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『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他
『意思決定の罠(DHBR2016年1月号)』―M-1のネタ見せ順と順位に関係はあるのか再検証してみた、他
『稲盛和夫の経営論(DHBR2015年9月号)』―「人間として何が正しいのか?」という判断軸

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

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(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
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 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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2016年05月02日

『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他

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DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2016年5月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2016年5月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2016-04-09

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 (1)
 一般に、強い怒りを示したペアほど交渉が思わしくない結果―たとえば訴訟や膠着状態(決裂)―に終わることが多い。(中略)交渉に怒りを持ち込むのはプロセスに爆弾を投げ込むようなもので、結果に多大な影響を与える傾向があるということだ。
(アリソン・ウッド・ブルックス「喜怒哀楽の巧みな表現を力に変える 交渉を有利に運ぶ6つの感情の見せ方」)
 随分前の旧ブログの記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」で、意思決定の際には「冷静さ」という感情が必要であると書いた。逆に言えば、怒りのようなそれ以外の感情は、認知を歪め、冷静な意思決定を阻害する。この点は、特に日本人にとって重要だと思う。

 アメリカ人やフランス人は、交渉の段階で感情的になり、相手を口汚い言葉で批判することがある。だが、彼らが批判するのは相手が言っている内容のことであって、相手そのものではない。つまり、論理と感情を切り離している。だから、交渉がまとまれば、今までの喧嘩モードが嘘のように相手と握手を交わし、ハグもする(ちなみに、ドイツ人やデンマーク人は、冷静かつストレートに相手の発言を批判するらしい。この流儀に慣れていない人は、土足でずけずけと踏み込まれたような気分になり狼狽する。だが、彼らにとってそれは普通の対応であり、悪気はない)。

 日本人は論理と感情を切り離すことがあまり上手ではない。そのため、交渉の途中で感情的になると、つい相手の性格そのものを否定するような発言をしてしまうことがある(ある有名な上場企業に勤める友人から聞いた話によると、その社長は役員会議で他の役員のことを「バカ」とか「焼け死ね」などと平気で面罵するらしい)。最近問題になっているヘイトスピーチも、特定集団に対する人格攻撃である。そういう攻撃を食らった人が、その後も前向きな気持ちで交渉を続けてくれるとは到底思えない。日本人は感情の扱いにとりわけ注意する必要がある。

 ただ、本号には次のような記述もあった。国際的な人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の日本代表を務める土井香苗氏のインタビュー記事である。
 嫌われたくない、敵を増やしたくないというのは人間の自然な感情なのでしょうが、時には悪役になって正論を言い続けなければならない。いまの状況を打破しなければ前に進めないならばそうすべきです。
(土井香苗「【インタビュー】非政府組織・非営利組織の交渉術 正論こそ最強の武器である」)
 土井氏は、例えば養護施設に多くの子どもが預けられている問題を取り上げて、「施設を維持することで利益を得ている人がいるからではないか」などと官僚に対して正論を言うそうだ。正論を言う土井氏自身は努めて冷静なのかもしれないが、正論を言われた方はいい気がしない。むしろ、怒りの感情が湧いてくるだろう。そうすると、交渉にマイナスの影響を及ぼしそうである。冒頭の引用文と土井氏の発言の違いはどのように解釈すればよいだろうか?

 私なりに考えてみた結果は次の通りである。相手が交渉のテーブルに着いてくれた後は、感情、特に怒りをコントロールし、お互いに冷静な判断ができるようにしなければならない。しかし、相手が交渉のテーブルに着く前、とりわけ、交渉のテーブルに着く必要がないと考えているケースでは、わざと相手の怒りを刺激するのも一手である。もちろん、相手がへそを曲げて交渉を拒否してしまうリスクはある。しかし、相手が「何を言ってくれるんだ!?」と振り向いてくれたら、こちらの目論見は成功である。土井氏は、正論の効果について次のように述べている。
 それに誰かが悪役になることで、同じ目的を持った他の誰かが動きやすくなることがあります。たとえば、世論を喚起して、そのプレッシャーで政府を動かすところまでは私たちがやって、関係者のコンセンサスづくりに入る段階になったら、悪役の私たちは後ろに下がる。他のNGO団体などに現実的な交渉役になってもらい、合意形成まで持っていく。悪役が際立っているほど、後から出てきた交渉役はみんなの合意を得やすくなるからです。
 (2)
 心理学者であるキャロル・ドゥエックは、「固定型」と「成長型」という、人生に対処する2つの基本的な思考を特定した。「固定型」思考を持つ者は、知性と才能を概して生まれつきのものと考える。人は生まれつき知性と才能を持っているかいないかのどちらかだというのである。(中略)

