2015年05月13日
室谷克実『呆韓論』―『朝鮮日報』や『中央日報』などが突っ込みどころ満載だった
呆韓論 (産経セレクト) 室谷克実 産経新聞出版 2013-12-05 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書では、『朝鮮日報』や『中央日報』(ちなみに、『中央日報』はサムスン財閥総帥の義弟一族が株式を握っており、「サムスンの機関紙」と揶揄される)などの日本に関する記事に対して様々な批判が加えられているのだが、記事の内容は私から見ても突っ込みどころが満載であった。
日本による植民地支配はわが民族を絶滅の危機に追いやり、韓半島分断など、今なおわが民族が味わう苦痛の原因となっている。朝鮮半島の人口は、「日帝」の支配時代に減少してはいない。第二次日韓条約により、1905年より朝鮮は日本の保護国となったが、1906年時点の人口は980万人であった。それが、1945年、日本の敗戦により総督府の統治権がアメリカ軍へ移譲された年には2,512万人となっている。もっとも、この人口データには不自然だという指摘もある。とはいえ、その不自然な点を差し引いたとしても、日帝によって朝鮮民族が滅亡しかけたというのは、誇大妄想と言うべきであろう。戦後の南北朝鮮分断は、日本のせいではないことは言わずもがなである。
(「東アジア最大の懸念材料となった安倍政権の日本」〔『朝鮮日報』2013年4月25日〕)
妓生(キーセン)が多い韓国で売春は日常的なもので、慰安婦は詐欺師が書いた本のためにねつ造されたものだと話す安倍は、類例がないほどの道徳的虚無主義者だ。芸者が多い日本は売春天国だったのか。「韓国の慰安婦は日本軍によって強制連行された」という吉田清治の言説(いわゆる「吉田証言」)は、2014年朝日新聞によって否定された。そもそも、韓国は終戦直後から慰安婦問題を持ち出していたわけではない。吉田清治が強制連行を告白した1980年代からいきなり声高に主張し始め、朝日新聞がそれを利用したのである。
(「安倍の日本、ならず者国家の道を歩むのか」〔『中央日報』2013年5月3日〕)
「芸者が多い日本は売春天国だったのか」とあるが、韓国も売春大国である。韓国では売買春は違法だ。しかし、韓国女性政策研究院によれば、韓国における性売買の規模は約14兆ウォン(130億ドル、2007年)であり、韓国のGDPの1.6%に相当する。また、韓国の売春婦の1割は海外へ出稼ぎに出ている。日本には約2万人、オーストラリアには約1万人の売春婦がいる(アメリカの場合はメキシコからの不法入国によるため、具体的な人数を把握することは難しいらしい)。韓国人は、「我が国の最大のサービス輸出は売春産業である」と自嘲するほどである。
歴史的には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6か月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。(中略)ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。「神の懲罰」という言葉は軽々しく使ってはならないと思う。原子爆弾は、「戦争において民間人を無差別に攻撃してはならない」という国際法に反していると言われる。にもかかわらず、アメリカの行為は戦後いかなる司法組織によっても裁かれなかった。それどころか、アメリカが一方的に実施した東京裁判で、多くの日本人が「平和に対する罪」という曖昧な罪名で処罰された(連合国側は、1928年のパリ不戦条約で「平和に対する罪」が成立していたと主張したが、当時の多くの国際法学者は認めておらず、国際連合国際法委員会も否定している)。
(「時視各界 安倍、丸太の復讐を忘れたか」〔『中央日報』2013年5月20日〕)
ナチスと日本を同列に扱うのも問題である。第2次世界大戦中、ドイツ、ソ連、ポーランドなど20か国に住んでいた830万人のユダヤ人のうち、72%に相当する約600万人がナチスによって殺害された。だが、これはナチスだけでなく、ナチスによって扇動されたドイツ国民が広く関わった歴史的犯罪である。だからこそ、戦後のドイツは周辺国との関係修復に力を挙げ、時効を停止してまでユダヤ人の殺害犯を訴追したのだ(以前の記事「熊谷徹『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』―ドイツが反省しているのは戦争ではなく歴史的犯罪」を参照)。仮に韓国の言う侵略というものが事実だったとして、その侵略行為に日本人が広く関与していたのだろうか?
満州のハルビンには731部隊の遺跡がある。博物館には生体実験の場面が再現されている。実験対象は丸太と呼ばれた。真空の中でからだがよじれ、最近注射を打たれて徐々に、縛られたまま爆弾で粉々になり丸太は死んでいった。少なくとも3000人が実験に動員された。中国で最も日本軍を苦しめたのは、中国軍ではなく疫病と不衛生である。1937年7月から1940年11月までの間、華北の日本軍では赤痢や腸チフス、パラチフス、発疹チフスの感染が急増していた。しかも、自然の感染ではなく、細菌テロの可能性が既に指摘されていた。
(「時視各界 安倍、丸太の復讐を忘れたか」〔『中央日報』2013年5月20日〕)
このような戦地において防疫が重要なのは当然であって、七三一部隊は防御用であっても攻撃用ではあり得ない。対抗措置としての生物・化学兵器開発は考えられていたものの、公式指令がないことや資料不足から、開発製造には至らなかった。森村誠一の著書『悪魔の飽食』で有名になった人体実験も、確かな証拠は今に至るまで出ていない。
誰が彼らをこういう悲劇に導いたのか。ヒロヒト天皇だ。彼はどんな神だたか。責任回避と卑怯の神、生きるために戦争責任と臣民と”忠勇ある”臣下らに押し付けた神だった。降参直後、ヒロヒトとその側近らは責任回避のためにせっせと頭を働かせた。その最初の試みが「1億総懺悔運動」だ。昭和天皇の戦争責任論は難しい問題だが、以下の事実は無視できないと思う。軍部が「国民が最後の一人になるまで戦争を遂行する」と戦争継続を支持したのに対し、国民のこれ以上の犠牲を懸念しポツダム宣言を受諾したのは昭和天皇である。また、終戦直後の昭和天皇は、会談したダグラス・マッカーサーに対し、「全ての戦争責任を負う」と発言した。マッカーサーは「天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取った」と語っている。
(「事必帰正 『天皇教』教主はどんな姿だったか」〔『毎日経済新聞』2013年5月20日〕)
昭和天皇は3度にわたり、退位という形で戦争責任を取ろうとした。1945年8月29、木戸幸一内務大臣に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところとなるが、自分一人引き受けて、退位でもして収める訳にはいかないだろうか」と打診したが、木戸は即座にお断りした。その次は、1948年11月12日の東京裁判最終判決を控えた時に、判決を期して退位する意向だったが、マッカーサーに反対された。最後は、講和条約調印を控えた1951年、翌年の条約発効後の退位を希望されたが、当時の首相であった吉田茂が断固としてお断りした。
最も強力な方法は、現在の日本列島の一部を戦争犯罪の代価として、過去に被害を与えた国に割譲すると宣言することだ。話にならないと思われるだろうが、同じ敗戦国家のドイツはそうした。これが新聞の記事になるのだから恐ろしい。日本がかつて支配していた他国の領土をその国に返還せよというのならまだ理解できるが、単に「日本列島の一部を他国に割譲せよ」というのは、日本に国家解体を勧める乱暴な感情論である。日本が犯した戦争犯罪とは何か、どの地域をどの国に割譲するべきなのかを具体的に論じるのが新聞の役割ではないだろうか?
(「日本が『正常な国家』になるには」〔『朝鮮日報』2013年7月4日〕)