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『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。
『正論』2018年1月号『非礼国家 韓国の自壊/「立憲民主」という虚構』―日本の左翼の欺瞞

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月05日

『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。


致知2018年2月号活機応変 致知2018年2月号

致知出版社 2018-02


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 2005年5月にブログを始めて約13年、経営やマネジメントについてはそれなりのことが書けるようになったと思うのだが、政治、社会、宗教のこととなるとまだまだからっきしダメである。それでも書かなければ上達しないので、今回も未熟な内容だが政治の記事に挑戦したいと思う。

 江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜と言うと、「政権を投げ出した」、「戦いを放棄して江戸に逃げ帰った」、「決断力や責任感が薄い」、「変わり身が早い」、「意志薄弱な最高司令者」などという評価がつきまとうが、水戸史学会会長・宮田正彦氏の「最後の将軍 徳川慶喜の決断」という記事には次のように書かれている。まず、大政奉還については、
 慶喜は、このまま幕府と倒幕派の対立が激化すれば、国内が分裂し、西洋列強の介入の危機を招いてしまう。だから、ここは政権を朝廷にお返しして、聖断を仰ぎ、共に心を合わせ力を尽くしましょうと言っているのです。
 慶喜は、倒幕派(倒幕派の中にも色々あった)と幕府が長期にわたって対立し国内が混乱すると、倒幕派と幕府の双方に西洋列強の諸国がついて、日本国内の動乱に乗じて日本を分割してしまう恐れを感じていたわけである。大政奉還の後、新政府軍と旧幕府軍の間に鳥羽・伏見の戦いが勃発するが、緒戦で幕府軍が敗戦すると、大坂城にいた慶喜は、京都警備の要職にあった会津藩主の松平容保と桑名藩主の松平定敬を手招き、そのまま数名の家来を伴い、軍艦で江戸に帰ってしまった。この慶喜の行動について、宮田氏は次のように分析している。
 慶喜公が江戸に連れ帰った松平容保と定敬は、いわば京都・大坂における軍の大将です。大将がいない軍は動けません。つまり、慶喜公は逃げ出したのではなく、京都・大坂の軍の動きを封じ、これ以上は絶対に戦わない、という明確な意思表明を行ったのです。そして慶喜公の一意恭順の決断の背景には、先に見たような、幕府に人材がいないこと、徹底抗戦すれば深刻な内戦となり、西洋列強に介入の口実を与えてしまうなど、様々な理由があったと思います。
 ここでも、国内対立の早期収束を図り、諸外国による圧力から日本を守ろうとする慶喜の意図が感じられる。一言で言えば、慶喜は「和」を重視したということだ。この「和」の精神が凝縮されているものの1つに「忍術」を挙げることができるというのが、甲賀伴党21代宗師家・川上仁一氏の「忍術の神髄は和の心にあり」という記事である。
 『秘伝書』では、日の丸のような赤い円の中央に「忍」の1字を置いて、忍術の極意を表しますが、丸はリングの輪、平和・調和の和、異質なものが交わる「和える」にも通じます。つまり、和を実現するには、できるだけ争わず、お互いに忍耐して仲よくすることが大事だということです。
 日本人には、古来から和を尊ぶ精神性や、争いを避けムラの平和を維持する知恵がずっと蓄積されており、それが「総合生存技術」にまで高められたのが忍術なのである。『致知』2018年1月号に、刀匠・松田次泰氏の記事(「一筋の道を極める生き方」)があったが、日本の国宝約1,100点のうち約1割は刀であり、その大半は刃こぼれしていない、つまり使われていないのだそうだ。ここにも日本人の戦わない精神、「和」の精神が現れていると思う。