 対照的に、「成長型」思考を持つ者は、挑戦課題と学習の機会を探し求める。彼らは、どれほど優れた者でも努力と訓練によってさらに向上すると考える。失敗を無能の証とは見なさず、すすんでリスクを取る。
(フランチェスカ・ジーノ、ブラッドレイ・スターツ「4つのバイアスが人の行動を型にはめる なぜ「学習する組織」に変われないのか」)
 またしても私の勝手な思い込みかもしれないが(いつものことか・・・)、キリスト教圏、とりわけアメリカは「固定型」が支配する社会であると考えられる。それぞれの人間の使命は唯一絶対の神が決めている。その使命を達成するのに必要な知識と能力を内包した状態で、人間はこの世に誕生する。人生とは、その知識や能力が発露する過程である。

 アメリカ人は、生まれたばかりの段階では、自分の持つ特別な知識や能力が何であるかを知らない。それを知るためには、神を強く信じるしかない。アメリカ人は、毎週日曜日になると教会に通い、私に課せられた使命とは何かを神に問う。テレビで流れるキリスト教の番組に耳を傾けて、自己啓発の参考にする。こうした祈りを通じて、アメリカ人は「私の使命はこれだ」と標的を定める。そして、その使命を全うすることを神と約束する。これが「契約」である。

 ただし、その契約が正しいかどうかは、実は神しか知らない。神は、その人に与えた使命と、その人が自覚した使命が違っていても、何らアドバイスしない。そのため、神と正しい契約を結べるアメリカ人は、ごく一部に限られる。正しい契約に到達した一握りのアメリカ人だけが、生来的に備わっている知識と能力をいかんなく発揮し、強いリーダーシップで強烈なイノベーションを実現する。神との契約を正しく履行し、使命を達成することを、アメリカ人は「自己実現」と呼ぶ。自己実現できなかったその他大勢のアメリカ人との間には、極めて大きな経済格差が生じる。


 《2016年9月3日追記》
 引用文にあるように、「固定型」においては、人は生まれつき知性と才能を持っているかいないかのどちらかだとされる。この傾向は、とりわけアメリカで強いように思える。アメリカでは、とてつもない天才が現れる一方で、能力が低い者も結構多い。私が好きな野球の話で恐縮だが、MLBには日本人では絶対真似できないスーパープレイヤーがいると思いきや、「こんな守備で本当にプロなのか?」と言いたくなるような選手もいる。アメリカは平等社会と言われるものの、実際には平等社会ではない。平等であるのは、神によって選ばれた者の間においてのみである。

 石角友愛『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋、2016年)に興味深いデータが紹介されていた。IQテストで全人口の上位2%以内のスコアを出した人のみが加入できる非営利団体「メンサー・インターナショナル」という世界組織がある。各国のメンバーを見ると、1位はアメリカの5万人である。2位はイギリスで2万2700人、3位はドイツで1万2500人と続く。日本は12位で1250人にとどまる。もちろん、同組織に所属しない高IQの人たちもいるから断定することはできないが、アメリカは他国に比べて天才が多い傾向がありそうである。


