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安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
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2014年01月14日

安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?

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[新装版]活眼 活学(PHP文庫)[新装版]活眼 活学(PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2007-05-22

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U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C オットー シャーマー C Otto Scharmer 中土井 僚

英治出版 2010-11-16

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 陽明学者である安岡正篤の本から、オットー シャーマーの『U理論』のことを考えてみるという、もはや誰に向けて書いているのか解らないようなこと(汗)を書いてみようと思う。安岡正篤の思想も、私なりに煎じ詰めてみれば、「自分自身=部分のことをよく知れば、天=全体を知ることができる」という一点に集約されるように感じる。安岡が好んで引用する『孟子』の「君子は必ず自ら反(かえ)る」という言葉に、安岡の思想の本質が表れている。
 あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無礙(むげ)な一致を表現して自と分を合わせて「自分」という。我々は自分を知り、自分を尽くせばよいのであります。
 諸君もよく御承知の(※無知な私は知らなかったのだが・・・)「万世の為に太平を開く」(終戦の詔勅中の一句)という言葉は、張横渠の有名な立言、即ち「天地の為に心を立つ。生民の為に命を立つ。往聖の為に絶学を継ぐ(往聖は一に去聖)。万世の為に太平を開く」の結語です。

 「天地の為に心を立つ」。言い換えれば、人間は心というものを立派に造り上げるということが、人の為であると同時に天地の為だ。実は天地が心というものを創造したのだ。(中略)人間が心を持っておる。人間が心の世界を開くということは、これは天地の仕事なんだ。人間が天地に代わって行なうことである。天地の努力を継承することである。(中略)

 そうして、「生民のために命を立つ」。命とはいわゆる運命・立命の命です。生きとし生ける民、生きとし生ける人間は、それぞれ天という絶対者・創造者の営みを内具している、それを命というわけです。それを各自立派に遂行させ発揮させる。それにはどうしても、代々の聖賢(往聖・去聖)が遺して今や中絶しておるところの学問―絶学、それを継承し興起しなければならない。往聖の為に絶学を継ぐ。そうしてこそ初めて万世の為に太平を開くことができるのだ。
 中国古典における天と心の関係が、キリスト教における神と人間の関係に酷似していること、また両者に共通する「全体―部分」の集合論的関係が、オットー・シャーマーらのU理論とも共通していることは、以前の記事「安岡正篤『知命と立命―人間学講話』―中国の「天」と日本の「仏」の違い」でも述べた。U理論では、「場」に集合した人々が、自らの偏見や誤った価値観を手放すと、私と他者という物質的な壁が崩れ、潜在意識のレベルにおいて人々は一つになる。そして、我々の中に本質的に内在している絶対的な宇宙=全体にアクセスすることが可能となり、新しい未来へ向けて歩み出すことができる、とされる。

 《参考》オットー・シャーマー『U理論』のレビュー記事
 オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい
 オットー・シャーマー『U理論』―古い手法を完全否定するな、古い手法は新しい手法を始動させるトリガーとして機能する
 オットー・シャーマー『U理論』―人間は本当に過去と決別すべきなのだろうか?
 《参考の参考》
 内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った

 だが実は、U理論では「他者」の役割があまり積極的に評価されていないような気がする。いわんや、キリスト教や中国古典においてをや、である。私の理解不足のせいかもしれないが、U理論においては、他者は私という部分が宇宙という全体を獲得するための”触媒”にすぎない印象を受ける。というのも、個人の中に全体が内包されているのであれば、理論的には、他者の力を借りなくても、個人が直接的に全体を認識することが可能であるからだ。もちろん、U理論の実践者は、「他者がいるからこそ、『Uプロセス』を加速できる」と反論するに違いない。だが、他者がUプロセスを加速させるだけの存在であれば、まさしく化学反応における”触媒”そのものである。

 U理論の構築に大きく貢献した一人であるジョセフ・ジャウォースキーは、旅先で動物を見ながら宇宙を体感する経験をしたことを著書の中で述べている。つまり、宇宙を悟るのに他者は必ずしも必要ではない(もっとも、その動物の中にも全体が包摂されており、ジャウォースキーが全体を見るためには動物の存在が不可欠であった、という解釈もできるのかもしれないが)。

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
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 非常に乱暴な言い方かもしれないが、U理論の実践の場に集まった人たちは、各々が自分の中に確かに存在するはずの根源的な宇宙を探り当てるため、お互いを利用し合っている。そこには、相手を道具的存在とみなす優越感がはたらいている。そして、めでたく全体に到達できた者は、それができなかった者と違い、唯一無二の宇宙から選ばれた者であるという選民意識を抱くことになる。これが果たして新しいリーダーシップの姿なのだろうか?

