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『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)
『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他
『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月24日

『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)


月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

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 9月20日、自民党総裁選は実施され、安倍晋三首相が石破茂・元幹事長を破って連続3選を決めた。任期は2021年9月までの3年間である。今回の総裁選が過去の総裁選と異なるのは、安倍首相の4選は絶対にないということである。つまり、安倍政権はどうあがいても2021年9月までしか続かず、期限つきの内閣となる。しかも、アメリカ大統領が2期目の最後の方になるとレームダック状態になるように、安倍政権も最後はレームダック化が避けられないと思う。とりわけ、2020年夏の東京オリンピック・パラリンピック後は反動で景気が落ち込むことが目に見ているだけに、2021年9月までの残り1年ほどで有効な手を打とうというインセンティブは働かないだろう。だとすると、安倍政権にとって勝負となるのは2019年、2020年の2年となる。安倍政権がこの2年間で解決するべき優先課題を7つ示したいと思う。

 (1)憲法改正
 憲法改正は自民党の党是であり、安倍首相の悲願である。私は以前の記事「『世界』2018年1月号『民主政治の混迷と「安倍改憲」/性暴力と日本社会』―「安保法制は海外での武力行使を可能にする」はミスリード、他」や「『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。」で9条の試案を示してきた。

 だが、国民投票にかける新憲法案は解りやすいものでなければならない。100ページの冊子を国民に配らなければ説明ができないような案では、到底国民には受け入れられない。だから、安倍首相は9条3項加憲案を思いついたのだろう。安倍首相は、内心ではもっと優れた案を持っていたはずである。それに、はっきり言って、加憲案は日本の憲法学界の悪しき伝統である神学的論争を加速させる恐れがある。それでも加憲案に着地したのは、改正憲法案をシンプルにし、かつ国家を命がけで守っているのに憲法学者の8割から違憲だと言われて人権侵害を受けている自衛隊の尊厳を一刻も早く守るための現実策であろう。理想を追いかけすぎずに、時にリアリストになることができるのが、第2次安倍政権の大きな特徴である。

 問題は、改憲のスケジュールである。来年は5月に新天皇の即位を控えており、これだけで日程がかなり詰まっている。さらに、4月には統一選挙、6~7月にかけては参議院議員選挙が行われる。加えて、ネックとなるのが、10月に消費税10%への増税が控えていることである。過去に消費増税を実施した政権は、皆悲惨な末路をたどっている。盤石な政権基盤を持っていた竹下登は長期政権になると期待されていたのに、消費税を導入すると内閣支持率が下落し、そこにリクルート事件が重なって、わずか1年半で退陣した。橋本龍太郎は1997年4月に消費税を3%から5%に引き上げたが、翌1998年7月の参議院選挙で大敗を喫し、退陣を余儀なくされた。菅直人は2010年6月、参議院議員選挙の直前になって消費税を10%に引き上げると宣言し、案の定選挙で敗北した(菅直人の場合は、消費税だけが敗北の要因ではないと思うが)。

 いくら現在の野党が弱体化していると言っても、来年の参議院選挙で自民党が苦杯をなめるのは間違いない。改憲勢力3分の2を失うのは確実だろう。だとすると、それまでに改憲の国民投票を実施したいところである。問題は、国民はある政治家のことを個別の政策ごとに評価しないということである。本号で橋下徹氏が述べていたが、国民は政治家の性格を総合的に評価する(橋下徹「安倍さん、さあ憲法改正でしょ」)。国民は、「この人のこの政策は評価できるが、あの政策は評価できない」とは考えない。「あの人が言うことなら全て信用しよう。あの人が言うことなら全て信用しない」と考えるのである。よって、近い将来に消費増税という負債を国民に突きつけようとしている安倍晋三という政治家を、国民は信頼しない可能性がある。その時点で、安倍首相の改憲構想は頓挫する。だから、本当ならば、改憲は今年中にやっておくべきであった。それなのに、低レベルのモリカケ問題で1年間を空費してしまった。このツケは大きい。

 (2)皇位継承問題
 来年の新天皇即位と合わせて検討したいのが、皇位継承問題である。秋篠宮家に若宮がお生まれになったことで、皇位継承問題は棚上げ状態になっているが、1世代分時間稼ぎをしただけで問題の本質的な解決にはなっていない。民主党政権は一時期、女性天皇や女系天皇の議論をするべきだと言っていた。しかし、女性天皇と女系天皇は全くの別物である。

 今、天皇Aと皇后の間に、男の子と女の子がいらっしゃったとする。次の天皇の第一候補は男の子であるが、女の子が天皇になったとしよう。この天皇は天皇Aの血統に属する女性天皇であり、過去8方10代の例がある。次に、この女性天皇が一般の男性と結婚して男の子を授かり、この男の子が天皇になったとしよう。この場合、この男の子は天皇Aの血統には属さず、女性天皇の血統に属する天皇となる。よって、女系天皇と呼ばれる。皇室にあまり関心のない人だと、天皇家が途絶えないならば女系天皇でもいいではないかと言うかもしれない。だが、日本とは何かという議論を突き詰めていくと、究極的には「万世一系の男系の天皇が継承してきた国家」であり、これ以外にないのである。アメリカが建国の理念である自由と平等、中国が共産党を失えば国家を失うのと同様に、日本がこれを失えば国家を失うに等しい。

