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安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?
安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年05月29日

『世界』2018年6月号『メディア―忖度か対峙か』―日本には西洋の社会契約説も自由・平等の考え方もあてはまらない


世界 2018年 06 月号 [雑誌]世界 2018年 06 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-05-08

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 安倍首相の発言や自民党憲法改正案を見れば、憲法とは「国の形を決めるもの」であり、国家や家族に指針を与え、義務を課し、「縛るもの」と考えられています。憲法とは「市民社会と国家の間の統治契約書」ではなく、つまり統治機構としての国家がその統治においてしてはならないことをあらかじめ定めて国家を「縛る」契約書ではなく、国家が「国民に与える書」であり、国家の意思を国民に伝える書なのです。近代以前の認識だと言わなければなりません。
(花田達朗「公共圏、アンタゴニズム、そしてジャーナリズム」)
 私は、安倍首相や自民党憲法改正案が想定している国家像や憲法のあり方を本当に前近代的なものだと切り捨ててよいものかと疑問に感じる。ジョン・ロックのように、自然状態においては自然法が貫徹されて人は自由で平等であったと仮定し、その状態に何らかの理由で様々が不都合が生じたことで、人々が自然発生的に一部の自然権を放棄し、社会契約を締結することによって国家が成立したと見るのであれば、国家は国民に従属するのであって、憲法は国家の権力を国民が制限する意思の表れととらえることもできるだろう。だから、国家が国民の自然権を侵害するような専制を行う場合には、国民による抵抗権も正当化され得る。

 ジャン・ジャック・ルソーにおいても大体同じである。ルソーは、諸個人が自由と平等を享受していたが、より自由で平等な状態、共通善を最大化するために、自然発生的ではなく、積極的に社会契約を締結したことによって国家が成立すると見る。契約当事者である市民のみならず、その集合体である人民こそが主権者であり、個々人の特殊意思を超えた、一般意思によって作り出された主権によって国家が誕生した。ここでも、国家は主権者である市民に従属する。

 つまり、西洋においては、人々の自由や平等を守るために人為的に国家が創造された。国民と国家の間の関係はかなりフラットに近い。これに対して、日本の場合は自然発生的に国家が成立しており、国家は1つの有機体として、その機能を発揮せしめるために、内部の役割を多様化・階層化し、人々をそれぞれの役割に就ける。様々な役割に就いた人々は各々固有の欲求を持つが、個人の欲求は全体の秩序に調和させることが求められる。この点で、国民が国家に従属するという、西洋とは逆の関係が成立する。陽明学の泰斗・安岡正篤が1927(昭和2)年に著わした『東洋倫理概論』の中には、次のように書かれている(以下は、『東洋倫理概論』を現代語訳した武石章訳『「人間」としての生き方』〔PHP文庫、2008年〕による)。
 蒼生とは、蒼々然たる(青々とした)万物の生育に因んで、天地の恵みを受けて生活する自然な人々(生民)に対してつけた名(1つの具体的あるいは創造的概念)であって、その実在は雑然とした動物的群居―単なる民衆ではなく、心理的生理的に影響しあう本来の自然のままの姿、本来の生活関係にある人間の集団―本然社会、社稷(社は土地の神、稷は五穀の神)、一種の有機的な体系である。だからこれを組織する各人、各階級は、万物を支配する天の道理、自然の道理に従って自然に各自の欲求のままに活きるけれども、一面その欲求を自ら縦にすることはできない。ほしいままにすれば直ちに全体生活を傷ってしまう。そこで、生理の欲求としてそういう部分的欲求(民衆的欲求、私利)に即して全体的欲求(社会的欲求、天理)がなければならない。

 (中略)(※全体的欲求の実体である)官司の本質はほしいままな私欲に走り社会生活を乱れさせることがないように民を正し、治めることにある。そういう作用からして、これを特に政治(政は正である)と言いその最高の政治組織体を国家と言うのであって、それは蒼生の自然的生活から進歩するにつれて実現し、発達してきた本来の自然のままの規範的存在である。
「人間」としての生き方 (PHP文庫)「人間」としての生き方 (PHP文庫)
安岡 正篤 安岡 正泰