才能の見つけ方 天才の育て方才能の見つけ方 天才の育て方
石角 友愛

文藝春秋 2016-06-29

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 一方の日本人は、「成長型」の社会である。日本人はアメリカ人と違い、生まれた時には何の知識や能力も持っていない。この点で、日本人はアメリカ人に対して劣等感がある。しかし、逆説的だが、劣等感があるからこそ、何者にもなれる可能性を秘めている(以前の記事「『未来をひらく(『致知』2015年2月号)』―日本人を奮い立たせるのは「劣等感」と「永遠に遠ざかるゴール」」を参照)。本号でユーグレナ代表取締役社長の出雲充氏が興味深いことを述べていた。
 私はそもそも、個人差によるスキルや効率が物事の成否を分けるという考え方にはとても懐疑的である。微生物の研究を通して、そう考えるに至った。人間は一般に23対の染色体を持ち、それは約30億の塩基で構成されている。そして塩基の99.9%以上が一致しているからこそ、身長が10メートルの人もいなければ、10センチメートルの人も存在しない。生物学のレベルで見れば、人間がやることに大きな違いなどなく、それは交渉力についても変わらないのだ。
(出雲充「ベンチャー企業に成功の近道などない 未知の価値を売り込む「ゼロ・トゥ・ワン」の交渉術」)
 アメリカ企業はスペシャリスト育成を重視する(最近は、取締役にも専門性を求める声が高まっているようだ)のに対し、日本企業はゼネラリスト育成に注力してきた。アメリカ企業がスペシャリストを重視するのは、前述のように、その人にはその人特有の知識や能力が生来的に備わっているという考え方と無縁ではないだろう。一方、日本企業は、あらゆる社員に対して定期的にジョブローテーションを行い、様々な仕事を担当させる。これは、日本人は最初こそ何もできないものの、十分な経験をさせれば、多様な能力を習得できると信じているからである。

 日本人は非常に長い時間をかけて学習を続ける。その結果、ある程度の適材適所は生じるだろうが、出雲氏の言葉に従えば、年齢を重ねた人でも能力にはそれほど大きな差が生じないことになる。最近、私は年功的な賃金体系を支持している(以前の記事「坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)」を参照)。これは、給与が能力や成果に対する見返りではなく、社員の生活費をカバーするものであるという考えに立脚したものである。しかし、仮に多くの社員の能力が同じように年々高まり続けるのであれば、年功制が能力や成果に対する見返りであると位置づけても十分に話が成立すると考えられる。

 (もちろんこれは、社員が長期間学習を継続することが前提である。学習の意欲を失った社員には厳しい態度で臨むべきだ。私が支持するのは年功制であって、終身雇用ではない)

 日本人の学習は非常に長いマラソンである。ということは、途中で数年程度のブランクが生じたとしても、後から挽回できるチャンスが十分にあることを意味する。日本企業は、大学卒業後にブランクのある若者、就職難で大学卒業後しばらくは非正規社員として働いた人、子育てのために数年間離職した女性、親の介護のために一時的に休職した社員を正社員として採用することに消極的である。ブランクなどがあると、能力がリセットされると考えてしまう。実際にはそれは誤解であり、数年程度で能力に大きな差は生じないと、人事部は認識を改める必要がある。

 企業は、一時的に離職した人も積極的に正社員として迎え入れ、原則として同年代の社員と同じ仕事を担当させるべきだ(給与も同年代の人と同じとする)。それではどうしても不安だと人事部が思うならば、まずは3歳ほど下の社員と同じ仕事をさせる(給与もその分下げる)。そして、本人が努力して遅れを挽回できたら元のレールに戻す、といった運用をするとよい。

2016年01月20日

『意思決定の罠(DHBR2016年1月号)』―M-1のネタ見せ順と順位に関係はあるのか再検証してみた、他

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 01 月号 [雑誌] (意思決定の罠)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 01 月号 [雑誌] (意思決定の罠)

ダイヤモンド社 2015-12-10

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 (1)
 マネジャーたちも(マーケティング部門以外のマネジャーだとしても)、エバンジェリストになりうるのだ。(中略)あなたがリーダーならば、自社とその製品、サービスの伝道に努めるべきだ。社内であれば休憩室、あるいはメールや協働プラットフォームを通じて、社外であれば業界の会合、リンクトインやフェイスブック、ツイッターを通じて、内外どちらに対してもエバンジェリストとしての役目をすすんで果たさなければならない。ソーシャルメディアの時代では、エバンジェリズムは全員の責務である。
(ガイ・カワサキ「究極のマーケティングを実践しよう エバンジェリスト:自分の「わくわく」を伝える技術」)
 エバンジェリズムとは宗教用語であり、「よい知らせ(福音)の告知」という意味である。この論文を読んだ時、まさにこれはアメリカ的な発想だと感じた。アメリカと日本の戦略の違いについては、以前の記事「日本とアメリカの戦略比較試論(前半)(後半)」、「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などで書いたので、そちらをご参照いただきたい。

