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『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本
『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他
舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』―「政府解釈の変更による集団的自衛権の行使」は2005年に明言されていた、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年11月21日

『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本


正論2017年11月号正論2017年11月号

日本工業新聞社 2017-09-30

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 以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」、「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」、「『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?」で、アメリカは北朝鮮がアメリカ本土に届く核兵器(ICBM)を完成させるのを待っている、北朝鮮が核兵器を完成させれば、かつてアメリカが旧ソ連と行ったのと同様に核軍縮に向けた対話が始まると書いたが、これは実に甘い見通しだったと反省している。

 冷戦時代にアメリカと旧ソ連、NATOと旧ソ連の間で核軍縮に向けた対話が実現したのは、双方が核に関する条件を出すという交渉の対称性があったからである。同じ土俵の上で対話を行っているため、相手が譲歩すればこちらも譲歩する、あるいはこちらが譲歩すれば相手も譲歩することが期待できた。ところが、現在の米朝間の問題は、これとは性質が異なる。アメリカは北朝鮮に対し核兵器の放棄を要求する。一方の北朝鮮は、在韓米軍の撤退を要求するに違いない。つまり、交渉が非対称である。そして、双方の立場を比べると、明らかに北朝鮮の方が有利である。仮にアメリカが北朝鮮の要求を呑んだ場合、北朝鮮は通常兵器でやすやすと韓国を併合するだろう(左傾化している韓国も、北朝鮮に併合されることを望んでいるかもしれない)。

 だから、非常に危険な賭けではあるが、交渉の対称性を取り戻すためには、韓国に核兵器を持たせるという選択肢もあり得るのではないだろうか?南北双方が核兵器を保有することで、交渉を米朝間から南北間へと移行させる。そして、冷戦時代の交渉と同様に、徐々に核軍縮を進めていき、最終的には朝鮮半島から核を取り除く。この場合、米韓同盟は保たれ、在韓米軍もそのままであるから、北朝鮮は韓国に手出しをすることができない。朝鮮半島は現状維持のままで非核化されるわけだから、アメリカ、中国、日本にとっても最高のシナリオとなる。

 さて、以前の記事「『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他」では、安保法制によって、日本はいざとなれば自国を守る意思があるというポーズを安倍首相が示したと書いたが、このポーズは空元気であって、実際には以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」で書いたように、国防の細部が詰められていない。本号でも、現在の日本に存在する穴がいくつか指摘されていた。

 ・米韓両国は最悪の事態には実力で北朝鮮の核やミサイルを防ぎ、破壊する能力を有している。ところが、日本は北朝鮮がミサイルを発射するたびに、「断じて容認できない」と繰り返し、アメリカや韓国、加えて中国やロシア、さらには国連と連携して対処することばかりを強調している。つまり、日本独自の措置が出てこない(古森義久「戦えない国家日本でいいのか」)。

 ・韓国には3万8千人の日本人が在住しており、いざという時には彼らをどのようにして避難・脱出させるのかを想定しておく必要がある。国民の中には、「安保法制が整備されたのだから、現地の日本人は自衛隊が救い出せるのではないか?」と考える人もいるが、実は自衛隊による邦人救出は相手国の同意がなければ実行することができない(薗浦健太郎「インタビュー 北朝鮮に核を放棄させる安倍官邸の国家戦略」)。それにもかかわらず、いわゆる駆けつけ警護は安保法制で可能になっている。日本人よりも外国人の生命を先に守ろうというのだから、日本も随分とお人好しな国だと思う。ちなみに、北朝鮮の拉致問題が一向に解決しないのは、法律上、自衛隊が北朝鮮の邦人救出をすることができないことも一因である。

 ・第1次安倍政権の2004年6月14日に有事法制諸法が成立したが、それ以前は外国の武力攻撃があっても国土交通省、総務省などが所管する法令が自衛隊に厳格に適用され、その行動に大きな制約をかけていた。例えば、敵の攻撃で狙われやすい空港を守ろうと、自衛隊が管理下に置きたくても、法律の壁があって実現不可能であった。では、有事法制の成立によって自衛隊が空港を自由に使えるようになったかと言うと、全くそんなことはない。

