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『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他
飯島勲『政治の急所』―「国会議員のコンピテンシー構想」は浅はかでした・・・

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年08月24日

『正論』2018年9月号『「生き残れ 日本」トランプに進むべき道を示せ/表現の自由』―リベラルとは何か?(錯綜する概念の整理に関する一考)


月刊正論 2018年 09月号 [雑誌]月刊正論 2018年 09月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-08-01

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 本号の後半に「私が選ぶ戦後リベラル砦の『三悪人』」という特集があり、武田邦彦氏、西尾幹二氏、屋山太郎氏ら10人が3人ずつ戦後のリベラルを挙げて、その主張を批判していた。

 ただ、この「リベラル」という言葉は曲者である。八木秀次氏が解説しているように、欧州においては、伝統的にはリベラルと言えば自由主義のことであり、実は保守主義と親和性が高い。無制限な自由ではなく、秩序や伝統に裏づけられた自由を意味する。一方、アメリカのリベラルは、大きな政府を求め、自由よりも平等や多様性を重視する。いわゆる左派の主張である。日本のリベラルはアメリカの考えに近いが、元々の社会主義・共産主義を引きずった変種である。

 稚拙ながら、私なりにリベラルの概念を、私の大好きな(苦笑)マトリクス図で整理してみた。「大きな政府を重視するか、小さな政府を重視するか?」と「自由を重視するか、平等を重視するか?」という2軸でマトリクスを作成すると、4つのタイプに分けられる。

リベラリズム

 まず、右上は「小さな政府と平等を重視する」社会主義・全体主義である(私は両者を同一視している)。正確に言えば、社会主義は究極的には世界共同体の実現を目指すから、政府すら不要とする。本ブログで何度も書いてきたが、その起源は啓蒙主義に求められる。啓蒙主義時代には理神論という考え方が登場した。唯一絶対の神は世界の創造には携わる反面、その後のことは人間の理性に任せるというものである。中世までは、普遍的なものというと神の世界、つまりあちら側の世界にあったのに対し、近代の理神論によって、普遍的なものはこちら側の世界に移行した。これは、人間が神と同じく完全無欠な理性を持つことを意味する。

 誰もが神と同じ理性を持つのだから、人々は皆同じ、平等である。1人が全体に等しい。よって、私有財産は否定され、財産は全人類の共有となる。また、政治的な意思決定に関しても、全世界中の人が完全な理性に従って同じ考えを持っているわけであり、民主主義であっても独裁であっても同じ結果になる。人間の理性は生まれながらにして完成していると考えられるため、その理性に立脚する社会も既に完成しているものとされる。したがって、人間が自由を発揮して社会を改変するという余地はほとんどない。この点で、自由よりも平等の方が重視されていると言える。これが、私の考える社会主義・全体主義である。

 生まれた時点で理性が完成しているという立場は、教育による知性の進展を否定する。だから、社会主義国家ではしばしば知識人・教育層が迫害・虐殺される。生まれた時点での理性を完成形と見る場合、一番劣っている理性であっても完成していると認めなければならない。そして、そういう理性を持つ人間にできる仕事と言えば、原始的で素朴な農業である。だから、武者小路実篤は「新しき村」という農業共産社会を作ったし、ソ連ではソフホーズ(国営農場)とコルホーズ(集団農場)が設置され、戦後の中国では毛沢東が大躍進政策を展開した。しかし、新しき村の構想は結局ユートピアに終わり、ソ連の政策は多数の農民を生活苦に陥れ、中国の大躍進政策では3,000万~4,000万人もの餓死者を出した。

 ソ連や中国の共産主義者を焦らせたのは、自国が人間の理性の絶対性を信じ、社会主義の理想を実現しているはずなのに、アメリカなどならず者の資本主義国が技術で自国を追い抜いているという現実であった。だから、ソ連や中国は、多くの国民を農業に張りつけておいて、彼らを搾取し、得られた利益を科学技術に投資するという矛盾した行動を取るようになった。こうした矛盾は、社会主義の発展段階説でより正当化されたように思える。発展段階説によれば、社会は原始共産制社会⇒古代奴隷制社会⇒封建制社会⇒絶対主義⇒ブルジョア革命⇒近代資本主義社会⇒プロレタリア革命⇒共産主義社会⇒社会主義社会へと順番に発展する。社会主義と言えば、既に見たように本質的には原始共産社会であるものの、途中から科学技術の発展を含めて真の社会主義国家を樹立しようという方針に転換されたと考えられる。

