①に関連して、最近の商工会の大きな仕事の1つとなっているのが、「小規模事業者持続化補助金」である。この補助金は、小規模事業者が、商工会議所や商工会と一体となって、販路開拓に取り組む費用(チラシ作成や商談会参加のための運賃など)を支援するものである。原則として、上限50万円(補助率3分の2)という小規模な補助金でありながら、事業者にはかなり人気があるようで、毎年倍率が高くなっている。村越氏によると、事業者が単独で作成した経営計画では採択されないほどにレベルが上がっているそうだ。そこで、商工会は、経営計画の策定支援セミナーや個別相談会を実施して、事業者を手厚くフォローしている。
①の中心は「エキスパート派遣事業」である。これは、商工会連合会が、商工会に相談した小規模事業者の要請により、エキスパート(専門家)を現地に直接派遣し、商工会の経営指導員とともに相談者が抱える経営課題に関して助言、指導を行うものである。商工会連合会は商工会からの依頼に応じて、事業者の経営課題に合った専門家を選定・派遣するのだが、専門家が現地に行ってみたら事業者の課題とミスマッチであったということもある。本来、商工会連合会は適切な前さばきをして、課題を整理した上で専門家に依頼するところを、「多少怪しいな(経営課題がはっきりしないな)」と感じる案件でも専門家に無茶振りしていると本音を漏らしていた。
○まんてんプロジェクトの取り組みと会員企業の技術力
(まんてんプロジェクト 専務理事〔APTES技術研究所〕 愛恭輔氏)
JAXAの前身であるNASDAが2002年にまとめた内部報告書で、宇宙関連の部品の国産化率が30%まで落ち込んでいることが問題視され、中小企業に協力を求めてきた。そこで、「神奈川県異業種グループ連合会議」が神奈川・東京を主体として全国の中小企業に参加を呼びかけた。こうして、2003年9月に設立されたのが「航空・宇宙開発関連部品調達支援プロジェクト」であり、通称「まんてんプロジェクト」と呼ばれている。まんてんプロジェクトは、航空・宇宙産業に関する情報取集や共同受注、品質保証体制の研究とスキーム作り、会員および産学官の連携による開発やものづくりを目指している。現在の会員は約80社である。
現在、「宇宙エレベーター」という構想があるらしい。ロケットに代わる安価な宇宙輸送機関として期待されているという。地上から約300km上空に建設されている宇宙ステーションと地上を直接結ぶエレベーターである。まんてんプロジェクトも慶應義塾大学と連携して研究を進めている。理論的には実現可能らしいが、実際には様々な問題がある。例えば、400km上空からぶら下げるロープをどうするのかという問題がある。どんなに軽いロープを使っても、400km上空に設置すれば相当な重量になる。また、現在日本では1km上空までエレベーターを上昇させる実験を行っているが、上昇したエレベーターが下降する際に発生する熱の扱いも問題になる。
本ブログで何度か書いているように、私は日本の巨大な重層的ピラミッド社会の各階層において、水平方向に「コラボレーション」が生じることを期待している。この観点から、まんてんプロジェクトではどのような水平連携が行われているのか質問してみた。新素材の開発や、複合素材の加工に使用する油の開発などで、会員企業同士の連携が行われているという。また、最近は航空・宇宙関係の最終組立メーカーから、単体の部品ではなく、ユニットで納品してほしいという要望が増えており、複数技術の連携が求められる。コンソーシアムの事務局が役人だと、技術のことが解らず話をまとめられない。中小企業が事務局の場合、マンパワー不足や利害関係の衝突などによって、やはり話が進まない。まんてんプロジェクトでは、事務局が核となる中小企業を特定し、その企業を中心として具体的な連携が生じるようにお膳立てまでしているという。
愛氏は、日本の中小製造業が減少していることに危機感を感じている。航空・宇宙関係の最終組立メーカーが必要な技術を中小企業に求めても、探すのに非常に苦労している。また、残っている中小製造業のレベルにも不安を抱いている。愛氏のところには、非常にベーシックな技術に関する相談が持ち込まれることが増えているそうだ。さらに愛氏は、技術力だけでなく、探求心が弱っているとも指摘する。愛氏が相談を受けて回答をすると、相手からはメールで「ありがとうございました」と返ってくるだけである。「ここはどうなのか?」、「こういう場合はどうすればよいのか?」といった、もっと深い対話を愛氏は望んでいる。ただ、現状としては、愛氏の側から、その後どうなったかなどと情報のキャッチボールを継続するしかないと考えている。
○着眼大局着手小局「3人対110カ国の交渉のシナリオ。資金なし時間なし知名度なしからのアプローチ」
(起承転結社 代表取締役 小柳津誠氏)
