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山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(2/2)
山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍
荒木肇『静かに語れ歴史教育』―日本は過去の軍事技術を過小評価し、現在の軍事技術を過大評価している

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年11月07日

山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(2/2)


日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平

角川グループパブリッシング 2004-03-10

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 前回の続き。本書は、小松真一の『虜人日記』に書かれていた「敗因21か条」をベースに、山本七平自身の体験も交えながら、太平洋戦争の敗因を分析したものである。

虜人日記 (ちくま学芸文庫)虜人日記 (ちくま学芸文庫)
小松 真一

筑摩書房 2004-11-11

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 太平洋戦争は東アジアを西欧の植民地支配から解放するための戦争だったと主張する右派は多い(こういう右派は、戦後にアメリカが名づけた太平洋戦争という名前ではなく、大東亜戦争という言葉を用いるのが常である)。しかし、山本七平は右派でありながら、自ら陸軍将校としてフィリピンの戦場に立っており、耳元を敵の弾丸が通り過ぎるような経験もしている。その山本は、日本軍のトップに明確なビジョンがなく、現場は十分に訓練されておらず、白が黒となるような無茶な命令が乱発されていたことを知っている。だから、山本の文章を読むと、日本がアジアのヒーローであったかのような右派の言説に加担するのは、私としてははばかられる。

 前回の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」では、日本社会・組織の理想的な姿を整理したつもりである。逆に言えば、その理想が崩れたから日本は戦争に負けた。その具体例を順に見ていく。
 一体、われわれが、最低とはいえ衣食住を保障され、労働から解放され、一切の組織からも義務からも解放され、だれからも命令されず、一つの集団を構成し、自ら秩序をつくって自治をやれ、といわれたら、どんな秩序をつくりあげるかの「実験」の場になっていたわけである―別にだれも、それを意図したわけではないが。

 一体それは、どんな秩序だったろう。結論を簡単にいえば、小松氏が記しているのと同じ秩序であり、要約すれば、一握りの暴力団に完全に支配され、全員がリンチを恐怖して、黙々とその指示に従うことによって成り立っている秩序であった。
 理想的な日本の理想社会は、天皇(厳密に言えば、さらにその上に神がいる)を頂点とするピラミッドであり、垂直方向と水平方向に細分化されている。それぞれの日本人や組織はピラミッドの一角を占めるにすぎず、上からの命令に従って行動する。時には上に向かって「下剋上」したり、下に対して「下問」したり、水平方向に協業したりするが、その行動範囲は極めて限定的である。こう書くと、日本社会は非常に息苦しく見える。しかし、逆にその制約を取り払うと、日本の場合は自由ではなく暴力性が出現してしまう。日本人にとって、自由とは西欧流の「権力からの自由」ではない。日本人が自由を発揮できるのは、権力構造に埋め込まれている時である。
 これらの事件(※現地のゲリラなどによる日本軍への反乱を指す)の背後には、現地における対日協力者への、あらゆる面における日本側の無責任が表われており、この問題の方が、私は、戦後の反日感情の原因になっているのではないか、とすら思われるからである。
 日本は多神教文化の社会であり、それぞれの日本人には異なる神が宿っている。人生とは、自らに宿る神の正体を知る旅であると言える。ところが、多神教文化の神は唯一絶対、完全無欠の一神教の神とは異なり、不完全な存在である。その不完全性を認めながらも、なおより完全に近い形で自らに宿る神を知覚するためには、自分とは異なる神を宿しているであろう他者との交流が欠かせない。この辺りについては、以前の記事「『関を越える(『致知』2016年6月号)』―日本人の「他者との相互学習」の方法について」などでも書いた。

 だから、日本人は元来は外向的であるはずだ。ところが、その外向性が急激に反転して、極度の人見知りに陥ることがある。おそらく、自分の弱さを他者に悟られたくないと思うからであろう。他者との交流を失うということは、学習の機会を失うことでもある。自分に宿る神の姿をまだ的確に把握できていないのに、もう十分解ったと思い込む。そして今度は、自分の弱さを隠すように、自分の考えが絶対に正しいのだと強がり、他者に自分の考えを押しつける。