 もう1つ、社会主義者を悩ませた矛盾が、寿命という問題である。創造主の神には寿命はないが、実際の人間には寿命がある。だが、元々、人間が生まれた時点で理性も社会も完成しているという立場に立てば、時間の流れというものはあり得ないことになる。過去も未来も存在しない。あるのは現在だけである。そして、現在というのは一瞬にすぎないから、人間は早く死ぬべきという歪な結論が導かれる。ただし、生と死は連環していて、死んだ後直ちに再び生を受けてこの世に誕生する。そして、発展段階説に沿った理想的な社会主義社会を実現するために、永遠に革命を繰り返す。これが、ニーチェの言う永遠回帰である。

 右下は「大きな政府と平等を重視する」福祉国家であり、北欧に多く見られる。社会主義・全体主義においては、最も能力が劣る者に他の人間を合わせるという形で平等が実現されるのに対し、福祉国家では、持てる者から持たざる者へと富の再配分が行われることで平等が実現されるという違いがある。富の再配分は非常に複雑なプロセスであるため、その営みを担う政府は必然的に大きくなる。また、せっかく自由に働いて多くの富を得ても、再配分によってその富の大半を政府に取られてしまうことを考えると、自由は平等よりも劣位に置かれていると言える。

 本号の特集で興味深かったのは、山口真由氏と屋山太郎氏がともに田中角栄をリベラルの悪人として挙げていることである(山口氏はさらに、田中角栄をモデルとして公共事業を展開した竹下登をリベラルの悪人としている。また、八幡和郎氏は、田中角栄の弟子である小沢一郎氏をリベラルの悪人に挙げている)。つまり、自民党と言えども、リベラルとは無縁ではないのだ。田中角栄は、自身がまとめた「日本列島改造計画」に従って、日本全土に金をばらまき、各地で大規模な公共工事を行った。これも一種の再配分政策であると言える。だが、金の集まる権力は必ず腐敗するというのが古代からの政治の鉄則である。田中角栄も例外ではなかった。

 この点、巨額の資金の再配分を行っている北欧諸国が、いずれも「腐敗認識指数ランキング」で上位に入っているのは不思議である。2015年のランキングを見ると、デンマークが1位、フィンランドが2位、スウェーデンが3位、ノルウェーが5位である(ちなみに、日本は18位である)。なぜ、田中角栄は腐敗したのに、北欧諸国は腐敗しないのだろうか?人間の理性は不完全であり、失敗もするし私欲にも溺れると考える日本人と、啓蒙主義を経験したヨーロッパ人との違いで説明するのはあまりに粗雑であろう。なぜなら、同じように啓蒙主義にルーツを持つ社会主義国家では、中国やベトナムを見れば解るように、権力がひどく腐敗しているからである。

 左上は「小さな政府と自由を重視する」という象限であり、アメリカでは1990年代から、日本では2000年代に入ってから有力となったネオリベラリズムを指す。企業はグローバル化を進め、世界中で利益を上げる。それが可能な大企業と、それができないドメスティックな中小企業の間では、業績に大きな格差が生じる。その結果、国民の間の貧富の差が拡大する。グローバル企業は、国家に対して企業活動を邪魔しないでくれと言う。工場は人件費が安い国に移す。税金も、税率が安い国で納める。ここにおいて、グローバリズムとナショナリズムは対立する。

 ただ、私は最近この流れに変化を感じている。グローバリゼーションと言っても、カントが描いたような世界平和の実現を目指しているわけではない。ある国に本社を置く企業が、自社の事業や製品・サービスを全世界で受け入れてもらえるようにすることがグローバリゼーションである。よって、グローバル企業は、本社を置く国家による支援を必要とするようになっている。政府に対しては過度な機能を期待していないものの、自社の世界展開を後押しする政治力は要求している。つまり、グローバリズムとナショナリズムは手を結ぶようになった。

 最後に、左下の「大きな政府と自由を重視する」のが伝統的な(欧州的な)リベラリズムである。日本が理想とするべきも、右下ではなくこの象限である。この象限では、人々の自由な発想による多様性が尊重される。これは、自然の生態系に最もよくかなった形態である。自然の生態系は多様であるから、環境変化が起きても、生物が全滅することはない。一部の生物が生き残り、そこから新たな進化によって枝分かれが生じ、再び多様性が確保される。こうして、地球全体として見れば、生物の種が保存される。右上の社会主義・全体主義のように、誰もが皆同じ理性に従って同じ考え方をしていると、外圧によって全滅するリスクがある。社会主義・全体主義は理論としては美しいのかもしれないが、生存可能性という点では落第である。