 端的に言えば、イノベーターが自身のニーズに基づいて生み出した革新的な製品・サービスを世界中に普及(布教)させることを、唯一絶対の神と契約するのがアメリカ企業のやり方である。これはエバンジェリズムに他ならない。著者は、マネジャーは誰もがエバンジェリストになるべきだと主張する。ちなみに、著者はアップル出身であり、アップル在籍時にはマッキントッシュによって誰もがもっと創造的かつ生産的になるという「福音を告知すること」が仕事であったという。

 アメリカは情報分析が大好きである。マーケティングにITを活用するのは、アメリカの方が断然進んでいる。だが、私が思うに、アメリカが情報を重視するのは、顧客ごとに製品・サービスをカスタマイズするためではない(※)。世界標準の製品・サービスを世界中に普及させるために、顧客の違いに応じてどういう戦術を取るか緻密に検討するのが目的である。近年、IoTが注目されている。例えば、GEは航空機のエンジンをネットワークにつなぎ、稼働状況を常時監視して、保守や交換のタイミングを最適化している。これは顧客のニーズに応じたサービスを提供しているようだが、実際にはGEが顧客を囲い込んで、エンジンの売上高を伸ばすのが狙いである。

 (※)確かに、AmazonやYoutubeはユーザーの好みに応じてコンテンツをカスタマイズできる。しかし、AmazonやYoutubeの真の狙いは、結局のところ高度な情報分析によって、ユーザーが両社のプラットフォームから逃れられなくすることであるように思える。

 アメリカの情報重視は政治の世界でも同じである。アメリカはインテリジェンスに多大な投資をし、多国の政治や経済にも介入する。ところが、各国の民族性、歴史、風土、文化、社会などの特徴に応じて、その国にフィットした政治・経済体制を構築しようとしているようには見えない。あくまでも、自由、平等、基本的人権、市場原理、資本主義といった普遍的価値を、アメリカと同じように実現させようとしている。アメリカが情報を活用するのは、アウトプットをカスタマイズするためではなく、ゴールに至る施策をファインチューニングするためである。

 (2)昨年末、5年ぶりにM-1グランプリが復活した。旧ブログの「M-1グランプリ決勝のネタ見せ順番に有利・不利はあるのか?」という記事で、2007年終了時点において、決勝のネタ見せ順によって、最終決戦進出に有利・不利があるのかどうか検証を試みたのだが、今になって読み返してみると何とも浅はかな内容で恥ずかしくなった。あれから4回大会が終わってデータも増えたので、今度は別の方法で検証してみることにした(とはいえ、当方は統計学の知識が不足しているため、この方法で正しく検証できているかどうか、コメントをいただけるとありがたいです)。

 下表は、2002年~2010年、2015年大会の決勝順位とネタ見せ順を一覧化したものである。2001年のみ出場組数が10組である、観客の得点が反映されるなど、採点方法が異なるため除外した。また、最終決戦の順位は考慮しておらず、純粋に決勝順位のみを分析対象とした。
M-1ネタ見せ順と順位

 ここで、1位のネタ見せ順を順番に並べた集合を、1位のネタ見せ順群={5, 7, 8, 5, 6, 9, 4, 8, 6, 9}とする。ネタ見せ順によって決勝順位に差がないとすれば、各順位のネタ見せ順群は、1-9(位)の中から重複を許して10個の数字(10年分のため)をランダムに抽出した集合であり、群によって違いはないはずだ。例えば、1位のネタ見せ順群と、5位のネタ見せ順群は、同じ集合となる。もし違う集合であれば、ネタ見せ順によって決勝順位に影響が出ていることを意味する。