 日本のリーダーシップ観は、これとはかなり異なる。多神(仏)教である日本においては、絶対的な存在というものを認めない。つまり、絶対的な解というものは存在しない。我々の心の中には、様々な神や仏が宿っている。私に宿っている神は、あなたに宿っている神と異なるかもしれない。いや、異なることの方が普通である。だから、絶対的な解(それはビジョンと呼ばれ、強烈なビジョンを持ったリーダーにはカリスマ性があると言われる)を引っさげて、人々に追従を強要するようなリーダーシップは日本では成立しない。たとえ、誰かが何か素晴らしい解を思いついたとしても、それは”当座”の解にすぎない。

 カリスマ性のあるリーダーは、宇宙のお墨つきをもらっているから力強く、自信に満ち溢れている。これに対して、当座の解しか持たない日本のリーダーは、どこかおどおどしている。日本のリーダーが当座の解の質を高め、人々の支持を得るための方法はただ1つ、人々の間に分け入って、対話を重ねることである。簡単に言えば、「私はこう思うが、あなたはどう思うか?」という問いを多方面に投げかけることである。日本のリーダーが、しばしばきょろきょろしている、相手のご機嫌をうかがっているように見えるのはそのためである。

 日本のリーダーは、自分の心の中にある神仏を相手の前に提示し、相手の心の中から神仏を表出させる。そして、神仏同士の対話を通じて、当座の解をちょっとだけ改善させる。その後、また別の人に対して自分の神仏を提示し、相手の神仏と対話させて、当座の解をまたちょっとだけ修正する。この繰り返しである。

 カリスマリーダーについては、リーダーとフォロワーが厳格に分かれる。リーダーのビジョンは絶対的な根拠を持っているから、リーダーに意見することは慎まれる。これに対し、日本型リーダーでは、リーダーが人々の方に近づいていくから、メンバーとの距離が非常に近い。また、神仏の対話の場面では、お互いの神仏の間に上下、貴賤の関係がないため、時にリーダーとフォロワーが入れ替わる。いや、リーダーとフォロワーという区分さえないのかもしれない。カリスマ型のリーダーシップは個人に宿るのに対し、日本型のリーダーシップは集団に宿る。

 日本型リーダーの場合、リーダーがどんなに対話を重ねても、当座の解が絶対的な解になることはない。なぜならば、唯一無二の絶対的な解というものを宗教的に否定しているからである。かりそめの方向性で満足しながら、少しずつ変化をしていくのが日本人である。そして、いつもきょろきょろしながら、それでも昨日よりは今日、今日よりは明日といった具合に、よい方向へと向かっていくことを「道」と呼ぶ。道とは、ゴールなき変化である。

 安岡正篤は、『論語』の「子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ」という一文について、「『人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ』と解釈した方が、もっと切実に感じられる」と述べている(以前の記事「安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ」を参照)。己を知るとは、天を知ることであり、それが不十分であることを孔子は嘆いているのだ、というのが安岡の解釈である。これは、中国古典における天と個人の関係からすれば、非常に納得感がある。

 だが、日本的価値観から解釈するならば、この一文は原文のまま理解した方がよい。つまり、「私が他人のことをまだ十分に理解していないことが問題だ」というわけである。中国各地を歩き回り、多くの人に教えを説いた孔子であるが、その教えは未だ完成していない。なぜならば、孔子の思想は、他者の中にある様々な天によって試され、批判され、修正されることが足りていないからだ。だから、もっと人々の中に深く入り込んで、他者のことを理解しなければならない。私はそういう決意の一文であると解釈する。

