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『世界』2018年4月号『東北の未来のために―復興8年目の現実から』―復興庁は常設の組織とすべき、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年03月21日

『世界』2018年4月号『東北の未来のために―復興8年目の現実から』―復興庁は常設の組織とすべき、他


世界 2018年 04 月号 [雑誌]世界 2018年 04 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-03-08

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 (1)
 ロシアを数十分以内に攻撃できる米国の配備核戦力は、広島型原爆(16キロトン)の約30倍もの爆発力を持つSLBM搭載の核弾頭「W88」など高爆発力の戦略核しかない。だから、地域紛争に関与するロシアが数キロトン単位の戦術核を先行使用する、あるいは「戦術核を使う」と威嚇のシグナルを発して事態をあおっても、破壊力があまりに甚大かつ壮絶な戦略核しか持たない米大統領はなすすべもなく、そのうちロシアのペースで紛争が収束に向かう―。
(太田昌克「新核戦略が開くパンドラの箱―トランプNPRと『偽装の被爆国』」)
 また、米国が小型核で報復できる選択肢を持てば、むしろ逆に、ロシアの先行核使用を誘発するリスクを高める恐れはないか。「米国の核報復が数キロトンのレベルならば、ロシアの国家存亡の危機には至らない。だったら、われわれの方が小型核を先に使って、戦局を有利に運ぼう。もし米国が本気で小型核で反撃してくるのなら、こちらが数百キロ単位の戦略核で対米本土攻撃するとの威嚇のシグナルを出せばいい。そうなれば、米国もひるむだろう」。ロシア側にしてみれば、こんなロジックとて成り立たないわけではない。(同上)
 アメリカが2月2日に発表した「核態勢の見直し(Nuclear Posture Review:NPR)」を批判した論文である。トランプ大統領はNPRの中で、戦術核の拡大に言及している。

 核兵器には大きく分けると「戦略核」と「戦術核」の2種類がある。戦略核とは、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などに核弾頭を載せた射程の長い核兵器のことで、敵国の壊滅を目的とする、またはその威力の所有・維持によって軍事的・外交的カードとするものである。戦略核に関しては、アメリカとロシアの間で2011年に「新START」が締結されており、7年以内に戦略核弾頭の配備数を1,550以下に減らすことで合意が成立している。一方、戦術核とは通常兵器による戦力を補う核兵器であり、個々の戦場を想定し、射程が500キロ以下の核ミサイルや核爆弾を指す。戦術核は新STARTにおける削減対象とはなっておらず、現在アメリカが500発ほど保有しているのに対し、ロシアは約2,000発保有していると言われる。

 ロシアは戦略核ではアメリカに対抗できない(そもそも、戦略核は威力が大きすぎて使えない)ことを知っているため、プーチン大統領は「核兵器をディエスカレーションしなければならない」と述べている。その結果が戦術核の増加である。ロシアはクリミア半島を併合した際に「核兵器を使う用意があった」と認めたが、ここで言う核兵器とはまさに戦術核のことである。ロシアは、戦略核よりも威力を抑えた戦術核で巧みに相手国を恫喝し、自国の利益を手にしている。

 そういう国に対抗するには、アメリカは「自分も同じカードを持っている」ということを相手に気づかせ、自発的に行動を抑制させる必要がある。これによって均衡状態がもたらされる。よって、今回のNPRでアメリカが戦術核の拡大に踏み切ったのはごく自然な反応であると言える。冒頭の2つの引用文を読むと、アメリカが戦略核しか持っていなくても、アメリカが戦術核を持ったとしても、ロシアが思う通りに戦局を展開できるという内容になっており、矛盾を感じる。

 (2)
 なかでも中心となるのが、「復興の司令塔」である「復興庁」の検討である。復興庁は、2012年発足後10年の、2021年3月でその生命を終える。端的に言えばそれでよいのか、組織の縮小などや業務内容の変更などはあっても、将来に向けて存続させるべきではないか、というのが本論の問題意識である。
(五十嵐敬喜「復興政策を総点検する―復興庁の存続を」)
 私も賛成である。阪神・淡路大震災も、復興から20年経った時点で「復興は終わっていない」という声が聞かれた(例えば、NIKKEI STYLE「阪神大震災20年「減災社会へ市民・NPOの役割は」  関係者・識者3氏座談会」〔2015年1月17日〕、NHKクローズアップ現代「取り残される”働き盛り” ~阪神・淡路大震災20年~」〔2015年1月15日放送〕など)。阪神・淡路大震災よりも被害が甚大だった東日本大震災の復興が10年で区切りを迎えるとは考えにくい。

 また、2016年の熊本地震のことが忘れられている。東日本大震災の被害額は約16兆9,000億円であるのに対し、熊本地震の被害額は約4.6兆円(ともに内閣府試算)であるが、熊本地震の被害に遭った自治体に対して行ったアンケートによると、「復興まであと2年以上かかる」と回答した自治体が8割あるという。このようなケースではだいたい、行政と住民の意識が乖離しているものであって、大多数の住民は、復興にはもっと時間がかかると考えているに違いない。今年4月頭の時点で、自宅を失った被災者のために熊本県内の自治体が整備する災害公営住宅(復興住宅)の着工率は17.8%であることからも、住民の苦しみが推測される。

