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平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵
『願いに生きる(『致知』2016年3月号)』―日本には成果主義より職能資格制度がフィットするかも、他
坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。ほとんど書評ブログ。たまにモノローグ。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年04月13日

平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵


これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視
平井 謙一

生産性出版 1998-03

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 副題に「絶対評価・業績成果の重視」とある割には、本書の大半は「職能資格制度」の解説になっている。まず、職能等級基準書の例が示され、それをそれぞれの職種に展開した職能等級基準説明書の例が数多く掲載されている(営業、生産、サービス、企画、事務など)。

 人事考課は成績、情意、能力の3本柱で構成され、それぞれの評価基準が示されると同時に、等級が下位の場合は情意が、中位の場合は能力が重視され、上位になると成績の割合が高くなることが示されている。情意項目の例としては、規律性、積極性、協調性、責任性の4つが、能力項目の例としては、知識(・技能)力、判断力、企画力、折衝力、指導力の5つが一般的だとされているが、なぜこれらの項目で十分であると言えるのかは本書では触れられていなかった(必要な能力の導出をフレームワークを用いて試みた例として、以前の記事「グロービス・マネジメント・インスティテュート『ビジネスリーダーへのキャリアを考える技術・つくる技術』―若者が猫も杓子もコンサルタントを目指していた時代のキャリア開発論」を参照)。

 業績成果を重視するためには目標管理(MBO)制度を導入しなければならないが、MBOが登場するのはようやくp201になってからである。しかも、本書では「従来の職能資格制度を修正して目標管理制度を導入する(同時に、職能給から年俸制へと移行する)」と書かれているのに、職能資格制度における人事考課と目標管理をどのように融合させるのかについては論じられておらず、両者が併存したままになっている。

 本書では、年功制について次のように述べられている箇所がある。
 年功序列制度は、チームワークの優劣が組織の業績を左右する企業であれば、現在でも有用である。(中略)ある企業では、現在でも、年功序列型の人事制度を固守し、成功している。この場合、賃金処遇ではほとんど差がつかないが、仕事の内容で光の当たる部分と、やや光の当たりにくい、地味な部分があるだけなのである。この職場の雰囲気は、足の引っ張り合いがなく、チームワークは良い。また、ノウハウを共有できる特徴がある。
 欧米企業も最近はチームワークの重要性を認識するようになっている。ということは、むやみやたらと業績主義や成果主義に走るのではなく、むしろ年功制の方が有効なのではないかとさえ思えてくる。ちなみに私は、業績給・成果給においては、どんな計算をしても企業の業績を個人の業績に還元することができず不平不満が残るため、不平等をもたらすかもしれないが最も簡便な人事制度として年功制を支持していることは本ブログでも何度か書いた。

 また、副題にある「絶対評価」をめぐっては、次のような記述がある。
 これからの人事評価の正しいあり方として、第1に、第1次評価、第2次評価は絶対評価を行なう。第2に、調整段階または最終段階で必要に応じ相対評価を行なう。調整段階、最終段階でも、賃金原資や定員枠に余裕のある限り、絶対評価を尊重する姿勢を堅持する。これを原則とするのが好ましい。
 ただ、残念ながら現在の多くの日本企業では、賃金原資はともかく、定員枠には余裕がない。よって、調整段階や最終段階では相対評価となるだろう。いや、以前の記事「元井弘『目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用』―言葉の定義にこだわる割には「役割業績給」とは何かが不明なまま」に従えば、相対評価ではなく「相対考課」が正しい。

○図1
企業の人員構成の変化

 現在の日本企業に定員枠がないことを、図1を使って説明したいと思う。図1はかなり荒っぽいモデルであることをあらかじめご了承いただきたい。図1は、社長が3人の部下を引き連れて創業するケースを想定している(便宜的に、社長を係長の枠に入れている)。上司:部下の割合は1:3とし、今後も原則としてはこの比率を保持する。この企業は労働集約型企業であるとして、社長の売上高は2,000万円、部下である一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計4人で売上高5,000万円となる。10年後には、3人の部下は昇進し、それぞれ3人ずつ新しい部下を持つ(便宜的に、社長を課長の枠に、社長の部下を係長の枠に入れている)。社長の売上高は3,000万円、社長の部下の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計13人で売上高1億5,000万円となる。