2013年12月24日

安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ

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論語に学ぶ (PHP文庫)論語に学ぶ (PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2002-10

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 陽明学者・安岡正篤が『論語』の読み方を解りやすく解説した一冊。通り一遍の解釈なら今やWebでも調べられる時代だから、安岡流の独自の解釈が施されている部分をまとめてみた。
 子曰く、民は之を由(よ)らしむべし。之を知らしむべからず。(泰伯)
 《よくある誤解》
 「民衆というのは、服従させておけばよいのであって、知らせてはいけない。知恵をつけてはいけない」と誤解されることが多い。そして、孔子はおよそ非民主的な人間で、封建制度の代弁者に過ぎないという、余計な注釈までついていることがある。

 《安岡流の解釈》
 「民は之を由らしむべし」とは、先ずもって民衆を信頼させよ、政治というもの、政治家というものは何よりも民衆の信頼が第一だという意味であり、この場合の「べし」は「・・・せしめよ」という命令のべしである。また、「之を知らしむべからず」の「べし」は。可能・不可能のべしで、知らせることはできない、理解させることは難しい、という意味である。

 民衆というものはみな、自己自身の欲望だの、目先の利害などにとらわれて、本質的なことや遠大なことは解らない。個々の利害を離れた全体というようなことは考えない。したがって、それを理解させることはほとんど不可能に近い。できるだけ理解させるようにしなければならないことは言うまでもないけれども、それはできない相談である。

 そこで、とりあえず民衆が、何だかよく解らぬけれども、あの人の言うことだから間違いなかろう、自分はあの人を信頼してついて行くのだというふうに持っていくのが政治である。この一文は、政治家に与えられた教訓であって、決して民衆に加えた批評ではない。

 孟武伯孝を問ふ。子曰く、父母は唯(た)だ其の疾を之憂ふ。(為政)
 《通常の解釈》
 孟武伯が孝とはどういうことですかと尋ねたところ、孔子がいうには、「父母はただ子どもの病気のことだけを心配する」 だから、子どもは自分が病気にならないように注意しなければならない、という意味である。あるいは、「父母は唯だ其の疾を之れ憂へしめよ」と読むこともある。この場合、「父母には病気のことだけで心配をかけよ」、つまり子どもはやむを得ず病気になることはあっても、それ以外のことで心配をかけてはならない、という意味になる。

 《安岡流の解釈》
 孟武伯ともあろうような堂々たる人間に対する答えとしては、少々幼稚すぎる。随分色々な注を読んでみたが、どうもしっくりするものがない。ところが、『呂氏春秋』の注を見ると、「疾」は「争ふ」に同じとある。近頃の子どもは、ことあるごとに反抗して、親の言うことを素直に聞かないので、随分悩んでおられる方が多い。疾を憂うとはそのことを言っている。つまり、親子の断絶を憂うるのである。これなら孝の答えにぴったりである。

 子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ。(学而)
 《通常の解釈》
 孔子先生がおっしゃった。「他人が自分を知ってくれないということはどうでもよい。そもそも自分が他人を知らないことが問題である」と。優れた思想を持ちながら、なかなか世の政治家に用いられることがない孔子に向かって弟子が心中を尋ねたところ、このような答えが返ってきたという。つまり、政治家に自分の評判が及んでいないことが問題なのではなく、自分の修練がまだまだ足りないことが問題なのだ、という謙遜の答えである。

 《安岡流の解釈》
 もっと突っ込んで考えると、「人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ」と解釈した方が、もっと切実に感じられる。案外人間というものは、自分自身を知らないものである。自分が自分を知らないのだから、人が自分を知らないのは当然である。したがって、問題は、まず己が己を知ることでなければならない、ということになる。

 子曰く、苟(いやしく)も仁に志せば、悪(にく)むこと無きなり。(里仁)
 《通常の解釈》
 普通は悪むをあしきと読んで、いやしくも仁を志せば、悪いことはなくなる、という解釈になる。