PHP研究所 2008-03-03

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 国家は道、天理に従って国民を統治するが、国家の頂点に立つのは天皇である。天皇は国民によって選ばれたのではなく、国家が自然発生的に成立した時から天皇であった。そして、国家の持続可能性を担保するために世襲制を選択した。つまり、その時々に応じて、天皇にふさわしい能力・資質を持った人を国民が選出するという方法はとらなかった。これにより、適材をめぐって国民の議論が紛糾し、そのために国家統治が断絶するというリスクを回避することができた。もちろん、世襲制でも後継者不足に陥るという恐れはあるが、適材探しに伴う統治の空白リスクよりは小さいだろう。天皇は天皇に「なる」のではなく、天皇は天皇で「ある」わけだ。
 同時に我々の国家にもまた、このような至尊がなければならない。あるいはこれを国旗に表徴し、あるいはこれを法律に掲げ示し、あるいはこれを信仰または信念として心の中に観る。我々はこれを天皇に拝する。我々に天皇が在すことは我々の胸の奥に神在するに侔しい。天皇を軽んじ、ないがしろにする者は神を軽んじ、ないがしろにする者である。道を知らない者である。
 ここで近代的な西洋人なら、「天皇が暴君であった場合はどうするのか?民衆は革命を起こすのか?」と質問するだろう。だが、安岡正篤はこの問いを一蹴する。
 そういう前提は国家における道の生活のまだ確立していない国体では有り得ることであるが、日本のように歴史的体験によって道の確立している国では、法に外れた天皇の意思などある筈がなく、天皇は真に道Sollenの権現(実現する神仏)とならざるを得ない。この長い間に打成された(できあがってきた)道力を踏みにじるような暴力は、いかなる悪魔も持ち合わすことができない。まして皇位の簒奪(帝王の位をうばい取ること)など夢想することもできない。
 要するに、日本は自然発生的に成立した国家であり、その頂点に立つ天皇が最も道を体現している存在として、日本国民を統治する。天皇が道を体現していることは、天皇が万世一系によって途切れなく続いていることからも明らかである。よって、日本の歴史に照らし合わせれば、憲法が国家(天皇)から国民に与えられた書であるというのは全くもって正しいのである。これを否定して、憲法は国民が国家を束縛する書だと主張したければ、天皇を廃止するしかない。

 道や天理に従い、天皇が神として国家を統治するのは全体主義的ではないかという批判もあるだろう。確かに、日本の歴史を振り返ればそのような時期もあったことは否定できない。ただし、大半の時代において、天皇は国家の最上位に位置するものの、その意思を絶対的な力で下位の人々に強要するようなことはしなかった。日本では議論が推奨される。十七条の憲法には「和を以て貴しとなす」とあり、五箇条の御誓文には「広く会議を興し万機公論に決すべし」とある。社会人類学者の中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』の内容を拡張するならば、日本は多重階層社会であり、天皇の意思はいくつもの階層を下って、それぞれの階層を構成する国民に届けられる。その際、天皇から国民への伝達は一方通行ではない点に着目する。

 天皇は臣下に対して「あなたは国家のためにこの仕事をせよ」と命ずるとともに、「あなたがその仕事を成し遂げるために私は何をすればよいか?」と「下問」する。他方、臣下は天皇に対し、「天皇がご自身の仕事をよりよく成し遂げるには、これをなさった方がよい」と「下剋上」する。これが一般化されると、上の階層は下の階層に対して、「あなたは私が上の階層から命じられた仕事を実行するために、この仕事をせよ」と命ずるとともに、「あなたがその仕事を成し遂げるために私は何をすればよいか?」と「下問」する。他方、下の階層は上の階層に対し、「あなたがご自身の仕事をよりよく成し遂げるには、これをなさった方がよい」と「下剋上」する。ここでの「下問」、「下剋上」の用法は、日本学者である山本七平に依拠している(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」、「『熱と誠(『致知』2017年2月号)』―顧客が「下問」してくれる企業こそ真の顧客志向を体現している」を参照)。

 とりわけ特徴的なのは、下剋上は上の階層に取って代わるためになされるわけではないという点である。上の階層に取って代わる下剋上が起きたのは、歴史の一時代だけである。多くの場合、下の階層は、上の階層がよりよくなるためにと願って、下の階層にとどまったまま「下剋上」をした。こうした重層的な議論を通じて、天皇の威命が徐々に下の階層へと伝わっていく。