 日本には軍民共用の空港が多い。無論、海外にも軍民共用の空港はあるものの、多くは輸送機などを装備する兵站基地であり、領空侵犯対処と防空の第一線にある飛行場を軍民共用にしている例は滅多にない。その軍民共用空港で危機が高まった場合、空港にいる民間人を退去させ、土産店やレストランなどを閉鎖させ、航空会社にも民間航空機の乗り入れを自粛(場合によっては禁止)させなければならない。乗客を的確に避難させ、駐機している航空機を撤去させる場合もある。命令に従わない者の身柄拘束も想定しておかなければならない。だが、こうした手順や法的権限を整理・明記したものはない(樋口恒晴「これでは日本は守れない」)。

 ・北朝鮮が何らかのミサイルを日本に向けて発射した場合、果たして本当に迎撃できるのかどうかが問題となる。大気圏外で迎撃するイージス艦からのSM3ミサイルは1発20億円で、その数には限りがある。北朝鮮が大量のミサイルを撃ち込んだ場合には、SM3ミサイルでは撃ち漏らしが生じる可能性がある。その場合は、地上から迎撃するPAC3ミサイルがあるが、迎撃に成功してもミサイルの破片が落下して被害が出る。破片の大きさは数十キロから百キロに達する可能性がある。(麻生幾「麻生幾が語る 日本が核武装する日」)。

 SM3/PAC3ミサイルによる迎撃については、古是三春「北朝鮮の核とミサイル 徹底検証」でより具体的なシミュレーションがなされていた。やや長くなるが、要点は以下の通りである。

 ・地下サイロからなる弾道ミサイル発射用固定基地は、米韓軍がその正確な位置を把握しているため、衝突が始まれば精密誘導爆撃でたちどころに破壊される。問題は、自走発射台から発射されるミサイルである。米軍の推定では、50基の自走発射台が運用下にある場合、ローテーションを考慮するならば、1日に最大40発程度が発射される。この40発は、半分が朝鮮半島の米韓軍拠点に、残り半分が日本で最大の米軍兵站基地である横田基地に打ち込まれる。

 日本海に展開する6隻の海自イージス艦のうち、2隻はローテーション運用のために待機しているため、迎撃にあたるイージス艦は4隻となる。各イージス艦はSM3ミサイルを8発ずつ搭載しており、弾道ミサイルを8発×4隻=32発で迎撃する。1発の目標ミサイルに対して2発の迎撃ミサイルで対処するので、全て命中すれば16発の弾道ミサイルを大気圏外で破壊できる。残る4発は、PAC3ミサイルが高度10キロ、有効射程20キロで捕捉を図る。同様に1ミサイルに対し2発のミサイルを差し向けたとして、8発を要する。現在、PAC3ミサイルは二個高射群が運用しており、これらは有事が想定されれば、重要施設にそれぞれ配置される。横田基地周辺に配置されるのは一個高射群にとどまるはずで、それが持つ迎撃ミサイルは32発である。

 問題は2日目以降である。1日目と同様、20発が横田基地に差し向けられた場合、洋上では前日にSM3ミサイルを撃ち尽くしたイージス艦4隻に代わって、待機中だった2隻が計16発のSM3ミサイルで迎撃を図る。これらが撃墜できる弾道ミサイルの最大数は8発である。残り12発に対して、横田基地付近に配備された高射特科群が前日に使わずに残した24発を差し向ける。幸運ならこれで飛来した弾道ミサイルを全て破壊できるが、翌日から使用できるPAC3ミサイルはない。洋上の6隻のイージス艦でもSM3ミサイルは枯渇している。そうなると、攻撃3日目からは、北朝鮮の弾道ミサイルは何ら迎撃されずに日本に着弾することになる。

 安倍首相は安保法制でファイティングポーズを見せたまではよかったが、それ以来、上記の穴を放置したままにしている。北朝鮮がICBMを完成させるまでに残された時間は少ない。山積する諸問題を早期に解決する政治的決断が必要とされている。同時に、国民の生命を守るために最大限の措置を講ずることも不可欠である。その際に参考となるのが、永世中立国・スイスである。スイス政府は『民間防衛』という冊子をまとめており、その中に次のような記述がある。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる
原書房編集部