 引用文の通り、日本軍は東アジアに進駐した際、現地住民の理解を怠った。アジアも基本的には多神教文化の地域である。多神教文化における望ましい振る舞いをせずに、日本はアジアの解放者だと叫ぶのは、全くもって独善的な態度である。山本は本書以外にも、日本がアジアを帝国主義から解放するという明確な理念を持っていたかどうかは疑わしいと書いている。
 その原因は、歴史的には、前記のような「模倣の対象」の違いに求めうるであろうが、根本的には、日本の「タテ社会」に基因する、陸海に共通する決定的な「タテ組織」にあったであろう。これは単に陸海の不協力だけではなく、陸軍内の空地・歩砲の協力すら行なわせないほど徹底していた。そのよい例がノモンハンである。
 理想的な日本社会においては、前述の通り、ある程度の制約はあるものの、上下左右に比較的自由に動くことができる。「タテ社会」と「ヨコ社会」がいい塩梅で交錯する社会と言ってもよい。だが、「タテ社会」と「ヨコ社会」ではどうやら前者の方が力が強いようであり、放っておくと「タテ社会」が勝る、現代風に言えばタコツボ化する、セクショナリズムがはびこるようである。

 前回の記事でも書いたが、明治時代の初期には、省庁を超えた人事異動が頻繁に行われていた。ところが、明治末期になって社会が成熟してくると、そのような人事異動は見られなくなった。また、経営合理化のために事業部制を導入したある中堅製造業では、ラインで何か問題が起きた時に他部署から社員がさっと集まって問題を解決するというそれまでの風土が失われ、かえって業績が悪化してしまったという例も紹介した。

 組織のタテ割り化を防ぐためには、一個人、一部門だけで完結する仕事、役割にはせず、必ず他の社員や部門と協業しなければ達成できないような目標を与えることが有効ではないかと考える。別の言い方をすれば、個人の職務定義書や部門のミッションステートメントに、いい意味での曖昧さを残すことである。これは、経営の合理化には完全に逆行する。欧米の組織では到底受け入れられないだろう。しかし、日本のよさを活かすためにはその方が得策である。
 ”当時”の人間は非科学的であったから、”芸”による超能力が存在しうると信じ、小銃・機関銃・手榴弾の存在する現在の戦闘において、その殺傷効力が1メートル余しかない日本刀を戦場で使い、その”芸”を活用して、バッタバッタの百人斬りをやって、刀も折れねば本人が負傷もしない、ということを信じ得たとしても、あるいは不思議でないかもしれぬ。これはいわば武”芸”絶対化の世界である。そして絶対化されれば現実には、日本刀にはこれだけの強度はなく、実戦の武器としては、大坂の陣で、宮本武蔵ですら、これを活用できなかったという事実は、無視されても致し方がない。そしてこれが極限までいけば、竹ヤリで原爆に対抗できるという発想になって当然である。
 上からの命令に従い、上の人間のお眼鏡にかなうような存在になろうと自己鍛錬を積むわけであるが、上からの命令を絶対視し、自己鍛錬そのものが目的化してしまうと、武”芸”の絶対化が起きる。通常であれば、上の人間は環境の変化に応じて命令の内容を変えていく。