 前述のように、自然発生的に成立した日本という国家は、1つの有機体として、天皇を頂点としながら、その内部に多様な役割を分化させ、多重階層的な社会を形成している。それぞれの人は社会を機能せしめるために、上の階層からの命令を受け取ってその職責を果たす。このような社会において、人々に自由はあるのかと西洋人は問うだろう。確かに、自然権としての自由は存在しない。よって、自然権を守るための権力からの自由も存在しない。ただし、社会から役割を与えられた人々は、上の階層から「下問」という支援を受けて自分の仕事の幅を広げ、上の階層に対して「下剋上」することによって彼らの仕事の幅を広げることを通じて、上の階層のために、ひいては全体的秩序のために創意工夫を凝らして役割を遂行することが期待されている。

 この点で、日本人にも自由はあるのであり、それは「権力からの自由」ではなく、「権力の中での自由」と呼ぶのが適切であろう。日本は決して全体主義ではない。かといって、個人の意思が政治に完全に反映される民主主義でもない(個人の意思は全体の秩序に調和されるため)。日本はその中間の権威主義と呼ぶのが適切であり、権威主義によって極めて長期にわたって国家を維持してきた(以前の記事「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?」を参照)。『世界』の本号では、アジア諸国が権威主義化していることを危惧する記事があった(柴田直治「東南アジアに広がる権威主義のドミノ」)。だが、これらの国々で進んでいるのは専制主義化であり、一歩間違えれば全体主義に陥る。日本はこれらの国々に対して、権威主義の見本を示す必要があると思う。

 繰り返しになるが、日本は多重階層社会、役割が多様化された社会であり、人々は何らかの理由によってそれぞれの役割に就いている。役割が違うのだから、当然のことながら「差」を「別ける」差別は存在する。だが、どの役割も日本の社会的秩序を維持・発展させるのに不可欠であり、固有の価値を持つ。階層の上下などを理由として、ある特定の役割に就く人々の価値を貶めることは許されない。ここで再び安岡正篤の言葉を借りよう。
 任用する者も任用せられる者も一心同体に、その目的は天下の人民を安んずることにある。その目的の実現のために才能の適不適は論ずるが、地位の高下で人間を軽重したり、労働せねばならぬから悪い、安逸だからよいのというようなことはない。いやしくも自分がその才能に適しい地位職分につけば、終身煩劇に(煩わしく忙しさに追われて)処しても労とせず(苦労と思わず)、下位微官にあっても賤しいとせず、人民もまた皆自分の身分をわきまえて、その業を勤めて、別に高位高官を欲しいと思うわけでもなければ、他の安楽そうな職業を羨むでもなく、すべて人々が相互に親しい心を以て相依り相助けていた。
 左派は差別を敵視し、まるで差がなかったかのように平等に扱おうとするが、それは土台無理な注文である。差は歴然として存在する。その事実を踏まえた上で、階層の上下を問わず、お互いの役割・職務を尊重する姿勢こそが重要である。金額のような単一の指標で各人を単純比較してはならない。歴史上滅亡した大国の特徴を分析した研究によると、滅亡の大きな理由の1つは、金銭で物事を判断するようになったことであるという。本号には、国語辞典で差別用語をどう扱うべきかという記事があり、その中で次のように書かれていた。
 「真の意味で被差別当事者の身になってかんがえることなど原理的にできない」という宿命ゆえに、「まちがいない」ことだけ収録する責任を持つ、という規範主義だ。
(ましこ・ひでのり「差別とことば―国語辞典で差別語はどうあつかうべきか」)
 これではまるで、差別の火が消えるまで国語辞典への掲載を延期すると言っているようなものである。さらに言えば、「被差別当事者の身になって考えること」を原理的に諦めているのだから、差別に対して見て見ぬふりをしている。その結果掲載される差別用語は、もはや差別用語であったことすら忘れ去られた、純化された言葉であろう。左派にとってはその方が都合がよいのかもしれない。しかし、我々は現実問題として、日本的社会の特徴から必然的に差別に直面する。その際に、差を尊重しない差別、間違った差別に対しては当事者が声を上げ、周囲がその差別を行った者を徹底批判する空間を確保することの方が大切である。
 2006年12月、第1次安倍政権の下で教育基本法が改悪された。このとき、政府は、愛国心教育推進の法的根拠とすべく、「教育の目標」条項を新設し「我が国と郷土を愛する」との文言を書き込んだ。学校教育において児童生徒に何か特定のものを無条件に愛するように指導すること、また教師にそのような指導をさせることは、児童生徒及び教師の内心の自由に対する侵害であり、人格の独立に対する脅威をもたらしかねない。
(中嶋哲彦「学びの統制と人格の支配―新設科目「公共」に注目して」)
 最後に「愛国心」について。私は、左派が愛国心教育を極度に嫌っていることが理解できない。左派は「国を愛するな、だが生活に困った時は国(の社会保障)を頼りにすべきだ」と主張しているのであり、全く賛同できない。前述の通り、我々は権力の中での自由を発揮し、国家秩序のために与えられた役割を全うする。「国家秩序のために」と思うその根底には、国を愛する気持ちがなければならない。そして、どうしても困った時には国家に助けてもらう。これであれば筋が通る。それに、愛国心といっても、日本を無条件に愛せよというわけではない。愛とは対象の美点のみを愛でることではない。それでは中国や北朝鮮の教育と同じになってしまう。対象の暗部をも直視して、それでもなお総合的に対象を大切に思う気持ちこそが真の愛である。