致知2018年1月号仕事と人生 致知2018年1月号

致知出版社 2018-01


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 「和」の精神の例外として、私は戦国時代と太平洋戦争の2つを挙げたいと思う。戦国時代は、1467年から1477年までの約11年間にかけて京都を混乱に陥れた応仁の乱の結果として到来した時代である。日本全土には戦国大名が群雄割拠し、熾烈な勢力争いを繰り広げた。当時、西洋からはキリスト教が伝来し、九州を中心にキリシタン大名も登場した。宣教師の目的は、単に日本にキリスト教を布教させるだけでなく、それを通じて日本人を精神的に支配し、日本を植民地支配下に置こうとするものであった。つまり、戦国時代とは、日本がその混乱の隙を突かれて、西洋列強によって分割統治される危険性が高まった時代である。奇跡的に、キリスト教は勢力を封じられ、戦国大名の対立は安定した徳川幕府の誕生によって終息したわけだが、この奇跡のメカニズムは今後もっと掘り下げて探究したいテーマの1つである。

 一方、「和」の精神が発揮できず深刻な被害を出したのが太平洋戦争である。太平洋戦争においては、アメリカとの戦争を優先したい海軍と、中国・東南アジアでの戦いを優先したい陸軍の対立によって、日本は両面戦争を強いられた。やや余談になるが、「和」を重んじる日本人は、伝統的に決戦を短期間(数日~数か月)で終わらせる傾向があった。そのため、戦いに必要な物資は現地調達するのが一般的であった。逆に言えば、兵站という考え方が発達しなかったので、戦争が長期化した太平洋戦争では兵站が機能せず、インパール作戦などで多大な犠牲者を出すことになった。両面戦争によって敵を増やしてしまった日本は、戦後はドイツのように分割統治されてもおかしくなかった。だが、ここでも奇跡的に日本は分割統治されず、いわゆる国体が維持された。この辺りの外交プロセスも、一体どうなっていたのか勉強したいと思っている。

 私は本ブログでしばしば、大国は二項対立的な発想をすると書いてきた。大国は常に敵を必要としており、その敵国と二項対立の関係になる。現代は、アメリカ・ドイツという自由主義国家と、ロシア・中国という独裁的国家が二項対立の関係にある。ただ、大国は、敵国とまともに正面衝突すると破滅的な結果をもたらすことを知っているため、大国同士の対立を小国に代理させる。具体的な方法としては、1つには双方の大国の同盟国となっている小国同士を対立させるケース(例:北朝鮮対韓国)があり、もう1つには国内が分裂している小国に内政介入するケース(例:シリア)がある。小国にとっては、いかに大国同士の対立に巻き込まれないようにするかがポイントとなる。特に、争いを嫌い、「和」を重んじる日本にとっては重要な課題である。

 「和」を重んじるというのは、換言すると「情理が論理を超える」ということである。RIETI・岩本晃一氏の「個人では超優秀な日本人が、企業体になるとなぜ世界に負けるのか;日本企業の極めて低い生産性の背景に何があるのか」という記事に興味深い記述があった。
 日本人もドイツ人も、考えることはほとんど大差はない。だが、ドイツ人は成果を出すまで最後までやり遂げる、という点が違う。ドイツ人は理論どおりにやれば、理論どおりの成果が出る筈だと「真面目」「愚直」に実行し、そして理論どおりの成果を出している。一方、日本人は、「確かにそれが正論かもしれないが現実には難しい」という意見が「現実をわかっているやつだ」と評価されて会議を通ったり、新しいプロジェクトには熱心だが、一旦プロジェクトが開始すると多くの人が関心を無くしてうやむやになり、やがて次の新しいプロジェクトに熱中するという現象がよく見られる。例えれば、「子供のサッカー」に見える。みんなでボールを追いかけているのだ。(※太字下線は筆者)
 近年の日本には、世論を二分するような政治的課題が多い。2年前には天皇陛下の生前退位が問題となった。皇室典範に摂政の規定が置かれているにもかかわらず生前退位を認めるならば皇室典範を改正しなければならず、それをせずに生前退位を認めることは皇室典範を空文化し、さらに皇室典範に言及している憲法の規定をもないがしろにすることになりかねない。だから、論理的に考えれば皇室典範を改正するか、もしその法改正作業が大変だというのであれば別の恒久法を立てるかのどちらかしか考えられない。ところが、実際に選択されたのは特措法の制定という一時しのぎの策であった。論理よりも情理が優先した結果である。