 日本は災害大国である。近年は異常気象の影響かどうか解らないが、ゲリラ豪雨、ゲリラ雪も増えている。復興庁は、日本中で起きるあらゆる災害対策の中心を担う組織として存続させた方がよいと思う。まず、各自治体がバラバラに蓄積している災害対策のノウハウを集約する。災害時の避難の仕方、避難所の運営の仕方、支援物資の調達方法、仮設住宅などの供給方法、新しいまちづくりの方法、元の住宅への帰還方法、あるいは災害を未然に防ぐ方法、災害による被害を最小化する方法、防災訓練の方法などに関する情報をデータベースで一元化し、国民や自治体に対して情報発信をする。現在は内閣府政策統括官(防災担当)がこれを担っているようだが、災害対策を国の重要課題の1つと位置づけ、復興庁の役割へと格上げする。

 災害発生時には、復興庁が自治体の強力な支援隊となる。基本的に、災害からの復興は自治体が主体であるが、多くの自治体は資金、物資、人材、ノウハウが不足している。これらを積極的に補完する役割を復興庁が果たす。また、「こういう支援策がほしい」という自治体の要望を取りまとめて、関係省庁と迅速に調整する。ただしこの点については、本論文の中で、復興庁は「各省庁が行う個別の復興事業を『調整』する」だけという指摘があった。復興庁は前述のデータベースを参照しながら、本当に必要な支援策とは何かを考え、時には省庁横断的な施策や、全く新しい独自の施策を構想・実行する。そのための大きな権限を与えるべきであろう。

 「復興庁」という言葉も変えた方がいいのかもしれない。以下はある中小企業診断士から教えてもらった内容である。日本人は農耕民族であり、作物の不作の原因を自然に求める。その延長線上で、災害が起きても、自然が悪い、我々人間にはどうすることもできないと考える。よって、被害を受けても自然を乗り越えようという発想がなく、とりあえず元通りにしようとする。だから「復興」庁という名前になる。他方、欧米人のような狩猟民族であれば、獲物が獲れないのは人間のせいだとされる。だから、失敗の原因は人間にあり、同じ失敗をしないように新しいシステム、制度、仕組みを構築する。よって、仮に欧米人が復興庁のような組織を作るならば、「創造」庁といった名前になるだろうというわけだ。もっとも、最近の日本人は元に戻すだけでは足りないと気づいているようで、「創造的復興」という言葉を耳にする機会が増えた。

 (3)
 ドイツの断種法にその源流があり、戦前の国民優生法の延長線上で、戦後、同法(※優生保護法)が作られることになる。同法第1条は、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と規定し、優生上の見地による人口政策を目的の1つとして明確に掲げていた。
(新里宏二「不妊手術強制 万感の怒りこめた提訴」)
 「優生保護法」とは、端的に言えば、障害者が生まれてこないように人工妊娠中絶をしたり、不妊手術をしたりすることを可能にする法律である。本論文によれば、人工妊娠中絶は58,972件、不妊手術は24,991件、合計83,963件の手術が行われたという。

 優生保護法は、ナチス・ドイツの断種法(強制絶種法)にルーツがあるから、極右的な法律である。さらにそのルーツをたどっていけば、啓蒙主義に行き着くと私は考える。以前の記事「『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他」でも書いたが、啓蒙主義においては、唯一絶対の神に似せて、完全な人間が創造されたとされる。人間は1人の個人であると同時に、絶対的な全体(人類全体、世界全体)に等しい存在である。だから、政治においては民主主義と独裁が等しくなるし、経済においては財産が共有のものとされ共産主義が成立する。

 とはいえ、現実問題として、人間は多種多様な存在である。ここで取り得る対応には2つある。1つは人間の一切の差異を認めないという立場である。ナチスがアーリア人至上主義を掲げてユダヤ人などを虐殺したのがこれにあたる。強制絶種法もその一環である。もう1つの立場は、一切の差異を平等に認めるというものである。近年、教育の現場で過度に平等主義を演出したり、性的マイノリティーであるLGBTを社会の多数派と同等に扱うようにと主張するのがその例である。このように見ていくと、一般的に言われる極右と極左は同根異種であることが解る。

 右派とは本来リベラル、自由主義者である。ただし、誰もが平等に自由を有しているわけではない。右派が想定するのは階層社会である。人間は能力や出自などによって、階層社会の中のどこかに居場所を与えらえ、周囲(特に自分より上の階層)から期待される役割を遂行する。人によって地位が異なるわけだから、当然のことながら不平等である。ただし、下の階層に行けば行くほど不自由かと言うと、必ずしもそうとは限らない。特に日本の場合は、むしろ下の階層ほど大きな自由を有している。なぜならば、上の階層から次々と権限委譲が繰り返されるからだ。代わりに、上の階層は下の階層の成果に対する責任を負う。よって、下の階層では自由・権限>責任となり、反対に上の階層では自由・権限<責任という構図が成立する。

 このように見ていくと、優生保護法は極右の汚点である。障害者を排除し、正常な人間のみで構成されるモノトーンな社会を志向したからである。そこには真の自由は存在しない。あるのは全体の意思、全体主義のみである。と書いていたら、優生保護法を制定したのは極右勢力ではなく、左派の人間であることを知った。その人間とは、社会党議員の太田典礼である。太田は九州大学医学部の学生時代、マーガレット・サンガー夫人の産児制限やマルクス主義に傾倒した。戦後の1946年、共産党から衆院議員選に出馬したが落選。伊藤律体制への反発から共産党を離党後、翌年社会党から衆院選に出馬し、当選した。国会では、加藤シズエらとともに優生保護法の制定に奔走したという(三井美奈『安楽死のできる国』〔新潮社、2003年〕より)。

安楽死のできる国 (新潮新書)安楽死のできる国 (新潮新書)
三井 美奈

新潮社 2003-07-01

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 このように見ていくと、繰り返しになるが、やはり極右と極左は同根異種である。




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