 では、なぜ男系にこだわるのか?これについては、竹田恒泰氏が別の号でこんな解説をしていた。男系天皇を維持するには外部から女性を、女系天皇を維持するためには外部から男性を招き入れる必要がある。ところが、男性の場合は、どんな危険な思想を持った人物が入ってくるか解らない。もちろん、皇室側でも慎重に身体検査はするものの、本人がそれを隠し通すことに成功してしまったら皇室としてはアウトである。その点、女性はそのような危険な思想に染まる危険性が低いので、男系天皇を選択しているというわけである。ここで一部のフェミニストは、男系天皇の考え方は、女性が自分で物事を判断する力がないという前提に立っているとヒステリックになるだろう。しかし、実際には逆である。女性の方が事理弁識においては男性よりもはるかに理性的であるととらえられているのである。

 本号で竹田氏は、一定数の男性後続を確保するために、旧宮家を活用する方法を提案している(竹田恒泰「旧宮家復活なくして日本の存続なし」)。旧宮家とは、終戦後に占領軍の圧力によって廃止された11の宮家を指す。旧宮家の男子は、終戦までは皇位継承資格を保持する皇族であった。現在でも、旧宮家には歴代天皇の男系の血筋を受け継ぐ者が多数いる。彼らを活用しない手はない。旧宮家を活用する方法とは、具体的に2つある。1つは、旧皇族一族から若干名を皇族に復帰させる方法である。もう1つは、現存の宮家が旧皇族一族から養子を取って宮家を存続させる方法である。現行の皇室典範では、皇族は養子を取ることができないため、皇室典範を改正する。同時に、旧皇族一族を復帰させる案については特別立法で進める。新天皇が即位するというタイミングだからこそ、前向きに検討したい課題である。

 (3)経済
 安倍首相は8月12日、山口県下関市で行われた長州「正論」懇話会5周年記念会で講演を行った(安倍晋三「憲法改正案 提出宣言 新聞が報じきれなかったその”全て”」)。その中で、「人口が減少するなかで、名目GDPは11.8%成長し、58兆円増加し、過去最高を記録しました」と述べている。具体的な期間が述べられていないが、2012年の名目GDPが495兆円、2018年の名目GDPが556兆円(予測、プラス61兆円)であるから、この期間、つまり自身の在任期間中のことを指していると思われる。だが、果たして安倍首相の在任期間中に、日本国内で何か新たな産業が生まれ、新たな消費が刺激されたであろうか?

 周知の通り、日本のGDPの6割を占める個人消費は、アベノミクスによって賃金が上昇しているにもかかわらず、一向に日本銀行のインフレ目標を達成することができていない。ついに、日銀は目標を引っ込めてしまった。これは消費増税の影響が大きい。

 だとすると、GDPを押し上げているのは個人消費以外ということになる。まず考えられるのが、企業による設備投資の増加である。2012年第4四半期には約72兆円であったが、2018年第2四半期には約91兆円と、約19兆円増加している。これは、国内の需要が拡大したからというよりも、異次元金融緩和によって円安になったため、海外生産が国内に回帰したと見るのが自然である。次に考えられるのは、その異次元金融緩和によって作り出された円安・株高、さらに近年の外国人観光客増による経常収支の増加である。2012年の経常収支は約6兆円であったのに対し、2018年の経常収支は約19兆円(予測)と、約13兆円増である。そして、GDPの増分を分析する上で見過ごせないのが、2016年から研究開発費がGDPに算入されるようになった点だ。これにより、約15兆円の研究開発費がGDPに加わった。単純にこの3つを足すだけで約47兆円の増加となり、名目GDPの増加分の大部分を説明することができてしまう。

 内需を拡大するには、イノベーションを起こさなければならない。だが、行政がイノベーションを主導すると、たいていロクなことにならない。行政は決められた事柄を決められた手順で実行し、絶対に成功させるのが仕事である。しかし、イノベーションは無秩序、実験、試行錯誤、失敗こそが本質であり、行政とは対極に位置する。よって、行政にイノベーションを任せることはできない。さらに日本の場合、行政が既存の大企業を集めてコンソーシアムを結成することが多いが、行政特有の「公正さ」を確保するという名目のために企業間の利害調整に時間が取られ、肝心の顧客や市場の方を見ていないという事態が往々にして起こる。