 さらに20年後には、社長の部下と一般社員がそれぞれ昇進し、新しい一般社員が27人入ってくる(便宜的に社長を部長の枠に、社長の部下を課長の枠に、社長の部下の部下を係長の枠に入れている)。社長の売上高は4,000万円、社長の部下の売上高は1人あたり3,000万円、社長の部下の部下の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計40人で売上高5億8,000万円となる。

 30年後には、社長の部下、社長の部下の部下、一般社員がそれぞれ昇進し、新しい一般社員が81人入ってくる。社長の部下は部長、社長の部下の部下は課長、一般社員は係長となる。社長の売上高は5,000万円、部長の売上高は1人あたり4,000万円、課長の売上高は1人あたり3,000万円、係長の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計121人で売上高17億9,000万円となる。

 ここまでは、入社した社員が皆昇進することができるので問題ない。問題はここからである。40年後に、9人の課長を部長に、27人の係長を部長に、81人の一般社員を係長に昇進させ、81×3=243人の一般社員を入社させたとしよう。1人あたり売上高は、社長が5,000万円、部長が4,000万円、課長が3,000万円、係長が2,000万円、一般社員が1,000万円であるから、合計360人で売上高52億7,000万円となる。30年後の売上高が17億9,000万円であることを踏まえると、10年で売上高を約3倍にしなければならない。売上高は、創業直後5,000万円⇒10年後:1億5,000万円⇒20年後:5億8,000万円⇒30年後:17億9,000万円と推移しており、だいたい10年間で3倍になっている。売上高を10年間で3倍にするためには、毎年約12%の成長が必要となる。創業後30年ほどは高成長が続くから、このぐらいの成長率でも問題ないだろう。しかしながら、創業後40年ともなれば、成長率が落ちてくるのが普通である。

 もはや全員を昇進させることはできない。だが、できるだけ多くの社員に昇進の機会を与えたい。そこで、今まで上司:部下=1:3となっていたのを、1:4にする。すると、40年後には部長4人、課長16人、係長64人、一般社員256人となる。合計341人で売上高は45億3,000万円である。これは、30年後の売上高17億9,000万円の約2.5倍である。50年後も同様である。16人の課長を部長に、64人の係長を部長に、256人の一般社員を係長に昇進させることはできない。代わりに、上司:部下=1:4となっていたのを、1:5にする。すると、50年後には部長5人、課長25人、係長125人、一般社員625人となる。合計781人で売上高は97億5,000万円である。

 以降同様に、60年後は上司:部下=1:6とし、部長6人、課長36人、係長216人、一般社員1,296人とする。合計1,555人で売上高は186億5,000万円である。70年後は上司:部下=1:7とし、部長7人、課長49人、係長343人、一般社員2,401人とする。合計2,801人で売上高は326億7,000万円である。80年後は上司:部下=1:8とし、部長8人、課長64人、係長512人、一般社員4,096人とする。合計4,681人で売上高は534億9,000万円である。90年後は上司:部下=1:9とし、部長9人、課長81人、係長729人、一般社員6,561人とする。合計7,381人で売上高は830億3,000万円である。100年後は上司:部下=1:10とし、部長10人、課長100人、係長1,000人、一般社員10,000人とする。合計11,111人で売上高は1,234億5,000万円である。

 この間、売上高の伸び率は、
 ・40年後:45億3,000万円⇒50年後:97億5,000万円(約2.2倍)
 ・50年後:97億5,000万円⇒60年後:186億5,000万円(約1.9倍)
 ・60年後:186億5,000万円⇒70年後:326億7,000万円(約1.8倍)
 ・70年後:326億7,000万円⇒80年後:534億9,000万円(約1.6倍)
 ・80年後:534億9,000万円⇒90年後:830億3,000万円(約1.6倍)
 ・90年後:830億3,000万円⇒100年後:1,234億5,000万円(約1.5倍)
と、徐々に伸び率が鈍化していく。それでも、仮に10年間で売上高を1.5倍にしようとすれば、毎年4%の成長が求められる。10年間で売上高2倍なら、毎年7~8%の成長が必要である。

 110年後以降であるが、一般的にスパン・オブ・コントロール(管理の範囲)は部下10人と言われているから、これ以上1人の上司に対する部下の数を増やすことは困難になると思われる。よって、組織は100年後と同じ人員構成を維持しようとすることになるだろう。