 欧米であれば、「いつまでにこれを達成する。だから、このタスクを実行せよ」といった具合に、将来の目標をまず設定し、そこから逆算して行動計画を策定する。別の表現をすると、将来⇒現在という時間のとらえ方をする。目標が変われば命令もガラリと変わる。だから、下の人間も命令の変化に気づきやすい。ところが、日本人の時間は現在⇒将来へと流れる。つまり、現在から徐々に将来に向かって変化していくと考える。そのため、上の人間を注意深く観察していないと、変化に気づくことができない。もし、本ブログの読者の皆様の仕事内容がここ数年ほとんど変わっていないとすれば、知らず知らずのうちに武”芸”の絶対化に陥っている可能性がある。
 そしてさらにわからないのが、この西南戦争の原因である。それは、太平洋戦争の発端となった日華事変のように、原因不明、戦争目的不明、作戦計画不明、といわねばならない。
 山本は、西南戦争が失敗に終わった原因を分析し、後世の教訓としておけば、太平洋戦争のような失敗は起きなかったのではないかと記している。西南戦争も太平洋戦争も、目的が不明であり、従って作戦計画の立てようがなかった。「何事をやるにも目的をはっきりさせるべきだ」という手垢のついた表現でこの問題を片づけられるかと言うと、そうはいかない難しい事情がある。

 日本社会は天皇を頂点とするピラミッド構造である。下の階層は上の階層の命令に従って動く。では、頂点に立つ天皇は誰の命令を聞いているのだろうか?実は、ピラミッド構造を厳密に描写すると、天皇の上にはさらに神々がおり、神々もまた多層化している。その神々の層を上へとたどっていけば、究極的な命令を出す神に突き当たるはずである。西欧は、一神教と多神教という違いはあれど、同じような理屈で絶対的な神の存在を証明してきた。ところが、日本の場合は、究極的な神を想定していない。そんなことを考えること自体が野暮である。何となく、どこからか命令が下されて、それが巨大なピラミッドの下層へと徐々に浸透していくのが日本である。

 この話から得られる教訓は、「日本は何か大きな目的を世界で果たそうと野心を抱いてはいけない」ということである。日本人には、そのような内発的な目的を設定する適性がない。外部環境の変化に応じて、漸次的に姿を変えていく。これしか日本人が生き延びる道はない。だから、間違っても戦争を起こそうとしてはいけないし、グローバル経済でリーダーシップを発揮するとか、世界市場を牽引するイノベーションを連発することを目指すのは無理と言わざるを得ない。

 最後に、小松と山本が日本の目指すべき道を述べている箇所を引用する。
 確かにこれ(※国際主義)以外に生きる道はあるまい。しかしこの言葉は、「みんな仲よく、お手つないで」式の、うわついた国際主義ではない。(※小松)氏は「国際主義的な高度」の文化・道徳の保持を考え、それを「大東亜戦によって得た唯一の収穫」と考えておられるが、同時にその基盤となるべき日本の自立は、日本という独特な位置・風土・伝統に基づく発想、いわば本当の「思想」に基づくものでなければいずれは破綻し、いわゆる国際性も成り立たないことを、知っておられた。氏は、「再軍備論者」の考えを、その考えが出てくる10年も20年も前にはっきりと否定し、また最近になってはじめて問題とされている食糧問題、水の問題、農業問題等にも、目を向けている。



2016年02月10日

山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍


一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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 太平洋戦争における日本軍の評価は右派と左派で完全に分かれる。右派は、日本が帝国主義や白人至上主義に挑戦し、大東亜共栄圏という構想を掲げて、東南アジア諸国を列強の植民地支配から解放したと評価する。一方の左派は、日本軍は東南アジアから列強を追い出した後も、欧米諸国と同じように暴力で支配したことを批判する。加えて、中国の南京大虐殺や朝鮮半島の従軍慰安婦を持ち出して、日本はアジア全体に対する謝罪がまだ足りないと主張する。