 多様な価値観は時に衝突する。その時は、まずは話し合う。「話し合い」と言うと、左派の人はすぐに「対話」という言葉を持ち出す。対話という言葉は、自分の怒りを抑えて冷静になり、相手の立場を慮って相手の考えを汲み取り、自分の考えと相手の考えを十分に擦り合わせてお互いの利益ができるだけ最大になるような道を探るべきだというソフトな印象を与える。もちろん、それができるに越したことはない。だが、現実の世界はそんなに甘くない。時には権謀術数を駆使しなければならない。誘惑、媚び諂い、あるいは威嚇、恫喝、脅迫、取引など、人間の醜い面も出る。それも含めて話し合いなのである。多様な利害が衝突する政治の世界では、こうしたことが常態化している。だから、一般人も伝統的なリベラリズムに生きるならば、こうした精神的ストレスのかかる方法に対する耐性を身につける必要がある。

 それでも考え方が合わなければ、その相手とはすっぱり縁を切ればよい。自分は認めることができないけれども、そういう考えもあるのだなという程度で収めておけばよい。右上の社会主義・全体主義では、1人が全体に等しいから、他者との関係を切ることは絶対にできない。しかし、左下の伝統的なリベラリズムでは縁切りが認められる(実際、日本には縁切り神社や縁切り寺がある)。相容れない主張も全部ひっくるめて、社会全体としては多様性を許容するのが伝統的なリベラリズムである。こうしたリベラリズムは共和制でも実現可能である。日本の場合は、「和」を象徴とする天皇を国家の戴に置くことで、伝統的なリベラリズムを表現している。

 もちろん、相手と縁を切ろうとしているのに、相手が物理的に自分を攻撃しようとしてくることもあるだろう。これは社会の安定を保つために何としてでも防がなければならない。そこで、法が必要となる。左下の象限で政府が大きくなるのは、こうした種々の法律を制定・運用する機構(立法府や行政府)を持たなければならないからである。

 一般的に左派と言えば、人々の格差を敬遠し平等を重視するか、国家権力を嫌い小さな政府を重視するかのどちらか、あるいはその両方である。よって、上記のマトリクス図のうち、左下を除く3つの象限が左派にあたる。昔、小泉純一郎政権は左派だと指摘した知り合いの中小企業診断士がいたが、彼の主張は今になって理解することができる。最近、小泉氏が突然脱原発派に転じたのは、小泉氏が本来的には左派であり、環境問題という外部不経済を再配分によって解決しようとする福祉国家とも親和性が高いと考えれば納得がいく。右派はわずかに左下に残るだけであり、政治思想的に見るとかなり分が悪い。

 ただし、右派は左派と完全に対立するべきでもない。右上の社会主義・全体主義は破壊的な思想なので除外するとしても、福祉国家とネオリベラリズムからは学ぶことができることもある。福祉国家は、強者から弱者へと富を再配分するために、膨大な法を策定している。伝統的なリベラリズムも法を策定するものの、元々人間の理性は不完全であるという前提に立っているため、法律も不完全である可能性がある。つまり、弱者を強者から守る法が不十分であるかもしれない。その時には、福祉国家が望ましい法律のあり方を教えてくれる。

 とはいえ、福祉国家に倣って法律を無制限に増やしていくと、政府の役割があまりにも大きくなりすぎる恐れがある。また、福祉国家の法律は平等を原則としているため、杓子定規に平等原則を貫けば、伝統的なリベラリズムにおける自由が制約されてしまう。そこで、ネオリベラリズムの出番である。ネオリベラリズムは小さな政府を志向しており、不要な法律は規制改革の名の下に葬り去る。伝統的なリベラリズムが抱えている法律について、自由に干渉しすぎる法律はどれなのか、ネオリベラリズムに指摘してもらうとよい。このようにして、右派=伝統的なリベラリズムは、左派(ただし、社会主義・全体主義を除く)と協調関係を築くことができるだろう。

2017年08月14日

『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他


月刊正論 2017年 08月号 [雑誌]月刊正論 2017年 08月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-06-30

