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【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―「計画上は失敗だが、実際には成功した」という状態を目指せ、他
野村総合研究所2015年プロジェクトチーム『2015年の日本』を2015年の到来を前に読み返してみた

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年08月29日

【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―「計画上は失敗だが、実際には成功した」という状態を目指せ、他


[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)[新訳]新しい現実 政治、経済、ビジネス、社会、世界観はどう変わるか (ドラッカー選書)
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2004-01-08

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 (前回の続き)

 (4)以前の記事「『腹中書あり(『致知』2016年7月号)』―私の腹中の書3冊(+1冊)」で、ドラッカーは組織のフラット化には否定的である一方で、分権化は推し進めるべきだと主張しており、日本の組織の考え方と親和性が高いと書いた。だが、本書では、情報社会の進展によって組織の階層が著しく減少すると述べられている箇所があった。
 データ処理能力を情報力の向上に向けたとき、組織の構造に影響が出てくる。ほとんど瞬時にして、マネジメントの階層と経営管理者の数を大幅に減らせることが明らかになる。そもそもマネジメントの階層の多くが、意思決定の役に立っていないことが明らかになる。
 ドラッカーが分権化を強調したのは、トップマネジメントの候補であるミドルマネジメントに大きな権限と責任を与え、トップマネジメントに必要な資質を訓練するとともに、誰が次のトップマネジメントにふさわしいか評価をするためであった。ところが、組織がフラット化すると、ミドルマネジメントの訓練の機会が大幅に減少する。ドラッカーもこの点には気づいている。
 現在一般的となっている組織構造では、膨大な数の中間管理職がトップの予備軍となり、トップになるための準備を行ない、テストされている。その結果、マネジメントの上層部にいつ欠員ができても、選考の対象となる人はつねに大勢いるようになっている。しかし情報化組織において、マネジメントのポストが大幅に減少した後、トップはいったいどこから来ることになるのか。トップとなる人たちにどこで準備をさせるか。どのようにテストするか。
 だが、ドラッカーは依然として分権化の利点を捨てていない。組織はフラット化するが、同時に分権化も行う。そして、前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『新しい現実』―組織の目的は単一でなくてもよいのではないか?という問題提起」でも書いたように、組織の目的は単一でなければならない。これらの条件を同時に満たせるのは、企業が単一の(もしくはごくごく限定的な種類の)製品・サービスをグローバルに展開する場合ではないだろうか?トップマネジメントの下には、世界の各エリアを担当するミドルマネジメントが存在し、彼らに対して分権化を行う。ただし、ミドルマネジメントはせいぜい1階層にとどまる。その下にはすぐに一般社員が配置される。

製品・サービスの4分類(修正)

 またこの図を使うことをご容赦いただきたい(何度も言い訳をして申し訳ないが、未完成である。図の説明については、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などを参照)。ドラッカーが想定しているであろう組織は、上図の左上の象限においてよく機能する。

 左上の象限はイノベーションによって世界市場を席巻する場合であり、アメリカ企業が得意とする。アメリカのイノベーターは、イノベーションを世界に普及させる際、各国の事情に合わせてカスタマイズしようとは考えない。そんなことをしていては経営のスピードが落ちる。それよりも、必ずしも必需品ではないそのイノベーションを、世界中の人が心の底からほしがるように、プロモーションに多大な投資をする。そして、言葉は悪いが、イノベーターが考案した単一のイノベーションを、全世界の人々に”押しつける”。そうすることで、世界の市場シェアを一気に獲得する。

 一方、日本企業が強いのは右下の象限である。右下の象限は、必需品である上に顧客ニーズが多様化しており、難易度の低い製品・サービスから難易度の高いものまで、多様なラインナップを揃える必要がある。そのため、新入社員はまずは簡単な製品・サービスを担当し、長い時間をかけて難しい製品・サービスを担当できるように訓練される。この考え方は現場社員だけでなくマネジャーにもあてはまる。したがって、日本企業は階層が非常に多い組織となる。

 実際、アメリカから組織のフラット化というコンセプトが輸入されても、日本企業はフラット化するどころか、管理職の割合がむしろ増えたぐらいだ(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(上)』―実はフラット化していなかった日本企業」を参照)。そしてこの傾向は、日本の社会が多層化されていた方が全体として安定するという伝統と合致する(以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人」を参照)。