 本書の著者である山本七平は、陸軍の下級将校として戦場に赴いた経験がある(戦闘シーンもリアルに描写されている)。その山本は次のように述べている。
 ”解放者”日本軍が、なぜ、それ以前の植民地宗主国より嫌われたのか。それは動物的攻撃性があるだけで、具体的に、どういう組織でどんな秩序を立てるつもりなのか、言葉で説明することがだれにもできなかったからである。
 あの船内ですでにそれを読んでいた石塚中尉は、その日記に次のように記している。「六月九日(曇後細雨)五時、爆雷攻撃開始、敵潜一撃沈の勝報に接す・・・比島情報綴を借りて一読するに建国直後の満州と同様各地に反日匪賊の多いのに驚く。内地では比島は日本占領後平和な国となっていると思っていただけに、思いもよらぬ情報なり・・・」
 山本は、日本にはフィリピン統治の意思がなかったのではないかと分析している。おそらく、他の国も同じだろう。戦時中、日本人は「アジアは一つ」と言っていたが、そのアジアが具体的にどのようなものなのか、誰一人解っていなかった。だから、実際には「アジアはなかった」のである。私はやや保守寄りの立場なのだが、同じ保守派の山本の告白は少々意外であった。

 (※)ただ、この手の回想は、どれが本物でどれが偽物なのか見分けることが難しい。慰安婦にインタビューしてまとめられたとされる吉田調書ですら、結局は偽物であった。だから、相矛盾する情報であっても幅広く頭に入れ、事実(と思われること)を1つずつ拾いながら、あの戦争で何が起きていたのか、最も納得感のあるストーリーを自分で構築するしかなさそうだ。

 山本は、もし日本が本気でアジアを解放したければ、イギリスに倣うべきだったと指摘する。
 だが本当にそう信じているなら、二個師団を残さず、全部撤退してすべてを比島政府にまかせ、文官の”弁務官”を置いておけばよいはずである。そして、この政府に日米間の中立を表明させ、比島全域を戦闘区域から除外しておけば、これは歴史に残る「大政略」であり、おそらくわれわれは、変わらざる友邦を獲得できたであろうし、また兵力の転用集中においても有用であったろう。これはいわばイギリス式行き方である。
 イギリスの植民地支配は特徴がある。それは、植民地のトップを必ず現地の人間にすることである。現地の人間の掌握術は、現地の人間が一番よく理解しているからだ。イギリス人は、本国から植民地をコントロールする。近年、企業経営において「ガバナンス」という言葉が用いられる場面が増えたが、ガバナンスの起源はこれである。一方の日本は、支配地域にいつまでも日本人を配置する。現地を日本化するには最も効率的である反面、現地の反発を招きやすい。

 日本のこうした伝統は、日本企業が海外に進出する際にも表れる。欧米の企業が海外に進出すると、現地子会社のトップはほぼ例外なく現地人になる。成果主義を導入し、努力すればトップになれるという道を示すことで、現地社員のモチベーションを上げる。ところが、日本企業の海外子会社のトップには、本社から日本人が送り込まれてくる。そのトップは頑張って日本的経営なるものを海外子会社に浸透させようとするものの、キャリアパスにガラスの天井があると感じた現地社員は、日本人トップに忠誠心を示さず、短期間で転職してしまう。

 以前の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」で、日本の組織は垂直、水平方向のつながりに加えて、時間軸でもつながっていると書いた。垂直方向のつながりとは、組織内で言えば階層間のつながり、業界全体に視野を広げれば、製造業・建設業などの多重下請構造、多段階流通構造を指す。水平方向のつながりとは、同じ階層に属する他のプレイヤーとのつながりである。組織内であれば同期同士のつながりや部門間連携、業界全体で見れば競合他社などとの協調を指す。時間軸のつながりとは、過去から受け継いだものを未来へと引き渡すという形でつながっている、という意味である。

 日本型組織(ここでは企業とする)が上手く機能する条件としては、以下の3つが挙げられる。

 ①組織のトップは、適度に顧客と接触し、顧客ニーズの変化を察知する。その変化が経営にもたらす意味を洞察し、部下に従来の仕事のやり方を改めるよう指示する。ただし、トップがあまり頻繁に現場に出向いて顧客と会ってはならない。顧客接点は第一義的には現場社員の仕事である。トップは現場の仕事を奪ってはならない。トップはできるだけ現場に権限を委譲し、現場で何か問題が起きたら責任を背負う立場でなければならない(以前の記事「『リーダーシップの神髄(『致知』2016年1月号)』―リーダーはもっと読書をして机上の空論を作ればいい」を参照)。