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 (1)先の東京都議会議員選挙で、小池百合子東京都知事が率いる都民ファーストの会が自民党を破って大勝した。しかし、2016年に小池氏が都知事に就任して以来したことと言えば、
 東京五輪で使う国立競技場の屋根をなくしたぐらいではないですか。屋根の分、建設費が安くなったなどと言っていますが、真夏に屋根のない炎天下でサッカー競技をやるわけです。どうなるか、今から心配です。
(屋山太郎「ふくらんだ期待がしぼんでいる・・・ 小池よ急げ 今ならまだ安倍と”共闘”できるぞ」)
 小池都知事は、一時期小泉純一郎氏と近しい関係を保っていたことから、その政治手法には小泉氏の影響を見て取ることができる。「都民ファースト」というワンフレーズ・ポリティクスは小泉氏が最も得意とすることであったし、小泉氏が「自民党をぶっ壊す」と言ったように、小池氏は「都議会をぶっ壊す」と宣言している。本号には小池氏のインタビュー記事も掲載されていたが(小池百合子「小池百合子・東京都知事独占告白 私はマクロン 9条3項は唐突・・・」)、「まずは議会を変える」と明言している。しかし、このインタビュー記事は非常に内容が薄いものであり、「とにかくリベラルでも何でもいいから人を集めた。彼らは泥臭い選挙戦を戦い抜いてくれた。彼らが都政を変えてくれると期待している」といった程度のことしか書かれていない。

 議会の改革はあくまでも手段にすぎない。何か重要な政治的課題を解決するために、意思決定機関である議会を変える必要がある、と考えるのが通常のロジックである。小池氏の発言は、企業で例えれば、新任のCEOが「まずは取締役会を変える」と言っているようなものである。しかし、そんなことを口にするCEOなどまずいない。顧客視点で戦略を練り直して必要な改革を導き出し、その改革を実現するための一手段として、取締役会の意思決定機能やガバナンス機能を見直す、という流れになる。小池氏も、「都民ファースト」という名前をつけているぐらいであるから、まずは都民のニーズを丁寧に汲み取って、あるいはニーズを先取りして、どんな改革が必要になるのかを考え、その実現手段として議会改革を挙げる、という順番でなければおかしい。

 小池氏は、インタビュアーに対して、時に非常にそっけない回答をしている。
 ―意地悪な見方で恐縮ですが、彼ら(※当選した都民ファーストの会の議員)は小池知事と一緒に経験を積んだ後、国政に進出しようという計画ではないでしょうか?
 小池:それは知りません(笑)。
(小池百合子「小池百合子・東京都知事独占告白 私はマクロン 9条3項は唐突・・・」)
 ―都議選の間近、6月に入ってから自民党を離党されましたね。とはいえ、安倍晋三総理もそうかと思いますが、自民党の中には小池知事との連携に大きな期待を寄せている人たちもいるのではないでしょうか。
 小池:さあ。(同上)
 政治とは非常に複雑なプロセスである。多様な考え方を持つ様々な利害関係者が形成する網の目をかいくぐり、ある者は押し、ある者からは引くという微妙で繊細な駆け引きが必要である。こうした、選挙戦以上に泥臭い調整プロセスを経て、政治課題を実現していくものである。だが、小池氏は、離党したとはいえ自民党とどのような関係を構築していくのか、当選した大量の新人議員をどのように活用していくのかといったことに関する構想が描けていないのではないかと思ってしまう。もっとも、小池氏には達成したい政治的課題がはっきりとあるわけではないから、その実現ルートを検討するというところまで頭が回らないのは致し方ないのかもしれない。

 小池氏のやり方は、旧民主党のやり方にも通じるところがある。旧民主党が政権を奪取した時、最初にやったのは八ッ場ダムの建設見直しであった。八ッ場ダムについては、政府と自治体、地元住民が何十年も議論を重ねて、ようやく建設合意に達したところであった。それを、前原誠司氏の一言でストップさせてしまった。地元の失望は計り知れないものがあった。小池氏は就任直後、築地市場の豊洲移転問題を延期したが、この構図は八ッ場ダムとそっくりである。
 豊洲問題では、長い間かけて都庁や市場関係者が移転合意をとりつけ、さあ移転という時に、突如都知事として乗り込んできたあなたに、ぶち壊されてしまいました。民主党が政権を取った途端に、八ッ場ダム建築中止を決めた構図にそっくりです。(中略)結局、大騒ぎして、八ッ場ダムの建築は再開され、計画は大幅に遅れて竣工いたしました。
(犬伏秀一「拝啓 小池百合子さま 「自分ファースト」になっていませんか?」)
 結局、豊洲移転が計画から大幅に遅れて進行することになった点まで、八ッ場ダム問題とそっくりである。短期的に成果を出すために、国民や住民が注目しやすい政策に目をつけ、大幅なコストカットをちらつかせる(そして、結果的にはそのコストカットに失敗する)。これが旧民主党のやり方であり、小池氏のやり方でもある。ここまで書いてきたことを総合すると、私の眼には、小池氏は小泉純一郎氏と旧民主党の嫡子であるかのように映る。