 ちなみに、左下の象限にも多くの日本企業が存在する。しかし、左下の象限に該当する組織の多くは、右下の象限のように多くの階層を抱えることができない。飲食店で店長とスタッフの間に4つも階層を設けることは不可能である。階層が少ないがゆえに、若手社員はすぐにキャリアの限界に達してしまい、それが早期の離職へとつながる。若手社員の離職率が高いと、企業は不安定になる。こうした問題を解決する方法として考えられるのは、1つには川上へと進出することである。小売業であれば、製品を自社開発する。できれば製造まで自社で手がける。もう1つは異業種に進出して多角化し、社員のキャリアパスを多様化させることである。

 (5)
 日本株式会社は、今日にいたるも世界中を畏怖させている。しかし実際には、日本で機能したのは計画ではなかった。日本でも計画は、ソ連流計画や社会主義計画と同じようにほぼ失敗だった。実際のところ、日本の政府は間違った計画を立ててきたにすぎない。成功した産業のうち、政府計画によるものはほとんどない。自動車、民生用電子機器、カメラの成功は、政府計画によるものではなかった。むしろ、これら3つの産業は政府に邪魔されていた。
 日本経済が戦後に急成長を遂げたのは、かつての通商産業省が財界をリードして、官民一体となって輸出を進めたからだとする説がある。ドラッカーはこの説を否定する。また、マイケル・ポーターも、著書『日本の競争戦略』の中で、この説が誤りであることを詳細に解説している。

日本の競争戦略日本の競争戦略
マイケル・E. ポーター 竹内 弘高 Michael E. Porter

ダイヤモンド社 2000-04

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 私の考えでは、それでも政府計画は不可欠である。政府計画に唯々諾々と従うだけの産業や企業は衰退する。一方で、政府計画に対して、「計画通りにやってみたが、どうやら現実はこうなっているようだ。だからこれをやらせてほしい」と「下剋上」をした産業や企業は成長する。こういうことなのだろうと思う(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 初めから修正・否定されることが解っている政府計画なら、作らなければよいのではないかと感じるかもしれない。しかし、日本人は伝統的に外圧がないと積極的に動かない集団である。「皆さんに任せた。皆さん、自由に考えてくださって結構です」と上から丸投げされても、その自由の扱い方を日本人は知らない。よって、きっかけとしての政府計画は必要である(そして、その政府計画を立案する政府/行政もまた、何かしらの外圧に突き動かされている)。

 ブログ別館の記事「『アベノミクス破綻(『世界』2016年4月号)』」でも少し書いたが、失敗するまちづくりは、国や都道府県が立てた計画をそれぞれの市町村がそのまま鵜呑みにしている。現場の実情をよく知らない国や都道府県が作った計画通りに箱モノを建設しては、毎年巨額の赤字を垂れ流す。まちづくりにおいては、市町村側の「下剋上」がもっと必要である。マスコミは国や都道府県が”ろくでもない”計画を作ったことばかりを批判する。しかし、本当に批判されるべきなのは、その計画に下剋上を挑まなかった市町村側の受動的な姿勢である。

 企業の世界に目を向けると、日の丸半導体の象徴であったエルピーダが経営破綻したのは、産活法(2014年1月20日付けで、産業競争力強化法の施行に伴って廃止)によって「DRAMで世界一になる」という狭い縛りを経済産業省からかけられていたことも一因ではないかと私は考えている。変化の激しい半導体業界において、もっと柔軟に戦略を変更し、DRAM以外の分野にも挑戦する、といったことができていれば、経営破綻は避けられたかもしれない。

 日本人にとって計画は必要悪である。計画はほぼ間違いなくその通りにならない。しかし、計画があるからこそ例外を識別できる。予期せぬ成功を呼び込むことができる。そして、予期せぬ成功に傾倒すると、計画が想定していた成果よりもはるかに大きな成果をもたらす可能性がある。「計画上は失敗だが、実際には成功した」―これが日本において最も望ましい(以前の記事「『人事再生(『一橋ビジネスレビュー』2016年SUM.64巻1号)』―標準化しなければ例外は発見できない、他」では、一橋大学の研究がマネジャーの「情報伝達」機能(ビジョン、戦略、計画を部下に伝える機能)を重視し、「例外処理」機能を軽視しているのではないかと指摘した)。

 現在、安倍内閣は「地方創生」を掲げている。だが、肝心の地方創生計画の中身は地方自治体に任せきりにしているようで、危ない兆候だと感じる。その結果どうなるかは容易に想像がつく。どの地方自治体も、他の自治体の計画を真似するのである。そういう事態を避けるには、まずは国が「この地域ではこういう方向で地域活性化をさせよう」と、ある程度の計画を用意しなければならない。その上で、各地方自治体は、決してその計画に盲従するのではなく、「我々の自治体の現実はこうだ。だから、本当に必要な施策はこれだ」と「下剋上」する。国と地方自治体が主従関係に収まるのではなく、激しいつばぜり合いを繰り広げることが地方創生の要である。