小柳津氏は「おもてなしズムJAPAN」という活動を主宰している。日本のおもてなしの精神をベースとして、世界各国でその国の文化や生活習慣、風土や伝統にマッチしたおもてなしのビジネスを展開するという壮大なビジョンを掲げている。そのビジネスのやり方が非常にユニークだったのでここに記録しておく。まず、世界中の人々のことを理解するには、世界中の人に直接会いに行くのがベストである。しかし、中小企業にはそんなリソースはない。そこで、世界中の人々に手っ取り早く会える方法はないかと考えた。行き着いたのが、「在日大使館にアプローチする」という方法である。在日大使館であれば、必ずネイティブがいる。しかも、在日大使館に勤務するぐらいであるから、日本に対してプラスのイメージを持っているに違いない。
とはいえ、名もない中小企業がいきなり大使館にアポを取っても相手にされない。封書を送っても、開けずに捨てられる可能性が高い。そこで、クリアファイルに手紙を入れ、表面には宛先と相手国の国旗、自社名、裏面には自社の紹介文を書いた。開けずとも中身が解る上、自国の国旗が描かれたレターを無下には破り捨てないだろうという計算であった。都内には168か国の大使館があるが、そのうち、先進国や紛争国を除いた110か国にこのクリアファイルを郵送した。何度か郵送をし、その後電話でフォローしたところ、20ほどの大使館とつながりを持つことができた(余談だが、赤帽には、相手が手紙を直接受け取るまで配達するというサービスがある。小柳津氏もこのサービスの利用を考えたが、1件あたり約4,000円と高額なため断念した)。
大使館とのやり取りで見えてきたニーズは以下の通りである。大使館に勤める人は公務員であり、在日中の実績を本国にアピールする必要がある。ところが、中小・後進国の大使館は慢性的に人材不足である。JETROやJICAが主催する大型イベントは、各国の大使館が有償でブースを出し、日本企業を無償で招待するという構図である。すると、自ずと人気国に日本企業が集中してしまい、中小・後進国は十分な費用対効果が得られない。
そこで、小柳津氏は、JETROやJICAの構図を逆転させた。つまり、大使館は無償で招待し、参加企業から料金を徴収したのである。しかも、JETROやJICAのように大規模にせず、10対10ぐらいの規模に収めた。企業はお金を払って参加しているぐらいだから、相手国に高い関心を持っている。小規模なイベントではあるがマッチングの成功率は上がり、大使館からは非常に喜ばれたという。こういうビジネスのやり方もあるのかと、私にとっては非常に新鮮であった。
最後に、小柳津氏がネタとして紹介してくださった話を1つ。小柳津氏の同期には、青色発光ダイオードの発明でノーベル物理学賞を受賞した天野浩氏がいる。小柳津氏曰く、天野氏は決して天才型ではなかったという。小柳津氏が学生だった頃、世界中の研究者たちが青色発光ダイオードの実験を繰り返しており、ダイオードは青色には発色しないということで結論が出ていた。ところが、日本(というか世界)でただ一人、赤崎勇氏だけは「絶対に青色に光る」と言い続けており、何と天野氏は赤崎氏の研究室に入ったのである。これに驚いた周囲の人たちは、「天野氏は人生を棒に振ってしまった」とまで言ったそうだ。
天野氏が赤崎氏の研究室でやった実験は、非常に地味であった。ダイオードの発光条件を毎日少しずつ変えて、ダイオードが光るかどうか1日中じっと顕微鏡をのぞいて確認するというものである。ある日は0.5度温度を変えて1日観察する。光らなかった。次の日はまた0.5度温度を変えて1日観察する。また光らなかった。これの繰り返しである。この単純極まりない作業(小柳津氏は3日で音を上げると言っていた)を、天野氏は何と1年に300日行い、しかもそれを5年続けた。そして、約1,500回の実験の後、初めてダイオードはわずかに青く発色した。
この話には2つおまけの話がある。まず、天野氏が赤崎氏に「先生、青色に光りました!」と報告した時、5年間も暗い顕微鏡の中をのぞいていた天野氏は暗闇の光に敏感になっていたためその光に気づいたが、通常の研究生活を送っていた赤崎氏にはそれが見えず、「うーん、見えないね」と一蹴されてしまったことである。
もう1つのおまけ話とは、ダイオードが青色に発色したのは、実は天野氏の失敗のせいであったということである。天野氏はその日に限って、温度設定を間違えており、通常よりもはるかに低い温度のまま実験を行っていた。これまでの研究者は、そんな低温で光ることはあり得ないと考えており、実験をしていなかった温度条件である。だが、その温度条件こそ、ダイオードが青色に光るために必要だったのである。天野氏に関しては、運がよかっただけと言う人もいる。そういう声に対して天野氏はこう返すのだという―「1,500回もやっていれば運もあるよ」。