 2つのグループの平均の差が偶然誤差の範囲内にあるかどうかを調べる方法が「t検定」である。t検定をエクセルで行うやり方は、「F検定→t検定・・・平均値の差の検定」や「T.TEST関数/TTEST関数でt検定を行う」をご参照いただきたい。TTEST関数の値が0.05(与えられた自由度に対するt値が95%の信頼区間の外にある=外側の確率が5%以下)未満の場合、2つのグループの平均値に有意差があることになる。

 例えば、TTEST関数の第1引数に1位のネタ見せ順群={5, 7, 8, 5, 6, 9, 4, 8, 6, 9}を、第2引数に2位のネタ見せ順群={2, 4, 5, 1, 4, 6, 7, 5, 3, 6}を設定する(なお、第3引数には「2」=両側確率を求める、第4引数には「1」=対になっているデータのt検定を設定した)。この時、関数が返す値が0.05未満であれば、1位のネタ見せ順群と2位のネタ見せ順群には有意差があり、異なる集合であると言える。つまり、ネタ見せ順が決勝順位に影響を与えている。

 下表は、1位のネタ見せ順群と2位のネタ見せ順群、3位のネタ見せ順群・・・9位のネタ見せ順群、2位のネタ見せ順群と3位のネタ見せ順群、4位のネタ見せ順群・・・9位のネタ見せ順群、3位のネタ見せ順群と4位のネタ見せ順群、5位のネタ見せ順群・・・9位のネタ見せ順群との間でt検定を行った結果である。TTESTの値が0.05未満のセルを黒塗りした。
M-1ネタ見せ順と順位(t検定)

 これを見ると、ネタ見せ順が決勝順位に与える影響はある程度ありそうである(旧ブログの結論と違っており申し訳ない)。特に、8位、9位になるネタ見せ順には偏りがある。実際、最初の表を見ると、8位にはネタ見せ順=2番目が、9位にはネタ見せ順=1番目が多い。序盤にネタ見せするコンビは不利であるというのは当たっている。1位、2位、3位の間でも有意差が見られるが、1位と3位は後半の順番に偏っており、2位は前半の順番を含むことが影響していると考えられる(したがって、1位と3位には有意差がないのに対し、1位と2位、2位と3位には有意差がある)。


 《2016年8月17日追記》
 2つのグループの平均の差が偶然誤差の範囲内にあるかどうかを調べるには「t検定」を用いればよいが、3つ以上のグループの平均の差を検定する場合には「分散分析」を行わなければならないことに最近気づいた。半年以上も誤りを放置したままで、何とも恥ずかしい限りである。分散分析のやり方については、「エクセル 分散分析を簡単に解決しました。」を参照した。分散分析の結果、「観測された分散比」>「F境界値」であるため、グループ間には有意の差がある。つまり、ネタ見せ順が順位に影響していると言える。


M-1ネタ見せ順と順位の関係(分散分析)

 旧ブログの記事では、1組終了するごとに採点を行っていることがネタ見せ順による不公平感を是正していると書いた(最後にまとめて採点すると、前半のネタは記憶から薄れてしまい、よく覚えている後半のネタを高く評価してしまう)。だが、今回の分析によれば、現在の採点方法でもまだ改善の余地があることをうかがわせる。改善のヒントは以下の引用文から読み取れる(いきなりM-1の話をしてしまったが、ようやくDHBRの論文の話に戻ってきた)。
 意思決定の選択肢は、順番に評価するよりも同時にまとめて評価したほうが、バイアスが減る。たとえば就職希望者を評価するマネジャーは、彼らを別々に比較するよりも相互比較することで、その将来のパフォーマンスを偏りなく見極められる。まとめて評価したほうが、性別や暗黙の固定概念ではなく、その人の過去のパフォーマンスに注目する方向へ採用担当を「ナッジ」できるからだ。
(ジョン・ビシアーズ、ファンチェスカ・ジーノ「意思決定のプロセスと過ちの原因を理解せよ 行動経済学でよりよい判断を誘導する法」)
 審査員は1組終了するごとに採点を行うものの、1組ごとに得点を集計して発表せず、9組が終了した時点で審査員が各組の得点を調整する時間を与えるとよい。ここで、9組を相互に比較すれば、引用文にあるように意思決定のバイアスが軽減される。また、序盤はまだ会場が温まっておらず、序盤の組にとって不利だという点については、例えば決勝から漏れた審査員の注目株を3組ほど登場させるとよい(あるいは、結成15年を超えており、大会とは無関係の組を登場させるという手もある。ただ、ベテランが前座のようなことをするのは嫌がるかもしれない)。