 (2)杉田水脈「スポンサーにNHKも名を連ねる 欧州の反日フリーペーパーはこんなにヒドい・・・」では、フランスを拠点に配布されている「ZOOM JAPAN」というフリーペーパーが反日左翼に傾倒していることが報告されている。ZOOM JAPANの概要は以下の通りである。
 この「ZOOM JAPAN」という名のフリーペーパーは、2010年6月創刊。フランス語圏において、日本の文化を総合的に発信する唯一の無料月刊誌とのことです。現在、フランス国内約850ヶ所に配布拠点があり、フランスを中心に毎月7万部、多い時には15万部も発行されています。英語、イタリア語、スペイン語にも翻訳され、ヨーロッパ中で配布され、Japan Expoや国際旅行博覧会の会場をはじめ、多種多様な日本関連イベント会場でも積極的に配布をされています。
 ZOOM JAPANは、表向きは日本文化に関する情報を欧州の人々に発信するという形式を取っている。しかし、その内容をよく読むと、慰安婦問題、沖縄基地問題、日本会議などに関して、事実誤認を含む左寄りの記事も相当含まれているそうだ。そして、驚くことに、このZOOM JAPANには、NHKや政府観光局も広告を出稿している。『正論』では、左派が海外で日本に不利な情報を発信していることがしばしば取り上げられる。左派にとっての総本山が国際連合であり、国連は今や反日左翼NGOの巣窟と化している(本号では、仲新城誠「反基地・山城氏VS我那覇氏 国連人権理事会での戦い」という記事で国連の内情が報告されている)。

 なぜ、左派は日本を貶めたいのだろうか?まず考えられるのは、左派にとっては国家という権力が邪魔であり、それを取り除きたいからだということである。左派の究極の目標は世界市民社会の実現であり、世界中の人々が平等に政治に関与することである。そして、アリストテレスの古代から、人間が理性を発揮できるのは政治の舞台だとされてきた。左派は、今は国家権力が独占している政治を自らの手に取り戻し、理性ある人間として生きることを目指している。

 しかし、慰安婦問題、南京事件などをめぐる左派の対応を見ていると、ひたすら中国と韓国に謝罪するばかりである。内田樹氏は、中国人や韓国人に会うと、最初に「昔の日本人がひどいことをした。深くお詫びする」と言うそうだ。この心理を紐解くと、実は、左派は国家権力をなくそうとしているわけではないように思える。「日本は三流国家である。その三流国家が中国・韓国という一流国家を害した。大変申し訳ない」という国家の上下関係が透けて見える。左派にとって国家、特に中国・韓国のような強い国家(正確には声の大きい国家)は必要なのであり、その国家にへつらうことで自己の存在空間を確保している。それはちょうど、自己否定に悩む青年が、大人に憧れるという行為で自己を辛うじて規定するというナイーブな感情に似ている。

 左派は弱者の味方である。ややもすると権力に虐げられ、政治的課題から漏れてしまいがちな弱者の声に耳を傾け、弱者のニーズを政治に反映させることを信条としている。しかしここで今度は、先ほどとは逆の優越感が顔をのぞかせる。すなわち、左派には無知な弱者のことを十分に理解する知識があり、弱者を代表して政治の舞台に立つ能力を持っていることを示したいのである。弱者をだしにして、自らの有能さを誇示しようとしているのが左派という人間である。だから、近代西欧において民主主義が成立した時、その形式は「ブルジョワ民主主義」であった。ブルジョワとは、比較的裕福な商工業者である。彼らは、弱者よりも、知識、能力、資金の面で優れている。そのブルジョワジーに反感を持った弱者が試みたのがプロレタリアート革命であった。

 つまり、国家権力の存在しない究極の平等主義を志向しているのに、自分より強い国家に対してはへこへこと媚を売り、自分より弱い者に対しては、彼らの味方を装いながら内心は彼らに対する優越感を充満させる。平等主義どころか、保守も顔負けの上下関係重視である。これが左派、特に日本における左派の実態ではないかと思う。

