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『島井宗室』―政治と密着しすぎた事業はもろい
【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十四~十七条)
【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十一~十三条)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2014年02月10日

『島井宗室』―政治と密着しすぎた事業はもろい

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島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した博多商人・島井宗室についての本。幅広い文献に基づき、宗室の生涯を丁寧に整理した1冊となっている。私は、一代で巨万の富を築いた宗室の”事業の秘訣”を知りたかったのだが、残念ながらそういう内容ではなかった。むしろ、島井家の事業がほぼ宗室の代に限られており、宗室より以降は衰退の一途をたどってしまった理由が解った気がする。それはつまり、島井家の事業が政治=戦国大名と密着しており、政治の盛衰の影響を大きく受けてしまった、ということである。

 1551年、大内義隆が家臣の陶晴賢によって滅ぼされると、博多の実権は大内宗麟の手に移った。宗麟は、博多での支配力を強化するため、宗室を町政施行上の有力者と認めて宗室に接近した。宗麟の庇護を受けた宗室は、その特権の下で事業を拡大していった。宗室は見返りとして、宗麟に対し一定の軍資金を提供したと考えられている。

 その後、大友氏が竜造寺氏と10年以上にわたり対立を繰り広げた影響で、博多はすっかり荒廃する。そして、大友氏に代わって島津義久が台頭してきた。ここで、宗室にはもう一度追い風が吹くことになる。すなわち、豊臣秀吉の登場である。秀吉は、天下統一に飽き足らず、隣国の明を滅ぼしてアジア統一を夢見ていた。博多は、秀吉が朝鮮を通じて明へ入国する際の重要な拠点と位置づけられたのである。その地を脅かす島津氏は、秀吉の格好の餌食となった。

 博多をアジア統一の拠点とみなしていた秀吉は、博多復興に尽力し、宗室も大いにこれに協力した。秀吉は、博多を兵站基地とし、また外征軍往来の通路・宿泊地とすることをイメージしていた。そのためには、博多は大いに栄えていてもらわなければ困るし、商人の力を借りなければならない。秀吉が宗室に近づき、これを助けたのは自然の成り行きであっただろう。秀吉の力により復興した博多で、宗室はいっそう明・朝鮮との貿易に注力し、富を蓄えていく。

 だが、不幸なことに、どうやら宗室は秀吉による博多復興の真意を知らなかったようだ。仮に宗室が秀吉の企図を知っていたら、後に重要な通商国を失うことになる秀吉の危険な博多復興策には協力しなかったかもしれない。秀吉の真意を知らなかったからこそ、宗室はいざ朝鮮出兵が始まると、後方支援に奔走しつつ、裏で対馬の宗義智らと和平工作にあたったわけである。

 こうして見てみると、宗室の事業の前半は宗麟の、後半は秀吉の政治の下で栄えた、別の言い方をすれば、政治的目的のために利用された、と言えるだろう。そのため、1600年の関ヶ原の合戦後、徳川家康が江戸に幕府を開き、博多が政治的な位置を失うと、宗室もかつてのような野心的な事業を行わなくなってしまった。晩年、中風に苦しめられていた宗室は、細々と酒屋・土倉を営んでいたようである。

 実は、関ケ原の合戦時に博多を治めていたのは小早川秀秋であった。そう、西軍・石田三成につきながら、これを裏切り、東軍の家康の勝利に貢献した人物である。合戦後、秀秋は西軍に属した宇喜多秀家の旧封地備前岡山に移され、博多には黒田長政がやって来た。だが、宗室はこの政治の流れに乗ることができなかった。

 宗室は1610年、神屋家からの養嗣子である徳左衛門に宛てて遺訓を書いている。これは、現存する商家の遺訓の中で最も古いものの一つとされている。その第4条には次のようにある。
 四十までハ、いささかの事も、ゑよう(栄耀)なる事無用候。惣而我ぶんざい(分際)より過たる心もち・身持、一段悪事候。併(しかしながら)商事・れうそく(料足)まうけ候事ハ、人にもおとらぬやうにかせぎ候ずる専用候。それさへ以、唐・南蛮にて人のまうけたるをうら山敷おもひ、過分に艮(銀)子共やり、第一船をしたて、唐・南蛮にやり候事、中々生中のきらい事たるべく候。
 宗室は、「明や南蛮との貿易で他人が儲けたことをうらやましく思い、過剰に銀を投資して一級品の船を仕立て、中国や南蛮に遣わすことは、あまり好ましいことではない」と、リスクが大きい投資をけん制している。