原書房 2003-07-07

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 深く考えてみると、今日のこの世界は、何人の安全も保障していない。戦争は数多く発生しているし、暴力行為はあとを絶たない。われわれに危険がないと、あえて断言できる人がいるだろうか。
 最小限度言い得ることは、世界がわれわれの望むようには少しもうまく行っていない、ということである。危機は潜在している。恐怖の上に保たれている均衡は、十分に安全を保障してはいない。それに向かって進んでいると示してくれるものはない。こうして出てくる結論は、我が国の安全保障は、われわれ軍民の国防努力いかんによって左右される。
 日本国憲法の前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるのとは対照的である。現在の日本の周囲には、「平和を愛する諸国民」がどれだけいるだろうか?この点、スイスは徹底的なリアリズムを貫いている。

 同書の中には、有事に備えて家庭で備蓄しておくものとして、家族1人につき米、麺類、砂糖各2キロ、食用脂肪1キロ、食用油1リットル、他にスープ、ミルク、果物、肉、魚などの缶詰、石鹸や洗剤、冬の燃料などが挙げられている。また、スイスの核シェルターは有名で、1970年代の後半、10万人を収容可能な核シェルターが工事中で話題になったことがある。200~800人程度を収容する一般シェルターなら公共の設備として至るところに設けられている。内部には医療設備、調理室や食堂、子どものための遊び場や通信施設なども用意され、万一貯水池に毒物を混入された場合は地下水をくみ上げて利用するために削岩機やコンプレッサまで備えている。

 北朝鮮の弾道ミサイル発射によってJアラートが発動した時、「地下に隠れてくださいと言われてもそんな地下はない」という声が各地から聞かれた。日本の技術力をもってすれば、政治的決断さえあればわずか2年で核弾頭つきの弾道・巡航ミサイルを配備できるそうだ(麻生幾「麻生幾が語る 日本が核武装する日」)。だが、日本では核武装に対して世論の壁が大きく立ちはだかるのは間違いない。それならば、同じ政治的決断力をもって、せめて国民を守るための地下シェルターを急ピッチで整備することが重要ではないかと思う(公共工事にあたるため、景気対策としても有効である)。そうすれば、Jアラートに対して「朝からうるさい」とか「戦争への恐怖を煽り立てる」とか文句を言うくせに、本当に北朝鮮のミサイルが日本に着弾したら「政府は何もしなかった」と批判するに違いない理不尽な国民を黙らせることができるであろう。

 《参考》占部賢志「連載・第52回 日本の教育を取り戻す 比較検証・スイスと日本 平和をいかに守るのか」(『致知』2017年11月号)

致知2017年11月号一剣を持して起つ 致知2017年11月号

致知出版社 2017-11


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2016年07月14日

『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他


正論2016年7月号正論2016年7月号

日本工業新聞社 2016-06-01

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 (1)
 天皇家は、権力を志向せず、祈りに専念されるやうになつた。その過程で祈りの道が特に自覚されたのは元寇の時でした。これらを通じて、日本の深い宗教性、それも排他的な一神教ではなく、誰ともぶつからず、祈りを通じて自然、先祖、神社の祭神と繋がり、さうした祈りが同時に国を守る祈りともなるといふ非常にユニークな日本独自の神の道が拓かれます。(中略)

 かうして歴史的に形成された天皇の制度は、非合理的な時代遅れどころか、風通しのよい自由社会を維持する上で、世界史上でも稀な程、有効な手立てと言つていい。
(小川榮太郎「亡国前夜或いは自由の喪失」)
 以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」では、日本は神を頂点とし、その次に天皇を配置する超多重構造であると書いた。また、別の記事「『一生一事一貫(『致知』2016年2月号)』―日本人は垂直、水平、時間の3軸で他者とつながる、他」では、前述の垂直的な多重構造の他に、同一の階層内における水平方向の協業と、過去から未来への伝統の受け渡しという2軸を加えることによって、日本が時空を超えて非常に複雑な「網」を形成していることを指摘した。