 注目してほしいのは、矢印で示した「昇進率」である。前述の通り、創業から30年後までは全員を昇進させることができた。ところが、40年後以降はポストが不足する。そして、図1をご覧の通り、上の階層に行くほど、そして創業からの年数が経過するほど、昇進率が下がる。

 日本企業の多くは戦後の高度経済成長期に設立されたと推測され、図1の40年後~50年後がちょうど20世紀末にあたる。この時期には、各企業は子会社を作って余剰人員を転籍させることができた。連結決算についてもそれほどうるさくなかったから、小さな子会社を乱立させていた時期である。ところが、2001年に連結決算が本格的に施行されると、その手が使えなくなる。図1の60年後~70年後がまさに2000年代~2010年代を表している。連結決算が適用されるので、下手に赤字子会社を作るわけにはいかない。子会社を作って新規事業に算入するならば、本業の規模に見合ったものにしなければならない。図1でお解りのように、この時期には日本企業はそれなりの規模になっていたため、新規事業の種探しも困難を極めるようになった。

 バブル期は図1で言うと40年後に該当する。この時期に入社した社員が10年後に係長に昇進する割合は49%にすぎない。10年後に係長に昇進しても、さらにその10年後に課長に昇進する割合は29%であるから、課長に昇進する割合は49%×29%=約14%である。『7割は課長にさえなれません』というのは決して誇張ではない(旧ブログの記事「日本型雇用制度は半世紀持ったんだから十分だろ-『7割は課長にさえなれません』(補足)」を参照)。

 私は前述の通り年功制を支持する一方で、終身雇用については支持していない。図1でも明らかな通り、全員にポストを用意することは不可能である。かといって、既存社員の雇用を守るために若者を排除するのは愚策である。若者が雇用不安に陥ると、社会全体が動揺することは、フランスやドイツを見れば明らかである。よって、企業は若者を積極的に採用する反面、一定の年齢に達した社員のうち、一定の割合を外部に転出させなければならない。転出した社員は自ら起業するか、転出した社員が興した企業に転職することになる。

 現在、バブル期に入社したミドル社員がポストをふさいでいることが多くの企業で問題になっているようだが、私は遅かれ早かれ、解雇の要件が緩和されると思う。代わりに、産業界は、円滑な起業・転職を推し進めるために、助成金を給付する基金を共同で構成したり、起業・転職希望者を対象とした能力開発を行う組織をサポートしたりする必要が出てくるだろう。

○図2<年齢5階級別人口(平成42年)>
年齢5階級別人口(平成42年)

 以前の記事「『未来をつくるU-40経営者(DHBR2016年11月号)』―U-40の起業家は歳が近くて悔しくなるので、Over50の起業について考えてみた」では図②のようなグラフを用いた(初出は旧ブログの記事「高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』(2)(3)」)。平成42年とは12年後の2030年のことであるが、この頃には、20代を底辺とし、70代ぐらいを頂点とする従来型の組織と、40代後半~50代前半を底辺とし、80歳近くを頂点とする新しい組織が出現すると書いた。仮に21世紀に入ってから企業がミドル社員の転出・起業を既に促していたとすると、30年後の2030年には図2のような2つのタイプのピラミッド組織が併存しているに違いない。

○図3
人口ピラミッド

 さらに時間が進んで2040年になるとどうであろうか?40代後半~50代前半を底辺とし、80歳近くを頂点とする新しい組織も創業40年を迎え、全員が昇進できなくなる。ということは、この新しい組織においてもまた、一定の年齢に達した社員の一定割合が転出を促される。その転出は、40代後半で入社して10~15年後ぐらいから始まると仮定すると、今度は50代後半を底辺とし、80歳近くを頂点とする第3の組織も誕生すると予想れる(図3左側)。その結果、60~64歳の約7割、65~69歳の約4割、70~74歳の約2割、75~79歳の約1割が働き続けることになる。2065年になると、図3の右側のように変化する。60~64歳の約8割、65~69歳の約5割、70~74歳の約3割、75~79歳の約2割が働き続けると推測される。


2016年03月05日

『願いに生きる(『致知』2016年3月号)』―日本には成果主義より職能資格制度がフィットするかも、他


致知2016年3月号願いに生きる 致知2016年3月号

致知出版社 2016-3


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 (前回の続き)