 《安岡流の解釈》
 悪むは退ける、拒否するの意味であり、「仁に志せば、人の言うことをあれもいけない、これもいけない、というふうに退けることをしなくなる」と解釈する方がよい。仁は色々な意味に用いられているが、最もよく『論語』に出てくるのは、天地が万物を生成化育するように、我々が事物に対して、どこまでもよくあれかしと祈る温かい心、尽くす心を指す場合である。したがって、仁に志すようになれば、何事によらずそのものと一つになって、それを育てていく気持ちが起こってくる。

 斉の景公、孔子を待って曰く、季氏の若(ごと)きは則ち吾れ能はず、季孟の間を以て之を待せん。曰く、吾れ老いたり、用うること能はざるなり。孔子行(さ)る。(微子)
 《通常の解釈》
 斉の景公が孔子を待遇するのに、「魯の国の三卿の中でも貴い上卿の季氏と同じような待遇はできないが、季氏と下卿の孟氏との中間の待遇をいたしましょう」と言った。そして、「私ももう年を取った。到底あなたを用いることはできない」と言ったので、孔子は斉を去った(いかにも待遇が不満で、孔子が去ったかのような解釈である)。

 《安岡流の解釈》
 当時、景公を補佐した人に、晏子という名宰相がいる。晏子が孔子を用いることにあまり賛成ではなかったため、景公もその心を察して、孔子を尊敬しているけれども、それほど立ち入って話をしなくなった。それで孔子も諦めて、斉を去ったと推定される。

 だが、もう少しよく考えると、晏子という人は己の利益などを考えて反対するような人ではない。いつの時代でもそうだが、人を用いようとする場合には、必ず反対者がいる。斉においても、もちろん反対者がいたに違いない。そういう連中が、晏子が孔子を用いるのに進んで賛成ではないのを知って、それを利用して、いかにも晏子が孔子を排斥したようにしてしまった、というのが真相であろうと思われる。そのあたりの事情は、『晏子春秋』からうかがい知ることができる。

 子曰く、甯武子、邦(くに)に道有れば則ち知、邦に道無ければ則ち愚。其の知及ぶべきなり、其の愚及ぶべからざるなり。(公冶長)
 《よくある誤解》
 甯武子は春秋初期の人で、衛の国の大夫である。現代語に訳すと、「甯武子は、国に道がある時は智を発揮し、国に道がない時は愚になった。その智は真似することができるが、その愚は到底真似ることができない」となるが、これを「その馬鹿さ加減が話にならない」と解して、甯武子に対する批判だととらえているケースが見られる。

 《安岡流の解釈》
 これは讃嘆の言葉である。「邦に道無ければ則ち愚」は、「国家が乱れている時こそ愚直であるべきだ」と解釈するのがふさわしい。知―頭がよい、気が利くということは五十歩百歩で、真似できないことはない、学んで至り得ぬことではない。けれども、人間というものは、なかなか愚―馬鹿にはなれぬものである。甯武子は、人が真似できない馬鹿になれた人だというわけだ。

 「馬鹿殿」という言葉は、本来は賛辞である。殿様は、内には世話の焼ける領民と大勢の厄介な家来を抱え、外には幕府という絶対権力者を戴いて、一日として心の休まる時がない。下手をすると、いつ取り潰されるか解らない。そういう内外の苦境の中にあって、殿様としてやっていくには、利口になってはいけない。解っても解らぬような顔をして、馬鹿にならないと務まらない。

 子貢、問うて曰く、賜(し)や何如(いかん)。子曰く、女(なんじ)は器なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚連(これん)なり。(公冶長)
 《一般的な解釈》
 子貢がこう言って尋ねた。「賜、つまり私などはどうでしょうか」、「お前は器だ」、「何の器ですか」、「国家の大事な祭祀に用いる立派な器だ(国家の大事な仕事に従事させることのできる立派な人物だとの意)」

 《安岡流の解釈》
 子貢は他人の批評をするのが好きな人物であったから、自分の評価も気になるわけだ。本文では子貢がたいそう褒められているように見えるが、実は、未だ至らざることに対して孔子が戒めている。器は用途によって限定されている。瑚連であろうが、茶碗であろうが、またそれがいかに立派であろうが、便利であろうが、どこまでも器であって、無限ではなく、自由ではない。