 天皇陛下の生前退位を認めるか否かという問題は、直ちに諸外国の介入を招くような類のものではないが、憲法、核、沖縄の基地問題は、下手をすると外国、特に中国の介入を招く可能性がある。昨年の衆議院議員総選挙で改憲勢力が3分の2以上を占めたが、NHKの世論調査を見て私は驚いた。2017年の世論調査によると、憲法を「改正する必要があると思う」は43%、「改正する必要はないと思う」は34%でかなり拮抗しているのである。しかも、「改正する必要があると思う」は、2002年の世論調査から15ポイントもマイナスとなっている。

 安倍総理は、公約で掲げた憲法改正を今年中に行うだろう。最大の焦点は9条であるが、以前の記事「『正論』2018年1月号『非礼国家 韓国の自壊/「立憲民主」という虚構』―日本の左翼の欺瞞」で書いたように、論理的に考えれば、現在の2項を削って代わりに自衛隊のことを書き込むのが筋である。だが、これだと平和主義が崩れると言って反対する国民が多数出ることが想定される。中国も2項削除には強く反発するだろう。すると、2項削除反対派が親中派になびく。中国にとっては、日本の左派を活性化させる絶好のチャンスとなる。日本は親米派と親中派で引き裂かれる。国内分裂を防ぐという意味では、結局のところ現在の憲法解釈で認められている自衛隊の存在を明文上で追認するという9条3項加憲案が無難なのかもしれない。

 ただ、そうは言っても、現在の専守防衛、すなわち「相手から武力攻撃を受けた時初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」というのでは、緊迫する東アジア情勢を乗り切れない恐れがある。よって、「相手の武力攻撃を思いとどまらせる程度の攻撃」を認める憲法解釈のロジックを構築する必要はあると思う。2項の「交戦権の禁止」との関係でこれをどのように認めるか、相当頭を使わなければならない(神学的論争に発展するリスクはあるが)。

 北朝鮮の核に対しては、日本も核を持つべきだという意見が右派を中心に見られる。日本が核を保有して東アジアに核の傘を提供せよという過激な主張もある。一方、穏健な提案としては、NATOの核シェアリングのような仕組みを日本に導入するというものもある。アメリカは、かつては絶対に日本に核を持たせないという立場であったが、近年は軟化している。論理的に考えれば、核の脅威に対しては核で対抗するのがベストである。お互いの核の脅威がどうしようもなく高まり、このままでは惨劇がもたらされるという段階に至って初めて、両国間で対話がスタートし、核軍縮に向けた取り組みが始まる。これは冷戦時代に米ソが経験したことであり、また、ソ連の核に対してドイツを中心とするNATOがNPT条約を成立させた手順でもある。

 だが、唯一の被爆国(しかも2回被爆した)である日本が核を保有するとなれば、国民から凄まじい抵抗を食らうと容易に予想できる。そして、先の憲法改正の時と同じように、中国が核反対派を取り込もうと猛烈な働きかけをしてくるに違いない。だから、日本人の情理として、核を保有するのは不可能である。とはいえ、北朝鮮の核の脅威に対して無防備でいるわけにもいかない。日本は迎撃ミサイルシステムを充実させるべきだし、永世中立国であるスイスに倣って、公共の場に十分な数の核シェルターを用意する必要がある。

 憲法、核に関してはまだ国民の分裂が顕在化していないが、沖縄の基地をめぐっては既に分裂の様相を呈している。沖縄県民は「オール沖縄」というスローガンの下、辺野古移設に反対し、さらに国土面積のわずか0.6%にすぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約74%が集中しているのはおかしいとして、沖縄県から全ての米軍基地を追い出すことを目標にしている。そのバックには中国がついており、辺野古移設に反対する運動家に対して資金援助をしているという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。最近では、沖縄は本土とは独自の文化を持つ独自の民族であると言い出して、沖縄独立論なるものすら登場している。独立した沖縄は琉球時代のように中国の属国となるから、日本としては中国の脅威が一気に増すことになる。