 一見すると、日本人は縦にも横にも制約を受け、さらに伝統という縛りを受ける不自由な存在のように見える。ところが、引用文にある通り、日本人はこの構造の中にある時こそ最も自由であり、結果的に社会全体が安定化する。現在の日本は、基本的人権を普遍的価値と見なしているが、個人的には天賦人権論なるものに疑問を感じる時がある。日本人が自由であるのは、生まれながらにしてではなく、上記の社会構造に埋め込まれた時である。つまり、日本人の自由は外発的・後天的なのである。この辺りを論理的にどう説明するかが今後の私の課題である。

 小川榮太郎氏は別の記事で、日本の社会構造は多様性に対して寛容であるとも述べている。そして、その象徴が天皇という存在であるという。冒頭で紹介した以前の記事の中で書いた、非常にラフな日本の多重構造「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」を見てみると、確かに天皇以外は多様なプレイヤーに満ちている。ところが、天皇だけは万世一系である。天皇は1人しかいらっしゃらないのに、どうして社会は多様性を確保することができるのか?天皇制における血縁主義は、社会の多様性をどのように担保しているのか?こういった疑問にも私は答えていかなければならない。

 (2)
 北朝鮮は4月15日、IRBMムスダンを発射した。発射は失敗に終わったが、日本の安全保障上、死活的な意味を持つ。(中略)(ムスダンは)グアムなどに着弾する蓋然性があり、それを日本政府が「存立危機事態」と認定すれば、いわゆる集団的自衛権の限定的な行使(防衛出動による武力行使)も可能となる。今回は空中爆発し、新法制の出番はなかったが、法的には初の適用となる可能性があった。その事実が持つ意味は重い。だが「憲法違反」「解釈改憲」と批判してきた護憲派メディアを含め、以上の点を新聞もテレビも追及しなかった。
(潮匡人「「第四権力」の転落」 そして誰もマスコミを信じなくなった」)
 私もこのことには全く気づいていなかった。というのも、4月14日と16日には熊本大震災が発生し、そちらに注意が向いていたためである。ただ、引用文にあるように、仮にムスダンがグアムに着弾しても、「存立危機事態」と認定することは非常に困難であろうと考える。

 存立危機事態とは、「日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、『日本の存立が脅かされる明白な危険』がある事態」と定義されている。「日本の存立が脅かされる明白な危険」とは、経済的なダメージだけでは不十分とされる。かつての日本は、アメリカから経済封鎖を受けて太平洋戦争に突入していったが、今回の安保法制の下ではそのようなことは認められない。実際、イランがホルムズ海峡を封鎖して日本に石油が入ってこなくなったとしても、それだけをもってイランを攻撃することはできないと政府は答弁している。

 「日本の存立が脅かされる明白な危険」とは、日本の領土、領空、領海が脅かされ、それによって多数の日本国民の生命に危険が及ぶ可能性がある場合に限定される。この段階で初めて集団的自衛権が行使できるというわけだが、この場合の集団的自衛権はほとんど個別的自衛権に等しい。だから、日本が言う集団的自衛権は、国際通念としての集団的自衛権と異なり、個別的自衛権に毛の生えた程度でしかない。毛の生えた程度とはつまり、次のようなことである。

 例えば、日本の領海を巡回中のアメリカ艦隊が中国から砲撃されたとする。中国の砲撃が続けば、日本の存立が脅かされる。こういう場合、従来の個別的自衛権に基づいて、自衛隊は中国に攻撃ができる。しかし、日本がわざわざ自衛隊を出動させて中国を攻撃するよりも、攻撃を受けているアメリカ艦隊の近くにいる自衛隊がアメリカ艦隊に武器を供給し、彼らに中国を攻撃させた方が即効性がある。集団的自衛権(による後方支援)はそれを可能にする。

 安保法制反対派は、集団的自衛権よりも、「重要影響事態における後方支援」に強く反対している。重要影響事態の定義が広がり、自衛隊が戦争に巻き込まれるリスクが高くなるというわけである。ところが、法律の構成を見ると、どうやら簡単には後方支援ができないようになっている。安倍首相はシームレスな防衛を目標としたが、実際には相も変わらずぶつ切り状態だというのだ。これは安保法制を推進した右派だけでなく、反対派の左派も指摘していることである。