 (4)
 仕事というものは本来楽しいものであるし、どんなに大変な仕事であろうともそこに意義や価値を見出し、「面白い」「楽しい」と思って取り組まなければ何も得られない。
(大橋洋治「失敗しない人間は信用できない」)
 引用文にもあるように、「仕事は楽しめ。楽しまなければモチベーションは上がらない」とよく言われる。だが、私は普通の人と比べて感情機能が故障しているせいか、どうもこういう考えをすんなりと受け入れられない。確かに、ディズニーランドのようなエンターテインメントにおいては、キャストが心の底から楽しんでいなければ、顧客を楽しませることはできないだろう。しかし、私が携わる経営コンサルティングという仕事は、顧客がどうしようもなく困って支援を求めてくるものである。コンサルタントは、言わば顧客の苦しみを肩代わりするわけだから、楽しいはずがない。

 もちろん、顧客の課題が解決されて、顧客とともに最後に安堵感を味わうことはある。とはいえ、そこに至るまでのプロセスは基本的に重荷である。もしそれを楽しいと言うならば、他人の不幸を飯の種にしていることを積極的に認めることになり、はなはだ不謹慎だと思う。そもそも、仕事に楽しい⇔楽しくないという感情を持ち込むから話がややこしくなる。仕事を快⇔不快で判断するから、やりたい⇔やりたくないという両極を行き来することになる。だから、私は最近、できるだけ心の平静を保って、楽しい⇔楽しくないという感情を排除するようにしている。

 社員の動機づけについてもう少しだけ話をしておく。前述の通り、仕事を快⇔不快で判断すると、モチベーションが上下しやすくなる。社員のモチベーションの乱高下を防ぐために、企業は社員に楽しい仕事を与え続けるべきだなどという、トンチンカンな主張を見かけることがある。果たして、企業は社員のモチベーションを上げる義務があるのだろうか?社員は企業から給与という形でお金をもらっている。お金をもらう側が、お金を払う側からモチベーションを上げてもらうのがいかにおかしいことであるかは、顧客と企業の関係を考えればよく解る。

 同じことは教育研修についても言える。企業は社員に教育投資をすべきだと言われるが、顧客は企業が組織能力を高めるためのトレーニングに対して、追加のお金を出してくれるだろうか?こういう話をすると、私が「”社員”が”輝く(Shine)”経営のお手伝いをする」という意味で、屋号を「シャイン経営研究所」としていることに反して、社員に厳しすぎるという声が聞こえてきそうだ。ただ、私は企業側の動機づけや教育投資を全否定するわけではない。

 企業と社員の関係は、顧客と企業の関係と異なる点がある。顧客は、ある企業が気に入らなければ、別の企業から製品を買える。だが、企業の場合、ある社員が気に食わなくても、代わりの人材をすぐには採用できない。トヨタの自動車が嫌なら、ホンダの自動車を買えばよい。しかし、トヨタを退職した技術者の代わりを見つけるのは容易ではない。少なくとも、顧客がトヨタのディーラーから近所のホンダのディーラーへ移動するよりははるかに難しい。企業は、今いる社員で成果を上げるしかない。だから、動機づけと教育訓練で社員をつなぎ止めることが必要である。

 (5)
 「私たちはお金に関係のない世界に生きていますから、本が売れているなどいままで知りませんでした」。そう答えた時、「ああ、だから本が売れるんですね」と返された言葉がいまでも印象に残っています。無心になって手放せば反対に入ってくる。私たちの社会にはそういう原理が働いているのかもしれません。
(鈴木秀子「この心臓は鉛でできているが、泣かないではいられないのだよ」)
 「無心になって手放せば反対に入ってくる」という感覚は、最近何となく解る気がする。「この製品・サービスを売りたい」、「あの顧客企業からこのぐらいのお金をいただきたい」と私がいくら望んでも、その通りになることはほとんどない。それどころか、人生全般を振り返っても、私の思い通りにいったことなど数える程度しかないような気がする。逆に、何も望まない状態でいると、周りの人が私のことを気にかけてくれるのか、色々と仕事をくださったりする。