 ここでも、論理的に考えれば、地政学的観点から見て沖縄は中国の太平洋進出を阻止する極めて重要な拠点であるから、沖縄に米軍基地を集中させるのは理に適っている。ところが、沖縄に基地を集中させることで、かえって沖縄が反米・親中に傾いてしまうのでは本末転倒である。よって、ここでも情理を働かせて、沖縄以外の地域を活用しながら中国の軍事的野心を牽制するやり方をそろそろ真面目に検討する時期に来ているように思う。沖縄対本土の対立を長期化させて中国の介入を許し、日本を米中の代理戦争の場にするようなことがあってはならない。

2018年01月23日

『正論』2018年1月号『非礼国家 韓国の自壊/「立憲民主」という虚構』―日本の左翼の欺瞞


正論2018年1月号正論2018年1月号

日本工業新聞社 2017-12-01

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 『孟子』には、大国に挟まれた小国がとるべき戦略ついて書かれた文章がある。
 滕の文公問いて曰く、滕は小国なり。斉・楚に間(はさ)まれり。斉に事(つか)えんか、楚に事えんか。孟子対えて曰く、此の謀(はかりごと)は吾が能く及ぶ所に非ざるなり。已むなくんば則ち一〔法〕あり。斯の池を鑿(うが)ち、斯の城を築き、民と与に之を守り、死を効(いた)すとも民去らずんば則ち是れ可為らん。

 【現代語訳】
 滕の文公がたずねられた。「滕はごく小さな国で、しかも斉と楚の2つの大国の間にはさまっています。〔どちらかに附かないと危いのだが〕、さて斉に附いたらよいものか、楚に附いたらよいものか、自分は迷っている。いったい、どうすればよいのだろう。」孟子はお答えしていわれた。「さあ、どうすればよいのか、私にも分かりかねます。だが、是非にとおっしゃるなら、たった1つだけ〔方法が〕あります。それは、このお城の堀を深くし、城壁を高くし、万一の場合には人民といっしょに籠城して、たとえ命をおとすとも、人民が〔殿様を見捨てて〕逃げだすようなことがなければ、宜しいでありましょう。〔それにはひたすら仁政を施したもうことです。〕」
孟子〈上〉 (岩波文庫)孟子〈上〉 (岩波文庫)
小林 勝人

岩波書店 1968-02-16

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 つまり、小国は徹頭徹尾、専守防衛に徹するべきだというわけである。ところで、『正論』2018年1月号を読んでいたら、恐ろしい事実が書かれていた。
 17年8月と9月に太平洋上に弾道ミサイルを撃ち込んだときの北朝鮮発の宣伝写真も面白い。リリースされた写真の、金正恩の近くの卓上モニターの表示は、ミサイルがどこに落ちたかを西側の報道によって把握した後で、画面を直して合成したものである。北朝鮮は近年のミサイル発射において事前に着弾海面に観測船を出していないので、どこにどう飛んでどう落ちたかは、西側情報を総合するまで、知り得ないのである。
(兵頭二十八「北のミサイル 日本国民はここに備えろ」)
 北朝鮮軍事に無知な私などは、北朝鮮は弾道ミサイルが日本列島を避けるよう、着弾地点を正確にコントロールしているものだと思い込んでいた(中国やロシアから移植した技術を用いれば、それは簡単に実現できるはずである)。ところが、驚くべきことに、北朝鮮は自国が発射した弾道ミサイルがどこに落ちるのか事前に把握していないのだという。ということは、弾道ミサイルが誤って日本列島に落ちる危険性があることを意味する。日本は迎撃態勢を早急に整えるべきだし、以前の記事「『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本」でも書いたように、永世中立国であるスイスに倣って、核シェルターを急いで全国に張り巡らせる必要がある。

 そもそも、日本の防衛の基本方針である「専守防衛」というのも足枷である。日本は、「相手から武力攻撃を受けた時に初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限る」としている。この点について、日本の元陸上自衛官で、第36代東部方面総監を務めた渡部悦和氏は、著書『米中戦争―そのとき日本は』(講談社、2016年)の中で、次のように述べている。
 手足を縛りすぎた、この専守防衛というキャッチフレーズのために、国際的なスタンダードの安全保障議論がいかに阻害されてきたことか。集団的自衛権の議論、他国に脅威を与えない自衛力という議論、長距離攻撃能力(策源地攻撃能力)に関する議論、宇宙の軍事利用に関する議論など、枚挙にいとまがない。例えば、「他国に脅威を与えない自衛力」にこだわれば抑止戦略は成立しない。他国に脅威を与える軍事力があるからこそ、他国の侵略が抑止できるのである。
米中戦争 そのとき日本は (講談社現代新書)米中戦争 そのとき日本は (講談社現代新書)
渡部 悦和