 ②日本型組織は垂直方向の階層組織であり、上の階層から下の階層に順番に命令が下ることで動く。だが、下の階層は、上の階層からの命令が曖昧であったり、自らが現場で集めた情報に照らし合わせると異なる見解を導くことができそうな場合には、上の階層に意見することが許される。これを山本は「下剋上」と呼んだ。ただし、歴史上の下剋上は下の階層が上の階層に取って代わるのに対し、企業内の下剋上は階層構造を温存する。

 下の階層が意見をするのは、上司を蹴飛ばすためではない。①とも関連するが、日本企業は出世するほど権限が制限され、責任ばかりが重くなる。だから、下の階層は下の階層にとどまったままでいた方が、自分のアイデアを自由に実行する余地を獲得できる(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 ③日本型組織は水平方向のつながりも強固である。日本企業は競合他社の事例を集めるのが大好きだ。新しい機械やソリューションを導入する際には、「競合他社が導入しているならば我が社も導入しよう」と考える。そして、機械やソリューションの提供企業も、(もちろん企業秘密は守るが、)導入実績の情報をオープンにする。GEが他の企業のベストプラクティスを研究して自社に適用することをベンチマークと呼んだが、日本では横のつながりのおかげで、ベンチマークが当然のように行われている(だから、どの企業も似たような製品・サービスになりがちだ)。

 また、企業内に目を向けると、新入社員が同時に入社して同期社員となり、配属先がバラバラになった後も、時々集まって情報交換するのは日本ならではの慣行である。さらに、日本では人事ローテーションが定期的に行われる。これはゼネラリスト育成が目的ではあるが、他部署の社員がやってくることで、元いた部署と新しい部署とのつながりが生じるという別の側面もある。

 日産でカルロス・ゴーン氏がCEO就任直後に導入した「クロス・ファンクショナル・チーム(CFT)」は注目度が高かった。まだ十分に調べ切れていないのだが、実は日産がCFTを設置するよりもずっと前から、日本企業では部門間の壁を取り払った連携が盛んだったと推測する。欧米企業は機能別に専門化するため、タコツボ化するのが普通である。だから、部門間の壁を壊す取り組みには、わざわざCFTという名前をつけなければならなかった。ところが、日本ではそれが至極当然のように行われていたから、特に名前をつける必要もなかったのだろう。

 以上のように、各個人が垂直、水平、時間軸で複雑に結びつき合うことで、現在から未来へと漸次的に変化を遂げるのが日本型組織の特徴である。強力なリーダーシップを発揮して一方向に爆走することはないため、アメリカのイノベーティブな企業に比べると非常に地味である。それでも、日本型組織が環境変化にもまれながらしぶとく生き抜くために身につけた知恵である。