 私は、行政は口は出さずに金だけ出している方が無害だと考える。ただし、お金を出す先をもっとよく考えなければならない。安倍政権になってから空前の補助金バブルが到来し、中小企業向けの補助金が大幅に拡充された。その中でも最大規模なのが、安倍首相が演説の中でも言及しているものづくり補助金であり、平成24年度補正予算から平成29年度補正予算まで、6年間で約6,000億円、延べ8万6千社の中小企業に対して補助金が交付された。だが、ものづくり補助金の交付要領や公募要領を読めば解るのだが、この補助金は中小企業の新製品・サービス開発を支援するものであり、したがって波及効果が小さく、短期的なカンフル剤にすぎない。

 凡庸な結論になってしまうけれども、行政がお金を出すのであれば、大きな波及効果が見込まれる分野にお金を出すべきである。特定の製品・サービスに特化した企業よりも、様々な製品・サービスに転用可能な技術を研究する応用研究、さらには産業横断的に拡張可能な技術を研究する基礎研究に投資をしてほしい。経済産業省「日本の研究開発費総額の推移」によると、研究者1人あたりの研究費は、日本はアメリカやドイツに大きく差をつけられている上に、OECD平均を下回っている。また、主要国の研究開発費の政府負担割合を見ると、多くの国が2~3割台であるのに対し、日本は1割台にとどまる。

 もちろん、どの研究が将来的に大きな波及効果を実現できるかを事前に見極めることなど、ほとんど誰にもできない。日本の行政は無謬性へのこだわりが人一倍強いので、よく解らない分野への投資を控えるに違いない。しかし、どれがものになるか解らないからこそ、幅広く投資する姿勢が重要であると考える。ある研究によると、1,000億円の予算があった場合、10のプロジェクトに100億円ずつ投資するよりも、1,000のプロジェクトに1億円ずつ投資した方が、ノーベル賞を輩出する確率が上がるという。安倍首相の任期中に基礎・応用研究への投資が実を結ぶことは考えにくいが、投資の仕方を変えることは可能なはずである。

 せっかくイノベーションによって新しい産業が生まれても、それを購入する顧客がいなければ意味がない。つまり、国民の所得が上がらなければ意味がない。安倍首相は経済界に対して毎年賃上げを要求している。演説の中では、中小企業にも賃上げが波及していると述べている部分もあった。しかし、国民の消費は、消費増税の影響もあって伸び悩んでいる。国民は、賃上げは安倍首相が政権に就いている間の暫定策であり、政権が変わればまた賃金が減少するのではないかとおびえている。だから、思い切った消費に踏み切ることができない。

 私は、アメリカ経営を無条件に礼賛して、成果主義や雇用の柔軟化などを政権に提言してきた経団連の意見など蹴り飛ばして、日本経営のよさであった年功制を復活させるように企業に強く迫るべきだと考える。以前の記事「【戦略的思考】企業の目的、戦略立案プロセス、遵守すべきルールについての一考察」でも書いたように、企業の第一目的は顧客の創造であるが、その目的を達成するためにいくつかのルールを守らなければならない。社員が加齢とともに増加する生活費を賄えるだけの給与を支払うこともルールの1つである。ルールを無視して、顧客の創造という目的だけ達成するのは、スポーツでルール違反を犯して1位を狙うようなものである。それらのルールを守りながら、顧客を創造し、かつ将来の投資に回すための利益を残すようなビジネスの仕組みを構想することが経営陣の仕事である。利益が減るからという理由で、生活費の高い中高年社員の給与をカットするなどというのは、経営IQの低さを露呈している。

 (続く)


2018年02月23日

『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他


月刊正論 2018年 03月号 [雑誌]月刊正論 2018年 03月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-02-01

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 (1)
 保守系の論客と彼らがいう人たちが(実際は私も含めて国際基準ではリベラル系も多いのだが)、最近、ネットメディアなどを通じて、地上波や全国紙が扱わないようなテーマを紹介したり主張をしたら、それがあっという間に拡散して、彼ら自称リベラル派メディアによる気に入らない意見を国民に知らさないように封じ込めようという統制が取れなくなっている。(※太字下線は筆者)
(八幡和郎「朝日の抗議・提訴はリーガルハラスメントでは?」)
 一般には、リベラルと言えば左派のことを指すと思われているが、引用文の太字下線部のような注がわざわざついたのは、前月号の遠藤司「『寛容な保守』『リベラル』・・・政治理念の乱れを読み解く」の影響ではないかと考えられる。恥ずかしながら私も今まで、左派とリベラルを区別せずに使っていたので、今後は気をつけたい。同記事は、リベラル=自由主義者とは、本来は「保守」のことであると指摘している。ただし、この「保守」という言葉には注意が必要である。
 ようするにハイエクは、保守的な態度をもつ「保守主義者」を批判しているのである。保守的な態度は、体制に対する保守(※変化を恐れ、体制を維持しようとする保守)を指すものであるから、理念において「左」のそれを選び取る危険から逃れられない。体制に対する保守は、確かに社会主義と妥協し、その考え方を横取りしてきた。集産主義的信条の大部分を、受け入れてしまった。そうではない「保守」としての「リベラル」であることが、自由を守るためには必要である。そうであるからハイエクは、まぎれもない「保守」であったといえよう。
 保守が自由を好むのであれば、一切の自由を抹殺する全体主義は保守の敵である。よって、保守が右ならば、全体主義こそ左である。遠藤氏によれば、ナチスは極右ではなく極左であり、共産主義は全体主義と同根である。思えば、まだ政治学者としての活動が目立っていた頃のピーター・ドラッカーは、漸次的な改革主義こそが保守の神髄であると同時に、第2次世界大戦は、自由を全体主義から守る戦いだと主張していた。