 2017年11月に高大連携歴史教育研究会が、高校の日本史・世界史の教科書に出てくる用語を現在の約半分にあたる1,600語程度に減らすべきだという提言を行った。記述を簡略化すると、複数の用語を同時に説明するための概念用語が多用されることになる。例えば、昭和史においては「大日本帝国」という言葉が用いられる。これでは、当時の日本がどのような政治を行っており、大衆はどのような動きを見せ、国家全体がいかにして帝国主義に走っていったのかという実態が見えにくくなってしまう。それよりも問題なのは、「日本」ではなく、「大日本帝国」という用語を使うことで、昭和の日本は日本とは別物であり、いくら批判しても構わない悪玉なのだと子どもに思わせてしまうことである。これでは本当の意味での愛国心は育たない。

 私は「道徳」や「公共」といった科目を設けなくても、「我が国と郷土を愛する」心を育むことは可能であると思う。しばしば、教育内容は価値中立的でなければならないと言われるが、そんなことは絶対にあり得ない。学習の対象が無限に存在しているという状況で、限られた学習時間の中で何を子どもに教えるかを取捨選択する時点で、価値判断が入っている。つまり、「これは日本人として重要なことだから是非知っておいてほしい」という判断から、その素材が選択されているのである。だから、愛国心や郷土愛を醸成するには、なぜその素材を学習するのかという背景に踏み込んだ授業をすればよい。特別に道徳や公共という科目を設けるまでもない。

 道徳や公共は、子どもが大切にするべき価値観のみを抽出して、それについて学習させようとする。だが、価値観だけを単独で学習するのは非常に難しい。これは、企業研修において、自社の価値観や行動規範だけを単独で学習することが難しいことを想像していただければお解りになると思う。価値観は具体的な事象とセットになって初めて理解可能となる。そして、そのようなセットは、既存の科目の中で十分に提供されている。道徳や公共を設けて既存の科目の時間を削るのではなく、既存の科目の内容充実を図った方が絶対に効果的である。

 中村学園大学の占部賢志教授は、道徳は単独では教えられないと主張し、「連携科目としての道徳」を提案している。例えば、「生命の尊さ」を教えるのであれば、理科における植物などの観察と連携させる。観察の結果をまとめたり発表したりするのを道徳の時間に行う。

 また、国語で『万葉集』の防人の和歌を取り扱うという案も披露している。例えば「時々の花は咲けども何すれぞ母といふ花の咲き出来ずけむ」という和歌は、四季の移り変わりに応じて季節の花は咲くのに、どうして「母」という名前の花は咲かないのだろうかという意味である。こうした哀切の私情を胸に防人は公の任務に就いていく。そこには、昭和前期の「滅私奉公」とは異なる姿がある。公のために私情を捨てよと言われても、簡単に断ち切ることはできない。私情の世界を大切にしながらも、人は公の任務に向かうことがあるのだという厳粛なる人生の事実をこの歌は教えてくれる(占部賢志「連載・第47回 日本の教育を取り戻す 道徳は単独では教えられない―「知徳一体」の流れをつくろう」〔『致知』2017年6月号〕より)。こうして培われる愛国心は、前述した日本の社会的構造が国民に対して要請する精神とも合致する。

致知2017年6月号寧静致遠 致知2017年6月号

致知出版社 2017-06


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2014年01月14日

安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?