2014年12月17日

野村総合研究所2015年プロジェクトチーム『2015年の日本』を2015年の到来を前に読み返してみた


2015年の日本―新たな「開国」の時代へ2015年の日本―新たな「開国」の時代へ
野村総合研究所2015年プロジェクトチーム

東洋経済新報社 2007-12

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 本書は2007年に出版されたものである。いざ2015年を目前にして、果たして本書の予測がどのくらい現実のものとなったのか確かめてみようと、7年ぶりに読み返してみた。細かい部分で予測が外れた箇所はあるものの(※1)、概ね書いてある通りになった。「インビジブル・ファミリー(※2)」や「ガラパゴス化」といったキーワードを提唱したのは本書であったことも懐かしく思えた。

(※1)予測が外れた箇所としては、例えば以下のようなものがある。
 ・日本の総人口は、2015年には1億2,543万人になると予測されている。
 ⇒2014年11月1日現在の総人口(概算値)は1億2,708万人(前年同月より22万人減)で、減少スピードがやや緩やかになっている。
 ・中国のGDPは2018年頃に日本を追い抜く。
 ⇒名目GDPレベルでは、2009年に中国(5兆1,058億ドル)が日本(5兆351億ドル)を逆転している。2014年の名目GDP(IMFにおける10月時点での推計)は、日本が4兆7,968億ドル、中国が10兆3,554億ドル。
 ・高齢化率が50%を超える限界集落は、2006年4月時点で全国に7,878集落存在しており、うち1,591集落は将来的に消滅の恐れがある。
 ⇒総務省の調査によると、2010年4月時点における限界集落の数は1万91。2006年度の前回調査から2,213増加し、調査地域の集落総数に占める割合も12.7%から15.5%に上昇した。

(※2)インビジブル・ファミリー=親子二世帯が歩いていけるような距離に住む「隣居」、何らかの交通手段を使って片道1時間以内ぐらいで行き来できるところに住む「近居」といった形態で緩やかにつながりながら、経済的にも、精神的にも支え合うような家族の形を指す。インビジブル・ファミリーは、統計上は複数の世帯から構成されているが、財布としては事実上1つであり、市場調査の際にはこの点を考慮する必要がある。

 では、2015年に迫りくる危機に対してどう対処すればよいか?本書ではその手がかりをイギリスに求めている。結局、日本という国は、どこまでも外部に手本を求めなければ生きていけない国なのだと、改めて認識させられてしまった。日本は「課題先進国」になるべきだ、などと声高に主張している人がいるみたいだが、そんなのは夢物語に違いない。2000年間日本にできなかったことを、今からやれというのは酷な話だ。いいじゃないか、いっそ開き直って、他国や歴史からいろいろな手本を引っ張り出そうではないか(以前の記事「山本七平『危機の日本人』―「日本は課題先進国になる」は幻想だと思う、他」を参照)。

 そのイギリスだが、基幹産業であった製造業が衰退した後、国家を挙げて製造業に代わる産業を育成している。私の勝手な印象かもしれないが、イギリスという国は、自由主義を信奉するアングロ・サクソン系であるにもかかわらず、産業に対して国家が割と深く介入する。突っ込んだ話は本書に譲るが、金融業、クリエイティブ産業、官庁のアウトソーシングサービス産業などは、政府の積極的な関与によってグローバルな競争力を持つようになった。

 産業再生機構の創立者の1人で、COOを務めた冨山和彦氏は、「G(Global)の世界」と「L(Local)の世界」は、経済を動かす原理が全く違うから、分けて考えるべきだと主張されている。イギリスの「Gの世界」は前述の通りだとして、では「Lの世界」はどうなっているのか?実は、これもまた行政による関与の度合いが高いようである。

なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)
冨山 和彦

PHP研究所 2014-06-14

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イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒントイギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント
足立 基浩