新訳 産業人の未来―改革の原理としての保守主義 (ドラッカー選書)新訳 産業人の未来―改革の原理としての保守主義 (ドラッカー選書)
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1998-06

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 ドラッカーは、啓蒙主義に全体主義の系譜を見て取ることができるとも述べていた。これを私なりに解釈すると次のようになる。啓蒙主義においては、唯一絶対の神に似せて、完全で自由な人間が創造された。だが、本来の自由とは他者との相違を認め、相違に基づいた扱いの差を許容することである。唯一絶対の神に似せて作られた人間は、誰もが唯一絶対の考えしか持ち得ないから、実は自由ではない。人間は1人の個人であると同時に、絶対的な全体(人類全体、世界全体)に等しい存在である。だから、政治においては民主主義と独裁が等しくなるし、経済においては財産が共有のものとされ共産主義が成立する。

 唯一絶対の神に似せて作られた人間は、生まれながらにして完全無欠である。よって、教育を施すことは害だと見なされる。また、時間の流れという概念は存在せず、現在という1点だけが意味を持つ。つまり、歴史というものが存在しない。この時間を敢えて図にするならば、直線ではなく円である。円周上の1点に有としての現在があり、残りは無である。現在という1点だけが意味を持つから、人間は生まれた後すぐに死んでいく。ただし、時間は円周上の無を一瞬のうちにぐるりとめぐって現在=有に戻り、人間は再びこの世に生を受ける。

 とはいえ、現実問題として、人間は多種多様な存在である。ここで取り得る対応には2つある。1つは人間の一切の差異を認めないという立場である。ナチスがアーリア人至上主義を掲げてユダヤ人などを虐殺したのがこれにあたる。もう1つの立場は、一切の差異を平等に認めるというものである。近年、教育の現場で過度に平等主義を演出したり、性的マイノリティーであるLGBTを社会の多数派と同等に扱うようにと主張するのがその例である。つまり、一般的に言われる極右と極左は同根異種である。いや、どちらも、人々は多様性に応じた自由の差異を享受するという保守に反して、多様性を完全に無視しようというわけだから、左であり全体主義である。

 以上を総合してみれば、ISISが過激な排外主義を掲げ、各地の歴史的遺産を破壊した理由も解るし、共産主義が知識層を迫害した経緯も理解することができる。さらに、人間が生まれながらに完全であると言っても、教育を受けなければ、せいぜいできることと言えば原始的な農業ぐらいのものであるから、共産主義が往々にして農業を重視するのもうなずける。もっとも、遠藤氏の言説に従えば、ISISは極右ではなく極左の全体主義になるだろう。

 左の全体主義者は、普通の人の眼には、ずっと革命を起こそうとしているように見える。ところが、当の本人は、現在という1点において、その一瞬の生の中で革命を目指している。その後死んで無に帰したとしても、すぐに有=生を得て再び革命を掲げる。それを普通の第三者が見れば、ずっと革命を続けているように映るわけである。しかし、革命、革新という言葉とは裏腹に、現在という1点に拘泥する左派は、ややもすると体制維持に流れる。これが、引用文中で、社会主義者は体制に対する保守と妥協すると書かれている理由である。

 現在、日本では「右」の安倍政権が全体主義化していると批判されている。しかし、本当に全体主義化しているのは「左」の方である。その筆頭が朝日新聞であろう。朝日新聞は、小川榮太郎氏が『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を出版したことに抗議し、賠償請求を提訴した。これに関して小川氏は次のように述べている。
 小川:大手メディアが実証的な本の著者に対して賠償を要求するという、言論封殺が今、起きています。(中略)だからこそ、日米で保守政権が協調しているチャンスに、言論界も共闘して、リベラルという名の全体主義から自由を守る戦いを前に進める必要があるのではないでしょうか。
(スティーブン・バノン、小川榮太郎、木村太郎「なぜメディアのウソを信じるのか」)
 また、麗澤大学客員教授の西岡力氏も、左派の全体主義を批判している。
 西岡:私は何年か前に人権派の高木健一弁護士から名誉毀損で民事で訴えられて、最高裁まで争って勝ちましたが、私は一貫して「意見の違いについては裁判で決めてもらうのではなく、どちらが正しいかは読者に決めてもらうものだ」と主張してきました。往々にして左派の方々は裁判所に「どちらの主張が正しいか」を決めてもらおうとしますが、これは全体主義の考え方です。違う意見が存在することが我慢できないんですね。彼らは自由体制を守ろうとはしていないのです。
(西岡力、阿比留瑠比「暗黒・韓国を生んだ朝日新聞の罪と罰」)
 我々は、左派がリベラルという言葉を口にした時、それが何を意味しているのか、本当に正しい意味で使われているのかに注意しなければならない。