 (3)
 もう1つの理由は、自分の引き出しにある戦略の幅が広いからです。そして戦略の幅が広いのは、ボツにした戦略の数が圧倒的に多いからです。どんな相手でも、自分より先に相手の引き出しを出し切らせる自信があります。
(梅原大吾、石川善樹「「勝ち続ける」ための定石 【対談】感情を制する者はゲームを制す」)
 梅原大吾氏は日本初のプロ・ゲーマーである。梅原大吾氏も石川善樹氏も私と同い年である。同い年の人がDHBRに登場しているのを見ると、私ももっと頑張らないといけないと思う。今月号のDHBRは、この2人の対談が一番面白かったかもしれない。今月号には、心理学者ダニエル・カーネマンが提唱した「システム1」、「システム2」という2つの思考に言及した論文が2本あった。非常に簡単に言うと、システム1は直観的な思考、システム2は論理的な思考である。

 我々が日常生活の中で迅速に判断を下すにはシステム1が有効だが、システム1は様々なバイアスに影響されやすいという難点もある。そこで、時にはシステム2に切り替えて、システム1の欠点を上手に補う必要がある、というのが一般的な主張である。ところが、本号の論文では、システム1もシステム2も問題があり、両者を統合したアプローチが必要だと指摘されていた。しかしながら、私の理解不足のせいか、それが具体的に何を指すのか、どうも釈然としなかった。

 話を元に戻そう。ゲームはゴールが非常に明確である。梅原氏が得意とする格闘ゲームであれば、自分の体力が0になる前に、相手の体力を0にするのがゴールである。そして、それを達成するためにどういう作戦を取るかを考える。梅原氏の強さの秘訣は、作戦のバリエーションの豊富さにある。これはいかにも日本人らしい戦い方だと思った。

 以前の記事「『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人」でも書いたが、アメリカ人は因果関係をできるだけ単純化するのに対し、日本人は様々な要因が積み重なって結果が生まれると考える。格闘ゲームの場合、梅原氏によれば、プレイヤーを画面の両端に追い込むと勝てる確率が上がるそうだ。アメリカ人は、相手をいかにして画面の両端に追い込むかに集中するに違いない。一方、梅原氏は、そういう勝ちパターンは意識するものの、それ以外にもどういう戦い方ができるかを色々と思案する。
 野球のピッチャーで考えると、ツーストライク・ノーボールの状態はピッチャーが有利だといえます。ここからスリーストライクを取れば勝つゲームではなく、いかにツーストライクを取るかが問われるゲームだと考えることができる。これが視点の変化です。勝負を有利に運ぶのは運ではありません。戦略です。この場合は、ツーストライクをゴールにすることで、より簡単にゴールに進ませてもらうのが戦略です。相手のバッターが、最後のストライクさえ取られなければいい、最も集中力を発揮すべきは最後の一球だと思っていれば、スリーストライクと比べるとツーストライクは比較的簡単に取ることができるでしょう。(同上)
 野村克也氏によれば、打者の得意なコースのすぐ近くに苦手なコースがあることが多いそうだ。これは重要なことを示唆している。すなわち、強みのすぐ近くに弱みがあり、強みばかりに集中していると、近くの弱みを突かれてコロリと負けてしまうリスクがある、ということである。だから、競合他社に簡単に強みを悟られてはならない。逆に、競合他社が強すぎて太刀打ちできないようでも、その強みの周辺をじっくりと観察すれば、意外な弱点が隠れている可能性がある。

