2015年05月14日
室谷克実『呆韓論』―韓国の「階級社会」と日本の「階層社会」について
呆韓論 (産経セレクト) 室谷克実 産経新聞出版 2013-12-05 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
日本も韓国も表面的には多段階構造の社会であるが、日本は「階層社会」であるのに対し、韓国は「階級社会」である。この差は大きい。李王朝は、「両班(ヤンバン、貴族)―中人(チュンイン)―常民(サンミン)―奴婢(ノヒ)―白丁(ペクチョン、被差別民)」という厳格な世襲身分制度の国であった(ちなみに、奴婢が両班たちの食べ残しを雑穀飯の上に広げ、かき混ぜて食べたものがビビンバだそうだ)。最上位の両班も、将来が保障されているわけではなかった。科挙に合格して運がよければ(実際には多額の賄賂を使えば)、官職に就くことができた。
このような身分制度がなくなったのは、「日帝」の支配のおかげである。誰でも勉強して試験に合格すれば、公務員にも一流企業の社員にもなれるようになった。しかし、長年の身分制度は、今度は学歴崇拝と職業に対する病的な貴賤意識に変貌した。
韓国では、大学を出なければ人間ではないとまで言われる。しかし、大学卒業者でも財閥系大企業の正社員になってエリートコースを歩むことができるのはごく一部だ。両班であっても、科挙に合格して賄賂を使わないと官職に就けない李王朝を想起させる。大企業に入れなかった人は、中小企業や非正規社員に甘んじるしかない。大企業と中小企業や非正規社員との間には、日本以上に格差がある。一度中小企業の社員や非正規社員になると、大企業に転職することは極めて困難である。学歴と最初の就職先が、その人の身分を一生涯固定する。
日本の身分制度と言うと、江戸時代の「士農工商」が思い浮かぶ。しかし、近世の研究が進むにつれて、士農工商という明確な区別は存在しなかったことが明らかになっている(よって、最近の歴史教科書からは士農工商という言葉が消えている)。武士は上位に置かれていたが、意外と身分の壁は低く、お金を払うと武士の身分を買うことができた。また、鎌倉時代の武士たちが農業を生業にしていたことから、「帰農」=武士が農民になることは恥ではなかった。
江戸時代中期頃になると、貨幣経済や産業の発達によって、商人が政治経済の大きな影響力を持ち始めた。その結果、大名貸のように武士が経済的に商人に依存するようになった。このため、商人の中には扶持米や士分など、武士身分並みの待遇が与えられる者もいた。また、農民の生業は農業に限られず、海運業や手工業などによって財を成した者も多くいた。このように、士農工商は単なる職業の区分にすぎず、かつ職業間を移動することも可能であった。
階級社会では、最初に属した階級が全てであり、下位の階級は上位の階級に絶対に服従しなければならない。もし階級を移動したければ、上位の階級を武力などによって打倒するしかない。一方、階層社会では階層の区別は厳密ではなく、階層間の対立も緩やかである。しかも、下位の階層は上位の階層の影響力を受けることで、かえって自由に振る舞うことができる。江戸時代に士農工商という身分制度があるとされたのは、戦後の歴史研究や歴史教育が、階級闘争を基本とするマルクス主義の影響を受けたためと思われる。
(以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人」、「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?」を参照)。
それにしても、執拗なまでに韓国が日本の歴史問題を攻撃し、領土的野心をむき出しにするのはなぜだろうか?中国の領土的野心には、例えばシーレーンを確保する、太平洋に進出する、尖閣諸島付近に眠る大量の天然資源を獲得するなどといった明確な利害が見える。しかし、島根県民には悪いが、竹島が韓国の領土になったところで、韓国にはそれほど旨みがないはずだ(天然資源はそれなりの量があるようだが)。
おそらく、韓国は慰安婦問題で巨額の賠償金がほしいのだろう。裏を返せば、現在の韓国経済は相当逼迫している。何しろ、韓国経済は10大財閥がGDPの7割以上を占めており、サムスンと現代自動車だけでGDPの約3割を占める歪な構造であり、富が偏在している。しかも、輸出依存度(GDPに対する輸出額の割合)が43.4%と非常に高い(日本は11.4%)。そのため、ウォン高が発生すると韓国経済は壊滅的なダメージを受ける。2012年から2015年にかけて、ウォンは対円で50%以上安くなっており、政財界は気が気でないはずだ。
韓国が慰安婦問題だけを取り上げて「謝罪して賠償金を支払え」と要求しても、日本が「嫌だ」と突っぱねたら終わりである。そこで、竹島問題という別のカードを加える。すると、日本は「竹島は譲れないが、代わりに慰安婦問題では譲歩する」という態度になるかもしれない。あわよくば日本がそういう回答をしてくれたら、韓国としては儲けものなのである。外交とは、手持ちのカードが多い方が有利に立ててるゲームである。
《2015年5月18日追記》