 (2)
 それら(※中国の軍閥)が内訌を深めれば、日本にとって対岸の火事どころではあるまい。難民の受け入れなどといふ甘つちよろい話ではなく、日本は軍閥政府相互による恫喝と簒奪競争の対象になるであらう。さうならないためには、中国共産党の統治能力の安定こそが、日本の国益なのではないのか。すると、日本保守派は中国共産党の安定化を応援しなければならないのではないか。
(小川榮太郎「『危機』と『日本人』―『世界史』を動かす『思想』の力を手にせよ」)
 米中の対立が深まっている。日本は地政学的に西洋と東洋の間に位置し、両者の橋渡し的な役割を果たすべきだという主張は明治時代からなされていた。例えば横井小楠は、「日本は東洋と西洋の間を取り持つ世話焼き国家にならなければならない」と述べた。ただ、個人的には、小国である日本にそこまでの役割は期待できないのではないかと思う。太平洋戦争では、アジアを侵食する西洋列強に対し東洋の力を見せつけようとしたが、あえなく惨敗した。

 本ブログで何度も述べてきたが、現代の大国はアメリカ、ドイツ、ロシア、中国の4か国である。大国は二項対立的な発想で物事を見る。大きく見れば、アメリカ・ドイツとロシア・中国が対立している(細かく見れば、アメリカとドイツ、ロシアと中国も決して一枚岩ではなく、双方の間で細かい対立はある)。二項対立的な発想をする大国は、表向きは激しく相手を批判するが、本当に正面衝突してしまうと双方にとって深刻な被害が出ることを知っている。そこで、大国は周囲の小国を同盟国にし、小国に大国同士の代理戦争をやらせる。具体的には、朝鮮半島や中東がその舞台になっている。代理戦争に巻き込まれた小国は、大国の食い物にされる。

 そうならないために、小国は「二項混合」という戦略を取るべきだと私は提案してきた。これは、どちらの大国にも過度に肩入れせず、双方の大国のいいところ取りをして、独自の国家体制を構築することである。ちょうど、正面から見ると何の絵か不明だが、右から見るとある絵が浮かび上がり、左から見るとまた別の絵が浮かび上がるようなものである。米中に挟まれた日本は、正面から見るとどういう国か解りづらいけれども、右から見ればアメリカ的な要素が見え、左から見れば中国的な要素が見えるような絵を目指すべきである。

 大国には日和見主義だと映るだろう。アメリカから「日本は米中のどちらの味方なのか?」と聞かれたら「アメリカ」と答える。中国から「日本は中米のどちらの味方なのか?」と聞かれたら「中国」と答える。こうした二項混合が成熟すれば、アメリカも中国も一体日本の本音はどこにあるのかと疑心暗鬼になり、味方にするも敵にするも、やすやすとは日本に手出しができなくなる。二項混合は、二項対立的に動く大国の間で小国が生き延びるための戦略である。

 政治の世界においては、小さな政府と巨大な政府の間で、穏健な政府を目指す。二大政党制と一党独裁制の間で、多党制を目指す。ただ、現実的には今の日本で多党制を目指すと、政治屋による野合しか起こらないことが解ってきたので、かつての自民党一党優位で党内に派閥があるような疑似多党制へと戻す。そして、選挙制度も小選挙区比例代表並立制という、2つの選挙制度を単にくっつけたもの(これは二項混合とは言わない)ではなく、中選挙区制にする。小選挙区制では、1つの選挙区に各党から1人しか候補者を出せないため、その候補者は党の政策・方針に忠実に沿った主張しかできない。一方、中選挙区制では1つの選挙区に複数の候補者を出すことができるから、多様な主張を戦わせることが可能となる。

 経済の世界においては、自由主義と国家主導型の市場の間で、行政が適度に介入する市場を目指す。行政が社会的な観点から穏健に市場に介入することで、消費者の効用を高めると同時に、企業や労働者にも適正な富が行き渡るようにする。私は、ドイツの社会的市場経済という考え方が1つのヒントになるのではないかと思っている。

 社会においては、人権重視(権力からの自由)と人権無視(国家の絶対的な権力)の間で、権力の中の自由を目指す。人は生まれながらにして自由・平等であるというロック的な発想を日本は採らない。本ブログで繰り返し書いているように、日本社会は多重階層社会である。各々の日本人は、神によって与えられた能力に応じてそれぞれの階層に配置され、自らの役割を果たす。自分の持ち場で創意工夫を凝らすことこそが日本人の自由である。アメリカの自由が権力からの自由であるならば、日本の自由は全体・権力の中での自由である。福祉の面では、自助努力型の福祉と国家丸抱え型の福祉の間で、市民参加型とでも言うべき福祉を目指す。