ミネルヴァ書房 2013-10

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 非常に限られた情報の中での話で大変恐縮だが、足立基浩『イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント』(ミネルヴァ書房、2013年)によると、イギリスの都市計画、商店街計画においては、官の果たす役割が非常に大きいようである。
 1947年の都市農村計画法(中略)は民間開発を政府が公的なメリットを根拠にコントロールし、誘導していくものである。具体的には、①開発計画、②詳細な開発コントロール、③開発利益の社会的な還元などで都市計画の基礎を定めている。さらに、この法律によって自治体レベルの都市再生の手順等が示されている。
 日本の都市計画はアメリカ型の「ゾーニング制」(※都市計画区域内に住居専用の地域を定める)であるが、これは、ゾーン内で一定の開発要件を満たしてしまえば、わりと簡単に開発許可が下りてしまうものである。イギリスの場合、「ゾーニング制」ではなく、物件ごとに開発申請を個別にチェックするシステムであり、その審査は厳しい。ゆえに景観などは守られる傾向にある。
 広域レベルの空間戦略が広域計画団体と呼ばれる県(カウンティ)や、市町村等の集合体により策定されるようになった。(中略)2004年以前は国が定めた計画案(RPG)にそって、県(カウンティ)などが都市計画を実行していたが、2004年以降、行政区域を超えた広域計画団体の役割が大きくなった。(中略)

 では、ディストリクト(市)などの小規模の行政区は都市計画においてどのような役割を果たせばよいのか。結論を先取りすれば、先に述べた広域計画団体を対象にしたRSS(地域空間戦略)、つまり広域に関する都市再生の計画書をもとに、それよりも小さい地域のディストリクトなどがLDF(地域開発フレームワーク)を作成することになった。
 イギリスのプランニング・ポリシー・ガイダンスシリーズは都市計画の基本的な方針を示したもので、上位規定的な意味合いがある。この第6番目が中心市街地再生に関するものである。1988年にPPG6は誕生したが、基本理念を継承しつつ1993年に改正され、その後は持続可能なまちづくりの意味合いがさらに強化されて、PPS4(Planning Policy Statement No.4)となった。
 このように、官主導の厳密なルールや計画があるため、日本のように、商店街に無計画にコンビニやパチンコ店が入ったり、空き店舗がそのまま放置されたりすることがない。

 話を本書に戻そう。本書では、「第三の開国」の必要性を訴えている。イギリス(やスコットランド)が外資企業を積極的に誘致して国内産業を活性化させ、また、観光客の招致によって国内での消費を増加させた例にならったものである。
 「第一の開国」では黒船の来航、「第二の開国」は敗戦と占領軍による統治といったように、それぞれの外国のパワーによって開国がはじまった。そして、政府が主導し、産業界と国民がその下で行動するという方式で進められてきた。

 しかし、「第三の開国」は、「第一の開国」、「第二の開国」と異なり、必ずしも、外圧によってもたらされるものではない。政府が主導するのではなく、産業界も国民も自ら動いていかねばならない。
 しかし私は、第三の開国もやはり、政府や行政主導でやった方がいいのではないか?と思っている。日本がイギリスを手本にするのであればなおさらである。ただこの点については、プラスの兆候も見えている。例えば、何度かこのブログで取り上げている中小企業向けの補助金である「ものづくり補助金(中小企業・小規模事業者ものづくり・商業・サービス革新事業)」の「公募要領」の最後には、「地方版成長戦略」と関連性の高い事業は評価が高くなると書いてある。

 「地方版成長戦略」においては、地域ごとの戦略産業を特定し、地域に眠る資源の掘り起こし、地域に必要な産業人材の育成などに関する戦略を定めており、今後は国と地方が一体となって戦略の実現に向けた取組みを進めていくとされている。ただし、1つ気がかりなのは、どの地方も戦略産業が似たり寄ったりになっていることである。日本人の「横並び主義」という悪癖が出てしまっているようだ。例えば、ヘルスケア産業はほとんど全部の地方が掲げているが、こうなるとヘルスケア産業が全国に分散してしまい、競争力のある産業集積を構築することが困難になる。

 もっと国がリーダーシップを発揮して、「A地方は医療、B地方はエネルギー、C地方は航空、D地方は素材・・・」といった具合に、各地方の産業の現状を踏まえつつも、トップダウンでそれぞれの産業を各地方に割り振ってもよいと思う。もっとも、だいたいこういう国の計画というのはうまく行かないと相場が決まっていて、理想とは違う結果になるのが常である(以前の記事「安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵」を参照)。しかし、計画をしなければ、予想外の現実を呼び込むことができないのもまた事実である。

 それぞれの地方は、国から指示された産業を強化するために、全国から企業を誘致し、足元での起業をサポートする。企業が集まってくれば、社員が生活するためのまちづくりも必要となる。社員の年齢特性や家族構成などを踏まえて、彼らのニーズにフィットした住居や商店街をデザインする。企業誘致やコミュニティ形成などの仕事は、都道府県や市区町村の責任において行う。そのくらい官が強力に関与しないと、市場主義的な流れに任せていては、東京一極化は止められないと思う(首都圏に住んでいる私がこんなことを言うのは無責任だが・・・)。




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