 ところが、往々にして強みは弱みに転じる。本書を読むと、帝国陸軍の失敗がいくつか見えてくる。まず、組織のトップが現場に足を運ばず、過去のやり方に頑なにこだわった。陸軍では、日露戦争の勝利が忘れられず、ロシアと戦う時の戦術ばかりを訓練していたという。
 だがこれは、当時の時点で、すでに20数年前の技術である。しかも、完全な平坦地であるロシアの平原で威力を発揮した技術、光学兵器の活用はジャングルでは不可能のはず。いやその前に、その測地を活用できる重砲群が日本にあるのか?一個大隊欠の一個連隊なら、もっと小規模な大隊射撃が限度ではないのか。これも遠い将来のための教育なのか。とすると帝国陸軍の砲兵は、遠い将来に25年前のドイツ軍に追いつくことを目標にしているのか―。
 だが、上からの命令はどう考えても現実に適合しない。下剋上が機能する組織なら上司に物申すことも許されるだろう。しかし、当時の陸軍にはそのような雰囲気がなかった。相矛盾する命令と現実を天秤にかけ、命令が絶対的に正しいのだとすれば、現実を命令に合わせて歪曲するしかない。陸軍は一般の企業が在庫の棚卸をするのと同様、定期的に物品の数をチェックしていた。これを員数と呼ぶが、員数に固執する陸軍の体質を山本は「員数主義」と名づけた。
 それは当然に「員数が合わなければ処罰」から「員数さえ合っていれば不問」へと進む。従って「員数を合わす」ためには何でもやる。「紛失(なくなり)ました」という言葉は日本軍にはない。この言葉を口にした瞬間、「バカヤロー、員数をつけてこい」という言葉が、ビンタとともにはねかえってくる。
 こうなると、現場の人間は上の者の言うことをロクに聞かなくなる。ここで登場するのが参謀である。参謀は、軍規で指揮命令権がないと定められているにもかかわらず、公式の指揮命令系統を離れて、勝手に命令をし始める。これを山本は「私物命令」と呼んだ。しかも、当の本人は後になって、「そんな命令を出した覚えはない」と白を切る。そんないい加減な命令だから、現場にとって無茶苦茶な内容であったのだろう。本書では辻政信の私物命令が取り上げられているが、辻はインパール作戦を大失敗させた張本人である。
 いったい、こういう人たちが常に保持ししつづけ得た”力”の謎は何であろうか。それは一言でいえば、ある種の虚構の世界に人びとを導き入れ、それを現実だと信じ込ませる不思議な演出力である。そしてその演出力を可能にしているものが(中略)”気魄”という奇妙な言葉である。
 司令官の命令は上手くいかない。参謀の私物命令もダメ。それでも、何か命令を出さなければ陸軍が動かない。追い込まれた参謀が発する命令は、「何とかしろ」であろう。それを”気魄”を持って現場の人間に迫るのである。ただ、「何とかしろ」と言われている間は、まだ現場の人間に考える余地がわずかに残っているからましなのかもしれない。組織が本当に追い詰められると、「絶対にやってはいけない」とされていることを、大転換させて「やれ」と命じるようになる。
 「戦闘機の援護なく戦艦を出撃させてはならない」と言いつつ、なぜ戦艦大和を出撃させたのか。「相手の重砲群の破滅しない限り突撃をさせてはならない、それでは墓穴にとびこむだけだ」と言いつつ、なぜ裸戦車を突入させたのか。「砲兵は測地に基づく統一使用で集中的に活用しなければ無力である」と口がすっぱくなるほど言っておいて、なぜ、観測機材を失い、砲弾をろくに持てぬ砲兵に、人力曳行で三百キロの転進を命じたのか。地獄の行進に耐え抜いて現地に到達したとて「無力」ではないか。無力と自ら断言した、無力にきまっているそのことを、なぜ、やらせた。
 私は特攻隊について何かを論じるほどのものを持っていないのだが、特攻隊もやはり「絶対にやってはならない」ことではなかっただろうか?戦争の目的は「自軍の被害を最小限に抑えつつ、相手に勝利すること」である。それなのに、自軍の被害を自ら増やしながら相手に立ち向かっていくという戦略に、果たしてどれほどの可能性があったのだろうか?

 山本は、日本軍における死は生者を規定し、絶対的に支配するものだと述べている。
 この「死の臨在」による生者への絶対的支配という思想は、日本陸軍の生まれる以前から、日本の思想の中に根強く流れており、それは常に、日本的ファシズムの温床となりうるであろう。
 先ほど、日本人は時間軸でつながっていると書いた。日本人は過去と未来の両方とつながることで、自らの有限性を意識し、謙虚になり、相対的に把握することが可能となる。我々は先代から不十分なものを受け継ぎ、不十分なままに死んでいき、将来の世代に不十分なものを受け渡す。日本人はこうして歴史的に連鎖している。これは歴史が長い国の特権である。