 これに対して道は、無限性、自由性を持っている。したがって、道に達した人は、何に使うという限定がない。非常に自由自在で、何でもできる。こういう人を道人と言う。本文は、子貢は立派な器であるが、まだ道には達していない、ということを孔子が言っているわけだ。

2013年11月12日

安岡正篤『運命を創る(人間学講話)』―私は、社会が私を発見してくれるのを待っている

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運命を創る (人間学講話)運命を創る (人間学講話)
安岡 正篤

プレジデント社 1985-11

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 (前回の続き)

 『陰隲録』の「袁了凡の教え」は、要するに「他人の意見ばかりに従うのではなく、自分の基軸をしっかりと持って、自分で運命を切り開け」ということだろう。だが、私は敢えてその逆を提案したい。つまり、「自分の軸ばかりにこだわらず、時には他人の言う通りにしてみよ」ということだ。

 私も少し前までは、雲谷禅師のような考え方の持ち主であった。人生に関わる重要な事柄は、他人に左右されず、自分自身で決定したいと思っていた。前職の会社には、ビジネスパーソンの「自立度」を測定する診断サービスがあって、私のようなタイプが高く評価されるアルゴリズムになっていた。ところが、以前の記事「「重要な意思決定を自分自身で下すとたいてい失敗する」という私的パラドクス」で書いたように、私はどうも自分の力を過信していたような気がする。

 私は昨年の8月からしばらく旧ブログ(マネジメント・フロンティア~終わりなき旅~)を休止していたのだが、実はちょっと体調を崩していた。会社勤めであれば、誰かが代理で仕事をしてくれるけれども、一人で仕事をしていると、仕事を代わってもらうことができない。そのため、体調を崩したことで、当時手がけていた仕事の大半を失ってしまった。体調が回復した後も、年末までは開店休業状態であった。だが、そのおかげと言っては何だが、自分のこれまでの人生をじっくり振り返る時間を持つことができた。その時に到達した結論が、先ほどの記事の内容である。

 新年を迎えて今年の目標を考えていた時、「今年はいっそ、他人に振り回されてみよう」と決めた。中小企業診断士としての売上目標を漠然と立てただけで、具体的なアクションプランも、営業活動の方針も決めなかった。まず新年会で、昔研修でお世話になった大先輩の診断士に、「皆さんは中小企業診断士としてどうやって生計を立てているのですか?」と聞いてみた(今振り返ると、随分と失礼な質問だが・・・)。するとその先生は、「まずは区や商工会議所などの公的機関で、窓口相談などの仕事を週数日行うとよい。公的機関の仕事は単価が安いが、安定的な収入源になる。それをベースとして、顧問契約を徐々に獲得していくとよい」と言われた。

 とはいえ、公的機関の人と直接のコネがあるわけではないので、数か月は仕事にならず、そのまま春になってしまった。ある日、診断士の会合があって、開始時間よりも30分ほど早く会場に着いた私は、近くのカフェで読書をして時間をつぶしていた。すると、そこに偶然、新年会で知り合った先生がひょっこり姿を現した。その先生から、「今度、ある区で中小企業の経営実態調査がある。確か谷藤先生は、名刺交換の際に『ITに詳しい』とおっしゃっていたと記憶している。そこで、効率的なアンケートの集計・分析方法についてアドバイスしてほしい」と言われ、プロジェクトチームに入れていただけることになった。これで区からの仕事を1つ受注することができた。

 区役所で初回の打合せを終えた後、プロジェクトに参画していた別の先生が、「ちょっとお願いしたいことがある」と声をかけてきた。「私の知っている中小企業で、補助金を申請しようとしている企業がある。だが、補助金を受けるのが初めてで、社長が書類作成まで手が回らないので、手伝ってもらえないか?」とのことだった。私は先生に連れられるがままにその社長を訪問し、その流れで補助金申請を支援させていただくことになった。

 補助金を申請するにあたっては、購入する原材料や機械の見積書などを取得し、申請額の根拠として添付しなければならない。この企業はいかにも下町らしい中小企業で、未だに手書きの見積書をFAXでやりとりしていた。私が申請書を完成させるためには、社長から見積書などをFAXで送ってもらう必要がある。ところが、当時私の自宅兼事務所には、電話回線こそ引いていたものの、電話機を設置していなかった。そこで慌てて、FAX機能つき電話機を購入した。