 中小企業診断士は、企業の財務諸表に基づいて各種指標を算出し、その値を同業他社と比較して強み、弱みを分析する。この時、特定の指標が優れているからその分野に強みがあると結論づけるだけでは、分析としては不十分なのかもしれない。その指標が優れていることによって、周辺の業務にしわ寄せが行っていることも考えられる。そこまで思い及んで仮説が立てられるようになったら、かなりの腕前と言えるだろう(私はそのレベルまで達していないが)。

2015年09月04日

『稲盛和夫の経営論(DHBR2015年9月号)』―「人間として何が正しいのか?」という判断軸

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2015年 09 月号 [雑誌]ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2015年 09 月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2015-08-10

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 本号には、稲盛和夫氏が事業開始直後のことを回想している部分があった。開業時、1,000万円の借入をして機械を購入し、1年目で100万円の利益を出した。しかし、毎年100万円ずつ返さなければならないとすると、返済までに10年かかり、次の機械を購入できるのが10年後になってしまう。稲盛氏は自分の支援者にこう話したところ、「100万円の利益が出るのは立派な企業だから、もっと借入をすればよい。事業を大きくしたければ、借入も多くしなさい」と諭されたという。稲盛氏ですら、最初の頃は借入金についてこういう認識をされていたことが興味深かった。

 稲盛氏の経営哲学は、言葉にすると非常にシンプルだ。「人間として何が正しいのか?」という判断基準に従って、「真・善・美」の実現を追求するのが稲盛流経営である。稲盛氏の考え方は非常に奥が深いゆえに、周囲が理解するのには時間がかかり、とりわけアメリカ人とはしばしば衝突したようである。稲盛氏は「リーダーは壊れたレコードのように大事なことを繰り返し社員に伝えなさい」という言葉を残している。おそらく、アメリカ人にもそのように対応したことだろう。
 研修会前日の夕方にカリフォルニアに着き、アンケートを見たところ、コメントはひどいものでした。「こういう哲学、フィロソフィを押しつけられたら、たまったものではない」というのがだいたいのコメントでした。なかんずく、「金のためだけに働くことはダメだと書いてあるが、われわれは金のために働いている。金のためにだけ働くことはダメなどというのはとんでもない話だ」と言うのです。
(「経営講演選集4 リーダーシップと判断基準」)
 《参考記事》
 果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(1)(2)(補足)
 日本とアメリカの「市場主義」の違いに関する一考
 日本とアメリカの戦略比較試論(前半)(後半)

 上記記事の繰り返しになるが、アメリカはキリスト教(プロテスタント)の国であり、唯一絶対の神を信仰する一神教の国である。アメリカ人が何か事を成し遂げたい場合は、神との間で契約を結ぶ。ここで注意が必要なのは、契約は他の人間との間で結ぶわけではない、ということである。キリスト教では、契約は神と人間との間で結ぶものである。神と契約を結んだ人間は、プロテスタントらしく努力を積み重ね、契約を履行しようとする。最終的に、その契約を実現させることを自己実現と呼ぶ。これは、マズローの欲求5段階説で最上位に位置する欲求のことである。

 企業のリーダーも同じである。まず、リーダーが「この製品・サービスを売りたい」という構想を持つ。ポイントは、構想の起点が他者ではなくリーダー自身にあることだ。つまり、「市場にはこういう製品・サービスのニーズがあるはずだ」と考えるのではなく、「私はこういう製品・サービスがほしいから、きっと他の人もほしがるに違いない」と考える。既に存在する市場でシェアを獲得するのではなく、新たな市場の創出を志向する。言い換えれば、マーケティングではなく、イノベーションを目指す。リーダーは、自身のイノベーションの構想について、神と契約を締結する。

 神は様々な製品・サービス分野において、様々なリーダー、イノベーターと契約を結ぶことになる。ここで問題なのは、唯一絶対の神は、同じ分野における正解を1つか2つしか定めていない、ということである。すなわち、特定の製品・サービス分野における勝者は1社か2社しかいない。しかし、その解を知っているのは神だけであり、リーダーには全く解らない。リーダーは、我こそが勝者だと思い込んで、熾烈な競争を繰り広げる。競合他社を直接的に攻撃することもある。だが、最終的には神が定めた勝者だけが利益を総取りし、その陰で多数の敗者が生まれる。