 この投資は「投銀(なげかね)」と呼ばれる、船に対する投資である。ただ、投資と言っても、例えば後の海上保険制度のようにリスク分散の仕組みが組み込まれていたわけではない。豪商などの貸主が、外国船貿易を企図している借主に銀を貸すという、非常に単純な貸付である。借主の船が無事に往復渡海に成功すれば、貸主は借主が貿易によって得た利益から元本と利息を回収する。もちろん、この利率は渡海のリスクに応じて非常に高く設定されている。しかし、途中で船が難破すれば、貸主は全てのリスクを負担する。

 そのようなハイリスク・ハイリターンの金融業に手を出すのではなく、商売の基本である”モノを売る”という行為に集中せよ、というのが宗室の意図であったに違いない。ところが、本書によれば、子の徳左衛門と孫の権平は外国貿易船にしばしば投資しており、『島井文書』には投銀の証文が数多く残されているという。

 政治の中心が江戸に移り、博多が要所としての機能を失うと、島井家の事業は勢いを止められてしまったのだろう。焦りを感じた徳左衛門や権平は、宗室の遺訓に背き、リスクが高い投銀に手を染めたのではないだろうか?本業の屋台骨が揺らぐと、危ない金融業に手を出したくなるのは、いつの時代も同じなのかもしれない。また、どんなに立派な行動規範を定めたとしても、それを代々受け継いでいくことは至難の業であることをうかがわせるエピソードでもある。

2014年02月01日

【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十四~十七条)

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島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 一(十四)、朝ハ早々起候て、暮候へば則ふせり候へ。させらぬ仕事もなきに、あぶら(油)をついやし候事入ぬ事候。用もなきに夜あるき、人の所へ長居候事、夜ひるともに無用候。第一、さしたてたる用は、一刻ものばし候ハで調候へ。後に調候ずる、明日仕べしと存す候事、謂れざる事候。時刻移さず調べき事。
 朝は早起きして、日が暮れたらすぐに寝るようにせよ。大した仕事もないのに油を売ってはならない。用もないのに夜に外出してはならない。他人のところに長居するのは夜でも昼でもダメである。しかし、差し迫った重要な用事は、一刻も早く片付けるようにせよ。後でやろう、明日やろうと考えてはいけない。重要な仕事には即座に取りかかるようにせよ。
 一(十五)、生中、身もちいかにもかろく、物を取出など候ずるにも、人にかけず候て、我と立居候ずる事。旅などにてハ、かけ(懸)硯・ごた袋等われとかたげ候へ。馬にものらず、多分五里―三里かち(徒)にて、とかく商人もあよ(歩)ミならひ候て然るべき物候。

われら若き時、馬に乗たる事無候。道之のりいかほどとおぼえ、馬ちん(賃)いかほど、はたごせん(旅籠銭)・ひるめし之代・船ちん、そこそこの事書付、おぼえ候へバ、人を遣候時、せんちん(船賃)・駄ちん、つかいを知る用候。宿々の丁(亭)主の名までもおぼえ候ずる事。旅などに人の商物事伝(ことづて)候共、少も無用候。余儀無く知音・親類遁れざる事ならば、是非に及ばず候。事伝物は少も売へぎ(剥)・買へぎ仕まじき事。
 生きている間は、いつも身軽にして、何か物を取りに出る時も、人に任せず、自分ですること。旅などに出る時は、懸硯(商取引に必要な帳面、金銭、印鑑、筆、硯などを収納した箱)、ごた袋などを肌身離さず持ち歩くようにせよ。馬に乗らず、3里~5里の道のりなら徒歩で行くこと。商人は歩きながら様々なことを学ぶものである。