 メールでのやり取りにすっかり慣れ切っていた私は、FAXでの書類のやりとりに苦労したが、何とか無事に申請書を提出することができた。それからほどなくして、プロジェクトとは全く無関係の先生が、自宅に電話を入れてきた。補助金を申請する側ではなく、今度は補助金事業を運営する事務局のスタッフとして、週3日ほど公的機関で仕事をしてくれないか、という相談であった。年始に大先輩の先生がおっしゃっていた通り、これで固定の収入を得ることができた。

 その先生は私の携帯電話番号をご存じのはずなのに、なぜ自宅に電話してきたのかと後日尋ねてみた。すると、「携帯電話で番号を調べるのは面倒くさい。それよりも、診断士の連絡先リストをWebシステムから出力させた方が早い。その連絡先に載っていたのが自宅の電話番号だった」という返答であった。確かに、私は数年前に診断士のDBに情報を登録した際、携帯電話の番号を登録するのは個人事業主としてカッコ悪いという理由で、体裁を取り繕うためだけに、使いもしない自宅の電話番号を登録していた。それがここに来て役立つとは思わなかった。

 補助金申請のお手伝いをしていなければ、私はFAX機能つき電話機を買っていなかった。電話機がなければ、補助金事業の事務局の仕事は間違いなく逃していた。もっと言えば、区の中小企業経営実態調査の仕事をしていなければ、補助金申請のお手伝いの話もなかった。さらに遡れば、診断士の会合の日、始まりより30分前に会場に着いてカフェに入っていなければ、区の中小企業経営実態調査の仕事も受注できなかった。加えて、今年の頭に大先輩の先生から「公的機関の仕事を受けるとよい」と言われていなければ、公的機関の仕事を積極的に受けようという気持ちにはなっていなかった。運と人脈だけでうまく行くこともあるのだと感じた。

 もちろん、私は自分の軸を完全に捨てたわけではない。旧ブログの記事「「日本らしい経営」を探求する必要性~創業1周年に寄せて」で書いたように、日本的価値観に立脚した経営というものを明らかにしたいという思いは強くなっており、日本人の精神的源流である『四書五経』もっと深く学びたいと思っている。また、成人学習(アダルト・ラーニング)を軸に「創発的戦略(ヘンリー・ミンツバーグ)」や「組織学習(クリス・アージリス)」を解釈し直し、ビジョンや戦略策定の新しいアプローチを生み出したいというのも私の願いである。

 だが、私が誰であるかを決めるのは私であると同時に、私を取り巻く社会である。私がどんなに「自分はこういう人間だ」と主張しても、社会がそれを必要としていないのならば、無価値である。私が望む私と、社会が要請する私がせめぎ合うところに、私のアイデンティティは成立する。私は今まで、前者が強すぎた。だから、しばらくは後者に依存してみようと思う。しばらくは社会の流れに身をゆだねてみたい。ひょっとしたら、社会が思わぬ形で私を発見してくれるかもしれない。

 私は旧ブログの2本の記事で、入社後3年目ぐらいまでは外部環境に身を委ね、4年目ぐらいからは徐々に内発的動機(特に「使命感」)を育てていかなければならないと書いた(「入社後3年目までのキャリア開発-仕事の仕組みを知り、自分の得手・不得手を見極める」、「入社後4年目からのキャリア開発-内発的動機を育て、仕事に自分色を加える」を参照)。しかし、入社後4年目、すなわち20代半ばで内発的動機が定まる人はむしろ稀というか、ややもすると単に身勝手な人なのかもしれないと思い始めた。

 人生はあまりにも長い。かつては半世紀が寿命であったが、今や半世紀働かなければならない時代である。内なる軸を発見するのはもっと先でいいのではないか?まだしばらくの間は、社会の中で漂流していてもいいように思える。私が診断士の資格を取得したのは6年前だが、診断士としての活動を本格化させたのは今年に入ってからである。今は診断士1年生のつもりで、入社1年目の社員と同じように、外部環境の動きに身を任せてみようと思う。


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