 一例を挙げると、自衛隊が後方支援を行う際は、国会の事前承認が必要である。重要影響事態とは、「放っておいたら日本への武力攻撃の恐れがあるなど、日本の平和と安全に重要な影響を与える状況」である。日本が危険にさらされる可能性は、存立危機事態に比べると低い。しかし、実際に戦闘が行われている現場は生きるか死ぬかの世界で、時々刻々と戦況が変化する。そんな状態で、国会が後方支援の計画を長々と審議し、仮に可決されたとしても、その頃には計画が通用しないほどに局面が変化しているに違いない。従来の非戦闘地域における後方支援は、時間をかけて審議すればよかった。だが、重要影響事態においてはそうはいかない。

 《2016年9月14日追記》
 安保法制の具体的な「穴」については、「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」にまとめておいた。


 私の見解には大いに批判があるだろうが、私は安倍総理を相当な策士だと考えている。日本の戦略的地位の向上を求めるアメリカと、年々軍事力を増強し続ける中国に対して、「いざとなれば日本だって立ち上がる準備はあるんだぞ」というファイティングポーズは見せた。だが、蓋を開けてみると、複雑怪奇なルールで自らを縛り、結局は今までと大して変わらない(今までよりも制約が強い?)状態にした。結果的に、日本の平和主義は守られた。国防という最重要にして最難関の問題をこのような形で決着させられたのは、安倍総理以外にいなかったであろう。

 (3)
 ドイツで今から30年前の1980年代、ナチズムと共産主義をめぐって「歴史家論争」という大論争が繰り広げられたことがあった。この論争での重要な焦点は、ナチズムと共産主義が全体主義という点では同じではないかということだった。特にエルンスト・ノルテや、フランス人で共産主義から転向したフランソワ・フュレらは、思想的脅威、謀略的手法、極端な軍事力重視と共にはなはだしい人命軽視という武断的な姿勢も含めて共産主義から影響を受けたのがナチズムであり、ナチズムと共産主義は双子の関係、少なくとも「シャム双生児」の関係にあると提起した。
(中西輝政「共産主義と日米戦争―ソ連と尾崎がやったこと(上)」)
 私の理解不足もあるのかもしれないが、以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」で書いた通り、私の中ではナチスと共産主義は同じ全体主義である。極右のナチスと極左の共産主義は、唯一絶対の神しか認めず、人間は神に似せて創造された完全な理性を持つ存在であるという前提から出発している点で共通する(もっとも、本来の共産主義は無神論なので、私の考え方にはまだ大きな穴が開いたままなのだが)。だから、両者は親和性が高い。本号には、「ナチスの権力掌握に「協力」した共産党 憲法「緊急事態条項」批判論の虚妄(中)」(福井義高)という記事も収録されていた。

 私は、神も人間もどちらも不完全な存在と見なす日本の考え方が、最も平和的、寛容、柔軟であると信じている(冒頭で紹介した小川榮太郎氏の考えの影響も受けている)。ところが、世界の宗教人口を見ると、キリスト教とイスラームで半分以上を占める。彼らに神の不完全性を理解させることはまず不可能であろう。だから、人間がいかに不完全な存在であるかを認めさせることが、全体主義が世界を恐怖の底に突き落とすのを防ぐことにつながると考えられる。

 いや、「認めさせる」という表現は、あまりに傲慢で不適切だったかもしれない。「認めさせる」ということは、「人間が不完全である」というロジックが完全であることを前提としており、自家撞着に陥っている。我々は彼らに対し、「人間は不完全である」と訴え続ける。彼らが我々の考えを100%理解しなくてもよい。ただ何となく、「そう言われてみると、確かに人間は不完全なのかもしれない」と感じ、彼らなりの方法で我々の主張を咀嚼してくれればそれでよい。


2014年04月24日

舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』―「政府解釈の変更による集団的自衛権の行使」は2005年に明言されていた、他