 (3)朝鮮半島の情勢が相変わらずきな臭いが、私は最近、どんなシナリオをとっても、朝鮮半島が共産主義国家として統一されるのは避けられないのではないかと思うようになった。

 ①アメリカが北朝鮮の核開発を容認した場合・・・北朝鮮は数年内に、アメリカ本土に届くICBMを完成させる。すると、北朝鮮はアメリカをICBMで牽制しながら、韓国併合に向けて軍事行動を起こす。ただし、この作戦は多大な犠牲を払うことになるため、実現可能性は低い。

 ②中国が金正恩体制を揺さぶった場合・・・現在、アメリカが中国を通じて北朝鮮に圧力をかけている。その結果、金正恩政権が倒れ、北朝鮮の核は放棄されるかもしれない。北朝鮮には新たな政権が誕生するが、この政権は中国の傀儡政権である。また、中国が北朝鮮に圧力をかける代わりに、中国とアメリカが密約を交わしていると言われる。具体的には、在韓米軍の縮小であろう。つまり、アメリカは韓国を捨てるということだ。しかし、これで喜ぶのは、実は親北派の韓国・文在寅大統領である。南北で軍縮が進めば、平和裏のうちに南北統一へと進むことが考えられる(以前の記事「『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?」を参照)。

 ③トランプ大統領が金正恩党委員長と交渉した場合・・・北朝鮮の核開発が相当程度に進んだ段階で両者の交渉が実現する可能性がある。両国はまず、双方の核兵器の削減を討議する。次に、北朝鮮はアメリカに対し、金正恩体制の承認を求める。アメリカはそれを認める代わりに、韓国に手出ししないことを約束させる。さらに、交渉では、北朝鮮が国境付近でソウルに向けている大量の大砲もテーブルに上がる。北朝鮮がこれらの砲台を削減する一方で、アメリカは在韓米軍の削減を約束する。すると、②と同様に、南北で軍縮が進むことになるため、南北統一の可能性が見えてくる(以前の記事「『韓国新政権と東アジアの未来/住宅保障 貧困の拡大をくいとめるために(『世界』2017年7月号)』―びっくりするほど呑気なリベラル、他」を参照)。

 元々、朝鮮半島が南北に分裂しているのが異常事態であったわけで、その両国が、社会主義国家がよいかどうかという点はともかく、統一されるということは、ノーマルな状態に戻ることを意味する。ただし、朝鮮半島に社会主義国家が誕生するということは、日本と朝鮮半島が資本主義と社会主義、別の言い方をすればアメリカと中国・ロシアの代理戦争の場になるリスクを秘めている。だから、以前の記事「『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?」で、日本は冷戦の遺産と戦う覚悟を決めなければならないと書いたわけである。

 以前の記事「マイケル・ピルズベリー『China 2049』―アメリカはわざと敵を作る天才かもしれない」で、かなりざっくりとだが下のような図を使った。アメリカとドイツは自由主義の陣営、中国とロシアは専制主義の陣営に属し、お互いに対立しているものの、実は、アメリカは中国に、ドイツはロシアに接近している。一方、同じ陣営の中でも、アメリカとドイツ、中国とロシアは決して一枚岩ではなく、時に対立をしている、ということを表した図である。この図を描いた後、親ロシアのトランプ大統領が当選し、図が崩れてしまったと思ったのだが、最近はシリア空爆や米大統領選の不正疑惑をめぐって、アメリカはロシアと距離をとっている。むしろ、アメリカは急速に中国に接近しつつあり、この図はあながち間違っていないのではないかと思っているところである。

4大国の特徴

 最近、「アメリカが中国と組む可能性」について、『正論』の中でも言及される機会が増えた。個人的に「アメリカが中国と組む」というのはどういうことなのかよく解っていなかったのだが、具体的にはこういうことではないだろうか?まず、北朝鮮問題において、前述の②のような協力をする。これが引き金となって、朝鮮半島は社会主義国家として統一される。

 次に、アメリカは、中国の一帯一路構想に本格的に賛同する。一帯一路のうち、海を通る「一路」は南シナ海を通っている。よって、アメリカが中国の一帯一路構想に本格的に賛同するということは、中国の南シナ海における一連の軍事行動を容認することを意味する。さらに中国は、一帯一路構想の実現のために、アメリカに対しAIIBへの参加を強く求める。トランプ大統領はビジネスライクな人物であるから、投資対効果があれば簡単に参加OKと言うかもしれない。