講談社 2016-11-16

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 日本が相手国の攻撃を思いとどまらせるだけの抑止力を持つためには、自衛隊の位置づけを早く憲法上で明らかにしなければならない。安倍首相は9条3項に自衛隊を書き加えるという加憲案を提示しており、公明党もこれを支持している。だが、3項に自衛隊を書き加えた場合、2項(「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」)との関係が問題になる。戦力でない自衛隊とは何なのか、交戦権を持たない自衛隊には何ができるのかをめぐって、またしても神学論的な論争が繰り広げられる恐れがある。かといって、自民党内に根強く残る「国防軍」案も、自衛隊と国防軍との違いは何なのかという別の論争を巻き起こすに違いない。自衛隊が外国(特に中国と北朝鮮)に対して抑止力を持つためには、2項を削除して、新たに2項に自衛隊のことを記述するのがベストだと思う。
 ―共産党は?
 山添:明記すべきではありません。自衛隊を書き込んだ途端に2項は死文化、無意味なものになっていきます。自衛隊に対する縛りがなくなっていく、制限が解かれていくと思います。
 ―自衛隊は先々なくした方がいいというお考えですよね?無くしてからどのようになされたいのですか?
 山添:北東アジアで平和友好関係を構築するということです。攻めてこられなければ、あるいはお互いに威嚇するような関係でなければ、抑止力を持つ必要はないわけです。しかし、それには時間がかかります。まずは自衛隊の海外派遣を可能にする立法を改めるべきです。安保法制は廃止にすべきだし、軍縮を進めていくことも必要です。
(中谷元、細野豪志、山添拓、福島瑞穂、山尾志桜里「あの山尾志桜里センセイが語った憲法論とは・・・」)
 この山添拓議員の発言は意味不明である。確かに、国家間に信頼関係が構築されていれば、抑止力を持つ必要はない。例えば、日本とアメリカの間には日米同盟を基礎とする分厚い信頼関係があるから、日米がお互いに対して抑止力を持つことはない。だが、中国は現に尖閣諸島に対する野心を露わにし、ゆくゆくは沖縄も狙っている。北朝鮮は弾道ミサイルを日本にぶち込んで日本を火の海にしてやると威嚇している。日本と中朝の間には信頼関係がない。この状況で抑止力を手放せば相手の思うつぼである。以前の記事「岡部達味『国際政治の分析枠組』―軍縮をしたければ、一旦は軍拡しなければならない、他」でも書いたように、軍縮のためには一旦軍拡という回り道をしなければならない。両国の緊張が極限に達してようやく、対話の糸口が見えてくる。これが国際政治のリアリズムである。山添議員にはこの感覚が欠けている。

 それから、自衛隊の海外派遣の問題と安保法制の問題は別物である。現在、憲法解釈に基づいて自衛隊の海外派遣と安保法制が可能になっているが、いかようにも揺れ動く可能性がある憲法解釈という脆弱な基盤に頼るのではなく、憲法にしっかりと自衛隊のことを書いた上で、その条文と自衛隊の海外派遣、ならびに安保法制との関係を個別に論じるのが筋だと思う。その手続きを踏まないで、自衛隊の海外派遣も安保法制も一緒くたにしてダメだと言うだけであれば、共産党は何に対してもNOとしか言わない政党だとの誹りを免れ得ないだろう。

 ちなみに、共産主義国以外で国会に共産党が議席を持っているのは、日本とフランスだけだそうだ。トランプ大統領は、11月7日に「共産主義犠牲者の国民的記念日(National Day for the Victims of Communism)」声明を発表した。声明の中でトランプ大統領は、20世紀に世界中で共産主義の犠牲になった人の数は1億人を超えており、これは戦争による犠牲者よりも多いと述べている(江崎道朗「SEIRON時評 No.40」)。これが共産主義の実態である。