日本が階級社会ではなく階層社会であるという点については、異論もたくさんあるだろう。日本の所得格差は急激に拡大し、さらにその格差が固定化しつつあると言われる。かつて、「下流社会」というタイトルの本がベストセラーにもなった。職場に目を向けると、政府が女性活用に躍起になっている裏で、女性に対する見えない差別は今でも存在する。また、つい先日は、「日本で進む「教育格差」 中学3年生で九九を勉強…家庭環境も影響か」という記事も出た。
それでも私が階層社会にこだわるのは、自分のこれまでの人生が影響しているのかもしれない。私の実家は決して裕福ではなかった。父親の手取りは20万円台であった。父親は家を持つことも借りることもできず、母親の実家を間借りしていた。それでも私は頑張って勉強して、旧帝大に入ることができた。私は他の受験生と違い、予備校に通っていない。私が高校3年生の時に使ったのは、Z会の年会費約10万円と、参考書や問題集の代金ぐらいである。こういう経験があるので、私は努力すれば収入格差を乗り越え、教育格差を克服できると思っている。
ただし、上に上るのも簡単ならば、下に下りるのもまた簡単なのが階層社会である。大学卒業後、私は外資系コンサルファームの子会社に就職した。給与は平均よりも高かった。だが、私はその企業を1年あまりで退職してしまった。その後しばらくは、中小企業診断士の勉強をしながら、赤貧の生活を送った。夏場は部屋のクーラーを使うのももったいないので、近所の図書館を使った。しかし、公営の施設というのは、ホームレスが日中の暑さしのぎのためにたむろする。私はそういう異質な空間で勉強しながら、早くこんな環境から脱出したいと願ったものだ。
試験に合格した後、私はベンチャーのコンサルティング・教育研修会社に転職した。在籍した約5年半の間にとんでもない目に遭ったことは、【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓でさんざん書いたので、ここでは省略する。前職の会社で私の人生は上向くどころか、さらに下降してしまった。その影響もあってか、会社員という職業からは当面距離を置きたいと思うようになった。こうなると、自分で事業を興すしかない。現在は中小企業診断士として独立し、個人事業ながらも経営者という立場にある。下の下まで下がってしまった階層を、再び上へと上りつつある感じだ(《2018年9月3日追記》そしてその階層を、再び下へと転がり出しているのが現状である。「【中小企業診断士】私が独立診断士として失敗した5つの原因」を参照)。
もちろん、人為的に階層が少ないことをよしとするアメリカとは違い、日本は自然発生的な多重階層構造を受け入れている社会である。よって、アメリカ人のように極端に階層が上下することはない。日本人は、多重階層の間をちょっとずつ上下するにとどまる。これまで述べてきた私自身の階層間の移動も、文章で書けば大げさに見えるものの、客観的に見れば些細なものにすぎない。アメリカのキリスト教においては、神に認められた者ははるか上の階層に上る一方で、神に認められなかった者は奈落の底に突き落とされる。こういうジャッジがハッキリしている。
ところが、日本の場合、不完全な八百万の神が創造した不完全な人間は、人によってその不完全さの程度がバラバラである。だから、欧米の啓蒙主義者が信じるような平等はない。不完全さの裏返しとしての強みの程度に応じて、多重階層社会のどこかに配置される。その人がそのまま一生その階層に固定されるのであれば、それは階級社会である。しかし、日本においては、本人が不完全さを克服しようと努力すれば、階層間を少しだけ移動する自由を有している。だから、日本は階級社会ではなく階層社会なのである。
階級社会、階級社会と繰り返す人は、階級が”ある”ことにしておきたい何らかの理由があるのだろう。階級格差は打破されるべきだから、階級闘争は避けられないという、マルクス的な理論を展開したいに違いない。しかし、階級闘争によって上の階級が打倒されても、打倒した階級が支配層となり、新たに被支配層となる階級が生まれて、別の階級闘争を生むだけではないかと思う。つまり、左派の理論は永遠に闘争を続けなければならない、血みどろのモデルなのだ。私はそんな社会は嫌である。階層間を自由に移動できるモデルにこそ希望を見出したい。
《2015年5月21日追記》
エッソ石油とシティバンクの2社で経営に携わった経験を持つ八城政基氏の著書『日本の経営 アメリカの経営』を読んでいたら、アメリカの元国務長官で政治学者のヘンリー・キッシンジャーの言葉が紹介されていた。
「日本人は、相手に対して、同じ立場で付き合うことがとても下手だな。日本人は、常に相手を見下すか、あるいは劣等感を持って相手を見上げるかのどちらかだ。同じ立場で話をし、同じ立場で付き合うことが非常に下手なのではないか。おまえ、どう思うか」日本では階層間の縦の関係が重視されていることがよく解る言葉である。もっとも、キッシンジャーは有名な”日本嫌い”なので、日本の縦社会を正面から非難したわけだが・・・。
日本の経営 アメリカの経営 (日経ビジネス人文庫) 八城 政基 日本経済新聞社 2000-11-07 Amazonで詳しく見る by G-Tools |