 さらに米中の関係は深化し、中東と日本・中国を結ぶシーレーンの共同管理や、習近平国家主席が提案した「太平洋2分割管理」にアメリカが同意する可能性がある。ここで一番怖いのは、日本がアメリカからはしごを外されて、米中両国から日本が共通の仮想敵国と位置づけられることである。当然のことながら、日本が強固なものだと信じて疑わなかった日米同盟は破棄される。すると、日本は自主防衛へと舵を切ることになる。しかし、これは一筋縄ではいかない。
 武装中立はかっこいいですが、防衛費は現在の約5兆円から23~24兆円ほどに跳ね上がるという試算もある。それに、日米同盟を解消した瞬間に核抑止力がなくなります。核兵器の独自開発は、各国の妨害が確実なことから、10年以上かかり、実現可能性は低い。
(小川和久、矢野義昭「日本の核武装は是か非か」)
 米中は日本を仮想敵国とする。朝鮮半島の社会主義国家は日本を敵視する。つまり、日本の周りは敵だらけになる。私はここで、ウルトラC(?)として、ロシアと軍事同盟を結び、ロシアの核の傘に入るという選択肢が浮上すると考える。ロシアに対しては、同盟を結ぶ代わりに、北方領土を4島全て返還せよという交渉も可能になる。そして、先ほどの図に従えば、ロシアはドイツとつながりを深めているから、日本はロシアルートを通じて、ドイツを中心とするEUとの関係深化にも力を注ぐようになるだろう。もちろん、これはかなり過激なシナリオであり、日本としては、アメリカが簡単に中国と手を結ばないことを願うばかりである。

2014年05月15日

飯島勲『政治の急所』―「国会議員のコンピテンシー構想」は浅はかでした・・・


政治の急所政治の急所
飯島 勲

文藝春秋 2014-01-20

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 最近、政治家の本をよく読むようになったのだが、飯島勲氏の本は何と言うか迫力が違う。さすが永田町に40年もいて、政治の世界を隅々まで知っているだけのことはある。政治というのは企業経営よりもはるかに複雑怪奇で、絡み合った利害を1つずつゆっくりと解きほぐし、臨機応変に機転を利かせながら、目指すべきゴールへと到達する巧みな処世術が必要なようだ。

 さて、以前に「高橋洋一『霞が関をぶっ壊せ!』―政治家の能力を国民が評価する仕組みを作れないか?」という記事を書いたが、政治家の能力をコンピテンシー(※ハイパフォーマーに共通して見られる行動特性)体系によって可視化しようなどというのは、いかにも安直な考えであったと反省した。例えば、

 ・飯島氏は2013年5月に北朝鮮を電撃訪問する直前、テレビで「2012年12月26日、日本で第2次安倍内閣が誕生した。その日に、北朝鮮では金正恩国防委員会第一委員長の暗殺未遂事件が起きたんです」と暴露して北朝鮮を慌てさせ、北朝鮮のナンバー2(金永南最高人民会議常任委員長)を引きずり出して、拉致問題について話し合った。またその際、北京経由で平壌に行くにあたり、空港で顔がばれて訪朝を潰されないようにするため、北朝鮮大使館の参事官の協力を得て、イレギュラーな対応で飛行機に搭乗することを可能にした。

 ・2002年のG8カナナスキス・サミット(カナダ)で、プーチン大統領が「来年はサンクトペテルブルクで建都300年祭を開くが、その日程がエヴィアン・サミット(フランス)と重なってしまう。だからロシア政府も自分もフランスのシラク大統領に、日程をずらすよう1年間お願いしてきたけどうまくいかない」と言い出した。そこで小泉氏はその場で、シラク大統領、ブッシュ大統領、ベルルスコーニ首相、ブレア首相を説得して日程をずらしてしまった。

 シラク大統領は小泉氏に対して貸しができたと見るや、今度はこんなお願いをしてきた。「小泉、あんたはすごく立派な政府専用機に乗ってきてるな。実はシュレーダーの奥さんが急用で、ドイツの政府専用機で帰国してしまっただろ。シュレーダーはこのサミットが終わったら日本へ直行して、サッカー・ワールドカップのドイツ対ブラジルの決勝戦を見たいんだが、フライトが取れない。スタッフを含めて5人だというから、あんたの専用機に乗せて帰れ。そのぐらいのことはお前だったらできるだろう」 結局、小泉氏の即断で、シュレーダー首相を政府専用機に同乗させて日本へ連れて行くことになった。国際政治とは首脳同士の貸し借り関係で成り立っている。