製品・サービスの4分類(修正)

 《各象限の製品・サービスの例示の補足》
 (1)必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい=
 食品、衣料品、日用品、白物家電、不動産、飲食店、小売店、教育、ニュースメディア
 (2)必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい=
 自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送サービス、金融サービス(預金&貸出)
 (3)必需品ではない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい=
 高機能家電(スマートフォン、PC、タブレットなど)、アパレルブランド、エンターテイメント(ディズニー、ピクサーなど)、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス〔Youtube、Facebook、Twitter、Instagramなど〕)、音楽、書籍、雑誌、観光、金融サービス(証券&保険)

 (※)この製品・サービスの分類はまだ暫定版であり、今後追加&修正を施す予定である。

 こういう状況が生まれやすいのは、上図の「必需品ではない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」の象限である。この象限はアメリカ企業が強いのだが、ある製品・サービス分野で名が通ったブランドは、たいてい1社か2社しか存在しない。トップ2社は、お互いを激しく攻撃する傾向がある(例えば、コカ・コーラVSペプシコなど)。逆に、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」の象限は、大小合わせて多数のブランドが存在する。多神教文化の日本はこの象限と親和性が高い。

 必需品ではないということは、市場のニーズをとらえにくいことを意味する。そのため、リーダーは自分を起点として、「私はこういう製品・サービスがほしいから、きっと他の人もほしがるに違いない」と考えるわけだ。この場合、経営のリスクは高くなる。手っ取り早く一山当てたいと考えるリーダーは、人間の快楽を素早く満たす短期的な製品・サービスに手を出す。そういうものは刹那的に消費されるだけであり、社会的・道徳的意義に疑問符がつくものも少なくない。

 この象限で戦うもう1つのパターンは、現れては消えていく高リスクの製品・サービスを無数に束ねるプラットフォームを形成することである。Amazon、Youtube、google(検索エンジンとGoogle Play)、App Store、hulu、Netflixなどがその代表例と言える。プラットフォーム企業は、製品・サービスを作る無数のプレイヤーの間で激しい競争を展開させる。そして、売れ筋・人気度ランキングを常に顧客に開示し、勝者を決定する。勝者は利益を総取りできる一方で、敗者には何も残らない。プラットフォーム企業側は、各プレイヤーから広く手数料を獲得することで、誰が勝者になっても必ず儲かる仕組みになっている。

 プラットフォーム型ビジネスの問題点は、顧客を数多く抱えていることをいいことに、製品・サービスを作り出すプラットフォーム上のプレイヤーに対して、過度なプレッシャーをかけてしまうことである。プラットフォーム企業は顧客のニーズを代弁しているとはいえ、多くの顧客のニーズを集約すれば、結局のところ「安く、早く」としかならない。このプレッシャーが強すぎると、プラットフォームには劣悪品があふれるようになる。Youtubeの粗悪な動画や、Amazonの粗悪な電子書籍などはその表れだろう。弊害が強くなれば、プラットフォーム企業はプレイヤーとともに死ぬ。

 こういうビジネスは、稲盛氏が掲げる「人間として何が正しいのか?」という判断基準に引っかかるに違いない。稲盛氏は絶対にこの手のビジネスをしないと思われる。確かに、この象限で上手く行けば、自社製品・サービスをデファクト・スタンダードとして世界中に売りまくり、莫大な利益を手に入れられる。しかし、それが長期的に見て、経営者として、また、その企業の製品・サービスを享受する顧客にとって、本当に人間らしい営みと言えるかどうかは、厳しく問われるはずだ。
 例えるとハンバーガーを食べコーラを飲んで楽しいというのも、それはそれで食の楽しみだが、そのような食事を取り続けると体に変調を来す。これと同じで、どうしても表面的なもののほうが短期ではわかりやすいが、それが長く続かないのは過去の歴史が明らかにしている。
(森川亮「事業の基本は、利他の精神」)



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