 我々が若かった頃は、馬に乗ったことはない。歩いて道のりを覚え、馬賃、旅籠銭(宿代)、昼飯代、船賃などを書いて覚えた。人を遣わす時は、船賃、駄賃の使い過ぎに注意しなければならない。宿の亭主の名前も覚えること。旅の最中に他人の商い物のことを伝え聞いても、取り合ってはならない。知人や親類の頼みでどうしても仕方ない時はやむを得ない。自分の目で確かめず、伝え聞いただけのものは、売ったり買ったりしてはならない。
 一(十六)、いづれにても、しぜん寄合時、いさかい・口論出来候者、初めよりやがて立退、早々帰り候へ。親類・兄弟ならば是非に及ばず候。けんくわ(喧嘩)など其外何たる事むつかしき所へ出まじく候。たとい人之無躰をゆいかけ、少々ちじよく(恥辱)ニ成候とも、しらぬ躰にて、少之返事にも及候ハで、とりあい候まじく候。ひとのひけうもの(卑怯者)・おくびやうもの(臆病者)と申候共、宗室遺言十七条之書物そむき候事、せいし(誓紙)之罰如何候由申べき候事。
 寄合の時、争いや口論になったら、その場からそっと退出して帰るようにせよ。親族や兄弟の喧嘩ならば仕方がない。喧嘩が起こるような厄介な場所に出かけてはならない。たとえ、人から批判され、少々恥ずかしい思いをしても、知らぬ顔をして返事もせず、取り合うことはない。人から卑怯者、臆病者と言われても、宗室十七条の遺訓に背けば、誓紙の罰を受けるであろう。
 一(十七)、生中、夫婦中いかにも能候て、両人おもいあい候て、同前所帯をなげき、商売に心がけ、つましく油断無き様に仕べき候。二人いさかい中悪候てハ、何たる事にも情ハ入まじく候。所帯はやがてもちくづれ候ずる事。又我々死候はば、則其方名字をあらため、神屋と名乗候へ。我々心得候ひて、島井ハ我々一世にて相果候。但、神や名乗らず候へば、前田と名乗候てくるしからず候。其方次第候事。

 付、何事ニ付ても、病者にてハ成まじく候。何時成共、年中五度―六度不断灸治・薬のミ候ずる事。
 生きている間は、夫婦で互いに思いやり、家庭のことを心配し、油断なく事業に邁進しなければならない。2人の仲が悪くては、何事にも気持ちが入らず、家庭はやがて崩壊するだろう。また、我々が死んだら、あなたは名字を改めて神屋と名乗るがよい。我々がよく考えた結果、島井家は我々一代限りとする。神屋と名乗らないのであれば、前田と名乗ってもよい。あなたに任せる。

<付記>何事につけても、病弱であっては物事が務まらない。いつ何時も、1年に5~6回は灸治療を欠かさず、病気になれば薬のみを飲むこと(祈祷などに頼るなという意味か?)。

《後記》
 一代で巨万の富を築いた島井宗室だが、その暮らしぶりは非常に質素であったとされ、遺訓の中でも養嗣子である徳左衛門(信吉)に倹約を強く勧めている。ただ、この遺訓は全体的に処世訓であり、社是≒行動規範とはやや性質が異なるような気もする。もっとビジネス寄りの内容―例えば、顧客とどうやってリレーションを構築するのか?取引先とはどのようにつき合うのか?競争優位を獲得するためにどんなビジネスモデルにするのか?組織内の様々な仕組みや制度をどんな方針に基づいて導入するのか?など―が入っていれば、行動規範らしくなるだろう。

2014年01月31日

【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十一~十三条)

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島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 一(十一)、朝夕飯米一年に一人別壱石八斗に定り候へ共、多分むし物あるひハ大麦くわせ候へバ、一石三斗―四斗にもまハし候べく候。ミそは壱升百人あてニ候へ共、多候にして、百十人ほどにても一段能候。塩ハ百五十人にて然るべき候。

 多分ぬかミそ五斗ミそ油断無くこしらへくわせ候へ。朝夕ミそをすらせ、能々こし候て汁に仕べき候。其ミそかすに塩を入、大こん・かぶら・うり・なすび・とうぐわ・ひともじ(葱)、何成共、けづりくず(削屑)・へた・かわのすて候を取あつめ、其ミそかすニつけ候て、朝夕の下人共のさい(菜)にさせ、あるひハくきなどはしぜんにくるしからず候。

 又米のたかき時ハ、ぞうすい(雑炊)をくわせ候へ。寿貞一生ぞうすいくわれたると申候。但ぞうすいくわせ候に、先其方夫婦くい候ハでハ然るべからず候。かさにめしをもりくい候ずるにも、先ぞうすいをすハれ候て、少成共くい候ハずバ、下人のおぼえも如何候。何之道にも、其分別専用候。我々母なども、むかしハ皆其分にて候つる。我々も若き時、下人同然のめし計たべ候つる事。付、あぢすき無用事。大わたぼうし無用事。
 朝夕の飯で1年間に1人あたり1石8斗の米を消費することになるが、蒸し米や大麦を食べれば、1石3斗~4斗でもやりくりできるだろう。味噌は1升で100人分になるが、110人分まかなえればなおよい。塩は1升で150人分をまかなうべきである。

