2016年01月13日
島薗進『国家神道と日本人』―「祭政一致」と「政教分離」を両立させた国家神道
国家神道と日本人 (岩波新書) 島薗 進 岩波書店 2010-07-22 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
著者は国家神道の構成要素について、村上重良の見解を紹介している。村上は、国家神道は①皇室神道、②神社神道、③国体の教義という3つからなるとした。①皇室神道とは皇室祭祀のことであり、天皇が自ら祭祀を執り行うことを指す。皇室祭祀は日本の伝統であるが、明治時代に入ると大幅な拡充が施されたという。皇室祭祀=天皇が神に祈るという行為の意味を広く国民に浸透させるために企図されたのが、②の神社神道である。明治維新後、伊勢神宮と宮中三殿を頂点として、全国の神社を一元的に統合し、組織化する変革が進んだ。
天皇が神に祈る意味を説明するのが、③の国体の教義である。国体とは、本書で紹介されている辻本雅史の定義に従えば、「日本の自国認識に関する思想で、とりわけ万世一系の天皇統治を根拠にして、日本の伝統的特殊性と優越性を唱える思想」である。江戸時代から国学者が主張してきた国体論は、明治維新後に研究が加速した。こうして、明治時代に入って①皇室神道、②神社神道、③国体の教義の3つが揃い、国家神道が確立された。さらに、明治国家は教育やメディアを通じて国家神道を広く国民に紹介し、また国民の祝日に神道祭祀を行うなどして、国民に対して国家神道を強く意識させることに成功した。
戦後、GHQは「神道指令(国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件)」を出し、国家神道を解体させたとされる。ところが、神道指令が命じたのは神社神道の解体のみであり、皇室神道は残った。したがって、国家神道は現在も生きているというのが著者の見立てである。さらに著者は、神道の研究者が国家神道と言う場合に、神社神道のみを対象としていることが多く、研究範囲が不当に狭められていると苦言を呈している。
国家神道だけを見れば、「祭政一致」であり神道の絶対化のように見える。ところが、興味深いことに、明治時代の人々は、私的領域において国家神道とは別に、仏教などの既存宗教や、キリスト教などの新しい宗教を信仰する自由が許されていた(キリスト教は幕末から禁教扱いされていたものの、1873年にキリシタン禁制の高札が撤去され、1889年の「大日本帝国憲法」によって信教の自由が保障された)。つまり、「政教分離」が実現されていたわけだ。国家神道側も、自らは宗教ではなく祭祀であるというスタンスを示すことで、他の世俗宗教との共存を可能にした。
国家神道は「公」の国家的秩序について堅固な言説や儀礼体系をもっているが、「私」の領域での倫理や死生観という点については言葉や実践の資源をあまりもちあわせていない。また、「公」の領域でも、西洋由来の思想や制度のシステムを借りなくては、存在しえないものだった。そこで日本文化の特徴を自覚的に考える人たちにとっては、国家神道と諸宗教や近代の思想・制度が支え合うことによってこそ、ある種の多様性を抱え込んだゆるやかな調和が成り立つ、そこに多神教的な日本文化の利点がある、と感じられる。日本の国体が美しいとされる一つの理由である。短絡的な発想になってしまうかもしれないが、「祭政一致」と「政教分離」を両立させる、「公」と「私」を両立させるのは、日本人が苦手とする「二項対立」の先鋭化を回避して、日本人が安定状態を保つことのできる「二項混合」に持ち込む優れた技のように思える。
《参考記事》
山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない
安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵
加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―日本の政治は2大政党制よりも多党制がいいと思う
齋藤純一『公共性』―二項「対立」のアメリカ、二項「混合」の日本
武田修三郎『デミングの組織論―「関係知」時代の幕開け』―日米はともにもう一度苦境に陥るかもしれない
義江彰夫『神仏習合』―神仏習合は日本的な二項「混合」の象徴
『安保法制、次は核と憲法だ!/「南京」と堕ちたユネスコ・国連/家族の復権(『正論』2015年12月号)』
西欧人などは二項対立的な把握をしても、自らを滅ぼすことはない。むしろ、二項対立的な把握こそ正常な認識とされる。だから、二大政党制が成り立つし、ディベートのような文化が育つ。欧米流の企業経営では、ターゲット顧客を絞り込むことがよしとされる。言い換えれば、自社が切り捨てて競合他社に明け渡してもよいという顧客層を明確にする。昔、シティバンクの戦略を勉強した時に、シティバンクは低所得者から口座維持費を徴収すると聞いてカルチャーショックを受けたことがある。つまり、シティバンクは富裕層しか相手にしないというメッセージを発しているわけだ。幅広い顧客に対して総合戦略をとる日本企業には考えられないことである。
シティバンクが低所得者層を切り捨てれば、今度は切り捨てられた低所得者をターゲットとする別の金融機関が生まれて、シティバンクと激しい競争を繰り広げるに違いない。そうなると解っていても、シティバンクは低所得者層を切り捨てる。ライバルとの激しい競争は是とされる。いや、強いライバルがいるからこそ、自社の存立理由が明確になるというものだ。例えばコカ・コーラに対してはペプシコがいる。コカ・コーラにとってペプシコは100年戦争を戦った憎き敵である。だからと言って、ペプシコがいなくなっては、コカ・コーラとしては困るのだ。
日本企業はと言うと、競合他社と正面衝突することはできるだけ避けようとする。競合他社と競争しているようで、実は公然と様々な協力関係を結んでいることも珍しくない。そういう協業を促進しているのが、日本に特有の業界団体という存在である。同じ業界にいる企業は、お互いの手の内がよく解っている。だから、どの企業も似たような製品・サービスになる。業界を監督する行政の側もそのことがよく解っているので、護送船団方式によって業界全体を保護しようとする。アメリカではトップの2大企業が激しく競争するのに対し、日本では中規模の企業が多数乱立して、同じような顧客に対し、同じような製品・サービスを提供している。
ここで注意が必要なのは、二項対立と二項混合は非常に近い関係にある、ということだ。二項混合は油断するとすぐに二項対立になる。日本のメディアは善悪二元論が大好きで、それに影響された少なからぬ日本人は、アメリカ=善玉、中国=悪玉ととらえている。ところが、二項対立的把握に慣れていない日本人がこのまま善悪二元論に従い続けると、悲惨な結末が待っているかもしれない。具体的には、悪玉の中国を叩き潰そうと攻撃するか、一周回ってアメリカを裏切り、中国に土下座するかのどちらかである(以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」を参照)。
上記の引用文で、明治時代の日本では「公」と「私」が共存していたことを示した。だが、徐々に「公」が「私」を侵食し、ついに滅私奉公に至ったのが太平洋戦争であった。戦後は逆に、「私」が「公」を侵食している。最近では、アメリカ式の行きすぎた自由主義に対する批判の声も上がっている。だからといって、今の日本に必要なのは、再び「公」を取り戻すことではない。むしろ「公でもあり私でもある」という空間を創造することである。これは政治学にとって新しい挑戦である。
日本人は時にたぐいまれな優秀さを発揮して、二項混合状態を自然と作り上げてしまうことがある。今回の記事で紹介した国家神道もその一例かもしれない。ところが、多くの場合は、意識的に二項混合へと持ち込む必要がある。そして、二項を混合させるには、まずは一旦二項を分けなければならない。この過程で二項対立に陥るリスクが生じる。米中に挟まれた日本は、アメリカ的な価値観や制度に、中国の政治・経済の果実を接合させることが必要だ。だが、学習の途中で米中二項対立が先鋭化し、今以上に反中のムードが高まる危険性がある。