 (4)とも関連するが、自分がこうしたい、ああしたいと思って仕事をするのは快⇔不快という感情にとらわれている。自分がしたい仕事であれば快く感じ、モチベーションが上がる。反面、自分がしたくない仕事であれば不快に思い、モチベーションが下がる。こうしたモチベーションの乱高下は、コントロールが非常に難しい。いっそのこと欲を手放してしまえば、快⇔不快という感情に左右されることもなくなるので、モチベーションというもの自体を考えなくて済む。

 「無心になって手放せば反対に入ってくる」というのが我々の社会に働く原理であるとすれば、アメリカ流の成果主義は日本にとって最悪である。成果主義によって、短期的な成果しか追わなくなった、職場内の協力関係がなくなり組織がタコツボ化したなど、様々な弊害が指摘されるが、そもそも根本的に日本社会の原理に反していた可能性がある。とはいえ、私も全ての目標設定を否定するつもりはなく、何らかの目標を持つ必要はあると考えている。ただし、その目標は、○○円受注する、市場シェア○○%を達成するなど、組織の外部の成果に求めるのは望ましくない。

 代わりに、人として、あるいは企業という共同体を円滑に運営する上で当然と見なされる行為にフォーカスを当てる。例えば、自己啓発をするとか、後輩を育てるといった具合である。そういう行為をたくさん積み重ねていった結果として、売上高、顧客数、市場シェア、利益などの数字が後からついてくると考えた方がよさそうだ。その意味では、日本の職能資格制度は、実は非常によくできた制度である。成果主義が導入された時、職能資格制度は内向きで抽象的な目標ばかり立てていると批判された。しかし、実はそういう目標こそ、日本人が追求すべきものである。


2015年06月18日

坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)


日本でいちばん大切にしたい会社2日本でいちばん大切にしたい会社2
坂本 光司

あさ出版 2010-01-21

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 《本書で紹介されている企業》
 株式会社富士メガネ(北海道)
 医療法人鉄蕉会亀田総合病院(千葉県)
 株式会社埼玉種畜牧場「サイボクハム」(埼玉県)
 株式会社アールエフ(長野県)
 株式会社樹研工業(愛知県)
 未来工業株式会社(岐阜県)
 ネッツトヨタ南国株式会社(高知県)
 株式会社沖縄教育出版(沖縄県)

 (前回の続き)

 (2)樹研工業(愛知県)と未来工業(岐阜県)の給与体系が特徴的であった。正確に言うと、日本では両社のような制度が当たり前だったのだが、海外から色んな人事給与制度が入ってきたために、両社の制度がかえって異色に見えるようになった。
 現在、同社の最高齢の社員は68歳ですが、樹研工業ではその人が一番給料をもらっているのだそうです。残業手当もつきますが、年齢で決まる本給が9割以上を占めるといいます。

 30年ほど前までは、樹研工業も、評価をして給与に多少差をつけていました。しかしある年、みんながよく働いたのでどうしても差をつけられなかったそうです。そのときは、「今回は評価できないけれど勘弁してくれ。次はちゃんと評価するから」と謝ったのですが、その次もやはり評価できませんでした。それで、今日に至っているのです。
 未来工業の給料は、能力主義や実力主義ではなく、完全な年齢序列です。同じ年齢、同じ役職で差がついたとしても、1年でせいぜいプラス・マイナス20万円ほどだそうです。
 対極にあるのがいわゆる成果主義で、企業の業績に対する各社員の貢献度を特定して給与を算出する。だが、社員の貢献度をどのように測るかがいつも議論の的となる。私も旧ブログでこの問題を部分的に取り上げたが、どうやってもしっくりこないので途中でやめてしまった。

 マネジャー(管理職)の評価方法に関する素案
 「イノベーションに失敗した人」の評価方法に関する素案
 個人の貢献度に応じた業績給の算出方法は永遠の課題―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』

 成果主義を設計するにあたっては、評価の公平さ・公正さを担保するために、できるだけ多面的な評価指標を取り入れる。しかし、指標をどのように設定しても、社員からは「なぜあの指標は評価対象になっていないのか?」と不満が出る。そして、その不満に真面目に答えていくと、複雑怪奇な給与モデルになってしまい、今度はその複雑さに対して文句が出るようになる。結局のところ、企業の業績を厳密に社員個人の給与に還元することは無理なのである。そういう厄介な問題を回避するために生まれたのが日本的な年功制なのではないか?と思うようになった。