 ところが、自ら死を選ぶということは、過去からの継承、将来への相続の流れがまだ不十分であるにもかかわらず、もはやそれが十分であるかのように自己決定して、時間軸から強制的に独立することである。彼は不十分なものを自らの力で十分(完全)なものとしたという点で、その死は絶対的である。彼に続く人は、「志半ばで死んだ彼のために」と誓ってこれからの人生を歩むだろう。だが、実際のところ、死んだ彼は志を全うしたのであり、全てを後世に託して死んだのである。だから、死は生者を絶対的に支配する。これが日本的ファシズムの精神的構造である。


2014年06月25日

荒木肇『静かに語れ歴史教育』―日本は過去の軍事技術を過小評価し、現在の軍事技術を過大評価している


静かに語れ歴史教育静かに語れ歴史教育
荒木 肇

出窓社 1998-09

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 著者の荒木肇氏は9年間の小学校教員生活の経験を踏まえて、現在の学校教育が技術軽視であることに警鐘を鳴らしている。
 現代の日本の学校ではほとんど技術史を学ぶことがない。まして戦争については知らないほうが良く、兵器などは見るものではないという教育がされてきた。古代や中世の農業技術、土木技術にふれることはあっても、近代の技術を概観だけでも知らされてきたことがない。それどころか、授業ではほとんどそういったことは素通りされてしまう。
 本書では、日本の近代史を技術の観点から検証している。技術に対する私の不勉強ゆえに理解するのに苦労したが、本書の内容を総合すると、近代の日本の技術に関してはかなりの過小評価や誤解がまかり通っているようだ。これは、現代の教育が、「日本人は西洋人より劣っているのに、西洋人に歯向かって戦争を起こしたから裁かれたのだ」という認識を植えつけようとしてきたことと無関係ではないだろう。以下、教育の現場で横行している誤解を3点ほど挙げる。

 (1)著者は、ペリーに率いられた黒船が鉄張りであり、日本側の大砲が石の弾丸を使ったという解説を聞いたことがあるそうだ。木造船ばかりの日本の軍船では、黒船にかなわなかったとその教師は説明した。しかし、これは事実ではない。黒船の黒は、木造船体に塗られた瀝青(さび止めや防水に使われたタールのようなもの)のことで、鉄板を張って防弾にしようという発想が生まれたのは、翌年のクリミア戦争の頃だった。また、石の弾丸というのも、中世戦国時代の石火矢という名称からの誤解だろう。日本が当時保有していた古い大砲でも、球形の実質弾(砲丸投げの砲丸のような鋳鉄製のもの)を撃ち出すことはできた。

 (2)日露戦争では、日本陸軍に機関銃がなく、銃剣突撃を繰り返し、多大な損害を受けたと言われている。しかし史実では、日清戦争以前にも陸軍にはフランスから輸入した機関砲によって装備された部隊があった。機関砲は国産化され、日露戦争にも使われた。史実と異なる説明がされるのは、日本に根強く残る白兵重視の文化のせいだろう。だが、銃剣突撃を繰り返したのは、旅順要塞の攻略だけである。戦争全般を見ると、むしろロシア側がしばしば無謀な白兵戦を行っている。日本陸軍は当初から、西南戦争で示されたように火力重視であった。

 (3)太平洋戦争で小柄な日本人が、欧米人ですら持て余す三八式歩兵銃を使ったのは、白兵戦でのリーチの長さを重んじたからだという。ところが、銃器の専門家の説によれば、小銃の設計の原点は、弾丸口径と弾速の決定だそうだ。結論から言えば、三八式歩兵銃は当時の与えられた諸条件を検討した結果生まれたものだった。火薬性能や薬莢の完成度、携行弾数などの問題から検討して欧米列国の小銃と対抗するには、あの銃身長を採るしかなかった。あれより銃身を短くすれば、火薬ガスは燃焼しきらないうちに銃口を出てしまう。

 翻って現代に目を向けてみると、現代の軍事技術に関しては過大評価が見られる。戦後、日本が技術立国になったため、日本の技術をもってすれば何でもできると思い込んでいるのかもしれない。特に自衛隊に対しては、国民が間違った期待をしている。以下にそれを3つほど示す。