[新装版]活眼 活学(PHP文庫)[新装版]活眼 活学(PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2007-05-22

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U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚

英治出版 2010-11-16

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 陽明学者である安岡正篤の本から、オットー シャーマーの『U理論』のことを考えてみるという、もはや誰に向けて書いているのか解らないようなこと(汗)を書いてみようと思う。安岡正篤の思想も、私なりに煎じ詰めてみれば、「自分自身=部分のことをよく知れば、天=全体を知ることができる」という一点に集約されるように感じる。安岡が好んで引用する『孟子』の「君子は必ず自ら反(かえ)る」という言葉に、安岡の思想の本質が表れている。
 あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無礙(むげ)な一致を表現して自と分を合わせて「自分」という。我々は自分を知り、自分を尽くせばよいのであります。
 諸君もよく御承知の(※無知な私は知らなかったのだが・・・)「万世の為に太平を開く」(終戦の詔勅中の一句)という言葉は、張横渠の有名な立言、即ち「天地の為に心を立つ。生民の為に命を立つ。往聖の為に絶学を継ぐ(往聖は一に去聖)。万世の為に太平を開く」の結語です。

 「天地の為に心を立つ」。言い換えれば、人間は心というものを立派に造り上げるということが、人の為であると同時に天地の為だ。実は天地が心というものを創造したのだ。(中略)人間が心を持っておる。人間が心の世界を開くということは、これは天地の仕事なんだ。人間が天地に代わって行なうことである。天地の努力を継承することである。(中略)

 そうして、「生民のために命を立つ」。命とはいわゆる運命・立命の命です。生きとし生ける民、生きとし生ける人間は、それぞれ天という絶対者・創造者の営みを内具している、それを命というわけです。それを各自立派に遂行させ発揮させる。それにはどうしても、代々の聖賢(往聖・去聖)が遺して今や中絶しておるところの学問―絶学、それを継承し興起しなければならない。往聖の為に絶学を継ぐ。そうしてこそ初めて万世の為に太平を開くことができるのだ。
 中国古典における天と心の関係が、キリスト教における神と人間の関係に酷似していること、また両者に共通する「全体―部分」の集合論的関係が、オットー・シャーマーらのU理論とも共通していることは、以前の記事「安岡正篤『知命と立命―人間学講話』―中国の「天」と日本の「仏」の違い」でも述べた。U理論では、「場」に集合した人々が、自らの偏見や誤った価値観を手放すと、私と他者という物質的な壁が崩れ、潜在意識のレベルにおいて人々は一つになる。そして、我々の中に本質的に内在している絶対的な宇宙=全体にアクセスすることが可能となり、新しい未来へ向けて歩み出すことができる、とされる。

 《参考》オットー・シャーマー『U理論』のレビュー記事
 オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい
 オットー・シャーマー『U理論』―古い手法を完全否定するな、古い手法は新しい手法を始動させるトリガーとして機能する
 オットー・シャーマー『U理論』―人間は本当に過去と決別すべきなのだろうか?
 《参考の参考》
 内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った

 だが実は、U理論では「他者」の役割が積極的に評価されていないような気がする。いわんや、キリスト教や中国古典においてをや、である。私の理解不足かもしれないが、U理論においては、他者は私という部分が宇宙という全体を獲得するための”触媒”にすぎない印象を受ける。というのも、個人の中に全体が内包されているのであれば、理論的には、他者の力を借りなくても、個人が直接的に全体を認識することが可能であるからだ。もちろん、U理論の実践者は、「他者がいるからこそ、『Uプロセス』を加速できる」と反論するに違いない。だが、他者がUプロセスを加速させるだけの存在であれば、まさしく化学反応における”触媒”そのものである。

 U理論の構築に大きく貢献した一人であるジョセフ・ジャウォースキーは、旅先で動物を見ながら宇宙を体感する経験をしたことを著書の中で述べている。つまり、宇宙を悟るのに他者は必ずしも必要ではない(もっとも、その動物の中にも全体が包摂されており、ジャウォースキーが全体を見るためには動物の存在が不可欠であった、という解釈もできるのかもしれないが)。