 中国に狙われている沖縄であるが、沖縄タイムスと琉球新報という2大紙が左傾化した報道を続けていると、八重山日報編集長の仲新城誠氏が『正論』の中で何度も指摘している。沖縄貿易局が辺野古の新護岸工事に着手した11月6日には、来日したトランプ大統領と安倍首相が首脳会談を行ったが、その日の沖縄タイムスの社説には次のような文章が掲載されたという。
 「日米韓中露の協調体制を維持し、北朝鮮に非核化を求めていくと同時に、北朝鮮の安全保障を考える時期にきているのではないか」
(仲新城誠「オール沖縄は敗れたのに勝った、勝ったと大騒ぎ・・・」)
 「北朝鮮に対する日本の安全保障を考える時期にきているのではないか」の間違いではないかと疑ったが、沖縄タイムスのHPを見ると、確かに「北朝鮮の安全保障」と書かれている(沖縄タイムス「社説〔トランプ大統領来日〕戦争を防ぐ手だて示せ」2017年11月6日)。なぜ、日本を核ミサイルで威嚇するような国の安全保障を日本が考えてやらなければならないのか、全く訳が解らない。それに、6か国協議は完全に機能不全に陥っているのに、今さら「日米韓中露の協調体制」による対話を持ち出すのは、単に美辞麗句を並べてもっともらしいことを言いたいという左翼の欲求を満たしているだけである。かように、日本の左翼は滅茶苦茶である。

 先の衆議院議員総選挙で、枝野幸男氏が率いる立憲民主党が躍進した。小池百合子氏のいわゆる「排除」発言で行き場を失ったリベラルにとって、立憲民主党がその受け皿になったと言われる。だが、枝野氏は元々9条改憲論者であり、自身のことを保守と明言している。ところが、メディアが立憲民主党のことを、自民党に対抗するリベラル政党であると持ち上げたことで、枝野氏は自分が「リベラル保守」であるなどと、倒錯した発言をするようになった。

 立憲民主党は、実は党の綱領を民進党から流用しており(筆坂秀世「リベラル?革命を捨てた左翼のなれの果て」)、主要な顔ぶれは菅内閣のメンバーと同じで(阿比留瑠比「大研究『枝野幸男』論 本当に筋を通す男なのか」)、陰では続々とリベラルの議員が入党している。保守を掲げながら、裏でリベラル化が進行しているのを見ると、まるでかつての旧民主党のようである。枝野氏が「リベラル保守」を掲げるのも、前原誠司氏がセンターライトとセンターレフトの間で揺れ動いていた姿に重なる(以前の記事「『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他」を参照)。立憲民主党は、結局は旧民主党と同じ道をたどるのではないか?

 もちろん、自民党も保守一本やりではなく、リベラルとのバランスを取っている。安倍首相はその辺のかじ取りが非常に巧みであり、選挙が近づくとリベラルな政策で有権者の支持を集め、選挙で大勝すると保守的な政策を進める。このやり方で、5年間安定的に政権を運営してきた。厳密に言うと、リベラルには2つの種類がある。1つは狭義のリベラルとでも言うべきもので、大きな政府を志向し、社会福祉の充実を目指す。安倍首相のリベラルな政策はこれに該当する。

 もう1つのリベラルは左翼の本丸であり、革命を目指し、究極的には国家という枠組みを取り払おうとするものである。旧民主党のリベラル議員は左翼議員である。だから、中国や韓国に土下座をして日本国家の価値を否定したり、外国人参政権の導入を目指して日本の政治を外国人に乗っ取らせることを画策したりする。安倍政権は保守とリベラルの政策をともに議論の俎上に載せるのに対し、旧民主党の左翼はリベラルの政策を秘密裏に実行しようとしていたからたちが悪い。リベラルとは、「表で主張していることと裏でやっていることが違う考え方の勢力」(山村明義「よみがえる『民主党』の悪夢」)という指摘は、まさにその通りである。その旧民主党とニアリーイコールの立憲民主党の動向には、特別の注意を向けなければならない。




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