 (1)旅客機が山間地に落ちた時、救助のヘリが飛ばなかったことを理由に、マスコミは自衛隊を批判した。しかし、ヘリがホバリングできるのは、平らな地面や水面に向かって空気を叩きつけているからである。山の斜面に沿って停止することは、どの国のヘリにもできない。また、救助をするにはリペリングという技術がいる。静止したヘリからロープを降ろし、隊員はそれを伝って地上に降りる。安定しない機体から揺れるロープで山中に降りるのは自殺行為だ。原生林の鋭い枝や、太い幹に叩きつけられたら二重遭難になる。これらの点をマスコミは理解していなかった。

 (2)自衛隊は機動力があり、組織的であり、何より自給能力を持っている。武器を持っているから、外国に行っても通用するだろうという安易な思い込みもある。しかし、自衛隊は専守防衛の軍隊であり、国内で戦うことを主眼に、あらゆる装備も訓練体系も整えられている。例えば、六四式小銃(※1)の正照準は300メートルだが、これは全国に数十万ポイントを設置し、調査地点ごとに周囲の視界の平均距離を測ったところ300メートルであったのが理由だ(アメリカの場合は400メートル)。また、七四式戦車(※2)も、山岳が多い日本内地の特性を考えて造られている。複雑な車高変換装置は、高低差を利用して敵を待ち伏せするためのものである。

 (3)アフリカのルワンダでのPKO活動へ陸上自衛隊を派遣する際、部隊が携行する機関銃を1挺にするか2挺にするか国会で議論された。結局、2挺だと脅威になるとされ、故障した際の予備も持たされず自衛官を出発した。議論した国会議員の精神構造は、依然として技術無知、用兵無視のままである。無謀な戦争を止めることができなかった彼らの先輩と少しも変わらない。戦争中の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と全く同じだ。

 現在、集団的自衛権の是非をめぐる議論が行われており、実際に想定される戦闘のシミュレーションも行われているようだ。戦略のセオリーに従えば、どこの国とどの場所で戦闘が起きる可能性があるのか?相手の戦力はどのくらいで、その戦力に対抗するためにはどのような戦術をとるべきなのか?その戦術を実行するには、どんな戦力が必要なのか?不足している戦力を補うために、どんなリソースを調達し、技術を開発すべきか?を順番に問うことになる。

 しかし一方では、自軍の現在の規模や技術レベルを考えた場合に、可能な戦闘はどこまでなのか?という限界を設定することも重要だろう。その限界がどうしても突破できないものであれば、限界を超えた戦闘は行ってはならないことになる。つまり、絶対に戦闘が起きないように、他の外交的手段を駆使しなければならない。

 それを行わずに安易に戦闘に踏み切れば、日本はまた不利な戦いに引きずり込まれるだろう。そして、「日本は再び軍国主義に陥った」と世界からレッテルを張られるに違いない。本書では、ナチス・ドイツ時代を振り返った評論の一部が紹介されている。「軍国主義国家というのは、軍事知識が世界を覆うというように理解されているが、むしろ逆であり、軍事知識に国民が疎くなっている状態を指す」 日本は足元の軍事技術を的確に理解しなければならない。まさに、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という孫子の言葉の通りである。


(※1)現在は、後継小銃の八九小銃の採用をもって製造が終了している。陸上自衛隊の普通科など、戦闘職種に限れば更新は完了し、後方職種も順次更新が進んでいる。ただし、予備自衛官用装備や海上自衛隊と航空自衛隊の自衛用装備としては、未だに主力の小銃である。

(※2)後継車輌として第3世代主力戦車である九〇式戦車が開発・生産されたが、これは北部方面隊以外では富士教導団など教育部隊にしか配備されていないため、全国的に配備された七四式が数の上では主力であった。それでも年40輌程度の早さで退役が進んでおり、また、2010年に七四式の更新をも考慮した一〇式戦車が採用された。



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