 ぬか味噌5斗を作って丁寧に使うようにせよ。朝夕味噌をすり、十分にこして味噌汁を作ること。その味噌かすに塩を入れ、大根、かぶら、うり、なすび、冬瓜、ネギなどの削りくず、ヘタ、皮を集めて入れて、朝夕の下人のおかずにするとよい。茎などはそのままおかずにしてもよい。

 また、米が高い時は雑炊を食べるようにせよ。寿貞は一生雑炊をお食べになったという。ただ、まずはあなた方夫婦が率先して雑炊を食べること。ちょっとだけ雑炊をすすり、後は全く食べないとしたら、下人の評判もよくない。いかなることでも、分別をわきまえることが重要である。我々の母なども、昔は皆分別をわきまえていた。我々も若い時は、下人同然の飯を食べたものである。
 一(十二)、我々つかい残たるものもとらせ候て、宗怡へ預ケ、如何様にも少づつ商事、宗怡次第ニ仕べき候。其内少々請取、所帯ニ少も仕入、たやすきかい物共候者、かい置候て、よそへ遣らず、商売あるひハしちを取、少は酒をも作候て然るべき候、あがり口之物にて、たかきあきない物、生中かい候まじく候。やすき物ハ、当時売候ハねども、きづか(気遣)いなき物候。

 第一、しちもなきに、少も人にかし候まじく候。我々遺言と申候て、知音・親類にもかし候まじく候。平戸殿(=松浦家のこと)などより御用共ならバ、道由・宗怡へも談合候て、御用立つべき候。其外御家中へハ少も無用候。
 我々が使い残したものも保管し、宗怡へ預けて少しずつ売却すること。その辺りは宗怡の判断に任せる。そのうち少々は受け取って家庭に入れてもよい。簡単に購入できるものは買い置きをしてよそにやらず、よい値で売却するか質に入れ、少しは酒も造るようにせよ。相場が急上昇している高い商品は、買ってはならない。安い商品は、その時は売れなくても、気を揉む必要はない(高くなるのを待て)。

 質もなしに他人にお金を貸してはならない。我々は遺言の中で、知人・親族であってもお金を貸さないと明記している。ただし、松浦家などから頼まれれば、道由・宗怡とも相談してお金を工面せよ。その他の家には決してお金を貸してはならない。
 一(十三)、人ハ少成共もとで(元手)有時に所帯に心がけ、商売油断無く、世のかせぎ専すべき事、生中之役にて候。もとでの有時ハゆだんにて、ほしき物もかい、仕度事をかかさず、万くわれい(華麗)ほしいままに候て、やがてつかいへらし、其時におどろき、後くわい(悔)なげき候ても、かせぎ候ずる便もなく、つましく候ずる物なく候てハ、後ハこつじき(乞食)よりハあるまじく候。左様之身をしらぬうけぬものハ、人のほうこう(奉公)もさせず候。

 何ぞ有時よりかせぎ商(あきない)、所帯はくるまの両輪のごとく、なげき候ずる事専用候。いかにつましく袋に物をつめ置候ても、人間の衣食ハ調候ハで叶わず候。其時ハ取出つかい候ハでハ叶まじく候。武士ハ領地より出候。商人はまうけ候ハでハ、袋に入置たる物、即座に皆に成すべき候。又まうけたる物を袋にいかほど入候共、むさと入ぬ用につかひへらし候者、底なき袋に物入たる同前たるべく候。何事其分別第一候事。
 人は、少しでも元手がある時は、家庭の維持を心がけ、油断なく事業を行い、稼ぎに専念するべきである。元手がある時は、油断してほしいものを買い、余計な支度をし、あれこれと華美なものを求めて、やがて元手を使い減らしてしまいがちだ。その時になって初めて驚き後悔しても、稼ぎを生み出す手段もなく、質素な暮らしをしなければ、後は乞食以下の暮らしをするしかない。そのような身分を受け入れられない者は、人の奉公もできないだろう。

 元手がある時、商売と家庭は車の両輪のごとく、両方とも十分に心を配らなければならない。どんなに倹約して袋に物を詰めておいても、人間の衣食が十分でなければ、その両輪はうまく回らない。その時は、袋から取り出した物を使わなければ、両輪が機能しない。武士には領地がある。商人は、儲けが出なかった時には、袋に入れておいた物に頼る。儲けたものをどんなに袋に入れても、むざむざと余計なことに使ってしまうのは、底が抜けた袋に物を入れているようなものだ。何事も分別をわきまえることが肝要である。


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