 宗教においては、一神教と無神論(個人崇拝)の間で、多神教を選択する。現在の日本人は無宗教の人が多いが、伝統的な多神教の発想をもっと大切にしたい。神はそれぞれの人間に宿る。しかも、人によってその神は異なる。加えて、日本の神は人間のように不完全だ。このように考えると、日本人は多様性に対してもっと寛容になり、支えを必要とする人に救いの手を差し伸べることができるようになるはずだ。宗教における二項混合はやや解りにくいのだが、要するにアメリカ人には、「私は(私の中の)神を信仰している」と言い、中国人には「私はあの(素晴らしい神を宿している)人を尊敬している」と言えるようになればよい。

 教育の世界では、答えは生徒の中にあるという前提に立って教師がコーチに徹する形と、答えは教師の中にあるという前提に立って教師が一方的に生徒に教える形の中間を採って、教師と生徒による創発的学習を実現させたい。生徒も学ぶが教師も学ぶのである。現在の文部科学省の政策は、詰め込み教育と総合学習の間を振り子のように行ったり来たりしている。早く両者を統合する道を発見してほしい。これは企業や組織内の学習にもあてはまることである。

 法律の世界では、法治主義と人治主義(中国も大分法治主義に近づいたと言われるが)の間で、法解釈学の充実という道を採る。法律として明確な文言は作るが、実際の細かい運用の局面においては、必ずしも文言を杓子定規にとらえず、様々な解釈によって柔軟に対応する。これが日本のよさである。ただし、憲法に限っては、法の文言と解釈のバランスが悪くなっていると感じる。特に、9条はあまりにも無理を重ねている。よって、国の自衛権についての考えを早く明記するべきである。共産党は自衛権を書き込むと9条が空文化するなどと言うが、自衛権について何も書かれていない現行憲法から手品のように自衛権を正当化する論理を生み出している方が無茶である。自衛権について明記した上で、ではその自衛権と他の条文との関係はどうなるのか、自衛権の範囲はどこまでとするべきかを議論すればよい。


2018年02月05日

『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。


致知2018年2月号活機応変 致知2018年2月号

致知出版社 2018-02


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 2005年5月にブログを始めて約13年、経営やマネジメントについてはそれなりのことが書けるようになったと思うのだが、政治、社会、宗教のこととなるとまだまだからっきしダメである。それでも書かなければ上達しないので、今回も未熟な内容だが政治の記事に挑戦したいと思う。

 江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜と言うと、「政権を投げ出した」、「戦いを放棄して江戸に逃げ帰った」、「決断力や責任感が薄い」、「変わり身が早い」、「意志薄弱な最高司令者」などという評価がつきまとうが、水戸史学会会長・宮田正彦氏の「最後の将軍 徳川慶喜の決断」という記事には次のように書かれている。まず、大政奉還については、
 慶喜は、このまま幕府と倒幕派の対立が激化すれば、国内が分裂し、西洋列強の介入の危機を招いてしまう。だから、ここは政権を朝廷にお返しして、聖断を仰ぎ、共に心を合わせ力を尽くしましょうと言っているのです。
 慶喜は、倒幕派(倒幕派の中にも色々あった)と幕府が長期にわたって対立し国内が混乱すると、倒幕派と幕府の双方に西洋列強の諸国がついて、日本国内の動乱に乗じて日本を分割してしまう恐れを感じていたわけである。大政奉還の後、新政府軍と旧幕府軍の間に鳥羽・伏見の戦いが勃発するが、緒戦で幕府軍が敗戦すると、大坂城にいた慶喜は、京都警備の要職にあった会津藩主の松平容保と桑名藩主の松平定敬を手招き、そのまま数名の家来を伴い、軍艦で江戸に帰ってしまった。この慶喜の行動について、宮田氏は次のように分析している。
 慶喜公が江戸に連れ帰った松平容保と定敬は、いわば京都・大坂における軍の大将です。大将がいない軍は動けません。つまり、慶喜公は逃げ出したのではなく、京都・大坂の軍の動きを封じ、これ以上は絶対に戦わない、という明確な意思表明を行ったのです。そして慶喜公の一意恭順の決断の背景には、先に見たような、幕府に人材がいないこと、徹底抗戦すれば深刻な内戦となり、西洋列強に介入の口実を与えてしまうなど、様々な理由があったと思います。
 ここでも、国内対立の早期収束を図り、諸外国による圧力から日本を守ろうとする慶喜の意図が感じられる。一言で言えば、慶喜は「和」を重視したということだ。この「和」の精神が凝縮されているものの1つに「忍術」を挙げることができるというのが、甲賀伴党21代宗師家・川上仁一氏の「忍術の神髄は和の心にあり」という記事である。
 『秘伝書』では、日の丸のような赤い円の中央に「忍」の1字を置いて、忍術の極意を表しますが、丸はリングの輪、平和・調和の和、異質なものが交わる「和える」にも通じます。つまり、和を実現するには、できるだけ争わず、お互いに忍耐して仲よくすることが大事だということです。
 日本人には、古来から和を尊ぶ精神性や、争いを避けムラの平和を維持する知恵がずっと蓄積されており、それが「総合生存技術」にまで高められたのが忍術なのである。『致知』2018年1月号に、刀匠・松田次泰氏の記事(「一筋の道を極める生き方」)があったが、日本の国宝約1,100点のうち約1割は刀であり、その大半は刃こぼれしていない、つまり使われていないのだそうだ。ここにも日本人の戦わない精神、「和」の精神が現れていると思う。