 ・東南アジアを訪問したキューバのカストロ議長は、帰る途中に関西空港か羽田空港に降りて給油しないと燃料がもたないことが解った。しかし、カストロ議長の専用機は非常に古い飛行機で、排気ガスの環境基準に引っかかってしまい、国土交通省から着陸の許可が下りない。困った関係者は飯島氏を訪ねてきた。飯島氏は「許可しないけれども、実行はさせます」と答えた。

 飯島氏は、カストロ議長が関西空港上空に到達する日時と、給油に必要な時間を聞き出した。その上で、関空でその日時に離発着予定の政府系航空機を何便か外してもらった。キューバ側には、「関空近くに着たら、カストロ機からSOSを発信してくれ」と伝えた。そうすれば、表向きは緊急事態だから着陸を許可しないわけにはいかない、という流れになるわけだ。

などというエピソードに裏づけられる能力は、コンピテンシーの生みの親であるデイビッド・C・マクレランドが外交官に関する研究から導き出した「異文化に対する感受性がすぐれ、環境対応力が高い」、「どんな相手に対しても人間性を尊重する」、「自ら人的ネットワークを構築するのがうまい」などという抽象的なコンピテンシーでは表現することができないだろう。下手に定量化して指標管理しようものなら、言葉で表現しがたいその人の本質的な能力がそぎ落とされてしまう。

 飯島氏は本書の中で、政治家に求められるのは「官僚に対して目標を提示すること」だと述べている。いや、実を言うと、飯島氏が政治家に必要な資質に言及しているのはこのぐらいしかない。政治とは非常に複雑で状況対応的な営みであるから、飯島氏の頭脳をもってしても、明確な能力に分解して定義することが不可能なのかもしれない。

 政治家にはリーダーシップが必要であるとよく言われる。だが、このリーダーシップという概念も曲者で、百花繚乱の様相を呈している。リーダーシップの研究は古代ギリシアの時代から行われているのだが、最近、2000年以上に及ぶ研究の歴史を1冊にまとめた海外の研究グループがあったそうだ。その書籍は1,000ページを軽く超えていた。ところが、その巻頭には、「長年のリーダーシップ研究によって解ったことはただ1つである。『リーダーシップについては何も解っていない』ということだけだ」という残念な文章が載っている、という話を思い出した。

 我々国民は、どのようにすれば政治家の能力を適切に評価することができるだろうか?そして、どうすれば政治家の適材適所を実現できるのだろうか?政治の世界は、企業における人材マネジメントの常識が通用しない世界のようで、非常に難しい。

《2014年5月16日追記》
 「NPO法人万年野党」という団体が、国会議員の能力を評価するという野心的な取り組みを行っている。同団体が作成する国会議員の「通信簿」は、大きく分けて3つの項目からなる。1つ目は質問の回数(衆議院議員はさらに質問時間も評価)、2つ目は国会議員として自ら法律案を提案する「議員立法発議者」に名を連ねた数、そして最後が、国会議員の権利として使うことができる「質問主意書」の提出件数である。

 もちろん、これで国会議員の能力を全て網羅することはできないことは同団体も解っていると思う。国会議員の質問は、官僚があらかじめ内容を考えているかもしれないし、あるいは国会中継で党の存在感を出すために、策略的に党の中でも知名度が高い議員に質問をさせているケースもある。また、議員立法についても、単に発議の要件(衆議院では20名以上、参議院では10名以上。予算を伴う場合はそれぞれ50名、20名以上(国会法56条))を満たすために名を連ねているだけの場合もある。そもそも、政治活動は国会という公式なフィールドだけではなく、むしろ国民の目に見えない非公式な場で進むことが多いのだが、この点は評価に反映されない。

 ただし、評価のとっかかりとして、こういう取り組みは非常に重要であろう。この通信簿に肉づけする形で、それぞれの議員が国民や他の議員、さらにはその他の利害関係者によって評価される仕組みを構築することはできないものだろうか?


184.185国会版  国会議員三ツ星データブック184.185国会版 国会議員三ツ星データブック
特定非営利法人「万年野党」

メタブレーン 2014-04-01

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