 だから、今後私のもとに給与体系構築のコンサルティングの話が来たら、迷わず年功制を勧めるかもしれない。逆に、過去に業績給を提案したクライアントに対しては、ソリューションが不十分だったとお詫びするしかない(私のように、こういう”寝返り”をするならず者がいるから、世間がコンサルタントに対して抱いている不信感・胡散臭さがいつまでも消えないのかもしれない)。

 成果主義を批判し、年功制の復活を提言した書籍に、高橋伸夫氏の『虚妄の成果主義』(日経BP社、2004年)がある。約10年ぶりに読み返してみた(ちなみに、約10年前のミニ書評>>「【ミニ書評】高橋伸夫著『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』」 10年前はこの程度の文章力だったことを考えると、我ながらこの10年あまりの間によく成長したと思う(笑))。

虚妄の成果主義虚妄の成果主義
高橋 伸夫

日経BP社 2004-01-17

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 人事労務管理の分野では、「動機づけ要因」と「パフォーマンス」の関係に関する研究が盛んである。しかし、両者の間には「関係がある」という立場と「関係がない」という立場があり、見解が錯綜している。議論を整理するためには、「動機づけ要因」と「パフォーマンス」それぞれについて、もっと細かい分類が必要であると著者は指摘する。まず、パフォーマンスについては、ジェームズ・マーチ&ハーバード・サイモンによる、「従業員の意思決定」の分類に従うべきだとする。

 (a)組織に参加するか、あるいは組織を離れるか、という参加の意思決定。
 (b)組織によって要求された率(rate)で生産するか、あるいはそれを拒否するかという生産の意思決定。

 (a)は「退出の意思決定」である。(a)が高いということは、欠勤率や離職率が高くなり、組織のパフォーマンスが低下する。これに対して、(b)は「効率的に生産するかどうかの意思決定」であり、これが高ければ組織のパフォーマンスは向上する。

 次に、動機づけ理論には様々なものがあるが、本書では主にフレデリック・ハーズバーグの「動機づけ要因・衛生要因理論」、ビクター・ブルームの「期待理論」、エドワード・デシの「内発的動機づけ理論」が取り上げられている。

 ハーズバーグの理論は、約200人のエンジニアと経理担当事務員の職務満足度を研究したものである。動機づけ要因としては、「達成すること」、「承認されること」、「仕事そのもの」、「責任」、「昇進」があり、これらが満たされると満足感を覚えるが、欠けていても職務不満足を引き起こすわけではない。一方、衛生要因には、「会社の政策と管理方式」、「監督」、「給与」、「対人関係」、「作業条件」があり、これらが不足すると職務不満足を引き起こすと指摘する。

 簡単にまとめると、動機づけ要因は主に仕事そのものに対する周囲と自己の評価であり、衛生要因は給与をはじめとする職場環境に関する要因である。そして、動機づけ要因は(b)効率的に生産するかどうかの意思決定と関連しており、衛生要因は(a)退出の意思決定と関連している。

 期待理論を構築したブルームは、ハーズバーグの研究に対して懐疑的であった。しかし、結局のところブルーム自身は、期待理論が(a)退出の意思決定と職務満足との間の関係を説明するには有効だが、(b)効率的に生産するかどうかの意思決定と職務満足の間の関係を説明するのには向いていないと、その限界を感じていた。(a)には期待理論=外発的な動機づけ理論が向いているものの、(b)に関しては内発的な動機づけ理論が必要ではないかと予想した。

 ブルームの予想を理論化したものが、デシの内発的動機づけ理論である。人は、仕事に対して「自己決定的」であり、「有能さ」を感じていると、内発的に動機づけられ、生産性が向上する。ここでもう1つ重要なのは、内発的に十分動機づけられている人に対して、外発的報酬である金銭を与えると、内発的動機が挫かれるという点である。だから、生産性を上げるためには、成果と金銭を切り離した方がよい、とデシは結論づける。つまり、成果主義は間違いなのである。

 ここまでの議論をまとめると、以下のような関係になるだろう。

 (a)退出の意思決定←衛生要因、期待理論
 (b)効率的に生産するかどうかの意思決定←動機づけ要因、内発的動機づけ

 衛生要因や期待理論は金銭が中心であるから、「経済的動機づけ」と言い換えることができるだろう。動機づけ要因は内発的動機とイコールのように思えるが、実は「達成すること」、「承認されること」のように、周囲からの評価という外発的な動機も含まれている(「達成すること」が外発的であるのは、単に個人が内心で設定した目標を個人的に達成するだけではなく、組織によって設定された目標を達成し、それを周囲の人から認められることが重要であるためだ)。これに名称をつけるのは難しいが、「社会的動機づけ」とでも呼べるだろうか?