シンクロニシティ[増補改訂版]――未来をつくるリーダーシップシンクロニシティ[増補改訂版]――未来をつくるリーダーシップ
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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 非常に乱暴な言い方かもしれないが、U理論の実践の場に集まった人たちは、各々が自分の中に確かに存在するはずの根源的な宇宙を探り当てるため、お互いを利用し合っている。そこには、相手を道具的存在とみなす優越感がはたらいている。そして、めでたく全体に到達できた者は、それができなかった者と違い、唯一無二の宇宙から選ばれた者であるという選民意識を抱くことになる。これが果たして新しいリーダーシップの姿なのだろうか?

 日本のリーダーシップ観は、これとはかなり異なる。多神(仏)教である日本においては、絶対的な存在というものを認めない。つまり、絶対的な解というものは存在しない。我々の心の中には、様々な神や仏が宿っている。私に宿っている神は、あなたに宿っている神と異なるかもしれない。いや、異なることの方が普通である。だから、絶対的な解(それはビジョンと呼ばれ、強烈なビジョンを持ったリーダーにはカリスマ性があると言われる)を引っさげて、人々に追従を強要するようなリーダーシップは日本では成立しない。たとえ、誰かが何か素晴らしい解を思いついたとしても、それは”当座”の解にすぎない。

 カリスマ性のあるリーダーは、宇宙のお墨つきをもらっているから力強く、自信に満ち溢れている。これに対して、当座の解しか持たない日本のリーダーは、どこかおどおどしている。日本のリーダーが当座の解の質を高め、人々の支持を得るための方法はただ1つ、人々の間に分け入って、対話を重ねることである。簡単に言えば、「私はこう思うが、あなたはどう思うか?」という問いを多方面に投げかけることである。日本のリーダーが、しばしばきょろきょろしている、相手のご機嫌をうかがっているように見えるのはそのためである。

 日本のリーダーは、自分の心の中にある神仏を相手の前に提示し、相手の心の中から神仏を表出させる。そして、神仏同士の対話を通じて、当座の解をちょっとだけ改善させる。その後、また別の人に対して自分の神仏を提示し、相手の神仏と対話させて、当座の解をまたちょっとだけ修正する。この繰り返しである。

 カリスマリーダーについては、リーダーとフォロワーが厳格に分かれる。リーダーのビジョンは絶対的な根拠を持っているから、リーダーに意見することは慎まれる。これに対し、日本型リーダーでは、リーダーが人々の方に近づいていくから、メンバーとの距離が非常に近い。また、神仏の対話の場面では、お互いの神仏の間に上下、貴賤の関係がないため、時にリーダーとフォロワーが入れ替わる。いや、リーダーとフォロワーという区分さえないのかもしれない。カリスマ型のリーダーシップは個人に宿るのに対し、日本型のリーダーシップは集団に宿る。

 日本型リーダーの場合、リーダーがどんなに対話を重ねても、当座の解が絶対的な解になることはない。なぜならば、唯一無二の絶対的な解というものを宗教的に否定しているからである。かりそめの方向性で満足しながら、少しずつ変化をしていくのが日本人である。そして、いつもきょろきょろしながら、それでも昨日よりは今日、今日よりは明日といった具合に、よい方向へと向かっていくことを「道」と呼ぶ。道とは、ゴールなき変化である。

 安岡正篤は、『論語』の「子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ」という一文について、「『人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ』と解釈した方が、もっと切実に感じられる」と述べている(以前の記事「安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ」を参照)。己を知るとは、天を知ることであり、それが不十分であることを孔子は嘆いているのだ、というのが安岡の解釈である。これは、中国古典における天と個人の関係からすれば、非常に納得感がある。

 だが、日本的価値観から解釈するならば、この一文は原文のまま理解した方がよい。つまり、「私が他人のことをまだ十分に理解していないことが問題だ」というわけである。中国各地を歩き回り、多くの人に教えを説いた孔子であるが、その教えは未だ完成していない。なぜならば、孔子の思想は、他者の中にある様々な天によって試され、批判され、修正されることが足りていないからだ。だから、もっと人々の中に深く入り込んで、他者のことを理解しなければならない。私はそういう決意の一文であると解釈する。