致知2018年1月号仕事と人生 致知2018年1月号

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 「和」の精神の例外として、私は戦国時代と太平洋戦争の2つを挙げたいと思う。戦国時代は、1467年から1477年までの約11年間にかけて京都を混乱に陥れた応仁の乱の結果として到来した時代である。日本全土には戦国大名が群雄割拠し、熾烈な勢力争いを繰り広げた。当時、西洋からはキリスト教が伝来し、九州を中心にキリシタン大名も登場した。宣教師の目的は、単に日本にキリスト教を布教させるだけでなく、それを通じて日本人を精神的に支配し、日本を植民地支配下に置こうとするものであった。つまり、戦国時代とは、日本がその混乱の隙を突かれて、西洋列強によって分割統治される危険性が高まった時代である。奇跡的に、キリスト教は勢力を封じられ、戦国大名の対立は安定した徳川幕府の誕生によって終息したわけだが、この奇跡のメカニズムは今後もっと掘り下げて探究したいテーマの1つである。

 一方、「和」の精神が発揮できず深刻な被害を出したのが太平洋戦争である。太平洋戦争においては、アメリカとの戦争を優先したい海軍と、中国・東南アジアでの戦いを優先したい陸軍の対立によって、日本は両面戦争を強いられた。やや余談になるが、「和」を重んじる日本人は、伝統的に決戦を短期間(数日~数か月)で終わらせる傾向があった。そのため、戦いに必要な物資は現地調達するのが一般的であった。逆に言えば、兵站という考え方が発達しなかったので、戦争が長期化した太平洋戦争では兵站が機能せず、インパール作戦などで多大な犠牲者を出すことになった。両面戦争によって敵を増やしてしまった日本は、戦後はドイツのように分割統治されてもおかしくなかった。だが、ここでも奇跡的に日本は分割統治されず、いわゆる国体が維持された。この辺りの外交プロセスも、一体どうなっていたのか勉強したいと思っている。

 私は本ブログでしばしば、大国は二項対立的な発想をすると書いてきた。大国は常に敵を必要としており、その敵国と二項対立の関係になる。現代は、アメリカ・ドイツという自由主義国家と、ロシア・中国という独裁的国家が二項対立の関係にある。ただ、大国は、敵国とまともに正面衝突すると破滅的な結果をもたらすことを知っているため、大国同士の対立を小国に代理させる。具体的な方法としては、1つには双方の大国の同盟国となっている小国同士を対立させるケース(例:北朝鮮対韓国)があり、もう1つには国内が分裂している小国に内政介入するケース(例:シリア)がある。小国にとっては、いかに大国同士の対立に巻き込まれないようにするかがポイントとなる。特に、争いを嫌い、「和」を重んじる日本にとっては重要な課題である。

 「和」を重んじるというのは、換言すると「情理が論理を超える」ということである。RIETI・岩本晃一氏の「個人では超優秀な日本人が、企業体になるとなぜ世界に負けるのか;日本企業の極めて低い生産性の背景に何があるのか」という記事に興味深い記述があった。
 日本人もドイツ人も、考えることはほとんど大差はない。だが、ドイツ人は成果を出すまで最後までやり遂げる、という点が違う。ドイツ人は理論どおりにやれば、理論どおりの成果が出る筈だと「真面目」「愚直」に実行し、そして理論どおりの成果を出している。一方、日本人は、「確かにそれが正論かもしれないが現実には難しい」という意見が「現実をわかっているやつだ」と評価されて会議を通ったり、新しいプロジェクトには熱心だが、一旦プロジェクトが開始すると多くの人が関心を無くしてうやむやになり、やがて次の新しいプロジェクトに熱中するという現象がよく見られる。例えれば、「子供のサッカー」に見える。みんなでボールを追いかけているのだ。(※太字下線は筆者)
 近年の日本には、世論を二分するような政治的課題が多い。2年前には天皇陛下の生前退位が問題となった。皇室典範に摂政の規定が置かれているにもかかわらず生前退位を認めるならば皇室典範を改正しなければならず、それをせずに生前退位を認めることは皇室典範を空文化し、さらに皇室典範に言及している憲法の規定をもないがしろにすることになりかねない。だから、論理的に考えれば皇室典範を改正するか、もしその法改正作業が大変だというのであれば別の恒久法を立てるかのどちらかしか考えられない。ところが、実際に選択されたのは特措法の制定という一時しのぎの策であった。論理よりも情理が優先した結果である。