 以上を踏まえると、パフォーマンスと動機づけ要因の関係は、次のようにシンプルになる。

 (a)退出の意思決定←経済的動機づけ
 (b)効率的に生産するかどうかの意思決定←社会的動機づけ、内発的動機づけ

 以前、「人事担当者やマネジャーは内発的動機づけを重視する傾向があるが、金銭的な外発的動機づけを軽視してはならない。試しに、『明日から皆さんの給与をゼロにします』と社員に告げてみるとよい。それでも出社してくる人は果たしてどれだけいるだろうか?」といったことを本ブログで書いたのだが、ちょっと脇が甘かったと反省した。

 金銭的報酬(経済的動機づけ)は、退出の意思決定を軽減する、つまり社員を出社させるには確かに有効である。しかし、ただそれだけのことであり、前述の図式に従えば、仕事の能率を上げ、成果を増やすのには効果がない。とはいえ、人事担当者にとって朗報もある。それは、社員を出社させるには法外な金額を積む必要も、社員によって金額に大きな差をつける必要もない、ということである。だから、日本的な年功制で十分なのである。

 実は、年功制を採用すると、賃金の意味合いも、企業の目的も変わってくる気がする。ここから述べることは、まだ十分に頭の整理がついていないことをあらかじめご容赦いただきたい。一般的には、賃金は仕事(もしくは労働時間)に対する対価と考えられている。また、企業の目的は、ドラッカーが言うように、顧客の創造であるとされる。

 しかし、見方を変えれば、企業とは、社会にとって有益な資本を蓄積する存在である。質の高い生産資本と労働資本を形成し、それらの資本を通じて、人々の生活レベルの向上に資する消費資本(この言葉はあまり適切でないが)(※)を生み出す。ここで、生産資本は地球資源に依存しており、労働資本は家族に依存している点に注意する必要がある。消費資本を大量に生み出そうとすると、生産・労働資本にしわ寄せが行く。具体的には、地球資源が浪費され、家族が犠牲になる。よって、それを防ぐために、企業は3つの資本のバランスを取らなければならない。

 企業が労働資本を蓄積するとは、労働者が自らの能力の維持・向上に投資するだけでなく、労働力を再生産する、つまり子どもを産み育てるのに必要な金銭を提供することである。労働力の維持・向上と再生産に必要な資金は、一般的には労働者の年齢が上がるほど増えていく。よって、企業は年功制を採用する以外に方法がないのである(旧ブログの記事「《要約》『戦略サファリ』―ミンツバーグによる戦略の10学派(2.プランニング・スクール)」で、企業が複数の目的を同時に追求するのは無理があるといったことを書いたが、この点は修正が必要かもしれない)。

(※)資本という言葉には、それを元手にして何かを継続的に創出する、という意味合いがある。消費資本とは、それによって顧客に対し継続的に効用を生み出し続ける財のことである。この言葉の意味からすれば、顧客が中長期的に使用・蓄積できる財こそが望ましい財であって、刹那的に消費されるもの、すぐに修理・交換が必要になるものはあまり望ましくない、と言える。

 《2017年4月12日追記》
 出光佐三『人間尊重七十年』(春秋社、2016年)より引用。
 私は開店当初から俸給を発表しなかったのであります。十年間ぐらい発表しなかったのであります。別に理屈もなかったのであります。ただ発表する気持になれなかったのであります。人格を金で評価することのいかに非礼であるか、評価されるほうも嫌だが、第一、評価するほうの心持は、何にも換えられない嫌なものがあります。人間尊重を主義とする私としては、当然の処置だと思います。

 俸給は生活の保障であって店員を待遇する方法ではない。店員を待遇するの道は、仕事を楽しましむることである。その才能に応じて適当の仕事を与えることである。適材を適所に配して、仕事に興味をもたせ、人生を楽しましむることである。俸給の多寡は家庭の事情を標準としたいのであります。妻帯と同時に昇給し、家族手当、住宅手当を支給し、さらに子供手当を支給するのは、この方針から出ているのであります。
人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-08

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