2013年12月24日

安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ


論語に学ぶ (PHP文庫)論語に学ぶ (PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2002-10

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 陽明学者・安岡正篤が『論語』の読み方を解りやすく解説した一冊。通り一遍の解釈なら今やWebでも調べられる時代だから、安岡流の独自の解釈が施されている部分をまとめてみた。
 子曰く、民は之を由(よ)らしむべし。之を知らしむべからず。(泰伯)
 《よくある誤解》
 「民衆というのは、服従させておけばよいのであって、知らせてはいけない。知恵をつけてはいけない」と誤解されることが多い。そして、孔子はおよそ非民主的な人間で、封建制度の代弁者に過ぎないという、余計な注釈までついていることがある。

 《安岡流の解釈》
 「民は之を由らしむべし」とは、先ずもって民衆を信頼させよ、政治というもの、政治家というものは何よりも民衆の信頼が第一だという意味であり、この場合の「べし」は「・・・せしめよ」という命令のべしである。また、「之を知らしむべからず」の「べし」は。可能・不可能のべしで、知らせることはできない、理解させることは難しい、という意味である。

 民衆というものはみな、自己自身の欲望だの、目先の利害などにとらわれて、本質的なことや遠大なことは解らない。個々の利害を離れた全体というようなことは考えない。したがって、それを理解させることはほとんど不可能に近い。できるだけ理解させるようにしなければならないことは言うまでもないけれども、それはできない相談である。

 そこで、とりあえず民衆が、何だかよく解らぬけれども、あの人の言うことだから間違いなかろう、自分はあの人を信頼してついて行くのだというふうに持っていくのが政治である。この一文は、政治家に与えられた教訓であって、決して民衆に加えた批評ではない。

 孟武伯孝を問ふ。子曰く、父母は唯(た)だ其の疾を之憂ふ。(為政)
 《通常の解釈》
 孟武伯が孝とはどういうことですかと尋ねたところ、孔子がいうには、「父母はただ子どもの病気のことだけを心配する」 だから、子どもは自分が病気にならないように注意しなければならない、という意味である。あるいは、「父母は唯だ其の疾を之れ憂へしめよ」と読むこともある。この場合、「父母には病気のことだけで心配をかけよ」、つまり子どもはやむを得ず病気になることはあっても、それ以外のことで心配をかけてはならない、という意味になる。

 《安岡流の解釈》
 孟武伯ともあろうような堂々たる人間に対する答えとしては、少々幼稚すぎる。随分色々な注を読んでみたが、どうもしっくりするものがない。ところが、『呂氏春秋』の注を見ると、「疾」は「争ふ」に同じとある。近頃の子どもは、ことあるごとに反抗して、親の言うことを素直に聞かないので、随分悩んでおられる方が多い。疾を憂うとはそのことを言っている。つまり、親子の断絶を憂うるのである。これなら孝の答えにぴったりである。

 子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ。(学而)
 《通常の解釈》
 孔子先生がおっしゃった。「他人が自分を知ってくれないということはどうでもよい。そもそも自分が他人を知らないことが問題である」と。優れた思想を持ちながら、なかなか世の政治家に用いられることがない孔子に向かって弟子が心中を尋ねたところ、このような答えが返ってきたという。つまり、政治家に自分の評判が及んでいないことが問題なのではなく、自分の修練がまだまだ足りないことが問題なのだ、という謙遜の答えである。

 《安岡流の解釈》
 もっと突っ込んで考えると、「人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ」と解釈した方が、もっと切実に感じられる。案外人間というものは、自分自身を知らないものである。自分が自分を知らないのだから、人が自分を知らないのは当然である。したがって、問題は、まず己が己を知ることでなければならない、ということになる。

 子曰く、苟(いやしく)も仁に志せば、悪(にく)むこと無きなり。(里仁)
 《通常の解釈》
 普通は悪むをあしきと読んで、いやしくも仁を志せば、悪いことはなくなる、という解釈になる。

 《安岡流の解釈》
 悪むは退ける、拒否するの意味であり、「仁に志せば、人の言うことをあれもいけない、これもいけない、というふうに退けることをしなくなる」と解釈する方がよい。仁は色々な意味に用いられているが、最もよく『論語』に出てくるのは、天地が万物を生成化育するように、我々が事物に対して、どこまでもよくあれかしと祈る温かい心、尽くす心を指す場合である。したがって、仁に志すようになれば、何事によらずそのものと一つになって、それを育てていく気持ちが起こってくる。