 天皇陛下の生前退位を認めるか否かという問題は、直ちに諸外国の介入を招くような類のものではないが、憲法、核、沖縄の基地問題は、下手をすると外国、特に中国の介入を招く可能性がある。昨年の衆議院議員総選挙で改憲勢力が3分の2以上を占めたが、NHKの世論調査を見て私は驚いた。2017年の世論調査によると、憲法を「改正する必要があると思う」は43%、「改正する必要はないと思う」は34%でかなり拮抗しているのである。しかも、「改正する必要があると思う」は、2002年の世論調査から15ポイントもマイナスとなっている。

 安倍総理は、公約で掲げた憲法改正を今年中に行うだろう。最大の焦点は9条であるが、以前の記事「『正論』2018年1月号『非礼国家 韓国の自壊/「立憲民主」という虚構』―日本の左翼の欺瞞」で書いたように、論理的に考えれば、現在の2項を削って代わりに自衛隊のことを書き込むのが筋である。だが、これだと平和主義が崩れると言って反対する国民が多数出ることが想定される。中国も2項削除には強く反発するだろう。すると、2項削除反対派が親中派になびく。中国にとっては、日本の左派を活性化させる絶好のチャンスとなる。日本は親米派と親中派で引き裂かれる。国内分裂を防ぐという意味では、結局のところ現在の憲法解釈で認められている自衛隊の存在を明文上で追認するという9条3項加憲案が無難なのかもしれない。

 ただ、そうは言っても、現在の専守防衛、すなわち「相手から武力攻撃を受けた時初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」というのでは、緊迫する東アジア情勢を乗り切れない恐れがある。よって、「相手の武力攻撃を思いとどまらせる程度の攻撃」を認める憲法解釈のロジックを構築する必要はあると思う。2項の「交戦権の禁止」との関係でこれをどのように認めるか、相当頭を使わなければならない(神学的論争に発展するリスクはあるが)。

 北朝鮮の核に対しては、日本も核を持つべきだという意見が右派を中心に見られる。日本が核を保有して東アジアに核の傘を提供せよという過激な主張もある。一方、穏健な提案としては、NATOの核シェアリングのような仕組みを日本に導入するというものもある。アメリカは、かつては絶対に日本に核を持たせないという立場であったが、近年は軟化している。論理的に考えれば、核の脅威に対しては核で対抗するのがベストである。お互いの核の脅威がどうしようもなく高まり、このままでは惨劇がもたらされるという段階に至って初めて、両国間で対話がスタートし、核軍縮に向けた取り組みが始まる。これは冷戦時代に米ソが経験したことであり、また、ソ連の核に対してドイツを中心とするNATOがNPT条約を成立させた手順でもある。

 だが、唯一の被爆国(しかも2回被爆した)である日本が核を保有するとなれば、国民から凄まじい抵抗を食らうと容易に予想できる。そして、先の憲法改正の時と同じように、中国が核反対派を取り込もうと猛烈な働きかけをしてくるに違いない。だから、日本人の情理として、核を保有するのは不可能である。とはいえ、北朝鮮の核の脅威に対して無防備でいるわけにもいかない。日本は迎撃ミサイルシステムを充実させるべきだし、永世中立国であるスイスに倣って、公共の場に十分な数の核シェルターを用意する必要がある。

 憲法、核に関してはまだ国民の分裂が顕在化していないが、沖縄の基地をめぐっては既に分裂の様相を呈している。沖縄県民は「オール沖縄」というスローガンの下、辺野古移設に反対し、さらに国土面積のわずか0.6%にすぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約74%が集中しているのはおかしいとして、沖縄県から全ての米軍基地を追い出すことを目標にしている。そのバックには中国がついており、辺野古移設に反対する運動家に対して資金援助をしているという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。最近では、沖縄は本土とは独自の文化を持つ独自の民族であると言い出して、沖縄独立論なるものすら登場している。独立した沖縄は琉球時代のように中国の属国となるから、日本としては中国の脅威が一気に増すことになる。

 ここでも、論理的に考えれば、地政学的観点から見て沖縄は中国の太平洋進出を阻止する極めて重要な拠点であるから、沖縄に米軍基地を集中させるのは理に適っている。ところが、沖縄に基地を集中させることで、かえって沖縄が反米・親中に傾いてしまうのでは本末転倒である。よって、ここでも情理を働かせて、沖縄以外の地域を活用しながら中国の軍事的野心を牽制するやり方をそろそろ真面目に検討する時期に来ているように思う。沖縄対本土の対立を長期化させて中国の介入を許し、日本を米中の代理戦争の場にするようなことがあってはならない。



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