憲法改正のオモテとウラ (講談社現代新書)憲法改正のオモテとウラ (講談社現代新書)
舛添要一

講談社 2014-02-20

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 私が在学していた時の京都大学法学部は憲法が必須科目ではなく、法学部なのに憲法を全く勉強せず卒業することも可能であった。既に法律への関心を失ってしまい、ビジネスに傾倒しつつあった私は、憲法の単位を取らずに卒業することも考えた。だが、さすがにそれは法学部生としてまずいと思い直して、憲法を受講することにした。そんな不真面目な学生だったので、憲法に関する私の知識は一般の法学部生以下だ。だから、本書についてのまとまった感想を書くだけの力量がない。よって、本書に関しては雑感をつらつらと並べてみたいと思う。

 (1)本書は、2005年に結党50年を迎えた自民党が、50年前に掲げた結党の目的「憲法の自主的改正」に立ち返って、新しい憲法の草案を取りまとめた際のことを記録したものである。森元首相を委員長とする「新憲法起草委員会」が立ち上がり、天皇、安全保障、基本的人権など憲法の各分野について10の小委員会が設けられて、改正の方向性が検討された。

 本書の帯には「憲法改正とは政治そのものである」と書いてある。10の小委員会にこまめに出席していた舛添氏は、憲法改正が権力抗争の場と化すのを何度も目撃したようだ。一院制の議論が持ち上がれば、参議院自民党から圧力がかかり、地方財源をめぐっては総務省と財務省が対立したという。しかし、本書ではそのような政治的側面は最小限に抑えられている。各小委員会で検討された論点と決議された要綱が整然と並べられていて、最後に舛添氏が自身の主張をつけ加えるというスタイルをとっており、非常に読みやすい。

 率直な感想を言えば、細かい条文をめぐる権力抗争なんてのはみみっちいもので(そんなことを言ったら怒られるか)、2005年の「郵政解散」によって憲法改正の機運そのものが吹っ飛んでしまったことの方が、「憲法改正とは政治そのものである」という言葉にふさわしいのかもしれない。憲法の前文には、日本人の伝統的な精神を反映して「和を尊ぶ」という文言を入れる予定であった。だが、造反組をことごとく敵に回し、総選挙で次々と刺客を送り込むやり方のどこが「和を尊ぶ」なのか?と批判されたという。

 (2)自民党は、新憲法について一括で国民の判断を仰ぐ予定だったようだ。しかし、これにはさすがに無理があると思う。当時の公明党も、一括方式に反対したと書かれてある。新憲法は現在の憲法を踏襲している部分もありながら、大きく変わる部分も結構ある。一括方式にしてしまうと、ある条文の改正案については賛成であるが、別の条文の改正案には反対という場合に、国民投票によって意思を的確に表明することができない。

 ビジネスの世界でもそうだが、大がかりな改革は一発で成功させようと思わない方がよい。まずは小さな改革から始めて、成功体験を積んでから大きな改革に取りかかるのが定石である。憲法改正に関しても、まずはそれほど重要度が高くない分野から着手し(最高法規である憲法の中で、それほど重要でない部分とはどこなのか?という議論がありそうだが)、国民と政治家を憲法改正のプロセスに慣れさせる。その準備段階を踏んだ上で、おそらく憲法改正の本丸であろう9条の見直しへと進んでいくのが筋ではないかと考える。

 (3)今年に入ってから、安倍首相が集団的自衛権の行使について、「政府解釈を変更することで認められる」と発言をして非難を浴びた。ところが実は、2005年の議論で、政府解釈の変更により集団的自衛権の行使を可能にする方向で動いていたことが本書に書かれている。

 舛添氏の解説によると、「安全保障および非常事態に関する小委員会」がまとめた要綱のポイントは、(A)持つべき軍隊の名称を「自衛軍」とすること、(B)国際貢献を明記すること、(C)集団的自衛権の行使については、憲法に明記せず、政府解釈の変更で認めること、の3点であった。2005年の段階では、この点についてそれほど大きな批判はなかったと記憶しているが、今になって安倍首相がやり玉に上がるのはいささかおかしな話だと感じる。

 (続く)



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