 斉の景公、孔子を待って曰く、季氏の若(ごと)きは則ち吾れ能はず、季孟の間を以て之を待せん。曰く、吾れ老いたり、用うること能はざるなり。孔子行(さ)る。(微子)
 《通常の解釈》
 斉の景公が孔子を待遇するのに、「魯の国の三卿の中でも貴い上卿の季氏と同じような待遇はできないが、季氏と下卿の孟氏との中間の待遇をいたしましょう」と言った。そして、「私ももう年を取った。到底あなたを用いることはできない」と言ったので、孔子は斉を去った(いかにも待遇が不満で、孔子が去ったかのような解釈である)。

 《安岡流の解釈》
 当時、景公を補佐した人に、晏子という名宰相がいる。晏子が孔子を用いることにあまり賛成ではなかったため、景公もその心を察して、孔子を尊敬しているけれども、それほど立ち入って話をしなくなった。それで孔子も諦めて、斉を去ったと推定される。

 だが、もう少しよく考えると、晏子という人は己の利益などを考えて反対するような人ではない。いつの時代でもそうだが、人を用いようとする場合には、必ず反対者がいる。斉においても、もちろん反対者がいたに違いない。そういう連中が、晏子が孔子を用いるのに進んで賛成ではないのを知って、それを利用して、いかにも晏子が孔子を排斥したようにしてしまった、というのが真相であろうと思われる。そのあたりの事情は、『晏子春秋』からうかがい知ることができる。

 子曰く、甯武子、邦(くに)に道有れば則ち知、邦に道無ければ則ち愚。其の知及ぶべきなり、其の愚及ぶべからざるなり。(公冶長)
 《よくある誤解》
 甯武子は春秋初期の人で、衛の国の大夫である。現代語に訳すと、「甯武子は、国に道がある時は智を発揮し、国に道がない時は愚になった。その智は真似することができるが、その愚は到底真似ることができない」となるが、これを「その馬鹿さ加減が話にならない」と解して、甯武子に対する批判だととらえているケースが見られる。

 《安岡流の解釈》
 これは讃嘆の言葉である。「邦に道無ければ則ち愚」は、「国家が乱れている時こそ愚直であるべきだ」と解釈するのがふさわしい。知―頭がよい、気が利くということは五十歩百歩で、真似できないことはない、学んで至り得ぬことではない。けれども、人間というものは、なかなか愚―馬鹿にはなれぬものである。甯武子は、人が真似できない馬鹿になれた人だというわけだ。

 「馬鹿殿」という言葉は、本来は賛辞である。殿様は、内には世話の焼ける領民と大勢の厄介な家来を抱え、外には幕府という絶対権力者を戴いて、一日として心の休まる時がない。下手をすると、いつ取り潰されるか解らない。そういう内外の苦境の中にあって、殿様としてやっていくには、利口になってはいけない。解っても解らぬような顔をして、馬鹿にならないと務まらない。

 子貢、問うて曰く、賜(し)や何如(いかん)。子曰く、女(なんじ)は器なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚連(これん)なり。(公冶長)
 《一般的な解釈》
 子貢がこう言って尋ねた。「賜、つまり私などはどうでしょうか」、「お前は器だ」、「何の器ですか」、「国家の大事な祭祀に用いる立派な器だ(国家の大事な仕事に従事させることのできる立派な人物だとの意)」

 《安岡流の解釈》
 子貢は他人の批評をするのが好きな人物であったから、自分の評価も気になるわけだ。本文では子貢がたいそう褒められているように見えるが、実は、未だ至らざることに対して孔子が戒めている。器は用途によって限定されている。瑚連であろうが、茶碗であろうが、またそれがいかに立派であろうが、便利であろうが、どこまでも器であって、無限ではなく、自由ではない。

 これに対して道は、無限性、自由性を持っている。したがって、道に達した人は、何に使うという限定がない。非常に自由自在で、何でもできる。こういう人を道人と言う。本文は、子貢は立派な器であるが、まだ道には達していない、ということを孔子が言っているわけだ。



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